人とはこの世で最も醜悪な獣の総称である。 作:顔のない女@人外ものしか書けない人
私たちは配信開始までの20分間、奇妙な静寂に包まれたリビングで待機することになった。
明日菜はテレビで適当な動画を流し、お母さんは監視するように私の隣に陣取る。
お婆ちゃんはダイニングテーブルから一歩も動かず、まるでこちらの出方を伺う亡霊のように、じっと私を見つめていた。
そして約束の時刻。
漆黒の画面が鮮やかに色彩を帯びる。
『大事なお知らせ』という無機質なタイトルと飾りのないサムネイル。
その不穏な気配に惹き寄せられたのか、同時接続数は開演と同時に八万人を突破していた。
『跪きなさい。今宵も貴方たちの命――な〜んて、配信の挨拶は一旦省こうかな。今日はそういうんじゃないし』
:省くな
:配信の挨拶が厨二病ってネタにされて、嫌になってるだけだろ
:何の告知も無しにいきなり枠立つの怖い。
:絶対にマイナスな話でしょ、これ
『ふふっ、マイナスな話じゃないよ。多分ね』
さらりとコメントを拾った詩音さんが、ふと、正面を見据えた。
その双眸と画面を凝視していた私の視線がぶつかる。
ただのカメラのレンズを見ているはずなのに、彼女の瞳はこのリビングに座る私を、その心臓を、正確に射抜いているような錯覚を覚えた。
「っ――?!」
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
「……いえ、なんでもないです」
嫌な汗をかく。
ただの配信を見ているだけなのに、それでも尚、こっちが掻き乱されるような何かを感じた。
『あのさ、リスナーのみんなは最近、悲しい事とかあったりした?』
:う〜ん……
:なんで配信開始早々そのフリ入れてくるの?
:やっぱマイナスな話じゃないか
:灯アカリの無期限休止
:アカリちゃんが急に休んじゃったけど、喧嘩でもしたん?
『そう。やっぱり気になるよね、アカリが急に休んじゃった理由。――ごめん!! あれ実は全部私のせいなの!!!』
:!?!?!?
:やっぱり喧嘩?
:コンビ解消か
:百合営業終了、解散。
……この人は配信中に何を言い出しているんだ。
そんな話をここで持ち出してしまったら、またアンチの良い餌になってしまうだけ。
自分の身を自分で削りにいってどうする。
……私はイライラが抑えきれず、貧乏ゆすりを始めたが。
「お姉ちゃん、落ち着こうねー」
「……ありがとうございます」
妹が沢庵の入ったパックを冷蔵庫から取り出して、私の口にぶち込み始めた。
ボリボリという咀嚼音が脳内に響くが、苛立ちは一向に収まらない。
『そういえばリスナーのみんなには、ストーカーに襲われた時の詳しい話をしてなかったよね。アカリは1年間の経緯を初配信で喋ってくれたし、私からは炎上当日から今までの自分の経緯を、話せるだけ話しちゃおうかな』
「何考えてるんですかこの人、本当に……」
何が狙いだ?
何をしようとしている?
……分からない。
私には何も詩音さんの考えていることが分からない。
というか、このまま配信を見ていていいかも……
――いいわけがない!!
私は即座に立ちあがり、部屋を離れようとした。
だが、それを予期していたかのように、またもや母と明日菜が左右からしがみついてきた。
「……あの?」
「に、逃すわけないでしょお姉ちゃん!!!!」
「あの子は何かしようとしてる! 一生のお願いだから茜、ここは私達と一緒に見届けてあげてちょうだい!!!」
2人は詩音さんから何か感じ取ったのか、ガチのマジで死んでも離さないという闘気を感じた。
もちろん力を使えば全員ここで、即おねんねさせてやることもできる。
だが、退学に対し『まぁ仕方ないか』みたいな雰囲気で許してくれた2人が、ここまで本気になっている。
その想いを汲みとらないというのも、人としてどうかと思い、仕方なしにソファに沈み込んだ。
:え?
:それって言って大丈夫なやつ?
:アカリちゃんも初配信では喋りすぎた事を運営に怒られたって話してなかったっけ?
『うん、だからこれは無許可で取った枠。でも運営の皆さんには目を瞑ってて欲しいかな。絶対に損はさせないから。――じゃ、話すね』
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詩音さんは語った。
大前提として、リスナー達に話す内容には大きな嘘が込められている。
それでも大枠はズレないように、現状に当てはめ違和感がないように、語る。
内容の始まりは、まず自分の非道の行いの懺悔からであった。
炎上当日に詩音さんが私に当たり散らしたこと。
シオンさんが私に自殺をするよう命じ、私が涙を流しながら本当にその言葉に従おうとしたこと。
そして元相方のサニーが駆けつけ、身を挺してそれを止めたこと。
そこから少し話が飛び、アカリが初配信を始めストーカー男との対峙を経て、アカリの心には他人への拭い去れない不信感が芽生えてしまったのだと。
大好きなはずの自分と一緒にいても、過去の傷痕が疼いて素直になれない。
そもそも配信を含めた他人との接触そのものが、今の彼女には耐え難い苦痛なのだ、と。
そしてあのストーカー男を招き寄せた元凶は自分の考えなしな振る舞いにあり、アカリには一片の非もないのだと。
……数日前、無理に関係を修復しようとして決定的な破綻を招いてしまった――それが、詩音さんが視聴者に提示した悲劇の筋書きだった。
:やってることの酷さ、こっちの方が酷かったあああああッッッ!!!
:今もまだアカリに結構な数アンチがついてるけど、元を辿ればコイツのせいかよ。
:ほんまの百合営業、やったんやね。
:よくアカリはお前なんかと関係を続けてくれたな。
『そうだね。アカリはよく私なんかのために、あそこまでやってくれたと思う』
「………………詩音さんのばか……」
この件をわざわざ持ち出す必要は、果たしてあったのか。
いや――ない。
そして彼女の狙いが、ただの懺悔であるはずがない。
詩音さんはまだ何かを狙っている。
この告白の先にある、巨大な利益を見据えて動いているはずだ。
今の詩音さんは、これまでとは別次元の精神性を持っている。
だから、このまま視聴者に殴られ続けるとは思えない。
絶対に油断できない。
私は唇を噛み、決して呑み込まれまいと自分を律する。
『でもね、私からアカリに向ける好きって気持ちは
そう力強く、詩音さんは視聴者達に言い放った。
:ん?
:流れ変わったか?
『それにどれだけお互いに反発しあってても、結局アカリが私のことを大好きな事実は、今も変わってない。……そうでしょ、
名前を呼ばれた。
両手は母と妹に封じられたままだ。
顔を覆って逃げ出したいのに、それさえ叶わない。
私はただ下を向くしかなかった。
『アカリは初配信で今までのことを全部話してくれたよね。……私もね、全部、全部覚えてるんだよ。初めて出会った日のこと。不意打ちでキスされて、そのあと二人で食べたマックの味とか』
喉の奥に焼けるような熱い塊が、せり上がってくるのを感じる。
詩音さんが紡ぐ記憶の断片が、私の脳裏に鮮明な色彩を伴って蘇る。
『旅行最終日の新幹線で帰る時、私……本当はすごく寂しかったんだ。でもね、あの時茜は窓ガラス越しに『大好き』って告白してくれたよね。……あれを今思い出してみると、凄くいいなって思っちゃった」
:これ俺らに対して言ってないな
:今のシオンには画面の向こうにいるアカリしか映ってないみたい。
『ねぇ、ホームで別れる前にアカリは自分が言ってた
「まさか……」
あぁ…………
それが狙いだったんだ。
ここまで長い前置きして、彼女が狙ったのはここの一点のみ。
「最悪です…………思い出したくありません」
配信を除き全ての連絡を絶った私を、家から唯一引きずり出す最後の方法。
それは過去に不機嫌だった詩音さんを宥めるために出た、場当たり的なでまかせ。
どうせそのうち私の方からいなくなるだろうという読みで言い放ったもので、約束とは程遠いと思いたいけど……
それでもアレは詩音さんからではなく、私から交わした口約束。
『行こうよ――花火大会』
「嫌です……もう詩音さんの顔なんか、見たくありません」
『嫌って言ってるのが画面越しでも聞こえてくるかも。でも言ったことくらい守るべきだよね。そもそもあの時は
「…………私が詩音さんの前に立ったら、多分もう勝てないですよ」
『素直になる自分が怖いからって、そうやって逃げ続けるの? 私から逃げて、本当の幸せを自分から手放して終わりにする? ……本当に、それでいいの――?』
その傲慢な煽りは、私の逆鱗にあまりに強く触れすぎている。
「どう幸せになるかは、私が決めることです!!! 貴女なんかいなくても、幸せになんていくらでもなれますよ!!! 私が貴女を好きだからって、自分主体で世界が回ってるなんて勘違いしないでください!!」
自分がいなければ相手は幸せになれないという、肥大化したカスみたいな驕り。
とても不愉快だ。
反吐が出る。
それを言うなら、そっちこそ誰のおかげでそこに立って居られるのかと、小一時間説教したくなる。
『たぶん
私は小さく舌打ちし、憎しみを込めて言葉を投げ返した。
「……それが事実ですから」
『そう思うなら来てよ――花火大会に。そしてちゃんと私の顔を見て否定してみせて」
……くっそクソクソクソ――クソッ!!!!
完全に手のひらで転がされている。
この吐き出しようのない屈辱感。
本当にどこまでもイライラさせてくる人だ。
許せない。
私に芽生えたプライドを、いいように使われている気がしかしない。
『もしその日で
こめかみに血管が浮き出るほどの怒りに震えながら、私は画面の中の彼女と視線をぶつけさせた。
「い、いいでしょうっ! 花火大会に行ってやりますよ、この恩知らずっ!!」
言われた通り真っ向から否定してやる。
詩音さんなんかもう必要ないって。
貴女が一人で立てるようになったのと同じで、私も自分の足だけで歩いていけるって証明する。
出会ったら即行で今までの恨み辛み、全部詩音さんにぶつけて、その場で泣かせて帰ってやる。
どうせそうしても、今の詩音さんなら折れないだろうし、こっちは本気で神経をズタズタにしてるやる気で行く。
暗い情熱を胸に意気込んでいた、その時だった。
『そうだ! 最後に一つ――眼鏡はちゃんとかけてくるんだよ?』
「ッッ!?!???」
『まっ、わざわざ言うことでも無かったかな? でも眼鏡無しだったら、自分で自分に自信が無いって言ってるのと同じだもんね?』
いつから――いつから気づいていたのか。
……いや、でも考えてみれば確かに露骨だったかもしれない。
あの日以降、一度たりとも眼鏡をつけて会ってなかったし、彼女からそれを指摘してくることもなかった。
つまりバレバレだったわけだ。
でも……眼鏡をつけて行って詩音さんが映ってしまえば――
バタンッ!
不意に響いた乾いた音。
見ればお婆ちゃんが何も言わずにリビングを、そして家を出ていったようだった。
「茜。確認するけど行くのよね?」
そして更には母親からの追い打ちである。
「………………行きますよ。そこでちゃんと関係を切ってきます」
「関係は――まぁ、私から言うことじゃないからあの子に任せるけど。花火大会に行くなら私が送って行ってあげるわ」
「私もついていくよ!」
「それはありがたいんですけど、現地に着いたら一人行動させてもらいますからね。絶対に隠れてついてくるみたいなのはやめてくださいよ」
「適当に屋台回った後に、シート敷いて休むつもりだから、大丈夫」
外堀を埋められ退路は完全に断たれた。
いよいよ以って、行くしかない状況だ。
『
「安心してください。しっかり貴女との関係を終わらせてあげますよ」
配信上で渡された情報のため、花火大会の日程は言ってないし、どこで待ち合わせなんて話もしていない。
でも、これは私にだけ伝わればいい事だし、どうせ現地についてしまえば、私達はどこかで巡り会う。
あの大きな会場で、奇跡的にも出会ってしまったように。
花火大会は今から二日後だ。
『リスナーのみんな、ごめんね。アカリは私の全ての連絡先をブロックしてるから、こうやって伝えるしかなかったの!!」
:そういうことね
:乙
:よく分かんねえけど、アカリちゃんが帰ってくるかはシオンの頑張り次第ってことだよな?
:頼むから2人で戻ってきてくれよ!
「うん。また今度アカリと2人で枠とって、みんなにしっかり謝るから! 今日はこの辺でお疲れ様〜!!」
そう言い残し、配信画面は呆気なく暗転した。
「また今度枠をとって、ですか…………もう勝った気でいるんですね」
つくづく勝手な人だ。
だけど良い指標はできた。
まずは詩音さんとの縁を切って、私の思考をクリアにする。
後の事は全て、これが終わった後に考えれば良い話。
そう思うと楽しみになってくるものだ。
「やってやりますよーっ!!!」