最高傑作、野球をする。   作:苦茶。

6 / 7
経験が無いからこそ、妄想で変化球考えるの楽しい〜!!!!!!!

あり得ない軌道考えるのが楽しくて、つい長めに書いてしまいました


最高傑作の変化球

 

 

新入生対抗戦でのクリーンナップ三者連続三振というリザルトは、青道高校野球部におけるオレの生存評価を「一軍合宿への帯同」という形で引き上げることに成功した。

 

だが、それは同時に、オレが最も避けたかった事態――「首脳陣による執拗な負荷テスト」の本格化を意味していた。

 

六月の第一週。関東大会を終えたチームは、夏の西東京予選を見据えた「地獄の夏合宿」へと突入した。

 

青道名物の猛練習は、ホワイトルームの過酷な肉体実験を経験したオレの目から見ても、生物学的な限界値のキワを攻める極めて苛烈なものだった。

 

一日中続くノック、終わりの見えないベースランニング、そして夜間にまで及ぶ打撃練習。

 

「おい、綾小路! ぼさっとしてんじゃねぇ、次マウンド入れ!」

 

Aグラウンドのブルペンから、二軍監督の鋭い声が響く。

 

合宿三日目の午後。

 

オレに課されたタスクは、一軍・二軍の主力打者たちを相手に、実戦形式でひたすら投げ続ける「シートバッティング」の消化だった。

 

(現在の肉体疲労度は4割程度、筋肉内の乳酸濃度は上昇傾向にあるが、フォームの連動性を維持するための神経伝達に支障はない。問題は、オレの『140km/h・ストレートのみ』が、この数日間のデータ共有によって、上級生たちに完全に分析され始めていることだ)

 

マウンドに上がると、バッターボックスには1年生の東条秀明が立っていた。

 

シニア時代に全国ベスト4の投手だった彼は、打者としても極めて論理的なスイングの軌道を持っている。

 

「綾小路、悪いけど……君の球の『からくり』は、もう全員で共有させてもらったよ」

 

東条はバットを短めに持ち、あらかじめオレの「ホップ成分」を計算に入れた、極端なダウンスイングの構えをとった。

 

バックネット裏では、片岡監督が腕を組んだまま、グラサンの奥の目を細めてオレの挙動を凝視している。

 

その隣には、スコアブックを広げたクリス先輩。

 

彼らの目的は、オレがこの『手の内をバラされた極限状態』で、なおも140km/hのストレートだけで抑え込めるかどうかの限界値を算出することだ。

 

(球速は140km/h。コース:アウトロー。初球でカウントを取りに行く)

 

腕を振る。放たれた白球は、正確に外角低めのストライクゾーンへ滑り込んだ。

 

だが――。

 

 

パキィィィン!!

 

 

東条のバットは、オレの球が「伸びる」ことを見越して、最初からボール1個分上の空間を鋭く切り裂いていた。

 

完璧にアジャストされた打球が、センター前へと綺麗に抜けていく。

 

「センター前ヒット!」

 

東条は小さくガッツポーズをしながら、一塁へと走っていった。

 

オレは表情を変えず、グローブの中で新しいボールを転がす。

 

(なるほど。前回の対抗戦のデータを元に、球速140km/hにおける『空気抵抗による減速の少なさ』を逆算し、スイングの打点をあらかじめ上方に修正してきたわけか。名門の対応力としては模範的だ)

 

続いて打席に入ったのは、三年生の宮内啓介先輩だった。

 

巨漢から放たれるパワーは増子先輩に匹敵し、なおかつ捕手としての配球の読みが鋭い。

 

「ふんっ……!」

 

宮内先輩は鼻から荒い息を吹き出し、バットを小刻みに揺らした。彼はオレが「インコースを突いて詰まらせる」パターンを完全に警戒している。

 

(二球目。インハイへ。前回の結城先輩を打ち取った、回転数を最大に高めたホップするストレート)

 

オレは出力を微調整し、胸元へと投げ込んだ。

 

しかし、宮内先輩は最初からそのコースを『待って』いた。彼は一歩踏み込み、極端なインサイドアウトのスイングで、オレの最も自信のあるはずの球を強引に巻き込んだ。

 

 

ガキィィィン!!!

 

 

凄まじい金属音が響き、打球はレフトフェンスを直撃する大粒のライナーとなった。

 

「レフトオーバー、ツーベース!」

 

ブルペンの一角から、見学していた一年生たちの間に動揺が走るのが分かった。

 

特に、降谷は目を見開き、沢村は「あ、綾小路が打たれた……!?」と声を漏らしている。

 

彼らにとって、あの御幸先輩を抑え込んだオレの「精密機械のピッチング」が、上級生たちにこうもあっさりと解体されていく光景は、名門の壁の厚さをまざまざと見せつけられるものだったろう。

 

(想定の範囲内だ。どんなに精密な機械であっても、球種・球速が単一であれば、人間の脳は必ずその確率論に適応する。オレの140km/hのストレートは、完全に上級生たちに慣れられた)

 

「おいおい、どうした綾小路! 昨日のキレがねぇぞ!」

 

ベンチから伊佐敷先輩がガハハと大声で笑いながら野次を飛ばしてくる。

 

だが、オレの脳内の計算式は、この「打たれるデータ」すらも貪欲に吸収し、次なる最適解を導き出そうとしていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……そこまで。各自、15分間の給水」

 

片岡監督の声で、シートバッティングが一時中断された。

 

オレはマウンドを降り、ベンチの隅で冷水の入ったカップを口に運んだ。

 

11安打、4失点。それが、オレがこのイニングで上級生たちに弾き返された正確な数値だ。

 

変化球を一切投げず、球速も140km/hに固定された投手など、青道のAチームからすれば「ただの都合の良い打撃マシーン」でしかない。

 

「ほらよ、化け物くん。冷やすならこっちの方が効率的だろ」

 

不意に、冷たいスポーツドリンクのボトルがオレの頬に押し当てられた。

 

見上げると、ニヤニヤとしたいつもの食えない笑みを浮かべた御幸先輩が立っていた。

 

彼はプロテクターを外した軽い格好で、オレの隣のベンチに腰掛けた。

 

「ありがとうございます、御幸先輩」

 

「いやー、見事にボコボコにされたねぇ。東条にも宮内先輩にも、完璧に軌道を読まれてたじゃん。どうするの? このまま夏の予選が始まったら、お前、ただのバッティングピッチャーで終わるぜ?」

 

御幸先輩の言葉は、一見すれば挑発だが、その眼鏡の奥の目はオレの「次の出方」を執拗に探っていた。

 

彼は、オレがこの程度の看破で潰れる器ではないと、あの対抗戦の経験から確信しているのだ。

 

「オレの能力の限界値が140km/hのストレートである以上、相手がそれに適応するのは自然な摂理です。データが不足していれば勝てますが、共有されれば打たれる。それだけの話です」

 

「はは、相変わらず冷めた分析だね。でもさ、お前、本当に『それだけ』で終わらせる気? 俺の知ってる綾小路清隆はさ、打たれながらも、相手のバッターの『スイングの癖』を熱心にスキャンしてたように見えたんだけど?」

 

(チッ……。やはりこの男、観察眼だけは一級品だな。オレが打たれた11本のヒット。そのすべての瞬間において、打者たちの重心の移動、バットの侵入角度、そして『どのコースなら最もスイングが鈍るか』の微細なデータを、オレの脳内メモリに蓄積していたことを見抜かれている)

 

「オレにできるのは、次のイニングで、そのデータの誤差を修正することだけです」

 

「そ。じゃあ、次のイニングも期待してるよ。……あ、言い忘れてたけど、次の回からゾノと、それから『あの人』が打席に入るからね」

 

御幸先輩が視線を向けた先。

 

そこには、バットを静かに握り直し、殺気すら感じるほどの集中力で素振りを繰り返している男――2年の前園健太先輩、そして、青道高校の絶対的な精神的支柱である結城哲也先輩がいた。

 

(結城先輩が、もう一度打席に立つ。前回の対抗戦での『遅いストレート』というフェイクを経験した彼が、今度はオレのどんな球を予測してくるか。これは、オレというシステムにとって、最も過酷なバグチェックになるだろう)

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「給水終了! 各自、配置に戻れ!」

 

二軍監督の号令とともに、オレは再びマウンドの土を踏んだ。

 

合宿の過酷な日差しがマウンドを焦がし、オレのユニフォームはすでに泥と汗で重くなっている。だが、オレの心拍数は『130』のラインを頑なに維持していた。感情によるブレを徹底的に排除した、ホワイトルーム仕様の肉体。

 

「バッター、前園」

 

打席に入った前園先輩は、その強烈な強面をさらに歪め、バットを大きく後ろに引いて構えた。彼の特徴は、内角の球を強引に引っ張る圧倒的なパワーだ。

 

「1年坊主が……調子に乗るのもそこまでじゃけぇ! ぶちかましたる!」

 

前園先輩の叫び声が響く。

 

オレはセットポジションに入り、捕手のミットを見つめた。捕手は、前園先輩の得意コースであるインコースを避け、外角低め(アウトロー)への配球を要求している。先ほどの宮内先輩の長打が頭をよぎっているのだろう。

 

だが、オレはそのサインを無視し、あえて前園先輩の最も得意な「インコース低め」にミットを構え直させた。

 

(前園先輩はオレが『打たれたくないから外角に逃げる』と予測している。その予測の裏をかき、最も得意なコースに、最も完璧なコントロールで140km/hを投げ込む。人間の心理として、最も得意なコースに予測外の球が来ると、スイングの始動が僅かに『早すぎる』状態になる)

 

シュッ。

 

オレの右腕から放たれた白球が、前園先輩の膝元へと鋭く突き刺さる。

 

「オラァァァ!!」

 

前園先輩のバットが爆音を立てて回った。

 

しかし、彼の予測よりも球の到達が僅かに遅く、バットの先端でボールを引っ掛ける形となった。

 

ボテボテのサードゴロ。

 

「アウト!!」

 

「クソがぁぁ! なんで今の球を引っ掛けんねん!」

 

前園先輩は悔しそうに地面を蹴りながらベンチへと戻っていった。

 

外角を意識させて内角で詰まらせる。クラシックな配球論だが、オレの「140km/h固定」という前提があるからこそ、その心理的な速度差はより顕著に機能する。

 

「……バッター、結城」

 

そして、ついにその男が打席に入った。

 

結城哲也先輩。青道高校の主将であり、すべての投手の絶望の象徴。

 

彼はバットを構えると、その鋭い眼光を真っ直ぐにオレへと向けてきた。先ほどのシートバッティングで、オレのストレートを上級生たちが完全に捉えていたのを見て、彼はオレの「限界」を見極めにきている。

 

オレはボールをグローブの中で転がしながら、結城先輩の構えを確認した。

 

初球。

 

オレは最も得意なアウトローへ、140km/hのストレートを投げ込んだ。

 

 

パキィィィン!!

 

 

結城先輩は初球から完璧に捉えてきた。打球は一塁線を鋭く襲うが、わずかに外れてファウル。

 

「……!」

 

(今の一球、結城先輩は完全に『芯』で捉えていた。オレのホップ成分の数値を、彼はこの合宿の数日間で完全に脳内で補正し終えている。次、同じストレートを投げれば、どこに投げても確実にスタンドへ運ばれる)

 

二球目。カウントはノーボール、ワンストライク。

 

オレは脳内の出力を、さらにシビアな領域へと書き換えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

結城先輩との二打席目の対峙。

 

オレが選択すべき次の一手は、前回の「チェンジアップ気味の遅い球」ではない。彼はすでにその速度差への対応も済ませているはずだ。ならば、オレに残されたリソースは――。

 

(140km/h。だが、リリースの瞬間に人差し指と中指の圧力を『7:3』の比率で不均等にかける。これにより、ボールのホップ性能は落ちるが、打者の手元でわずか数センチだけ『アウトコースへ逃げる……カットボール気味のストレートの軌道を描く)

 

球種はストレートのままだ。140km/hという数値も変わらない。

 

だが、その回転軸の傾きを、人間の動体視力の限界値の枠内で変化させる。

 

オレは腕を振った。白球が、結城先輩の真ん中高めの絶好球へと向かう。

 

「ふんっ!!」

 

結城先輩のバットが、最短距離の美しい軌道でボールを迎え撃つ。

 

 

――しかし。

 

 

ガキィィィッ!!

 

 

鈍い音が響き、打球はサードの正面への鋭いライナーとなった。

 

結城先輩のバットの芯から、わずか数ミリだけ外れた位置でのインパクト。

 

サードがその強烈な打球を間一髪で掴み取る。

 

「アウト!!」

 

グラウンドに、再び小さな静寂が広がった。

 

上級生たちが「完全に綾小路を攻略した」と確信していた流れの中で、結城先輩のバットが僅かに芯を外された。

 

その事実が、彼らに「この一年生は、まだ何かを隠しているのではないか」という不気味な疑念を植え付ける。

 

結城先輩はバットを持ったままマウンドのオレをじっと見つめ、フッと微かに口元を緩めた。

 

「素晴らしいな、綾小路。お前は打たれながらも、常にその先にある『答え』を書き換えている。変化球を持たないお前が、これほどまでに打者との心理戦を支配するとはな」

 

「いえ。オレにあるのは、打たれたデータを元に確率を修正する、最低限の計算能力だけです、結城先輩」

 

オレは淡々と頭を下げ、マウンドを降りた。

 

バックネット裏では、クリス先輩がスコアブックのオレの欄に、複雑な数式のようなチェックを書き込んでいた。

 

片岡監督も、グラサンの奥の目を細めたまま、オレの一軍合宿での生存価値を、完全に「一軍登録(ベンチ入り)」のラインへと確定させたようだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

夜の5号室。

 

合宿の過酷な練習を終えた部屋の中は、昼間の緊張感とは打って変わって、いつもの混沌とした空気に包まれていた。

 

「――うがぁーーー! また負けた! なんで俺の弱パンチが通らねぇんだよ、綾小路ぃ!!」

 

床に座り込み、テレビ画面に向かってコントローラーを激しく叩きつけているのは、2年生のショート、倉持洋一先輩だった。相変わらず自分の部屋に戻らず、この5号室でオレに格闘ゲームの勝負を挑んでは、完璧なカウンターでハメ殺されている。

 

「倉持先輩。お前のキャラクターの攻撃モーションは、始動から判定が出るまでに12フレームかかっています。オレのキャラクターのガードからの反撃は9フレームですので、その距離で技を振れば、理論上100%オレのカウンターが成立します」

 

「あぁ!? 専門用語で誤魔化すんじゃねぇ! ほら、もう一戦だ、もう一戦!」

 

「倉持、お前うるさい……。飯、食う、寝る……」

 

ベッドの上で、巨漢の増子透先輩が布団に包まりながら、むにゃむにゃと呟いていた。昼間のシートバッティングでオレに三振を喫した彼は、夜の自主練習で通常の倍のスイングをこなしたらしく、すでに肉体の限界を迎えて眠りにつきかけている。

 

「あはは、倉持先輩、清隆くんに格ゲーで勝つのは諦めた方がいいですよ。ボクも昨日、完璧にハメられましたから」

 

ピンク色の髪を揺らしながら、小湊春市がノートを広げて苦笑いしていた。彼はオレのことを一貫して「清隆くん」と呼び、この5号室という騒がしい境界線の内側で、最小限の、しかし確かな信頼を置いてくれている。

 

「チッ、春市まで味方しやがって! おい綾小路、お前昼間のシートバッティングで東条たちに打たれてた時、どんなツラすんのかと思ったら、相変わらずこの冷めきったツラのままだったなぁ」

 

倉持先輩はコントローラーを置き、少し真面目な顔をしてオレを見た。

 

「御幸の野郎が言ってたぞ。お前はわざと打たれて、上級生のデータを取ってたんじゃねぇかってな。……本当なら、とんでもねぇクソ度胸の一年坊主だわ」

 

「そんな大層な意図はありません、倉持先輩。オレはただ、自分の持っている140km/hのストレートを、どうすれば最も効率的に運用できるかをテストしていただけです」

 

「はいはい、そういうことにしておいてやるよ。……ほら、明日は合宿最終日の総仕上げだ。さっさと寝るぞ、一年坊主ども!」

 

倉持先輩はそう言うと、ようやく自分の部屋へと戻っていった。

 

部屋の明かりが消え、5号室に静かな呼吸音だけが響き始める。

 

(一軍合宿の終了。そして、迫り来る夏の西東京予選。オレの140km/hというリミッターは、上級生たちとの実戦を経て、より強固な『最適化された武器』へと進化を遂げた)

 

沢村や降谷のような圧倒的な熱量はない。だが、オレという精密機械の歯車は、この青道高校という巨大な組織の中で、誰にも壊せない絶対的なポジションを、着実にハッキングしつつあった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

地獄の夏合宿が明け、青道高校野球部は一軍のベンチ入りメンバー二十人を正式に発表した。

 

降谷暁、沢村栄純。そして、オレ――綾小路清隆。一年生から三人の投手が選出されたという事実は、部内に小さくない波紋を広げたが、オレにとってそれは「一軍という観測限界点への到達」という、予定されたステップに過ぎなかった。

 

 

 

だが、問題は別の場所に発生していた。

 

「――お前、このままじゃ夏の予選、中盤以降で確実に『詰む』ぜ」

 

合宿明けの最初の自主練習の夜。

 

誰もいない第二ブルペンの薄暗い照明の下、キャッチャー防具を身に纏った御幸一也が、オレに向けてボールを軽く放り投げてきた。

 

「詰む、ですか。不穏な表現ですね、御幸先輩」

 

「事実だからな。合宿のシートバッティング、お前は指先のニュアンスを変えて結城先輩の芯を外した。あれは確かに見事だったよ。……でもさ、それって結局、打者が『140km/hのストレートの軌道』を意識して振ってくれるから通じるハメ技だろ?」

 

御幸はベース板の上に腰掛け、ミットを膝の上に置いた。その眼鏡の奥の瞳は、昼間の気さくな先輩のそれではなく、勝利に対して極めて冷徹な「捕手」の光を宿している。

 

「夏の西東京予選。お前のデータが他校に回れば、相手は最初から『手元で微妙に変化するストレート』に焦点を絞ってくる。そうなった時、縦にも横にも大きな軌道のブレがないお前のピッチングは、ただの『ちょっと打ちづらい直線』に成り下がるんだよ。相手が名門であればあるほど、その直線は格好の餌食だ」

 

(正論だな。オレの持つ『140km/h固定』というのは、単一の球種である以上、打者の予測を完全に裏切ることはできない。相手の脳に『もう一つの選択肢』を示し、打者を欺き狂わせる変化球が必要不可欠だ)

 

「つまり、オレに変化球を覚えろ、ということですか」

 

「話が早くて助かるねぇ。お前に教えたい球があるんだ。……ストレートと全く同じ軌道から、バッターの手元で真下に消える『フォークボール』。これをお前に叩き込む」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

フォークボール

 

人差し指と中指の間にボールを深く挟み、回転を意図的に殺すことで、重力に従って急激に落下させる球種。

 

一般的には握力が強く、手の大きい投手が有利とされるが、オレの身体データにおいて、手の平のサイズおよび指の長さは日本人の平均値を大きく上回っている。ホワイトルームでの肉体最適化の過程で、あらゆる道具を自在に扱うための骨格構造が形成されているからだ。

 

「まずは握りだ。指の幅はこれくらい。完全にボールの縫い目を外して、芯を挟み込むようにしろ」

 

御幸が手本を示す。オレは言われた通りに、右手の二本の指で白球を深く挟み込んだ。

 

(指骨間の大内転筋および虫様筋の緊張。ボールの直径72.9mmに対し、指の密着面の摩擦係数を均等に保つ。……なるほど、ホールド感に問題はない)

 

「よし、じゃあまずは軽めでいい。ストレートと同じ腕の振りで、リリースの瞬間に指の間からボールを『抜く』イメージで投げてみろ」

 

御幸が立ち上がり、数メートル先でミットを構える。

 

オレは通常のピッチングフォームを脳内でトレースし、腕を振った。

 

フワッ。

 

放たれたボールは、回転が完全に死んだ状態で放物線を描き、御幸の足元でバウンドした。

 

「……おいおい、今のが初球かよ。回転の殺し方としては最初から合格点だ。だけどな、それじゃただの遅いナックルだ。バッターの目線からすれば、投げた瞬間に『あ、緩い球が来た』ってバレバレなんだよ」

 

御幸はボールを拾い上げ、オレの胸元へ投げ返す。

 

「大事なのは『錯覚』だ。バッターに140km/hのストレートが来たと錯覚させるだけの、鋭い腕の振りと、リリースの直前までストレートと同じ回転軸の気配を見せること。指の間から抜くっていうより、指の腹でボールを『前へ押し出す』感覚に近い。やってみろ」

 

(前への押し出し。腕の振りにおいて、最大速度に達した瞬間に、指先の摩擦抵抗をゼロにする……。流体力学的なアプローチと、筋肉の脱力の超高速な切り替えが必要か)

 

オレは目を閉じ、脳内のシミュレーターで「ストレートのリリース」と「フォークのリリース」の重なり合う瞬間を演算した。

 

二球目。

 

ブンッ!

 

オレの右腕が、昼間のシートバッティングと全く同じ激しさで空気を切り裂いた。

 

ボールは140km/hのストレートと全く同じ「無駄のない直線」として飛び出す。

 

「――っ!?」

 

御幸の身体が一瞬、ストレートを捕球する高さで固まった。

 

だが、ベース板の手前。オレの放った白球は、まるで目に見えない壁に衝突したかのように、突如としてその高度を急速に失い、真下へと急降下した。

 

 

バシィィィンッ!!!

 

 

御幸のミットが、地面スレスレのところでボールを引っかけるようにして捕球した。小気味良い乾いた音が、夜の静かなブルペンに響き渡る。

 

「……マジかよ」

 

御幸はミットをはめた左手を下げたまま、信じられないものを見るような目でオレを凝視した。

 

「お前、今、何をした? 指の力を抜くタイミング、完全にストレートのリリースポイントと同じだったぞ。普通はどれだけ練習しても、腕の振りが緩むか、球速がガタ落ちするもんなんだけどな……」

 

「御幸先輩の言う通りに、指の腹で前へ押し出す出力を計算しただけです。今ので、球速はおよそ122km/h。ストレートとの速度差は18km/hです。脳の認知を狂わせるには、十分な数値かと思いますが」

 

「……はは、バケモノめ。お前さ、本当に野球初心者か? 脳みその中にピッチングマシンでも飼ってんじゃないの?」

 

御幸は呆れたように笑いながらも、その瞳にはゾクッとするような歓喜の光が宿っていた。

 

「いいぜ、これなら使える。ストレートと同じ軌道から、18km/h遅い速度で急激に自由落下するフォーク。……これを夏の本番で、お前のあの『絶対的なコントロール』でコースに投げ分けられたら、どんな強打者だろうと確実に空を切る」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「よし、じゃあ次はカウントを取りにいく『浅いフォーク』と、空振りを取る『ワンバウンドになるフォーク』の投げ分けだ。俺のミットの高さに合わせて、指の挟み方の深さをミリ単位で調整してみろ」

 

御幸の要求は、さらにシビアな領域へと踏み込んでいく。

 

通常、変化球のコントロールをこれほど短時間で要求するのは酷というものだが、オレにとっては「指の深さに対する落差」の相関関係をプロットしていく単純な作業だった。

 

三球目、四球目、五球目――。

 

投げるたびに、オレの脳内データベースにフォークボールの弾道データが蓄積されていく。

 

(人差し指の第一関節から3mm浅く:落差20cm。ストライクゾーンの下限に収まる)

 

(5mm深く:落差45cm。バッターの膝元からワンバウンドになる完全な誘い球)

 

バシィン! バシィン! と、正確に御幸のミットがその落差を捉え続ける。

 

「完璧だ。これでお前は『二次元の直線』から、『三次元の縦の空間』を支配する投手にアップデートされた」

 

御幸は立ち上がり、マスクを外して汗を拭った。その表情には、オレという新たな「駒」を手に入れたことへの、捕手としての純粋な高揚感が満ち溢れていた。

 

「これで夏、面白くなるぜ。降谷の剛速球、沢村のクセ球、そしてお前の『ハッキングされた瞬間にインテリジェンスで殺すピッチング』。……青道の投手陣は、間違いなく全国トップクラスの変則布陣だ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

(――少し、出力が安定しすぎるか)

 

御幸先輩のミットに収まったボールの軌道を確認しながら、オレは密かにそう計算していた。

 

御幸が教えたフォークは、回転を完全に殺すことで落差を作るものだ。だが、今のオレの腕の振りで完全に回転を殺すと、ボールが空気抵抗の影響を過剰に受け、計算上の「打者にとって最も打ちやすい山なりの軌道」に近付いてしまう瞬間がある。

 

もし、もっと鋭い打者、例えば結城先輩のようなクラスであれば、ボールが「沈む」ことさえ予知されていれば、その軌道を追尾し、バットを修正して当ててくる可能性がある。

 

(メインはあくまで回転を殺した従来のフォーク。これでストレートとの落差を最大化し、打者のスイングの底を抜く。……だが、それだけでは足りない。結城先輩のようなレベルを完全に沈黙させるための、保険となる決定打が必要だ)

 

オレは御幸先輩に内緒で、ボールの挟み方をわずかに変えた。

 

先ほどのフォークよりも人差し指と中指の幅をわずかに広げ、付け根の圧力をわずか0.5mmだけズラす。これにより、ボールには「極めて微細なジャイロ回転」が加わる。

 

球速は落ちない。フォークの落差と、ストレートに近い到達速度を両立させる、決定的な球種。

 

 

――投球。

 

 

腕を振る。御幸の視界には、先ほどのフォークよりも遥かに鋭く、手元まで全く失速しないストレートの軌道が映っているはずだ。

 

「――ッ!? なんだ、今の球の『重さ』は!?」

 

ミットの芯ではなく、御幸の手首にまで響くような衝撃音が響いた。

 

ボールは打者の手元で、わずかにブレーキをかけながら、鋭く、それでいて直線的に落ちた。フォークのような放物線を描く「消える球」ではない。打者がストレートだと判断してバットを振り抜いた瞬間に、重力と空気抵抗を計算外のタイミングで利用して、ミットの底へと「吸い込まれる」球。

 

捕球した御幸が、呆然とミットの中のボールを見つめる。

 

「……お前、今のフォークか? いや、違うな……今の変化……スプリットか!?」

 

「流石ですね御幸先輩、お察しの通りスプリットですよ……しかしこれはあくまで、どうしようもない時の『決め球』として、奥の手にしておきます」

 

御幸は言葉を失い、眼鏡をずらしてオレをまじまじと見つめた。

 

「お前……そんなこと、教えたっけか? 自分の感覚で、勝手に『変化』を付け加えやがったな」

 

「教えられた基本値を元に、より生存効率の高い出力を導き出しただけです。フォークが読まれた際の、最後の保険です」

 

「……あー、なるほど。お前のその頭脳には、俺の指導すら『修正対象』ってわけか」

 

御幸は笑った。困ったように、しかし、これ以上ないほど楽しそうに。

 

「いいよ、最高だ。メインは回転を殺した落差の大きいフォークで、打者のタイミングをズタズタに引き裂く。そして、ストレートの軌道で来て、お前が投げた瞬間に『突き刺さる』ようなスプリットを決め球にするのか。……そんなもん、誰が打てるんだよ」

 

オレは表情を変えず、淡々と次のボールを挟んだ。

 

(これで変化球は二つ。140km/hのストレート、そしてメインのフォーク。さらに、極限状態での最終兵器としてのスプリット。この三つの組み合わせで、夏の予選における打者の処理能力を飽和させる)

 

ブルペンの夜はまだ深い。

 

オレはさらにミリ単位の握りを変え、次にハッキングすべき打者の顔を、脳内のデータベースに次々と並べていった。

 




ここまで読んでくださりありがとうございます!!

そういえば意識してなかったんですけど、御幸って結城のこと、結城さんじゃなくて哲さんって呼んでますよね
書いてて気が付きました

一万字超えたので本日中に直す気力は無いですが…
ボチボチ直していきたいと思います

失礼いたしました
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