### 物語の中盤:『血と魔力の交差点、そして姉としての誓い』
#### 1. 結界の起動と学校での死闘(前日譚〜勃発)
**3節 ライダーの撤退と追撃**
冬木の空を、二つの流星が駆け抜けていた。
一つは紫黒の影、もう一つは青銀の光。
「逃がしません、ライダー! この期に及んで背を見せるなど、英霊としての誇りはないのですか!」
ビルからビルへ、あるいは電柱の先端を蹴り渡りながら、セイバーは前方を高速で逃走するライダーへと不可視の剣を突きつけた。
常人には到底視認できない、音速に迫るサーヴァント同士の追走劇。
だが、セイバーの焦燥とは裏腹に、両者の距離はなかなか縮まらない。
(……足が、重い)
セイバーは内心でギリッと歯を噛み締めた。
純粋な敏捷性において、ライダーのクラス特性は群を抜いている。しかし本来のステータスであれば、セイバーとて遅れを取ることはないはずだった。
原因は明白だ。マスターである衛宮士郎からの魔力供給が、絶望的なまでに不足しているのである。彼との間にパスは繋がっているものの、魔術回路が未熟な士郎からは、セイバーの莫大な燃費を賄うだけの魔力(オド)が流れてこない。
先ほど学校で雑兵(スケルトン)を蹴散らしたことすら、今のセイバーにとっては少なからぬ負担となっていた。
「誇り、ですか」
前方を跳躍するライダーが、風に乗せて冷ややかな嘲笑を返してきた。
「セイバー、貴女はひどく高潔な騎士のようですが……私には関係のないことです。私のマスターは、ただ『勝て』と命じた。あの結界を破られた以上、正面から貴女と斬り合うような愚行は犯しません」
ライダーは冬木大橋の巨大なアーチを蹴り上げ、新都の摩天楼へとその身を躍らせた。
彼女の狙いは明確だった。
結界による魔力収集が絶たれた今、最大の脅威であるセイバーを打ち倒すためには、自身の最大火力である宝具を解放するしかない。そして、天馬(ペガサス)を駆るその宝具の真価を発揮するには、地上ではなく、障害物のない『高高度』の戦場が必要だった。
「……新都センタービル! あそこに陣取るつもりですね!」
冬木市で最も高い建造物。空を貫くような高層ビルの頂上へ向けて、ライダーが垂直に壁を駆け上がっていくのを確認し、セイバーもまた躊躇うことなくその軌跡を追った。
その頃、穂群原学園の中庭では。
「ええいっ、ちょっと待ってメディア! みんなで飛ぶって、どういうこと!?」
「言葉通りの意味ですわ、マリン。セイバーがライダーを追って新都へ向かいました。車や走って追いかけては到底間に合いません。ならば、私が空路で皆様をお運びいたします」
マリンの悲鳴に近い問いかけに、メディアは極めて涼しい顔で答えた。
彼女の足元には、すでに直径五メートルを超える巨大な転移・飛翔用の魔法陣が展開されている。青紫色の光が、夕闇に沈みかけた学園の中庭を不気味に、そして神々しく照らし出していた。
「いやいやいや! 私、高いところ苦手なんだけど! ジェットコースターとか絶対無理な人なんだけど!?」
「ご安心を。私の編み出す防風結界と慣性制御は完璧です。乗り心地は最高級のリムジンよりも快適ですよ」
「そういう問題じゃ——ひゃあああっ!?」
マリンが抗議を終えるよりも早く、メディアが指を鳴らした。
重力が反転したかのような浮遊感。
次の瞬間、マリン、士郎、凛の三人は、メディアの魔力に包み込まれたまま、文字通り『砲弾』のような速度で冬木の空へと打ち上げられた。
「うおおおおっ!?」
士郎が情けない声を上げ、空中で手足をバタつかせる。
「ちょっとキャスター! 飛ぶなら飛ぶって、もっと心の準備をさせなさいよ! スカートめくれるでしょ!」
凛が自身の赤いスカートの裾を必死に押さえながら怒鳴る。メディアの言う通り防風結界のおかげで風の抵抗は全くないのだが、視覚的な速度と高度の恐怖は尋常ではなかった。
「キャァァァァッ! 士郎君、凛ちゃん、落ちる! 落ちるから動かないでぇぇぇっ!!」
マリンに至っては、完全にパニックになり、隣にいた士郎の首に両腕でガッチリとしがみつき、コアラのようにぶら下がっていた。
「ぐぇっ……マ、マリンさん……首、締まっ……」
「ごめんなさいごめんなさい! 下見れない! 絶対に目開けないからね!!」
完全に姉としての威厳が崩壊しているマリンの姿に、凛は呆れたような、しかしどこか毒気を抜かれたようなため息をついた。
(……それにしても、なんてデタラメな魔術師。人間を三人抱えて、これほどの速度で空を飛ぶなんて。陣地外でこれだけの魔術を軽々と行使できるのは、間違いなくあのマリンって人の規格外の魔力供給があるからね……)
凛は冷静に眼下の景色を観察した。
冬木大橋を眼下に見下ろし、あっという間に新都のビル群が近づいてくる。この圧倒的な機動力と魔力リソース。もし彼らが敵に回っていたらと想像するだけで、凛は背筋が寒くなるのを感じた。衛宮士郎と同盟を結んだという自分の判断は、奇跡的なまでに正解だったのだ。
「皆様、到着します。舌を噛まないようご注意を」
メディアの優雅なアナウンスと共に、四人の身体は急制動をかけられ、新都センタービルの隣にある、一回り低い商業ビルの屋上へとフワリと着地した。
「はぁっ、はぁっ……! じ、地面……! 地面サイコー……!」
マリンは着地するなり、屋上のコンクリートに四つん這いになり、涙目で地面の感触を確かめている。
「マリンさん、大丈夫ですか? ほら、立てますか」
士郎が苦笑しながら手を差し伸べる。つい先程まで学校で死にかけていた士郎に気遣われる始末に、マリンは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「う、うん。ありがと、士郎君。……で、セイバーちゃんは!?」
「あそこよ!」
凛が鋭い声で指差した。
彼らが降り立ったビルのすぐ隣、新都で最も高いセンタービルの屋上。ヘリポートが設置されたその広大なコンクリートの平原で、すでに二つの英霊が対峙していた。
「セイバー……!」
士郎がフェンスに駆け寄り、身を乗り出す。
吹き荒れる夜風の中。
セイバーは剣を正眼に構え、ライダーを睨み据えていた。
「逃げ場はもうありませんよ、ライダー。貴女のマスターはここにはいないようですが……彼が学校の生徒たちを贄にしようとしたのなら、サーヴァントである貴女をここで討ち果たし、その野望を完全に断つ!」
セイバーの不可視の剣から、凄まじい剣気が立ち昇る。
魔力は枯渇寸前だが、それでも彼女の騎士としての闘志は微塵も衰えていなかった。
対するライダーは、ヘリポートの縁、まさに一歩後ろは数百メートルの虚空という場所に立っていた。
彼女の顔を覆っていた目隠し(バイザー)が、夜風に煽られて僅かにズレる。その口元には、先程までの余裕を失った、冷酷な決意が浮かんでいた。
「……私のマスター(シンジ)を愚かだと言うのなら、それは否定しません。ですが、私は彼を守ると決めた。結界を破られた責任は、貴女の首を持ち帰ることで果たさせてもらう」
ライダーは、手にした短剣を自身の首筋へと当てた。
「——え?」
見守っていた士郎が、間の抜けた声を上げる。
自刃。そうとしか見えない行動だった。
鋭い刃がライダーの白い首筋を切り裂き、鮮血が夜風に乗って飛沫を上げる。
だが、それは自害などではなかった。流れた血は地面に落ちることなく、空中で奇妙な魔法陣を描き出し、真っ赤に燃え上がる。
強烈な血の匂いと、マリンたちが息を呑むほどの、爆発的な魔力の膨張。
「な……なに、あれ……! メディア、あれは!?」
マリンが恐怖に顔を引き攣らせ、メディアの袖を強く引いた。
「……自身の血を触媒にした、召喚術式。来ますよ、マリン。あれは、ただのサーヴァントの攻撃ではありません。英霊の象徴たる、絶対の切り札……」
メディアの紫水晶の瞳が、驚愕に見開かれる。
血の魔法陣の中から、純白の巨体が出現した。
鳥の翼を持つ、美しい白馬。
しかし、その美しさとは裏腹に、そこから放たれる魔力は、幻獣などという生易しいものではない。竜種にも匹敵する、神代の神秘そのもの。
『天馬(ペガサス)』である。
「ヒヒィィィィンッ!!!!」
天馬が前足を高く上げ、夜空を引き裂くような嘶きを上げた。
その圧倒的な圧力に、隣のビルにいるマリンたちですら、立っているのがやっとの状態になる。
「これが私の全霊……『騎英の手綱(ベルレフォーン)』。セイバー、貴女の命運はここで尽きる!」
ライダーが天馬の背に跨がり、手綱を強く引いた。
天馬の周囲に、巨大な光の渦——流星のような破壊のエネルギーが集束していく。ビルの屋上のコンクリートが、その余波だけでメリメリと音を立てて砕け散り始めた。
「まずい……っ! セイバー!! 逃げろ!!」
士郎が、喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げる。
魔術の素人である士郎にすら分かった。あれは、剣で受け止められるような次元の攻撃ではない。あれが直撃すれば、セイバーはおろか、このビルそのものが上層部ごと消し飛ぶ。
だが、青銀の騎士は、一歩も引かなかった。
彼女は士郎の叫びを聞いてもなお、静かに目を閉じ、そして深く息を吸い込んだ。
「——逃げる必要など、ありません」
セイバーの両手の中で、空気が震えた。
彼女の剣を覆っていた『風王結界(インビジブル・エア)』の封印が、カチャリ、と音を立てて解き放たれる。
暴風が吹き荒れ、不可視だった剣の真の姿が、夜の闇の中に顕現した。
「な……っ」
凛が、そしてメディアが、同時に言葉を失った。
それは、黄金。
星の光を集めたかのような、圧倒的で、純粋で、この世の何よりも美しい、勝利の象徴。
魔力が足りない。身体は重い。それでも、アーサー王の魂が、主君を護るために最大の神秘を解き放つことを選んだ。
「マリンさん……あれ、は……」
士郎が、呆然と呟く。
マリンもまた、恐怖を忘れ、ただその神々しい黄金の輝きに心を奪われていた。
誰も傷つけない、平和な日常を守りたい。そう願っていた彼女の目の前で、人間という枠組みを遥かに超えた、神話の激突が始まろうとしていた。
「参ります、ライダー……!!」
セイバーが、黄金の剣を高く振りかざした。
天馬が、流星となって上空から急降下を始める。
冬木の夜空を二分する、極大の宝具同士の激突。
その決定的瞬間に向けて、世界は一瞬の静寂に包まれた。