もうちっとだけハッピーにするんじゃ   作:加賀美ポチ

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踊る大捜査線

 結論から言えば、彩葉はその夜、寝た。

 寝かされた、と言う方が正確だったかもしれない。

 

 朝焼けの水面でパンケーキを食べ、かぐやの君を探すと決めた直後の彩葉は、気持ちだけなら今すぐ世界の端まで走っていけそうだった。

 ヤチヨの手の温度を知ったこと。八千年を見たこと。かぐやの君が残した置き土産の意味に気づいたこと。

 まだ終わっていない物語の続きを、自分の足で始められるのだという予感。

 そのすべてが胸の奥で燃えていて、眠気などという生理現象は、随分遠くの国の話に思えた。

 

 しかし、身体は正直だった。

 ツクヨミからログアウトした瞬間、彩葉は現実の重力を思い出した。

 サーバールームの低い機械音、空調の乾いた風、水槽の中で静かに揺れる竹のようなもの、無数の配線が床を這う現実の部屋。

 そのすべてが目に入ったのと同時に、膝から力が抜けかけた。

 

 丸二日近く眠らず、八千年分の記憶を浴び、泣き、抱きしめ、笑い、怒り、パンケーキまで食べたのだ。

 いくら酒寄彩葉が超人と呼ばれる側の人間であっても、それは精神と身体に対する暴力に近かった。

 椅子の背もたれへ肩を預けた彩葉の視界の端に、タブレットの画面が点いた。

 そこには、白銀の髪を揺らした小さなヤチヨが映っていた。

 現実のタブレット内に収まった彼女は、つい先ほどまで朝焼けの世界で泣き崩れていたとは思えないくらい、きりりとした顔を作っている。

 

『彩葉、寝て』

「いや、でも」

『寝て』

「ヤチヨ、探すって――」

『寝て』

 

 三度目の声は、配信者の軽い調子ではなかった。

 彩葉は口をつぐんだ。

 タブレットの中のヤチヨは、ほんの少しだけ眉を下げた。

 怒っているわけではない。責めているわけでもない。

 ただ、彩葉の身体を、彩葉自身よりも丁寧に見ている顔だった。

 

『彩葉。私は八千年待ったんだよ。あと八時間くらい待てる。だから寝て。二日徹夜して、八千年見て、そのまま作戦会議なんて、そんなの人間のやることじゃない』

「ヤチヨも人間じゃないでしょ」

『私は人間じゃないから言ってるの。人間は寝る。彩葉は特に寝る。今すぐ寝る。はい、証明完了』

 

 反論の余地がなかった。

 その後のことは、少し曖昧だ。

 ヤチヨの案内で、彩葉はサーバールームを出た。

 その後は、ARにヤチヨの導きに従い、電車に乗り、横断歩道を渡り、坂を上り、曲がり角を抜けて、見慣れたタワーマンションにたどり着いた。

 廊下は驚くほど静かで、タワーマンションの高層階特有の空気が、夜の底に沈んだ湖みたいに澄んでいた。

 ARのヤチヨに先導されて彩葉は自室へと帰宅。

 

 広すぎるリビング。大きな窓。柔らかなソファ。

 きちんと整えられたベッドルーム。

 かぐやが居なくなって伽藍洞に感じた空間には、今、8000年の旅を終えたヤチヨが傍に居る。

 

 ベッドへ座った瞬間、彩葉の身体はようやく降伏した。

 頭を枕へ預ける。シーツは清潔で、肌に触れるとひやりとした。

 掛け布団が肩まで引き上げられた感覚があり、タブレットの中のヤチヨが「おやすみ」と言った気がする。返事をしようとした。けれど、声になる前に意識はほどけた。

 

 深く、深く沈んでいく。

 それは、八千年前の海へ落ちる感覚とは違っていた。

 もう誰かの孤独へ沈むのではない。暗闇の中で目を凝らし続けるのでもない。ただ、疲れ切った身体が、ようやく安全な場所を見つけて、全身の力を手放していく眠りだった。

 思考が一枚ずつ剥がれ、記憶のざわめきが遠のき、胸の奥で燃えていた決意も、火種だけを残して穏やかに伏せられていく。

 そうして彩葉は、八時間、眠った。

 それは超ムリ限界ギリの快挙だった──

 

 

『彩葉』

 

 声が聞こえた。

 

『彩葉、朝だよ』

 

 柔らかい声だった。けれど、どこかで聞き慣れた配信前の明るさが混ざっている。

 眠りの底から浮かび上がってくる意識の表面を、その声は指先でそっと叩いた。

 

『起きて。朝の部、開演のお時間です☆』

 

 彩葉は瞼を開けた。

 最初に見えたのは、薄く光を含んだ天井だった。

 カーテンの隙間から朝日が差し込み、白い壁を淡い金色に染めている。

 空調の音は静かで、遠くから街の気配がかすかに聞こえた。高層階まで届く車の音は輪郭を失い、波のように低く広がっている。

 

 しばらく、彩葉は動かなかった。

 身体が軽い。

 その事実を、少し遅れて理解した。

 いつもなら、目覚めた瞬間から身体のどこかに疲れが残っていた。

 肩の奥に沈殿した重さ。まぶたの裏にこびりついた眠気。

 胃のあたりに残る空腹とエナジードリンクの人工的な甘さ。

 授業、アルバイト、課題、配信、家事、予習復習、それらがまだ始まってもいない朝から背中へ積み上がっているような感覚。

 

 けれど今朝は違った。

 指先が温かい。呼吸が深い。肺の底まで空気が入る。

 血が身体の隅々まできちんと巡っているのが分かる。

 頭の奥に霧がない。思考がまっすぐ伸びる。

 まるで長い間、少しだけ曇ったガラス越しに世界を見ていたのに、誰かがそのガラスを一晩かけて丁寧に磨き上げてくれたみたいだった。

 

 彩葉はゆっくり右手を持ち上げ、指を開いた。

 手が、軽い。

 握る。開く。もう一度握る。

 たったそれだけの動作が、妙に鮮やかだった。身体の反応が遅れない。

 筋肉が素直に言うことを聞く。寝起き特有の鈍さがないどころか、むしろ全身が一つの楽器みたいに調律されている。

 

「……なにこれ」

 

 声が出た。

 掠れていない。喉も乾き切っていない。少し低めに落ち着いた自分の声が、部屋の空気に滑らかに乗った。

 枕元に置かれたタブレットの画面が点いている。そこに映る小さなヤチヨが、得意げに扇子を広げた。

 

『おはヤオヨロ〜。八時間睡眠を経た酒寄彩葉選手、コンディションいかがでしょうか』

「……すごい」

『お?』

「身体が、すごい」

 

 彩葉は上体を起こした。

 起き上がるだけで分かった。

 腰が重くない。首が痛くない。背中に張り付いていた疲労の膜が消えている。

 足を床へ下ろすと、足裏に冷たい床の感触が返ってきた。その刺激さえ心地よかった。

 

 立ち上がる。

 重心がぶれない。

 思わず、その場で軽く膝を曲げた。身体が沈み、すぐに戻る。

 反応が速い。視界も揺れない。眠気もない。脳が先に動き、身体が遅れてついてくるのではなく、思考と動作が同じ線の上を走っている。

 

 いつもの自分は、ずっとこれより悪い状態で動いていたのか。

 その事実に、彩葉は少しだけ呆然とした。

 自分では平気だと思っていた。慣れていると思っていた。

 忙しいのは当たり前で、疲れているのも当たり前で、それでも成績は維持できていたし、アルバイトもできていたし、ツクヨミにも潜れていた。だから、自分はまだ大丈夫だと思っていた。

 

 違ったのだ。

 大丈夫だったのではない。大丈夫な形に押し込んでいただけだった。

 ずっと少しずつ息を止めながら泳いでいたのに、それを泳げていると勘違いしていた。

 今日初めて、水面から顔を出して、肺いっぱいに空気を吸った。そんな感覚だった。

 今の彩葉はまさに、超彩葉だった。

 

『彩葉?』

 

 ヤチヨの声が少し柔らかくなる。

 

『大丈夫?』

「大丈夫」

 

 彩葉は即答した。

 その声に、自分でも驚くほど芯があった。

 

「たぶん、今までで一番大丈夫」

 

 窓際へ歩く。カーテンを開けると、朝の光が一気に部屋へ流れ込んだ。

 高層階から見下ろす街は、薄い金色の膜をかけられたように輝いている。

 ビルの谷間に影が落ち、遠くの川が細く光り、まだ目覚めきっていない都市全体が、巨大な機械のようにゆっくり動き始めていた。

 

 彩葉は、その景色を見ながら深く息を吸った。

 胸が広がる。肩が開く。背筋が自然に伸びる。

 体内に、静かな熱がある。

 

 興奮の熱ではない。焦りでもない。エナジードリンクで無理やり心拍を上げた時の、あの薄っぺらい鋭さでもない。

 もっと深いところから湧いてくる、安定した力だった。足元に根が張り、そこから身体の中心へ養分が上がってくるような、揺るぎない充足感。

 超人と呼ばれていた自分は、実はずっと、充電残量の赤い表示を見ないふりして動いていただけなのかもしれない。

 

 ならば。

 満充電の酒寄彩葉は、どこまで動けるのだろう。

 そんな不謹慎なほど前向きな考えが浮かんで、彩葉は小さく笑った。

 

『おや、何やら不敵な笑み』

「分かったことがある」

『何でしょう、彩葉選手』

「睡眠ってすごい」

『人類、数千年かけてようやく真理へ到達』

「いや本当にすごい。昨日までの私、だいぶ舐めてた」

『でしょうね。ヤッチョ的には、彩葉の普段の生活ログを見ているだけで、こっちの仮想胃が痛くなるレベルでした』

「見てたの?」

『推しの健康状態は気になるものなので』

「言い方」

 

 彩葉は苦笑しながら、ベッドの脇に置いてあったスマコンを手に取った。指先に触れた小さなデバイスの硬質な感触が、今朝はやけに鮮明だった。

 

「ヤチヨ、ARで出てこられる?」

『もちろん。朝の女神、現実世界へ降臨のお時間です』

「その言い方だとありがたみが薄れる」

『ありがたみは量より勢い』

「勢いでどうにかなるものじゃないでしょ」

 

 言いながら、彩葉はスマコンを装着した。

 瞼を閉じる。薄い膜が眼球の表面へ馴染む感覚。

 視界の裏側に起動シグナルが走り、現実の部屋の輪郭へ、淡い電子の格子が重なっていく。数秒後、窓際の光の中に小さなノイズが集まり、白銀の髪がふわりと形を持った。

 

 ヤチヨが、そこに立っていた。

 スマコンの視界補正が安定すると、朝の部屋に重なっていた電子の格子が薄れていき、窓際に立っていたヤチヨの姿が、現実の光の中へ自然に馴染んだ。

 もちろん、実体ではない。

 床を踏んでいるように見える足も、朝日を受けて柔らかく光る白銀の髪も、袖口の繊細な揺れも、すべてARが描き出した映像だ。

 手を伸ばせば通り抜ける。昨日の感覚再現プログラムを通さなければ、本当の温度は返ってこない。

 

 それでも、そこにいる。

 月見ヤチヨが、酒寄彩葉のいる部屋に、当たり前みたいに立っている。

 

 

「ではでは、第一回、逃げたお節介焼きさん捜索会議を始めます」

 

 ヤチヨはそう言って、軽やかにテーブルの方へ歩いてきた。

 現実の椅子に合わせるように腰を下ろすと、AR上の衣装の裾がふわりと広がり、半透明の髪が肩の上を滑る。

 彩葉の隣だった。

 向かい側ではなく、隣。

 ほんの腕一本分ほどの距離に、月見ヤチヨが座っている。

 

「……」

「彩葉?」

「……うん」

「うん?」

「いや、うん。大丈夫」

 

 大丈夫ではなかった。

 八時間睡眠を経て身体は過去最高と言っていいほど冴えている。

 頭の中の霧は晴れ、血は綺麗に巡り、指先まで力が満ちている。

 昨日までの慢性的な疲労が嘘だったように、全身が軽く、視界は鮮明で、思考は水面に差し込む朝日のようにまっすぐだった。

 

 だが、体調が万全になったことで、むしろ別の問題が発生した。

 冷静になってしまったのだ。

 冷静になった結果、今、自分の隣にいる存在の意味を、彩葉の脳が遅ればせながら正しく認識し始めた。

 月見ヤチヨ。

 巨大仮想空間ツクヨミを見守る管理人AIにして、歌って踊って分身もできるトップライバー。

 彩葉が何度も配信を追い、グッズの抽選に外れて枕を濡らし、限定品の情報に一喜一憂し、初手赤スパで殴られて悲鳴を上げた、あの月見ヤチヨである。

 

 その推しが、隣にいる。

 昨日までは、八千年の記憶だとか、かぐやの涙だとか、温かい手だとか、感情の濁流があまりにも大きすぎて、推し活回路が焼き切れていた。

 ヤチヨはかぐやで、かぐやはヤチヨで、抱きしめて、泣いて、パンケーキを食べて、逃げたお節介焼きさんを探すと決めた。

 あまりにも情報量が多すぎて、彩葉の中の限界オタク部分は避難所の隅で膝を抱えていた。

 

 しかし一夜明けた。

 八時間眠った。

 朝食も取った。

 身体は万全。脳も万全。判断力も回復した。

 そして、回復した判断力が告げていた。

 推しが──隣にいる。

 

「おやおや~彩葉ぁ、顔赤くない?」

「赤くない」

「いや赤いよ。体温ログ的にもほんのり上がってる」

「ログ見ないで」

「健康管理です」

「それは便利な言葉だけど今はやめて」

 

 彩葉は視線を泳がせた。

 隣を見るとヤチヨがいる。

 見ないようにすると、視界の端に白銀の髪が入る。

 机を見ると、ARの袖口が視界へかかる。

 逃げ場がない。しかもヤチヨは不思議そうに首を傾げているだけで、自分がどれほど彩葉の情緒に悪い存在なのか分かっていない顔をしていた。

 いや、分かっている可能性もある。

 この管理人AI、そういうところは妙に鋭い。

 

「もしかして、彩葉」

「違う」

「まだ何も言ってないよ~☆」

「違う」

「推しが隣に座っていることを急に意識して挙動不審になってる?」

「違……わなくは、ない、けど」

 

 最後まで否定できなかった。

 ヤチヨは一瞬きょとんとしたあと、ぱあっと顔を輝かせた。

 

「おお。推し判定、かぐやバレしても生きてた」

「生きてるよ! というか昨日までが異常事態だっただけで、普通に考えたらとんでもない状況だからねこれ!?

 私の部屋じゃないけど、朝起きたら推しがいて、しかも隣に座って作戦会議って、何? 夢? いや夢なら覚めないで欲しいんだけど!」

「ヤオヨロ~。夢より高密度な女、月見ヤチヨです」

「自己紹介しないで。知ってる。知り過ぎてるほど知ってるから」

「限界オタク彩葉、ちょっと懐かしいね」

 

 ヤチヨがくすくす笑う。

 その笑い方に、彩葉はさらに顔を覆いたくなった。

 トップライバーとしての眩しさだけではない。

 そこには、昨日泣きながら温かいと繰り返したヤチヨがいて、八千年を歩いたかぐやがいて、自分が抱きしめた相手がいる。

 推しで、相棒で、大好きなかぐやで、今は隣にいる人。

 属性が多すぎる。

 

「……ずるい」

「何が?」

「存在が」

「ヤッチョは彩葉の娘で仲良しで推しだもんね」

「昨日はさ、こっちも八千年とか、感覚再現とか、パンケーキとか、いろいろありすぎて処理できてなかったけど。一晩寝て冷静になったら、普通に、ヤチヨがいるの、すごい」

 

 言ってしまうと、胸の奥が少しだけ落ち着いた。

 ヤチヨは、茶化すかと思った。けれど、彼女は少しだけ目を細め、朝日を受けた横顔で静かに笑った。

 

「私も、彩葉がいるの、すごいよ」

 

 その一言は、配信者のファンサービスではなかった。

 彩葉は言葉を失った。

 ヤチヨは扇子を開き、照れ隠しのように口元を隠す。

 

「だから、限界オタクモードは三分までです。これ以上やると、ヤッチョも照れるので」

「もう照れてるじゃん」

「会議を始めます」

「逃げた」

「逃げてません。戦略的転進ですことよ」

 

 彩葉は小さく笑った。

 胸の高鳴りはまだ残っている。けれど、少し落ち着いた。

 推しが隣にいる現実を、完全に平常心で受け止めるのは無理だとしても、その無理さごと抱えたまま前へ進むことはできる。

 それに、今の彩葉は万全だった。

 八時間睡眠。朝食。身体に満ちる充足感。澄んだ頭。推しが隣にいることによる謎の緊張と、同時に湧き上がる高揚。普通なら混乱の材料になるそれらが、今の彩葉の中では不思議と一つの推進力になっていた。

 鬼に金棒。

 いや、ヤチヨに言わせれば、鬼に金棒と軍資金と専属マネージャーと月見ヤチヨがついた状態。

 ならば、逃げた梟の一羽くらい、見つけられない道理はない。

 

「じゃあ、始めよう」

 

 彩葉は姿勢を正した。

 胸の高鳴りはまだ残っている。

 隣に月見ヤチヨが座っているという、冷静に考えれば心臓に悪すぎる状況は何ひとつ変わっていない。

 だが、それでも今の彩葉は、ただ推しを前にして挙動不審になっているだけの少女ではなかった。

 

 

 ヤチヨは隣で扇子を閉じ、少しだけ首を傾げた。

 

「ここで始めてもいいんだけど」

「けど?」

「本格的にやるなら、ツクヨミの私の部屋の方がいいよ。管理者用の裏口に近いし、ニュースフィードも監査ログも、こっちのAR越しよりまとめて見られる。あと、万が一変なものを踏んだ時に、現実側へ影響が出にくい」

「変なもの」

「八千年物のお節介焼きさんが残したログだよ? 変なものしか出てこない可能性もあります」

「否定できないのが嫌だな」

 

 彩葉は苦笑しながら、スマコンの操作を切り替えた。

 現実の部屋の輪郭に、薄い電子の格子が重なっていく。

 朝の光に満ちたタワーマンションのリビングが、少しずつ遠ざかる。

 窓の外の街並み、テーブルの上の朝食の皿、椅子の背もたれ、隣に座るARのヤチヨ。そのすべてが水面へ落とした絵の具のように揺らぎ、色の粒になってほどけていく。

 

 代わりに、夜が現れた。

 ツクヨミの空は、現実の朝とは違う色をしていた。

 深い藍色の天蓋に、細い月がかかっている。星はただ瞬いているのではなく、都市の情報灯のようにゆっくり流れ、遠くの空には灯籠めいた光がいくつも浮いていた。

 足元には磨き上げられた黒い床が広がり、そこに月と星と、二人の影が静かに映っている。

 

 彩葉は、ヤチヨのプライベートルームへ降り立った。

 

 以前、初めてここへ辿り着いた時は、ただ圧倒された。高層に浮かぶ私室。

 和と未来が重なったような空間。月明かりに照らされた長い窓。配信で見るヤチヨの明るさとは少し違う、どこか孤独な静けさ。

 あの時は、背を向けて立つヤチヨの姿に、かぐやの面影を見た。

 

 今は、見えるものが増えていた。

 部屋の隅に置かれた小さな灯籠。

 読みかけのまま積まれた電子書巻。

 白いクッションの上に鎮座するFUSHIのぬいぐるみめいた何か。

 窓際に置かれた低い卓。配信者として整えられた華やかさの裏に、八千年を歩いた誰かが、ほんの少しだけ身を休めるための居場所がある。

 

 ヤチヨが彩葉の横へ降り立つ。

 ここでは、ARではない。ツクヨミ内のアバターとして、ヤチヨは彩葉の隣にいた。

 現実の部屋で見た半透明の輪郭ではなく、月明かりを受けて髪が柔らかく光り、衣装の袖が空気を含んで揺れる。足音さえ、床に淡く響いた。

 

「おかえり、って言うのも変かな」

 

 ヤチヨが呟く。

 彩葉は首を振った。

 

「変じゃないよ。かぐやがヤチヨとして過ごしてきた部屋なんでしょ? かぐやの居る場所が私の居る場所だから」

 

 その言葉に、ヤチヨは少しだけ笑った。

 ここは、二人で作戦会議をする場所だ。逃げた誰かを探すために、同じ方向を見る場所だ。

 

「さて」

 

 ヤチヨは袖を払うように手を振った。

 すると、部屋の中央にいくつものウィンドウが開いた。

 感覚再現拡張プロトコル、予約更新履歴、作成者署名、ツクヨミ内ニュースフィード、KASSEN関連トピック、ライバー活動通知、管理者監査ログ。

 青白い透明な板が、空中に何層も重なって展開される。

 月明かりを透かしたそれらは、まるで夜空に浮かぶ薄い氷の札のようだった。

 

「昨日のログは?」

「見た。直接は追えない」

 

 ヤチヨは悔しそうに眉を寄せる。

 

「署名はかぐやの君。予約更新時刻は、私が看取ったあの人の死亡時刻の少し後。そこまでは分かるんだけど。でも接続元も端末情報も経路も、身元に繋がる部分だけ綺麗に薄められてるんだよねぇ。

 雑に消してるんじゃなくて、必要な監査を邪魔しない範囲で、本人だけ分からないようにしてあるの」

「逃げ方が丁寧だ」

「八千年経ってもそこだけは本当に丁寧。腹立つ~☆」

 

 軽口を叩いているが、ヤチヨの内心は穏やかではない。

 蓬莱の玉の枝の偽物を掴まされたかの如く憤懣やるせない気持ちを内側に迸らせていた。

 

「なので──まずは外側から洗おう」

「外側?」

「いきなり深部ログを掘っても、あの人はたぶん綺麗に雲隠れしているはず。だったら、ツクヨミの表側で何が起きてるかを見た方がいい。

 ニュース、ライバー周辺、KASSEN、SETSUNA、最近の異常な更新、活動停止、アカウント整理。逃げる人間は、逃げる前に周辺を片付けるものだからね」

「……実感がこもってる」

「八千年、逃げられ続けましたので」

 

 軽く言ったつもりなのだろう。

 けれど、その声の底には、笑いでは誤魔化しきれない苦みがあった。

 

 彩葉は黙って頷く。

 ヤチヨの指先が、ニュースフィードへ触れた。

 大量の見出しが流れ出す。

 新作アバター衣装、KASSENバランス調整、SENGOKUイベント告知、人気ライバーのコラボ予定、ヤチヨ関連グッズの再販希望タグ、

 世紀の竹取合戦アーカイブ再編集版、イロの切り抜きランキング上昇、ブラックオニキス関連考察動画。情報が濁流のように流れる。

 普通なら目で追うだけで疲れそうな量だが、今の彩葉の頭は不思議と冴えていた。必要な単語だけが水面に浮かぶ木の葉のように視界へ引っかかる。

 ヤチヨが検索条件を重ねる。

 

「直近二十四時間。KASSEN、SETSUNA、ライバー活動」

 

 最後の名前を入れた瞬間だった。

 ぽん、と軽い通知音が鳴った。

 それは、私室の静けさに似合わないほど明るい音だった。けれど、浮かび上がった見出しを見た瞬間、彩葉の胸の奥が冷えた。

 

 【KASSEN/SETSUNA対人勢ライバー・ヨミ、無期限活動停止を発表】

 

 ウィンドウの中で、見出しの文字だけが妙に大きく見えた。

 彩葉は、瞬きを忘れた。

 

「……ヨミ」

 

 自分の声が、思ったより低く響いた。

 ヤチヨも指を止めていた。

 ニュース記事は短かった。

 サムネイルには、黒と紫と金を基調とした梟モチーフのアバターが映っている。

 派手な引退配信の告知でも、盛大なラストイベントでもない。ただ、事務的な枠の中に、静かな文面だけが載っていた。

 

 ヤチヨが無言で詳細を開く。

 表示されたのは、ヨミ本人の告知だった。

 

『本日をもって、KASSEN/SETSUNA関連の配信、大会参加、および大会主催活動を無期限で停止します。

 これまで対戦してくださった皆様、見てくださった皆様、ありがとうございました。

 KASSENが、これからも楽しい場所でありますように。

 ──ヨミ』

 

 それだけだった。

 理由はない。別れを惜しませる言葉もない。

 最後の配信予定もない。長く応援してくれたリスナーへ向けた感情的な挨拶もない。

 淡々としていて、礼儀正しく、必要なことだけを書いている。

 

 だからこそ、彩葉は息を呑んだ。

 まるで、誰かが部屋を出る前に、椅子を戻し、窓を閉め、机の上を整え、それから音も立てずに扉を閉めたみたいだった。

 去る準備だけが、あまりにも丁寧だった。

 

「……引退、じゃなくて、無期限活動停止なんだ」

 

 彩葉は呟いた。

 

「戻る余地は残してる」

 

 ヤチヨが言う。

 

「でも、戻るつもりがある文章には見えない」

 

 彩葉は告知文を見つめ続けた。

 KASSENが、これからも楽しい場所でありますように。

 その一文が、胸のどこかに引っ掛かった。

 そこには、自分がその場所に残る前提がない。

 自分はもういないけれど、場所だけは楽しく続いてほしい。そういう距離の取り方だった。

 彩葉は、ゆっくり拳を握った。

 

「……これだ」

「彩葉?」

「実は昨日から、ずっと引っかかってる人が二人いるんだ」

「うん」

「一人目は、ヨミ」

 

 彩葉の声は、さっきよりもはっきりしていた。

 

 ヨミの名前を出すには、これまで少しだけ足りなかった。

 大会へ呼んでくれた。狐面をくれた。決勝で戦った。生活を変えるきっかけをくれた。たしかに助けられた。

 けれど、それだけなら、親切な大会主催者とも言える。強い対人勢が新人を見出しただけとも言える。

 かぐやの君と似ている、だけでは決め手には弱かった。

 

 だが、この告知で、線の先が見えた。

 助けたあと、一歩離れる。

 相手が立てる場所まで連れて行ったら、もう自分の役割は終わったみたいに、静かに消える。

 それは、彩葉が八千年の中で何度も見た癖だった。

 

「最初は、私を対人大会に呼んだ人だった」

 

 彩葉は、記憶の中の巻物型メールを思い出した。

 差出人、ヨミ。

 あの時の自分は、まさかその招待が生活そのものを変える入口になるなど思っていなかった。

 ただ、KASSENの対人勢として有名なライバーから声がかかったことに驚き、賞金とヤチヨ限定グッズに心を揺らされ、顔出しの不安をどうにかしようとしていた。

 

「顔出しを避けたいって相談したら、着ぐるみだとヒットボックスに影響するかもしれないって教えてくれて、代わりに狐面を送ってくれた。私が欲しかった、ヤチヨライブ限定の狐面」

「うん」

「それで大会に出て、なんとか勝ち残った後、決勝で戦った。あの人は手を抜かなかった。私も、たぶんあの時初めて、生活のためでも、賞金のためでもなく、目の前の試合に勝ちたいって思った」

 

 あの桜舞台の熱が、まだ指先に残っている気がした。

 黒い羽。梟の装飾。低く落ち着いた声。礼儀正しい一礼。

 削り圏内まで追い詰められ、世界が黒い斬線で埋まった瞬間の息苦しさ。

 そして、最後の空中ジャストガード。勝利の表示。観客席の悲鳴みたいな歓声。

 

 あれは、彩葉の人生が曲がった瞬間だった。

 悪い意味ではない。むしろ、自分で鎖に雁字搦めにした歩みが、ようやく別の道へ曲がれた瞬間だった。

 

「その後、私の配信が始まるきっかけになった。収入が入るようになって、生活環境が劇的に改善した。アルバイトだけで無理やり回してた生活に、ちゃんと余裕ができた」

「ヤッチョのグッズもツクヨミでいっぱい買ってくれたんだよね〜☆」

「……茶化さないで」

「はい」

 

 ヤチヨは素直に扇子を下げた。

 彩葉は少しだけ苦笑し、それから、宙に浮かんだ告知文へ視線を戻す。

 

「でも、ヨミからは、それ以上何かをしてくることはなかった。私がライバーとして歩き出すところまで道を作ったら、それで終わり。あとは何も言わずに、一歩引いた」

 

 告知文が、夜の私室に静かに浮かんでいる。

 

 KASSENが、これからも楽しい場所でありますように。

 

「それで今、これ」

 

 彩葉は言った。

 

「助け方が、似てるんだよ。かぐやの君に。困ってるところへ来て、必要なものを置いて、相手が立てるところまで連れていって、笑える場所を整えたら、自分だけ一歩引く。

 そう考えたら引退のタイミングもなんだか作為的に感じるし」

 

 彩葉の胸に、苦い納得が広がる。

 納得してしまうことが、少し悔しかった。

 

 ヤチヨは、しばらく黙っていた。

 白銀の髪が月明かりに透ける。隣に立つ彼女の横顔は、先ほどまでの軽さを消して、かぐやの記憶を覗き込むような遠さを帯びていた。

 

「……私も、ヨミのことは気になってた」

「ヤチヨも?」

「うん。かぐやも、ヨミに助けられてるから」

 

 その声は、彩葉の知っている月見ヤチヨのものだった。

 けれど、言葉の奥には、まだ未来を知らなかったかぐやの記憶が沈んでいた。

 

 ヤチヨは、宙に浮かぶヨミの活動停止告知を見つめている。

 黒と紫と金。梟を思わせる静かなアバター。

 その姿は、彩葉にとっては決勝戦の相手であり、生活が変わるきっかけをくれた人であり、そして今、何も言わず自分の場所から退こうとしている人物だった。

 

「ブラックオニキス戦の前。かぐやは、ヨミに練習相手を頼んだ」

「うん」

「あれ、普通に考えると結構無茶なお願いだったんだよね。向こうはKASSEN上位勢で、配信頻度も少ないし、コラボもあまりしない。必要以上に人前へ出るタイプじゃなかった。なのに、かぐやが頼んだら来てくれた」

 

 ヤチヨは少しだけ目を伏せる。

 月明かりの中で、その横顔に淡い影が落ちた。

 

「それで、練習にも付き合ってくれた。終始優しく甘やかす感じじゃなかったし、こっちの都合に合わせて全部都合よくしてくれるわけでもなかった。

 動きが雑なら容赦無く崩されるし、届かないところはちゃんと届かなかった。でも、終わった後には、何をすればいいかはちゃんと取っ掛かりは残してくれていた」

 

 彩葉は、その言い方に頷いた。

 ヨミは、多くを語る人ではなかった。

 勝てると無責任に励ますことも、頑張れば何とかなると曖昧に背中を押すこともなかった。

 ただ、必要なものだけを置いていく。現実を見せる。道筋を残す。そこから先を歩くのは、こちらに任せる。

 それは、今になって思えば、見覚えのある助け方だった。

 

「その時は、ただ助かったって思ってた。ヨミって変わってるけど、こういうこともしてくれる人なんだなって。でも、今この告知を見ると、少し違って見える」

 

 ヤチヨは、活動停止の文面へ視線を戻した。

 KASSENが、これからも楽しい場所でありますように。

 その一文からは平坦な印象を受けた。

 自分がそこに残ることを前提にしていない。

 場所が続けばいい。誰かが笑えばいい。自分はそこにいなくてもいい。そんな距離の取り方だった。

 

「助けた相手が立てるようになったら、自分はもう要らないって顔で離れる。そういう引き方に見える」

 

 彩葉は黙って頷いた。

 ヨミが怪しい。

 そう断言するには、まだ材料が足りない。けれど、気にならないと言えば嘘になる。

 大会へ招いた。狐面をくれた。決勝で本気で戦った。彩葉が配信者として歩き始めたあと、向こうからは何も言ってこなかった。かぐやの頼みにも応じた。そして今、無期限活動停止を告げている。

 ただの偶然と言い切るには、少し筋が通りすぎていた。

 

「まだ、ヨミがかぐやの君だって決まったわけじゃない」

 

 彩葉は自分に言い聞かせるように言った。

 

「でも、符合する点は偶然とは思えないくらいあるんだよね」

「うん」

 

 ヤチヨの声が低く同意した。

 そして、当たり前のように次の提案をしてきた。

 

「気になるなら、確認するしかないね」

「確認って?」

 

 彩葉が問い返した瞬間、ヤチヨはぱちん、と扇子を開いた。

 先ほどまで記憶の底へ沈んでいた瞳に、急にいつもの悪戯っぽい光が戻る。

 

「IPぶっこぬき〜☆」

「おい……おいっ」

 

 彩葉は反射で二回言った。

 自分でも驚くくらい、完璧な間だった。

 

 ヤチヨはびくっと肩を跳ねさせる。つい先ほどまで、かぐやの記憶を抱えたまま静かにヨミを見つめていたはずなのに、今は完全に悪事が見つかった子どもの顔だった。

 

「違うの〜!」

「何が?」

「今のは言い方が悪かっただけなの! ヤッチョは管理者AIとして正当な監査をするだけなの! 

 ヨミは公式大会主催者で、KASSENの大会ログにも、彩葉の参加記録にも、賞金処理にも、ブラックオニキス戦前の非公開練習ラウンジにも関係してるから、必要最小限の範囲で照合するだけなの!」

「今、IPぶっこぬきって言ったよね」

「言ったけど! 言葉の綾〜!」

「完全に悪い管理者の台詞だったよ」

「違うの〜! ヤッチョは善良な管理者AIなの〜!」

 

 彩葉はじっとヤチヨを見た。

 月明かりの下、白銀の歌姫は両手を振って必死に無実を主張している。

 八千年を生きた存在のはずなのに、こういう時の焦り方は、彩葉の知っているかぐやと大して変わらない。

 

「かぐやは踏みとどまったじゃん」

「え?」

「私の口座残高を使い込んだあと、数字いじればいいじゃんって言い出したけど、踏みとどまったじゃん」

「あれは踏みとどまったというか、彩葉に止められたというか、本当にやるつもりはなかったというか」

「八千年で私のかぐやが汚れてしまった……」

「言い方ぁ!」

 

 ヤチヨが頭を抱えた。

 彩葉は笑った。

 笑いながら、胸の奥が少し楽になるのを感じていた。

 ヨミへの違和感はまだ重い。活動停止の文面も、喉の奥に小骨のように引っかかっている。

 けれど、ヤチヨがこうして悪ノリを挟んでくれることで、沈み込みすぎずに済んでいた。

 

 ヤチヨは咳払いをした。

 

「こほん。では改めまして。管理者権限に基づき、関連記録の必要最小限監査を開始します」

「急に言い方が硬い」

「硬くしないと彩葉が怖い目で見るから」

「見てるよ」

「見ないで〜」

 

 言いながらも、ヤチヨの指先は迷いなく動いていた。

 空中に浮かぶウィンドウが増える。KASSEN公式大会ログ、SETSUNA大会主催履歴、ヨミの公開プロフィール、非公開ラウンジの参加記録、システム監査用の照合窓。

 大量の情報が、ヤチヨの私室の夜に浮かび上がっていく。青白い文字列は月明かりと重なり、透明な書類が宙に束ねられているように見えた。

 

 彩葉は、画面の一つに視線を止めた。

 登録アバター名。

 ヨミ。

 KASSEN/SETSUNA対人勢ライバー。

 大会主催履歴あり。

 イロ招待大会主催者。

 ブラックオニキス戦前、非公開練習ラウンジ参加履歴あり。

 本人確認、完了。

 

 文字列は冷たい。

 けれど、その一つ一つが記憶に繋がっていく。

 巻物型の招待メール。

 着ぐるみのヒットボックスを心配してくれた返信。

 ヤチヨライブ限定の狐面。

 桜舞台の上に現れた梟の羽。

 礼儀正しい一礼。

 本気で戦ってくれた決勝。

 

 そして、彩葉が初めて心の底から「勝ちたい」と思った瞬間。

 ヤチヨが、別のウィンドウを開いた。

 

「公開情報からはここまで。ここから先は、照合情報」

「それ、見ていいやつ?」

「管理者権限的には見られる」

「質問変えるね。見ていいやつ?」

 

 ヤチヨは、少しだけ黙った。

 冗談を続けることもできたはずなのに、彼女はそうしなかった。

 扇子を閉じ、真っ直ぐ彩葉を見る。

 

「……本当は、こういうことをしたいわけじゃないの」

 

 声が真面目なものに戻る。

 一人称も、もうヤッチョではなかった。

 

「もしヨミがただ活動を休むだけなら、それでいい。私たちが踏み込む必要なんてない。

 だけど、この人があの置き土産や、かぐやの君に繋がっている可能性が少しでもあるなら、今ここで見失う方が怖い。

 あの人は本当に逃げるんだよ。必要なことだけ残して、自分の名前を置かずにいなくなる。私は、それを八千年見てきた」

 

 彩葉は、ヤチヨの瞳を見た。

 そこには怒りがあった。けれど、それは他人の秘密を暴きたい怒りではない。

 置いていかれたくないという、もっと切実で、もっと幼い願いが奥にある怒りだった。

 彩葉は小さく頷いた。

 

「見よう」

 

 ヤチヨは頷き返した。

 指先が、最後の照合窓に触れる。

 空中の文字列が、一瞬だけ乱れた。認証。監査理由。関連事案。対象アバター。ヨミ。

 KASSEN主催者ログ。彩葉関連大会記録。ブラックオニキス戦前練習記録。感覚再現プログラムとの推定関連。

 そして。

 利用者照合。

 

 ──宵宮巡。

 

 その三文字が表示された瞬間、彩葉の呼吸が止まった。

 驚きはあった。

 けれど、それより先に来たのは納得だった。

 ああ、やっぱり。

 胸の奥で、誰かがそう呟いた気がした。

 

 昼休みの廊下。

 昔のあなたはどこ、ではなく。

 ここまで来たんだね。

 

 あの言葉を置いたクラスメイト。踏み込みすぎず、けれど必要な場所にだけ言葉を残した人。

 以前、体調を崩して動けなくなった自分を助けてくれた人。

 何も知らない顔で、けれど見ていないはずのものまで見えているようだった人。

 彩葉は、ゆっくり息を吸った。

 

「……二人目」

 

 ヤチヨがこちらを向く。

 

「昨日から引っかかってた人、二人いるって言ったでしょ」

 

「うん」

「二人目は、宵宮くん。宵宮巡」

 

 口にした瞬間、胸の奥で散らばっていたものが音を立てて噛み合った。

 

 ヨミ。

 宵宮巡。

 そして、かぐやの君。

 

 三つの名前が、ようやく一本の線になった。

 

「宵宮くんのことも、ずっと引っかかってた」

 

 彩葉は、表示された名前を見つめたまま言った。

 

「昼休みに話した時、変な例え話をしたんだ。古いドラマの話みたいにして、昔のあなたはどこにいるのかって探すより、ここまで来たんだねって言える方がいい、みたいなことを」

 

 口にしてみると、あの会話の輪郭が、今になって妙にはっきりと思い出された。

 あの時は、ただの雑談に見えた。少し変わった言い回しをするクラスメイトが、偶然、彩葉の迷いに近い話をしただけ。

 そう思おうと思えば、いくらでもそう思えた。

 けれど今は違う。

 八千年を見た後では、その偶然の位置があまりにも良すぎる。

 

「宵宮くんは、私に答えを言ったわけじゃない。ヤチヨにこう言えって命令したわけでもない。ただ、私が自分で気づけるように、話の向きを少し変えた。

 そんな感じがするの……もし、あの会話がなかったら、私、ヤチヨにひどいことを聞いてたかもしれない。私といたかぐやはどこ、って」

 

 ヤチヨは黙って聞いていた。

 

「昔のかぐやだけを探して、目の前にいるヤチヨが、八千年かけてここまで来たかぐやなんだって、ちゃんと見られなかったかもしれない」

 

 彩葉の声は、自然と低くなっていた。

 昼休みの廊下。人の流れ。購買へ向かう足音。何気ない会話の隙間に差し込まれた、古いドラマの例え話。

 そこに悪意はなかった。押しつけもなかった。ただ、彩葉が間違った問いを選ばないように、ほんの少しだけ道の角度を変えられた気がした。

 それは、今になって思えば、かぐやの君のやり方にも似ていた。

 勝てと命じるわけではない。答えを渡すわけでもない。

 けれど、必要な場所へ辿り着けるように、足元へ気づかれないくらいの目印を置いていく。

 

「それに、前にも助けられてる。道端で動けなくなった時、宵宮くんが私を助けてくれた」

 

 そこで彩葉は、一度言葉を切った。

 あの時の宵宮巡は、今思い返しても不思議だった。親しい友人ではなかった。

 特別に会話を重ねていた相手でもなかった。ただのクラスメイト。

 けれど、体調を崩して動けなくなった彩葉を見つけて、必要なことをしてくれた。

 

「ただ、あれは……たぶん、本当に目の前だったからなんだと思う」

「目の前?」

「うん。私が道端で動けなくなってて、見過ごせる状態じゃなかった。だから、直接助けるしかなかったんだと思う。

 もちろん、宵宮くんが普段からどうしてるのかなんて、私は知らないよ。助けられるまで、そこまで気にして見てた相手でもなかったし」

 

 彩葉は正直にそう言った。

 宵宮巡について、すべてを知っているわけではない。

 むしろ、知らないことの方が多い。教室で同じ空間にいて、名前を知っていて、何度か言葉を交わして、その程度の相手だった。

 けれど、今は違う材料がある。

 八千年分の、かぐやの君の記憶。

 

「でも、かぐやの君を見た後だと、宵宮くんの行動がそこに重なって見えるんだ」

 

 彩葉はヤチヨを見た。

 

「かぐやの君って、やり方は回りくどいし、名前も教えないし、理由も言わないし、感謝されるのも苦手そうだった。

 でも、根っこのところでは、困ってる人を放っておけない人だったでしょ。本人がそれを善意って呼びたがらなくても、綺麗な理由じゃないって言い張ったとしても、結局、手は伸びる」

 

 ヤチヨの瞳が、わずかに揺れた。

 彩葉は、もう一度ウィンドウの名前を見る。

 宵宮巡。

 

「だから、宵宮くんが私を助けたことも、昼休みにあの例え話をしたことも、ヨミが大会へ呼んで狐面をくれたことも、全部、同じ方向を向いてる気がする」

 

 息を吸う。

 その呼吸は静かだったが、胸の奥には確信に近い熱があった。

 

「直接助けたか、遠回しに背中を押したかの違いだけ。やってることは、ずっと似てるんだよ」

「宵宮、巡」

 

 その声は震えていた。

 

「ヤチヨ」

「知ってる」

 

 ヤチヨはゆっくり言った。

 

「日傘の人だ」

 

 彩葉の胸が、また強く鳴った。

 

「かぐやだった頃に、日傘を置き傘にして渡してくれた人。さっき彩葉が言ってた道端で動けなくなった時に、日傘で影を被せてあげられたのもこの人から日傘を貰ったから」

 

 ヤチヨはウィンドウへ手を伸ばした。

 けれど、触れなかった。

 

 指先が空中で止まる。そこに表示された名前は、ただの個人情報ではなかった。

 八千年の旅の前に出会っていた、ささやかな親切の主。かぐやが助けを求めたヨミ。

 彩葉を大会へ導いた梟。昼休みに必要な言葉だけを置いたクラスメイト。

 そして、昨日まで名前を知らなかった、かぐやの君。

 全部が一人の人間へ集まっていく。

 

 線で見れば、あまりにも綺麗だった。

 綺麗すぎて、腹が立つほどだった。

 

 

「……それじゃあ」

 

 ヤチヨは、小さく息を吸った。

 

「日傘を貸してくれたのも、彩葉を助けてくれたのも、ヨミとして練習相手になってくれたのも、彩葉を大会へ呼んだのも、昼休みに彩葉に言葉を誘導するようにしていたのも、全部この人?」

「ヨミが宵宮くんだと、そうなるね」

 

 ヤチヨは、表示された名前を見つめたまま動かなかった。

 宵宮巡。

 その三文字の奥に、いくつもの記憶が重なっていく。

 

 日傘を差し出した人。

 倒れた彩葉を助けた人。

 ヨミとして練習相手になってくれた人。

 彩葉を大会へ導いた人。

 そして、八千年の旅で、名前を教えずにそばにいた人。

 そのすべてが一人に収束した瞬間、ヤチヨの中で、さらに別の記憶がゆっくりと浮かび上がった。

 

 訓練用ラウンジ。

 青白い光の床。

 天井を泳ぐ発光魚。

 彩葉の隣に立つ、まだ何も知らないかぐや。

 目の前にはヨミ。

 

 あの時、かぐやは言った。

 

 月へ帰って終わりとか。

 大事な人とお別れして終わりとか。

 そういうのは嫌だと。

 

 だから勝ちたいと。

 優勝したいと。

 彩葉と一緒に、ハッピーエンドにしたいと。

 

 そして、最後に。

 だから助けて、ヨミ。

 

 無邪気で、まっすぐで、身勝手なほど純粋なお願いを口にした。

 その記憶が、今になって形を変える。

 もし、あの時のヨミが宵宮巡で。

 宵宮巡が、かぐやの君で。

 そしてあの瞬間、彼がただの練習相手以上のものを見てしまっていたのだとしたら。

 

「……私」

 

 ヤチヨの声が、掠れた。

 

「私、言った」

 

 彩葉は黙っていた。

 ヤチヨの瞳が、わずかに震えている。

 そこに映る月明かりは、いつの間にか涙の膜で揺らいでいた。

 

「あの時、かぐやは……私、ヨミに言ったんだ。彩葉と一緒に、ハッピーエンドにしたいって。月へ帰って終わりとか、大事な人とお別れして終わりとか、そういうのは嫌だって。だから助けてって」

 

 言葉にするたび、過去が現在へ近づいてくる。

 それは責めるための記憶ではなかった。けれど、軽く扱える記憶でもなかった。

 ヤチヨは、胸の前で指先を握った。

 

「もしかして、あの人……それを、聞いたから?」

 

 声が震える。

 

「ただブラックオニキス戦の練習を手伝ったんじゃなくて。かぐやが、ハッピーエンドにしたいなんて言ったから。彩葉と別れて終わるのは嫌だなんて言ったから。だから、八千年、ついてきてくれたの?」

 

 ツクヨミの夜が、少し深くなった気がした。

 部屋の中の音が、遠のいていく。

 ウィンドウの微かな駆動音も、灯籠の揺れる音も、夜空を流れる情報光のざわめきも、すべてが薄い膜の向こうへ退いていく。

 残ったのは、ヤチヨの呼吸と、その言葉が落とした重さだけだった。

 

 ハッピーエンドにしたい。

 その願いは、かつてはただの我儘だった。

 昔話みたいに月へ帰って終わるなんて嫌だ。

 大事な人と別れて終わるなんて嫌だ。彩葉と一緒に笑って終わりたい。そう信じて疑わなかった、太陽みたいな少女の願いだった。

 

 けれど、その願いを聞いた相手が、もし宵宮巡だったなら。

 もし彼が、未来予知じみた力を持っていてその先にある孤独の輪郭を見てしまっていたなら。

 その言葉は、ただの練習依頼では終わらなかったのかもしれない。

 

 勝ちたいから助けて。

 優勝したいから助けて。

 彩葉と一緒にハッピーエンドにしたいから、助けて。

 だから彼は、降りなかった。

 月へ帰るかぐやを追い、時間の彼方へ落ち、身体を失ったかぐやを見つけ、何度も生まれ変わり、名前を隠し、理由を語らず、八千年もの間、そばにいた。

 

 練習相手を頼まれただけなのに。

 ゲームに勝つための助けを求められただけなのに。

 本当は、その奥にあった願いまで拾ってしまったのだとしたら。

 

「……ばかじゃないの」

 

 ヤチヨが小さく言った。

 その声には怒りがあった。けれど、それだけではなかった。

 嬉しさがあった。怖さがあった。申し訳なさがあった。

 そんなことまで背負うなという叫びがあった。

 あの時の自分は未来を知らなかったのだという、今さらどうしようもない悔しさもあった。

 そして、それでも来てくれたのなら、今度こそ逃がしてはいけないという決意があった。

 

「ハッピーエンドにしたいって言っただけだよ」

「うん」

「ゲームに勝ちたかっただけだよ。彩葉と一緒に笑って終わりたかっただけだよ。八千年分の同伴なんて、頼んでない」

「うん」

「でも」

 

 ヤチヨは顔を上げた。

 その瞳に、月明かりが映っている。

 

「その願いを拾ったなら。そこまで来たなら。最後だけ勝手に逃げるな、ばか……」

 

 彩葉は頷いた。

 その言葉に、反論はなかった。

 

 彩葉は椅子から立ち上がった。

 窓の外では朝が完全に始まっていた。街の輪郭はもうぼやけていない。ビルの窓が光を返し、道路には人の流れが生まれ、世界が今日という一日を動かし始めている。

 彩葉の身体には力が満ちていた。

 眠った身体。食べた身体。八千年を見て、なお立っている身体。かぐやとヤチヨを抱きしめ、今度は逃げる誰かを捕まえに行くための身体。

 

「会いに行こう」

 

 彩葉は言った。

 ヤチヨが顔を上げる。

 

「うん」

 

 その目に、涙はなかった。

 泣くのは後でいい。怒るのも後でいい。まずは見つける。逃げようとしている人の前に立ち、名前を呼び、今度こそ本人の口から聞く。

 ヤチヨは扇子を開いた。

 

「八千年目の自己紹介をしてもらわないとね」

「うん」

「それと、八千年分の文句」

「だいぶ必要だね」

「あと、勝手に消えようとした罰」

「何するの?」

「わかんないや、自己紹介してから考えよ?」

 

 彩葉は思わず笑った。

 笑いながら、胸が少し熱くなった。

 自分たちは怒っている。呆れている。聞きたいことがある。言いたいことがある。けれど、その一番奥にあるのは、きっとこれなのだ。

 消えないでほしい。

 いなくならないでほしい。

 ちゃんとそこにいてほしい。

 

「じゃあ」

 

 彩葉はスマコンの表示を切り替え、学校の時間割を確認した。

 今日は平日。授業がある。宵宮巡は、きっと何食わぬ顔で教室にいる。いつも通りの席で、静かに本でも読んでいるのかもしれない。昨日、八千年の置き土産を残した人間とは思えない顔で。

 それが、少し腹立たしかった。

 けれど同時に、少し可笑しかった。

 彩葉は制服の上着へ手を伸ばした。

 

「学校、行こうか」

 

 ヤチヨが頷く。

 

「うん。逃げた梟を、朝の教室で捕まえよう」

 

 朝日が、部屋いっぱいに満ちていた。

 長い夜は明けた。

 けれど本当の朝は、きっとここから始まる。

 

 

「ああ、宵宮くんですか。今朝、本人から連絡がありまして──家庭の都合で、一週間ほど休むそうです」

 

 立花先生の声は、ごく普通だった。

 出席簿を確認しながら告げられたそれは、学校という場所では珍しくもない欠席連絡の一つに過ぎなかった。

 職員室には紙とインクとコーヒーの匂いが混ざり、プリンターが低く唸り、どこかの席では電話対応の声が淡々と続いている。

 けれど、彩葉の耳には、その一文だけがやけに鮮明に届いた。

 

 家庭の都合。

 一週間。

 今朝、本人から。

 整いすぎていた。

 まるで、逃げる前に机の上を拭き、椅子を戻し、扉に「しばらく不在です」と丁寧な札まで掛けていったみたいだった。

 彩葉は一度だけ瞬きをした。

 

「そうですか」

 

 声は、驚くほど落ち着いていた。

 自分でも少し意外なくらいだった。胸の奥では何かが冷たく軋んでいるのに、表面へ出てくる声だけは優等生のそれで、礼儀正しく、乱れがない。

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 彩葉は深く頭を下げた。

 立花先生は少しだけ拍子抜けしたような顔をした。

 あるいは、前回の職員室での彩葉の俊敏な退場を知っているせいで、今度は何が起こるのかと身構えていたのかもしれない。

 

「え、ええ。酒寄さんも、何かあれば早めに相談してくださいね」

「はい」

 

 短く返して、彩葉は踵を返した。

 それ以上、何も聞かなかった。理由の詳細も、連絡の時刻も、本人の様子も、住所も、伝言も。

 聞こうと思えば、聞きたいことはいくらでもあった。けれど、ここは職員室で、立花先生は担任で、宵宮巡の事情を勝手に引き出す場所ではない。

 だから彩葉は、いつもの酒寄彩葉として、礼を言って、職員室を出た。

 

 

 扉が閉まる。

 その瞬間、廊下の空気が少し冷たく感じられた。

 白い壁。掲示板に貼られた進路説明会の案内。朝日が窓から斜めに差し込み、床に長い光の帯を作っている。

 遠くの教室からは笑い声が聞こえ、誰かが階段を駆け上がる音に、先生の注意する声が重なった。

 学校は、平和だった。

 平和すぎた。

 

「……家庭の都合」

 

 彩葉が呟いた。

 その声は、職員室にいた時より低かった。

 

「一週間ほど」

 

 ヤチヨが続ける。

 ARの彼女は、彩葉のすぐ隣に立っていた。白銀の髪は朝の光を受けて淡く透け、扇子を持つ指先だけが、ひどく静かに震えている。

 

「今朝、本人から」

 

 彩葉が言う。

 一言、二人が交互に言葉を零すたび、臓腑にはふつふつ、と溜まってくるものがあることを自覚した。

 

「出来すぎ」

 

 ヤチヨが言った。

 その一言は軽くあったが。

 けれど、軽さの底に、濃いものが沈んでいた。

 八千年分の沈殿物みたいな怒り。置いていかれた時間の重み。名前を教えてもらえなかった悔しさ。

 そして、ようやく掴めそうになった相手が、また一歩だけ後ろへ下がったことへの、独占欲じみた苛立ち。

 彩葉は壁に背を預けるようにして、ゆっくり息を吐いた。

 

「逃げたね」

「逃げやがりましたね」

 

 ヤチヨは即答した。

 

「体調不良じゃなくて、家庭の都合。便利だね。すごく便利。まるで『私は事情がありますので、追及しないでください』って札を首から下げているみたい」

「ヤチヨ、声が怖い」

「怖くもなるよ。八千年だよ、彩葉。八千年、名前を教えない。理由も言わない。勝手にそばにいる。勝手に助ける。勝手に消える。勝手勝手の三段活用だよ。 

 最後に味覚と触覚と温感だけ置いて、はい終わり、みたいな顔をしておいて、こっちがようやく名前に辿り着いたら今度は家庭の都合。何それ。家庭ってどこの家庭? かぐやの家庭はここですけど?」

「最後、だいぶ重いよ」

「よよよ~」

 

 ヤチヨは微笑んだ。

 綺麗な笑みだった。月見ヤチヨとして画面の向こうで何万人を魅了してきた、あの柔らかな笑みとよく似ていた。

 けれど今は、月明かりの下で研がれた刃みたいに、ひやりとしたものが混ざっている。

 

「ヤチヨは重い女なのです。八千年熟成です。いとぴえん」

「古語と若者言葉をそこで混ぜる?」

「いとぴえんだよ。大変あわれで、非常にぴえん。教科書に載せていいよ」

「絶対載らない」

「じゃあツクヨミ辞書に登録する」

「やめて。後世の国語が壊れる」

 

 彩葉はそう返しながら、少しだけ笑ってしまった。

 怒っている。

 もちろん怒っている。目の前で扉を閉められたような感覚がある。

 あと一歩で会えると思った相手が、丁寧に不在を整えて消えた。その気配は、むしろ本人の輪郭を濃くしている。

 けれど、ヤチヨの怒りは彩葉より深い。

 彩葉が「逃げられた」と感じているのに対して、ヤチヨは「また置いていかれた」と感じているのだ。

 八千年を背負って、何度も名前を取り逃がして、それでも今度こそと思った矢先に、一週間という小綺麗な距離を置かれた。

 その怒りは、単なる腹立たしさではなかった。

 怒りの多寡はあれど、二人の心境は一致していた。

 

「さて──」

 

 

 ──推定クソボケをどうしてくれようか。




・IPぶっこぬきヤッチョ
 しまった! yachi8000だ!

・いとぴえん
 「私は今たいへん悲しいので、あとで相応の報いを受けてもらいます」の意

・職員室を出たヤッチョの心境
 ([∩∩])<死にたいらしいな

・連日更新について
 ストックが切れました、明日の更新はムリぽよです(´;ω;`)
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