朝。
金田君が、ワタシの机の前に立っていた。
いつも通りの顔。
いつも通りの制服。
いつも通り、ぼんやりしているようで、実は全部見ている目。
そして、その手に。
黒い封筒。
深紅の封蝋。
薔薇の刻印。
無駄に良い香り。
ワタシは、それを見た瞬間、眉間に力が入った。
「……は?」
金田君は封筒を差し出す。
「ダリアから」
「は??」
「妃花に渡してって」
「は???」
朝の教室が、静かになった。
佐伯さんが前の席から振り向く。
「妃花ちゃん、朝から三段ギレだ」
「キレてないわ」
「三段階目まで行ったよ」
「確認よ」
「確認で机が鳴るの怖い」
ワタシは机から手を離した。
まだ壊していない。
偉い。
非常に偉い。
それにしても。
金田君に渡させる?
あの女。
自分で渡さず、金田君に?
しかも朝の教室で?
挑発としてはかなり上等。
いや、下品。
でも効果的。
腹立つ。
「金田君」
「うん」
「あなた、なぜ素直に受け取ったの」
「妃花に渡してって言われたから」
「中身は?」
「知らない」
「聞かなかったの?」
「挑戦状って言ってた」
「知ってるじゃない!」
「中身は知らない」
「そういうところよ!」
ワタシは封筒を受け取った。
指先に力が入る。
封蝋が粉砕されそうになった。
危ない。
ここで封筒を破壊したら、あの女の思う壺である。
ワタシは深呼吸した。
黒い封筒。
深紅の封蝋。
薔薇の刻印。
こんなものを送りつけてくる女など、ひとりしかいない。
ダリア。
父の親戚の子。
要は、向こう側の貴族の娘。
背が高い。
顔が良い。
姿勢が良い。
声が良い。
胸も尻もそこそこある。
いや、そこはどうでもいい。
どうでもいいが、本人が自分の見え方を熟知しているのが腹立つ。
下品ではない。
清楚でもない。
「わたくし、自分が強いことを知っていますけれど?」みたいな立ち方をしてくる。
腹立つ。
そして性格が悪い。
マウントが好き。
レスバが好き。
相手の急所を見抜き、爪の先でちょんと突くのが好き。
こちらが怒ると「怒ったの? 可愛い」とか言う。
殺す。
いや、殺さない。
現代日本なので。
しかも、あの女は仮想アイドルをやっている。
ダリア・ノーブルローズ。
画面の向こうの弱った男たちに「あなたはわたくしの騎士様よ」と囁き、財布を開かせる女。
本人いわく、巻き上げてはいない。
「騎士様が自発的に薔薇へ水をやっているだけ」らしい。
最低である。
そんな女が、金田君に仮想アイドルの立ち上げを手伝ってもらっている。
配信機材。
音声設定。
初回配信の台本。
荒れたコメント欄への対応。
そして、誰も見てくれなかったらどうしよう、選ばれなかったらどうしよう、という、あの女が絶対に表へ出さない弱いところ。
金田君は、それを知っている。
だからダリアにとって金田君は、天敵であり、恩人である。
その結果。
あの女は、金田君の愛人を希望している。
は?
まあ、愛人ぐらいなら、ちゃんと説明と管理をするなら、倦怠期の夫婦関係維持のために検討するくらいの度量はワタシにもある。
ない。
よくない。
殺す。
あの女は、平気で言うのだ。
金田様は恩人大好き。
でも天敵。
いつかわからせて、彼女にしてくださいって懇願させた後、わたくしを愛人にして、わたくしのヒモになってもらうんだから。
頭がおかしいんじゃないの。
いや、おかしい。
封を切った。
中の紙には、無駄に美しい字でこう書かれていた。
『親愛なる正妻候補、妃花へ。
そろそろ、わたくしたちの格付けを明確にする時が来たと思わなくて?
今週末、本家にて三番勝負を申し込みます。
一、淑女の所作。
二、論戦。
三、金田様にふさわしい女としての総合力。
逃げてもよろしくてよ。
その場合は、金田様に「妃花は挑戦から逃げた」とだけ報告します。
追伸。
会場はすでに押さえました。
観客席も用意済みです。
金田様には、立会人としてご同席いただきます。
ダリア・ノーブルローズ』
ワタシは手紙を閉じた。
机が、みし、と鳴った。
「妃花ちゃん、机」
佐伯さんが言う。
「わかっているわ」
「受けるの?」
「当然でしょう」
ワタシは眼鏡を押し上げた。
「ライバルからの挑戦状よ。受けない理由がないわ」
「でもこれ、競技内容がダリアちゃん有利じゃない?」
「ええ」
「わかってて受けるんだ」
「ええ」
「なんで?」
「ムカつくから」
「強い」
淑女の所作。
あの女は見せ方が上手い。
論戦。
あの女はレスバの化身。
総合力。
範囲が広すぎる。
絶対に自分有利の罠を仕込んでいる。
でも、受ける。
なぜなら、ムカつくから。
そして、ダリアが金田君を使って挑戦状を渡してきたから。
ここで引くなど、ありえない。
「金田君」
「うん」
「あなたは立会人なのね」
「たぶん」
「たぶんでは困るわ」
「ダリアがそう言ってた」
「あなたは?」
「妃花が嫌なら断る」
「……」
やめなさい。
そういう、こちらの意思を最初に置く態度。
腹立つ。
でも嫌いではない。
かなり腹立つ。
「断らなくていいわ」
「うん」
「公平にしなさい」
「うん」
「でも応援はしなさい」
「公平?」
「内心で」
「わかった」
金田君は少し考えた。
「頑張って」
「……」
「妃花ならできる」
「っ」
朝から刺すな。
これから戦争なのよ。
ワタシの心拍を上げるな。
いや、士気は上がった。
かなり上がった。
「よろしい」
ワタシは咳払いした。
「勝ってくるわ」
「うん」
「ただし、ダリアがあなたを賞品扱いした場合、その場で競技を中止して処します」
「処す」
「処す」
「壊さないで」
「努力するわ」
金田君はワタシの手を見た。
「手、赤くない?」
「赤くない」
「よかった」
「朝からそういうところ!」
「何が?」
「もういいわ!」
*
週末。
本家。
門をくぐった時点で、佐伯さんが小さく「うわ」と声を漏らした。
山岸君は口を開けていた。
無理もない。
本家は、でかい。
ただ大きいだけではない。
門。
庭。
長い石畳。
池。
離れ。
古い蔵。
季節の花。
手入れされた松。
歩いているだけで、歴史と金と圧を浴びる。
「妃花ちゃんの本家、規模おかしくない?」
山岸君が小声で言った。
「おかしくないわ」
「門から玄関までが長い」
「歩きなさい」
「庭で迷子になるタイプの家じゃん」
「迷子になったら人を呼びなさい」
「普通の家で出ない返答」
佐伯さんと山岸君たちは、観客として招かれていた。
誰が招いたのか。
ダリアである。
勝手に観客席まで用意したらしい。
最悪。
いや、本家側が許可した以上、祖母も面白がっている。
もっと最悪。
金田君は、ワタシの隣を歩いていた。
落ち着いた顔。
ただ、少しだけ背筋がいつもより伸びている。
本家では、金田君は妙に礼儀正しい。
祖母の前でも、父母の前でも、ちゃんと頭を下げる。
そのせいで、本家からの好感度が異常に高い。
祖母など、金田君を見る時の目が、ほとんど「番を見る長老」である。
やめてほしい。
いや、わかるけど。
かなりわかるけど。
正直、高校卒業と同時に籍を入れても好きにしてくれて構わないくらい、金田君への評価は高い。
ワタシの心を救い続けているから。
五歳の契約。
雨の日の山。
本家へ帰った時の、軒下の土下座。
全部、本家は知っている。
だから今日も、金田君への扱いがやたら丁重だ。
腹立つ。
嬉しい。
複雑。
案内されたのは、広い座敷だった。
畳の間。
奥に床の間。
襖を開け放てば庭が見える。
そこに、長机と座布団。
観客席。
審判席のような場所。
紅茶セット。
和菓子。
洋菓子。
議論用の小さなベル。
そして中央に、ダリア。
深紅のリボン。
黒のワンピース。
姿勢よし。
顔よし。
腹立つ。
「ご機嫌よう、妃花」
「ご機嫌よう、ダリア」
「逃げずに来たのね」
「あなたこそ、他人の本家を勝負会場にするとは良い度胸ね」
「あら。ご当主様には許可をいただいたわ」
「祖母が?」
「ええ。『若い方が競うのはよろしいことです』と」
「お祖母様まで……」
やはり面白がっている。
祖母は、座敷の上座で静かにお茶を飲んでいた。
目元だけが笑っている。
父と母もいる。
父は少し心配そう。
母はかなり楽しそう。
セバスチャンはなぜか庭側に控えている。
なぜ日本にいるの。
いや、冬でも夏でもないのに。
このために来たの?
本家、暇なの?
「金田様」
ダリアが金田君を見る。
「本日は立会人、よろしくお願いいたします」
「うん」
「公平に」
「うん」
「ただし、わたくしが勝った時は、素直に称えてくださってよくてよ」
「勝ったらね」
「……そういうところよ」
ダリアが少し目を細めた。
効いている。
金田君の平常運転が、ダリアには効く。
「金田君」
ワタシは低く言った。
「立会人として、中立を守りなさい」
「うん」
「でも、ワタシの手が赤くなったら言いなさい」
「うん」
「机が壊れそうになったら止めなさい」
「うん」
「ダリアが愛人とかヒモとか言い始めたら、即座に却下しなさい」
「うん」
「よろしい」
ダリアが扇子を開いた。
「まあ。競技前から管理が多いこと」
「あなたの余罪が多いのよ」
「まだ何もしていないわ」
「顔がしているわ」
「顔で裁かないでくださる?」
「あなたの顔は常に前科があるのよ」
佐伯さんが小声で言った。
「始まる前から本戦みたい」
山岸君が頷いた。
「レベル高い」
*
第一戦。
淑女の所作。
紅茶を淹れ、菓子を取り分け、立ち居振る舞いを見る。
会場は本家の座敷。
規模がでかい。
空気が重い。
観客は同級生だけでなく、父、母、祖母、セバスチャンまでいる。
何これ。
婚礼前の儀式?
違う。
中学生のライバル勝負。
冷静に考えると意味がわからない。
ダリアが先に立った。
美しい。
認めたくないが、美しい。
背が高いから動きが映える。
指先が綺麗。
扇子の扱いも、カップの持ち方も、視線の流し方も、全部計算されている。
仮想アイドルとして画面の中で戦っている女だ。
見られ方の管理が尋常ではない。
ダリアは紅茶を淹れ、金田君の前にカップを置いた。
「金田様。どうぞ」
金田君は少し困った顔をした。
「俺、採点しない」
「味見くらいはよろしいでしょう?」
「それなら」
金田君が飲む。
「おいしい」
ダリアの目元が、ほんの少し緩んだ。
殺す。
いや、殺さない。
本家の座敷。
祖母の前。
父母の前。
セバスチャンの前。
殺さない。
ワタシは深呼吸した。
「次は妃花」
「ええ」
ワタシは立ち上がった。
ダリアほど舞台映えはしない。
それは認める。
でも、ワタシにはワタシのやり方がある。
金田君の好み。
父に教わった紅茶。
蒸らしは前より十秒長く。
ミルクは少し。
菓子があるから砂糖はなし。
ワタシは紅茶を淹れ、金田君の前に置いた。
「飲みなさい」
「うん」
「味見よ」
「うん」
金田君が一口飲んだ。
少しだけ、目元が緩んだ。
「妃花の味」
「っ」
座敷の空気が止まった。
ワタシの手が震えた。
危ない。
カップを割るところだった。
「金田君」
「うん」
「今のは、どういう意味」
「妃花が淹れる時の味」
「説明になっていないわ」
「ミルク少し。砂糖なし。蒸らしはこの前より十秒長い」
「……」
「覚えてた」
「……よろしい」
やめなさい。
本家の座敷で刺すな。
父が嬉しそうにしている。
母が口元を押さえている。
祖母が目を細めている。
セバスチャンはなぜか静かに頷いた。
何に頷いたの。
ダリアが扇子の向こうで固まっている。
効いている。
ざまあみなさい。
いや、ワタシにも効いている。
これは痛み分けでは?
「第一戦」
金田君は少し考えた。
「所作はダリア。味は妃花」
「採点しないと言ったでしょう!」
「確認」
「それを採点と言うのよ!」
ダリアが扇子を閉じた。
「まあ、いいわ。第一戦は引き分けで手を打ってあげる」
「こちらの台詞よ」
第一戦。
引き分け。
ただし、精神的には双方軽傷。
*
第二戦。
論戦。
テーマは、ダリアが用意していた。
『金田様にとって必要なのは、献身か、刺激か』
ワタシは紙を見た瞬間、眉を寄せた。
「ダリア」
「なあに」
「テーマが悪意に満ちているわ」
「現実的でしょう?」
「自分を刺激側に置く気ね」
「当然」
ダリアは微笑んだ。
「妃花。あなたは金田様にとって、あまりにも日常になりすぎているわ」
「……」
「幼馴染。契約。ココア。卵焼き。反省会。靴を出す時の報告義務」
「必要事項よ」
「ええ。でも愛とは管理表ではないの」
「挑戦状を出して競技内容を仕組んだ女が何を言っているの」
「それはそれ。これはこれ」
「最低ね」
「褒め言葉」
「診断」
ダリアは強い。
レスバでは、正直ワタシより上だ。
こちらの言葉尻を取り、論点をずらし、観客を味方につけ、こちらが怒ると「怒ったの?」で追撃してくる。
最低である。
だが強い。
「わたくしの主張」
ダリアは立ち上がった。
「金田様には刺激が必要よ。妃花、あなたは強い。優秀。可愛い。認めましょう」
「認められなくても事実よ」
「そういうところよ」
「何が」
「あなたは、自分の強さに慣れすぎている。金田様がいつも隣にいてくれることにも、慣れすぎている」
「……」
「だから、外から揺さぶる存在が必要なの。金田様の世界を広げ、別の顔を引き出す存在が」
ダリアは扇子を胸に当てた。
「つまり、わたくし」
「愛人は却下済みよ」
「今日は言っていないわ」
「言いそうな顔をしていたわ」
「顔で裁くのは野蛮よ」
「あなたの顔はいつも余罪があるもの」
ダリアは楽しそうに笑う。
「妃花。あなたは金田様を大事にしている。でも、時々彼を自分の契約の中に閉じ込めようとする」
「閉じ込めていないわ」
「本当に? 報告義務。反省会。許可制。申請書。お父様と遊ぶ時も同席必須」
「うっ」
「ほら、刺さった」
「刺さっていないわ」
「声が刺さっているわ」
佐伯さんが小声で「ダリアちゃん強い」と言った。
黙りなさい。
でも、強い。
痛いところを突いてくる。
ワタシは金田君を縛りたいわけではない。
でも、知らないところで笑われると気になる。
ダリアが金田君に泣きどころを知られているのも嫌。
父が金田君と遊ぶのも少し嫌。
そのたびに契約を更新して、報告を求めて、同席を求める。
それは本当に金田君のため?
ダリアは、それを突いてくる。
腹立つ。
しかし、的外れではない。
「反論をどうぞ、妃花」
ダリアが笑った。
余裕の顔。
腹立つ。
ワタシは立ち上がった。
「ワタシの主張」
思ったより、声は落ち着いていた。
「金田君に必要なのは、刺激ではありません」
「へえ」
「日常です」
ダリアの眉が少し動いた。
「刺激は、派手で、楽しくて、強い。あなたみたいに」
「褒めているの?」
「半分くらい」
「素直ね」
「でも、刺激は毎日では疲れるわ」
ワタシは金田君を見た。
金田君は黙って聞いている。
「金田君は、よく見ている人です。人が困らないように先回りする。だから、自分の疲れも後回しにする」
「……」
「そういう人に必要なのは、派手な刺激より、帰ってこられる日常です」
言いながら、胸の奥が少し痛んだ。
日常。
ワタシが金田君の日常。
それは嬉しい。
でも、重い。
「ココア。卵焼き。反省会。靴を出す時の報告。そういう馬鹿みたいに細かいものの中に、金田君が帰ってくる場所がある」
「契約で縛っているだけではなくて?」
「縛らないと不安になる時もあるわ」
ダリアが黙った。
ワタシは続ける。
「でも、それを綺麗な言葉で誤魔化す気はない。ワタシは嫉妬深い。面倒くさい。怒る。壊す。管理したくなる」
金田君の方を見ない。
見たらたぶん、少し泣きそうになる。
「でも、金田君が困ったら助ける。疲れたら休ませる。ワタシの知らないところで笑うなら、腹は立つけど、ちゃんと笑って帰ってきなさいと言う」
契約五番。
金田君が困った時は、妃花ちゃんも助ける。
「だから、必要なのは献身ではないわ」
「では何?」
「相互管理」
「言い方」
「相互介護」
「重いわ」
「相互帰宅」
「急に詩的ね」
「うるさいわね。言葉を探しているのよ」
ダリアが少し笑った。
その笑い方は、いつもの煽りとは少し違った。
「つまり」
ワタシは少し息を吸った。
「金田君が帰ってくる場所を、ワタシは守る。ワタシが壊しそうになったら、金田君が止める。どちらかが一方的に尽くすのではなく、二人で面倒を見る。それがワタシたちの日常よ」
座敷が静かになった。
山岸君が「おお……」と呟いた。
佐伯さんが口元を押さえている。
父が目を細める。
母が微笑む。
祖母は静かにお茶を飲んでいる。
金田君は、黙っている。
ダリアは、扇子で口元を隠したままワタシを見ていた。
「……やるじゃない、妃花」
「あなたに言われる筋合いはないわ」
「でも、論点整理は甘いわね」
「でしょうね」
「最後の相互帰宅って何?」
「うるさいと言っているでしょう」
「でも嫌いではないわ」
「あなたに好かれたくないわ」
「そういうところ、本当に好きよ」
「殺す」
第二戦。
論戦技術では、ダリアが上。
それは認めざるを得ない。
「第二戦は、ダリアね」
ワタシは言った。
ダリアが少し目を開く。
「あら、認めるの?」
「レスバであなたが強いのは事実よ」
「……素直だと気持ち悪いわ」
「失礼ね」
「でも、あなたの言葉は悪くなかった」
「そう」
「腹立つくらいには」
「それはこちらの台詞よ」
第二戦。
勝者、ダリア。
ただし、精神的には双方中破。
*
第三戦。
『金田様にふさわしい女としての総合力』
この時点で、ワタシは嫌な予感がしていた。
総合力。
範囲が広すぎる。
そしてダリアがそんな曖昧な競技を用意する時は、大体、自分が有利になるように仕組んでいる。
「第三戦は、公開プレゼンです」
「プレゼン?」
「テーマは『金田様の未来をどう支えるか』」
「……」
「制限時間三分。資料使用可。観客投票あり」
「資料使用可?」
ダリアはにっこり笑った。
嫌な笑顔。
「わたくし、用意してきたの」
使用人が、襖の向こうから大きなスクリーンを運んできた。
は?
プロジェクターもある。
スピーカーもある。
照明まで調整されている。
は?
「ダリア」
「なあに」
「本家で何をやっているの」
「許可は取ったわ」
「お祖母様!」
祖母は静かに言った。
「若い方の工夫を見るのは楽しいものです」
「楽しいものです、ではありません!」
ダリアはタブレットを操作した。
スクリーンに綺麗なスライドが映る。
タイトル。
『金田様 支援計画』
小さく、その下に。
『旧題:金田様ヒモ化計画』
「ダリア」
「旧題よ」
「旧題でもアウトよ」
「現在は支援計画だから問題ないわ」
「問題しかないわ」
完全に自分の土俵だった。
この女は仮想アイドルである。
配信企画を立て、台本を作り、視聴者の感情を動かし、投げ銭へ誘導する女。
プレゼンが不得意なはずがない。
しかも本家の座敷にスクリーンまで持ち込んでいる。
規模がでかい。
やることもでかい。
性格は悪い。
だが、逃げない。
ムカつくから。
ダリアのプレゼンは、見事だった。
悔しいが、見事。
金田君の長所。
観察力。
丁寧さ。
人の困りごとを先回りできる性質。
手先の器用さ。
地味な作業を面倒がらずに続けられること。
それらを「生活支援能力」「裏方構築能力」として整理し、将来的にどんな進路や活動に向くかまで示していた。
「金田様は、人の生活を整える才能があるの」
ダリアは言った。
「妃花の隣だけで閉じるには惜しい。わたくしなら、その才能を広げるお手伝いができるわ」
「金田君を勝手に世間へ売り出さないで」
「売り出すのではないわ。輝かせるの」
「言い方」
「もちろん」
ダリアはにっこり笑う。
「正妻は妃花で構わないわ」
「構わないとは何よ」
「わたくしは公式ライバル兼事業パートナーとして、金田様の可能性を広げる」
拍手が起きた。
佐伯さんまで拍手している。
山岸君も「普通にすげえ」と言っている。
父も感心している。
母も「準備が良いわね」と言っている。
セバスチャンまで「お見事でございます」とか言った。
腹立つ。
本当にすごい。
しかも、もっと腹立つことに。
ダリアは、ちゃんと金田君を見ていた。
ただ欲しがっているだけではない。
ただ横取りしたいだけではない。
金田君の良さを、別の角度から本気で考えている。
それが一番、腹立つ。
ワタシには資料などない。
スライドもない。
プレゼン構成もない。
でも、逃げない。
ワタシは前に立った。
「ワタシには、資料はありません」
ダリアが少し笑う。
「でしょうね」
「ええ。なぜなら、金田君の未来はプレゼン資料で囲うものではないからです」
「言うじゃない」
ワタシは金田君を見た。
金田君もワタシを見ていた。
「金田君は、確かに人の生活を整える才能があります。ワタシはそれを毎日見ています」
「うん」
「でも、それは金田君が自分を後回しにしやすいということでもあります」
金田君は、少しだけ目を伏せた。
「だからワタシは、金田君を世界に押し出すだけの支援はしません」
「では?」
「止めます」
座敷が静かになる。
「金田君が無理をしたら止める。謝って終わらせようとしたら怒る。人のために動きすぎたら休ませる。自分のことを言わないなら言わせる」
拳を握る。
壊さない。
今日は言葉で戦う。
「ワタシは、金田君の才能を勝手に世の中へ差し出したくありません」
ダリアの表情が少し変わった。
「金田君が望むなら、手伝います。怖いなら、横に立ちます。困るなら、ワタシが助けます」
契約五番。
金田君が困った時は、妃花ちゃんも助ける。
「金田君がすごい人になる必要はありません」
ワタシは言った。
「ワタシの隣で、ちゃんとご飯を食べて、寝て、笑って、たまにココアを淹れて、壊したものを一緒に直してくれればいい」
佐伯さんが泣きそうな顔をしている。
やめなさい。
そういう顔をされると困る。
「でも、もし金田君が何かをやりたいなら」
ワタシは金田君をまっすぐ見た。
「ワタシは全力で支えます。物理的にも。精神的にも。必要なら、敵も家具も障害物もどかします」
「家具」
山岸君が呟いた。
「黙りなさい」
ワタシは続けた。
「これがワタシの総合力です。以上」
短い。
構成は甘い。
資料もない。
ダリアの方が、ずっと綺麗で、強い。
でも、ワタシの言葉だった。
ダリアは黙っていた。
扇子も広げていない。
少しして、彼女は息を吐いた。
「……本当に、あなたって」
「何よ」
「重いわね」
「知っているわ」
「でも、悪くない」
「あなたに褒められると不安になるわ」
「褒めているのよ」
「なら、ありがとうと言っておくわ」
「気持ち悪い」
「あなたが褒めたんでしょう!」
第三戦。
観客投票に移るはずだった。
しかし、佐伯さんたちは投票用紙を持ったまま困っていた。
父も母も、祖母も、何も言わない。
当然である。
ダリアは戦略で殴った。
ワタシは感情で殴った。
どちらも種類が違う。
その時。
金田君が、静かに前へ出た。
「金田君?」
「金田様?」
金田君は、ワタシとダリアの間に立った。
手には、見覚えのある茶色い封筒。
え。
何それ。
「二人とも」
「何よ」
「なあに」
「これ」
金田君は、二枚の封筒を差し出した。
一枚はワタシへ。
一枚はダリアへ。
「……どういうことよ」
「さぷらいず」
「は?」
ダリアが、扇子の向こうで固まった。
「さぷらいず?」
「うん」
「金田様?」
「うん」
「これは、第三戦の演出ではなくて?」
「違う」
金田君は、淡々と言った。
「ダリアの挑戦状、ちょうどよかったから」
「ちょうどよかった?」
「親族、集まると思って」
座敷が静かになった。
父が目を瞬かせる。
母が口元に手を当てる。
祖母が、ほんの少しだけ目を細める。
セバスチャンが、静かに一礼した。
待って。
なぜセバスチャンが事情を知っていそうな顔をしているの。
「金田君」
「うん」
「あなた、何をしたの」
「少し」
「少し?」
「頼んだ」
「誰に」
金田君は、順番に見た。
祖母。
父。
母。
セバスチャン。
そして、ダリアの方の親族席。
そこにも、見覚えのある向こう側の親戚が何人かいる。
え。
何。
本当に何。
「……金田君」
「うん」
「説明」
「長くなる」
「短くしなさい」
「作った」
「何を」
「記録」
「記録?」
ワタシは封筒を見た。
開ける。
中には、厚めのカード。
それから、小さな冊子。
表紙には、押し花のようなものが挟まれていた。
朱色に近い、小さな花。
乾いている。
古い。
でも、丁寧に保存されている。
ワタシは息を止めた。
その花を、知っている。
小学生の頃。
熱で寝込んでいた金田君に見せてあげたくて、ワタシが一人で遠出した花。
山で滑落して、雨の中動けなくなった時。
金田君が迎えに来て、何も言わずにワタシを背負って下山した。
あの日の花。
「……金田君」
「うん」
「これ」
「押し花」
「見ればわかるわ」
「妃花のお母さんが持ってた」
母を見る。
母は静かに微笑んだ。
「あなたが持って帰ってきた花よ。濡れていたけれど、少しだけ残しておいたの」
「……」
「金田君に聞かれて、渡したわ」
「お母様」
声が震えた。
ワタシは冊子を開く。
中には、写真と短い文章。
五歳の契約書。
積み木の城を壊した日のこと。
猫の絆創膏。
ココアは牛乳多め。
マシュマロ三個。
山の花。
本家の軒下。
金田君が土下座した日。
ワタシが御曹司をマッハビンタした後、金田君の元へ戻った日。
そして、最近の契約更新。
おうちデート。
ナンパ遭遇。
看病。
ウイスキーボンボン事件。
父の試練という名の遊び。
全部が、短く記録されている。
ところどころに、父や母、祖母の一言。
金田君のお母様の一言まである。
字は、金田君の字。
いつもの、少し不器用で、丁寧な字。
ワタシは、言葉が出なかった。
ダリアの方を見る。
ダリアも、冊子を開いて固まっていた。
あちらの表紙には、深紅の薔薇の押し花。
いや、薔薇ではない。
ダリアが初配信の時、背景に使った花のモチーフ。
その横に、小さなメモ。
『初配信、来場者十二人。コメント三人。途中でマイク音量修正。泣かなかった。終わってから泣いた』
ダリアの顔から、血の気が引いた。
それから、赤くなった。
「金田様」
「うん」
「これは」
「記録」
「なぜ、これを」
「残した方がいいと思って」
「誰が」
「二人」
金田君は、いつもの声で言った。
「妃花も、ダリアも」
「……」
「自分の弱いところ、なかったことにしそうだから」
ダリアの扇子が、ぱたんと閉じた。
ワタシは、手元の冊子を握りしめそうになった。
いけない。
壊す。
壊してはいけない。
「金田君」
「うん」
「あなた、これを勝手に計画したの」
「うん」
「親族を巻き込んで?」
「うん」
「お祖母様も?」
「うん」
「お父様もお母様も?」
「うん」
「セバスチャンも?」
「うん」
「ダリアの親族も?」
「少し」
「少し!?」
金田君は、悪びれずに頷いた。
いや、悪びれていないというより、そもそも悪いと思っていない顔。
こういう顔の時が一番危険である。
自分がめちゃくちゃなことをした自覚が薄い。
「ダリアの挑戦状」
金田君は言った。
「人が集まるから」
「だから?」
「ちょうどいい舞台だなって」
「ちょうどいい舞台だなって!?」
ワタシとダリアの声が重なった。
最悪。
いや、今はそれどころではない。
「金田様」
ダリアが震える声で言った。
「あなた、わたくしの挑戦状を、サプライズ会場の招集通知として利用したの?」
「うん」
「うんじゃないわ!」
「ダリアなら、人を集めると思った」
「わたくしの性格を利用したわね!?」
「うん」
「うんじゃありません!」
ダリアが本気で怒っている。
でも顔は赤い。
目も少し潤んでいる。
怒り。
ぶち切れ。
恥ずかしさ。
嬉しさ。
全部混ざっている。
わかる。
非常にわかる。
ワタシも同じだから。
「金田君」
ワタシは低い声で言った。
「これは、どういうことよ」
「さぷらいず」
「は?」
「やだった?」
「そういうことじゃないでしょうが!!!!」
「そういうことじゃありません!!!!」
ダリアとまた声が重なった。
もう嫌。
金田君は少し困った顔をした。
「ごめん」
「あやまるな!!!!!!!!!」
「あやまらないでください!!!!!!」
また重なった。
最悪。
でも、怒鳴らずにはいられなかった。
謝られると終わる。
謝られると、こちらが泣きそうになる。
違う。
怒っている。
かなり怒っている。
勝手に計画して。
勝手に親族を巻き込んで。
ダリアの挑戦状を舞台扱いして。
ワタシの過去を、金田君の字で、こんなふうに残して。
は?
は??
は???
好き。
いや違う。
怒り。
嬉しい。
ぶち切れ。
大好き。
頭がめちゃくちゃになる。
ワタシは冊子を開いたまま、震えた。
そこには、五歳の契約書の写しがあった。
一、金田君は、妃花ちゃんを置いていかない。
二、妃花ちゃんが怒ったら、逃げてもいいけど、あとで戻ってくる。
三、妃花ちゃんが悪い時は、妃花ちゃんが悪いって言う。
四、でも、妃花ちゃんがひとりで悪いみたいにしない。
五、金田君が困った時は、妃花ちゃんも助ける。
六、金田君は、ほかの女の子と結婚しない。
七、妃花ちゃんも、ほかの男の子と結婚しない。
八、ココアは牛乳多め。
九、猫の絆創膏を切らさない。
十、金田君は、妃花ちゃんがこわくても、こわいって言っていい。でも、いなくならない。
その下に、金田君の字。
『まだ有効』
ワタシは、息を吸った。
吸えなかった。
だめ。
これはだめ。
反則。
古すぎる契約書を、今さらこうして出すな。
しかも、本家で。
みんなの前で。
金田君は、言葉を尽くすタイプではない。
好きだの愛だのを、こってり語る男ではない。
むしろ逆。
大好きなら態度で示そうよ、みたいな顔をしているくせに、口で言えという男。
普段は、ココアを淹れる。
猫のタオルケットを持ってくる。
手が赤くないか見る。
リボンのほつれを縫う。
謝りすぎてワタシを怒らせる。
そういう男。
でも、ごくまれに。
こういう、意味のわからない規模で、こちらの心臓を握りつぶすことを思いつく。
最悪。
ダリアは、自分の冊子を開いたまま震えていた。
「……初配信の」
小さく呟く。
「覚えていたの」
金田君は頷いた。
「うん」
「わたくしが、誰も来なかったらどうしようって言ったことも」
「うん」
「コメント三人で、でも嬉しくて、終わってから泣いたことも」
「うん」
「……消しなさい」
「やだ」
「金田様!?」
「消したら、なかったことになる」
「っ」
ダリアが黙った。
金田君は、短く続けた。
「頑張ったから」
「……」
「残した」
終わり。
それだけ。
たったそれだけ。
でも、ダリアには十分すぎた。
彼女は扇子で顔を隠した。
耳が真っ赤。
手が震えている。
マウントの女王。
レスバの薔薇。
仮想アイドル。
弱男から金を巻き上げる女。
その全部の奥にある、誰も見てくれなかったらどうしようと泣いた女の子。
金田君は、そこを丁寧に拾い上げた。
殺す。
いや、ワタシが死ぬ。
「妃花」
金田君が、今度はこちらを見た。
「何よ」
「それ」
「……これ?」
「うん」
「花」
「うん」
「どうして今」
「本家だから」
「……」
「妃花の家族、いるから」
「……」
「見せていいと思った」
「誰が」
「俺が」
「あなたが決めたの?」
「うん」
「ワタシに相談なく?」
「うん」
「どうして」
金田君は、少しだけ考えた。
長い説明はしない。
いつも通り。
短い。
「妃花、怒ると思った」
「ええ」
「でも、嬉しいとも思った」
「っ」
「違った?」
ワタシは言葉に詰まった。
違わない。
悔しい。
腹立つ。
怒っている。
でも、嬉しい。
ものすごく。
あの花を覚えていてくれたこと。
母が残してくれていたこと。
金田君が、それを探して、冊子にして、契約書と一緒に残したこと。
そして、ワタシの家族の前で出したこと。
ワタシは、壊すだけの女ではない。
山で失敗した子でもない。
金田君に花を見せたかった子だった。
そのことを、金田君が本家のみんなの前で、何も言わずに差し出してきた。
大好きなら態度で示そうよ。
口で言え。
でも、これは。
これは無理。
「……金田君」
「うん」
「あなた」
「うん」
「ほんとうに、そういうところよ」
「ごめん」
「あやまるな!」
「うん」
「謝るなって言ってるでしょう!」
「うん」
「でも謝るべきところではある!」
「ごめん」
「あやまるな!!」
父が、横で目元を拭いていた。
母も微笑んでいるが、目が少し潤んでいる。
祖母は静かに冊子を見ていた。
「金田さん」
祖母が言った。
「はい」
「よく残してくださいました」
「……はい」
「妃花」
「……はい」
「これは、あなたが壊したものではなく、守ろうとしたものの記録です」
「……」
「大切になさい」
「……はい」
やめて。
祖母まで。
これ以上は本当に無理。
ワタシは冊子を閉じた。
壊さないように。
丁寧に。
丁寧に閉じた。
ダリアも、同じように冊子を閉じていた。
顔は赤い。
怒っている。
たぶん泣きそう。
でも泣かない。
この女はそういう女だ。
「金田様」
ダリアが低い声で言った。
「うん」
「この勝負は、あなたが仕組んだのではありませんわね?」
「違う」
「でも、利用したのね?」
「うん」
「わたくしの挑戦状を?」
「うん」
「わたくしの性格を?」
「うん」
「妃花の本家の規模を?」
「うん」
「親族を?」
「うん」
「……あなた、本当に恐ろしい方ね」
「そう?」
「そうです!」
ダリアは立ち上がった。
「わたくし、怒っています」
「うん」
「非常に怒っています」
「うん」
「でも」
そこで詰まった。
ダリアが言葉に詰まるのは珍しい。
「……嬉しいわ」
小さく。
でも、確かに言った。
ワタシは、少しだけ目を見開いた。
ダリアはすぐに扇子で顔を隠した。
「勘違いしないでくださいまし。これは勝者への称賛ではありません。恩人への一時的な評価です」
「うん」
「あと、天敵への警戒でもあります」
「うん」
「いつかわからせます」
「ヒモにはならない」
「わかっているわよ!」
金田君は頷いた。
いつも通り。
そこがまた腹立つ。
「妃花」
金田君がワタシを見る。
「何よ」
「やだった?」
「……」
やだった?
やだったか。
勝手に計画された。
相談されなかった。
親族を巻き込まれた。
過去を出された。
泣きそうになった。
怒っている。
かなり怒っている。
でも。
「……嫌ではないわ」
「そっか」
「ただし」
「うん」
「そういうことじゃないでしょうが!!!!」
ワタシは叫んだ。
机は叩かない。
冊子も握り潰さない。
偉い。
「サプライズは事前に相談しなさい!」
「サプライズじゃなくなる」
「程度の問題よ!」
「うん」
「親族を巻き込む時はワタシに言いなさい!」
「うん」
「ダリアの挑戦状を舞台扱いするな!」
「でも、ちょうどよかった」
「ちょうどよかったじゃない!」
ダリアも叫ぶ。
「金田様! わたくしの挑戦状は、あなたの記念品贈呈式の招待状ではありません!」
「うん」
「うんじゃないです!」
「ごめん」
「あやまるな!!!!」
「あやまらないでください!!!!」
また重なった。
最悪。
山岸君がぽつりと言った。
「勝者、金田だな」
佐伯さんが頷いた。
「勝者、金田君だね」
ワタシとダリアは同時に振り返った。
「違うわよ!」
「違いますわ!」
山岸君が両手を上げる。
「いや、勝負を丸ごと使って二人にサプライズして、両方倒してるし」
佐伯さんが言う。
「しかも金田君、たぶん勝とうとしてないもんね」
「そこが一番悪いのよ!」
ワタシは叫んだ。
ダリアも頷いた。
「そうよ! 勝つ気でやったなら防御できますのに! この方、舞台装置の顔をして心臓を撃ち抜いてきますの!」
「ダリア、そこだけ同意するわ」
「不本意ながら同盟ね、妃花」
「今日だけよ」
「今日だけ」
金田君が少し困った顔をした。
「俺、何か悪かった?」
「悪い!」
「悪いですわ!」
「そっか」
「そっかじゃない!」
最終結果。
第一戦、引き分け。
第二戦、ダリア。
第三戦、判定不能。
追加競技、金田君による無断サプライズ。
勝者、金田君。
敗者、妃花とダリア。
理由。
勝負の舞台ごと利用して、態度と準備で両者の心臓を直接壊してきたから。
*
勝負の後。
本家の座敷では、なぜかお茶会が始まった。
祖母が「せっかくですから」と言ったからである。
せっかくですから、ではない。
ワタシとダリアは致命傷を負っている。
しかし本家の大人たちは、こういう時ほど逃がしてくれない。
父は金田君に紅茶の話をしている。
母は佐伯さんたちに菓子を勧めている。
祖母は静かに微笑んでいる。
セバスチャンはどこからか追加の茶器を出している。
規模がでかい。
お茶会ひとつが、でかい。
ワタシは座布団の上で、金田君の隣に座っていた。
ダリアは向かい。
冊子を膝の上に置いている。
扇子は閉じている。
でも顔はまだ赤い。
ワタシもたぶん赤い。
いや、座敷の空気が悪い。
違う。
「金田様」
ダリアが言った。
「うん」
「今後、サプライズを行う場合、せめて被害規模を事前に申告してください」
「被害」
「精神的被害です」
「妃花も?」
「被害甚大よ」
「そっか」
「そっかじゃありませんわ!」
ダリアが叫ぶ。
「あなた、なぜあんなものを用意できますの!? 普通、紅茶の味を覚えているくらいで止まるところでしょう!」
「そうなの?」
「そうよ!」
「そうですわ!」
また重なった。
もう嫌。
「金田君」
「うん」
「あなた、ワタシが喜ぶと思ってやったのね」
「うん」
「怒るとも思ったのね」
「うん」
「泣くとは?」
「少し」
「は?」
「でも、泣かないと思った」
「……」
「妃花だから」
ワタシは無言で金田君の袖を掴んだ。
力が入りそうになる。
抜く。
袖は悪くない。
金田君は、ワタシの手を見た。
「手」
「赤くない」
「よかった」
「追撃するな!」
「追撃?」
「そういうところよ!」
ダリアが深く頷いた。
「金田様、あなたは口数が少ないくせに、たまに準備の質量で殴ってくるのが最悪ですわ」
「準備の質量」
「そうです。言葉ではなく、資料と押し花と親族調整で殴ってくるの」
「殴った?」
「殴られたわよ!」
「殴られましたわ!」
金田君は少しだけ困った顔をした。
「でも、二人とも大事だから」
座敷が止まった。
ワタシとダリアも止まった。
父が咳払いした。
母が目を輝かせた。
祖母が静かにお茶を置いた。
「……金田君」
「うん」
「今、何と言ったの」
「二人とも大事」
「範囲を明確化しなさい」
「妃花は契約相手」
「っ」
「ダリアは友人」
「うぐっ」
ダリアが胸を押さえた。
ワタシも危なかった。
契約相手。
たったそれだけ。
それだけなのに。
五歳の契約書と一緒に渡された後だと、意味が重すぎる。
「金田君」
「うん」
「あなた、口で言えと言われているのに、言葉が足りないわ」
「ごめん」
「あやまるな!」
「うん」
「でも、今の足りなさは非常にあなたらしいので許します」
「うん」
「許すとは言っていないわ」
「言った」
「言ってない!」
ダリアが扇子を口元に当てて言った。
「妃花、あなた、負けていますわよ」
「あなたもでしょう」
「ええ、負けていますわ」
「認めるのね」
「今日ばかりは」
ダリアは膝の上の冊子を見た。
そっと、表紙に触れる。
その手つきは、いつものマウント女ではなかった。
大事なものを壊さないように触る子だった。
「……金田様」
「うん」
「これは、大切にします」
「うん」
「ただし、次にわたくしの泣きどころを勝手に記録したら、燃やします」
「データもある」
「用意が良すぎますわ!」
金田君、そういうところ。
ほんとそういうところ。
*
帰り道。
ワタシは金田君の袖を掴んで歩いていた。
手は繋がない。
繋いだら負ける気がした。
もう負けている気もする。
でも認めない。
ダリアは少し後ろを歩いている。
本来なら別方向のはずだが、「精神的損害の共同処理が必要」とか言ってついてきた。
意味がわからない。
だが、追い払う気力もない。
佐伯さんたち同級生は、少し離れたところでまだ本家の規模に興奮していた。
「門すごかったね」
「庭がでけえ」
「セバスチャンって本当にいるんだな」
うるさい。
いるわよ。
今そこに。
いや、もう送迎の車の方にいるけど。
「金田様」
ダリアが言った。
「うん」
「今後、挑戦状を勝手に別企画の舞台として流用しないでください」
「うん」
「返事が軽い」
「気をつける」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん!?」
ワタシは袖を掴む手に力を込めかけた。
すぐ抜いた。
「金田君」
「うん」
「今日の契約更新よ」
「うん」
「一、サプライズは規模に応じて事前申告」
「うん」
「二、親族を巻き込む場合は必ずワタシに相談」
「うん」
「三、ダリアの挑戦状を勝手に舞台扱いしない」
「うん」
「四、押し花、契約書、記録冊子など、心臓に悪いものを出す場合は注意」
「どう注意?」
「……」
「妃花?」
「そこは自分で考えなさい」
「難しい」
「夫でしょうが」
「中学生だけど」
「禁止」
ダリアが横から言った。
「五、金田様は、わたくしの泣きどころを保存する時は、せめて事前に一言」
「言ったら怒る」
「言わなくても怒りますわ」
「じゃあ」
「でも嬉しいですわ!」
ダリアが叫んだ。
そして自分で固まった。
ワタシも固まった。
金田君も止まった。
「……今のは」
ダリアが扇子で顔を隠す。
「聞かなかったことに」
「うん」
「金田様、あなた絶対覚えるでしょう」
「うん」
「うんじゃありませんわ!」
ワタシは深く息を吐いた。
「六、金田君は、嬉しいことをされた側が怒ることもあると理解すること」
「うん」
「七、それでも、悪いことではないならすぐ謝って終わらせようとしないこと」
「うん」
「八」
「うん」
「次にこういうことをする時は、ワタシをもう少しだけ巻き込みなさい」
金田君が、こちらを見た。
「いいの?」
「いいか悪いかで言えば、かなり腹立つわ」
「うん」
「でも、ワタシだけ知らないのはもっと腹立つ」
「うん」
「だから、巻き込みなさい」
「わかった」
「よろしい」
金田君は少しだけ考えた。
「次は、ダリアも?」
ワタシとダリアは同時に金田君を見た。
「次があるの!?」
「次があるんですの!?」
「何かあれば」
「何かあれば、ではない!」
「金田様、あなた本当に油断ならないわ!」
金田君は困った顔をした。
「じゃあ、ない?」
「ないと寂しいでしょうが!」
「ないと少し物足りませんわ!」
また重なった。
最悪。
ダリアとワタシは同時に顔を逸らした。
「……今日だけ同盟ね」
「……今日だけですわ」
金田君が、小さく笑った。
その笑い方に、ワタシとダリアは同時に黙った。
笑うな。
それ以上やるな。
今日はもう耐久値がない。
「帰るわよ」
ワタシは言った。
「うん」
「今日はココア」
「牛乳多め?」
「当然」
「マシュマロ三個?」
「当然」
ダリアが言った。
「わたくしも飲んでいい?」
「なぜ」
「致命傷を受けたから」
「自業自得でしょう」
「あなたもでしょう」
「……」
ワタシは少し考えた。
確かに、今日は共に死線を越えた。
ライバルではある。
敵ではある。
公式ライバル。
そして共同敗北者。
「一杯だけよ」
「ありがとう、正妻候補」
「その呼び方やめなさい」
「マシュマロは?」
金田君が聞く。
「ワタシは三個」
「うん」
「金田君は一個」
「うん」
「ダリアは二個」
「なぜわたくしは二個?」
「公式ライバルだから」
「正妻候補より一個少ないのね」
「当然」
「ふふ。では、いつか三個を奪うわ」
「殺す」
「怖い」
金田君が静かに言った。
「じゃあ、俺の一個あげる」
ワタシとダリアは同時に叫んだ。
「そういうところ!」
勝者、金田君。
またしても。
圧勝だった。