魔法科高校の鬼狩り守護者   作:守護者の夜明け

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真夜編、最終話書き上がりましたので投稿いたします。長文です。1万文字超えましたが、このまま行かせてもらいます。腰を据えて、じっくり読んでいただければ幸いです。


プロローグ 真夜変革編 4

  第五話  私の『神さま』 私の『ユメ』

 

           ◇

 

 突如として全身を激しく打ち据えた冷たい強風に、真夜はその美しい黒髪を大きく煽られた。そして、乱れる髪の合間から覗く現実離れした光景に、その紅い眼を大きく見開く。

 

 天上の闇に輝くは、数多の星々と美しき三日月。

 

 眼下に広がるは、深淵の闇を連想させる昏い大地。

 

 津那美と真夜。二人が転移した先は、地上の喧騒など遠く及ばない、高度千メートルに達する大漢の夜空であった。

 

 「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 先ほどまで完全な密室にいたはずの身が、一瞬にして遮るもののない大空へと放り出されたのだ。真夜の口から、驚天動地の絶叫がこぼれ出す。

 重力に従って遥か真下の暗黒に堕ちていく幻覚に襲われ、彼女は津那美のコートを掴む両手にさらなる力を込め、必死にその身体へと縋り付いた。

 

 「⋯⋯大丈夫だ。私がしっかりと君を抱えている。地に墜ちることなど無いから、安心してくれ」

 

 津那美の落ちついた声とともに、真夜の細い腰に回された右手に、グッと確かな力が込められた。驚くべきことに、吹き荒れる猛風に曝されながら、二人の身体は微塵も流されることなく、その場で滞空し続けている。

 

 真夜は、高所の恐怖と激しい風圧に涙を滲ませながら、その紅い眼を恐る恐る上に向け、津那美の顔を見つめた。

 激しい風に白髪をなびかせながら、人を魅了する、穏やかで優しい微笑みを浮かべていた。

 

 その神聖な佇まいに魅せられた真夜は、誘われるように彼の胸元に思いきり顔をうずめた。

 

 先ほども感じた、津那美の身体から香る甘い白檀の芳香。それは、恐怖にざわめき立つ真夜の心に平静を取り戻させていく。彼女は、はしたないと思いながらも、顔をうずめたまま深呼吸をし、その白檀の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 

 しばらくして冷静さを取り戻した真夜は、改めて自身の置かれている状況を俯瞰して、その内面に激震が走った。

 

 (っ!?嘘でしょ!?こっ、これ、完全に空を飛んでるわよね?飛行術式?⋯⋯そっ、それに先ほどの移動は、まっ、まさか!?__瞬間移動?⋯⋯そんな馬鹿なことって。だって、どちらも現在の魔法技術では、到底実現不可能といわれている未知のものよ。それをこうも容易く⋯⋯)

 

 真夜は、その不可能をいとも簡単に覆したであろう存在を、その瞳に映すべく、周囲を眺めていた視線を津那美の顔へと戻すのだが__。

 

 そこで彼女は言葉を失い、大きく息を呑むことになる。

 

 津那美は、遠くにある何かを冷然と眺めているように見えた。先ほどまで、真夜に見せていた微笑みは消え失せ、彼の紅い瞳は魂まで凍てつかせるような冷徹さを帯びている。その表情はまるで精巧な能面のようで微塵の感情も窺えなかった。

 

 真夜は本能的な恐怖で背筋が凍る感覚を覚えながら、彼が見ているものを共有しようと、自身も同じ方向へと視線を巡らせた。

 

 二人の視線の先、遥か眼下には、巨石の塔を中心にして、無機質な建造物が所狭しと建ち並んでいた。昏い大地の中にあっても、広大な面積を占める建造物群は人工の毒々しい照明で照らされて、その異様さが際立っている。

 

 今の真夜には知る術もないが、その巨大な建造物群こそ、先ほどまで彼女を囚われの身にしていた元凶。大漢が誇る禁忌の魔法師開発機関[崑崙方院]であった。

 

 津那美は、右腕だけで真夜の身体を軽々と抱きかかえ、空いている左手をゆっくりと建造物群へ向けた。その長くしなやかな指先が打ち鳴らす動作の形を作る。

 

 真夜は、視界の端でその動きを捉え、彼がいったい何をしようとしているのか、固唾を呑んで見守ることしかできない。

 

 津那美は、静かに吐息を一つ溢すと、その美しい唇から淡々と別れの言の葉を紡いだ。

 

 「さようなら」

 

 その言葉の終わりと同時に、指先を打ち鳴らす。

 

 __パチンッ__

 

 静寂が支配する夜空に、あまりにも軽快なフィンガースナップの音が響いた。

 

 次の瞬間、音も、前兆も、サイオンの光すら無く__真夜の視界全てが、世界の終わりを告げる鮮烈な真紅の極光で塗りつぶされた。

 

 

           ◇

 

 それは、まさに地に墜ちた太陽の如し。

 

 絶対の劫火が、世界の一角を無慈悲に焼滅させていく。

 

 鮮烈な赤光が夜闇を暴力的に払い、真夜中の大地にまるで煌々たる朝日が昇ったかのようだった。

 遅れて発生した凄まじい衝撃波により大気が激しく鳴動し、生じた摩擦熱によって、空間の所々で夥しい放電現象まで起きている。

 

 あらゆるものを薙ぎ払う衝撃波の暴風と全てを消し炭にする灼熱の余波が、上空の二人をも呑み込もうと迫るが、津那美の意志で展開された不可視の障壁が、それら全てを遮断していた。

 

 遠方に建っていた異様な建造物群が、巨大な紅い光に文字通り呑みこまれていく。光に曝された建造物群は一瞬の猶予もなく構造を失い、凄絶な形象崩壊を起こし原子レベルで焼滅していった。

 

 真夜は、世界の常識を、魔法の定義を完全に逸脱したその破滅の光景に、全身の血が凍りつくような戦慄を感じていた。

 

 (⋯⋯あり得ない。こっ、こんなの魔法じゃないわ。魔法であっていいはずがない。__だって、こんな⋯⋯。これは、明らかに⋯⋯)

 

 彼女の理性が、現状をなんとか理解しようと試みるが本能がそれを拒絶し、現実逃避の思考が脳内を急速に侵食していく。

そして、__アレでは、内部にいる人たちも等しく同じ末路を辿っているだろう__という陳腐な考えが、わずかに脳裏の片隅に浮かんだ。

 

 真夜は可愛らしい唇をワナワナと小さく震わせながら、巨大建造物が消失していく恐ろしい光景から目を逸らした。そして、この現実離れした現象を引き起こした当人へと改めて視線を戻す。

 

 赤光に妖しく照らされる津那美の顔には、やはり何の感情も浮かんでいない。

 

 無数の命を瞬時に奪い去りながら、憐憫も嘲笑も悲哀も憤怒も義憤も、何ひとつその表情には見受けられない。まるで、それは絶対的視野を持つ超越者の顔。

 

 それを認識したとき、真夜は唐突に理解した。

 

 (⋯⋯ああ、そうなのね。これこそが正真正銘、神の御業なのね!!)

 

 彼女の幼い心に、圧倒的な畏れと歓喜が満ち満ちていく。

 

 真夜は、至高の存在をさらに身近に感じたくて、自身の両腕に精一杯の力を込め、ギュッと力強く津那美に抱きついた。

 

 津那美は、彼女の行動を咎めることもせず、[崑崙方院]が跡形もなく焼滅していくさまを、ただ黙って見つめ続けるのだった。

 

 しばらくすると、その超絶的破壊力からは拍子抜けするほど、至極あっさりと真紅の極光は消え去ってしまった。強烈な閃光によって、昼のように明るかった空が徐々に夜の色に引き戻されていく。

 

 世界を、再び夜の静寂が支配していく中、極光が消え去った場には大地を深く無惨に抉る巨大なクレーターだけが残されていた。

 津那美は[崑崙方院]の完全焼滅を見届けると、自身に縋り付いている真夜の身体をそっと抱き直し、より安定した『お姫さまだっこ』の体勢へと収めた。

 

 「っ!?えっ、あの、津那美さん。この体勢はちょっと恥ずかし__っ!?」

 「一気に翔ける。しっかり掴まっていろ」

 

 突然のお姫さまだっこに真夜は戸惑いと恥じらいの声を上げようとするが、津那美は彼女の言葉を遮り、未だ微かに熱気が漂う煉獄の跡地とは真逆の方向へ、一気に飛翔した。

 彼が展開した不可視の障壁に守られているとはいえ、それでも実感できる風を切り裂く常識外れの疾走感と身体が吹き飛ぶような圧倒的加速力。

 景色が超高速で後方へと弾け飛んでいく恐怖に耐えかねて漏れ出た、真夜の可愛らしい悲鳴は残響に変わる間もなく、静寂の夜空に融けて消えていくのだった。

 

 

           ◇

 

 真夜を大切に抱きかかえ夜空を翔ける津那美は、やがて〔敵意は無いが、異常なまでの焦燥とわずかな殺気を孕んだ複数の魔法師の気配〕を遠方に捉え、ゆっくりと地表に向けて降下を始めた。

 

 真夜の目には、ただ昏い大地が広がっているようにしか見えない。しかし、人知を超えた彼の双眸には、断崖の峡谷に架かる巨大な高架橋の姿、ともう一つ、険しい山岳道路を高速で飛ばす大型バンが克明に見えていた。

 津那美は、華麗な身のこなしで高架橋の端へ着地すると、周囲を軽く見渡す。そんな彼の胸元で、真夜は未だ激しく拍動する自身の心臓を宥めながら、恐る恐る声を掛けた。

 

 「⋯⋯あの、津那美さん。そろそろ降ろしてもらえませんか?」

 「ん?ああ、そうだな。追っ手の気配も無い。もう平気だろう」

 

 津那美は、ゆっくりと真夜をアスファルトの地面に下ろす。空からの着地による独特の浮遊感のせいか、彼女の細い足は一瞬へたり込みそうになってしまう。だが、すかさず津那美がその細い肩を支えたため、どうにか立ったままの姿勢を維持することができた。

 

 真夜は、夜風に乱れた黒髪を恥じらいながら手で整え、一度大きく深呼吸をした。

 

 「ふぅ~。ちょっと、いえ、かなり怖かったですけど。⋯⋯うんっ!生身で空を飛ぶという、最高に素敵な経験ができました!」

 「そうか。そう言ってもらえるのなら良かった」

 

 少々強がり混じりに、しかし心から嬉しそうに笑う真夜。津那美もそんな彼女の愛らしさに、穏やかな微笑みを返すのだった。

 

 高架橋には、谷底からの容赦無く冷たい強風が吹き荒んでいる。真夜は、薄手の手術着一枚しか身に着けていない。凍てつく夜風が身に沁みるのか、彼女は自身の二の腕をキュッと抱きしめるようにして、小さく身震いをした。

 

 そんな彼女の様子に気づいた津那美は、何も言わずに自身の漆黒のコートを脱ぎ、そっと彼女の細い肩に掛けるのだった。

 彼の温もりが残るコートを掛けられた真夜は、パッと嬉しそうな表情を浮かべ、いそいそと漆黒の袖へと腕を通していく。

 

 しかし、当然ながら二人の体格は大人と子どもの差がある。ゆえに真夜にとっては非常にブカブカで、袖口からは手先も見えず、裾の部分にいたってはアスファルトの地面にズルズルと引き摺られてしまっていた。

 それでも、真夜はまるで素敵な宝物を貰ったような満面の笑みを浮かべて、津那美を真っ直ぐに見上げた。

 

 「フフフ、ブカブカですね。でも⋯⋯すごく温かいです。津那美さん、ありがとうございます」

 「それは何よりだ。サイズが合わないのは、まあ、ご愛嬌とでも思ってくれ」

 

 津那美は、彼女へ向けてオシャレな軽口をとばすと、しなやかな指先を立てて、闇の奥の一角を指ししめす。

 

 「もうすぐ、あの方向から大型バンがやってくる。君を救うために遣わされた救出部隊の車だ。その車に保護してもらい、君は日本へと帰るんだ」

 「⋯⋯えっ!?それは、どういう__っ」

 「そして、これは彼らに君の居場所を教えるための、わずかばかりのサービスだ」

 

 別れを暗示する言葉に戸惑い、疑問を口にしようとした真夜の言葉を、非情なまでに淡々と遮り、津那美はさらに言葉を重ねた。

 そして、おもむろにパチンと軽快に指を打ち鳴らす。

 

 すると、蒼い燐光を散らす小さな螢火がいくつも生まれ出て、真夜の周囲をフワフワと守るように、愛おしむように漂い始めた。

 

 純然たる破壊の焔とは異なる、優しく儚い蒼光。

 その光で、淡くほのかに照らされた高架橋の上は、妖しくも美しい幻想的な情緒に支配されていく。

 彼を問い詰めるため駆け寄ろうとした真夜は、その奇跡のような光景に、一瞬目を奪われ、その足を止めてしまう。

 

 __そのわずかな隙を彼は見逃さなかった。

 津那美の身体が、重力を無視して、フワリと宙へ浮かび上がる。そのまま、彼女の手が届かない高さまで、一瞬で上昇してしまった。

 

 「すまないが、私はあまり人前に姿を晒したくない。名残惜しいが、ここでお別れだ。⋯⋯まあ、大丈夫だとは思うが、君が無事に家族の元へ帰れるよう祈っている」

 

 津那美は、消え入るような儚い微笑みを浮かべ、さらに天高くへと高度を上げていく。

 そんな彼に向けて、真夜はブカブカの袖から必死に手を伸ばす。その美しい紅い瞳からは大粒の涙が次々と溢れ落ち、彼女は震える声を精一杯張り上げ、津那美へと呼びかける。

 

 「いや⋯⋯嫌っ!!おっ、お願い、津那美さん。行かないで。行かないでください。__ずっ、ずっと。私の傍に。ずっと、いっ、一緒に⋯⋯いて⋯⋯ください!お願いですから!!」

 

 しかし、少女の魂を削るような悲痛な呼びかけも虚しく、津那美との距離は無情にもどんどん離れていくのだった。

 

 涙でボヤける真夜の視界から、ついに津那美の姿が完全に消え去った。

 

 「津那美さぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 

 彼女は、溢れんばかりの想いの丈をすべて込め、姿なき彼の名を叫んだ。

 

 だが、その悲痛な声が彼に届くことはもうない。真夜は、奈落の底に突き落とされたような喪失感のあまり、もはや立ち続けることすらできず、アスファルトの地面にへたり込んでしまう。そのまま、ブカブカのコートの袖で顔を覆い、堰を切ったように激しい嗚咽を漏らし始めた。

 

 __崇拝する『私の神さま』が、去ってしまった__

 

 __心酔する『雅なる剣士さま』と、引き離されてしまった__

 

 失意に沈む真夜の心を、暗い絶望が侵食していく。

 

 そんな泣きじゃくる彼女をそっと慰め、励ますように、津那美の残した小さな蒼い螢火たちが、フワフワと周囲を優しく漂っている。

 涙に濡れた指の隙間から、その幻想的な光を見つめていた真夜は、誘われるようにスッとその中の一つへと小さな手を伸ばしてみた。

 すると螢火は、まるで意志を持つかのようにフワリフワリと軌跡を描き、彼女の手のひらの上へと静かに舞い落ちた。

 そして、キラキラと鮮やかな蒼い燐光を放ち続ける。

 

 それはまるで__『元気を出して、前を向いて』と、優しく囁いているかのようだった。

 

 手のひらに灯る淡い蒼光を、自身の紅い瞳に映しながら、真夜は津那美が語ってくれた言葉の一つ一つを、明確に思い出していく。

 やがて、彼女はおもむろに立ちあがった。靴すら失ったその小さな素足で、夜風に冷やされたアスファルトの地面を力強く踏みしめ、ゴシゴシと目元をこすり、涙を拭う。

 

 そして、津那美が飛び去っていった遥かなる夜空を、凛とした意志を宿した紅い眼で仰ぎ見た。

 

 その顔からは、先ほどまでの失意に満ちた悲壮感は、もはや微塵も窺えない。それどころか、涙の跡が残る紅い瞳の奥には、無限の可能性という未来への希望の光が、明々と灯っていた。

 

 真夜は目を閉じ、数回、深呼吸を繰り返す。そんな彼女の脳裏では、これから捧げる誓いの言葉を間違えないよう、何度も復唱が行われていた。

 やがて、強い決意を秘めて開かれた彼女の紅い瞳は、まるで炎のような鮮烈な輝きを放つ。

 

 最後にもう一度、大きく息を吸い込んだ真夜は、その息を吐き出す勢いのままに、彼が去った夜空に向けて、静かだが、これ以上なく力の乗った確固たる声を放った。

 

 「私、四葉真夜は、ここに誓います。運命に弄ばれ、理不尽な力にただ蹂躙されるだけの無力な自分とは、今日ここで決別します。津那美さん、貴方のように自らの意志と力を真っ直ぐに貫ける__そんな本物の強さを目指して、私も頑張って強くなります。心も体も、その全てを鍛え上げて__いつか必ず、津那美さんみたいに強くなってみせます!」

 

 それは、のちに〝世界最強の魔法師の一人〟と呼ばれる少女の、最初の宣誓の言葉だった。

 

 真夜は、夜空に広がる満天の星の海を眺めながら、さらに不敵な言葉を重ねる。

 

 「そして、いつか必ず貴方を探し出して、私から会いに行きます。存分に強くなって、とびきり綺麗になった私をこれでもかと見せつけますから、覚悟しておいてくださいね。__バンッ!!」

 

 彼女は、ブカブカの袖口から右手を覗かせると、津那美が飛び去っていった夜空へ向けて、悪戯っぽく銃の真似事をした。

 さも可笑しそうに笑う真夜は、最後に自身の内に芽生えた最も純粋で、最も大切な想いをそっと口にする。

 

 「津那美さん。私は貴方のことが_____っ!!」

 

 だがその瞬間、突如として峡谷から吹き抜けた強風が真夜の細い声を攫っていく。彼女の言葉は、誰の耳にも届くことなく、満天の夜空の下に儚く消え失せてしまった。

 

 しかし、真夜は別段気にした風もなく、ペタペタと裸足で高架橋のアスファルトを歩き始める。彼女の歩みに合わせるように、蒼い螢火たちも静かその後ろについていく。

 

 やがて、高架橋の中央付近にまで歩を進めた真夜は、まるで夜会のダンスパーティーであるかのような、優雅なカーテシーを披露する。

 そして、裸足のままで彼女はリズムを取り、淑やかに、しかし確かなステップを刻みだす。

 

 冷たいアスファルトの上。豪華なドレスを身に纏うこともなく、真夜は覚えたばかりのワルツを踊る。

 本来ならエスコートしてくれるパートナーの手を取って踊るべきもの。客観的に見れば、彼女は一人で、夜の静寂の中を淋しく踊っているに過ぎない。

 

 だが、それはきっと周囲の勝手な思いこみなのだろう。

 

 何故なら、ステップを踏む真夜の顔にはこの上なく幸福な笑みが浮かんでいるのだから。

 きっと彼女の紅い瞳には、はっきりと見えているのだ。自分の小さな手を優しく引き、リードしてくれる『大切な男性』の姿が__。

 

 蒼い螢火が、淡くほのかに照らすアスファルトの上。壮大なオーケストラもない静寂の夜。

 真夜は一人、幸せに満ちた微笑みを浮かべ、彼への想いを誓うように、いつまでもワルツを踊り続けるのだった。

 

 

           ◇

 

 それから暫くして__津那美の告げた言葉どおり、高架橋の向こうから闇を切り裂くヘッドライトの光とともに、一台の大型バンが接近してきた。

 バンに乗り込んでいた四葉の救出部隊の面々は、高架橋の中央で蒼い燐光に包まれながら、漆黒のコートを羽織って一人静かに踊る四葉真夜の姿を発見する。

 

 救出対象のあまりにも不可解で、同時にどこか圧倒的な気品を感じさせるその佇まいに、部隊員たちは思わず首を傾げたが、何はともあれ彼らは四葉真夜の身柄を無事に保護した。

 

 彼女を引き連れて、部隊は大急ぎで来た道を反転。厳重な警戒態勢のまま、日本への迅速な帰国を果たす。

 こうして四葉真夜は、あの地獄じみた大漢の監禁から奇跡の生還を遂げ、四葉本家で帰りを待っていた父や姉と、無事の喜びを分かち合うのだった。

 

 

 

 __だが、そんな四葉家の感極まる喜ばしい話とは裏腹に、日本の外では、ある一つの国の歴史にピリオドが打たれる事態が進行していた。

 

 

国家の最重要拠点である[崑崙方院]を、理解不能な〈未知の現象〉によって失った大漢。その衝撃は、文字通り国の屋台骨と、魔法師という最大軍事力を同時に喪失したに等しかった。

 国家元首を含め、中央の運営を任されていた官僚たちの指揮系統は完全に麻痺し、政府内に未曾有の大混乱という火焔が投げ入れられた。その混沌の焔は瞬く間に軍や国民に飛び火し、国家全土へと急速に拡大していく。

 

 そして、この天災がもたらした致命的な防衛の空隙を、冷酷なまでの好機と捉えた国があった。

 

 隣国__大亜細亜連合、通称[大亜連合]である。

 彼らは、大漢の混乱を見逃すこと無く、無数の攻撃部隊を動員しての電撃作戦を決行、大漢への全面的な侵略を開始した。指揮系統が瓦解し、機能不全に陥った大漢の軍隊に抗う術はなく、主要都市や防衛拠点が次々と陥落していく。

 大亜連合軍は、捕縛した大漢の国家元首や高官たちをその場で即座に処刑するという、徹底した容赦のなさで新秩序の構築を強行した。

 

 国土と国民が蹂躙され、国の運営を司る人員を次々と喪失した大漢は、もはや組織的な抵抗は不可能と判断。わずかばかり生き延びた退役役人たちは、事実上の国家崩壊を受け入れ、無条件降伏を宣言せざるを得なかった。

 

 こうして、大漢は大亜連合への併合という結末を迎え、世界地図からその名を永遠に消し去ることとなったのである。

 

 さて、その大漢崩壊の起点となった〈未知の現象〉だが、のちに世界中の魔法研究者が総出でその原因究明に乗り出した。

 しかし、エイドス改変の痕跡すら残さず、あらゆる物質を無へと還元したその現象の謎は、世界有数の頭脳を以てしても、解き明かすことはついにできなかった

 既存の魔法工学、および現代魔法幾何学では証明不可能なパラドックスを前に、研究者たちは未知への畏怖と解析不能への皮肉を込めて、その〈超常現象〉をこう呼称した。

 

 __【真紅の秘蹟:スカーレット・アルカナム】と。

 

 

 

           ◇

 

 

     __2079年3月24日__

 

 豪奢なデスクチェアにゆったりと身を預け、目を閉じていた絶世の美女__四葉真夜は、緩やかにその瞼を持ち上げていく。

 

 長い睫毛の下から覗く、最上級のルビーを彷彿とさせる真紅の瞳がわずかばかりに左右へと動き、自身の周囲を睥睨した。

 彼女の視界に映ったのは、古びた墨の匂いと甘い白檀の香りが融け合う見慣れた私室。自身の状況を鑑みた真夜は、小さくも艶やかな溜め息を漏らした。

 

 「⋯⋯うたた寝をしてしまうなんて、気が緩んでいるのかしら?それとも⋯⋯あの方の領域に近付こうと、鍛錬に根を詰めすぎたかしらね。__まあ、何にせよ、情けないことこの上ないわね」

 

 その完璧な美貌に幽かな自嘲の色を浮かべ、真夜は身体の強張りをほぐすように大きく伸びをした。最高級のシルク生地のブラウスがはち切れんばかりに緊張し、その下に隠された豊満な胸が、たゆんと大きく揺れる。

 

 そのまま、彼女は私室の天井を仰ぎ見、先ほどまで微睡みの淵で見ていた、愛おしい夢の残滓に思いを馳せた。

 

 「⋯⋯それにしても、ずいぶんと懐かしい夢を見たものね。いつぶりかしら、あの頃を夢に見るなんて」

 

 あの凄惨な大漢の事件から__実に十七年。

 無事に四葉家に戻った彼女は、己の無力を呪い、自身の糧になるものを貪欲に求めた。精神と肉体、現代魔法はもとより、果ては武術に至るまで、その全てを狂気的なまでに鍛え上げてきた。

 その結果__現在の四葉真夜は、あの夜空へ消えた「私の神さま』という絶対の例外を除けば、正真正銘、世界有数の、この日本においては紛うことなき『最強』の魔法師の地位を手中に収めていた。

 

 一族の者たちや十師族をはじめとする魔法師社会は、彼女こそ四葉の次期当主に相応しいと賛辞を以て持て囃すが、真夜にとってそんな世俗の名誉など、もはやどうでもよかった。

 当主の椅子など、未だ健在の父か、あるいは姉が座すればいい。彼女の紅い瞳が見つめる先は、もっと別、遥か高みにあるのだから。

 

 どれほどの時が流れようと、あの冷たい夜風の記憶、この身を包んでくれた漆黒のコートの温もり、そして自身の魂に刻まれた彼の姿だけは、一向に色褪せることない。

 四葉真夜という一人の女性の胸の奥で、それは今も永遠に輝き続けていた。

 

 真夜は、天井に向けていた視線を下ろし、眼前にあるオールウッド製の重厚なデスクに向ける。デスクの上には、多彩な研究資料や貴重な古書が乱雑に積み上がっており、彼女は盛大に溜め息をついた。

 

 「⋯⋯本当に情けないわね。大切な資料をこんな粗末に扱うなんて」

 

 自嘲気味に呟いた真夜は、いそいそと資料と書物を片付け始める。特に書物に関しては、ページの折れや破れが無いか、念入りに細かくチェックしていく。

 

__昨今、書籍の電子化が進み始めたこの時代、紙媒体の書物の価値は異様なほど高騰し、一般人には手が出せない領域になりつつある__

 

 ある程度の整頓を終えた彼女は、その内の一冊『今昔物語集』と銘打たれた和綴じの書物を手に取り、愛おしそうにページを開く。

 掠れた墨の匂いが残る和紙をめくり、その内容を精査していくと、ある一節で真夜の紅い目が留まる。

 

 「この世で唯一、〝鬼〟を屠ることができる神器名剣。その名を【鬼切丸】という、ね。そして、それを振るう若武者の伝説。__あの時、私のことを喰らおうとした怪物。その額には、確かに禍々しい角が生えていたわね。つまりは、あれが伝承で語られる本物の〝鬼〟」

 

 真夜の脳裏に拉致事件の折に遭遇した、現代魔法の概念がまるで通じない異形の怪物の姿が、ありありと蘇る。

 

 「記述によると、鬼の躯は鋼より硬く、並の武器や術理は一切通じないとあるわ。そんな無敵の鬼を、津那美さんが携えていたあの刀は、まるで紙を裂くように容易く切り捨てていた。⋯⋯つまり津那美さんが持っていた刀の正体が、この【鬼切丸】ということよね」

 

 真夜の明晰な頭脳は、書物から読み解ける断片的な事実と、自身の記憶を繋ぎ合わせ、鋭い考察を進めていく。

 

 「けれど、あの方は一体どこで【鬼切丸】を手に入れたのかしら?それとも、まさか⋯⋯彼自身が伝承に遺っている若武者だとでもいうの。⋯⋯ふふ、そんな馬鹿なことが。だって、伝承はもっとも古いもので1000年以上前のものよ。それが事実なら、津那美さんは1000年以上生きていることに__っ」

 

 真夜は息を呑み、脳裏に己の神の姿を克明に、その細部に至るまで思い浮かべた。

 

 「⋯⋯おかしいわね、何故かしら?あり得ないお伽話だと笑い切れない自分がいるわ。津那美さん、外見こそ若く見えましたけど、言葉の端々やその双眸の奥には、どこか老成じみた貫禄がありましたから」

 

 彼女は考察を一旦辞め、デスクチェアを半回転させ身体の向きを変える。真夜の視線が向かう先、私室の一角には人型のトルソーが置かれ、その肩には漆黒のコートが羽織られていた。

 

 それは真夜にとって、至高の宝物。あの日、津那美が掛けてくれた温もりの残滓そのものだった。

 しばし、コートを至福の眼差しで見つめていた真夜は、続いてそのすぐ隣へと視線を移す。

 そこには、自身の記憶を頼りに彼女が描き上げた津那美の肖像画が、壁にひっそりと掛けられていた。

 

 真夜は、体重をまるで感じさせないフワリとした優美な身体運びで立ち上がると、吸い寄せられるように肖像画へ近付いていく。

 

 油絵の表面に、細くしなやかな指先をそっと這わせ、愛おしげになぞる彼女は、吐息のような声で囁く。

 

 「津那美さん。貴方は一体、何者なのですか?⋯⋯今、どちらにいらっしゃるのです。何をしているのですか?

__会いたい。私は、貴方に会いたい」

 

 真夜は、その美しい顔を油絵へ寄せようとした__その瞬間、鍛錬によって研ぎ澄まされた彼女の五感が、私室の扉の前に佇む何者かの気配を捉えた。

 

 至福の時間を邪魔された真夜の身体から、心臓を鷲掴みにするような鋭い殺気が漏れ出す。その表情からは穏やかさが消え去り、声音に怒りを乗せて問い質す。

 

 「そこに居るのは誰?」

 「っ!?おっ、お寛ぎのところ、お邪魔をしてしまい申し訳ございません、真夜お嬢様」

 

 恐怖に息を呑む音とともに、女性使用人の焦った声が、扉の向こうから返ってきた。

 

 真夜は、漏れ出した殺気を霧散させ、何事も無かったように冷静な声音で、改めて扉向こうの使用人に問いかけた。

 

 「⋯⋯それで、一体何の用かしら?」

 「はっ、はい。だっ、旦那さまが、お嬢様をお呼びでございます。『至急、書斎に来るよう』との言伝を預かっております」

 「お父様が?」

 

 使用人から用件を聞いた真夜は、しばし黙考したのち返答を返した。

 

 「分かったわ。すぐに行きます、とお父様に伝えてちょうだい」

 「畏まりました。それでは、失礼いたします」

 

 扉の前から、逃げるように使用人の気配が遠ざかっていく。

真夜は吐息を一つ漏らすと、デスク前へと戻り、資料は引き出しに収め、貴重な古書は丁重に本棚の奥へと仕舞いこんだ。

 

 そして、クローゼットからジャケットを取り出そうとして、ピタリとその手が止まる。

 

 (使用人の様子からして、お客様という訳ではないわね。なら、ジャケットもスカーフも要らないわね)

 

 クローゼットの扉を閉め、大型の姿見の前に立つ真夜。自身の出で立ち__白のブラウスに無駄のないパンツスタイルのレディーススーツ姿を確かめる。

 長く伸びた美しい黒髪を艶やかに梳かし、微かな衣服の皺を手早く整えると、彼女は軽快な足取りで慣れ親しんだ私室を後にした。

 

 

           ◇

 

 父の書斎に向けて、四葉本家の長い廊下を歩む真夜は、脳内にて父が自身を呼び出した理由を思案していた。

 

 (さて、お父様の用件は何かしら。⋯⋯国防軍から、また厄介事でも申し付けられたのかしら?それとも、またガーディアンの話かしら。⋯⋯いい加減にしつこいわね、お父様も。私にガーディアンなど、必要ないわ。貴重な人材の無駄遣いよ」

 

 自分が大漢に拉致されたあの事件以来、四葉家のみの特有の役職【守護者:ガーディアン】と呼ばれる護衛職が用意された。それは、本家、分家問わず、その子息や子女に専属の戦闘魔法師を付けるというものだ。

 

 現在、姉の深夜や分家の子供たちにガーディアンが随伴しているが、真夜はこれを頑なに拒んでいた。自身よりも圧倒的に弱い護衛など、足手まといでしかない。むしろ、いざとなったら自分がそのガーディアンを庇う立場になるだろうことは、想像に難くなかった。それで、真夜の身に危険が迫るのでは、護衛を付ける意味など皆無だ。

 この件については、父と何度も激しい議論を交わし、現在の彼女の規格外の強さも相まって、何とか父を納得させたことが記憶に新しい。

 

 (⋯⋯あるいは、姉さんのことかしら。確か出産のため、本家に帰省するのよね。『身重なのだから、色々気遣え』ということかしら。__言われずとも、そうするわよ。姉さんには、気苦労を掛けてばかりですからね)

 

 思考を巡らせているうちに、父の書斎の扉が見えてきていた。真夜は改めて居住まいを正すと、迷いのない静かな動作で書斎の扉をノックした。

 

 

 

 __この一ヶ月後。

 

 姉である司波深夜は、無事に元気な男児を出産。四葉真夜は、『叔母』と呼ばれる立場を得るのだった。




如何でしたか?これが、当作品の四葉真夜です。
次回は、時間軸が進み、沖縄での司波家との邂逅。
司波家窮命編となります。先行して、こちらをお伝えしておきます。この外史世界では、深夜と真夜の仲は悪くありません。精神構造干渉魔法も乱発してませんので、深夜の身体は比較的健常のままです。ですが、達也と深雪に行ったことに関しては、真夜は深夜を軽蔑しています。それを上手く描写できれば、と思います。
では、次の投稿お待ちください。
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