倦怠期夫婦中学生(仮題)   作:全肯定逆張りおじさん

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第五話 妃花ちゃんのいとこ、ダリアちゃんは火薬庫に香水を撒く

 妃花ちゃんには、困ったいとこがいる。

 

 名前はダリア。

 

 父方の親戚の子。

 

 つまり、イギリス方面の血筋の、やたらと背が高く、やたらと姿勢がよく、やたらと自分の見せ方を知っている女である。

 

 年はワタシたちと同じ。

 

 なのに、初対面の人間は大体一瞬だけ高校生かと錯覚する。

 

 長い睫毛。

 

 色素の薄い髪。

 

 白い肌。

 

 整った顔。

 

 そして何より、他人を見下ろす角度が上手い。

 

 背が高いからではない。

 

 性格が悪いからだ。

 

 いや、正確には、性格が悪いというより。

 

 性格が、非常に面倒くさい。

 

 マウントが好き。

 

 レスバが好き。

 

 人の急所を見抜くのが好き。

 

 褒め言葉の中に毒を混ぜるのが好き。

 

 相手が怒った瞬間に「怒ったの? 可愛い」と言うのが好き。

 

 そして、現在。

 

 彼女は仮想アイドルをやっている。

 

 名前は「ダリア・ノーブルローズ」。

 

 歌う。

 

 喋る。

 

 ゲーム配信をする。

 

 弱った男の心に「あなたは私の特別な騎士様よ」と囁き、投げ銭をさせる。

 

 実に最低である。

 

 ちなみに本人はこう言う。

 

「巻き上げてないわ。彼らは自発的に薔薇の肥料になっているだけ」

 

 最低である。

 

 そんなダリアが、金田君のことを狙っている。

 

 正確には、狙っていると言うより。

 

 絡んでいる。

 

 いや、狙っている。

 

 明確に狙っている。

 

 なにしろ、本人がこう言ったのだ。

 

「わたくし、金田様の愛人になりたいの」

 

 その瞬間。

 

 ワタシは、持っていたティーカップを粉砕した。

 

     *

 

 その日、ワタシは金田君を連れて本家に来ていた。

 

 理由は簡単。

 

 祖母に呼ばれたからである。

 

 表向きは、夏のイギリス行きについての相談。

 

 実際はたぶん、ワタシと金田君の現在の進捗確認。

 

 進捗とは何か。

 

 中学生に対して使う言葉ではない。

 

 しかし、本家の人間は平然と使う。

 

 祖母など、朝の紅茶を飲むような顔で言う。

 

「妃花。金田さんとの関係は、きちんと成熟していますか」

 

 成熟とは何か。

 

 中学生に対して使う言葉ではない。

 

 だが祖母は使う。

 

 そして金田君は、隣で普通にお辞儀をする。

 

 やめなさい。

 

 あなたも慣れるな。

 

 本家の客間は、今日もやたらと静かだった。

 

 畳。

 

 低い机。

 

 季節の花。

 

 壁に掛けられた古い書。

 

 外では庭師が松の枝を整えている。

 

 そして、その雅やかな空間に。

 

 ダリアがいた。

 

 黒いワンピースに、深紅のリボン。

 

 学校では許されないような装飾のついた髪留め。

 

 足を揃えて座っているのに、なぜか態度だけは玉座にいる女王だった。

 

「妃花。久しぶりね」

 

「ええ。相変わらずね、ダリア」

 

「あら、褒め言葉?」

 

「診断よ」

 

「辛辣。そういうところ、好きよ」

 

「ワタシは嫌いよ」

 

「でしょうね」

 

 ダリアは楽しそうに笑った。

 

 この女は、ワタシの怒りを栄養にしている節がある。

 

 薔薇ではない。

 

 食虫植物だ。

 

「金田様も、ご機嫌よう」

 

「こんにちは、ダリア」

 

「まあ。相変わらず、わたくしの名前を普通に呼ぶのね」

 

「呼び方、変えた方がいい?」

 

「いいえ。そのままで。あなたに様付けされると、なぜか負けた気がするもの」

 

「そっか」

 

 金田君は普通に頷いた。

 

 ダリアの目が細くなる。

 

 この瞬間だけ、彼女の余裕に小さなヒビが入る。

 

 金田君は、ダリアにとって天敵だ。

 

 なぜなら金田君は、ダリアの煽りに乗らない。

 

 マウントも効かない。

 

 毒を盛った褒め言葉を、毒だけ器用に避ける。

 

 そして、彼女が一番見られたくないところを知っている。

 

 ダリアが仮想アイドルを始めた時。

 

 立ち上げを手伝ったのは、金田君だった。

 

 配信機材の選定。

 

 音声設定。

 

 配信画面の構成。

 

 初回配信の台本。

 

 コメント欄が荒れた時の対応。

 

 収益化までの段取り。

 

 金田君は、全部手伝った。

 

 もちろん、ワタシも聞いている。

 

 だが、ワタシは手伝っていない。

 

 だって、ダリアがワタシに頼らなかったから。

 

 理由は単純。

 

 ワタシに弱みを見せたくなかったのだ。

 

 そしてよりによって、金田君には見せた。

 

 泣きながら。

 

 深夜、通話で。

 

「誰も来なかったらどうしよう」とか。

 

「一人も見てくれなかったら、わたくしはどうやって笑えばいいの」とか。

 

「本当は、自分が選ばれないことが怖い」とか。

 

 そういう、ダリアが絶対に表で言わないことを。

 

 金田君は知っている。

 

 だから、ダリアにとって金田君は天敵であり、恩人でもある。

 

 そして、その結果。

 

 この女はバグった。

 

「金田様」

 

 ダリアは優雅に茶碗を置いた。

 

「わたくし、今日こそ正式に申し上げようと思っていたの」

 

「何を?」

 

 聞くな。

 

 聞かなくていい。

 

 この女がその顔をしている時は、大体ろくなことを言わない。

 

 ワタシは警戒した。

 

 金田君の袖を掴む。

 

 金田君がこちらを見る。

 

「妃花?」

 

「逃げる準備」

 

「誰が?」

 

「あなたが」

 

「なんで」

 

「いいから」

 

 ダリアは、にっこり笑った。

 

「わたくしを、金田様の愛人にしてくださらない?」

 

 客間の空気が止まった。

 

 庭の鹿威しが、こーん、と鳴った。

 

 遅れて、ワタシの手の中で茶碗が砕けた。

 

「妃花」

 

 金田君がすぐにワタシの手を取った。

 

「手」

 

「痛くないわ」

 

「破片」

 

「痛くない」

 

「妃花」

 

「痛くないって言ってるでしょ!」

 

 金田君は、ワタシの声に怯えなかった。

 

 ただ、懐紙を取って、ワタシの指に触れないように破片を払った。

 

 腹立つ。

 

 今はそれどころではない。

 

 いや、手を心配されるのは嬉しい。

 

 違う。

 

 違わない。

 

 でも、今はダリアだ。

 

「ダリア」

 

 ワタシは、低い声で言った。

 

「今、何て?」

 

「愛人」

 

「聞き間違いかと思ったけど、やっぱり頭がおかしいのね」

 

「あら。妃花ったら、ひどい」

 

「ひどいのはあなたの倫理観よ」

 

「貴族社会には古来より、正妻と愛人の美しい均衡というものが」

 

「ここは現代日本で、ワタシたちは中学生よ!」

 

「でもあなた、いつも夫婦面しているじゃない」

 

「それは契約上の正当な権利よ!」

 

「なら、わたくしにも契約上の立場を用意してくださる?」

 

「用意するのは退出口よ!」

 

 ワタシは立ち上がった。

 

 畳がぎしりと鳴る。

 

 金田君が少しだけ手を伸ばす。

 

 止めるためではない。

 

 ワタシが踏み込んだ瞬間、畳を破らないようにするためだ。

 

 そういうところ。

 

 いま本当に腹立つ。

 

「まあ、妃花」

 

 ダリアは扇子を広げた。

 

 どこから出した。

 

「あなた、案外狭量なのね」

 

「狭量?」

 

「だって、あなた自身がよく言っているじゃない。倦怠期の夫婦には、時に刺激が必要だと」

 

「言ってないわよ!」

 

「顔に書いてあるわ」

 

「幻覚よ」

 

「それに、あなたも薄々わかっているのでしょう? 金田様は、あまりにもあなたに尽くしすぎている。このままでは、あなたは彼の優しさに慣れてしまうわ」

 

「……」

 

「記念日を覚えていて当然。好物を忘れなくて当然。あなたが怒れば迎えに来て当然。あなたが壊せば一緒に直して当然」

 

 ダリアの声が、少しだけ鋭くなる。

 

「ねえ、妃花。それは愛なの? それとも、金田様をあなた専用の修復係にしているだけ?」

 

 部屋が静かになった。

 

 ワタシは、息を止めた。

 

 この女は、こういうところがある。

 

 ふざけて、煽って、最低なことを言っているようで。

 

 急に、喉元に刃を当ててくる。

 

 しかも、完全な的外れではない。

 

 だから腹立つ。

 

 殺す。

 

 いや、殺さない。

 

 現代日本なので。

 

「ダリア」

 

 金田君が言った。

 

 静かな声だった。

 

 ワタシの手を見ながらではない。

 

 ダリアを見ていた。

 

「それは違う」

 

 ダリアの扇子が止まった。

 

「何が?」

 

「妃花は、俺を修復係にしてない」

 

「そうかしら」

 

「俺が勝手にやってる」

 

「それはそれで重症では?」

 

「うん」

 

「認めるのね」

 

「でも、妃花も直そうとしてる」

 

 金田君は、ワタシの手元に目を落とした。

 

 砕けた茶碗。

 

 懐紙。

 

 破片。

 

 ワタシは、指を少し曲げた。

 

 怪我はしていない。

 

 でも、また壊した。

 

 祖母に怒られる。

 

 いや、祖母はたぶん怒らない。

 

 「良い茶碗でしたが、妃花の心より安く済みましたね」とか言う。

 

 それはそれで重い。

 

「妃花は、壊した後で考える」

 

 金田君は続けた。

 

「謝る時もある。直す時もある。次は力を抜こうとする」

 

「美談にしているだけではなくて?」

 

「美談じゃない」

 

 金田君は即答した。

 

「面倒くさい」

 

 ワタシは金田君を見た。

 

「金田君?」

 

「怒るし、壊すし、本家に帰るし、契約更新が多いし、反省会が長い」

 

「後で反省会よ」

 

「うん」

 

「でも」

 

 金田君は、少しだけ声を緩めた。

 

「俺も面倒くさい。言葉が足りない。謝って終わらせようとする。心配しすぎる。妃花の気持ちを勝手に先回りする」

 

「……」

 

「だから半分」

 

 ダリアは、黙っていた。

 

 扇子で口元を隠している。

 

 その目だけが、金田君を見ている。

 

 いつものように笑っているようで、笑っていない。

 

「半分、ね」

 

 ダリアは低く言った。

 

「本当にあなた、腹が立つほど綺麗事を生活の動作でやるのね」

 

「そう?」

 

「褒めてないわ」

 

「うん」

 

「そこが腹立つと言っているの」

 

「妃花もよく言う」

 

「妃花と一緒にしないでくださる?」

 

「似てるところある」

 

 ワタシとダリアが同時に言った。

 

「ないわよ!」

 

 声が重なった。

 

 最悪。

 

 金田君が少しだけ笑った。

 

 殺す。

 

 いや、殺さない。

 

 愛人志望者の前で本妻が殺意を見せるのは、あまりにも余裕がない。

 

 いや、本妻ではない。

 

 中学生。

 

 でも契約上は。

 

 面倒くさい!

 

「とにかく」

 

 ワタシは咳払いをした。

 

「愛人は却下よ」

 

「あら、検討くらいしてくださるのではなくて?」

 

「しないわ」

 

「先ほど、倦怠期の夫婦には刺激が」

 

「言ってない」

 

「でも少し思ったでしょう」

 

「殺す」

 

「ほら、思った」

 

「思ってない!」

 

 ダリアは楽しそうに笑う。

 

 だが、その笑顔の奥に、少しだけ焦りが見えた。

 

 ワタシにはわかる。

 

 なぜなら、ダリアは今、金田君の反応を待っているからだ。

 

 拒絶されるのを怖がっている。

 

 断られることが決まっている冗談を、わざと大げさに投げている。

 

 自分が本気ではないように。

 

 傷つかないように。

 

 でも、少しでも金田君が困った顔をすれば、それを勝利にできるように。

 

 最低で、面倒で、狡い。

 

 そして、弱い。

 

「ダリア」

 

 金田君が言った。

 

「愛人にはしない」

 

 ダリアの扇子が、ほんの少し揺れた。

 

「まあ。即答?」

 

「うん」

 

「少しは悩みなさいよ」

 

「悩まない」

 

「わたくし、そこそこ優良物件よ?」

 

「うん」

 

「背も高いし、見栄えもするし、話題性もあるし、仮想アイドルとして稼ぎもあるわ。金田様が望むなら、わたくしのヒモにして差し上げてもよろしくてよ」

 

「ヒモにはならない」

 

「でしょうね!」

 

 ダリアは扇子を閉じた。

 

 ばちん、と音がした。

 

 強い音だった。

 

 彼女の笑顔が、少し崩れた。

 

「本当に、あなたはそういうところよ」

 

「うん」

 

「恩人面もしない。支配もしない。見下しもしない。わたくしが一番惨めだったところを知っているくせに、それを武器にしない」

 

「武器にするものじゃないから」

 

「だから腹が立つのよ!」

 

 ダリアは立ち上がった。

 

 長い髪が揺れる。

 

 まるで舞台の上の役者みたいだった。

 

 悔しさすら、彼女は美しく見せようとする。

 

「わたくしは、いつかあなたをわからせるの」

 

「わからせる?」

 

「ええ。あなたに、わたくしが必要だと懇願させるの。彼女にしてくださいって、あなたの方から言わせるの。その後で、わたくしは微笑んで言うわ。正妻は妃花でいい。わたくしは愛人で十分。だから、わたくしのヒモになりなさいって」

 

「順番がめちゃくちゃよ!」

 

「恋とはロジックを破壊するものよ、妃花」

 

「レスバ好きがロジックを捨てるな!」

 

 ダリアはワタシを見る。

 

 目がきらきらしていた。

 

 悔しさと、楽しさと、寂しさと、全部混ざっている目。

 

「あなたも嫌でしょう?」

 

「何が」

 

「金田様が、わたくしの弱さを知っていること」

 

「……」

 

「あなたのいないところで、わたくしの泣き言を聞いたこと。あなたの知らない金田様が、わたくしを助けたこと」

 

 ワタシは言葉に詰まった。

 

 それは。

 

 嫌だ。

 

 ものすごく嫌だ。

 

 金田君がダリアを助けたこと自体は、悪くない。

 

 困っている人を助ける金田君は、金田君だ。

 

 そこを否定したら、ワタシがワタシの好きな金田君を否定することになる。

 

 でも。

 

 ワタシの知らないところで、ダリアが泣いて。

 

 金田君がそれを知って。

 

 二人だけの文脈がある。

 

 それは、嫌だ。

 

 かなり嫌だ。

 

 殺すほどではない。

 

 でも、茶碗はもう一つ危ない。

 

「嫌よ」

 

 ワタシは正直に言った。

 

 ダリアの目が少し開いた。

 

「嫌に決まってるでしょう」

 

「……あら」

 

「金田君がワタシの知らないところで、あなたの泣きどころを知っているのも。あなたがそれを恩に着て、天敵とか言いながら執着しているのも。全部、気に入らない」

 

「ふふ」

 

「でも」

 

 ワタシは、金田君の袖を掴んだ。

 

 力は入れない。

 

 今は、壊さない。

 

「それで金田君があなたを助けたことまで否定したら、ワタシの負けだわ」

 

 ダリアの笑みが止まった。

 

「へえ」

 

「だから、そこは認める」

 

「寛大ね」

 

「寛大じゃないわ。腸が煮えくり返ってるもの」

 

「でしょうね」

 

「でも、認める。金田君は、あなたを助けた。あなたは、それが嬉しかった。だから金田君に絡んでる」

 

「絡んでる?」

 

「絡んでるでしょうが」

 

「求愛よ」

 

「迷惑行為よ」

 

「愛人希望よ」

 

「処刑対象よ」

 

「怖い」

 

「怖がりなさい。でも、いなくなるのは金田君じゃなくてあなたよ」

 

 ダリアは、一瞬だけ黙った。

 

 そして、腹立たしいほど美しく笑った。

 

「妃花。あなた、少し変わったわね」

 

「そう?」

 

「昔なら、わたくしごと客間を粉砕していたわ」

 

「今も検討中よ」

 

「でも、しない」

 

「金田君がいるもの」

 

「……」

 

「ワタシが壊したら、金田君がまた半分持とうとするでしょう。それが腹立つから、今は壊さない」

 

 金田君が隣で言った。

 

「ありがとう」

 

「礼を言うところじゃないわ」

 

「でも、壊さないでくれてる」

 

「あなたのためじゃない」

 

「うん」

 

「ワタシの威厳のためよ」

 

「うん」

 

「あと、茶碗の替えは高いから」

 

「それは本当」

 

 ワタシは砕けた茶碗を見た。

 

 ……高そう。

 

 後で祖母に謝ろう。

 

 金田君が一緒に謝ろうとするだろうから、そこは止める。

 

 いや、半分持つとか言うだろう。

 

 そこも反省会だ。

 

「金田様」

 

 ダリアが、今度は少し静かに言った。

 

「では、愛人が駄目なら」

 

「駄目なら?」

 

「二号さん」

 

「同じよ!」

 

「では、側室」

 

「時代!」

 

「では、公式ライバル」

 

「それならまあ」

 

「妃花!?」

 

 金田君が珍しく声を上げた。

 

 ワタシは金田君を見た。

 

「何よ」

 

「公式ライバルはいいの?」

 

「愛人よりは健全でしょう」

 

「そう?」

 

「恋愛戦争には条約が必要よ」

 

「戦争にしないで」

 

 ダリアは楽しそうに扇子を開いた。

 

「いいわね、公式ライバル。響きが良いわ」

 

「ただし、条件があるわ」

 

「聞きましょう」

 

 ワタシは指を一本立てた。

 

「一、金田君に愛人、二号、側室、ヒモ等の不健全な地位を要求しないこと」

 

「つまらないわ」

 

「二、金田君の恩を盾に距離を詰めないこと」

 

「痛いところを突くわね」

 

「三、仮想アイドル活動で弱った男を肥料呼ばわりしないこと」

 

「それは配信外だけよ」

 

「配信外でもやめなさい」

 

「努力するわ」

 

「四、金田君に彼女になってくださいと懇願させる計画を破棄すること」

 

「破棄は嫌」

 

「ダリア」

 

「修正なら可」

 

「どのように」

 

「いつか金田様に、わたくしを友人として必要だと言わせる」

 

 ワタシは少し黙った。

 

 ダリアは、扇子で口元を隠したまま、目を逸らしている。

 

 友人。

 

 愛人ではなく。

 

 彼女でもなく。

 

 ヒモでもなく。

 

 友人。

 

 この女にしては、ずいぶんまともな言葉だった。

 

「……それなら、まあ」

 

「許可制なの?」

 

「許可制よ」

 

「妃花」

 

 金田君が言った。

 

「友人は俺が決める」

 

「っ」

 

 正論だった。

 

 ワタシは詰まった。

 

「……そうね」

 

「うん」

 

「でも、報告義務はあるわ」

 

「それは契約に書いた」

 

「ならよろしい」

 

 金田君はダリアを見る。

 

「ダリア」

 

「なあに、金田様」

 

「友人なら、いい」

 

 ダリアの表情が止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 彼女は扇子を閉じた。

 

「……本当に?」

 

「うん」

 

「わたくし、面倒よ」

 

「知ってる」

 

「金田様を困らせるわ」

 

「もう困ってる」

 

「マウントも取るし、煽るし、負けると根に持つわ」

 

「知ってる」

 

「それでも?」

 

「うん」

 

「……」

 

 ダリアは、ふいと顔を逸らした。

 

 その耳が、少しだけ赤い。

 

 ワタシは見逃さなかった。

 

「ダリア」

 

「なによ」

 

「照れてる?」

 

「照れてないわ」

 

「耳が赤いわ」

 

「照れてない!」

 

「金田君、この女、照れてるわ」

 

「うん」

 

「金田様、頷かないで!」

 

 珍しい。

 

 ダリアが押されている。

 

 非常に珍しい。

 

 ワタシは少し気分が良くなった。

 

 しかし油断は禁物。

 

 この女は、追い詰められると必ず反撃する。

 

「でも、妃花」

 

 ほら来た。

 

 ダリアはにっこり笑った。

 

「友人なら、金田様と個人的に連絡を取っても問題ないわね?」

 

 ワタシのこめかみが鳴った。

 

「金田君」

 

「うん」

 

「連絡はグループにしなさい」

 

「妃花も入る?」

 

「当然」

 

「ダリアは?」

 

 ダリアは肩をすくめた。

 

「監視付きの友情なんて、窮屈ね」

 

「愛人希望者に自由を与えるわけないでしょう」

 

「元、愛人希望者よ」

 

「元?」

 

「現役でいたら友人枠が通らないもの」

 

「切り替えが早いわね」

 

「配信者は損切りが大事なの」

 

「弱男から金を巻き上げる女の発想ね」

 

「彼らは騎士様よ」

 

「肥料って言ったわよね」

 

「騎士様は薔薇を育てるものよ」

 

「最低!」

 

 ダリアは笑う。

 

 でも、その笑い方はさっきより少し軽かった。

 

 金田君に拒まれて、終わりにならなかった。

 

 友人でいいと言われた。

 

 それが彼女の中で、どう処理されたのかは知らない。

 

 でも、少なくとも今、ダリアはさっきほど刺々しくない。

 

「では、グループを作りましょう」

 

 ダリアはスマホを取り出した。

 

「名前は?」

 

「不健全交際監視委員会」

 

「妃花、センスが終わっているわ」

 

「では、契約管理室」

 

「重いわ」

 

「薔薇とココアと補修用ボンド」

 

「長い」

 

 金田君が言った。

 

「契約更新用」

 

 ワタシとダリアは同時に金田君を見た。

 

「……悪くないわね」

 

「腹立つけれど、悪くないわ」

 

 ダリアがグループを作る。

 

 メンバーは三人。

 

 ワタシ。

 

 金田君。

 

 ダリア。

 

 グループ名は「契約更新用」。

 

 非常に不本意だが、しっくり来る。

 

 ダリアが最初のメッセージを送った。

 

『ご機嫌よう、正妻と恩人』

 

 ワタシは即座に返した。

 

『正妻は将来的な契約上の表現です。あと恩人に不健全な要求をしないこと』

 

 金田君も返した。

 

『茶碗、片付ける』

 

 現実的。

 

 腹立つほど現実的。

 

 ワタシはスマホを置き、砕けた茶碗に向き直った。

 

「これはワタシが片付けるわ」

 

「俺も」

 

「半分持とうとしない」

 

「破片、危ないから」

 

「ワタシが壊したの」

 

「でも、俺もいた」

 

「それは理由にならないって何度言えば」

 

「妃花」

 

 金田君が、ワタシの手を見た。

 

 怪我がないか確認する目。

 

 いつもの目。

 

 ダリアもそれを見ていた。

 

 そして、小さく笑った。

 

「本当に、夫婦ね」

 

「そうよ」

 

 今度は、即答した。

 

 ダリアの目が少し丸くなる。

 

 ワタシは続けた。

 

「だから、愛人は不要」

 

「公式ライバルは?」

 

「許可制」

 

「友人は?」

 

「金田君が決める」

 

「あなたは?」

 

「監視する」

 

「素直ね」

 

「嫉妬深いのよ」

 

 言った瞬間、自分で驚いた。

 

 ダリアも驚いた。

 

 金田君も、少し目を開いた。

 

 しまった。

 

 かなり素直に言いすぎた。

 

 けれど、撤回しない。

 

 これは事実だ。

 

「ワタシは嫉妬深いわ」

 

 ワタシは言った。

 

「金田君がワタシの知らないところであなたを助けたのが、気に入らない。あなたがその記憶を使って金田君に近づくのも、気に入らない」

 

「ええ」

 

「でも、金田君があなたを助けたことを、間違いにはしない」

 

「……」

 

「だから、あなたも間違いにしないで」

 

 ダリアの顔から、笑みが消えた。

 

「どういう意味?」

 

「恩人に愛人になれとか、ヒモになれとか、そんなふざけ方でしか近づけないなら、あの日泣いたあなたまで安くなるわ」

 

 ダリアが黙った。

 

 扇子を握る指に、少し力が入っている。

 

 ワタシは続けた。

 

「あなたは、金田君に弱いところを見せた。それは、別に負けじゃないでしょう」

 

「……」

 

「ワタシなら嫌だけど」

 

「最後」

 

「でも、負けじゃない。だから、それを変な勝負にしないで。金田君をわからせるとか、懇願させるとか、そんな方向に持っていかないで」

 

 ダリアは、しばらく黙っていた。

 

 それから、ふっと息を吐く。

 

「本当に、あなたも腹立つ女ね」

 

「あなたほどじゃないわ」

 

「わたくし、妃花のそういうところ嫌いよ」

 

「ワタシもあなたが嫌いよ」

 

「でも」

 

 ダリアは、金田君を一瞬見た。

 

 そしてワタシを見た。

 

「今のは、少しだけ響いたわ」

 

「そう」

 

「少しだけよ」

 

「十分よ」

 

「調子に乗らないで」

 

「あなたに言われたくないわ」

 

 金田君が、懐紙で茶碗の破片を包みながら言った。

 

「二人、やっぱり似てる」

 

「似てない!」

 

 また声が重なった。

 

 最悪。

 

 ダリアが吹き出した。

 

 ワタシも、ほんの少しだけ笑ってしまった。

 

 不覚。

 

     *

 

 その日の帰り。

 

 金田君とワタシは、本家の長い廊下を歩いていた。

 

 祖母への謝罪は済ませた。

 

 茶碗については、祖母は予想通りこう言った。

 

「物は壊れます。関係は、壊した後にどう扱うかが大切です」

 

 重い。

 

 非常に重い。

 

 そして金田君は、また半分頭を下げようとしたので、ワタシが袖を引っ張って止めた。

 

 これはワタシの責任。

 

 ただし、帰りに猫の絆創膏とココアは買ってもらう。

 

 精神的補修費として。

 

「妃花」

 

「なによ」

 

「ダリアと、仲悪い?」

 

「悪いわ」

 

「でも、嫌いじゃない?」

 

「嫌いよ」

 

「そう?」

 

「嫌いだけど、放っておくとロクなことをしないから監視する必要があるの」

 

「そっか」

 

「あと」

 

「うん」

 

「あなたが、あの子を友人にするのは」

 

 ワタシは少し歩調を緩めた。

 

「嫌ではないわ」

 

「うん」

 

「気に入らないけど」

 

「うん」

 

「かなり気に入らないけど」

 

「うん」

 

「でも、嫌ではない」

 

「わかった」

 

 金田君は、隣を歩いている。

 

 半歩前でも後ろでもない。

 

 ちゃんと隣。

 

「金田君」

 

「うん」

 

「ダリアに優しくしすぎないで」

 

「うん」

 

「でも、雑に扱わないで」

 

「うん」

 

「恩人面しないで」

 

「しない」

 

「でも、困ってたら助けなさい」

 

「うん」

 

「ただし、事後報告」

 

「契約更新?」

 

「当然」

 

「グループに?」

 

「まずワタシに」

 

「うん」

 

「あと、愛人という単語を今後ダリアが出したら、即座に却下」

 

「うん」

 

「ヒモも却下」

 

「ならない」

 

「彼女にしてくださいって懇願するのも却下」

 

「しない」

 

「絶対?」

 

「うん」

 

「ワタシが本家に帰ったら?」

 

「迎えに行く」

 

「ダリアに誘惑されたら?」

 

「されても行かない」

 

「ダリアが泣いたら?」

 

「話は聞く」

 

「……」

 

 ワタシは足を止めた。

 

 金田君も止まる。

 

 正しい答えだった。

 

 でも、ムカつく。

 

「話は聞くのね」

 

「困ってたら」

 

「ワタシが嫌だと言っても?」

 

「妃花には言う」

 

「……」

 

「隠さない」

 

「……よろしい」

 

 正しい。

 

 あまりにも正しい。

 

 だから、ワタシはそれ以上怒れなかった。

 

「でも」

 

 金田君が言った。

 

「妃花が嫌だと思うのも、半分持つ」

 

「……何よそれ」

 

「ダリアを助けるなら、妃花が嫌な気持ちになるのも一緒に考える」

 

「……」

 

「勝手にいいことにしない」

 

 ああもう。

 

 ほんとに。

 

 そういうところだ。

 

 この男は、正論ではなく、生活の中の約束として言う。

 

 だから逃げ場がない。

 

「金田君」

 

「うん」

 

「あなた、本当に愛人向きじゃないわね」

 

「なりたくない」

 

「正妻向きでもない」

 

「正妻?」

 

「違う、旦那向き」

 

「中学生だけど」

 

「禁止」

 

「うん」

 

 ワタシは手を出した。

 

 金田君は何も聞かずに握る。

 

 廊下の先で、障子越しの光が揺れている。

 

 本家の空気は重い。

 

 でも、金田君の手はいつも通りだった。

 

「ねえ」

 

「うん」

 

「ワタシ、ダリアのこと、少しだけ可哀想だと思ったわ」

 

「うん」

 

「でも、金田君の愛人になりたいとか言ったから、やっぱり許さない」

 

「うん」

 

「公式ライバルとしてなら、まあ、相手してあげる」

 

「うん」

 

「友人としてなら、金田君が決めなさい」

 

「うん」

 

「ただし」

 

「うん」

 

「ワタシの前で仲良くしすぎたら、反省会よ」

 

「どのくらいが仲良くしすぎ?」

 

「察しなさい」

 

「難しい」

 

「夫でしょうが」

 

「中学生だけど」

 

「だから禁止!」

 

 廊下の向こうから、誰かの笑い声がした。

 

 たぶん、ダリアだ。

 

 腹立つほど綺麗な笑い声。

 

 ワタシはそちらを見ない。

 

 今は、金田君と帰る時間だ。

 

 今日の契約更新項目は多い。

 

 一、愛人は不可。

 

 二、公式ライバルは許可制。

 

 三、友人は本人同士の合意。ただし報告義務あり。

 

 四、ダリアの泣きどころを武器にしない。

 

 五、ダリアは金田君をヒモにしようとしない。

 

 六、妃花ちゃんは嫉妬で茶碗を割らないよう努力する。

 

 六は不本意だ。

 

 でも、まあ。

 

 努力はする。

 

「金田君」

 

「うん」

 

「帰り、スーパーに寄るわよ」

 

「ココア?」

 

「ココアと猫の絆創膏と」

 

「赤いクレヨン?」

 

「今日は黒いペン」

 

「なんで?」

 

「愛人不可を太字で書くから」

 

「そっか」

 

「それから、茶碗の代わりに何か買うわ」

 

「本家に?」

 

「ええ」

 

「一緒に選ぶ?」

 

「当然」

 

「うん」

 

 ワタシたちは手を繋いだまま、玄関へ向かった。

 

 背後で、スマホが震えた。

 

 グループ「契約更新用」。

 

 ダリアからだった。

 

『公式ライバル就任祝いに、次回は金田様を交えてお茶会をしましょう。正妻の同席は任意でしてよ』

 

 ワタシは即座に返した。

 

『正妻は常時同席です』

 

 金田君も返した。

 

『日程は妃花と相談する』

 

 少し遅れて、ダリアから返信が来た。

 

『そういうところよ、恩人』

 

 ワタシはスマホを見て、ふんと鼻を鳴らした。

 

 本当に、困ったいとこだ。

 

 マウント好きで、レスバ好きで、弱った男を騎士様と呼んで財布を開かせる、最低で、面倒で、寂しがりの貴族娘。

 

 しかも金田君を狙っている。

 

 最悪だ。

 

 でも。

 

 敵としては、悪くない。

 

 公式ライバルとしてなら、まあ、相手をしてあげてもいい。

 

 ただし。

 

 金田君の愛人は、絶対に却下。

 

 そこだけは、契約書に黒太字で書いておく。

 

 夫婦なので。

 

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