最高傑作、野球をする。   作:苦茶。

7 / 7
短めです

ストックが無くなったので、投稿頻度は落ちると思いますが、ご了承ください


最高傑作の打撃練習

 

 

グラウンドに響くのは、金属バットがボールを弾く乾いた音と、泥を蹴るスパイクの音だけだ。

 

夏の大会に向けた強化期間。部員たちの動きには、日に日に鋭さが増している。

 

オレは打撃ケージの隅で、淡々とバットを振っていた。

 

昨日のブルペンで御幸先輩と何かしていた事は広まっているのか、周囲のオレを見る目がわずかに変わったのを感じる。

 

特に、2年生や3年生の上級生たちは、御幸先輩していた事の正体を突き止めようと、投球練習のたびにネット裏に集まるようになった。

 

オレは、そうした視線を無視し、ただ目の前の練習に没頭していた。

 

野球は、身体操作の最適化と、打者の予測を裏切る確率論のゲームだ。

 

マウンドでの作業と同様、バッティングにおいても、オレは「最も効率的な軌道」を脳内で計算し、実行する。

 

カィンッ。

 

軽いスイング音とともに、ボールが鋭い弾道を描いてフェンス際まで飛んでいく。

 

隣のケージで練習を終えた小湊亮介が、ふと足を止めた。彼は小柄な身体に不釣り合いなほどの重いバットを肩に担ぎ、フェンスに吸い込まれた打球を目で追っている。

 

「……随分と、綺麗なスイングだね」

 

小湊先輩が、いつもの穏やかな口調で近づいてきた。

 

ピンクがかった髪にニコニコしている表情、しかしその瞳だけはじっとオレの構えを観察している。

 

彼は、バットの握り方、足の運び、そしてスイングが終わった後の重心の戻りまで、微細な動作をすべて情報として飲み込んでいるようだ。

 

「……ありがとうございます。まだ改善の余地があります」

 

「改善、ね。お前はいつもそうやって、自分の動作を分解して考えてるのかい?」

 

小湊先輩はケージの柵に寄りかかり、少しだけ首を傾げた。その仕草には、獲物の動きを観察する狩人のような余裕がある。

 

「野球は、数式じゃない。感覚でボールを捉え、その瞬間の高揚感でバットを振る……君には、そういう『遊び』が足りない気がするんだよね」

 

「遊び、ですか」

 

「そう。例えば、今のスイング。打球は飛んだけど、ボールとバットが当たる瞬間の『音』が冷たかった。もっと、ボールと対話するように打ってみたら?」

 

小湊先輩はそう言うと、持っていたバットをヒラリと回した。

 

その手元は驚くほど柔らかく、まるで生き物のようにバットが指先に吸い付いている。彼はオレのバットを指先で軽く叩くと、ふっと微笑んだ。

 

「お前のようなピッチャーが、打席でもそんなに器用だと、敵も味方も混乱するだろうね。……面白いよ。君のその『最適解』が、このチームの泥臭い野球の中でどう変化していくのか、ちょっと楽しみになってきた」

 

小湊先輩はそのまま、軽い足取りでグラウンドの中央へと歩いていった。

 

残されたオレは、再びバットを握り直す。

 

ボールと対話する。

 

小湊の言ったことは、物理学的には不正確な表現だ。しかし、このチームで生き残るための方法としては、極めて理にかなっているのかもしれない。

 

グラウンドの反対側では、沢村がまた何か叫びながら走り込んでいる。

 

降谷が黙々とネットに向かって投げ込み、御幸がその捕球をしながら、時折厳しい表情で何かを指摘している。

 

騒がしい、騒がしいチームだ。

 

だが、それこそが、彼ら青道の普通なのかもしれない。

 

オレはもう一度、バットを構えた。

 

今度は感覚に意識を向けてみる。

 

ボールがケージの中を飛び込んでくる軌道。ミートした瞬間の、指先に伝わる反動。

 

カィンッ。

 

先ほどよりも、少しだけ柔らかい音が響いた。 

 

ベンチに座っていた御幸が、その音に気づいたのか、こちらを一瞬だけ見たような気がした。

 

オレは小さく息を吐き、次の球を待った。

 

この環境への同調。それが、オレが今すべき実験の1つだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

小湊先輩が歩き去った後、ケージの周囲は再び練習の喧騒に飲み込まれていった。

 

だが、オレの意識は先ほどの「感覚」という変数に引きずられている。

 

小湊亮介という観察者は、オレの論理的なアプローチの中に、計算不可能な「ゆらぎ」を混入させることに成功したようだ。

 

「御幸先輩!!投球練習お願いします!!」

 

グラウンドの奥から、沢村がその背後には、彼に負けじと歩く降谷の姿がある。沢村の顔には、練習による汗と泥がべっとりとついているが、その目は爛々と輝いていた。

 

「……あいつら、本当に体力が底なしだな」

 

思わず呟くと、近くで素振りをしていた倉持先輩が「ヒャハハ!」と笑った。彼はバットを置くと、オレの肩に自分の汗だくの腕を回してきた。

 

「当たり前だろ。あいつら、野球のことしか頭にねえんだよ。お前もだろ? ……おい、ちょっと付き合え。あいつらのピッチング、間近で見ておけ。お前の打撃の参考になるかもしれねえぞ」

 

倉持先輩に促されるまま、そのままブルペンへと足を踏み入れた。

 

「おい、御幸! ちょっと綾小路と勝負させてやってくれよ。こいつのバッティング、一度見てみてえんだ」

 

倉持の唐突な提案に、御幸はマスクをずらして怪訝そうな顔をした。

 

「今はコントロールの確認中なんだよ、こいつ相手にあの2人が変な所投げない保証は無いぜ」

 

「いいだろ、少しぐらい。それに結局投手だろうが野手だろうがバッティン練習はするんだ、ここで降谷や沢村とやり合わせるのも面白いだろ?」

 

沢村栄純が、その言葉を聞き逃すはずがなかった。

 

マウンド上で仁王立ちし、ボールを握りしめてこちらを睨みつけてくる。

 

「なんだとぉ!? 綾小路、そんなに俺の球を打ってみたいのか! よーし、望み通りだ! 叩き潰してやるから覚悟しやがれ!」

 

「言ってない……」

 

沢村が息巻く横で、降谷は無言のまま、ただじっとオレの打席入りの所作を待っている。

 

その瞳は獲物を狙う獣のように冷たい。

 

「……やりましょう。御幸先輩、構えてください」

 

御幸は肩をすくめ、仕方なさそうにミットを構えた。

 

「……おい、お前ら。怪我すんなよ。綾小路、お前が打席に立つんだ。沢村の癖球、まともに食らったら手首いくぞ」

 

「オレはやるとはひと言も言ってないんですけどね……」

 

オレはバットを手に持ち、打席へ入る。

 

「お前もやる気じゃねぇか」

 

オレは御幸先輩の言葉を無視し、18.44m先にいる沢村に意識を集中する

 

沢村の投げ下ろす角度、プレートの位置、そして彼の独特の「間」。

 

沢村栄純の投球は、物理法則を逆手に取ったような軌道を描く。

 

リリースポイントが打者からは見えにくく、ボールが体の中から出てくるように感じるのだ。

 

「食らええええ!」

 

沢村の掛け声とともに、ボールが放たれる。

 

――速い。いや、空中で微妙に蛇行している。

 

(内角へのシュート回転……いや、これはリリースでの指の引っ掛けによる意図的な軌道か)

 

脳内で弾道計算が一瞬で完了する。

 

オレは踏み込む足をわずかに外側へずらし、バットの軌道を修正する。物理的なスイングではない。

 

ボールの回転と空気抵抗、そして沢村の腕の振りの「余り」を利用した、合わせに行くスイング。

 

 

カィンッ!

 

 

バットの芯がボールの側面を捉え、鋭い打球がブルペンのネットに突き刺さる。

 

沢村が「ああっ!?」と声を上げてマウンドでよろめいた。

 

「センター前だな」

 

「嘘だろ……今のは消えるような変化をしたはずなのに……!」

 

「指先、リリースでわずかに左側に力が残っている。もう少し右手の親指を意識すれば、軌道はもっと安定するぞ」

 

オレの指摘に、沢村はポカンと口を開けた。

 

「……お前、打ったあとにアドバイスしてくんなよ! 逆に悔しいだろが!」

 

倉持が隣で大笑いしている。

 

「ヒャハハ! 沢村、完敗じゃねえか! 次は降谷だぞ、気合入れろ!」

 

入れ替わりで、降谷暁が静かにマウンドに立つ。

 

彼が立つだけで、ブルペンの空気が一気に重くなる。

 

沢村のような陽の熱さではなく、氷のような冷徹な圧。

 

「……綾小路。抑える…負けない」

 

降谷の言葉。それは彼なりの敬意であり、挑戦だった。

 

オレは深く呼吸する。

 

降谷の直球は重い。

 

まともに打ち返せば、バットが折れるか、手の平の骨が鳴る。

 

だが、ここでの「遊び」は、彼の剛速球を力で押し返すことではない。

 

降谷が振りかぶる。

 

最大出力のストレートが、視界を塗りつぶすように迫ってくる。

 

(物理的な衝突の瞬間、バットの芯をほんの数ミリずらす。力で打ち返すのではなく、彼の剛速球が持つ圧倒的な運動エネルギーを、そのままバットの反発力に乗せて押し返す。)

 

バットを握る指先に力を集中させる。衝撃を殺すのでは無く反発させる、ボールの回転をそのまま弾き返す。

 

金属音が、先ほどとは違う低い響きを伴ってブルペンを揺らした。

 

打球はブルペンの端にある柱をかすめ、グラウンドへと突き抜けていく。

 

降谷は、その打球の行方を追いもせず、ただじっと自分の手を見つめていた。

 

「……すごい」

 

御幸がマスクを外し、呆れ果てたような笑みを浮かべる。

 

「……お前ら、見てて面白いよ。2人とも良いボールだった。綾小路、お前はどこの星から来たんだよ」

 

沢村が「次は変化球だ! 絶対に打たせない!」と再び騒ぎ出し、倉持は「おいおい、もう練習時間終わりだぞ!」と止める。

 

ブルペンの騒がしさの中で、オレは自分のバットの手触りを確認していた。

 

沢村の熱、降谷の冷気。それらが、オレの「理屈」の中に混ざり込み、全く新しい打撃の感覚を作り上げている。

 

「……面白いですね。また、付き合ってください」

 

そう言ったオレの表情に、かすかな熱が宿っていたことを、まだ誰も気づいていなかった。

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございます!!

やっとお兄さんを出せた……

次の話でどこまで飛ばすが、内容はどうするか、毎回悩んでます
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