ハッピーエンドの、道のあと   作:駒井亀丸

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月見ヤチヨ

 私が所長を務める研究所は、界隈において信じられないほどのホワイトな職場として知られている。自分自身を含めて定時退所が当たり前。もちろん、そこに至るまでの整備は死ぬほど大変だったけれど、みんなの力で乗り越えられた。

 

 でも、今晩は夜半まで、その優良研究所の灯りは点いたままだった。

 というのも、ようやく長年追い求めていたものが、形にできたからだ。

 

 透き通るような長く細やかな髪をシーツ代わりに、寝台の上に横たわる美少女。

 あの時と何も変わらない十七歳としての姿が、そこにはあった。

 今にもその閉じた目を開けて、飛び起きそうだった。

 

 アバターボディの試作型第一号『かぐや』。ようやく実現の目途のついた、私たちの夢の(きざはし)

 ヤチヨを、かぐやを、人間に戻す。パンケーキの味も、触れ合う温もりも、確かに感じられる肉体を取り戻す。そのための第一歩が、この機体だ。

 

 学生だった当時、ギリギリもギリギリだった急な理転は、周囲を大いに混乱させた。どう考えても常人には不可能であろう人生プランを聞かされた先生は、宇宙の真理に至った猫のような顔をしていた。おそらく彼の教師人生でここまで困惑したことは無かったであろう進路相談だったろうに、それでも真摯に向き合ってくれた先生には、感謝しかない。

 

 だが私自身には、不安は無かった。未来はその先しか見えていなかった。何せ相棒は、インターネットが存在する前から現役のプログラマー。その彼女の持ちうる月の知識の一部を、その長い時間を追体験した私もまたラーニングしている。

 

 独り立ちする時には、必要なものは最初から概ね揃っていた。あとは人員設備それらを確保するための研究資金とそれを出してくれるスポンサー、エトセトラエトセトラエトセトラ。

 でも、それらをクリアして活動基盤さえ整えてしまえば、あとは爆速だった。

 

 ただし仏作って魂入れず。まだこの体には、肝心の中身が備わっていない。

 

『おはよ~』

 その時、ちょうど良くデスクの上のタブレットから、声が聴こえてきた。

 画面には一人の女性のLive2Dアバターが、小さくあくびを打っている。あれから大分アップデートを重ね、平面でも大分柔軟な所作や繊細な表情の変化をとれるようになっていた。

 

 白く煌めく髪を持ち、住まう仮想世界に合わせた、和テイストの装束。何より顔が超絶良い。

 月見(るなみ)ヤチヨ。今もってなお絶大な人気を誇る電子の歌姫にして、VR空間ツクヨミの管理者で――私にとって、かけがえのない存在。

 

「おはよ。って言ってももう夜だけど」

 スリープ状態から復帰したばかりのヤチヨは、フワフワとした口調で言った。

[

『こっちもそうだよ~』

「いやいや。ツクヨミ、だいたい夜でしょ」

 なんて他愛無い会話も、この十年間で、互いの空白を埋めるように、どれほど重ねてきたか。そしてあの日々のように、食卓を囲みながらそれが出来る日を、どれほど渇望してきたか。

 それも、もうすぐだ。

 

『お、出来たの?』

「うん、中身はまだ全然未調整だけどね。まぁここまで来たらそう時間はかけないから」

『それでは拝見つかまつりー』

 文法的に合っているかどうか怪しい調子で促され、私はタブレットの画面をボディへと向けた。

 

『……』

 間も無く自分の意識を転送することになる身体を、ヤチヨはしげしげと見つめた。それから、少し間を置いてから、

 

『……うん。かぐやだ』

 と、見たままの感想を漏らす。

 

 かぐや時代も一人称はだいたい自分の名だったが、ヤチヨがその名を呼ぶ時、表情と声音には、自分自身というよりかは、愛娘を呼ぶような繊細な優しさがあった。

 

「うん。やっぱ過去に存在していた肉体がモデルだから、こっちの方が動かしやすいかなって。シミュレートでもデータとの親和性も高かったし……何か問題あった?」

 そう問いかけると、まさか、と一オクターブ語調を上げてヤチヨは

 

『どんな姿でも、ヤッチョはパンケーキは一秒でも早く食べられるならそれで良いよ! ドキドキ! ワクワク! 欣喜雀躍!』

 揃えて画面狭しと飛び回る。

 ……うん、今日も一挙一動全てが尊い、愛おしい……と言いたいところだけど、

 

「ヤチヨ」

 こうやって殊更にエモートと派手なモーションを過度に多用する時は、何かを我慢している時。

 私はそれを知っているし、この先、これ以上、我慢なんてして欲しくない。だからタブレットをデスクのスタンドに戻し、それと向かい合いつつ名を強く呼び、真意を問う。

 

 動きを収めたヤチヨは、少し気まずそうに目を逸らしたまま苦笑し、ややあってから、袖に隠れた指先を所在無さげに絡めさせた。

 

『嬉しいのは、本当だよ。でも私、その身体に入って、また『かぐや』に戻れるのかなって』

「……」

『彩葉が戻ってきて欲しいのは、かぐやだから。きっとそっちのほうが良いんだよね』

 

 なるほど、それは難しい問題だ。

 精神は肉体に依存する、というのは良く聞くし、今も議論が絶えない哲学だ。

 

 それと似たような話で、臓器移植を受けた人間が、その提供者の嗜好に寄った。あるいは生前の記憶を覚えていた、なんて話も眉唾物ながら聞いた気がする。

 だとすれば、かぐやのボディに入ったヤチヨの人格データは、かぐやがベースになるのか。それともヤチヨのままなのか。

 正直、どうなるかは現時点では想像もつかない。

 

 

 

 で、それが――なんだってハナシだ。

 

 

 

『もし私がかぐやになったのなら――あるいは何かの衝撃でヤチヨが消えたのなら……あの子を、大事に……ひゃんッ』

 

 余計なことを言いそうになるヤチヨを、チョップで黙らせる。

 正確には、ヤチヨと一部の感覚を共有するメンダコ型のテストモデルを軽くはたく。

 画面越しにとは言え、一生の推しに手刀をかますなんて、恐れ多い。

 

「そういう今更な気遣いするところは、相変わらずってとこ?」

 目を吊り上げて、私は叱るように言った。

「……あぁ、ていうか原因私か。ごめん。そこは謝る」

 その弱腰が何に起因するか。ふと思い当たる節は、たしかにあった。

 

 ――かぐやは……そんな顔、しなかったじゃん……

 ヤチヨの正体を知らされたあの日、思わず口走ってしまった言葉。

 八千年というあまりに長い月日が、かぐやを変えてしまったと思ったから。儚さを伴うその笑顔が、無理と忍耐の上に作られたものだと考えたから。その残酷な訴えが、どれほどヤチヨを傷つけたか、慮る余裕もなく。

 

 でも、その八千年の記憶を流し込まれて、追いついて、やっと心から理解した。

 ヤチヨの揺蕩った年月は、ただ無為で残酷なものばかりではなかった。

 彼女を愛し、心折れそうな時、背を押して送り出してくれた人々。

 彼女の作った世界(ツクヨミ)を、楽しんでくれた人々。

 そうしたものが、今のヤチヨを作り上げた。

 

 辛くても寂しくても、ヤチヨは、そうした人々を愛し、応えて、歌い、笑った。

 そしてそのヤチヨにいっぱいの愛に包まれて、かぐやは私を待っていてくれた。

 触れることさえできなかったのに、いつだって精一杯、笑いかけてくれていた。

 

 かぐやの先に、ヤチヨがいた。

 ヤチヨの中に、かぐやはいた。

 

 うまく言葉に出来ないけれど、その実感が今の私にはある。

 

「……ていうか、そもそもね」

 私の想いを私なりにまとめてから、私はあらためてヤチヨに意地悪げに笑った。

 

「月から飛んできて電柱から生まれた赤子が一瞬で成長して、またその後にウミウシに憑りついて八千年生きたバーチャルアイドルなんて非常識な存在、フツーの枠組みに当てはめることなんて、出来やしないよ」

 

 そう言って、私はメンダコを膝の上に抱き寄せた。赤子をあやすように、あるいは恋人にじゃれつくように、その頭を、指の背で撫でつける。

 

「だいじょうぶ……どんな結果になったとしても、私はそれをありのまま、ヤチヨもかぐやも、丸ごと受け入れて、大事にするから」

 ここまで生きた、ヤチヨの時間ごと。

 

『彩葉――ありがとう……待ってて、良かった……』

 タブレットの中のヤチヨは、私の方に、画面越しに手と額を倒した。安堵したかのように柔らかく目を細めた。

 しばらくそうして無言で、互いに触れられない相手に、寄り掛かった後、

 

『でもそこは、ド直球に『ヤッチョにも残ってほしい!』って断言して欲しかったり?』

 そしてアニメチックに目を山形にデフォルメして、からかい返してきた。

 

「いやいや、自己評価高いのか低いのかどっちだって……」

『いつの世も、乙女心は、物深し、なのだよ』

 

 などとじゃれ合って、その日の夜を過ごした。

 ――うん。やっぱり大丈夫。

 という確かな想いを、その胸に秘めて。

 

 

 ~~~

 

 なお、その後、

 

「分けられないなら増えてみた!」

『ツクヨミでのライブも大事だしねー』

「やっぱり非常識!?」

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