### 物語の中盤:『血と魔力の交差点、そして姉としての誓い』
#### 1. 結界の起動と学校での死闘(前日譚〜勃発)
**2節 鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)の起動**
翌朝。
衛宮邸の朝は、昨日までの殺伐とした空気が嘘のように、穏やかな朝食の匂いと共に始まった。
メディアの手による完璧な和朝食を平らげた後、衛宮士郎は学生服に身を包み、玄関で靴紐を結んでいた。
「……士郎君、本当に今日学校に行くの?」
見送りに来た宝鐘マリンは、柱の陰から心配そうな視線を送っていた。
昨夜、彼女の霊媒体質が感じ取った穂群原学園の方角から漂う『おぞましい気配』。それがただの気のせいではないことは、メディアの探知によっても裏付けられている。
敵の罠が張られていると分かっている場所に、大事な弟分を向かわせたくはなかった。
「はい。学校には藤ねえもいるし、桜や慎二、友達もたくさんいます。もし本当に学校に結界が張られているなら、放っておくわけにはいきません」
士郎は立ち上がり、真っ直ぐな瞳でマリンを見た。
「それに、俺にはセイバーがついてます。遠坂とも、学校で合流して対処する手はずになってる。……無茶はしないって、昨日マリンさんと約束したばかりですからね」
「むむぅ……。分かってる。分かってるけどぉ……」
マリンが唇を尖らせていると、霊体化していたセイバーがふわりと姿を現した。
「ご安心ください、マリン。シロウの身は、このセイバーが剣に懸けてお守りします。敵の結界の要石を発見次第、即座に破壊する所存です」
「セイバーちゃん……うん、頼んだよ。絶対に二人とも、怪我しないで帰ってくるんだよ」
「はい、行ってきます」
士郎とセイバーが門をくぐって見えなくなるまで、マリンはずっとその背中を見送っていた。
「……マリン。あまり顔をしかめないでください。せっかくの可愛らしいお顔に皺が寄ってしまいますよ」
背後から現れたメディアが、マリンの肩を優しく揉みほぐす。
「ありがとう、メディア。でも……やっぱり不安だよ。胸の奥が、ずっとざわざわしてるの」
「すでに、私の使い魔(鳥型の小魔)を学園の周囲に数匹配置しています。異常があれば即座に感知し、私たちも空間転移で駆けつけられるよう、術式の準備は整えてあります。……あなたは、ここで温かい紅茶でも飲んで、心を落ち着かせていてください」
メディアの気遣いに頷きつつも、マリンはその日、どうしても趣味の裁縫に手をつける気になれず、居間のちゃぶ台の前でそわそわと時間を過ごすことになった。
そして、事態は午後の授業が終わり、放課後の気怠い空気が学園を包み始めた頃に急転した。
**——ドクンッ!!**
「っ……!」
居間で本を読んでいたマリンの胸を、昨夜よりも数倍、いや数十倍の強烈な『脈動』が打ち据えた。
それは、空間そのものが軋み、悲鳴を上げるような感覚。
マリンは思わず胸をかきむしり、その場にうずくまった。
「メディア……!! 始まった、あそこ……士郎君の学校が……!」
「ええ、感知しました。……なんという悪趣味で、巨大な結界。これは……」
即座に実体化したメディアの顔色が、険しいものに変わった。
彼女が空中に投影した魔術のモニター(水鏡)には、穂群原学園の校舎が映し出されていた。
しかし、その光景は日常のそれではない。校舎全体が、どす黒い赤紫色をしたドーム状の魔力に完全に覆い尽くされている。ドームの表面には、血管のような脈絡が蠢き、巨大な『眼球』を思わせる禍々しい紋様が浮かび上がっていた。
「ライダーの英霊の宝具……『鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)』。内部にいる人間の生命力を強制的に溶解し、魔力として吸い上げる結界です」
メディアが忌々しげに吐き捨てる。
「なっ……生命力を、溶かす!? じゃあ、学校にいる生徒たちは……士郎君や、大河はどうなっちゃうの!?」
「一般人であれば、数分と保たずに意識を失い、やがて文字通り肉体が崩壊して魔力に還元されるでしょう。……急ぎましょう、マリン。あの少年とセイバーだけで対処するには、この結界は悪辣すぎる」
メディアはマリンの手を取り、即座に神代の言語による短い詠唱を紡いだ。
足元に展開された転移の魔法陣が、二人の身体を青紫色の光で包み込む。
「絶対に、誰も死なせない……!」
マリンが強く歯を食いしばった次の瞬間、二人の姿は衛宮邸から掻き消えた。
**——穂群原学園、正門前。**
空間が歪み、マリンとメディアが学園の敷地内に降り立った。
「ひっ……!」
到着した瞬間、マリンは喉の奥で悲鳴を殺した。
凄惨、という言葉すら生ぬるい地獄がそこにはあった。
空は血のような赤に染まり、空気は粘り気を帯びて呼吸をするだけで肺が焼けるように痛い。校舎の壁や廊下には、無数の赤黒い『眼球』のような模様が浮かび上がり、ギョロギョロと気味悪く動いている。
そして何よりマリンの心を抉ったのは、廊下や中庭に、何十人もの生徒たちが糸が切れた操り人形のように倒れ伏している光景だった。
苦悶の表情を浮かべ、微かに痙攣する彼らの身体から、赤い霧のようなものが立ち昇り、結界の天井へと吸い込まれていく。
「みんな……! 大丈夫!? しっかりして……!」
マリンが駆け寄り、倒れている女子生徒の肩を揺するが、反応はない。彼女の体温は異常に低く、生命力がゴリゴリと削り取られているのが、マリンの霊媒体質を通して痛いほどに伝わってきた。
「マリン、彼らに触れてはいけません。あなたまで結界の毒に当てられます!」
メディアがマリンの周囲に防護結界を張り巡らせる。
「メディア! この結界、どうにかできないの!? このままじゃ、みんな死んじゃう!」
「……ええ。他人の陣地に土足で踏み入るなど魔術師の恥ですが、マスターが望むなら話は別です」
メディアの紫水晶の瞳が、冷徹な光を放った。
空を見上げ、学園全体を覆う巨大なドームを睨みつける。
「たかが吸血種の固有結界ごときで、この神代の魔女(キャスター)の魔術を凌駕できるとでも思っているのか……。不愉快極まりない。跡形もなく消し飛ばしてあげましょう」
メディアは両手を広げ、足を踏み鳴らした。
彼女の背後から、マリンの身体を通して、まさに無尽蔵とも言える圧倒的な魔力(オド)が滝のように供給される。マリンの魔力は不純物が一切ない極上のエネルギーであり、メディアの術式を本来の何倍、何十倍にも増幅させる。
「——『其は古き掟、星の息吹(Εκατη)』」
メディアの唇から紡がれる、高速神言。
現代の魔術師が何工程もかける大魔術を、彼女は一瞬で、しかも同時に数十も編み上げていく。
青紫色の魔法陣が、結界の赤い空を塗り潰すように、学園の上空に次々と展開されていった。
「——『偽りの血肉を啜る暴食、我が権能を以てここに見破らん(Αποκαλυπτω)』」
ズドォォォォンッ!!!
学園の中心で、二つの相反する概念が激突した。
ライダーの『鮮血神殿』が持つ「溶解と吸収」の法則に対し、メディアは真っ向から「空間の固定と純化」という力技でねじ伏せにかかったのだ。
「……っ、凄い魔力……! メディア、頑張って!」
マリンは自身の右手(令呪)を握りしめ、必死にメディアへ魔力を送り続ける。自身の体力が削られる感覚はない。ただ、自分の魂の奥底から、信じられないほどのエネルギーが汲み上げられていくのを感じていた。
その頃、校舎の内部では——。
「くそっ、なんだこの粘り気は……! 遠坂、無事か!?」
「私に構わないで、衛宮くん! 早く結界の要石を探し出して! 生徒たちが保たないわ!」
赤黒い霧の中で、衛宮士郎と遠坂凛は息を弾ませながら廊下を駆けていた。
彼らもまた結界の毒に当てられ、歩くことすら困難な状態だった。そこに追い打ちをかけるように、ライダーが差し向けた使い魔(スケルトン)たちが立ち塞がる。
木刀に『強化』の魔術を施し、士郎が必死にスケルトンを打ち砕くが、数が多すぎた。セイバーは霊体化を解いて結界の核を単独で探しているはずだが、この広大な校舎内では合流に時間がかかる。
(……このままじゃ、全滅する。俺が、どうにかしないと……!)
士郎が焦燥に駆られ、己の限界を超えて魔術回路を回そうとした、その時だった。
**ピキッ……パリィィィンッ!!!!**
校舎全体を覆っていた赤黒い霧が、ガラスが割れるような甲高い音と共に、一瞬にして『青紫色』の光へと反転した。
「え……?」
「な、なにこれ……!?」
士郎と凛は、思わず立ち止まった。
まとわりついていた粘着質な魔力が嘘のように消え去り、肺に新鮮な空気が入り込んでくる。
壁に蠢いていた不気味な眼球の模様は、青い炎に焼かれたようにジュウジュウと音を立てて消滅していった。倒れていた生徒たちの顔から苦悶の表情が消え、穏やかな寝息へと変わっていく。
「結界が……中和、された? いや、上書きされてる……!?」
凛が信じられないというように窓の外を見た。
学園の中庭、その中心に。
神々しいまでの青紫色の魔法陣を無数に展開し、圧倒的な魔力の奔流を空へ向けて放っている、一人の魔女の姿があった。
そして、その魔女の背中を両手でしっかりと掴み、必死の形相で魔力を送り続けている、見慣れた私服姿の女性の姿。
「マリンさん!? キャスター!?」
士郎が窓から身を乗り出し、驚愕の声を上げた。
「絶対安全な場所にいるはずじゃ……! なんで、マリンさんがこんな危険なところに!」
「バカ言ってる場合じゃないわよ、衛宮くん! 彼女たちのおかげで、結界が機能不全に陥ったのよ! これで、首謀者を引きずり出せる!」
凛の言葉通り、結界を破られたことで、校舎の屋上に潜んでいた気配が大きく揺らいだ。
「……チッ。どこの陣営かと思えば、あの道端にいた規格外のマスターと、キャスターか」
屋上の縁に立ち、眼下のメディアたちを睨み下ろす長い紫髪のサーヴァント——ライダー。
彼女の宝具である『鮮血神殿』は、形成に多大な時間を要する代わりに、一度発動してしまえば内部の人間を確実に溶かす絶対の罠だったはずだ。それを、外部からの力技で、しかも一瞬にして停止させられるなど、計算外にもほどがあった。
(……これ以上の吸魂は不可能か。計画は破綻した。となれば……)
ライダーが撤退の判断を下し、身を翻そうとした瞬間。
屋上の扉が轟音と共に吹き飛び、青銀の甲冑を纏った騎士王が飛び出してきた。
「逃がしません、ライダー! 罪なき者たちを巻き込んだその非道、万死に値する!」
「……っ、セイバー!」
セイバーの不可視の剣が、鋭い踏み込みと共にライダーの首筋へと迫る。
ライダーは手にした短剣(ダガー)で辛うじてそれを受け流すが、結界の恩恵を失った今の彼女では、純粋な白兵戦で最強の剣士たるセイバーに勝てるはずがなかった。
「……邪魔が入りましたね。ですが、ここで貴女の首を置いていくわけにはいかない」
ライダーは短剣を鎖ごとセイバーに投げつけ、その一瞬の牽制の隙を突いて、屋上のフェンスから冬木の街へと向かって大きく跳躍した。
空中で天馬(ペガサス)を召喚しようとするが、今はまだその時ではないと判断し、ビルからビルへと高速で飛び移りながら新都方面へと撤退を開始する。
「待て!!」
セイバーは躊躇うことなく、ライダーの後を追って屋上から空へと跳んだ。
「はぁっ、はぁっ……! 結界、消えた……よね?」
中庭で、マリンは膝に手をついて荒い息を吐いていた。
「ええ、マリン。あの悪趣味な固有結界は、私の術式によって完全に無力化しました。生徒たちの命に別状はありません」
メディアが魔法陣を収束させ、優しくマリンの背中を撫でる。
「マリンさん!!」
校舎の入り口から、士郎と凛が血相を変えて駆け寄ってきた。
「士郎君! 無事だった!?」
「俺は大丈夫です。でも、どうしてマリンさんがここに! 危険だって言ったじゃないですか!」
士郎は安堵と怒りが入り混じった顔で、マリンの両肩を掴んだ。
「だ、だってぇ……! 胸がすごく嫌な感じで、放っておけなかったんだもん! ほら、結果的にみんな助かったし、メディアのおかげで大勝利でしょ?」
マリンが涙目で反論すると、士郎は痛いところを突かれたように口をつぐんだ。確かに、彼女の規格外の魔力とキャスターの援護がなければ、今頃この学園は死体の山になっていただろう。
「……まったく。常識外れにもほどがあるわ。固有結界を外から魔力で制圧するなんて、神代の魔女の触れ込みは伊達じゃないってわけね」
凛が腕を組み、呆れたようにメディアを見た。
「お褒めに預かり光栄ですわ、お嬢さん。私のマスターの魔力が優れていたからこそ成せた業ですが」
メディアがふふっと笑う。
「それより衛宮くん! セイバーがライダーを追って新都の方へ向かったわ。私たちもすぐに行かないと!」
凛が鋭く指摘する。
「あ、ああ! 分かった! ……マリンさん、本当に無茶はしないでくださいよ! ここから先は、俺たちに任せて……」
「ダメ! 私たちも行く!」
士郎の言葉を遮り、マリンはキッと前を見据えた。
「だって、セイバーちゃんが本気で戦ったら、士郎君の魔力じゃ絶対に足りなくなるでしょ!? 私とメディアがいなきゃ、また士郎君が無理して自分が盾になるに決まってる!」
「うっ……それは……」
「ほら、行くよメディア! 二人を追って!」
「はい、マスター。空間転移の座標を、新都のビル街に合わせます」
弟分を絶対に死なせないという、姉としての意地。
恐怖を乗り越え、完全に聖杯戦争の『当事者』として覚醒しつつある宝鐘マリンの決意に引っ張られるように、士郎たち同盟陣営は、決着の地である新都の高層ビルへと急行する。
夜の闇に沈むビル群の上空で、ライダーの最大宝具『騎英の手綱(ベルレフォーン)』と、セイバーの『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』が激突する、その最大の死闘に向けて。