それでは、外史・入学編。どうかご堪能いただければ、幸いです。
第十六話 四葉家と七草家
◇
2095年3月末__。
(まったくもう⋯⋯っ。急な呼び出しなんて、なんの用事よ。あの狸オヤジ⋯⋯)
七草邸の長い廊下を歩く七草真由美は、苛立ちを抑えかねていた。
つい先ほどまで自室で穏やかに過ごしていたところを、不意に父から呼び出されたのだ。
不満を抱きつつも、彼女の頭脳は冷静に呼び出しの理由(わけ)を思案していく。
(最近、七草の仕事でミスした覚えは⋯⋯ないわね。んー、他に呼び出される理由があるとすれば⋯⋯)
思考を巡らせながら歩くうちに、目的地である書斎に辿り着いていた。扉の前で足を止めた真由美は、小さく息を吐き出すと、重厚な扉を三度ノックする。
__コン、コン、コン__
「お父様⋯⋯、真由美です。入ってもよろしいでしょうか?」
『来たか⋯⋯。入れ』
父の許しを得てから、真由美は静かに扉を開けた。
入室した彼女の視野にまず映ったのは、洗練された数々の調度品だ。華美に流されぬよう要所のみの配置に、部屋の主のセンスが覗く。
「急に呼び立てて、すまなかったな」
上座からの低い声質の呼びかけに、真由美はそっと視線を向けた。
部屋の最奥、豪勢な執務椅子に腰掛ける七草弘一の姿を捉える。室内だというのに黒のサングラスを掛けているため、どのような眼差しで自分を見ているのかは判らなかった。
「いいえ。問題ありません、お父様⋯⋯。それで、お呼び立てとのことですが⋯⋯何か御用でしょうか?」
心の中ではどれほど毒を吐こうと、れっきとした七草現当主を前にすれば、その表情には微かな緊張が浮かぶ。
「まあ、そう急くな。とりあえず、座れ」
「はい。失礼します⋯⋯」
促されるまま、彼女はおとなしくソファーに腰を下ろした。
弘一はタブレットを片手に立ち上がると、真由美の対面にあるソファーへと移動し、腰を落ち着けた。
テーブルを挟んで、向かい合うふたり__。
しかし言葉は交わされず、しばし無言の時間が流れる。
一向に用件を切り出そうとしない弘一に痺れを切らし、真由美が口を開こうとした__その矢先。
ようやく弘一が重い口を開いた。
「最近⋯⋯高校はどうだ?何か、問題でも起きたか?」
しかしその内容は重大さとはほど遠い、単なる世間話の延長線に過ぎなかった。
微妙に肩透かしを受けた真由美だったが、尋ねられた以上は率直に答える。
「いいえ、至って平和そのものです。何も問題は起きていません」
「そうか⋯⋯。そういえば、生徒会長を務めていたな。もうすぐ新入生の入学時期だ⋯⋯。式の準備などで気が休まらないのではないか?」
「それも問題ありません⋯⋯。式の準備は滞りなく終わっています。優秀な役員たちが励んでくれたおかげで、苦労はありませんでした」
「そうか⋯⋯」
交わしたやり取りはあくまで雑談の範疇に収まり、重要そうな単語など浮上してこない。その生殺しのような状況に、真由美の苛立ちは募る一方だった。
(あー、もうホント⋯⋯何の用件で呼び出したの、このオヤジ!さっきから生返事ばかりして⋯⋯!そんなに話しづらい内容なわけ?)
内心で悪態をつきながら彼女は、自ら口火を切る。
「お父様⋯⋯何かお話があったのでは⋯⋯?私もそこまで暇ではありませんので、用件があるのでしたらお早めにお願いしますっ!」
苛立ちを隠しきれない娘の態度に、弘一は深く息を吐きだす。
「⋯⋯そうだな。本題に入ろうか」
(はぁ、ようやく本題ね⋯⋯。まったく、さっきのやり取りには何の意味があったのやら⋯⋯)
無為な探り合いの時間は、真由美の胸中に不必要な気疲れを蓄積させていた。
「先ほども言ったが⋯⋯もうすぐお前のいる第一高校の入学式だ。新たな生徒が入ってくる⋯⋯。それは理解できているな、真由美?」
「ええ、勿論です⋯⋯。一体、お父様は何をご懸念されているのですか?いい加減にはっきりとおっしゃってください」
「分かっている⋯⋯。いいかよく聞け、真由美。今年の新入生のなかに⋯⋯四葉の縁者がいる。⋯⋯いや、この言い方は正確ではないな。正しく言うなら、四葉直系の子女が入学してくる⋯⋯か」
「⋯⋯はぁっ!?」
__四葉。
まったく予期していなかった単語の浮上に、真由美の思考は一瞬だが完全に停止する。
それでも、その口からは詳細を確認するための声が放たれた。
「お父様⋯⋯いま、四葉とおっしゃいましたか?」
「ああ」
「それは⋯⋯あの四葉ですか⋯⋯?」
「お前が想像した通りの四葉だ」
「あの⋯⋯〈The Outlier(アウトライア):破天荒なる者〉の異名で讃えられる四葉⋯⋯ですよね?」
「それ以外の四葉が存在するとでも言うつもりか?ならば、ぜひ教えてほしいものだな」
「十師族筆頭の⋯⋯あの四葉⋯⋯」
「くどいぞ、真由美!何度確認しようと答えは変わらん」
「っ!?」
父からの鋭い叱責に、真由美は下唇を噛んで顔を伏せる。
明々に突きつけられた現実__。
それを理解した瞬間、彼女の〝猫被り〟は脆くも崩れ去った。
「⋯⋯嘘でしょ!?何で、四葉直系の子女が一高に入学してくるのよっ!?どう考えてもおかしいじゃない⋯⋯。」
素の態度を露わに小言を漏らした真由美は、両手で顔を覆う。
そんな娘の困惑を冷静に見つめつつ、弘一は平然と言い放つ。
「何かおかしい点があるか?高校への進学を控えた子どもがいて、その進学先に第一高校を選んだ⋯⋯。ただ、それだけのことだ」
「いや⋯⋯だからって、なんでよりによって第一高校なのよ⋯⋯。と言うかそれ以前に、お父様はどうやってそれを知ったの?」
顔から両手を離し、非難めいた視線で父を問い詰める。
しかし弘一は涼しい顔のまま、淡々と事実を明かした。
「真夜が直接、わたしに連絡をよこしたのだ。『うちの子どもたちが、第一高校に入学する。それに伴って頼み事をしたい』とな」
「えっ!?頼み事って、なによ?」
「それを教える前に⋯⋯どうする?受けるか?」
「何で私に確認を取るのよ⋯⋯。七草への要請でしょ。お父様がひとりで決めればいいじゃない」
投げやりに言い放つ娘に対し、弘一は意地の悪い薄笑いを浮かべる。
「そうもいかん。確かに七草への要請ではあるが、実際に動くのは⋯⋯真由美、お前だからだ」
「私っ!?何で、私が⋯⋯っ」
自分には関係ないと高を括っていただけに、不意に矛先を向けられた真由美は顔を顰めた。
その狼狽ぶりを理解しつつも、弘一は事務的に話を続ける。
「学外の事なら七草の私兵を動員できるが⋯⋯学内となると、さすがに無理だ。よって、お前に任せるほかない」
「だからって私に投げないでよっ!ていうか、そもそも四葉の頼み事って何っ!」
「そう、身構えるな。真夜の頼みは至って単純だ。『入学する子たちの面倒を見てほしい』⋯⋯それだけだ」
「えっ⋯⋯!?それだけ⋯⋯それだけなの?」
どんな無理難題を突きつけられるかと身構えた真由美は、拍子抜けしたように胸を撫で下ろす。しかし、彼女は父が発した言葉に奇妙な引っかかりを覚え__即座に聞き返した。
「んっ!?待って⋯⋯いま、子どもたちって言った?もしかして、入学してくる四葉の子はふたりいるの?」
「そうだ。入学してくる子女は二人だ」
「もしかして⋯⋯結構、問題児だったり⋯⋯?」
「いや、むしろ逆だ。非常に優秀だと真夜は告げた。その点は心配しなくていいだろう」
「そうなの⋯⋯なら、安心かな」
一番の懸念点が無くなったことに、真由美は安堵の息を漏らす。そんな娘を前に、弘一はさらに情報を付け加える。
「ひとつ言っておくが、断ることもできる。真夜からも『真由美ちゃんに無理強いはしないで』と言われたのでな。__随分と気に入られているな、真由美。ああ、そういえばお前は真夜と面識があったか」
「幾度かパーティーで会ったわ。挨拶を交わして、世間話もしたけれど⋯⋯」
「そうか⋯⋯。どういう印象を受けた?」
「⋯⋯何というか、捉えどころ⋯⋯掴みどころがない女性(ひと)って印象だったわ。とても綺麗で、優しくて、朗らかな笑顔を見せてはいたけれど⋯⋯同時に、底知れない強さも垣間見えた⋯⋯気がした」
「フッ、いい感性だ。⋯⋯なるほど、気に入られるわけだ」
娘の鋭い洞察力に、弘一は満足げに口元を綻ばせた。
「お前が口にした通り、四葉真夜という女性には底知れなさが宿る。〈破天荒なる者〉⋯⋯その異名はまさに彼女自身を指し示すものに他ならん。さらには、十師族の当主としても異端中の異端だ。権威や権力には固執せず、縛られることもない。むしろ己の自由を阻害するものと捉えて、嫌悪すらしている。当主の座など、真夜にとっては無用の長物そのものだ。そのくせ、当主の務めは卒なく完璧にこなすというのだから、たちが悪い⋯⋯。クククッ、周囲にいる者たちは、さぞ困惑していることだろう」
彼は心底可笑しそうに、愉しげな含み笑いを漏らす。
貶したいのか、それとも称賛したいのか__。
両極端な父の言葉を耳にして、真由美はしばし呆気にとられていた。娘の戸惑いを察した弘一は、小さく咳払いをして話の流れを戻す。
「話が逸れたな⋯⋯。それで、どうする?断ってもいいが⋯⋯ただしその場合、お前に入学してくる子どもの詳細な情報は見せられない。それと予め言っておくが、彼らは四葉姓を名乗らないからな」
「えっ!?何でよ⋯⋯」
「想像してみろ。迂闊に四葉を名乗れば、学校中が騒がしくなり、平穏な学生生活など送れん。当然の判断だ」
「なるほど⋯⋯。納得の理由ね」
大きく頷く真由美を見据え、弘一は選択を迫る。
「それで真由美、お前はどちらを選ぶ。受けるのか⋯⋯断るのか⋯⋯」
選択を突きつけられた彼女の思考は、熟考に深く沈んでいった。
__四葉の子女が、第一高校に入学してくるというのには大変驚かされた。だが同時に、微かな興味も湧き上がる。その子たちが第一高校で何を為すのか、ぜひこの目で見たいと思ったのだ。
何より、数ヶ月後には〝九校戦〟という魔法科高校における一大行事が控えている。〝三連覇〟という目標を掲げている第一高校としては、貴重な人材の拡充は望むところだった。
そこまで思案して、真由美は内心の天秤に意識を向ける。だが、興味を惹かれたという時点でどちらに傾くかなど、もはや自明の理だった。
「⋯⋯いいわ。四葉の⋯⋯いいえ、真夜さんの頼み事、私が引き受ける」
弘一の目を真っ直ぐに見つめ、真由美は決意を口にした。
「そうか。ならば__」
娘の決断に不敵な笑みを浮かべた弘一は、傍らに置いてあったタブレットを操作し、とあるデータを表示させる。
「これが、真夜が提示してきた詳細なデータだ」
そう告げて差し出されたタブレットを受け取り、画面を覗き込んだ真由美は思わず目を見開いた。
「司波⋯⋯深雪⋯⋯って、ちょっと待って!この子、今年度の新入生総代の子じゃない!嘘でしょ、四葉の人間だったの⋯⋯っ!?」
タブレットを片手に頭を抱える真由美。しかし、弘一は気にも留めず、表示を切り替えるよう促す。
「もうひとりも確認しろ」
「っ!?そうね⋯⋯もうひとり、いるのよね」
真由美は画面をスワイプし、表示を切り替える。
「司波達也⋯⋯ね。あぁ、兄妹なのね、このふたり。__あれ?この子⋯⋯」
読み進めていくうちに、先の少女とは明確に異なる情報が表示され、父に問いかけた。
「お父様。この子、二科生で登録されているけれど、これ表示間違い⋯⋯よね?」
「⋯⋯いいや、間違いではない。司波達也⋯⋯その少年は紛れもなく二科生だ」
弘一は静かに息を吐き、サングラスのブリッジをそっと押し上げる。あくまで冷静な父に対し、真由美は声を張り上げた。
「馬鹿げてるわ!四葉の子が二科生なんて⋯⋯絶対に裏がある。そうでしょ!?」
「裏も何もありはしない。彼が二科生なのは入学試験の適性結果でそう判断されたゆえだ。データもそれを裏付けている。よく見てみろ」
「⋯⋯これは⋯⋯。えっ、ホントに!?」
表示された達也の実技試験の結果を目の当たりにし、真由美は声を詰まらせる。
「彼の実技成績は、どうやら芳しくなかったようだ。これでは二科生に振り分けられても仕方あるまい。__だがな、真由美。この司波達也という少年の異常性は別にある。筆記成績を見てみろ」
促されるまま表示画面を切り替えた真由美は、本日何度目かになる驚愕の表情を浮かべた。
「そんな、嘘でしょ!?あり得ないわ、これ⋯⋯っ」
「ククク、いいや事実だ⋯⋯。司波達也⋯⋯彼は筆記試験において、他の追随を一切許さずトップの成績を収めた」
父の言葉を否定したい感情と、データが指し示す真実の間で、真由美の精神は揺れ動く。
そうして動揺を抱えたまま、彼女は声を絞り出した。
「それでも、彼が二科生であることに変わりはないのよね⋯⋯。そうでしょ、お父様?」
「そうだな、彼が二科生であることに変わりはない。だが、いいか!その事実をそのまま真に受けるな。二科生=能力、あるいは資質ではないのだ。決してな!」
「と、言うと⋯⋯?」
言葉の意味が飲み込めず、真由美は首を傾げた。弘一は嘆息し、話を続ける。
「真由美⋯⋯。我々、魔法師が魔法を使用するために普段何を用いているか、よく考えてみろ」
「⋯⋯CADでしょ。そんなこと言われなくても、よく解ってるわよ」
「⋯⋯では、そのCADの調整を専属で行う者を何と呼ぶ?」
「はぁっ!?魔工師でしょ。そんなの⋯⋯あっ!?そういうこと⋯⋯っ」
彼女は何かに思い至ったように、改めて達也のデータに視線を落とし、対する弘一も深く頷いた。
「そうだ⋯⋯。彼はおそらく魔法師ではなく、魔工師を志望しているのだろうな。真由美、お前は魔工師には実戦に伴う戦闘力が必要だと思うか?」
父からの唐突な問いかけに、真由美は答えられず口を閉ざす。
「まあ、持っているに越したことはないのかもしれん。だが、魔工師に必要なのは魔法に対する深遠な知識とそれをCADに反映させる確かな技術力だ。戦闘能力など二の次でいい。魔法師に魔工師⋯⋯両者にはそれぞれ担うべき領分があり、その範疇で明確な仕事を果たせばいいのだ!」
彼女は一切口を挟まず、熱の込められた話に耳を傾ける。
「だと言うのに、昨今の魔法社会は歪に成り下がった。戦闘では役立たずと魔工師を見下す魔法師⋯⋯逆に自分たちが居なければ何も出来ないと魔法師を見下す魔工師。そして、その風潮は魔法科高校の一科、二科にも表れている。一科は優等⋯⋯二科は劣等、何だ、その歪んだ考え方はっ!」
弘一は鋭い気炎を吐き、さらに言葉を重ねる。
「優劣をつけたがるのは、知性持つ者としては仕方ないのかもしれん。だが、その正しさは決して絶対ではない!__真由美⋯⋯。しかと覚えておけ。魔法だけが力の全てではない。知識や経験なども、また力たり得るのだ。己に見合った力を錬磨し、研鑽する。そうして得た力を社会に反映し、役立てていく。それこそが肝要なのだ」
真摯な眼差しで真由美を見据えて語った彼は、腕組みをして一息つく。
父の考察を聞き終えた真由美は、不覚にも感動していた。七草の権威拡大と利益にしか興味を示さないと思われた父が、現在の魔法社会に対してこれほど憂慮していたなど、考えもしなかったのだ。
「熱の籠もったいい弁論だったわ⋯⋯。まさか、お父様がそんな考えを持ってたなんて思いもよらなかったけど」
真由美の率直な感想に、弘一は軽く鼻を鳴らす。
「まあ、実際のところ、この話の元は数年前に真夜と交わした議論の受け売りだ」
「って、何よそれ。つまり、真夜さんからの借り物ってこと?ちょっと感動して損したじゃないっ!」
自前の考察ではないという告白に、真由美は盛大に肩を落とした。同時に彼女の胸の内に、以前からくすぶっていた疑念が湧き上がる。
「そういえば、ずっと気になってることがあるんだけど⋯⋯」
「何だ?」
「お父様と真夜さんは、元婚約者同士なのよね?」
「⋯⋯そうだが、それがどうかしたか?」
「いや、えっと⋯⋯。ほらっ、今もこうして仲いいじゃない。時折、一緒に食事とかも行ってるみたいだし⋯⋯。ずっと疑問だったのよ。元婚約者なんだし、気まずくなったりしないのかなー、なんて⋯⋯」
「ああ、そういうことか」
娘の直球な疑問に、弘一は腕組みを解き、ため息をついた。
「お前もいい年頃だ。この機会に話しておくか」
やがて彼はゆっくりと口を開き、昔語りを始める。
「私⋯⋯いや、俺と真夜の関係がいまだ良好なことを、お前は不思議に思っているようだが⋯⋯答えは単純だぞ。現在の俺たちの間柄は⋯⋯親友と呼べるものに落ち着いた⋯⋯ただ、それだけだ」
「親友⋯⋯」
「そうだ。と言っても、さすがに真夜の口から婚約破棄を切り出された当時は、激しい憤りがあったがな⋯⋯」
そう述べた弘一は、過去を懐かしむように少し遠い目をした。
「あれは、真夜が大漢から救出されて、しばらく経った頃のことだ。ようやく彼女との面会が叶い⋯⋯その場で、婚約破棄を直接告げられた。俺は憤りと戸惑いに任せて荒れ狂い、なぜだと、真夜に詰め寄った。だが彼女は至って穏やかな表情のまま、ぽつりぽつりと大漢で何が起きたのか⋯⋯そして、自分がいま何を思っているかを語りだしたのだ。その話を聞くうちに、俺は察したよ⋯⋯」
「何を察したの?」
「真夜が、一切虚飾のない〝本心〟を告げてくれている、という事をだ」
「本心⋯⋯?」
「そう⋯⋯本心だ。思い返せば、当時の俺たちの関係は酷く稚拙で歪だった。双方の家の取り決めによる婚約。ただ言われるがままに会って、話すだけの関係⋯⋯。真夜は終始可憐な笑顔を浮かべ、俺は彼女を不快にさせないよう言葉を選び、当たり障りのない話題を振る⋯⋯。まさに芝居だ。俺たちは、婚約者という仮面を被った茶番劇を演じていたに過ぎなかった」
口元に小さく自嘲の笑みを浮かべる弘一。
しかし真由美の目には、その自嘲に澱みのような感情は見て取れなかった。
そして、父の口から話の続きが紡がれる。
「真夜は本心を語ることで、虚しいだけの俺たちの関係に終止符を打つつもりだ__そんな彼女の意志を悟ったとき、渦巻いていた憤りや戸惑いは静かに霧散した。それと同時に理解もできた」
「何を⋯⋯?」
「真夜は、ひとりの人間としての俺を認め、受けとめてくれたのだと。その瞬間、俺の心に歓びが走った。絶え間ない歓喜が迸ったよ。この感動に比べれば、虚しい婚約を失うことなど些末に思えてしまった。だからだろうな。自然と婚約破棄の申し出に了承の返事をしていた」
語り明かす弘一の表情には、憂いやわだかまりは微塵もない。
その様子から、父が真夜への恋慕を完全に断ち切っていることが真由美にも窺えた。
そんな娘の思慮など気にも留めず、弘一は言葉を重ねる。
「そうして俺と真夜は婚約とは違う新たな関係を構築していくことを始めたのだが⋯⋯もはやこの時点で、彼女には〝破天荒〟の兆しが表れていた」
「破天荒の兆しって?」
呆れたような__楽しげなような複雑怪奇な表情の父を相手に、真由美は首を傾げた。
「言葉通りの意味だ。令嬢としての慎ましさはどこへ放り投げたか⋯⋯それ以降の真夜は気になること、面白いこと、興味が湧いたことには率先して関わりを持つようになった。それはもう凄まじいまでの行動力を伴っており、付き合わされた俺は激しく後悔したものだ⋯⋯」
「へぇ~。そうなの⋯⋯」
うんざりした顔を晒す弘一に、彼女は適当な相槌をもって返すのだが__次に放たれた一言でその余裕は綺麗に吹き飛んだ。
「ああ。さすがに我慢ができなくなり、口論の結果⋯⋯そのまま喧嘩に発展したこともある!ハハハハッ」
「へぇ~、喧嘩⋯⋯って、喧嘩っ!?それ、笑いごとじゃなくない?」
「そうか?友だからこそ、憤ったときは喧嘩をする⋯⋯当たり前のことだぞ。むしろ、喧嘩すらできない関係にこそ、疑問を差し挟むべきだ」
喧嘩という単語に慌てふためく真由美に、弘一は冷静に自論を述べる。そして彼は口元を綻ばせ、懐かしき日々に思いを馳せた。
「真夜との喧嘩は楽しかったぞ⋯⋯。まさか、誰かと喧嘩することが楽しいなどとは、当時の俺は思いもしなかった」
喧嘩という荒事を語るわりには、父の口調に不穏さはなく、自慢げに聞こえてくることが真由美には不思議でならなかった。
すると弘一は何を思ったのか、サングラスを外し、素顔を晒す。真夜の誘拐事件の際に負傷し、義眼となった右眼が露わになった。
父の突飛な行動を前に、真由美は思わず身体を強張らせる。弘一が素顔を晒すなど、記憶を掘り起こしても覚えがなかったからだ。
弘一はそんな娘の動揺を察しつつ、静かに語る。
「真由美⋯⋯。お前にも友と呼べる者たちは多数いるのだろうが、己の内に秘めた言葉で語り合った経験はあるか?」
問われた真由美の脳裏に、親しい友人たちの顔がよぎっては消えていく。悩みを相談したことはあるが、本心を明かしたことはない。ましてや喧嘩した記憶など、実の妹たちを含めてすら、彼女は思い出せなかった。
娘が何やら渋い顔をして口を閉ざしたことを、弘一は特に追及しない。そして、彼はただ可能性を示唆することにした。
「あまり思い悩むな。お前の人生の歩みはまだ長い。これから先、真の友と出会う機会はいくらでも⋯⋯いいや、今がまさに好機なのだ。この機会を活かしてみろ、真由美」
「どういう意味よ?」
真由美の問いに、弘一はタブレットへと視線を落とす。その意図を察した彼女は、自身も手元にあるそれへと目を向け、驚愕の表情を浮かべる。
「まさか⋯⋯この兄妹と、そういう関係を構築してみろって言いたいの?まっ、待ってよ。私⋯⋯今年で卒業なんだけどっ!」
弘一は不敵に笑う。
「そうだな。お前は今年で卒業する身ゆえ、僅か一年という短い期間だ。だが、充実した一年は無為に過ごした十年に勝るはずだ。真由美、この一年、お前の意思で実りあるものにしてみろ!何ならこの少年、司波達也と恋仲になることを目標にしてもいいのではないか?」
「はぁっ!?なっ、何言ってるのよ、急に⋯⋯っ!?」
父の口から飛び出た突拍子もない提案に、真由美は素っ頓狂な声を上げた。
しかし、弘一は意味深な笑みを浮かべて話し続ける。
「急にではない。先ほども言ったが、お前もいい年頃だ。そろそろ恋人の一人や二人、俺の前に連れてこい。この親不孝者め!」
「親不孝ですって⋯⋯。冗談も大概にして!さっきから顔が思いきりニヤけてるわよ!」
父の顔に笑みが浮かんでいることから、自分が揶揄われていると察した真由美は憤慨して勢いよくソファーから立ち上がった。
「話はだいたい解ったから。もう、終わりでいいでしょ⋯⋯。これで失礼します!」
立ち上がった勢いのまま、真由美は小さく一礼すると踵を返し、脱兎のごとき素早さで書斎を出ていく。
だが、その顔が若干赤く染まっていたことを、弘一は見逃さなかった。
「ふんっ、逃げたか⋯⋯。真由美のやつ、年頃のくせに随分と初心な反応をする。あれでは本当に恋人ができるのか、危ういところだな⋯⋯」
改めて腕組みをした弘一は、娘が置いていったタブレットへと視線を向ける。画面には達也の顔写真が表示されていた。
(あいつを揶揄うための提案だったが、改めて考えれば悪くはないか⋯⋯。家格も釣り合いが取れているしな。次の真夜との食事の折に、もののついでに打診してみるか)
達也の顔写真を眺めながら、彼はそう結論づける。
こうして本人たちの預かり知らぬところで、達也と真由美の婚約話は着々と進行の兆しを見せ始めたのだった。
◇
一方、書斎を飛び出た真由美は、ドスドスと音が響きそうなお嬢様らしくない足取りで自室へと戻ろうとしていた。
(何よ、何よ!心震える話をしてくれたから、少しは見直してもいいかなと思った瞬間に、私を揶揄って⋯⋯。結局はただの狸オヤジじゃない!あぁ、ホント頭にくる!!)
内心で激しく悪態をつきながら自室へと戻りついた彼女は、もはや何もする気が起きず、寝間着に着替えてベッドへと潜り込んだ。
しかし、どういうわけか脳裏に達也の顔がひらりひらりとよぎってしまい__。
(違うからっ!絶対にそんなんじゃないから!)
悶々とした夜を過ごす羽目になるのだった。
◇
2095年4月3日__。
見事な晴天の下、八王子にある国立魔法大学付属第一高校は、栄えある入学式の日を迎えた。
正門から続く並木道に植えられた桜はどれも満開の花を咲かせており、ひらひらと散りゆく花びらは穏やかな春風に吹かれ、軽やかに空を舞っていく。
まさに新たな門出を祝うに相応しい風景が広がるさなか__。
生徒会長である真由美は、実に憂鬱な表情を浮かべていた。彼女は現在、中庭の物陰に身を潜めている。
そこから自身の眼に宿る異能《マルチ・スコープ》を用いて、新入生たちの動向を観察していた。
だがその特異な視界が捉えたのは、煌びやかさに隠れ潜んだ魔法社会の歪な光景そのものであった。
桜並木の下を歩きながら、会場たる講堂を目指す新入生たち。しかし、その身に纏う雰囲気は二種に分類される。
〝一科生〟と呼ばれる新入生たちは堂々と胸を張り、これから訪れる輝かしい学校生活に胸を躍らせていた。だが、〝二科生〟の新入生たちは、まるで日陰の花のように自信なさげに顔を俯かせている。
優等生と劣等生__。明確に二分化された光景に、真由美は大きくため息を漏らす。
(まだ入学式前だっていうのに、こんなにも態度に差があるのね⋯⋯。これじゃあ、あの狸オヤジの論法が正鵠を射たも同然じゃない!)
認めたくはないが、父が示した通りの現実を突きつけられ、彼女は頭を抱えたくなった。それでなくとも、第一高校では一科生と二科生の間であからさまな差別意識が存在しているのだ。
真由美は生徒会長として、この問題の解決法を模索し続けているが、未だその糸口すら見つけられずにいる。
十師族〝次席〟たる七草の長女でありながら、この体たらくぶりに情けなさを覚えたことも一度や二度ではない。
事の重大さから一朝一夕で片付きはしない__。それを理解している彼女は、一旦思考を切り上げた。
そして本来の目的を果たすべく、物陰から顔を覗かせて、とある方向を確認する。
視線の先には、司波兄妹の姿があった。
再度身を隠し、どう話しかけようかと思索に耽る真由美。事情を聞かされているならいいが、何も知らないようなら余計な警戒心を与えてしまう可能性があった。
それを危惧した彼女は、いま一度そっと顔を覗かせて、兄妹の様子を確かめる。
すると、二人は何やら口論を始めていた。
真由美は一瞬、割って入るべきかと思案したが、二人についてデータ以上のことを知らない。よって彼女は不作法とは思いつつ、聞き耳を立てることにした。
◇
「やはり納得がいきません!なぜ、お兄様が〝二科生〟なのですか?⋯⋯おそらく、これは何者かの陰謀です。そうに違いありません!!」
「陰謀⋯⋯って、そんなわけがあるか。深雪、お前はミステリー小説の読み過ぎだ」
津那美への恋心ゆえか、ますます推理小説にドハマりしている妹を、達也は辟易とした表情で嗜めた。
しかし深雪の気勢がその程度で衰えるわけもなく、なお勢いを増して言い返してくる。
「無いなどと、なぜ言い切れるのですか?現にお兄様の筆記試験の成績はトップなのですよ?それだけの成績を示して、なぜ二科生へと振り分けされるのです」
「⋯⋯また蒸し返すのか?その件に関しては、母さんや叔母上も交えて、何度も話し合っただろう。深雪もそれで納得したんじゃなかったか?」
「 別に納得はしていません。ただ話が平行線になってしまったので、仕方なく引き下がっただけです」
兄の言い分に対し、深雪はぷいと可愛らしく顔を背けた。達也は妹の頑なな態度に、あからさまにため息を漏らす。
「自分で言うのも憚られるが、確かに俺の筆記試験の成績は上等の部類だと思う。だがそれに反して、実技の成績はお粗末だった。下から数えた方が早いくらいにな⋯⋯。これでは二科生に振り分けられても仕方ない。そう何度も説明したことを忘れたのか、深雪?」
「勿論、覚えております。ですが、その判定がやはりおかしいのです。確かにお兄様の実技評価は芳しくなかったかもしれません⋯⋯。しかしその分、筆記では群を抜いているのですから、その点を加味してもよいのではと私は思うのですが⋯⋯間違っていますか?」
深雪の問いかけに、達也は困惑の表情を浮かべる。
「いいや、お前は間違っていない。ただし、それは普通の学校の話だ。ここは魔法科高校、魔法師を育成する学び舎なんだ。筆記よりも実技に重点を置くのが当然だということを理解しろ、深雪」
「お兄様のお言葉に反するようで心苦しいのですが、その認識が間違っているのだと私は思います。ここは学び舎⋯⋯ならば、〝力〟を磨くだけでなく、〝知〟を修める場でもあるはずです。そもそも知識無くして、何の力が得られましょう?〝文武両道〟⋯⋯それが学び舎の正しい在り方ではありませんか?」
「それは⋯⋯」
「フフッ。ぐうの音も出ませんか、お兄様」
口を噤んだ兄に、深雪はおとがいに手を当て、可憐に微笑んだ。
達也は小さく息を吐くと、降参するように肩を竦める。
「降参だ⋯⋯。叔母上の影響か?相手を論破する癖がすっかり身についてしまったな、深雪」
「はい!それはもう、たっぷりと鍛えて頂きましたから」
「まったく⋯⋯同じ男性(ひと)を想う恋敵だろうに、気不味さはないのか?」
「そこは仲の良い叔母と姪ですし。何より津那美さまは、遥か至天の高みに立つ尊き方⋯⋯。まずはその横に堂々と立てるようにならねばなりません。私と叔母様の勝負はそうなってからが、スタート地点です!」
この三年で女性らしく膨らんだ胸の前で両手をポンッと打ち鳴らし、にこやかに笑う深雪を、達也は苦笑しながら見つめていた。
やがて達也は話の流れを戻すため、表情を改める。
「少し話が逸れたな⋯⋯。深雪、お前の言い分は正しいし、その思慮深さには感心を覚える。だが現状、俺が二科生だということは決して変えられない。どうか解ってくれ」
「いいえ、お兄様。一科生になるためのとっておきの手段がまだ残っております!ご安心ください」
「手段⋯⋯。何だ、それは?」
やたらにこやかに笑う深雪相手に、彼は激しい不安を覚えた。
「私たちが〝四葉〟であると明かすのです。そうすればお兄様の評価は180度一変し、一科生への転科は間違いなしです。良かったですね、お兄様っ!」
「⋯⋯いや⋯⋯全然よくないだろ。深雪、自分が何を口にしたか本当に解っているのか?」
自身満々に胸を張る妹に、達也は何とも言えずただ呆れ顔を晒す。そんな兄を見て、深雪は首を傾げて不思議がった。
「何かおかしな点がありましたか?万事解決の最高の手段と自負していますが⋯⋯」
「万事解決⋯⋯?どこがだ。むしろ、そんな真似をすれば状況がより一層悪化するぞ。__いいか、深雪?俺たちは、四葉の名を隠して入学しているんだ。なのに、自らそれを明かしては本末転倒だ。違うか?」
「ですが、それではお兄様が二科生のままです。それに、叔母様もおっしゃっていたではありませんか。『バレてしまったときは仕方ない。素直に認めなさい』と⋯⋯」
「待て⋯、待て⋯⋯。深雪、叔母上の言葉を曲解するな。いやそれとも、判っていて言っているのか?とにかくだ、叔母上の言葉を履き違えるな!」
開いた口がふさがらないとは、まさにこの事__。
深雪のあまりに常識破りな提案に、達也はもはや唖然となる。そして、何としてもその暴挙を撤回させるべく、彼は全力で明晰な頭脳を巡らせた。
「いいか、深雪。確かに叔母上は、『バレたときは仕方ない』とおっしゃった。だがそれは、決して〝自ら素性を晒していい〟という意味ではない。叔母上の言葉を都合よく曲解するんじゃない!」
「ですが、このままではお兄様は二科生で⋯⋯っ」
「それにだ。俺は別段二科生であることに不満はない。むしろ、このままである方が俺にとっては都合がいいんだ」
あくまで食い下がろうとする深雪に対し、達也は強固に現状維持を言い放つ。
深雪は不満げに顔を曇らせ、問いかけた。
「二科生であることに、なんの都合が働くのです?」
「相手の油断と慢心を誘える⋯⋯。何より、俺の〝力〟は隠匿しておかねばならないものだ。二科生が強大な力を秘めているなど、余程のことがない限り誰も想像しないだろう」
自身の事情を述べる兄を見て、深雪も多少平静さを取り戻す。だがそれを聞いた途端、彼女は不敵に微笑んだ。
「まぁ、お兄様ったら。強者が弱者のふりをするなんて⋯⋯なかなか悪辣なことを考えるのですね。恐れ入りました」
「俺は別に強者ではない⋯⋯。まともに魔法も使えない劣等生だ」
深雪の皮肉に、達也は努めて冷静に言葉を返す。
「⋯⋯判りました。お兄様がそうおっしゃるのでしたら、深雪はもう何も言いません。ご自由になさってください」
兄の意志が変えられないと悟った深雪は、おとなしくそれを尊重することにした。達也もようやく安堵の息を吐く。しかし彼女はそんな兄に向けて、ひとつだけ釘を刺した。
「ですが、お兄様。ひとつだけ言っておきます。二科生だからと、授業で手を抜くような真似は許しませんからね。何事も常に全力で挑むことを約束してください。よろしいですね?」
「ああ、判っている。約束するよ、深雪。__っと、そろそろ時間じゃないか?講堂に向かったほうがいい」
小さく笑みを浮かべて答えた達也は、時間を確認して講堂へ向かうよう深雪を促す。
「もう、そんな時間ですか。では、私は一足先に講堂へ向かいます。お兄様も遅れないようにしてください。__それから今日は入学式だけで、このあと時間が空きますから、津那美さまの捜索に向かおうと考えています。よろしいですか、お兄様?」
「ああ、分かった。あの人を見つけるために、今日も手を尽くそう。さぁ、遅れないように、もう行きなさい」
「ではお先に失礼します、お兄様」
優雅に一礼した深雪は踵を返し、ひとり講堂へと駆けていく。そんな妹の背中を、達也は優しげな眼差しで見送るのだった。
◇
深雪の姿が見えなくなった途端、達也は目元を鋭く細め、物陰へと向けた。
「いい加減に出てきたらどうですか?盗み聞きするのも疲れたでしょう」
すると声に誘われたように、罰が悪そうな顔色の真由美がすっと姿を現す。そして彼女は苦笑いを浮かべながら、ゆっくりとした歩みで達也の傍へと近寄った。
歩を進めるさなか、彼女は思い悩む。__お嬢様らしく振る舞うべきか。__それとも素の自分を見せるのか。迷いつつ、目の前の少年に視線を向けた。
彼は変わらず鋭い目つきで、こちらを見据えている。だがその冷徹な瞳の奥に、深い知性の煌めきが見えた瞬間、真由美は自然と素の口調で言葉を紡いでいた。
「アハハッ、やっぱり気付かれてたわけね。途中から、そうじゃないかな〜とは思ってたんだけど⋯⋯。えっと、ごめんね。聞き耳を立ててたのは、わざとじゃないのよ。声を掛けるタイミングをすっかり逃しちゃって⋯⋯」
四葉と知るゆえの緊張か。それとも盗み聞きをした罪悪感からか。言い訳を述べる真由美の口はやたらと滑らかに動いた。
そんな彼女を、達也は無言のまま静かに観察する。
彼が何も喋らない状況に、真由美はますます焦りを募らせた。
「えっと⋯⋯そうだ。自己紹介⋯⋯自己紹介しないとね。私は⋯⋯っ」
彼女が名乗りを上げようとした瞬間、達也の目元がふっと緩む。そうして彼は、ようやく口を開いた。
「詳細は叔母からすでに聞き及んでいます。これから一年、よろしくお願いします、七草真由美⋯⋯先輩」
達也は事情が通じていることを明かし、真由美へ一礼する。その際、敬称をどうすべきか迷うも、最も無難なものを選択した。
四葉と七草__、両家の間で無事に話が通されていると判り、真由美はほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、私のこと知ってたのね。だったら、早く言ってよ。ずっと黙ってるから、すごくドキドキしちゃった。__コホン、それじゃあ改めて。私も父から一通りは聞いてる。司波達也くん、一年限りだけどよろしくね。あっ、達也くんって呼んでいいかな?私のことも真由美でいいから」
「どうぞ、気軽に呼んでください。こちらも遠慮なく真由美先輩と呼ばせていただきます」
「うん!よろしく、達也くん。__それにしても、過激⋯⋯、いや、苛烈な妹さんね」
深雪が立ち去った方向を見て、真由美は愛想笑いを浮かべて呟く。それを耳にした達也は、盛大なため息をつき、顔を顰めた。
「普段は清純かつおしとやかなんですが⋯⋯自身が納得いかないことに直面すると、途端に変貌します。お恥ずかしい限りです⋯⋯」
「あっ、責めてるわけじゃないのよ。誤解しないで⋯⋯。それと、その堅苦しい口調はやめましょう。フ先輩、後輩の関係だけど、もっと気楽でいいから。あまり肩肘張られちゃうと、私も受け答えに困っちゃうしね⋯⋯」
「努力します」
あくまで堅い言葉遣いになってしまう達也に、真由美は愉快そうに笑う。
「フフッ、その成果は一年以内にお願いするね、達也くん!あと、さっき妹さんが言ってた〝四葉と明かす件〟は、マジでやめてちょうだい。学校中が大騒ぎになるもの」
「はい、承知してます。妹にはしかと言い聞かせますので、ご安心を」
「うん、これは本気でお願いしとく。えっと、他には⋯⋯そうだ、連絡先を交換しておこうか。何かあったときは連絡が取れるように」
「分かりました」
当初の緊張はどうしたのか、終始にこやかな笑みを湛えてグイグイと迫る真由美に対し、達也は若干気圧されつつ手間を掛けぬよう軽妙に立ち回った。
「よしっ!連絡先も交換したし、とりあえずはこれくらいかな。達也くんは何か確認しておきたいことある?」
「いえ、特にありません」
「ホントに〜?遠慮してない?困ったことがあったら、ちゃんとお姉さんに相談してね」
「お姉さんですか⋯⋯?」
彼女の発言に、達也は微妙なしかめ面を浮かべる。それを見届けた真由美は、あざとい笑みを浮かべて詰め寄った。
「あら、私は君より年上なわけだし、お姉さんになるのだけど」
「確かにそうですが⋯⋯。しかし、お姉さんと呼称するには、些か身長が足りないのでは⋯⋯」
その物言いは、真由美にとっての最大の禁句であった。
「あー、あー、人が気にしてることをサラッと告げた。確かに身長は少し足りないかもだけど、出るとこはちゃんと発育してますっ!」
そう言って彼女は、身長の割にふくよかな胸を意地らしくアピールする。だが、さすがに男子の前という羞恥心が湧いたか、即座に両手で胸元を覆い隠す。
「って、何言わせるの!もう、達也くんのエッチ⋯⋯」
「ご自分の意思でされたことの責任を、俺に転嫁するのはやめてください。理不尽過ぎます⋯⋯」
「あのね、こういう場面ではすべて男の子の責任になるの!黙って責めを浴びなさい!」
「本当に理不尽ですね⋯⋯。もう好きにしてください」
もはや言い返す気力すらなく、達也はおとなしく非難を受け入れるのだった。
真由美の会話の勢いに呑まれ、気疲れを覚える達也。情動の大半を喪失している彼にとって、真由美のような感情豊かな女性との接触は苦手の部類にあった。ある意味では妹の深雪もそうなのだが、〝家族愛〟が唯一絶対の彼にとってそれは苦にならない。
一方、真由美は司波達也という少年に好印象を抱いていた。四葉という名に最初は警戒していたものの、決して傲慢に振る舞うことなく、むしろどこか影を秘めた印象を受ける。感情表現に少し難があるようだが、揶揄ってみると若干困惑した表情を晒す。それがまた、彼女の目にはなんとも可愛らしく映るのだった。
眼前に立つ達也を見つめながら、真由美は思考を巡らせる。
(司波達也くん⋯⋯。どうやら、いい子みたいね。根は真面目なようだし、これなら妹さん共々仲良くなれそう。これからの一年、とても楽しみだわ)
そんな彼女の脳裏に、父が告げた『恋仲を目指せ』という言葉が唐突によぎった。
(いやいや、さすがにそれは⋯⋯。まだ出会ったばかりだし⋯⋯。そういうのは、もっと仲良くなってからじゃないと⋯⋯っ)
このとき、真由美は数日前との思考の差異に気づいていなかった。父と話した際は全力で否定していたものの、いま現在は達也が恋人になることを容認する思考へと変化している。その心の機微に、彼女自身はまだ気付けないでいるのだった。
そうして真由美は頬を微かに染めながら、お花畑な思考を追い払うように頭を振る。
突然の彼女の奇行に、達也は目を見張るも、下手に追及しないほうが賢明だと判断し、無言を貫くことにした。
しばし、二人の間で静寂が横たわる。やがて、真由美が改めて声を掛けようとした__その矢先。
遠方から、間延びした女子の呼び声が響く。
「会長〜っ。どこですか〜?もうすぐ入学式、始まっちゃいますよ〜」
「あの声は、あーちゃんね。どうやらお話はここまで、私も講堂に向かわないと⋯⋯。生徒会長が欠席なんて、洒落にもならないから」
「⋯⋯そうですね。ぜひ、そうしてください。深雪も先に行って待機しているはずですし、あまり待たせるのも酷というものです」
ようやく真由美の冷やかしから解放されることに、達也は内心安堵するが、それを決して表に出さぬよう努める。だが真由美は勘は鋭かった。
「達也くん⋯⋯何か安心してる?」
「何のことでしょう?」
「⋯⋯まあ、いいわ。それじゃあ、私は行くけど⋯⋯達也くんも入学式、遅れないようにね」
「はい。先輩が行ったあと、すぐに向かいます」
「よろしい。じゃあまたね、達也くん」
小さく手を振りながら、真由美は声のした方へと駆けていく。達也はそんな彼女の背を、一礼して見送るのだった。
真由美の姿が見えなくなってから、彼は疲れ果てたように大きく息を吐き出す。束の間、その場で立ち尽くす達也だったが__やがて、入学式が行われる講堂へ向けて静かに歩み始めるのだった。
◇
講堂前へと辿り着いた達也は一旦足を止め、制服の乱れを正す。そうして改めて講堂内へと足を踏み入れるのだが__目にした光景に、彼は思わず呆れてしまう。
とくに座席が指定されているわけでもないのに、前列は一科生、後列は二科生という形で見事なまでに住み分けされていた。
(おそらく強制ではなく、自主的にこうなった可能性が高いな。まったく⋯⋯どこまでもいっても二科生は日陰の存在か)
無用な問題を起こす気のない達也は、おとなしく後列側へと歩を進める。そして、空席を見つけた彼は、静かに腰を下ろした。
その際、偶然にも隣の席になった二科生の女子生徒・柴田美月、千葉エリカと接する機会を得る。
二人と世間話を交わしながら開始の時を待つ達也。
やがてざわめく新入生たちの声が静まり、入学式が幕を開けた。
校長の挨拶に続き、登壇したのは生徒会長である真由美。凛とした令嬢の佇まいで祝辞を読み終えた彼女は、後部席に座る達也の姿に気がつき、ニコリと微笑む。
無論、達也は意図を察したが、騒ぎを起こしたくないため全力でスルーを決め込んだ。
しかし、エリカが持ち前の鋭い観察眼で「ねえ、いまこっちに笑いかけなかった?」と首を傾げる。それに対し達也は「気のせいだろう」と極力自然に振る舞った。
そうしたなか、いよいよ新入生総代である深雪の挨拶の番が訪れる。
壇上に現れた彼女の絶世とも呼べる美貌に、講堂内が不意にどよめく。だがそれも、深雪が透き通るような可憐な声音で挨拶文を紡ぎ始めた瞬間、すっと一斉に静まり返ってしまう。
妹の声が涼やかに響き渡るさなか、達也は人知れず薄く冷や汗を流していた。それは深雪の読みあげる挨拶文が、新入生歓迎のものとしてはあまりに過激な内容だったからだ。
彼女が説いたのは魔法師としての優劣や成長ではなく、魔法という力に固執せず、人としての品位や人格をこそ磨き上げるべきという手厳しい戒めの言葉であった。
(深雪⋯⋯。お前の気持ちは理解できるが、さすがにそれは拙いぞ)
達也は焦りを覚え、素早く周囲に目を走らせる。
しかし、新入生たちは深雪の圧倒的な美貌にすっかり魅了されており、彼女の放つ言葉の意味などまるで意に介さない様子だった。
これには達也も胸を撫で下ろす__どころか、むしろより一層強い焦りを覚える。なぜなら、兄として彼だけは妹の根底の変化に気づいてしまったからだ。
壇上の深雪は終始綺麗な笑みを浮かべているが、その胸の内にはふつふつとした怒りが湧き始めていた。
表層的な美しさに惑わされ、語られる言葉の真意を何ひとつ汲み取ろうとしない愚者たちを、彼女は心底嫌悪する。
いまや深雪の脳内では、眼前に座る新入生たちへの評価が奈落に落ちる勢いで下方修正されていた。
この場でただひとり、そんな妹の苛烈さを知る達也は、静かにため息を漏らす。
(別に彼らに温情を掛ける義務も義理もないが⋯⋯)
別段、無関係の他人がどうなろうと彼は一向に気にしない。それでも、平穏な学生生活を過ごしたいというのが、達也と深雪の共通の願いだ。
ゆえに達也はせめてもの情けとして、一科生に妹の激怒が振り注ぐことがないよう、心の片隅で祈ることにしたのだった。
◇
そして、入学式はつつがなく終わりの時を迎える。
だが生徒及び教職員全員__但し、ある一人を除き__も含めて、誰も知らない事実がひとつあった。
本来、第一高校における新入生の定員数はきっちり200名と定められている。
しかし今年に限り、〝201人目〟となる特待生が存在していたのだ。
その名は、『紫擾津那美(しじょうつなみ)』。
尤も、彼の入学を現時点で把握しているのは、第一高校校長にして古き知人でもある百山東。
そして、日本を影から支配する機関・元老院に名を連ねる者にして、友人でもある東道青波のふたりのみである。
しかし、それ以上に謎がある。紫擾津那美が第一高校に入学したのは確かなこと。だが彼は式に参加することなく、ましてやこの日、第一高校に姿を見せることすらなかった。
紫擾津那美は一体どこで何をしているのか__。
その答えを知るのは、ただ本人のみ。
今回、色々と四葉の新たな異名やら津那美の友人の名やらと開放しました。ただ津那美の友人の名は、読んでて気づいた方多かったのではないでしょうか。
さて四葉の異名についてですが、なぜその名がついたかは、幕間という本編を補完する形で書き綴っていこうと思います。その辺りも楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。
では、次の投稿をお待ちください。