世界は終わらない   作:あっつあつ

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生活

地平線を見据える白濁した双眸には、明確な目的地など存在しないはずだったが、その巨躯はただひたすらに、巨大な三重の壁がそびえ立つ方角へと引き寄せられていた。

 

ドス、ドス、と規則正しい地鳴りを響かせながら、彼は起伏の激しい丘陵を越え、背の低い木々をなぎ倒して進む。

 

その歩みは周囲の無垢の巨人たちに比べて遥かに軽快であり、無駄のない洗練された跳躍を交えながら、驚異的な速度で草原を駆け抜けていった。

 

どれほどの距離を移動した頃だろうか、前方から、微かだが彼を刺激する「音」が風に乗って運ばれてきた。

 

地を穿つ無数の硬質な響き━━それは、この壁外の荒野においては絶対にあり得ない、統率された馬の蹄音だった。

 

巨人の全身の細胞が、その音に反応して一斉に粟立つ。

 

それと同時に、視界の最果て、陽炎の立つ地平線の向こうから、緑色の外套をなびかせた一団が土煙を上げて姿を現した。

 

壁の中に生息する家畜――彼ら無垢の巨人にとって唯一の絶対的な捕食対象である「人間」の集団、調査兵団の壁外調査班であった。

 

彼らの放った信煙弾が、青い空に一本の鋭い煙の軌跡を描いていく。

 

その瞬間、巨人の脳内にどす黒い漆黒の衝動が奔流となって突き抜けた。

 

「喰らえ」という、血に刻まれた絶対的な呪縛、抗うことのできない魂の飢餓感が、彼の流線型の肉体を支配する。

 

白濁した双眸がギラリと飢えた輝きを帯び、紅と蒼の斑紋が施された強靭な脚部が、爆発的な力で大地を蹴り上げた。

 

十五メートルの巨躯が一瞬にしてトップスピードに達し、調査兵団の右翼を担う一隊へと向かって、猛然と突進を開始する。

 

風を切り裂き、大気を震わせるその速度は、一般的な奇行種のそれを遥かに凌駕していた。

 

突撃してくる異質な巨人の姿を捉えた調査兵団の兵士たちが、驚愕の声を上げ、即座に回避と迎撃の行動に移るのが見える。

 

距離は瞬く間に縮まり、あと数歩も進めば、その巨大な剛腕で馬ごと人間を薙ぎ払い、掴み上げることができる位置にまで達した。

 

巨人は本能のままに右腕を伸ばし、五本の指を大きく広げて、恐怖に目を見張る兵士へと掴みかかろうとした。

 

━━だが、その指先が人間の衣服に触れる、まさにその刹那だった。

 

彼の脳裏を、走馬灯のようなどこか懐かしい「光の記憶」が、稲妻のごとく一閃した。

 

それは、言葉でも映像でもなく、ただ圧倒的な「意志」の残光。

 

決して絶望に屈しない、誰も傷つけない、ただ前を向いて進むのだという、かつて彼が抱いていたはずの魂の誇りであった。

 

その光が、彼の肉体を縛る巨人の呪いと真っ向から衝突し、強烈な拒絶反応を引き起こす。

 

ウグッ、と声にならない呻きが巨人の巨躯を内側から震わせた。

 

伸ばしかけた右腕の自由が完全に奪われ、まるで目に見えない強固な鎖で縛り付けられたかのように、その場に釘付けにされる。

 

「……!?」

 

獲物であるはずの兵士たちが、目前で突如として動きを止めた紅と蒼の巨人を、信じられないといった面持ちで見上げながら、全速力でその側側を駆け抜けていく。

 

巨人は襲いかかるのを完全にやめ、凄まじい制動の勢いのまま、草原の土を深く抉りながら激しく滑り込んだ。

 

巻き上がる大量の土煙の中で、彼はただ、自分の巨大な右手のひらをじっと見つめていた。

 

人間を掴み、引き裂き、その肉を喰らうための醜悪な武器。

 

その五本の指が、己の内側から湧き上がる正体不明の拒絶感によって、激しく痙攣している。

 

巨人は、人間を喰らおうとした自らの右手を、まるで忌まわしい異物であるかのように凝視し続けた。

 

やがて、彼は震える右手の指を、人間に抗うように一本、また一本と、強い力で内側へと折り込んでいく。

 

人差し指、中指、薬指、小指が固く握り締められ、強固な拳が形作られる。

 

そして最後に、残された一本の親指だけを、天に向かってまっすぐに突き立てた。

 

不格好で、巨大で、しかしどこか誇り高いその姿勢のまま、巨人は微動だにせず佇み続ける。

 

遠ざかっていく調査兵団の馬蹄の音が、次第に小さくなり、やがて完全に草原の風の音へと消えていった。

 

彼らが去った後も、紅と蒼の巨人はしばらくの間、天に向けた親指を下ろすことはなかった。

 

その胸の中央にある滴型の肉腫が、去り行く人間たちの背中を見送るように、朝日の下で静かに、優しく明滅していた。

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