もうちっとだけハッピーにするんじゃ   作:加賀美ポチ

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新規だ!囲め!

 スマコンを通して意識が沈み込み、現実の身体が遠ざかる。

 次の瞬間、彩葉たちはツクヨミへ降り立っていた。

 夜だった。

 けれどツクヨミの夜は暗くはない。

 頭上では巨大なミラーボールが月の代わりに輝き、空を泳ぐ魚たちのホログラムが淡い光を撒き散らしている。

 提灯の灯りが石畳を照らし、水上に浮かぶ島には今日も大勢の人々が行き交っていた。

 和風の街並みと未来的な光が混ざり合う景色は、何度見ても不思議だった。

 もっとも。

 そんな風景へ感動する余裕がある者は、この場に一人もいなかったのだが。

 

「よーーーしっ!!」

 

 広場へ降り立つなり、かぐやが両手を振り上げる。

 

「KASSENやるぞーーーっ!!」

 

 元気溌剌。

 やる気も十分だった。

 問題は、本人がルールをほとんど理解していないことである。

 

「だから説明聞いて」

 

 即座に芦花が突っ込む。

 呆れ半分、諦め半分の声音だった。

 その隣で真実も肩を竦める。

 

「かぐやちゃん、まだマッチング押しちゃダメだからね?」

「だいじょうぶ!」

 

 元気よく返事をする。

 その返事が全く信用できない。

 それを理解しているからこそ、芦花と真実は顔を見合わせた。

 彩葉は少し離れた場所で狐の着ぐるみ姿のままその様子を眺めている。

 つい昨日、自分の正体がイロであることを半ば公開処刑されたばかりだというのに、当の元凶はそんなことを綺麗さっぱり忘れていた。

 今のかぐやの頭の中には伝説の八秒とKASSENしか存在しない。

 

「まずね」

 

 芦花が指を一本立てた。

 

「今日やるのはSENGOKUモード」

「これは3vs3の陣取り合戦的なモードね」

「三つある拠点──櫓を制圧して相手の天守閣を丸裸にするの、それで相手の天守閣を落とせば勝ち」

「ステージに配置されたミニオンを倒してもゲージが溜まって」

「武器によって役割も違うし、前衛後衛もあるし、あと――」

「なるほど!」

 

 真実が一通りの説明を終えるとかぐやが勢いよく頷く。

 その反応を見て芦花は少し安心した。

 理解してくれたらしい。

 そう思ったすぐ後に、かぐやは自信ありげに胸を張った。。

 

「つまり! やりながら覚えればいいんだね!!」

「違う」

「違うね」

「違うから」

 

 三方向から否定が飛んだ。

 あまりにも綺麗なハモりだった。

 周囲を歩いていたユーザーが思わずこちらを振り向くほどである。

 

 頭上では巨大なクラゲのホログラムがゆっくりと夜空を漂い、提灯の灯りが石畳へ柔らかな光を落としていた。

 ツクヨミの夜は相変わらず賑やかで、どこか遠くからは誰かの弾き語りまで聞こえてくる。

 そんな幻想的な景色の真ん中で、芦花は説明を続けていた。

 

「だからね、武器ごとに得意な距離があるの。刀なら近距離、弓なら遠距離、銃は牽制向きだし――」

「うんうん」

 

 かぐやは真面目に頷いている。

 少なくとも見た目だけなら。

 

「あと武器によって立ち回りも変わるから、まず自分に合った武器を――」

「なるほど!」

 

 かぐやの目が輝いた。

 嫌な予感がした。彩葉などはすでに頭を抱えている。

 芦花と真実はほぼ同時にそう思った。

 経験だった。

 何度も何度も宇宙人に振り回されてきた者だけが得られる経験則だった。

 

「つまり!」

 

 かぐやは胸を張る。

 

「強そうな武器を使えばいいんだね!」

 

『話半分しか聞いてねぇw』

『ウチの甥っ子も新しいゲームするときはこんな感じだわ』

『かぐやちゃんは説明書を読まないタイプか、解釈一致』

『話聞けwww』

 

 視聴者からの反応も散々である。

 しかし当の本人はまったく気にしていない。

 既に武器選択画面へ視線が吸い寄せられていた。

 色とりどりの武器が並んでいる。

 刀、長槍、和弓、種子島、鎖鎌、巨大な戦扇。

 どれも凝った意匠ばかりだ。

 武器一覧を流し見していたかぐやの視線が、不意にぴたりと止まった。

 

「あっ」

 

 その声に芦花と真実が振り返る。

 かぐやが見つめていたのは、画面の端に表示されていたハンマー型の特大武器だった。

 束ねられた青竹。

 神前へ供物を捧げるための三方を思わせる箱型の打撃部位。

 そしてその逆先端に並んだ四つの砲口。

 神社の要素と兵器工廠を無理矢理合体させたようなハンマー兼バズーカだった。

 どう考えても癖が強い。

 

「これ! かぐや、これ使う!」

「なんで数ある中からそれを選んだのよ?」

 

 彩葉が聞く。

 聞かずにはいられなかった。

 すると、かぐやは心外だと言わんばかりに目を丸くする。

 

「だって強そうだもん」

 

 即答だった。

 迷いが一切なかった。

 

「ほら見て彩葉」

 

 かぐやは武器を召喚する。

 光の粒子が集まり、竹を模した巨大な槌がその手へ現れた。

 ずしり。

 重量感のある音。

 長さだけでも本人の身長を超えている。

 普通なら扱うだけで苦労しそうな代物だった。

 だが、かぐやはそれをぶんぶん振り回した。

 

「殴れる!」

 

 かぐやは両手で武器を持ち上げると、その場でぶん、と大きく振り回した。

 どう見ても神具と重火器の合いの子である。

 だが、そんなアンバランスさこそがかぐやの心を掴んでいた。

 

「撃てる!」

 

 次の瞬間。

 がしゃん、と重い機械音が響いた。

 持ち手がスライドし、見るからに近接武器だった姿が、わずか数秒で大型ランチャーへと変形した。

 緑色の竹筒が四連装の砲身として並ぶ様子は、もはや竹林ではなく砲兵陣地だった。

 かぐやの瞳がさらに輝く。

 

「しかも変形する!!」

 

 歓声にも近い声だった。

 その瞬間、芦花と真実はほぼ同時に天を仰いだ。

 もう駄目だ。

 この武器で決定である。

 少なくともこの月のお姫様の中では決定事項である。

 

『選んだwwwww』

『やっぱりそれか』

『知ってた』

『初心者が持つ武器じゃねぇ』

『ロマン砲じゃねーか』

『絶対クセ強いぞそれ』

『説明読め』

『宇宙人に説明を読む文化はない』

『草』

 

 コメント欄は大盛り上がりだった。

 配信画面の横では文字列が滝のような勢いで流れ続け、視聴者たちが好き放題に盛り上がっている。

 しかし当の本人はそんなことをまったく気にしていない。

 今のかぐやの頭の中には、

 殴れる。

 撃てる。

 変形する。

 その三つしか存在していなかった。

 

 一方で彩葉はというと。

 少し離れた場所で狐の着ぐるみを着たまま、静かに額へ手を当てていた。

 昨日は昨日で大変だったのだ。

 身バレ疑惑どころか、本名を絶叫され、伝説の八秒を延々と見返され、その度に「彩葉すごい!」を何十回も聞かされた。

 そして今日。

 今度は宇宙人のKASSENデビュー戦である。

 胃薬が欲しかった。

 できれば業務用サイズで。

 

 だが、そんな保護者の苦労など知る由もなく。

 かぐやは変形したランチャーを肩へ担ぎ上げた。

 重量級武器のはずなのに、本人はまるで竹箒でも持っているかのように軽々としている。

 

「よーし!」

 

 その声には根拠のない自信と、冒険へ飛び込む直前の子供みたいな高揚感が詰まっていた。

 失敗するかもしれないとか。

 負けるかもしれないとか。

 そんな発想は最初から存在していない。

 面白そうだからやる。

 

「これでみんなまとめてぼっこぼこにする! かぐや伝説の始まりを皆に見せたげる!」

 

 高らかな宣言が広場へ響く。

 そして。

 ぴこん、軽い電子音が鳴った。

 本来なら誰も気に留めないような、ごくありふれたシステム音だった。

 だが、その場にいた全員の動きがぴたりと止まった。

 かぐやの指先が、マッチング開始ボタンへ触れていた。

 

「え?」

 

 真実が固まる。

 

「ん?」

 

 芦花も固まる。

 彩葉はゆっくりとかぐやを見る。

 彩葉は嫌な予感に導かれるように、ゆっくりとかぐやへ視線を向ける。

 そして当の本人だけが。

 

「なに?」

 

 と、本気で不思議そうな顔をしていた。

 きょとん、と首を傾げる仕草は小動物じみていて、そこに悪意も焦りも一切存在しない。

 だからこそ恐ろしい。

 

「かぐやちゃん」

 

 真実が恐る恐る声を掛ける。

 まるで爆発寸前の爆弾へ話し掛けるような慎重さだった。

 

「今なに押したの?」

「んー?」

 

 かぐやは自分の指先を見下ろした。

 そして。

 

「あ」

 

 ようやく気付いたらしい。

 武器選択画面の横。

 そこには燦然と輝く『マッチング開始』の文字が表示されていた。

 押された直後を示すように、ボタンの周囲では淡いエフェクトがまだ残っている。

 

「押しちゃった!」

「「知ってる!!」」

 

 芦花と真実の声が綺麗に重なった。

 その勢いに周囲の通行人が思わず振り返るほどだった。

 コメント欄も一斉に爆発する。

 

『草』

『やりやがったwwww』

『押したwwww』

『説明終わってないwwww』

『宇宙人は待てができない』

『知ってた』

『予想通りすぎる』

『開幕即出撃で草』

『保護者の胃が死ぬ』

 

 配信画面の横を流れるコメントは滝のような勢いだった。

 視聴者たちも薄々こうなる予感はしていたのだろう。

 だから驚きというより、「やっぱりな」という諦め混じりの笑いが大半を占めている。

 

 彩葉は無言だった。

 狐の着ぐるみの頭を片手で押さえ、静かに天を仰いでいる。

 視界の先の夜空では巨大なミラーボールが回り、魚のホログラムが優雅に夜空を泳いでいた。

 実に平和な景色だった。

 

 そのはずなのに胃だけが痛い。

 もはや驚きはない。

 あるのは諦めだけだった。

 この宇宙人は最初からこうだ。

 考えるより脊髄反射で行動、説明はその後。

 結果として奇跡を起こすこともある。

 

 だが、それと同じくらい大惨事も起こす。そして今は明らかに後者の匂いがしていた。

 広場の中央へ半透明のウィンドウが浮かび上がる。マッチング中、検索中、対戦相手を探しています。

 そんな文字列が流れていく。

 

「だいじょうぶだって!」

 

 かぐやは変形したランチャーを肩へ担ぎながら、まるで根拠のない自信を当然のもののように言い放った。

 

「かぐや強そうな武器選んだし!」

 

 その笑顔には一片の曇りもない。

 夜空を泳ぐクラゲのホログラムが頭上を流れ、提灯の灯りが石畳へ柔らかな光を落としている。そんな幻想的な景色の真ん中で、かぐやだけが遠足前日の子供みたいな顔をしていた。

 そして次の瞬間。

 

「それに!」

 

 かぐやは当然のように芦花と真実を指差した。

 

「芦花と真実いるし!」

「え?」

「え?」

 

 二人の声が綺麗に重なる。

 かぐやはそんな反応など気にも留めず、当たり前のことを言うみたいに続けた。

 

「だって二人ともKASSEN詳しいじゃん!」

 

 にぱっと笑う。

 

「だから大丈夫でしょ!」

 

 その言葉は驚くほど無邪気だった。

 計算も打算もない。

 ただ純粋に信頼しているから口にした、子供のように真っ直ぐな言葉だった。

 一瞬だけ。

 芦花と真実は言葉を失う。

 普段なら「そういう問題じゃない」と即座に突っ込むところだった。

 実際、その通りなのだ。

 ゲームのルールをほとんど理解していない初心者を連れて勝てる保証などどこにもない。

 

 ましてKASSENはチーム戦である。

 一人が暴走すれば、そのしわ寄せは残りのメンバーへ飛んでくる。

 理屈で考えるなら不安要素しかなかった。

 だが。

 頼られている。

 その事実だけは妙にくすぐったかった。

 芦花は頬に人差し指を当てる。

 

「まったくもう……」

 

 呆れたように息を吐く。

 けれど口元は少しだけ緩んでいた。

 

「勝てるかどうかは分かんないけど」

 

 そう言って肩を竦める。

 

「まあ、任せて。かぐやちゃんを出来るだけエスコートするから」

 

 その声には確かな自信があった。

 続いて真実も苦笑する。

 

「そうだねぇ」

 

 柔らかな声だった。

 けれどその瞳には楽しそうな色が浮かんでいる。

 

「少なくとも、かぐやちゃんを放り出したりはしないかな」

 

 それを聞いたかぐやの顔がぱっと明るくなった。

 

「やったー!」

 

 両手を振り上げる。

 まるで勝利が確定したかのような喜び方だった。

 

『頼られると弱い二人』

『完全に保護者枠』

『妹に懐かれた姉みたいになってる』

『かぐやちゃん人たらしなんだよな』

『この宇宙人、距離の詰め方だけは天才』

『絆されてるwww』

『かわいい』

 

 コメント欄もどこか微笑ましい空気に包まれていた。

 一方で彩葉だけは少し離れた場所からそのやり取りを眺めながら、狐の着ぐるみの頭を軽く押さえる。

 芦花も真実も、最初はあんなに振り回されていたはずなのだ。

 それが今では、頼られた瞬間にまんざらでもなさそうな顔をしている。

 

 宇宙人には人を絆す特殊能力でもあるのだろうか。

 そんなことを考えながら、彩葉は小さくため息を吐いた。

 もっとも。

 目の前で無邪気に笑うかぐやを見ていると、その理由も少しだけ分かる気がしたのだが。

 

 

 その時だった。

 広場の中央に浮かんでいたマッチングウィンドウが、ふっと明るさを増す。

 検索中の文字列が消え、代わりに円形のエフェクトが幾重にも重なりながら回転を始めた。

 ぴろん。

 先ほどとは違う。

 今度はマッチング成立を告げる電子音だった。

 

「おっ」

 

 かぐやが目を輝かせる。

 

「きた? おーし、やっちゃうぞー!!」

 

 その声は遠足当日に玄関で出かける元気いっぱいの子供そのものだった。

 一方で芦花と真実は反射的に画面へ視線を向ける。

 KASSENを長く遊んでいる人間ほど、対戦相手の名前というものには敏感になる。

 誰と当たるかで試合内容は大きく変わる。

 楽しい試合になることもあれば、開始前から胃が痛くなる組み合わせもある。

 そして。

 今回表示された名前は。

 後者だった。

 最初に表示された名前を見た瞬間、真実の笑顔が固まった。

 

「……あれ~……これまずいかもぉ」

 

 続いて芦花も画面を覗き込む。

 

「うわぁ……、この組み合わせというか対戦相手は荷が重いかも」

 

 そして二人揃って沈黙する。

 先程の頼もしさは鳴りを潜め、二人の口元は若干引きつり気味だ。

 

 数秒前まで滝のように流れていたコメントが嘘みたいに止まっていた。

 まるで数万人が同時に息を呑んだような静寂だった。

 ツクヨミの夜は相変わらず賑やかだった。

 遠くでは誰かの配信が聞こえ、空を泳ぐ発光魚の群れが青白い軌跡を描きながら通り過ぎていく。

 だが、かぐやたちの周囲だけが奇妙な静けさに包まれていた。

 沈黙は三秒ほど続いた。

 そして、コメント欄が倍速の如く流れ始めた。

 

『は??????』

『待って待って待って待って』

『マッチングアルゴリズムはどうなってんだよ、もう対戦するってレベルじゃねぇぞ!』

『マッチング完了、ヨシ(現場猫)』

『初心者狩りとかいうレベルじゃねぇw』

『いや笑えねぇって』

『宇宙人死んだ』

『開幕ラスボス戦』

『運営仕事しろ』

『この組み合わせ何????』

『草』

『いや草じゃねぇ』

 

 文字列が雪崩みたいに流れていく。

 その勢いは先ほどまでとは明らかに違っていた。

 笑いではない。

 悲鳴である。

 配信を見ているKASSENプレイヤーたちが、一斉に頭を抱えた時の反応だった。

 かぐやはまだ、何が起きているのか分かっていない。

 だから画面へ顔を近付け、対戦相手一覧を覗き込むようにして首を傾げた。

 

 表示された名前の横には、それぞれのアバターが立体映像として浮かび上がっている。

 まず目に入るのは、黒と紫を基調にした長衣を纏った青年だった。深く被ったフードの奥には短い銀髪が覗き、額には黒鬼を思わせる角が伸びている。

 駒沢雷。

 ブラックオニキスの一角にして、KASSENでは主にタンクやサポートを担当する現行最上位プレイヤーの一人である。

 敵の攻撃を受け止め、味方の動線を作り、必要な場面では自ら前へ出て戦線を押し広げる。

 派手な撃破数で目立つタイプではないが、彼がいるだけでチーム全体の安定感が変わる。KASSENを少しでも知っている者なら、その名前を見ただけで背筋が伸びる相手だった。

 

 そして、その隣に表示された名前を見て、彩葉の肩がわずかに強張る。

 ヨミ。

 梟(ふくろう)をモチーフにした外套に身を包んだアバターに、背へ負った大剣。

 静かな佇まいでありながら、そこにいるだけで画面の空気が一段重くなるような存在感があった。

 昨日かぐやが何度も何度も再生した、あの伝説の八秒。その相手であり、同時に、彩葉にとっては忘れようにも忘れられないプレイヤーだった。

 

 さらに三人目。

 不足人数補充枠として表示された名前を見た瞬間、コメント欄の流れが一度だけ妙な方向へ変わった。

 

 月見ヤチヨ。

 ツクヨミ管理人。

 そしてKASSENにおける特殊システム──お助けキャラクターでもある。

 

 ヤチヨは通常プレイヤーとは少し違う。

 対戦する両チームの戦力差をシステム側が自動で判定し、その差に応じて能力が上下する特殊な存在なのだ。

 初心者チームが相手なら弱くなる。

 上位勢同士の試合なら強くなる。

 極端な実力差が生まれないよう調整するための、いわば生きたバランサーだった。

 だから本来なら。

 今回の組み合わせで最も警戒しなければならない相手はヤチヨではない。

 むしろ逆だ。

 かぐやという完全初見プレイヤーを含むチームとの対戦である以上、システムはヤチヨの能力を最低レベル近くまで引き下げるはずだった。

 実際。

 対戦相手一覧へ表示されたヤチヨのアバターを見た瞬間、古参プレイヤーたちは別の意味で悲鳴を上げることになる。

 

『あっ』

『うそだろ』

『最低設定じゃん』

『初めて見た』

『ウミウシヤチヨだ』

『激レア引いてるwww』

『何年もやってるけど見たことねぇ』

 

 そこに立っていたのは、いつもの管理人然としたヤチヨではなかった。

 白くて丸い。

 もちもちしている。

 頭からぴょこんと触角が生えている。

 どう見てもウミウシだった。

 戦力差補正が最低ランク付近まで下がった時にしか着用しないと言われる、通称『ウミウシコスチューム』。

 通常プレイでは滅多に見られないレア形態である。

 

 つまり。

 システムはこの試合を見てこう判断したのだ。

 初心者チームと上位勢チーム。

 戦力差が大きいため、人数不足枠のヤチヨを実質雑魚とすることでバランスをとる。

 そこまでは良かった。

 問題は、その補正を賭けたうえでも、なお戦力差が絶望的だったことである。

 

『終わった』

『ヤチヨ最弱なのに終わった』

『補正が仕事してない』

『いや補正はしてる』

『補正してこれ』

『ヨミと雷がおかしいんだよ』

『現行最強格二枚抜きは反則』

『初心者歓迎会じゃなくて世界大会』

『運営「バランス取ったぞ」』

『取れてねぇよ』

 

 けれど、かぐやはその阿鼻叫喚を見ても、やはり深刻さを理解していなかった。

 

「あ、ヤチヨだ!」

 

 むしろ嬉しそうだった。

 

「あと、昨日の動画の人もいる! すごいね、芦花、真実!」

 

 そう言ってヨミの名前を指差す。

 かぐやは振り返り、両目をきらきら輝かせた。

 

「いきなり強い人たちと遊べるんだって!」

 

 その言葉に芦花は一瞬だけ口を開き、それから閉じた。

 真実も同じように、何か言い掛けて困ったように笑う。

 強い人たちと遊べる。

 確かに間違ってはいない。

 間違ってはいないのだが、これは遊園地へ行くつもりでジェットコースターに縛り付けられたような状況である。

 

「うん……まあ、強い人たちではあるね」

 

 芦花が慎重に言葉を選ぶ。

 

「ただ、強すぎるっていうか……」

「ちょっと、初戦で当たる相手ではないかなぁ」

 

 真実の声もいつもより柔らかい。

 しかしその柔らかさは、怖がらせないように事実を薄めている時のものだった。

 かぐやは首を傾げる。

 

「でも強い人とやった方が早く上手くなるんでしょ?」

 

 その言葉に、彩葉は思わず顔を上げた。

 何も考えていないようでいて、たまにこういうところだけ妙にまっすぐ核心を突いてくる。

 かぐやは無謀ではあるが、逃げるつもりはない。自分が知らないもの、分からないもの、強いものへ向かっていくことに、恐れよりも好奇心が勝つのだ。

 芦花と真実もそれを感じ取ったのだろう。

 二人の表情から、ほんの少しだけ硬さが消える。

 

「まあね」

 

 芦花は息を吐いた。

 

「確かに、強い人とやると勉強にはなる」

「めちゃくちゃ痛い勉強になると思うけどねぇ」

 

 真実が苦笑する。

 

「でも、かぐやちゃんがやる気なら、私たちも付き合うよ」

 

 かぐやの顔がまた明るくなった。

 

「ほんと!?」

「ほんと。ただし、勝手に突っ込みすぎないこと」

「うん!」

「怪しい返事」

「うん!」

「今のはもっと怪しい」

 

 芦花が肩を落とす。

 それを見てコメント欄が少しだけ笑いを取り戻した。

 

『かぐやちゃん前向きすぎる』

『メンタルだけは最上位』

『初戦で雷ヨミヤチヨは普通泣く』

『でもこの宇宙人なら何かやらかしそう』

『芦花とまみまみの保護者感すき』

『いろPママも息して』

『狐、固まってない?』

 

 マッチングが決定してから一言も発していない狐の着ぐるみが一体。

 それが唐突にがばっと身を乗り出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってウミウシヤチヨだぁ……え、これ本物? 本当に最低設定の時の? は、初めて見た。す、スクショ!? スクショしなきゃ!?」

 

 限界オタクと化していた。

 声が震えていた。推し活をしている人間特有の震えだった。

 狐の着ぐるみを着たまま身を乗り出し、マッチング画面へ顔を近付け、今にも画面へ吸い込まれそうな勢いでウミウシヤチヨを凝視している。

 完全に周囲が見えていなかった。

 

『限界化してるwww』

『いろP壊れた』

『推しが激レア衣装で出てきたオタク』

『さっきまで胃痛だった人どこ行った』

『スクショ連打してそう』

『狐が釣れた』

 

 コメント欄は大盛り上がりだった。

 そして。

 そんな彩葉を見ていたかぐやの頬が、むすっと膨らむ。

 

「……彩葉」

 

 かぐやが不満げな声色で呼ぶが反応がない。

 彩葉はまだ画面を見ている。

 かぐやの頬のたまご肌の頬がまだ膨らむ。

 

「え? なに?」

 

 ようやく返事が返ってきた。

 だが視線はまだヤチヨの方へ向いている。

 ぷくー、とフグのように頬が更に膨らんだ。

 

「さっきからヤチヨばっかり見てる」

「え?」

「かぐやもいるのに、かぐやだって居るのにー!」

 

 拗ねていた。

 それはまるで、自分が見せた絵よりも他のものに夢中になっている友達を見た時の子供みたいな反応だった。

 

『出た』

『嫉妬深怪獣かぐやだ』

『宇宙人かわいい』

『いろP取られた』

『ヤチヨに負けたwww』

『対抗心燃やす相手そこ!?』

『草』

『完全に妹』

 

 かぐや本人は真面目だった。

 腕を組み、ランチャーを肩へ担ぎながら不満そうに口を尖らせている。

 

「彩葉、昨日はかぐやのこと見てくれたのに」

「いや、それは……」

「今ずっとヤチヨ見てる」

「だってウミウシヤチヨは激レアで……」

「かぐやだって激レアだよ! 月のお姫様だよ!」

 

 かぐやは胸を張って言った。

 その仕草はどこか誇らしげで、まるで自分が世界に一つしかない宝物だと本気で信じているみたいだった。

 

「あー分かった分かったから、ちゃんと見ててあげるから」

「ほんと!?」

「ほんと」

 

 さっきまで楽しそうに笑っていた顔は少しだけ不満そうに膨らみ、触れれば破裂しそうな風船みたいに頬が丸くなっている。

 彩葉は小さく息を吐くと、ちゃんとかぐやに向き直った。

 相も変わらず狐の着ぐるみのままだが。

 

「ちゃんと見てるから、頑張りなよ」

 

 その言葉は、かぐやにとって十分すぎる保証だったらしい。

 満月へ雲が掛かっていたのが風で流されたみたいに、その表情がぱっと明るくなる。

 

「えへへ」

 

 照れたように笑う。

 機嫌は完全に直っていた。

 数秒前までの不満がどこへ消えたのか分からないほどである。

 

『チョロい』

『かわいい』

『満足したwww』

『妹すぎる』

『保護者と精神的幼女、つまりおねロリか』

『尊い』

『脳が回復する』

『平和な配信だなぁ』

 

 コメント欄が温かい空気に包まれた、その時だった。

 広場の中央で浮かんでいたマッチングウィンドウが強く発光する。

 転送開始。

 無機質な文字列が浮かび上がり、足元へ幾何学模様の光陣が広がっていく。

 青白い光が石畳を染め、空を泳ぐ魚たちのホログラムがその上を横切る。

 提灯の灯り。

 夜の潮風を模した演出。

 遠くから聞こえる誰かの笑い声。

 賑やかなツクヨミの夜景が、ゆっくりと白い光の向こうへ溶け始めていた。

 

【出撃まで 3】

【2】

【1】

 

 芦花の表情が少しだけ引き締まる。

 肩を回し、指先を握って感覚を確かめる。

 真実が静かに装備ウィンドウを開く。

 武器構成、スキル構成、消耗アイテム、確認作業は数秒で終わった。

 かぐやだけが満面の笑みだった。

 

「よーし!」

 

 ランチャーを掲げる。

 巨大な竹筒が光を反射し、夜空を泳ぐ魚のホログラムがその表面を滑っていく。

 

「伝説作るぞー!」

 

 その瞬間。

 光が弾けた。

 視界が真っ白になる。

 身体がふわりと浮く。

 重力が消え、世界が引き延ばされ、音が遠ざかっていく。

 

 こうして。

 最上位プレイヤー二人と、最低設定ウミウシヤチヨが待ち受ける戦場へ。

 かぐやたちは、どこまでも締まらない空気のまま転送されていったのである。

 

 

 結論から言うと。

 かぐやのKASSEN初陣は、滅茶苦茶に接待された。

 それはもう、教科書に載せたくなるレベルでの見事な接待だった。

 ただし、手を抜かれたという意味ではない。

 むしろ逆である。

 ヨミと駒沢雷は、最上位プレイヤーとしての技術を一切惜しまなかった。

 反応速度、位置取り、ヘイト管理、ミニオン処理、拠点制圧、撤退判断。その全てを異常な精度で噛み合わせ、かぐやたちが「楽しく遊べるギリギリの戦場」を作り出したのである。

 

 全力で手加減する。

 それは、ただ弱く動くことではない。

 初心者に何もさせず負かすのは簡単だ。

 だが、初心者に「自分も戦えている」と思わせながら、試合の形を崩さず、危険な場面だけをさりげなく潰し、勝ち筋と負け筋の両方を見せる。

 それは上級者にしか出来ない芸当だった。

 そして彼らは、それをやってのけた。

 

 なぜか。

 一本目の序盤で察したからである。

 かぐやが完全な初見プレイヤーだということを。

 最初の接敵で、かぐやは堂々と正面から突っ込んだ。

 竹と三方を模した巨大ランチャーを肩へ担ぎ、勢いだけで敵陣へ走り込む姿は、もはや合戦というより祭りの神輿だった。

 

「うおおおおお! ぼっこぼこにする!!」

 

 声だけは勇ましい。

 見た目も派手だ。

 だが、立ち回りは真っ白だった。

 櫓の位置を見ていない、味方の位置も見ていない、敵の射線も見ていない。

 そのくせ本人だけは楽しそうだった。

 

 ヨミはそこで気が付き、雷もまた気付いた。

 そして。

 

 ──雷さん、わかってますね?

 ──無論だ。ヨミこそ抜かるよ?

 

 二人の最上位KASSENプレイヤーはアイコンタクトのみで意思疎通をこなし、ある一つの思考に着地する。

 それすなわち。

 『新参プレイヤーだ、囲め』、である。

 

 これは狩る相手ではない。

 迎える相手だ。

 KASSENという沼へ、足を踏み入れたばかりの新規プレイヤーである。

 そして古参プレイヤーには不文律がある。

 新規は厚くもてなせ。

 未来の対戦相手を潰すな。

 楽しかったという記憶を持たせろ。

 その瞬間、ヨミチームの動きが変わった。

 

 もちろん、初心者のかぐやには分からない。

 ある程度のKASSENプレイヤーである芦花と真実も、最初は分からなかった。

 ただ視聴者の中でKASSENガチ勢が最初に気付き始めた。

 

『あれ?』

『ヨミ今取れたよな?』

『雷、わざと射線切った?』

『ヤチヨちゃん止まってて草、いやウミウシだから当たりませか』

『いやこれ接待だ』

『超絶技巧接待始まった』

『古参の鑑』

『新規歓迎会じゃん』

 

 それは、あまりにも高度な接待だった。

 雷は前に出すぎない。

 だが、かぐやが完全に孤立しそうになると、わざと存在感を見せて足を止めさせる。圧だけで初心者を押し潰せる男が、圧の出力を職人芸みたいに調整していた。

 ヨミは攻め込まない。

 その代わり、かぐやの大振りな攻撃を紙一重で避け、外した後に反撃せず、次に何をすれば当たりそうかが分かる位置へわざと立つ。

 

 かぐやは思い切り突っ込み、思い切り空振りし、時々偶然砲撃を当てて大喜びする。

 芦花はそれをフォローしながら櫓へ走り、真実は状況を見て拠点を取る。

 雷は要所を締め、ヨミはかぐやが気持ちよく攻撃を振れる距離を維持し、ウミウシヤチヨはとてとて歩いて戦場の癒やし枠になる。

 異様な試合だった。

 

 だが。

 楽しそうだった。

 少なくとも、かぐやは全力で楽しんでいた。

 

「当たった!! 彩葉、当たった!!」

 

 ランチャーの砲撃がミニオンを吹き飛ばしただけで、かぐやは勝利したかのように叫んだ。

 彩葉は配信画面の端で狐の着ぐるみのままそれを見ていた。

 最初は頭を抱えていた。

 けれど次第に、その肩から力が抜けていく。

 ヨミと雷が何をしているのか、彩葉には分かった。

 これは手抜きではない。

 新規を楽しませるための、上級者による本気の介護だ。

 上手すぎる。

 上手すぎて腹が立つほどだった。

 そして、少しだけありがたかった。

 上位プレイヤーに手も足も出せずに蹂躙されるかぐやを見ずに済み、それだけでなくかぐやが楽しそうだったから。

 それだけで、彩葉の胃痛はほんの少しだけ和らいだのである。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 ここならぬいづこの物語なり。

 

 花は散り、月は欠け、人の世の栄華もまた長くは続かぬものなり。

 

 されど、たとえ国が滅びようとも、最後まで消えぬものもありけり。

 

 それは友を想う心なり。

 

 これは大坂の城、炎に呑まれんとする頃の話。

 

 

 大坂城は燃えていた。

 それは単なる火事ではなかった。

 城そのものが終わろうとしていた。

 夜空を焦がす炎は幾重にも重なり、まるで巨大な龍が城を抱え込むように天守を這い回っている。

 吹き上がる火の粉は無数の蛍にも似ていたが、その一つ一つが人の営みを焼き尽くす災厄であり、美しいなどと呼べるものではなかった。

 風が吹くたびに火勢は勢いを増し、赤々と燃える光が城壁を照らしている。

 

 轟音が響く。

 梁が折れる音。

 瓦が砕ける音。

 火薬が爆ぜる音。

 

 そして、どこか遠くから聞こえる人々の叫び声。

 それらは区別の付かぬ一つの騒音となり、大坂城全体を震わせていた。

 熱かった。

 息を吸うだけで喉が焼ける。

 空気の中には灰が混じり、視界には薄い煙が漂っている。

 それでも城の奥にはまだ火の手が及んでいない場所が僅かに残されていた。

 

 その一室で。

 一人の姫と、一匹のウミウシが向かい合っていた。

 淀姫は静かだった。

 豊臣の姫として幾人もの家臣を従え、栄華の中心に立ってきた女性とは思えぬほど穏やかな表情をしている。

 豪奢な打掛には煤が付き、長い黒髪にも灰が降り積もっていたが、それでも彼女の背筋は真っ直ぐだった。

 まるで炎の中に咲く一輪の花のようだった。

 散ることを知りながら、それでもなお美しくあろうとする花。

 

 対して。

 小さな身体を震わせている。

 熱さではない。

 恐ろしさでもない。

 どうしようもない無力感だった。

 

 何も出来なかった。

 何千年生きても。

 どれほど多くの時代を見ても。

 自分は結局ウミウシのままだった。

 走れない。

 戦えない。

 誰かを抱えて逃げることも出来ない。

 大切な友達が死ぬと分かっていても、その手を引いて連れ出すことすら出来ない。

 その事実が胸を引き裂くように苦しかった。

 

「淀……」

 

 掠れた声が漏れる。

 その名を呼ぶだけで胸が痛んだ。

 何か言いたかった。謝りたかった。

 助けたいと言いたかった。

 けれど、どの言葉も喉の奥で絡まり、上手く形になってくれない。

 

 淀姫はそんな友人を見つめ、ふっと笑った。

 穏やかな笑みだった。

 幼い頃、池のほとりで未来の話を聞いていた時と同じ。

 何一つ変わらない笑みだった。

 

「そのような顔をするでない」

 

 柔らかな声だった。

 城の崩れる音さえ、その声だけは届かぬ場所にあるかのように静かだった。

 

「せっかく会えたというのに」

 

 かぐやの触角が力なく垂れる。

 涙が溢れる。

 止めようとしても止まらない。

 

「ごめん……」

 

 震える声。

 

「かぐや、何も出来なくて……」

 

 炎が爆ぜた。

 どこかの梁が折れたのだろう。

 大きな音が響き、部屋全体がわずかに揺れる。

 終わりは近い。

 誰の目にも明らかだった。

 けれど淀姫は首を横へ振った。

 

「何故謝る」

 

 その声には不思議な強さがあった。

 

「おぬしは何も変わらなんだ」

 

 かぐやが顔を上げる。

 涙で滲んだ視界の向こうで、淀姫は静かに笑っていた。

 

「未来の話を聞かせてくれた」

「誰にも言えぬ話を聞いてくれた」

「妾が姫ではなく、ただの淀としておれた時間をくれた」

 

 炎が揺れる。その赤い光が淀姫の横顔を照らす。

 かぐやは知っていた。

 目の前にいる友が、もはや生を惜しむ段階を過ぎていることを。

 助かる道があるかどうかを考える時期はとうに終わり、残された時間をどう使うか、その答えを静かに受け入れてしまっていることを。

 だからこそ苦しかった。

 泣き叫んでくれた方が良かったのかもしれない。

 嫌だと縋ってくれた方が良かったのかもしれない。

 けれど淀姫は違った。

 燃え落ちようとしている城の中にありながら、その横顔には不思議な穏やかさがあった。

 

「妾はな」

 

 ふと、淀姫が呟く。

 その視線はかぐやへ向けられているようでいて、もっと遠く、既に過ぎ去ってしまった歳月の彼方を見つめているようでもあった。

 障子の向こうでは炎が渦を巻き、折れた梁が崩れ落ちる轟音が絶え間なく響いている。

 それでも彼女の声だけは不思議と静かで、まるで春の池に落ちた一滴の雫のように、かぐやの胸へ染み込んできた。

 

「おぬしと話す時間が好きであった」

 

 かぐやの喉が詰まる。

 その言葉と共に、淀姫の脳裏にも様々な光景が浮かんでいるのだろう。

 柔らかな陽射しに包まれた庭園。

 風に揺れる若葉。

 池の水面を渡る波紋。

 縁側へ腰掛けながら、未来には空を飛ぶ鉄の船があるのだと得意気に語るウミウシ。

 顔を見ながら遠くの相手と話せる箱があると言っては、そんな馬鹿な話があるものかと笑い合った午後。

 姫でもなく、豊臣の象徴でもなく、ただ一人の少女として笑うことができた時間。

 その思い出は、今となっては失われた時代そのものだった。

 

「だから」

 

 淀姫は小さく微笑んだ。

 その笑みはどこまでも優しく、だからこそ残酷だった。

 

「最期に一目会えて良かった」

 

 別れの言葉だった。

 だが、それは突き放すための別れではない。

 むしろ逆だった。

 生きていてくれてありがとう。

 会いに来てくれてありがとう。

 そんな感謝が幾重にも折り重なった末に辿り着く、静かな別れだった。

 かぐやの目から涙が零れ落ちる。

 止めようとしても止まらない。

 熱いはずの空気の中で、その雫だけがやけに冷たく感じられた。

 淀姫はそんな友を見つめながら、ゆっくりとその名を呼ぶ。

 

「かぐや」

 

 その声には、長い年月を共に過ごした友人へ向ける親しみと慈しみが滲んでいた。

 

「おぬしには、逢いたい者がおるのであろう」

 

 その瞬間、かぐやの胸が大きく震えた。

 炎の赤が揺れる視界の奥で、遠い未来の光景が脳裏を掠める。

 何千年も先の時代。

 夜の街──ツクヨミ。

 そして、その先に居る一人の少女──彩葉。

 長い旅路の果てにようやく巡り会える筈の、大切な人。

 

 淀姫は何も知らないはずだった。

 それでも分かってしまったのだろう。

 かぐやが、この世界に未練だけを残して生きているのではないことを。

 長い長い時の先に、どうしても会いたい誰かがいることを。

 

「ならば」

 

 淀姫は静かに言った。

 

「ここで終わる必要などあるまい」

 

 その言葉が落ちた直後、城のどこかで巨大な破砕音が響いた。

 梁が折れたのか、壁が崩れたのか。

 足元まで伝わる振動が畳を震わせ、天井から灰がぱらぱらと降り注ぐ。

 炎はもはや城全体を呑み込もうとしていた。

 世界そのものが燃えながら崩れていくような光景だった。

 

 それでも淀姫の言葉だけは不思議なほど真っ直ぐで、燃え盛る炎にも、崩れゆく城にも揺らぐことなく、かぐやの胸の奥深くへ届いていた。

 そして、その時だった。

 突如として床下から重々しい振動が響き始める。

 最初は城の崩落音かと思った。

 だが違う。

 それは何か巨大な石が動く音だった。

 ごごご、と腹の底へ響くような低い音が畳の下から伝わり、部屋全体が微かに震える。

 

 かぐやと淀姫は同時に顔を上げた。

 燃え盛る炎の赤い光の中、部屋の隅にあった床板がゆっくりと持ち上がっていく。

 長い年月を経てなお壊れずにいた石蓋が軋みながら横へ滑り、その下から黒々とした地下通路の入口が姿を現した。

 まるで城が自ら秘め続けていた秘密を、今この瞬間になってようやく吐き出したかのようだった。

 炎に包まれた世界の中で、そこだけが異質だった。

 焼け落ちる運命の外側へ繋がる、たった一本の道。

 何百年もの時を越えて、この瞬間のためだけに残されていた抜け道。

 そして暗闇の奥から、一人の人影が姿を現す。

 

 煤に汚れた外套。

 灰を被った髪。

 荒い呼吸。

 それでも、その目だけは少しも迷っていなかった。

 燃え落ちる大坂城の中で。

 遠い昔に仕掛けられた因果と、未来へ繋がる願いとが、ようやくこの場所で交差しようとしていたのである。

 

 

 石蓋の向こうから現れた若者の姿を見た瞬間、かぐやは胸の奥を強く掴まれたような気がした。

 地下通路を駆け抜けてきたのだろう、外套の裾は煤で黒く汚れ、肩口には焼け焦げた跡が残っている。

 髪にも灰が降り積もり、額には玉のような汗が浮かんでいた。

 

 その呼吸は決して楽そうではなかった。

 荒い息が喉の奥で掠れ、肩も僅かに上下している。

 ここへ辿り着くまでが決して容易な道のりではなかったことは、一目見ただけで分かった。

 それなのに。

 当の本人は、まるで何でもないことのような顔をしていた。

 

 燃え盛る部屋をぐるりと見回し、崩れかけた柱と天井を確認し、最後にかぐやと淀姫の無事な姿を見つけると、ほっと肩の力を抜く。

 その仕草は、戦火の中へ飛び込んできた人間のものではない。

 どちらかと言えば、待ち合わせの相手を見つけた時のそれに近かった。

 

「うん」

 

 若者は小さく頷いた。

 炎の轟音に掻き消されそうになるほどの声だったが、不思議とその言葉だけは二人の耳へはっきり届く。

 

「間に合った」

 

 その一言に、どれだけの安堵が込められていたのだろう。

 窓の外では炎が夜空を焦がし、崩れ落ちた櫓から吹き上がる火の粉が赤い雪のように舞っている。

 天井の梁は今にも折れそうな悲鳴を上げ、畳の下から伝わる振動は城全体が最期の時を迎えつつあることを嫌でも理解させた。

 誰がどう見ても終わりの光景だった。

 豊臣の栄華の象徴であった大坂城は、今まさに炎の中で崩れようとしている。

 だが、その終焉の只中にあっても、若者だけはどこか場違いなほど穏やかだった。

 まるで、この光景さえ予定通りであるかのように。

 

「……おぬし」

 

 淀姫が呆れとも驚きともつかぬ声を漏らす。

 若者は軽く片手を上げると、主君へ挨拶する家臣のように僅かに頭を下げた。

 

「ご無事で何よりにございます、淀姫様」

 

 その言葉遣いは丁寧だった。

 だが堅苦しくはない。

 敬意はある。

 しかし必要以上に畏れてもいない。

 不思議な距離感だった。

 そして。

 

「迎えに参りましたよ、月のお姫様」

 

 続けられた言葉は、あまりにも簡単だった。

 命懸けで城へ忍び込み、燃え盛る天守へ辿り着き、地下通路を開いて現れた人間の第一声としてはあまりにも軽い。

 まるで散歩の帰り道にでも立ち寄ったかのような口調だった。

 

 かぐやはそんな彼を見つめながら、胸の奥がじわりと痛むのを感じていた。

 知っているのだ。

 この人がどれだけ無茶をしているのか。

 知っているのだ。

 自分のために動いてくれていることも。

 

 数千年。

 それは人の尺度では測れない時間だった。

 王朝が滅び、国が生まれ、文明が姿を変え、愛した人々が老いて死に、名前すら残らなくなっていく。

 そんな別れを何度も何度も繰り返しながら歩き続ける旅路を、この人はずっと寄り添っていてくれた。

 

 その長い旅のどこかで、自分の心が折れてしまわないように。

 孤独に呑み込まれてしまわないように。

 少しでも笑っていられるように。

 ずっと前から手を打ち続けている。

 今この瞬間も、その延長線上にあった。

 

 だから苦しかった。

 感謝より先に申し訳なさが込み上げるほどに。

 だが当の本人は、そんな空気を欠片も表へ出そうとはしなかった。

 

「実はですね」

 

 若者は人差し指を立てる。

 その顔には妙に得意げな笑みが浮かんでいた。

 

「『一回前』で、設計士をやっておりまして」

「設計士じゃと?」

 

 淀姫が眉を上げる。

 

「ええ」

 

 若者はにこりと笑った。

 

「その縁で、大坂城の建築にも少々関わっておりました」

 

 さらりと告げられた言葉に、淀姫は思わず目を瞬かせる。

 豊臣の象徴たる城の建設へ関わったというのだから、本来であればもっと驚いても良い話だった。

 しかし若者はそんな反応を待つこともなく、むしろ本題はこちらだと言わんばかりに地下通路を親指で示した。

 

「それで、一度やってみたかったのですよ」

「何をじゃ」

「こういう時に」

 

 若者はわざとらしく胸を張る。

 

「『こんなこともあろうかと』、と申し上げるのを。ね、かぐや。秘密の脱出経路っていうのは浪漫あるよね? だから作っておいたんだ」

 

 淀姫が絶句した。

 かぐやも絶句した。

 燃え盛る城の中で。

 数十年も前から仕込んでいた脱出路の説明として、それはあまりにも締まらなかった。

 

 そして。

 ごん、と地下通路の壁を軽く叩く。

 

「まあ住んでる人は誰も知らないんだけどね」

「知らぬのか!?」

 

 思わず淀姫が声を上げた。

 炎の轟音に負けない勢いだった。

 

「知らないですね、頑張って秘密で作りましたので」

「秀頼も知らぬのか!?」

「まあ秀頼様も知らないですね。超無理限界ギリなくらいの施工計画で作りましたので」

「何をしておるのじゃ、おぬしは……あと、なんじゃその珍妙な言葉回しは」

 

 淀姫は額を押さえ、半ば呆れたように息を吐く。

 燃え盛る大坂城の中、生死の境目に立たされているというのに、そのやり取りはどこか滑稽で、緊迫感を削ぎ落としてしまうほどだった。

 かぐやも若者の煤に汚れた顔をまじまじと見上げる。

 泣いていたはずなのに、不思議と涙が引いていた。

 

 この人はいつもそうだった。

 誰かが苦しんでいる時ほど、自分の苦労を語らない。

 重い決意も、覚悟も、全部どうでもいいことのように笑ってしまう。

 けれど、だからこそ分かる。

 この地下通路が、思いつきで作られたものではないことを。

 城が築かれた遥か昔から、この日が訪れることを知った上で残された道であることを。

 何十年という時間を越え、ただ今この瞬間のためだけに用意されていた逃げ道であることを。

 若者はそんな視線に気付かないふりをしながら肩を竦めた。

 

「ともあれ、通路の安全は保証します。自分で設計して、自分で確認しましたから」

 

 その言葉には妙な説得力があった。

 実際、この崩れ落ちる城の中で唯一無事なのが、その秘密通路なのだから。

 若者は階段へ向き直ると、炎に照らされた横顔のまま軽く手を差し出した。

 

「さあ、参りましょう。感動のお別れは外でも出来ますが、焼死してしまうと色々と困りますので」

 

 その軽い口調に、淀姫は呆れたように笑い、かぐやは胸の奥に小さな痛みを覚えながらも頷いた。

 燃え盛る世界の中で、その背中だけが不思議なほど頼もしく見えた。

 まるで、これから始まる長い旅路の先まで見通している旅人のように──




・ヨミと駒沢雷の関係
 ツクヨミ内のフレンド。リアルでの交友関係は無いがオフ会することも吝かではない仲。

・かぐやのプレイヤースキルで察したKASSEN最上位勢の二人
 新規プレイヤーだ! 囲め囲め! 沼に嵌らせるぞ!

・ウミウシヤチヨに対するFUSHIの反応
 ヤチヨ、お前ほんとさぁ……そういうとこやぞ。
 ※あまりの自虐振りにすごい目で見てそう

・一回前の主人公
 主人公「へいアンサートーカー、直近でかぐやが悲しむような場面を教えて」
 アンサートーカー「はい、わかりました」
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