マリメディア   作:raian sinra

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### 物語の中盤:『血と魔力の交差点、そして姉としての誓い』

#### 1. 結界の起動と学校での死闘(前日譚〜勃発)

**1節 衛宮邸での前夜**

冬木市、深山町。

なだらかな坂道を登り切った閑静な住宅街の一角に、その広大な敷地を持つ純和風の屋敷——衛宮邸はある。

普段ならば、夕暮れ時ともなれば庭先の木々が風に揺れる音や、遠くから聞こえるカラスの鳴き声だけが響く静寂に包まれているはずのこの場所は、今日ばかりは全く異なる空気に包まれていた。

「……す、すごい。なんだか空気が、私の店以上にピリピリしてるっていうか、澄み切ってる……」

縁側に腰を下ろした宝鐘マリンは、自身の掌を見つめながら感嘆の声を漏らした。

彼女の視線の先、手入れの行き届いた広い庭の上空には、一般人の目には見えない『青紫色の光のドーム』が幾重にも重なり合い、衛宮邸全体をすっぽりと覆い隠していた。

「ええ、当然ですとも、マリン」

背後から、心地よい衣擦れの音と共にメディアが現れる。

彼女はいつもの紫色のローブではなく、マリンが「衛宮邸の雰囲気に合うように」とリクエストした、落ち着いた桔梗色の和装に、純白の割烹着という見事な『昭和の若奥様』スタイルに身を包んでいた。もちろん、この衣装もメディアが自身の魔術で一瞬にして仕立て上げたものである。

「この衛宮邸は、冬木の霊脈のサブポイントに位置しています。それに加えて、私の愛しいマスターであるマリンからの無尽蔵の魔力(オド)供給。この二つを掛け合わせれば、神代の魔術式を用いた強固な多重結界を構築することなど造作もありません」

メディアはふんわりと微笑みながら、マリンの隣に座り、お茶の入った湯呑みをそっと差し出した。

「あの少年が張っていた『泥棒よけ』の結界など、紙くず同然でしたからね。全て私の術式で上書きし、再構築させていただきました。物理的な破壊の遮断はもちろん、霊体によるすり抜け、魔力探知の無効化、さらに毒ガスや呪詛の類いも完全にシャットアウトします。今のこの屋敷は、時計塔の君主(ロード)が束になって攻めてきても、三日は保つ絶対の要塞ですわ」

「さ、三日……!? ええと、ご近所さんに迷惑とかかからない……?」

「ご心配なく。認識阻害も完璧です。外から見れば、ただの静かな空き家にしか見えません」

マリンは湯呑みを両手で包み込み、ほうっと息をついた。

争いごとが嫌いな彼女にとって、この『絶対の安全圏』が保証されているという事実ほど、精神安定剤になるものはない。

今日から始まった、衛宮邸での同盟生活。

士郎を戦いの最前線から遠ざけ、その危うい自己犠牲の精神を矯正するために乗り込んできたわけだが、環境としては申し分なかった。

その時、母屋の奥——台所の方から、バタバタという慌ただしい足音が聞こえてきた。

「……ま、負けた……。俺の、数年かけて築き上げた台所の牙城が……たった一時間で……」

現れたのは、真っ白に燃え尽きたような表情の衛宮士郎だった。

彼の手には、お玉と菜箸が力なく握られている。

「あははっ! 士郎君、お疲れ様。メディアの料理スキル、凄かったでしょ?」

「凄いなんて次元じゃないですよ……! なんですか、あの包丁の動き! まるで空間そのものを切断してるみたいに、鯛の骨がスパスパと……! しかも、煮物の火加減を『魔術』でやってるんですよ!? 魔術の無駄遣いにもほどがある……!」

士郎は半分パニックになりながら、台所での光景を熱弁した。

同盟を結んだとはいえ、「この家の台所は俺の領分だ」と譲らなかった士郎に対し、メディアは「マスターの口に入るものを任せるわけにはいきません」と真っ向から対立した。

結果として行われた『料理対決』という名の厨房争奪戦は、神代の魔術とカンストした主婦力を持つメディアの完全勝利に終わったのである。

「ふふん。言ったでしょう? あなたにはせいぜい、お米の研ぎ方くらいしか教えることはありませんわ」

メディアが誇らしげに胸を張る。

「ううっ……。でも、悔しいけど、匂いだけで分かる。あれは、俺の手に負えるレベルの料理じゃない……」

士郎がへなへなと縁側に座り込んだその時。

「シロウ。夕食の準備が整ったと、キャスターが申しておりましたが。……む? シロウ、なぜそのように打ちひしがれているのですか?」

道場の縁側から、青銀の甲冑を解き、私服である白いブラウスと青いスカートに着替えたセイバーが姿を現した。

彼女の鼻腔は、すでに台所から漂ってくる極上の和出汁の香りを捉えており、普段の凛とした騎士王の表情とは裏腹に、その翡翠の瞳は期待にキラキラと輝いていた。

「あ、セイバーちゃん! 今、メディアが運んでくるからね。すっごく美味しいよ!」

「マリン。……いえ、マスター・マリン。キャスターの陣地作成能力の高さは理解していましたが、まさか調理技能にまでその神髄が発揮されるとは。……非常に、楽しみです」

セイバーが小さく喉を鳴らしたのを、マリンは見逃さなかった。

(あ、この子、絶対食べるの大好きだ……!)

「さあさあ、皆様、お待たせいたしましたわ」

メディアが指を鳴らすと、空中にフワリと複数の大きなお盆が浮き上がり、次々と居間の大きなちゃぶ台へと運ばれていった。

「わぁ……っ!」

マリンが歓声を上げる。

そこに並んでいたのは、豪華絢爛な和食のフルコースだった。

主菜には、艶やかに照り輝く金目鯛の煮付け。サクサクの衣を纏った季節の天ぷら盛り合わせ。出汁の香りが鼻をくすぐる茶碗蒸し。ほうれん草と胡麻の和え物。そして、炊きたての銀シャリと、豆腐とワカメの味噌汁。

高級料亭の個室にでも案内されたのかと錯覚するほどの品揃えと美しさである。

「す、すごい……本当にこれを、あの短時間で……?」

士郎が信じられないというように呟く。

「当然です。私の『高速神言』と魔力操作を応用すれば、下ごしらえも煮込み時間も百分の一に短縮できますから。さあ、冷めないうちにどうぞ」

「「「いただきまーす!」」」

四人が手を合わせ、一斉に箸を伸ばす。

「……っ!!」

一口、金目鯛の煮付けを口に運んだセイバーの動きが、ピタリと止まった。

その翡翠の瞳が見開き、咀嚼するごとに彼女の表情が蕩けていく。

「こ、これは……!! 甘辛いタレが、ふっくらとした白身の奥底まで完璧に染み込んで……! それでいて、決して魚本来の旨味を殺していない! この茶碗蒸しも、なんという滑らかさ……舌の上で出汁の海が広がっていくようです……!!」

大英帝国の騎士王が、金目鯛と茶碗蒸しの前で完全に陥落していた。

普段は士郎をマスターとして厳しく指導する彼女だが、今はただ一心不乱に白米をかき込んでいる。

「ふふふ。おかわりはたくさんありますからね、セイバー。よく食べる騎士は嫌いではありませんよ」

メディアは余裕の微笑みを浮かべながら、セイバーの茶碗にご飯を山盛りに注ぎ足した。

「うん! やっぱりメディアのご飯は最高だね! 士郎君、どう? 悔しいけど美味しいでしょ?」

「……はい。完敗です。これ、出汁の取り方からして俺のやり方と全然違う……。キャスター、後でレシピ教えてくれないか?」

「あら、素直でよろしい。いいですわよ。ただし、魔力を使った火加減の微調整はあなたには無理でしょうけれどね」

賑やかで、和やかで、そして温かい食卓。

つい昨日まで、互いに警戒し合い、殺し合うかもしれなかった魔術師と英霊たちが、一つのちゃぶ台を囲んで「美味しい」と笑い合っている。

(……これで、いいんだよね)

マリンは、天ぷらをかじりながら、心の中で小さく呟いた。

アーチャーが語った、血みどろの悲惨な未来。

士郎が一人で抱え込み、誰も救えないまま摩耗していく地獄。

それを回避するための第一歩が、この『誰もが笑って食卓を囲む日常』を作ることだと、マリンは信じていた。

争いが嫌いで、痛いのが嫌いなマリンにできる最大の戦いは、この平和な空間を意地でも守り抜くことなのだ。

夕食が終わり、セイバーとメディアが(大量の食器の)後片付けを兼ねて、魔術的な結界の連携について打ち合わせをしている間。

マリンと士郎は、再び縁側に出て、夜風に当たっていた。

冬木の夜は冷える。マリンはメディアが編んでくれた厚手のカーディガンを羽織り、士郎が淹れてくれた温かい緑茶の入った湯呑みを両手で持っていた。

「……士郎君のお茶、落ち着くね。美味しい」

「ありがとうございます。料理じゃ勝てないんで、せめてお茶くらいは淹れさせてくださいよ」

士郎は苦笑しながら、自分の湯呑みに口をつけた。

月明かりに照らされた庭は、メディアの結界のおかげで不気味さはなく、ただ静寂だけが広がっている。

「ねえ、士郎君」

マリンは、湯呑みを見つめたまま、静かに口を開いた。

「士郎君はさ、なんで……『聖杯戦争』なんて、恐ろしい殺し合いに参加しようと思ったの?」

「……」

「昨日、ランサーに襲われて……私、本当に死ぬかと思った。怖くて、足が震えて、何もできなかった。……士郎君も、あんな化け物みたいな人たちと、戦ってるんでしょ? なんで、逃げないの?」

士郎は、少しだけ視線を落とした。

彼の腕の袖口から、ランサーの槍による傷を隠すためのテーピングがわずかに見え隠れしている。

「……逃げられないからですよ」

士郎の声は、どこまでも平坦で、しかし岩のように固い意志を含んでいた。

「俺がマスターに選ばれた理由は分からない。でも、あのランサーみたいな奴らが、自分の勝手な願いのために街で暴れ回るのを、俺は黙って見ていられない。……それに、十年前に冬木で起きたあの大火災。あれも、聖杯戦争が原因だったって神父に聞かされました」

十年前の火災。

マリンも、冬木の住人としてその記憶は微かにある。空が真っ赤に染まり、多くの人が焼け死んだ地獄のような光景。士郎は、その火災の唯一の生存者だった。

「あんな悲劇を、二度と繰り返させない。誰も泣かないように、俺が戦って、聖杯戦争を終わらせる。……俺以外に、そんなことできる人がいないなら、俺がやるしかないんです」

それが、衛宮士郎という少年の根源。

『正義の味方』という、呪いにも似た強迫観念。

『あれはただの強迫観念だ! 誰も傷つけたくないという理想に溺れ、自分自身を殺し続ける地獄だ!』

昨夜、アーチャーが血を吐くように叫んだ言葉が、マリンの脳裏にフラッシュバックする。

「……誰も、泣かないように……かぁ」

マリンは、空を見上げた。

雲の隙間から、冷たい星の光が瞬いている。

「ねえ、士郎君。士郎君が戦って、誰かを助けて、街が平和になったとするじゃない?」

「はい」

「でもね。そのために、士郎君が血だらけになって、ボロボロになって……もし、死んじゃったりしたらさ。……私は、泣くよ?」

「——え?」

士郎が、弾かれたようにマリンの方を向いた。

マリンは、真剣な、怒っているような、それでいて今にも泣き出しそうな瞳で、士郎を真っ直ぐに見つめていた。

「大河も泣く。セイバーちゃんも悲しむ。私も……絶対に、ワンワン泣くよ。士郎君が傷つくのは、嫌だもん」

「それは……でも、俺が傷つくことで、もっと多くの人が助かるなら……」

「バカッ!!」

マリンの強い声が、夜の庭に響いた。

「数の問題じゃないの! 誰かを助けるために自分を捨てるなんて、そんなの『正義の味方』じゃない! ただの自己満足だよ!」

「自己、満足……」

「そうだよ。自分が痛い思いをすれば丸く収まるなんて、そんな悲しいこと言わないでよ。……士郎君は、自分が大切に思ってる人たちから、どれだけ大切にされてるか、全然分かってない」

マリンは湯呑みを縁側に置き、士郎の肩を両手でガシッと掴んだ。

「いい? 誰も泣かない世界を作りたいなら、まずは『自分が泣かない、傷つかない』ことが絶対条件! 士郎君が笑ってないと、私も大河も笑えないんだからね! 分かった!?」

圧倒的な、姉としての説教。

魔術の理屈でも、理想論でもない。ただの「近所の綺麗なお姉さん」の、極めて利己的で、しかし絶対的な愛情。

士郎は、目を見開いたまま、マリンの言葉を反芻していた。

今まで、切嗣の背中を追いかけ、「自分は助かった命だから他人のために使わなければ」と信じて疑わなかった彼の心に、マリンの言葉は、熱く、そして重い楔となって打ち込まれた。

「……俺が、笑ってないと……マリンさんたちが、笑えない……」

「そう! だから、一人で無茶するのは禁止! 戦う時は、セイバーちゃんと、私と、メディアをちゃんと頼ること! もし一人で突っ走ろうとしたら……夕ご飯の時に、士郎君のご飯だけメディアに頼んで超大盛りのピーマン炒めにするからね!」

「ピ、ピーマン……それは、勘弁してください……」

士郎は、思わず吹き出してしまった。

張り詰めていた肩の力が抜け、彼の顔に、年相応の柔らかい笑みが戻る。

「……分かりました。約束します。無茶はしないし、マリンさんたちのことも頼ります。……だから、怒らないでくださいよ、姉貴」

「ふふん、よろしい。分かればいいのよ、弟よ」

マリンは満足げに頷き、士郎の赤い髪をくしゃくしゃと撫でた。

(……よし。少しは、アーチャーの言ってた『歪み』、解きほぐせたかな)

完璧ではないだろう。士郎の根底にある自己犠牲の精神は、そう簡単に消えるものではない。

それでも、彼に『自分が傷つけば悲しむ人がいる』という事実を突きつけられたことは、確かな前進だった。

「さて、夜風も冷たくなってきたし、そろそろ寝ようかな。明日も早いしね」

「はい。客間、布団敷いてありますから。おやすみなさい、マリンさん」

「おやすみ、士郎君」

マリンは立ち上がり、客間へと向かった。

士郎の後ろ姿は、縁側に出た時よりも、少しだけ背中の強張りが取れているように見えた。

深夜二時。

衛宮邸の客間。メディアが持ち込んだ最高級の羽毛布団と、肌触りの良いシルクのネグリジェ(当然メディアのお手製である)に包まれながら、マリンは微睡みの中にいた。

(……んん……)

暖かい布団。静かな夜。

メディアの結界のおかげで、何の不安もなく眠れるはずだった。

しかし。

**——ドクン、ドクン……。**

マリンの胸の奥で、心臓の鼓動とは違う、奇妙な『脈動』が鳴り始めた。

それは、彼女の特異な『霊媒体質』が捉えた、遠く離れた場所からの異常なシグナルだった。

(……なに、これ。すっごく……気持ち悪い……)

マリンは寝返りを打ち、眉間に皺を寄せた。

目を閉じているのに、脳裏に赤黒い映像が浮かび上がる。

血の匂い。鉄の錆びた匂い。

何十、何百という人間の『気力』が、巨大な蜘蛛の巣のようなものに絡め取られ、ゆっくりと、しかし確実に吸い上げられていくような、おぞましい感覚。

方角は、新都。

いや、もっと具体的だ。あれは、士郎が通っている高校——穂群原学園の方角から漂ってくる、濃密な死の予感。

「……っ、はぁっ……」

マリンはハッと息を呑み、跳ね起きるようにして目を覚ました。

額にはべっとりと冷や汗が浮かんでいる。

「マリン! いかがなさいましたか!?」

即座に、部屋の隅で霊体化して控えていたメディアが実体化し、マリンのベッドの傍に駆け寄った。

その紫水晶の瞳には、主の異常を察知した極度の緊張が走っている。

「メディア……。なんか、すごく嫌な夢を見たの。……ううん、夢じゃない。あっちの方から、すっごく冷たくて、ドロドロしたものが……広がっていくのが見えた」

「あの方角は……。なるほど、私の感知網にも微かに引っかかっています。他の陣営が、大規模な『結界』の構築、あるいは魂喰い(魂の略取)の準備を進めているのでしょう」

メディアの言葉に、マリンの背筋が凍りついた。

魂喰い。それはつまり、一般の人間を巻き込んで魔力を吸い上げるという、外道の手法だ。

そして、その震源地が士郎の学校であるならば。

「……士郎君の学校が、狙われてる……」

「おそらくは。しかしマリン、今夜中に発動するようなものではありません。術式が完成するまでには、あと半日ほどかかるはずです」

「明日……」

マリンは、自分の右手に刻まれた令呪をギュッと握りしめた。

平和な夜は、今日で終わる。

明日、太陽が昇れば、この冬木市は本格的な地獄へとその姿を変えるのだ。

「大丈夫です、マリン。何があろうと、私があなたの盾となり、剣となります。あの少年たちも、私たちが全力で支援すれば、容易く死ぬようなことはありません」

メディアはマリンの震える手を両手で包み込み、優しく、しかし力強く告げた。

「……うん。分かってる。私、逃げないよ。士郎君も、誰も死なせないって、決めたから」

マリンは深呼吸をして、恐怖を心の奥底へと押し込んだ。

痛いのも怖いのも大嫌いな、一般人のアンティークショップ店主。

だが、彼女の心の中には、英雄たちにも負けない『大切な日常を守り抜く』という鋼の意志が宿っていた。

迫り来るライダー陣営の『鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)』。

そして、そこから始まる血みどろの死闘に向けて。

宝鐘マリンは、メディアの温かい手に縋りながら、短い夜の残りを浅い眠りの中で過ごした。

嵐の前の、最後の静かな夜が、ゆっくりと明けていく。

 

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