マリメディア   作:raian sinra

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### 物語の中盤:『血と魔力の交差点、そして姉としての誓い』

#### 4. アインツベルン城の潜入と予期せぬ対話

凍てつくような寒さが、意識の底から宝鐘マリンを強引に引きずり出した。

「……ん、ぅ……」

重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは、ひび割れた石造りの高い天井だった。

身体を起こそうとして、手をついた床のあまりの冷たさに「ひゃっ」と短く息を呑む。

ふかふかの羽毛布団も、メディアが淹れてくれる温かい紅茶の匂いもない。そこは、窓一つない薄暗く巨大な石室だった。暖炉はあるが火は入っておらず、吐く息は真っ白に染まっている。

(……そうだ。私、あの真っ黒で大きな怪物に掴まれて……)

記憶が急速にフラッシュバックする。

新都のビルの屋上。イリヤスフィールと名乗った白い少女。そして、自身を庇おうと血まみれになって手を伸ばす士郎と、悲痛な絶叫を上げるメディアの顔。

「メディア……! 士郎君……っ!」

マリンは慌てて自身の身体を確かめた。

あのバーサーカーと呼ばれる巨神に掴まれた腰のあたりは鈍く痛むが、骨は折れていないようだ。どうやら、本当に「殺さないように」手加減して運ばれたらしい。

「目が覚めた? シロウの、一番大切な女(ひと)」

不意に、暗がりから鈴を転がすような、高く澄んだ声が響いた。

「——っ!」

マリンが弾かれたように声の方を向く。

石室の奥、豪奢だがひどく冷たさを感じるアンティークの椅子に、あの白い少女——イリヤスフィールが脚を組んで座っていた。

雪のような銀髪に、血のように赤いルビーの瞳。その唇には、年端もいかない子供特有の、純粋で残酷な笑みが張り付いている。

「ここは冬の森。アインツベルンのお城よ。……ふふっ、ずいぶん震えてるのね。当然だわ。魔術回路すら持たないただの人間が、この森の冷気に当てられれば、それだけで肺が凍りついて死んじゃうんだから」

イリヤは立ち上がり、コツン、コツンと硬い靴音を響かせてマリンへと近づいてきた。

「どうして、私があなたを殺さずに連れてきたか、分かる?」

「……わか、らない……。私、あなたに恨まれるようなこと、何も……」

ガチガチと歯の根を鳴らしながら、マリンは後ずさる。

怖い。目の前の少女は自分よりずっと小さくて華奢なのに、その背後から漂う『死の匂い』が尋常ではない。少しでも彼女の機嫌を損ねれば、部屋の外に控えているであろうあの怪物が、一瞬にして自分をミンチにするだろう。

「あなたはね、これからシロウを絶望させるための、最高の『おもちゃ』なの」

イリヤはマリンの目の前でしゃがみ込み、その赤い瞳でマリンを覗き込んだ。

「あのお兄ちゃんはね、自分のことより他人のことを優先する、つまらない正義の味方なの。だから、自分が痛めつけられるより、自分の『大切な家族』が目の前で壊される方が、ずっとずっと傷つくわ。……あなたがシロウを庇った時、シロウ、すっごく絶望した顔をしてたもの。やっぱりキリツグが残した家族は、特別なんだわ」

「キリ、ツグ……?」

聞き慣れない名前に、マリンが眉をひそめる。

「そうよ。私とお母様をこの冷たいお城に捨てて、自分だけ温かい国で、シロウと一緒に家族ごっこをしてた裏切り者! 衛宮切嗣!」

イリヤの赤い瞳に、ドロリとした昏い感情が渦巻いた。

憎悪。殺意。そして——。

「だから私は、キリツグの代わりにシロウを殺すの。彼が一番大切にしているものを、全部この手でめちゃくちゃにしてからね! あなたには、シロウがここへ助けに来るまで、いーっぱい泣いて叫んでもらうわ。私たちがどれだけ痛くて苦しかったか、お兄ちゃんにも教えてあげなくちゃ!」

無邪気に、残酷な拷問を宣告するイリヤ。

普通の人間なら、ここで泣き叫んで命乞いをするか、絶望して意識を手放す場面だろう。

だが、マリンは違った。

(——え?)

マリンの特異な『霊媒体質』と『直感』が、イリヤの言葉の端々に隠された、決定的なものを受信してしまったのだ。

マリンの視界が、一瞬だけ揺らいだ。

古いアンティークに触れた時、その持ち主の情念を読み取ってしまうのと同じ感覚。

見える。

雪に閉ざされた、誰もいない冷たい城。

窓の外を、来る日も来る日もただ一人で見つめ続ける、小さな白い背中。

『キリツグはいつ帰ってくるの?』

誰も答えてくれない。誰も抱きしめてくれない。

ただ魔術の道具として肉体を弄られ、激痛に耐えながら、それでも自分を迎えに来てくれるはずの『父親』を信じて待ち続けた、途方もなく長く、凍りつくような孤独な時間。

そして知ってしまった、父親の死。

彼が自分を迎えに来なかった理由。自分ではなく、全く血の繋がらない『赤の他人(士郎)』を息子として愛し、最期まで一緒にいたという事実。

憎しみではない。

イリヤの言葉の奥底、その深層心理で血を流している感情の正体は。

(……寂しかった、んだ……)

どうしようもないほどの、悲しみと孤独。

父親に愛されたかった。自分を見てほしかった。

そのやり場のない悲痛な叫びが、衛宮士郎という『父親の愛を奪った存在』に対する、苛烈な嫉妬と憎悪にすり替わっているだけなのだ。

「……ふふ、どうしたの? 恐怖で声も出ない?」

反応を示さないマリンを見て、イリヤが満足げに笑う。

しかし。

「……違うよ」

マリンの声は、先程までの怯えた震えを失っていた。

「……え?」

「あなたは、士郎君が憎いんじゃない。……お父さんに会えなくて、ずっと一人ぼっちで……寂しかっただけなんだね」

イリヤの表情が、ピシッと固まった。

「な……何を、言ってるの……?」

「キリツグさんっていうのは、士郎君の養父(お父さん)のことだよね。大河から聞いたことあるよ。……そっか。あなた、士郎君の妹さんなんだ」

マリンは、ゆっくりと、冷たい石の床の上で上体を起こした。

腰は痛む。空気は死ぬほど冷たい。外には怪物がいる。

怖いのは変わらない。

それでも、マリンは、自分を殺そうとしている魔術師の少女に向かって。

まるで、公園で迷子になって泣いている子供に接するような、限りなく優しく、無防備な声音で語りかけた。

「……っ、ふざけないで! 私はシロウの妹なんかじゃない! アインツベルンのマスターよ! 殺すわよ、あなたなんか一瞬で——!」

激昂したイリヤが、指先に白鳥の魔術(シュトルヒリッター)を展開する。

鋭い光の刃が、マリンの眼前に突きつけられた。

だが、マリンは目を逸らさなかった。それどころか、彼女は膝立ちになり、突きつけられた光の刃を恐れることなく、イリヤの方へとゆっくりと身を乗り出したのだ。

「……な、なに、やめて。近づかないで!」

予想外の行動に、イリヤの方が後ずさる。

魔術師なら、魔術で対抗するか、逃げるか、命乞いをするのが定石だ。

『殺す』と脅されているのに、全く敵意のない、むしろ慈しむような目で見つめてくる人間など、イリヤはこれまでの人生で一度も出会ったことがなかった。

「イリヤちゃん、だっけ」

「……っ!」

マリンは、ためらうことなく手を伸ばし。

ビクッと肩を震わせたイリヤの、雪のように白い髪に、そっと触れた。

「え……?」

「こんな冷たいお城で、ずっと一人で、お父さんを待ってたんだね。……つらかったね。痛くて、寂しくて、いっぱい泣いたよね」

マリンの温かい手のひらが、イリヤの髪を優しく、ゆっくりと撫でた。

「……っ、あ……」

イリヤの指先から、魔術の光がポロポロと崩れ落ちて消えた。

彼女のルビーの瞳が、限界まで見開かれ、激しく揺らいでいる。

「な、なによ、これ……。どうして……」

「士郎君はね、あなたからお父さんを奪ったんじゃないよ。あの子も、火事で本当の家族を全部なくして、一人ぼっちだったの。……だからね、お互いに、寂しかったんだよ」

マリンは、凍りついているイリヤの小さな身体を、両腕でそっと包み込むように抱き寄せた。

「——っ!?」

イリヤは抵抗できなかった。

殺そうと思えば、いつでも殺せる。バーサーカーを呼べば、一秒でこの女の首は飛ぶ。

頭では分かっているのに、身体が動かない。

マリンの身体から伝わってくる、あまりにも純粋で、打算のない、普通の人間としての『温もり』。

それは、イリヤがずっと求めて、決して手に入らなかった、母親の抱擁にも似た絶対的な安心感だった。

「お姉さんが、ぎゅーってしてあげる。もう、無理して怖い顔しなくていいんだよ、イリヤちゃん」

「あ……う、ぁ……」

魔術師としての冷酷な仮面が、音を立てて崩れ去っていく。

イリヤの喉から、子供のような、しゃくり上げるような声が漏れ始めた。

「ちがう、わたしは……わたしは、アインツベルンの……」

「うん、頑張ったね。いっぱい我慢して、えらかったね」

マリンが、イリヤの背中をポンポンと優しく叩く。

その一定のリズムと温もりが、イリヤの心の一番深い場所に刺さっていた氷の棘を、静かに、しかし確実に溶かしていく。

「キリツグ、は……どうして、わたしを……っ、迎えに、きてくれなかったの……っ」

「うん」

「わたし、ずっと、ずっと待ってたのに……っ。痛いのも我慢して、いい子にしてたのに……っ!!」

ついに、イリヤの赤い瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

彼女はマリンのカーディガンを両手でギュッと掴み、顔を押し付けて、声を上げて泣きじゃくり始めた。

「うわあああぁぁぁんっ……!! お父様……っ、お母様ぁ……っ!!」

冬の森の魔女が、ただの寂しがり屋の少女に戻った瞬間だった。

マリンは何も言わず、ただイリヤの気が済むまで、その小さな頭を撫で続けた。

自分が誘拐された被害者であることも。

ここが敵陣のど真ん中であることも。

扉の向こうに凶悪なサーヴァントがいることも。

その全てを度外視して、マリンは目の前で泣きじゃくる小さな『妹』に、持てる限りの優しさを注ぎ込んでいた。

(……士郎君、メディア。早く来て)

マリンは、泣き疲れて少しずつ呼吸が落ち着いてきたイリヤの背中を撫でながら、心の奥底で強く願った。

この子を、もう誰もいない冷たい城に一人で残しておくわけにはいかない。

絶対に、士郎と和解させて、温かい衛宮邸の食卓に連れて帰るのだ。

姉としての新たな誓いを胸に。

宝鐘マリンは、凍てつくアインツベルン城の中心で、たった一つの温かい灯火となって、奪還部隊の到着を待ち続けていた。

 

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