鴗鳥理凰は青春を謳歌する   作:ねこまんじゅう_neko_10k10

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※未来捏造設定です。ご了承のうえお読みください。


雨の放課後

 

 

「うわ、ゲリラ豪雨だ。完全にどしゃ降り……」

 

放課後、すべての授業を終えた校舎の昇降口。

結束 いのり(ゆいつか いのり)は、ガラス扉の向こうで激しく水飛沫をあげるアスファルトを見て、がっくりと肩を落とした。

高校生になり、ジュニア時代よりも少し背は伸びたものの、表情がコロコロと変わる素直さは相変わらずだ。

ローファーのつま先が視界に入りつつ、スクールバッグの中をガサゴソと探る。

 

「……ない。お母さんに『持って行きなさい』って言われたのに、部屋に置いてきちゃった……」

 

「おい、いのり。やっと来たか」

 

背後から声をかけてきたのは、同じ高校に通う鴗鳥 理凰(そにどり りおう)だった。

かつての生意気な少年は、いまや長身のスタイリッシュな男子高校生へと成長している。

所属するクラブも、練習するリンクも別々。

けれど、利用している最寄り駅が同じなため、学校から駅までの下校道が一緒になることは、彼らにとってごく日常の光景だった。

 

理凰はスクールバッグから、折り畳み傘を取り出す。

黒ベースに黄色のワンポイントが入ったデザインだ。

 

「あ、理凰くん! 傘持ってるの? さすが……!」

「普通だろ。朝のニュース見てたら誰でも持ってきてる。……お前、忘れたのかよ」

「うう、……。あの、もしよかったら、駅まで……」

「はぁ……。たくっ、入れば。ほら、行くぞ」

 

理凰が引き戸を開けて外でバサッと傘を広げると、いのりは「ありがとう!」と躊躇なくその傘の下へと滑り込んだ。

 

普通の男子高校生と女子高校生なら、密着せんばかりの距離感に少しはドギマギするシチュエーションなのかもしれない。

だが、幼い頃から泥臭く氷の上を走ってきた二人だ。

いまさら「異性を意識して恥じらう」なんて段階は、とっくの昔に通り過ぎている。

二人の間にあるのは、信頼と日常の一部と化した遠慮のない空気感だけだった。

 

校門を出て、駅へと続くいつもの通学路。

折り畳み傘は、二人が並ぶと想像以上に狭かった。

アスファルトに跳ね返る激しい雨音が、周囲の音をすべて掻き消していく。

 

理凰はふと、隣を歩くいのりの左肩に目を向けた。

叩きつける雨粒が容赦なくブレザーを濡らし、すでに濃い色に変え始めている。

理凰はチッと小さく舌打ちをすると、いのりに気づかれないように自分の左肘をぐっと内側に引き、

傘の柄を握る手を少しだけいのりの頭上へと傾けた。

 

「……狭いな。こっち寄れ」

「あ、うん。失礼します!」

 

理由を問うこともなく、いのりはすぽっと理凰の左側に身を寄せた。

二人の肩が、歩くたびにコトコトと自然にぶつかり合う。

 

「あ、そうだ。ねえねえ、理凰くんこれあげる! こないだ遠征に行っていた司先生がね、お土産を買ってきてくれたの!」

 

いのりは雨音に負けないよう少し声を張り上げながら、スクールバッグのポケットから小さなマスコットキーホルダーを取り出して、

理凰の目の前に突き出した。

ご当地もののキャラクターのようだが、どこか愛嬌のある顔をしている。

 

理凰は差し出されたマスコットに目を落とし、少し意外そうな顔をした。

安易に大喜びするような性格ではないが、尊敬する司からの贈り物とあって、無下に突き返すようなことはしない。

 

「……司先生が? 俺にか?」

「うん! 司先生、リンクのみんなにお土産を配ってるときにね、『これは別のクラブだけど、いつもいのりさんと学校で一緒にいてくれる理凰さんの分!』って、わざわざ選んでくれたんだよ」

 

「……そうか。わざわざ悪かったな」

 

理凰は小さく、しかしどこか嬉しそうな気配を滲ませながら、差し出されたマスコットを丁寧な手つきで受け取った。

 

「司先生って本当に優しいよね。私、そんな司先生の生徒でいられて、毎日すっごく幸せんだから!」

「……そうだな。お前にはもったいないくらい良いコーチだろ」

 

理凰はそう言って、マスコットを愛おしそうに右ポケットへしまうと、意地悪く目を細めていのりを見下ろした。

 

「で? その素晴らしい司先生のいるいのりさんにしてはやたらと下校時間が遅いと思うですが、まさか数学の課題を家に忘れて居残りさせられた。なんてことないよな?」

「うぐっ……! な、なんでそれを……!」

「図星かよ。お前、今朝に『今回の課題はバッチリです!』ってドヤ顔で言ってただろ。どうせ家を出る直前にまた動画か何かに見入って、時間がギリギリで慌てて飛び出してきたんだろ」

「あう……。そ、その通りでございます……。司先生の昔のステップの動画を観ていたら、いつの間にか家を出なきゃいけない時間で……。準備してあった課題も、お母さんに『持って行きなさい』って言われてた傘も、全部置き去りにしてしまいました……」

「全部置いてくるなよ。おかげ遅くなったあげくこの雨に捕まってんだろ。家を出る前に持ち物見る時間くらいは残しておけよ」

「うう、本当に……完全に私の不徳の致すところです……」

 

いのりはへにゃりと眉を下げて頭を下げた。

そんな中身のない会話をしながら、水溜りを避けて同時にステップを踏む。

歩幅も歩くペースも自然と揃う。

 

不意に、強い風が吹き抜け、雨が横殴りに吹きつけた。

 

「わっ! 強いの来た!」

 

いのりは反射的に理凰のブレザーの袖をぎゅっと掴む。

理凰は面倒くさそうな顔を崩さないまま、無言でグッと傘をいのりの方へ突き出すように傾ける。

そのせいで、理凰の右肩は一瞬で濃いネイビーに色を変えていった。

 

「あ、理凰くん、右側が大変なことに……!?」

「お前がちびだからだろ。濡れたくなきゃもっと真ん中歩け」

「ええっ、でも理凰くんが……!」

「いいから急ぐぞ。これ以上ペース落とすなよ」

 

理凰は前を向いたままぶっきらぼうに言い放ち、いのりの抗議をシャットアウトした。

いのりは「もうー」と小さく膨れっ面をしつつも、彼の歩幅に遅れないよう、しっかりと隣を歩いた。

 

駅のロータリーに到着すると、激しかったゲリラ豪雨は、嘘のように小降りの雨へと変わっていた。

 

「ここまで来ればもう濡れないね! 理凰くん、入れてくれて本当にありがとう。お土産もちゃんと持って帰ね!」

 

改札の手前で、いのりはくるりと振り返ってぺこりとお辞儀をした。髪の毛先が少し濡れている程度で、制服はほとんど無事だ。

対する理凰は、右半身がかなり濡れてしまっている。

 

「おう。じゃあな」

「うん、また明日ね! お家帰ったら、あったかいお風呂に入ってね!」

 

ぶんぶんと大きく手を振るいのりに、理凰は「うるさい、わかった」とだけ短く返し、定期券をタッチして改札を通り抜けた。

二人はここから、それぞれの練習リンクへと向かう電車に乗る。

 

いのりは、少し濡れたローファーの感触を確かめながら、小さく笑う。

(明日の昼休みにでも、今日のお礼に理凰くんが好きなスポーツドリンクでも買って学校で渡そう!)

 

そう心に決めると、いのりは駅の階段を、まるで氷の上のように軽やかな足取りで上っていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

翌朝、昨日のゲリラ豪雨が嘘のような快晴のなか、高校の教室は朝のホームルーム前の騒がしさに包まれていた。

 

「おはよー、いのり! ……ねえねえ、昨日さぁ」

「見た見た! 私たち見ちゃったんだよねー!」

 

席に着くなり、クラスの女子二人組がニヤニヤしながらいのりの机を囲んできた。

息を合わせるように、楽しそうに身を乗り出す。

 

「昨日、鴗鳥先輩と相合い傘で校門出てくとこ、バッチリ見ちゃったんだけど! もしかして付き合ってたりするわけ?」

「そうそう! 先輩って普段ちょっとツンツンしてるし、女の子と二人で傘に入るなんて意外すぎて、私たち大興奮だったんだから!」

 

色めき立つ二人を前に、いのりはきょとんとした顔で首を傾げた。

照れる様子も慌てる様子も一切なく、答える。

 

「え? 違うよ。私が傘忘れちゃって、理凰くんが入れてくれたの。駅まで一緒だから」

 

「あ、やっぱりそうなんだ。まあ、いのりだしねー」

「だよねー。でもさ! もし、あのイケメンの先輩が彼氏なったら……って考えちゃうと、私マジで心臓もたないんだけど!?」

 

いのりがあまりにも堂々と、かつミリの下心もない純粋な瞳で即答したため、女子二人組はあっさりとその否定を受け入れた。

しかし、彼女たちの恋バナ欲はそこで止まらない。

いのりを置き去りにしたまま、二人の間で話が盛り上がり始める。

 

「鴗鳥先輩って、付き合ったら絶対デートとかリードしてくれそうじゃない? 『行くぞ』とか言って」

「わかる! でも、意外と記念日とかちゃんとお祝いしてくれそう。不器用だけど優しいタイプだよ絶対!普段どこでデートとかしてんだろー?」

 

「ええっと……? 理凰くん、学校が終わったら普通にすぐリンクに行って練習してるだけだよ……?」

 

蚊帳の外に置かれたいのりが戸惑いながら呟くが、二人組には届かない。

 

「いや、いのりはそりゃスケート一筋だろうけどさ! もし鴗鳥先輩が、彼女の前でだけ普段のツンツンから一転してデレたらどうする!? って話!」

「キャー、それ最高! ギャップ萌えすぎる!」

 

「デ、デレ……?」

 

見たこともない理凰の姿を想像しようとして、いのりの頭の上に巨大な疑問符が浮かぶ。

そんな、女子たちが勝手に花を咲かせる甘酸っぱい「もしもの話」のトーンは、いのりにはいまいちピンとこないのだった。

 

 

一方別クラスでは、理凰がブレザーのポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうにスマホを眺めながら席に座っていた。そこへ、ニヤついた男子クラスメイトが肩を組んでくる。

 

「よぉ、鴗鳥ー。昨日、女子と相合い傘で帰ったろ。俺、部室の窓から見ちゃったもんねー」

「あ?」

 

理凰はピクリと眉を動かし、冷ややかな視線を向けた。

 

「別に。あいつが傘忘れて突っ立ってたから、邪魔で入れてやっただけだ。他意はねえよ」

「へえー? でもさ、一緒にいたのってニュースでやってた『フィギュア界の超新星』結束いのりさんだろ、小動物系で可愛い感じじゃん。あんな距離で一緒に歩いてて、なんとも思わないわけ? 正直ちょっと、ドキッとしたりしなかった?」

 

「……は?」

 

いつもなら「うるさい、死ね」の一言で一蹴するところだった。

だが、「ドキッとしたりしなかった?」という言葉が耳に飛び込んできた瞬間、

理凰の脳裏に、昨日の雨の記憶が鮮明に蘇ってしまった。

 

横殴りの雨のなか、自分のブレザーの袖をぎゅっと掴んできたいのりの手の感触。

何の邪気もなく見上げてきた至近距離での笑顔。

 

昨日までは『傘を貸しただけ』としか思っていなかった。

それなのに、クラスメイトに突っ込まれたせいで急に客観的な視点が混ざり、

『あれ? 年頃の男女として普通にアウトな距離感だったのでは?』という事実に今さら気づいてしまったのだ。

 

その瞬間、理凰の顔からスッと血の気が引き、サーッと青ざめていった。

 

「おい、鴗鳥……? なんか急に顔真っ青だけど大丈夫か?」

「……いや。お前、よくそんな恐ろしいこと言えるな」

「は? 恐ろしいこと?」

「あいつは……いのりは、光の、一番のライバルだぞ」

 

理凰はカサカサの声で呟き、自分の額を片手で押さえた。

 

 

狼嵜 光(かみさき ひかる)

いつからかその背中を追いかけ、誰よりも近く、いつか隣に立つはずだった存在。

だが彼女の圧倒的な輝きに焼き尽くされ、見向きもされず遥か高みへと飛び去っていったあの背中。

自分にとって彼女は、スケートの頂点に君臨する絶対的な目標。

 

けれど、だからこそ。

光が執着し、あの背中を追いかけ、リンクの上で命を削る競い合いを繰り広げている相手こそが、結束いのりなのだ。

 

(光が執着している存在と、俺は昨日、何をのほほんと相合い傘なんてしてんだ……?)

 

光が認めたライバルに対して、自分が一瞬でも「ただの女の子」として接したことへの、強烈なバツの悪さと気まずさ。

 

「おいおい、マジで大丈夫かよ、鴗鳥。どうしたんだよ?」

「……お前にはわからない。とにかく、二度とその話はするな。俺のメンタルが死ぬ」

「えっ!? 何それ怖っ!!」

 

ドン引きして距離を取る男子クラスメイトをよそに、理凰はポケットの中に放り込んであるマスコットキーホルダーを見つめた。昨日いのりから手渡された、司先生からのお土産。

 

(頼むから、あいつが学校で余計なこととかしませんように……)

 

心の中で祈るように天を仰ぐ。

窓の外を見れば、昨日と比べものにならない突き抜けるような青空であった。

 

 

この後昼休みにいのりがクラスを訪れ、理凰は深く頭を抱えることになる。




※2026/05/31 誤字脱字・設定訂正のため本文修正いたしました。
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