人とはこの世で最も醜悪な獣の総称である。   作:顔のない女@人外ものしか書けない人

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第5話 目の前にいるのは私の推し!?

 ……これが月宮さんとのお別れになるのか。

 胸の奥で何かが崩れ落ちていく音がした。

 私は彼女に対して、自分でも引くほど酷い怒り方をしてしまった。

 

 たぶんもう二度と会ってくれない。

 しかも、最後に「ありがとう」も「またね」も言えなかった。

 

「……ぅぅ……ひっぐ…………」

 

 涙は止まらなかった。

 頬を伝い、手の甲を濡らし、テーブルの木目を滲ませていく。

 頭の中で何度も後悔が反響し、呼吸が浅くなる。

 

 ――そんな時だった。

 

 バンッ、と扉が勢いよく開く音が、空気を震わせた。

 

 私はそれを聞いていたけれど、顔を上げることもできず、

 ただ机に突っ伏したまま、小さな嗚咽を漏らし続けた。

 

 足音が近づいてくる。

 一定のリズムで、まっすぐこちらに向かって。

 コツ、コツ、コツ――。

 それが自分の席の真横で止まった瞬間、背筋がぴんと強張った。

 

「…………」

 

 誰なのか確認する勇気は無い。

 でも、確かにそこに人がいる。

 鼓動が早鐘のように鳴る中、ふいに両肩にそっと手が置かれた。

 

 そしてその人物は、私の耳元へ顔を寄せ、囁くように言葉を落とした。

 

「藤(・)崎(・) (・)茜(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)、(・)私(・)と(・)一(・)緒(・)に(・)頑(・)張(・)っ(・)て(・)学(・)校(・)に(・)行(・)こ(・)う(・)ね(・)」

 

 ――その音が聞こえた瞬間、涙が一気に引いた。

 

 この声を私は知っている。

 何千も聞いてきた。

 笑うときの息づかいも、歌うときの抑揚も、全部。

 

 世界でいちばん大好きな声。

 私のガチ恋相手で最推しの――天野シオンちゃんの声だ。

 

「シオンちゃんッ!!!!」

 

 私は椅子を引き倒す勢いで顔を上げ、振り返った。

 心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。

 けれど、そこに立っていたのは――

 

「つ、月宮さん?!もう帰ったんじゃ……」

 

 ……え、おかしい。

 

 謎の状況すぎて頭の中が真っ白になった。

 

 今の声は間違いなく“あの”シオンちゃんの声だった。

 でも、目の前にいるのはさっき帰ったはずの月宮さん。

 

 幻聴?

 いや、そんなはずない。

 私が知るシオンちゃんの声は、世界でいちばん正確に聞き分けられる。

 配(・)信(・)で(・)一(・)度(・)で(・)も(・)聞(・)い(・)た(・)声(・)は(・)、鼓膜の奥に焼き付いているから。

 

 どんなノイズ混じりでも、絶対に聞き違えたりなんてしない。

 

 じゃあ今のは……何?

 

 思考が暴走しそうになる中、月宮さんは平然と口を開いた。

 

「まだ話は終わってないからね。金原さん振り切って戻ってきちゃった――と言っても、たぶん1分もしないうちに連れてかれるけど」

 

 そう口にした彼女は、いつもと変わらないミ◯キ◯声だった。

 やっぱり幻聴……?

 

「まぁでも……ここで最後のお別れになって、暫く会えないのは勿体無いし、茜ちゃんには約束を果たしてもらわないとね」

「やっ、約束?! 一体なんの話ですか??」

 

 私がそう聞くと月宮さんは帽子に手をかけた。続けてサングラス、そしてマスクを外していく。

 顕になった顔を見て、私は息を呑んだ。

 

 ——美しい。

 

 なぜこんな顔を隠していたのか、まるで理解できないほどの美貌だった。

 

「んふふふふっ。……茜ちゃん、もしかしてさっきの声でも分からなかった? 鈍いね〜」

 

 月宮さんは口元を手で隠しながら、くすくすと笑った。

 その瞬間——脳内で何かが繋がる。

 これまでの月宮さんの言葉、仕草、行動が。

 それらがパズルのピースのように、漸くカチカチと音を立てて嵌まっていく。

 

「はっ? ……な、なな、何を言っているんですか。わ、わた、私は貴女の言っていることがががっ、まっ、全く……理解できませんんん!!」

 

 喉が焼けるように熱く、舌がもつれて思うように言葉が出ない。

 だけど脳裏にはすでに、彼女の言葉が何度も何度も反響していた。

 

 ……嘘だ、ありえない。

 そんな偶然があっていいはずがない。

 

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 

 そんなわけがない!

 これは絶対に何かの間違えなはず。

 絶対にありえない。

 あるはずが……あるはずが――

 

「……あー、混乱してるんだね」

 

 月宮さんは一歩、近づいてきた。

 そして、逃げる間も与えずに両手を伸ばし、私の頬を包み込む。

 冷たい指先が肌に触れた瞬間、心臓が跳ねた。

 

「じゃあもう一度――次はちゃんと、脳に分からせてあげるね」

 

 息が耳にかかる距離。

 彼女の唇がほんのわずかに動くたび、微かな吐息が肌を撫でた。

 その声が、空気を震わせ、私の鼓膜を貫く。

 

「今(・)日(・)は(・)楽(・)し(・)か(・)っ(・)た(・)よ(・)、(・)茜(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)。(・)次(・)は(・)学(・)校(・)で(・)会(・)お(・)う(・)ね(・)」

 

 その声はまるで、時間の流れそのものを引き延ばしていた。

 一音ごとに空気が震え、世界が粘ついた蜜の中を泳ぐように、ゆっくりと動いていく。

 私の脳はそれを「言葉」としてではなく、音と衝撃として受け止めていた。

 

 冷水を浴びたような――いや、それどころじゃない。

 電気を直接、頭蓋の内側に流し込まれたような感覚だった。

 思考が焼かれ、神経が弾け、視界の端が光で滲んでいく。

 

 どくん、と心臓が鳴る。

 脳が全力で処理を試みるのに、言葉が意味を結ばない。

 それでも――脳が最低最悪な解釈をしてしまった。

 この声が誰のものなのかはもう、決定的である。

 

「あぅ〜……」

 

 気づけば口の端から涎が垂れていた。

 体は震え、全身の感覚が妙に熱い。

 あぁ、もう……私の中の“現実”という枠が、ゆっくりと溶けていく。

 

「――じゃ、また明日!」

 

 その一言が刃のように空気を裂いた。

 彼女は微笑み、私の頬から手を離し、軽やかにスカートを翻す。

 ドアのベルがカランと鳴り、残響だけが店内に取り残された。

 

「ああ…………あああ……ぅぅ」

 

 私の頭の中で月宮さんの声が脳内で反響する。

 その音は紛れもなく、天野シオンちゃんそのものだった。

 私が彼女の声を聞き間違えることなど、絶対にありえない。

 

「そんな……こんな事がある筈が、そんなわけが……!!」

 

 夢かもしれない。

 だってありえないでしょ……

 月宮さんの正体が天野シオンちゃんって!!!

 

 いや、でもそう考えたら私が普通に月宮さんと会話出来るのにも、ある種納得がいくかもしれない。

 だって、今までまともに友人が出来たこともない私が、唯一の最推しと会話出来る。

 それはまるで永遠に眠り続ける美女が、王子様のキスで目覚めるような——そんな奇跡。

 

 でも! だけど!!!!

 

「あああああああああああああああ!!!!!」

 

 私の脳はオーバーヒートを起こした。




裏話なんですけど、カフェで叫びまくってる茜は、もちろんこの後その店を出禁になります。
ちなみに茜に出禁を言い渡された時の記憶はありません。
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