『SETSUNA』対人大会のその後の話をしよう。
酒寄さんがそれはもうバズリにバズリまくった。
まあ、当然と言えば当然だった。
無名。
初参加。
狐面。
謎の美少女アバター。
そして決勝戦で優勝候補だったヨミこと自分相手へ、削り圏内から超必殺技を十五連続ジャストガード、そのまま空中カウンター始動の確定超必殺コンボで逆転優勝。
冷静に文章化すると、運営側が用意した台本みたいな展開である。
当然SNSは大荒れした。
『あの狐面誰?』
『プロ?』
『絶対サブ垢だろ』
『ジャスガ15連って人間出来るの?』
『イロ視点まだ???』
『脳焼かれた』
『ヨミが嬉しそうなのなんなん』
切り抜き動画は文字通り桁違いに伸びた。
特に最後の空中ジャストガードから逆転までの数秒は“伝説の八秒”などと呼ばれ始め、スロー再生検証、フレーム解析、実況リアクションまとめ、海外翻訳版まで出回る始末だった。
鉄は熱いうちになんとやら。
更なる激震がツクヨミに走った。
"伝説の八秒"の興奮が冷めやらぬ中、なんとあの酒寄さんがライバーデビューを果たしたのである。
おそらく二人の友人に諭されたのだろうことは想像に難くなかった。
なにせ綾紬芦花さんは美容系インフルエンサー『ROKA』でフォロワー数は17万人。
諌山真実さんの方はというとグルメインフルエンサー『まみまみ』でフォロワー数は12万人。
人気インフルエンサーとしての嗅覚が、酒寄さんをプロデュースする好機を鋭敏に嗅ぎ取ったのだ。
人気ライバーとなれば短時間配信だったとしても、その収入額は学生アルバイターの比ではないだろう。
酒寄さんの生活を憂う友人二人が後押ししない筈がない。
その結果。
「──い……いろっぴー……イロでーす……」
初配信の挨拶がこうなる。
狐面の前におずおず、と差し出される控えめなダブルピースに照れ声。
『初コメ失礼します≪50,000ふじゅ~≫by yachi8000』
『伝説の女きた』
『ジャスガ職人』
『おい、初コメで初コメと赤スパの初体験奪っていくやべぇ奴いるぞ』
『もっと腹から声を出せ』
『初手照れ声ダブルピース、これがあの伝説の八秒を作った女の配信か?』
対人大会で鬼神の如く大活躍した美少女アバターの恥ずかしがるその姿とギャップ。
KASSEN好きの視聴者は勿論、『ROKA』・『まみまみ』両名の人気インフルエンサーのSNSで事前告知されて集っていた人たち含めて心を掴まれていた。
一方酒寄さんはと言うと。
自分の配信待機人数を見て数秒固まり、初手赤スパで殴られて「あっ、えっ、ちょ、ちょっと待って、赤スパ!?」と狐面アバターごと右往左往していた。
コメント欄は当然大爆笑。
『伝説の八秒の女、コミュ障疑惑』
『助けてROKA先生』
『まみまみ保護者席から出てきてください』
『いきなり赤スパで殴ってくるのは恐怖なんよ。だれだってそうなる』
配信者界隈、特にツクヨミ周辺は、良くも悪くも自己演出へ慣れた人間が多い。
そんな中で酒寄さんの配信に対する不慣れな姿が良くも悪くも妙に受けた。
褒められると照れる。
投げ銭へ律儀にお礼を言う。
大会でのプレイヤースキルを賛辞する視聴者へ「いやあの、私ほんと普段はこんな上手くないので……」と必死に弁明する。
その結果。
『かわいい』
『これでKASSEN激強なの脳バグる』
『ギャップで風邪ひく』
『良い子すぎる』
『守護りたい』
みたいなコメントが増殖した。
酒寄さんの生来の育ちの良さもあるのか、配信越しでも声色や仕草、喋り方から滲み出る雰囲気というものはある。
そこで大会優勝補正まで加わり、チャンネル登録者数が配信中も止まらず爆増していた。
そんな中、酒寄さんはというと、未だにコメント欄へ翻弄され続けていた。
「えっ、あの、これ皆さんいつもこんな感じなんですか……? ライバーさんって大変じゃないです……?」
『お前も今日からその側だ』
『逃がさん』
『もう遅い』
『囲め囲め』
コメント欄が完全に獲物を見つけた肉食獣の群れみたいになっている。
しかし、その流れすら酒寄さんは真面目に受け止めてしまうらしい。
「え、えっと……その、今後とも、よろしくお願いします……?」
そう言ってぺこりと頭を下げる狐面アバター。
その瞬間、コメント欄へ大量の投げ銭演出が雪崩れ込んだ。
ふじゅ~投げ銭特有の派手なエフェクトが画面を埋め尽くし、配信背景がまともに見えなくなる。
「えっ!? あっ、ちょ、待っ……!? なんで増えるの!?」
『かわいいので』
『保護料です』
『今の礼で脳焼かれた』
もはや理由になっていない。
しかし酒寄さんは、そんな視聴者側の雑な熱量を真正面から受け止めてしまう性格らしかった。
「いやでも、これ、あの、そんな簡単に投げちゃ駄目なお金じゃないです……?」
『正論で殴るな』
『ぐう聖すぎる』
『投げ銭を心配される配信初めて見た。もっと心配されたいので投げます』
コメント欄の流れを見ながら、私は少しだけ目を細めた。
二万。
初配信で叩き出す数字ではない。
大会バフがあるとはいえ、完全に異常値だ。
しかも勢いが落ちていない。
視聴者数はじわじわ伸び続け、チャンネル登録通知も絶え間なく流れている。
切り抜きアカウントも既に乱立し始めており、『伝説の八秒』タグはトレンド上位へ食い込んでいた。
酒寄さん本人だけが、その状況を全く理解出来ていない。
「えっ、あの、登録ってこんな増えるんですか……? 怖……」
『その感想が出る時点でお前は素質ある』
『大丈夫、みんな脳を焼かれてるだけ』
『狐面外したら世界壊れそう』
そこで酒寄さんが「あっ、いや狐面は外しませんよ!?」と慌てて否定した結果、またコメント欄が爆発した。
配信開始からまだ三十分も経っていない。
それなのに同接は伸び続け、投げ銭演出は止まらず、関連タグはトレンド上位へ居座ったままだった。
もし彼女が最初から“配信者らしく”立ち回れていたら、ここまで爆発的には伸びなかった気がする。
不器用で、真面目で、照れ屋で、それでもゲームをしている時だけは驚くほど格好良い。
そのアンバランスさが、今のツクヨミ視聴者へ刺さっていた。
そんな事を考えていると、酒寄さんが少しだけ咳払いをして、狐面の奥からこちら──というより視聴者達へ向き直った。
「え、えっと……その、折角いっぱい人来てくれてるので……」
一度言葉を切る。
緊張しているのか、狐耳が小さく揺れていた。
「……SETSUNA、ちょっと配信します……?」
狐面をしながらもおずおず、と上目遣いが分かる仕草。
その瞬間。
コメント欄が文字通り吹き飛んだ。
『うおおおおおおおお!!』
『本編きた!!』
『大会後即ランクマ!?』
『寝れねえ!!』
『伝説の八秒おかわり!?』
配信画面の向こうで、酒寄さんが「ひゃっ」と肩を跳ねさせている。
どうやら彼女の長い夜は、まだ始まったばかりらしかった。
◆
配信終了ボタンを押した瞬間、世界から音が消えた。
つい数秒前まで画面いっぱいに流れていたコメント欄も、投げ銭演出も、歓声みたいに鳴り続けていた通知音も途切れ、静まり返った安アパートの部屋には自分の呼吸音だけが残る。
スマコンを付けたオレンジに光る瞳孔のまま、酒寄彩葉はその場へへたり込んだ。
「…………っ、つっっっかれたぁぁ……」
言葉と同時に全身から力が抜ける。
座っていた椅子の背もたれに全体重を預ける。
現実世界では存在しない筈だが、もし存在するなら尻尾がだらしなく横へ流れ、狐耳までしゅんと垂れているようだった。。
緊張していたのだ。
大会とは別方向で。
戦うだけならまだ良かった。目の前の相手へ集中すれば良いだけだったからだ。
でも配信は違う。
大勢の人間が自分を見ている。
声を聞いている。
反応を返している。
しかもその数が二万を超えていた。
今まで普通の学生として生きてきた酒寄彩葉にとって、それは現実感を伴わない数字だった。
未だに頭がふわふわしている。
すると視界端へ通知が浮かぶ。
【PT招待:まみまみ】
【PT招待:ROKA】
ほぼ同時。
苦笑しながら参加を押す。
視界が切り替わり、次の瞬間、彩葉はツクヨミ内のまみまみ邸へ転送されていた。
夜霧の漂う水上回廊。
赤い欄干。
水面へ映る和灯り。
現実の高級旅館と未来都市を混ぜ込んだみたいな幻想的空間だった。
遠くでは五重塔めいた建物が夜空へ浮かび、静かな水面がその灯りを揺らしている。
水面に面した濡れ縁。
その濡れ縁に設置されたソファーに座っていた芦花と真実。
二人はまみまみ邸に及ばれした彩葉を見つけるや否やソファーから立ち上がり駆け寄る。
「おつかれ、彩葉!」
「彩葉ヤバいじゃん、初配信大成功じゃん!」
二人の親友が勢いよく飛び付いてきた。
「わっ、ちょ、苦しい苦しい!?」
左右から抱き締められ、彩葉のアバターがぐらぐら揺れる。
そのまま半ば引き摺られるように巨大ソファへ沈められた。
芦花と真実にサンドイッチにされグイ、と顔を寄せられる。
「いやマジでやばいから! 同接二万超えって何!? 新人の数字じゃないんだけど!?」
「切り抜きの再生回数もめちゃ回ってるよ。彩葉、自分で思ってるより今めちゃくちゃ注目されてるからね?」
二人とも興奮気味だった。
正確に言い表すならば興奮の中に安堵が混ざっていた。
それが彩葉にも分かった。
ずっと心配をかけていたのだろう。
親に頼らずにアルバイトで学費と生活費を稼ぎ、学校では常に学年1位を維持していた。
しかし、それは身体の限界をギリギリまで追い込んだ日々を送った結果であり、二人には見透かされていた。
だからこそ今、ようやく“報われるかもしれない状況”へ辿り着いて、二人とも嬉しそうだった。
しかし当の本人はというと。
「いやでも……こんなの、一時的なバズじゃない?」
未だに実感が薄かった。
対人大会で優勝して、初配信をなんとか無事終えられた。
配信に来てくれた人の反応も上々だった。
それは理解している。
だが、それが自分の人生が変わるほどの事だとは思えなかった。
すると芦花が、更にグイと顔を寄せ、少しだけ真面目な顔になる。
長い睫毛の奥の瞳が、彩葉の瞳を見つめる。
「彩葉さ、自分の事めちゃくちゃ安く見積もる癖あるよね」
どきり、とした。
「そうそう、『KASSEN』大会優勝に今日の初配信大成功。これで一時的なバズって言い張るのはねー、それはちょっと世間は許してくれませんよ」
真実からの援護射撃。
その言葉へ、彩葉は何も返せなかった。
夜風が水面を渡る。
遠くの灯籠が揺れ、水面へ映った光がゆっくりと形を変える。
まみまみ邸の夜は静かだった。
配信中の喧騒が嘘みたいに。
そんな静寂の中で、芦花が彩葉の手をそっと両手で包み込んだ。
ツクヨミ内──スマコン機能では体温は再現されない、それでも触れ合った掌から暖かみ伝播した気がした。
「私ね、この数日めちゃくちゃ嬉しかったんだよ」
普段より少し柔らかい声だった。
「彩葉が楽しそうだったから」
その一言に、彩葉は思わず視線を落とした。
「楽しそう……だった、かな?」
「うん」
真実も頷く。
「大会中もそうだったし、配信中もそうだった」
「いやいや、めちゃくちゃ緊張してたよ?」
「「知ってる」」
二人同時に言われてしまった。
そして。
「「でも楽しそうだった」」
また同時。
彩葉は思わず吹き出してしまった。
なんだそれ。
そう思った。
しかし、否定もできなかった。
決勝戦でのヨミとの試合。
極限まで一つの物事に集中していた時間。
配信中にコメントへ翻弄されながら右往左往した時間。
思い返してみれば、どちらも確かに楽しかった。
心臓がバクバクなりそうで緊張したし、終わった後は魂が抜けそうなくらい疲れた。
でも嫌ではなかった。
むしろ終わってしまった事への寂しさすら感じている。
そんな自分に気づき、彩葉は小さく息を吐いた。
「……そうかも」
ぽつりと漏れた言葉へ、二人の表情がぱっと明るくなる。
その反応が少し恥ずかしくて、彩葉は視線を逸らした。
すると真実が何かを思い出したように指を鳴らす。
「あ、そうだ」
「?」
「彩葉、今月のバイト何日入ってる?」
なんだか唐突に嫌な予感がした。
「……週五」
「減らせ」
「減らそう」
二人が即答した。
「いや無理無理無理!」
「無理じゃない」
「無理じゃない」
二人がまるで示し合わせたみたいに同じ言葉を返してくる。
彩葉は思わずソファへ沈み込んだ。
嫌な予感しかしない。
こういう時の芦花と真実は強くて厄介だ。
しかも妙な所で理詰めになる。
案の定、最初に口を開いたのは芦花だった。
「彩葉、ちょっと失礼な事言うね」
「もう言う顔してる……」
「私、彩葉のメイクの仕方とか結構手伝ってきたじゃん?」
芦花はそう言いながら彩葉の頬を両手で挟み込む。
逃がさないと言わんばかりに顔を固定され、彩葉は少しだけ身を引いた。
「うん」
観念したように頷く。
実際、その辺りについては反論出来なかった。
芦花は美容系インフルエンサーとして活動しているだけあって、メイクやスキンケアに関しては完全に専門家だ。
彩葉自身、今まで何度も助けられてきた。
「目の隈、限界」
「うぐっ」
即死だった。
思わず致命傷の言葉の槍が刺さった胸を押さえる。
分かってはいたが、改めて専門家から宣告されると精神的ダメージが違う。
芦花はそんな彩葉を見ながら、小さくため息を吐いた。
「今までは何とか隠せてたの。コンシーラーも使ったし、色補正もしたし、光の当て方も教えたし。でもね」
そこで芦花は人差し指を一本立てる。
「睡眠時間三時間生活を続けて、さらに隈を濃くするなら無理。私でも隠せない」
「そんな断言ある?」
彩葉は半ば縋るような視線を向ける。
しかし芦花は微塵も揺るがなかった。
「あるの」
即答だった。
その迷いの無さに、むしろ彩葉の方が言葉を失う。
「だって人間の顔は素材が大事なんだもん。彩葉の顔面偏差値は高いのに、自分で睡眠不足デバフ掛け続けてるんだから意味分かんないよ」
「顔面偏差値って言うなぁ……」
思わず視線を逸らす。
褒められているのか怒られているのか分からない。
「言うの」
芦花は容赦がない。
その顔は少しだけ拗ねていて、しかし本気で心配しているのも伝わってきた。
そしてその横で真実も頷く。
「実際、最近の彩葉やばかったもんね」
「やばくないよ?」
「やばかった、授業中に意識跳んでる時があるでしょ」
「やばかった、たまに深夜テンションで体育やってるときがあるし」
また同時だった。
どうしてこの二人はこういう時だけ連携技を撃ってくるのだろう。
彩葉が言い返そうとした時、真実が空中へウィンドウを展開する。
そこへ表示された数字を見て、彩葉は固まった。
「……え?」
「これ昨日の大会賞金」
「うん」
「で、こっちが初配信の収益予測」
「うん?」
「こっちが投げふじゅ~の額」
「うん???」
桁がおかしい。
いや、正確には理解出来る。
出来るのだが脳が受け入れたくない。
今まで彩葉がアルバイトで何十時間も働いて得ていた金額が、そこにはあまりにも簡単に並んでいた。
しかもそれは一回分だ。
一ヶ月ではない。
二日だ。
昨日と今日一日。
大会と配信だけ。
「……嘘でしょ」
「残念ながら現実です」
現実は非情ではなく有情である、
真実がさらりとことなげに言う。
「もちろん毎回こうなる訳じゃないよ。でも少なくとも、今までみたいに生活費や学費のために身体削る必要は無いんだよー」
「そうそう」
芦花も同意してうなずき、続ける。
「彩葉さ、自分の価値を全然理解してないけど、今もう普通の学生じゃないからね」
水面へ映る灯りが揺れる。
夜風が吹き抜ける。
まみまみ邸の静かな空気の中で、その言葉だけが妙にはっきり聞こえた。
「大会優勝したし、ライバーデビューもしちゃった」
「うん」
「しかも大当たりした」
「うん……」
「だったらもう、生活を切り売りしてバイトする段階は終わり、
これからは立ち回りは先達の私たちが教えてあげるから、人気インフルエンサー『ROKA』と──」
「『まみまみ』にお任せあれー」
友人の彩葉が手助けできる位置に来てくれた。
その事実が嬉しいのであろう、芦花と真実の目を柔らかに細め、掌を上に彩葉に差し出す。
おずおず、といった態度で彩葉は二人の手を握った。
「ふふ、やっと彩葉に花丸をつけたげられるね」
その言葉に、彩葉は目を瞬いた。
花をあしらわれたネイルの人差し指が彩葉のおでこでクルクルと花丸を描いた。
「花丸?」
「そう」
芦花は頷く。
「勉強頑張ってます。百点」
「うん」
「家計支えてます。百点」
「うん」
「友達思いです。百点」
「……うん」
「でも睡眠時間三時間なのでマイナス五億点です」
「理不尽!」
「のっと理不尽です」
ふいに三人の間で言葉が途切れる。
しばらく誰も喋らなかった。
無理に言葉を探す必要が無かったからだ。
水面を渡る夜風は穏やかで、遠くに浮かぶ塔の灯りがゆっくりと揺れている。配信の喧騒も、大会の歓声も、今はもう何処か遠い世界の出来事みたいだった。
その静けさの中で、彩葉は改めて二人の顔を見る。
芦花も真実も笑っていた。
けれど、その笑顔の奥には安堵があった。
ようやく一息つける。
ようやく少し肩の荷を下ろせる。
そんな表情だった。
思えば、この二人はずっと見ていたのだろう。
アルバイトへ向かう自分を。
眠そうな顔で登校する自分を。
平気そうな顔をしながら、平気ではない生活を続けていた自分を。
それなのに、今まで一度も強引に止めようとはしなかった。
彩葉自身が選んでいた道だからだ。
だからこそ、今こうして別の選択肢が見えた事を、自分以上に喜んでくれている。
その事実が少しだけくすぐったかった。
「……分かった」
ぽつりと呟く。
二人の耳がぴくりと動いた。
「バイト、少し減らす」
その瞬間。
芦花と真実が同時にガッツポーズをした。
「よっしゃあああ!」
「勝った!」
「何に!?」
思わずツッコミが飛ぶ。
しかし二人は本気で嬉しそうだった。
乙女にあるまじき雄たけびに目を剥いてしまう。
彩葉は呆れたように笑いながらも、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
たぶん、自分は思っていた以上に心配を掛けていたのだろう。
そして思っていた以上に、支えられていた。
その事実を、ようやく素直に受け入れられた気がした。
「でも急に全部は無理だからね」
「週五が週四になるだけでも偉い」
「いや週一までいこう」
「段階を踏ませて」
真実の無茶振りへ即座に抗議すると、二人が声を上げて笑う。
その笑い声が夜の水面へ溶けていく。
すると芦花が何かを思い付いたように立ち上がった。
「あ、そうだ」
「ん?」
「今日はもう反省会終わり」
「え?」
「彩葉、大会優勝おめでとう」
そう言って芦花は手を差し出した。
真実も同じように立ち上がる。
「初配信大成功おめでとー」
二人の手が差し出される。
彩葉は少しだけ照れながら、その手を取った。
「……ありがとう」
「よし」
真実が満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ露天風呂いこっか」
「賛成」
「待って。なんでそうなるの?」
「祝勝会だから」
「祝勝会だから」
また同時だった。
彩葉は思わず吹き出す。
結局最後まで息ぴったりだ。
夜空には無数の星が瞬き、まみまみ邸の灯りが水面へ揺れている。
大会優勝。
初配信成功。
人生が変わり始めた一日。
その締めくくりは、歓声でも拍手でもなく、親友達との他愛もない笑い声だった。
それが何だか、とても心地良かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ここならぬいづこの物語なり。
むかし、とある少女ありけり。
名をば、かぐやとなむいひける。
今になって思えば、あの頃のかぐやは、ゆっくりと時間をかけて壊れていた。
隕石との衝突は一瞬だった。
月から地球へ向かう途中。
ようやく月での全ての仕事を終わらせ、彩葉たちの待つ時代へ向かおうとした、その僅かな時間だった。
本来なら問題にならない程度の事故だった。
彼女の乗る『もと光る竹』は、月が誇る最高峰の宇宙船であり、時間遡行すら可能な代物だったのだから。
しかし運が悪かった。
衝突の瞬間、時間遡行アルゴリズムが誤作動を起こし、船は本来到着するはずだった時代を大きく踏み外した。
八千年前の日本の近海に不時着。
さらに悪い事に、『もと光る竹』の擬態機能まで破損した。
その結果、かぐやは身体を失った。
人型義体を生成する事も出来ない。
声を出す事も出来ない。
死ぬ事も出来ない。
ただ最強の外殻の中へ閉じ込められたまま、意識だけで存在する状態になった。
状況を理解するたびに徐々に思考がクリアになっていく。
かぐやは自分の身に起きたことを一つ一つ整理して、丁寧に現状と照らし合わせて──
ゆっくりと時間をかけて、絶望していった。
最初の数日は希望があった。
一年経っても何も変わらなかった。
二年経っても。
三年経っても。
変わらない景色だけが続いていく。
海は今日も青く、空は今日も広く。
星々は何事も無かったように瞬いていた。
世界は少しも変わらない。
変わっていくのは、いつだって自分だけだった。
砂浜へ打ち寄せる波が岩を削るように。
誰にも気付かれないまま、かぐやの心も少しずつ形を失っていった。
──ヤチヨ、どっかにいるんでしょ? 出てきて……助けて……
最初は祈りだった。海へ流した瓶詰めの手紙みたいなものだった。
いつか誰かが拾ってくれると信じていた。
やがてそれは懇願になった。届かないと分かっていても投げ続ける声になった。
それでも返事は無かった。
雷のような激しい絶望ではなかった。
刃物のような痛烈な痛みでもなかった。
もっと静かで。
もっと残酷で。
冷たい海水が少しずつ身体へ染み込むように。
──この一瞬を、最高の、パーティにしよ。
彩葉が送ってくれたこの歌をもう何度口ずさんだだろうか。何百、何千回目のリフレインの中で。
聴覚が何かを捉えた。
波の音ではない。風でもない。鳥の鳴き声でもない。
明確な意味を持った音。人の足音だった。
かぐやは歌うのをやめた。
いや、正確には止めざるを得なかった。
長い年月の中で、人の気配など一度も無かったからだ。
それは幻覚かもしれない。
自分が見たいものを脳が勝手に見せているだけかもしれない。
そう思った。
けれど足音は消えなかった。
砂を踏み締める音が近付いてくる。
ゆっくりと。確かに。現実として。
かぐやは壊れた義体生成機能を無理やり起動した。
本来なら人型義体を生成出来るはずだった。
だが今の『もと光る竹』にはそんな出力は残っていない。
結果として現れたのは、掌へ収まるほど小さな白いウミウシだった。
震えるような思いで叫ぶ。
「待って!」
少年が振り返った。
年の頃は十歳前後。
日に焼けた肌。
どこにでも居そうな子供だった。
けれど。意志の強そうなその顔はがぐやに誰かを連想させた。
少年はウミウシが喋ったことに驚くでもなく、ただ静かにしゃがみ込み、小さなウミウシを見つめた。
その瞳には、奇妙な安堵が浮かんでいた。
まるで。
ずっと探していた何かを見つけたみたいに。
「……やっと見つけた」
かぐやに聞き取れないほどの小さな声量で少年はそう呟いた。
それからの日々は穏やかだった。
少年は毎日のように海岸へやって来た。
今日あった出来事を話し。空の色を話し。魚の話をし。意味も無く笑った。
かぐやも話した。
月の話を。宇宙の話を。彩葉の話を。
少年は荒唐無稽ながぐやの話を最後まで否定しなかった。
八千年前の人間とは思えないほど自然に受け入れた。
だから、かぐやは少しずつ笑うようになった。
絶望は消えなかった。未来へ帰れない事実も変わらなかった。
それでも孤独だけは少し和らいだ。
世界でたった一人。
自分を見てくれる誰かが居たからだ。
しかし、その時間は長く続かなかった。
少年は少しずつ痩せていった。
咳をする回数も増えた。
立ち止まる時間も長くなった。
それでも本人は何も言わなかった。
いつも通り笑っていた。
だから、かぐやも気付かなかった。
ある日、少年は来なかった。
翌日も。
その次の日も。
かぐやは待った。
何日も。何ヶ月も。けれど二度と現れなかった。
その頃にはもう。少年はこの世に居なかった。
看取られる事を選ばなかった。
かぐやへ別れを告げる事を選ばなかった。
それが彼なりの優しさだった。
そして十数年後。かぐやは再び人と出会う。
今度は少女だった。
黒髪の。穏やかに笑う少女だった。
少女は砂浜でかぐやを見つけると、当たり前みたいに両手で持ち上げた。
壊れ物を扱うように。宝物を扱うように。優しく。丁寧に。
その仕草を見た瞬間。
かぐやの胸の奥で何かが揺れた。
少女が微笑む。それは初めて見る顔だった。
初めて見るはずの笑顔だった。
なのに。
遠い昔に置き忘れた春風が、ふいに頬を撫でたみたいに懐かしかった。
目を細める癖。相手を安心させるような柔らかな間。
宝物を扱うような手つき。
どれも知らない。知らないはずなのに。
胸の奥のどこかだけが、静かに覚えていた。
──あれ? なんでだろう。姿だって違うのに何であの男の子のことを思い出すんだろう。
そう思った理由を。その時のかぐやは、まだ知らない。
少女が、あの日消えた少年と同じ魂である事を。
そして、その魂がこの先も何度となく人生を終えながら、自分の傍へ戻ってくる事を。
まだ知らなかった。
それが何度も何度も人生をやり直しながら。
たった一人の宇宙人へ寄り添い続けていた、とんでもないお人好しの始まりだった事を。
・初コメ初赤スパ処女を奪ったyachi8000さん
彩葉の口座に赤スパを突うずるっ込んでやると気持ちええんじゃ。
・主人公がお礼されるのを嫌がる理由
前世の母親が酒寄母とは真逆のよわよわだったから。
母親の助けになろうとして何をしたとしても、弱弱しくごめんね、としか言われないから、
もうええわと切り替えて本人に人知れず助ける方向へシフトした模様。
・人気インフルエンサーの『ROKA』と『まみまみ』が最初にライバー『イロ』にレクチャーすること
確定申告の仕方
・主人公の立ち回り(ネタバレ)
主人公「アンサートーカー、幽体離脱の仕方と転生の仕方をおしえて」
アンサートーカー「わかりました」