私の最推しがクラスメイト?! ガチ恋なのをいいことに好き放題やられてるんですが、この超性格の悪いVTuberからどうやって逃げればいいですか.....? 作:顔のない女
「おかしいです。バスの中でも一睡も出来なかったのに、まだ眠くありません…………」
東の空が白み始めた薄闇の中、私はあの後思考を止めて早々に夜行バスでとんぼ返りし、自室のカーペットに倒れ込んでいた。
眠れない理由は明確だ。
昨日の夜、私の人生を根底から揺るがす、あまりにも非現実的な出来事が起きてしまったから。
「…………なんて私は贅沢なんでしょうか。神様は実在したんですね……うへへぇ」
胸の奥がくすぐったくて、頬の筋肉が勝手に緩む。
天野シオンちゃんが、私の名前を呼んでくれた。それだけで、世界が光に包まれるような幸福感があった。
――だけど。
「……じゃ、ないでしょうがッ!!!」
反射的に叫び、頭を勢いよく、何度も床に打ちつけた。
ドン、ドン、ドン、と鈍い音が部屋に響く。
「彼女は月宮さんであって、天野シオンちゃんじゃありません!!!あれは幻聴なんですううううぅぅぅ!!!!」
そうだ。
幻聴に決まっている。
じゃないとおかしいだろう。
最推しのガチ恋相手がフェスの間、休憩時間にでも控室から抜け出して、私の隣にいたということになるのだから。
……もう最悪である。
どうしようもないくらい、あの声が頭に響いて仕方ない。
『学校に行こうよ』
「……学校に、行こうよ…………」
私はうわごとのように呟いた。
……推しの声が尾を引いているのはそう。
でも、それだけじゃない。
このまま学校から逃げ続けて、初めてできた友達に嫌われるのも、すごく嫌だった。
また遠いいつかの日に出会った時、今度は『もう学校に通ってるよ』と伝えたい。
……ここは覚悟の決め時なのだろう。
「お姉ちゃん、いつの間に帰ってきてたの?! っていうか、今の音は何!!??」
「ちょっと明日菜……ノックくらいしてくださいよ。プライバシーの侵害です」
戸が勢いよく開かれ、寝起きの明日菜が飛び込んできた。
「はぁ? 急に部屋から大きな音がしたんだから心配して――え?、なんでお姉ちゃんは頭から血を流してるの!?」
「え?……ほんとだ」
少し強く打ちすぎたのだろう。
こんなのは擦り傷程度。
あまり問題はない。
痛みより、むしろ頭の中で鳴り響く推しの声の主張の方が激しかった。
「そこでじっとしてて! すぐに傷バン持ってくるから!!」
明日菜は慌てて部屋を飛び出そうとする。
だが、その小さな背中を見送る前に――どうしても伝えたいことがあった。
「あぁ……ちょっと待ってください――大事な話があるんです」
足を止めた妹が、振り返る。
「大事な話?」
「はい」
私は大きく息を吸って、ゆっくりとそれを吐いた。
これから口にする事は、自分では重すぎて簡単に言い出せることではない。
でも一応は決めたんだから、しっかり家族には伝えないと。
「……ごくり」
明日菜は私の顔を見て、何かを察したようだった。
戸口から戻ってきて、私の正面に正座する。
眠気の残る顔に、真剣な光が宿っていた。
その視線を受け止めながら、私は静かに言葉を紡いだ。
「私は今日――学校に行ってみようと思います」
そう告げると彼女は少しの時間、顔が固まった後、ゆっくりと驚きの表情へと切り替わった。
「えええええぇぇぇぇぇッッッ??!!!!!」
朝の6時半頃。
玄関で見送る母と妹の顔には、まだ半信半疑だという色が浮かんでいる。
「茜……大丈夫?」
「おかしいよ、絶対におかしい。たぶん頭が本当におかしくなっちゃったんだと思う」
「二人揃って失礼ですね。折角、不登校を辞めようとしているのに」
まあ確かに唐突だったかもしれない。
入学とほぼ同時にいきなり不登校になった私が、フェス帰りで突然学校に行くと言い出したのだから。
「今日はただのお試しですよ。誰もいない早朝の教室を見て、無理そうならすぐに帰ってきます」
「偉いわ、茜。その調子で良いからゆっくり進むのよ」
母の優しい声に背中を押され、私はドアノブに手をかける。
「――行ってきます」
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早い時間のバスを選んだおかげで、校内に人気はほとんどない。
それが好都合だった。
フェス帰りでもやっぱり人の群れはまだ怖いから。
私は一年B組――別に懐かしくもない教室の扉の前で、足を止めた。
実に一ヶ月ぶりの光景である。
……今日はこの教室の中を見るだけ。
もしダメだと思ったら、すぐに帰ればいい。
静かに引き戸へ手をかける。
カラカラ、と金属の軋む音とともに、扉がわずかに開いた。
そして、
――私は息を呑んだ。
「え――うそ……そんな、わけが…………」
ありえない光景だった。
誰もいないはずの教室に、一人の女の子が立っていた。
窓辺に肘をつき、昇り始めた朝日を浴びている。
長い黒髪の先に、青のメッシュが光を受けてきらめく。
その背中を――私は忘れるはずがない。
「つき……みや…………さん…………?」
か細い声が唇から漏れた。
その音に気づいたのか、彼女はゆっくりとこちらに振り向く。
そして私の顔を認めると、唇の端をわずかに吊り上げた。
「正直、来ないもんだと思ってた」
囁くような声。
微かな挑発を含んだ悪戯っぽい笑み。
「でも
その声はフェスの数日間、聞かされてきたミ◯キーみたいな高音ではなかった。
柔らかく芯があって、息づかいのひとつひとつが、私が世界で一番愛した声――そのものだった。
……まさか、こっちが本物の声だとでも言うのだろうか?
いや……ありえない。
「おはよう、茜ちゃん」
彼女はゆっくりと窓辺を離れ、こちらへと歩いてくる。
コツ、コツ、とローファーの音が静かな教室に響く。
まるで現実と幻想の境界線を、軽々と踏み越えてくるみたいに。
「月宮さん……ですよね…………?」
「そう。私の名前は、月宮《つきみや》 詩音《しおん》」
その名を名乗る声は、まっすぐに空気を震わせた。
そして彼女は、顔との距離がほんの数十センチのところまで近づけてきて足を止める。
息がかかるほどの距離。
少し色素の薄い瞳の奥に、呆然と立ち尽くす自分の姿が小さく映っている。
「わっ!」
心臓が大きく跳ねた。
反射的に一歩後ずさった拍子に、足がもつれて、私はみっともなく尻餅をついてしまった。
月宮さんはそんな私を見下ろして、小さく吹き出す。
やがてゆっくりと膝を折り、私の目の前にしゃがみ込むと、そっと手を差し出してきた。
「そして――“天野シオン”って名義でVtuberをやってる、普通の高校生でもある」
教室に差し込む朝の光が、私たちの影をひとつに重ねる。
差し伸べられた指先が白くて、柔らかそうで、どこか現実味を欠いて見えた。
……嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
そんな偶然、神様が許すはずがない。
月宮さんが同級生な上に、結局本当に彼女が最推しの中の人だなんて、そんな偶然が……
私の脳が必死に現実を拒絶する。
だけど鼓膜の奥で反響する声が、その拒絶をいとも簡単に打ち砕いていく。
「ふふふっ、昨日ぶりだね。――泣き虫の