本当は、一話でまとめたかったです。
第二話 運命が変わるとき
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薄暗い室内に、硬質な金属の擦過音が断続的に響きわたる。音の発生源は、一人の少女。
心地良さなど皆無の、金属剥き出しの寝台。簡易な手術着一枚で寝かされた四葉真夜は、四肢の拘束を外そうと無駄な抵抗を続けていた。
特に両足の拘束は、忍耐の限界を超えるほど苛烈なものだった。左右に大きく開かれた状態では、秘部を隠すことすらできない。しかも、室内に居るのは真夜一人だけではなかった。道士服を纏った男たちが、下卑た欲を孕んだ目で、真夜の秘部を無遠慮に凝視している。
「あっ、貴方たち!身動きのできない女性を辱めて、愉悦に浸るなんて⋯⋯。犬畜生にも劣る行為だわ。恥を知りなさい!」
真夜は、視線を浴びる羞恥に耐えながら精一杯の虚勢を張り、言い放つ。
だが、その罵りはかえって男たちの興奮を煽る結果となった。獣欲を刺激された彼らは息を荒げ、中には明らかに股間を大きく膨らませている者までいる。
それを見た真夜は、自分がこれからどんな目に遭うかを想像してしまい、背筋が凍る。たまらず視界を遮るように、きつく目を閉じた。
(嫌!私、穢される。この男たちの手で無理矢理⋯⋯。そんなの絶対、嫌!!⋯⋯お願い。誰か、救けて。お父様。姉さん。弘一さん。誰か、お願い。⋯⋯神様)
真夜は、必死に祈る。だが、そう都合よく救いの手が差し伸べられるわけがない。真夜の祈りに応える神はおらず、その純潔が奪われるときは刻一刻と迫っていた。
◇
夜闇が深まり、外を歩く人影もすっかり途絶えていた。業務の終え時だなと判断した津那美は、《桃源探偵事務所》と記されたドアノブに〔CLOSE〕の札を掛ける。
(本日の依頼もゼロ、か。ここ数日は閑古鳥だな。まあ、構わんさ)
内心でそんなぼやきを漏らしつつも、彼の表情に焦りはない。そもそも、津那美が探偵業を営んでいるのは、本職である[鬼狩り]を世間から隠すためのカモフラージュだ。金銭を稼ぐ手段は別に確保してある以上、探偵業で儲からずとも一向に構わなかった。
それでも、万が一依頼が舞い込んだときの為に情報収集は欠かさない。PCを起動させ、ニュース欄の事件記事をいくつか読み漁っていく。
__そのうち、ふと目を引く記事が飛び込んできた。世間の関心も高いらしく、更新頻度が凄まじい。興味を唆られた津那美は、内容を細かく精査し始めた。
(魔法師のイベント会場を武装集団が襲撃。死傷者多数。参加者の少女が一人、拉致された模様。相手からの犯行声明は無し。だが、集団の身元は特定済み。その正体は⋯⋯大漢の特殊部隊、か。)
事件の概要を把握した津那美は、拉致された少女の情報がないかとPCのキーボードを叩く。
(これだ。少女の名は四葉真夜。歳は12か。⋯⋯ほう、彼女の父親が自前で用意した救出部隊が、すでに日本を飛び立っているな。国の判断を待たずに動くとは、恐れ入る。最悪、国際問題に発展しかねんが⋯⋯まあ、先に手出しをしたのは大漢側だ。問題化したところで、その事実があれば日本優位で決着、だな。現状、一番の問題は、救出が間に合うか否か⋯⋯。__!?違う。そうではない。私としたことが、なんという初歩的なミスを⋯⋯!)
津那美は、表面的な情報だけに囚われていた己の不明を恥じた。口元に手を当て、犯した思考のミスを取り戻すべく柔軟な推察へと舵を切る。
(そもそも、四葉真夜が今この瞬間も無事であるという証拠が、どこにある?大漢は、この件に対して犯行声明を出していない。それは即ち、彼女の身の安全など一瞬たりとも保証していないということだ。まさに今、凄惨な拷問を受けているかもしれない。⋯⋯あるいは下衆な男どもの慰み者になっている可能性すらある。画像データを見るかぎり、容姿の優れた可愛らしい子だ。平然と人を殺し、子どもを攫う奴らだ。未成熟を理由に躊躇うことなどあるまい)
津那美は、天井を仰ぎ見て、何を為すべきかの問答を始める。
(さあ、どうするのだ?桃源津那美。四葉真夜の安全が保証できなくなった今、救出部隊に委ねるのは論外。彼女を確実に救いたいのであれば、私が出向くほかない。【空間転移】を使用すれば、即座に彼女の元へ跳べる。⋯⋯だが、それは世界に致命的な混乱を呼び込む引き金ともなろう。【空間転移】は魔法が技術体系として定着した現代ですら、未だ実現不可能な神域の技だ。それを平然と扱う者の存在を世界は許容しないし、できないだろうな。最悪、私の身柄要求を盾に列強国が日本へ戦端を開くかもしれん。そこまでして救う価値が、四葉真夜という少女に有るか?)
自問しながら、彼は功利主義的思想に嵌っている己に激しい嫌悪感を抱く。
(ああ、反吐が出る。私は今、力の秘匿と引き換えに、一人の少女の命を天秤に掛けている。1000年前は、人間の身勝手さや醜悪さをあれほど毛嫌いしたというのに、今では私自身がその欺瞞に毒されてしまった。永く生き、人を超越したと思ったが、まだ私は人だったか。__ならば思い出せ!授かりし天命を。二人の母が、私に何を願ったかを!!)
津那美はそっと目を閉じ、一度深く呼吸をする。そして、脳裏に刻まれた二人の母の言葉を思い出す。
『私のかわいい坊や。その力、どうか正しいことに使ってちょうだい』
『津那美。わたしの好きな言葉を教えておくわ。【義を見てせざるは勇なきなり】よ。勇気の意味、履き違えないようにしなさい』
「承知した。我が愛しき母よ」
彼女たちが遺した慈愛と気高さが込められた言葉を噛み締め、フッと口元を綻ばせた津那美は静かにその目を開く。気割れしたその双眸には、もはや一片の迷いも無かった。
津那美は席を立つと、パイプラックに掛けられた漆黒のコートに袖を通す。そして、虚空に向けて手を伸ばした。その手から淡い燐光が漏れ出し、彼は『世界』という概念から必要な情報を手繰り寄せ、四葉真夜の現在地を割り出すべく意識を研ぎ澄ます。__だが、その行為を嘲笑うかのように、事態は急変する。
体内に宿している【鬼切丸】が鬼の到来を感知し、激しい警告を発してきたのだ。
まるで出鼻を挫くかのような、絶妙なタイミングでの鬼の出現に、津那美は思わず舌打ちをしてしまう。
「よりによって、このタイミングで『鬼』のお出ましか。今日の私は、ツキに見放されたようだな。⋯⋯が、それがどうした。四葉真夜を救うと決めた意志は、この程度で揺らぎはせん。先ずは現れた鬼を討つ。その後、直ぐさま彼女の元へ跳ぶ。ただ、それだけの事だ」
真夜の位置と鬼の気配。その両方を同時に探知していく津那美。すると、あろうことか、探し求める二つの存在が完全に同じ座標で重なっている事に気がつく。
「⋯⋯これは、彼女のすぐ傍に鬼が現れた、という事か。ハハハハッ、これは何ともひどい運気の巡り合わせだ。拉致されるという不運に見舞われながら、その先で人の天敵たる鬼に遭遇するなど⋯⋯。運が良いのか悪いのか、とびきりの皮肉が効いているな。だが、お陰で私が悩む必要はなくなった」
二つの目的が一つに重なり、選択の余地が消えたことで、津那美の動きは一気に加速する。
その唇から、永き時を共にしてきた相棒の名が紡がれる。
「来い!【鬼切丸】」
主の声に応えるように、神々しい光が収束し、鞘に納まった一振りの神器名剣が現出する。
津那美は、黒塗りの鞘を掴むと即座に【空間転移】を発動した。彼の輪郭が、大気に透けるように薄まっていく。次の瞬間には影も形も無く、静まりかえった事務所から彼の存在は完全に消失していた。
◇
__津那美が転移する数分前__
もはや我慢ができないのか。男の一人が進み出て、拘束された真夜へと襲いかかった。彼女の幼くも張りのある太ももに唾液にまみれた舌を這わせていく。ナメクジが這うような悍ましい感触に、真夜は絶叫を上げた。
「いやぁぁぁぁぁぁ!気色悪い。やっ、やめて、やめなさい⋯⋯!。__くっ、外れない。この下衆ども、いっそ人思いに殺しなさい!」
蹂躙される恐怖に曝され、真夜は拘束を外そうと必死にもがき、その目尻からは大粒の涙が溢れ落ちる。
だが、その涙と屈辱に染まる顔が、男の歪んだ欲情を煽ったのだろう。下卑た笑みを浮かべ、真夜の裸体を暴こうと、着せられていた薄手の手術着に容赦無く手をかけた。
「鬼!悪魔!アンタたちは、人間じゃ無いわ。⋯⋯死ね。死んでしまえ!ひとり残らず、地獄の業火に焼かれて灰になれ!!」
良家の子女として、慎み深く生きてきた真夜だったが、今や恥も外聞もかなぐり捨て、口汚く相手へ呪詛を吐く。
彼女の紅い瞳には、怯えの奥底に激しい殺意が垣間見え、男を鋭く睨みつける。
__その時だった。
メキメキッ、と骨が軋むような不快な異音が室内に響く。真夜の視線は、その音の発生源に釘付けになった。
凌辱しようと身を乗り出していた男の額から皮膚を突き破り、あり得ないものがせり出してくる。薄暗い照明の中、ヌラヌラと体液に濡れて光るソレは、禍々しい『角』だ。
角が生えた男は頭を抱え、呻きを漏らし、瞳が裏返る。生えた角を起点に、顔の皮膚に無数の亀裂が走り、ペリペリと音を立てて剥がれ落ちていく。その剥落した皮膚の下から現れたのは、醜悪な人ならざる異形の鬼面だった。
異変は顔だけに留まらない。筋肉が不自然に膨張し、骨格が組み替わる不快な音が鳴り響いて、体格が一回り、二回り大きくなっていく。身に纏っていた道士服は、肉体の急速な肥大化に耐えきれず引き裂かれ、無残なボロ切れと化す。肌の色が不気味な濃緑へと染まり、完全な異形へと姿を変える。
鬼へと変貌したソレは、生誕を謳うかのように、耳まで裂けたその口から凶暴な咆哮を上げた。
「グオォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
地を揺るがすような凄まじい咆哮に、室内の空気が震える。その激しい音圧は真夜と残された男たちの全身を容赦なく打ち据えた。
その瞬間、肉体は恐怖で完全に凍りつき、指一本すら動かせなくなる。ガクガクと無様に震えだした体は、『全力で逃げろ』と生存本能の警鐘をけたたましく鳴らす。
裏返っていた目が、濁った獣の眼となってギョロリと正面に据わる。その凶刃じみた眼光が、拘束されている真夜を捉えた。鬼と視線が交錯した瞬間、彼女は否応なしに悟らされる。生物としての圧倒的な格の違いを。このおぞましき存在を前にした時、矮小な人間にできることなど何一つとして無いのだという絶望を。
もはや救われる道など残されていない、絶対的死の恐怖。真夜は、怖れるあまり自身の股間を温かい液体が濡らし、伝い落ちていく感覚にも気づけない。ただガタガタと震え、上位者たる怪物の沙汰を待つことしかできなかった。
鬼は、スンスンと鼻を鳴らし、真夜の匂いを嗅ぐ。その極上の獲物が放つ香りに、耳まで裂けた口元から大量の涎が溢れ落ちる。眼前にある瑞々しい餌を貪り喰らうべく、大口を開ける鬼。
粘つく唾液の糸を引き、ぬらついた鋭い牙を見た真夜は、迫りくる死という現実に耐えきれず、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「救けて!!かみさまぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「残念だが、神は何者も救いはしない。ただ界から見ているだけだ。⋯⋯だからこそ、私が、⋯⋯『守護者』がいるのだ」
狂乱と絶望に染まっていた室内に、驚くほど静謐で、玲瓏な声が響き渡る。
「⋯⋯えっ!?」
突如として鼓膜を震わせた理知的な響きに、真夜は涙に濡れた目を見開いた。
そして、文字通りの『奇跡』を目の当たりにする。
虚空から忽然と姿を現した漆黒のコートを纏った青年。
彼はその手に持つ刀を抜刀すること無く、硬質な柄頭を、大口を開けていた鬼の眉間へと苛烈に叩き込んだ。
ゴギャッ!!と肉厚な怪物の頭蓋が軋む凄まじい衝撃音が炸裂する。鬼は悲鳴を上げ、打たれた箇所を両手で押さえながら、たたらを踏み後ずさった。
◇
唐突に現れた青年の存在が、鬼の恐怖に呑まれていた男たちの意識を現実に引き戻す。弾かれたように兵士としての本分を思い出した彼らは、懐からCADを引き抜き、指を走らせる。
それは弛まぬ訓練を重ねた最良の動作だったが、1000を超える年月を闘争に費やしてきた津那美の目には、酷く緩慢な身振りとしか映らなかった。
津那美は、鬼切丸を携えた手とは逆の手。その指先を素早く打ち鳴らす。
__パチン__
乾いたフィンガースナップの音が室内に響いた瞬間、男たちの体が一斉に炎上。泣き叫ぶ暇すら与えず、真夜が吐き捨てた呪詛をなぞるかのように、彼らは紅蓮の業火に包まれ、一瞬で灰となり焼滅した。
奇妙なことに、その紅い焔からは熱を全く感じなかった。室温が上昇する気配もなく、天井や床には焦げ跡一つ残っていない。
そして、標的の焼却を終えた焔は、狐火のように儚く掻き消えた。
真夜は、目の前で起きたあまりに理不尽かつ幻想的な光景に完全に圧倒され、ただ驚愕の表情を浮かべることしかできなかった。
◇
焼却した男たちのことなど一顧だにせず、津那美は静かに鬼と対峙する。自らを打った男の冷徹な眼差しを受け、鬼は両手を顔から離した。その面は流血で染まり、憤怒に狂う獣の眼が対峙する男を明確な敵と認識する。
鬼は低い唸り声を上げると深く膝を折り、限界まで前傾の姿勢を取った。それは、獰猛な獣が獲物を威嚇し、飛びかかろうとする予備動作そのものだった。
対する津那美は、何一つ慌てる事なく、鬼切丸の柄にそっと右手を添える。
両者の間に、緊張の糸がピンと張り詰めた気配が漂う。それを黙って見つめる事しかできない真夜は、無意識のうちに乾いた喉を鳴らした。
__ゴクリ__
その微かな音が合図となったかのように、鬼は凄まじい脚力で床を粉砕し、牙を剥いて津那美へと襲いかかる。
津那美も鬼切丸の柄を握り、迎え撃つように一歩を踏みだした。
そして、津那美の紅い双眸が鬼の首筋を捉える。
その刹那。
キンッ、という澄んだ金属音が鳴った。
虚空を走る一筋の銀閃。
真夜の視界には、銀色の光が瞬いたようにしか見えなかった。並外れた魔法の才はあっても武術の経験は無い彼女の動体視力では、津那美の神速の抜刀術を捉えるなど、到底不可能だった。
勝負は、一瞬で決した。
気がつけば、鬼の首がクルクルと宙を舞い、頭部を失った肉体は慣性のまま一歩二歩と歩みを進めた後、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
少し遅れて、宙を飛んでいた生首が床に落ち転がった。鬼の骸から白煙が上がり、塵と化していく。
真夜は、消えゆく鬼の骸には一瞥もくれず、ただ津那美の背中を見つめていた。鮮やかな斬線を残した姿勢のまま静止していた津那美は構えを解き、滑らかな動作で鬼切丸を鞘へと納めた。
その一挙手一投足に、真夜は心奪われたように魅入る。彼の動作には何一つ無駄がなく、残酷なまでに完成され、それでいて美しい。極めるとはこういう事なのだと、真夜は本能で悟る。この時目にした『美』の経験が、後の真夜の人生と価値観に大きな影響をもたらすのだが__この時の彼女には知る由もない事であった。
津那美は鬼切丸の顕在化を解き、光の粒子へ還して体内に再び宿した。
小さく一つ吐息を漏らし、彼は未だ拘束されている真夜へと振り返った。
後編は近日中に、必ず掲載します。
真夜の変革と新たな未来、お待ちください。