世界は終わらない   作:あっつあつ

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陥落(3)

大通りへと這い出た巨人は、逃げ惑う人々の群れが放つ、目も眩むような濃密な生の気配に包まれた。

 

周囲の至る所で家々が炎を上げて崩壊し、無慈悲に踏み荒らされる街並みの中、他の無垢の巨人たちが狂喜乱舞しながら人間を貪り食う凄惨な光景が広がっている。

 

空間そのものを埋め尽くす血と絶望の匂いは、彼の鋭敏な五感をこれ以上ないほど激しく刺激し、眠れる獣を揺り動かした。

 

しかし、彼はその目の前に溢れる獲物たちに飛びかかることも、命を乞いながら逃げる人々を追いかけることもせず、ただ大通りの真ん中で深くうつむいた。

 

流線型の両腕を激しく震わせ、白銀の指先が手のひらに食い込むほど、強固な両拳を固く、固く握りしめる。

 

骨ときしむ音が彼の巨躯の内側から不気味に響き渡り、皮膚に走る紅と蒼の鮮烈な斑紋が、異常な血流の昂ぶりによって激しく脈打っていた。

 

その拳や全身の隙間からは、過剰な拒絶反応による高熱の蒸気がプシューッと激しく吹き出し、周囲のアスファルトやレンガの地面を白く曇らせていた。

 

うなじの奥底で狂い叫ぶ、人間を貪れ、その肉を喰らい尽くせという巨人の絶対的な本能。

 

それを力ずくで抑え込み、己の肉体の主導権を生前の最期の意志に留めておくためだけに、彼の全エネルギーが凄まじい勢いで消費されていく。

 

もし、今ここで僅かでも拳の力を緩めてしまえば、その瞬間に悪魔の呪縛が勝利し、彼の強靭な肉体は無防備な群衆へと容赦なく襲いかかってしまうだろう。

 

今、この瞬間に近くの民家で誰が巨人の餌食になっていようとも、瓦礫の下で母親が絶望の悲鳴を上げていようとも、彼にはそれらを顧みる余裕など一微塵も残されていなかった。

 

彼は、他者を救い上げる全能の英雄などではなかった。

 

目の前の悲劇を止める力も、世界を襲う破滅の嵐を阻む知恵も、いまの彼には何一つとして持ち合わせてはいない。

 

ただ、己の内に宿る悪魔の呪縛に抗い、先ほどの路地裏にいた小さな命を『喰らわない』ということだけに、全存在を摩耗させて耐え続けることしかできない、悲壮な肉の塊に過ぎなかった。

 

その頃、巨人が暴れ狂ったことで完全に崩壊した路地裏の、崩落した瓦礫の隙間から小さな影が這い出していた。

 

恐怖に顔を青ざめさせ、透き通った青い瞳に大粒の涙をためた、特徴的な金髪の少年であった。

 

少年は、大通りの真ん中で大地が割れんばかりに拳を握りしめ、下を向いて必死に震えている紅と蒼の巨人の背中を、信じられないものを見るかのように一瞬だけ見つめた。

 

あの異形は、自分を襲わずに、あえて別の場所を壊して自分を逃がしてくれたのではないか――。

 

少年がその幼い、しかし人一倍聡明な頭脳でそんな疑問を抱く暇もなく、周囲の凄惨な現実が容赦なくその身体を突き動かす。

 

すぐ近くの路地からも、生存者を求めて蠢く別の不気味な巨人の足音が確実に迫りつつあった。

 

少年は袖で涙を拭うと、紅と蒼の巨人の背に守られるようにして、大通りとは完全に逆の避難方向へと無我夢中で駆け出して行った。

 

その小さな足取りは、絶望に満ちたシガンシナ区の混乱の中へ、生き延びるための希望を繋ぐようにして消えていく。

 

背後から遠ざかっていく、あの金髪の少年の小さな足音と、必死に生きようとする命の気配。

 

巨人は下を向いたまま、それを己の五感の端で、そして魂の深層で静かに感じ取っていた。

 

少年が無事にこの地獄の手から逃げ延び、自らの飢餓の牙から遠ざかったことを確信したかのように、彼の胸の中央にある滴型の結晶の、狂ったような赤色の明滅が、徐々に速度を落としていく。

 

激しく燃え盛るようだった警告の赤は、やがて静かな、しかし確かな命の灯火を思わせる青い輝きへと戻り、彼の巨躯を包む熱量も僅かに落ち着きを取り戻していった。

 

しかし、彼が握りしめた両拳が緩むことはなく、その白銀の肉体は、地獄と化した街の喧騒の中で、ただ静かに呪いと戦い続けていた。

 

押し寄せる本能の波に身を焦がしながらも、彼はただの物言わぬ記念碑のように、崩壊していく街の真ん中で自らの魂の防衛線に立ち尽くしていた。

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