暗い土蔵の中、衛宮士郎は何度も物に呪力を込め、強化を試みていた。
……だが。
「くっ……!」
呪力を流し込もうとした鉄パイプに弾かれ、右腕の筋肉を内側から刃物で引き裂かれるような激痛が走る。
「はぁ……今日もダメか」
痺れる右腕をさすりながら呟く。足元には、呪力を込め損ねて内部から歪んでしまったガラクタが無惨に転がっていた。
その時、ギギギと重い音を立てて土蔵の扉が開き、鮮やかな朝の光が差し込んでくる。
「先輩、ちょっといいですか?」
衛宮士郎が住んでいるのはマンションでも一軒家でもなく、古い屋敷だった。
2017年の現代においては珍しい簡素な純和風の造りで、どこか懐かしい木の匂いが漂っている。そして、高校生が一人で住むにはあまりにも広すぎる敷地があった。
「士郎、ご飯、ご飯! 私、もうお腹ぺこぺこなのよ!」
いや、正確には一人ではない。
いま味噌汁をよそって目の前に差し出している女性――藤ねえこと藤村大河は、士郎に何かと世話を焼きにやってくる人物の一人だ。
「んんん、ぷっはー! やっぱ士郎のご飯は美味しいわね。前よりもまた腕を上げた上がったんじゃない?」
「そりゃ、こんだけ藤ねえが押しかけてくれば料理の腕も上がるさ。そう言う藤ねえこそ、なんで自分で作らないんだよ」
「だって、士郎のご飯は私が作るよりも遥かに美味しいんじゃないの!」
あっけらかんとそう言い放ちながらも箸の動きは一切止まらず、食卓のおかずを次々と口へ運んでいく。
「まあまあ、先輩。藤村先生もしっかり感謝していますし、そう咎めなくてもいいじゃないですか」
「けど桜、こんな大の大人が自分で自炊もしないで人の家でグータラしてるんだ、少しは言いたくもなるだろ」
そう優しく微笑みながら口を挟むのは、毎朝手伝いに来てくれる後輩の間桐桜だ。
彼女の眼差しには、単なる先輩への尊敬とは少し違う、温かく揺れるような感情が混ざっている。士郎自身、その好意に薄々気づいてはいるものの、どうしても深く踏み込めずにいた。
「まあ、それもそうだな。けれど藤ねえもたまには家で作ってくれよ。最近は食料品も値上がりしてるんだから」
「はいはい、分かりましたよー! 士郎、おかわり!」
こちらの話をどこまで聞いているのやら、口元に米粒を二つほどつけた大人の姿がそこにあった。
「はぁ……全く、藤ねえも食欲旺盛すぎる。俺の懐もそろそろ限界だぞ」
朝食の後片付けを終えた士郎は制服に着替え、屋敷の鍵をしっかり閉めて学校へと向かった。
士郎が通う穂群原学園は、高台にある衛宮邸から坂を下り、街を抜けた先にある。
「よっ、衛宮。今日も早いな」
「まあな。一成、お前に頼まれた生徒会の備品修理があるから早めに来たんだよ。……まさか忘れてないだろうな?」
「む! ああ、そうだったそうだった! すまんすまん、助かるよ」
校門の前で出迎えたのは、友人の柳洞一成だった。
緩みきった生徒会を根本から立て直そうと奔走している真面目な男で、士郎とは一年の頃からの付き合いだ。堅物な性格に反して整った顔立ちをしており、女子生徒からの人気も高い。
「まあ、今日もパパッと終わらせておくから、一成は自分の仕事に集中してくれ。忙しいんだろ?」
「すまん、後で礼はする! では衛宮、頼んだぞ!」
一成は要件だけを伝えると、風のように校舎へと駆け去っていった。
まだ他の生徒の姿も少ない校庭を見渡し、士郎はひとつ大きな溜め息を吐き出す。
「はぁー……まあ、誰かの役に立つのなら悪くはないか。……でも、俺は本当にこういう生き方を続けていくのかな」
溜め息とともに少しだけ生気を呼び戻した士郎は、静かに校門をくぐった。
だが、衛宮士郎はまだ知らない。
自身が抱える他人との致命的な「ズレ」を。人間としての空洞を。
そして、「正義の味方」という言葉に潜む矛盾を。
平穏を享受し、誰かに感謝され、幸せを感じるたび、彼の自己矛盾は無意識のうちに心を蝕み、すり減らしていく。
彼はきっと、平和の中では生きられない。
与えられた平穏こそが彼を狂わせ、やがて茨の道へと背中を押す「呪い」となる。
その行き着く先が、たとえ地獄であったとしても。