ハッピーエンドの、道のあと 作:駒井亀丸
かぐやの身体をロールアウトし、いくつかの改良を加えたあたりには、すでに夏も終わりかけていた。
その研究所にて、
「何、コレ……」
プラスチックのフォークを持つ手をわななかせて、かぐやが声を震わせる。そのテーブルの前には、不毛な色味のパンケーキが薄く何層にも重ねられて残っている。懐かしいな。ノスタルジーで涙が出そうだ。
「残さず食べな。あとでちゃんとしたヤツ出してあげるから」
そう伝える私に、
「ゴーモンだぁ! アバターいぢめだぁ!」
と、手足をばたつかせて喚き散らした。
まぁ、いぢめを負荷テストと言い換えるのなら、その指摘は正しい。
少し気の毒には思うもののこれについてはかぐやが原因だった。
というのも、先のヒアリングにて、
『思い出せる中で、一番古く記憶に残ってる料理は何?』
『もっちろん、パンケーキ! フワフワもちもち、彩葉と一緒に食べたやつに、お店で食べさせてもらったやつ!』
『……じゃあ、逆に二度と食べたくないものは?』
『出会ったばかりの頃、彩葉の作ったクソまじぃパンゲェギィ……水と粉だけのヤツ……』
『……』
と受け答えしたことがきっかけだ。
肉体の大半をバイニクスで代用できるようになったとは言え、味覚については、味覚自体以外にも、様々な感覚や要素が絡み、繊細な調整が必要になる。
神経系インターフェースにより完璧に味覚データを反映させるには、ただ美味しいものだけじゃない。過去、味覚を形成する過程において、苦痛を伴う記憶も再インプットしなくてはならない。でなければ、危険物に対するセンサーは鈍る。
……決して、十年前の、諸々の食べ物の恨みをぶり返してついイジワルしたわけじゃないのよ。
そんな折に、研究室のドアがノックされた。
どうぞと促す前に、二十そこそこの美男子が、あどけない調子で顔を見せた。
「ねー、妹ちゃん。頼んでた件、進展あったって?」
挨拶もそこそこに入ってきたのは、
ちなみに、お兄ちゃんを何故まったく違う俺様キャラに据えたのかは、未だ謎である……まぁ、商業的には成功しているけど、妹としては複雑だ。
「乃依くん……なに? 妹ちゃんって……」
「だってホラ、俺にとっても妹みたいなもんじゃん?」
「私、君より年上なんですけど!?」
「中高生の先輩後輩じゃないんだから、一桁台の年齢差なんて誤差でしょ、誤差」
とまぁ、そんな調子でリアルでも曲者な性格をしていて、まるで紛れ込んできた野良猫のように、ごく自然体で研究所に馴染んでいる……スポンサーであり、それ以外にも色々と借りがあり……あと、示唆する通り身内である。いちおう。でも間違いなく。
そこを加味しても、ウチのセキュリティ、そんなに緩くないはずなんだけど、なんかスルリと入ってくる。
そんな彼に、今日そのお兄ちゃん――朝日はついていない。
代わりに、保護者というか影のように、彼の実兄の雷さんがのっそりと付き添っていた。
「乃依ちゃん良いところに……これ、代わり食べて?」
「食べてって、この土を? ついに地質学にも手出し始めた?」
「……パンケーキです。あと、わざと不味く作ってるからね!? そこんとこくれぐれもよろしく!」
「乃依」
そこまで背後で様子をうかがっていた雷さんが、的確にタイミングを見極めて短く制止する。
肩をすくめた乃依くんは、
「で、進捗を教えてくれるってハナシだったけど?」
と、私に首を振り向ける。
ツクヨミだとファンに蠱惑的な表情を振りまく彼だったが、意外なことにリアルでは表情はまったく変わらない。無表情なのではなく、おそらく、ただ表情を変えることそのものが面倒なのだろう。そのVRモデルにしても、おそらくデフォルトで口角が上がり気味に設定されているのだろう。
私も、事務的に別室に皆を案内した。
足を踏み入れると、自動で電灯がオンになり、壁にかけられたその上半身が浮き彫りになる。
少年型をベースに和メイドチックな女装させて、その上で猫耳と鬼角という属性のてんこ盛りぶり。ツクヨミでの、乃依くんのアバター……その、上半身だった。
「あぁーッ!」
かぐやがこんな苦労してごーもん受けてる間に、こんなものを作ってたなんて! 彩葉の浮気者~ッ!」
「違う違う……私は手伝っただけだっつの」
歯を剥いてしがみついてくるかぐや。その気の済むままに揺らされながら、私は溜息を吐いた。
『俺もアバターボディ欲しいなー』
かぐやボディの開発途上、出資を持ちかけた際に、そんなことを空気を読まずに乃依くんは言っていた。
その時には雷さんに咎められ、その後何事もなく、時と共に話は流れていった……と思っていた。
まさか本音だとは思わなかった。
後になって正式な打診が送られてきた。
さらにその次にまるで企画書の持ち込みのように、緻密なプレゼンテーションが送られてきた。場合によっては、追加の投資も考慮するしスポンサーも紹介すると言い添えて。
普段からは、信じられないような真面目ぶりだった。
彼らに出資を頼み込む際に「損はさせない」と大見栄を切った手前、拒むわけにもいかなかった。
それが試作に踏み込んだ、第一点。
確かに、この
第二の理由としては、
「黒鬼の、特に乃依くんの大ファンがウチの子にいてさ。その子が主導で動いてんの。バックアップとチェックは定期的にやってるから、機能については問題ないと思う」
というものだった。
「へぇ~!」
「良いの、それ?」
むしろかぐやの方が、興味深々だ。
……いや、逆に頼み込んだ側が、なんでそんな冷めてるん?
「……やりたいことには本気で打ち込むのが、我が研究所のモットーですので」
そもそも私自身がそう志した結果がこの現在なのだから、責任は持つから思う存分やってみなさいと背を押すほかない。
「どうする? 本人と直接と話したいのなら、ここに呼ぶけど」
「いや、良い」
あっさりと乃依くんは断った。
「ファンの夢、壊したくないし。でも、お礼は伝えといて」
と。
「えぇ~! なんでぇ。直接会ったほうが絶対喜ぶって!」
かぐやは口を尖らせた。
でもそれは、私にはなんとなく分かる気がする。
本人も、引き合わせようとした時に似たようなことを言って萎縮したから。
『ヤチヨには、分かるよ~。そのいじまじさ』
小脇に抱えた端末から、よよよ、と袖を絞りながらヤチヨが声を震わせる。
おどけているようで、これは多分本心からの言葉。
「……だよね」
私もそれとなく同意する。
あくまで開発者の子にとっては、乃依くんは女の子と見まごうほどの美少年で、みんなのアイドル。
リアルの乃依くんも華奢な美青年だけど、その身体つきはやはり男の人のものだ。
失望させるようなことはないとは思うけど、それでも――きっと自分をさらけ出すことは、誰にとっても怖いことだ。
自らの分け身となる存在を見上げる彼の目は、いつもの気怠げなそれじゃない。
真剣でシビアな、表現者としての目線。服飾に使われているの生地、縫い目、睫毛の一本に至るまで、丹念に観察し、自身の端末で撮影し、所感をノートする。
他の人は、思うかもしれない。
もっと優先して、こうした技術を使わせるべき人たちがいるのではないかと。
でも、自分の理想に向けて向けられた乃依くんの目は、そうした人たちにに負けないぐらい切実なもののように見えた。
表面上は上手く取り繕えたとしても、自由なようでいても、もっと大事なもののために、人はそれを抑えてしまう。
かつて花火の下で、かぐやが語ったことを、思い出す。
無駄に主語をでっかくしたくはないけれど。
私は私なりに、私たちの生み出した技術を、そういう人たちを解き放つために使っていければと思う。
それが、多くの想いによって支えられてきた私たちにできる、恩返しだと思うから。
「ほい、これ追加希望と修正点……これ以外は、うん。いい出来。引き続き、その人にお願いしたい」
早々とメッセージアプリで、転送されてきた注文を流し読みする私に、
「あ、帝ちゃん……てか、朝日にはまだ内緒ね」
と乃依くんは釘を刺す。
「どうして?」
「そりゃあ、この姿でいきなり行って、驚かせたいじゃない」
と、そこでやっと、乃依くんの表情が動いた。
如何にも人をおちょくるのが楽しげな、口端を押し上げる感じの笑みと、蠱惑的な流し目。アバターとしての彼と、表情が重なる。
……なんというか、こういう所だけは、分かりやすいと思う。
「で、コレってもう動かせる?」
「見た通り、顔と手だけなら……ヤチヨ、試作のアプリ、乃依くんのスマコンにダウンロードできる?」
『うけたまかしこまつかまつり~!』
スマコンを取りに部屋に戻っていく乃依くんの左手は、ずっとポケットにしまわれたままだった。
雷さんは、弟のその手に、曰くありげな目線を向けている。
「心配ですよね。やっぱり、色々と」
最初乃依くんがアバターを所望したとき制したのは、行き着くところまで行き着くと、リアルさえも面倒と、造作もなく切り捨ててしまいそうな、そんな弟を想ってのことだったのではないだろうか。そんな気がした。
(公的な発言は全て弟の用意した
などと噂されるほど極端に無口な彼は、しかしこの時にはポツポツと、自分の言葉で語り始めた。
「……そう言う段階は、もう通り過ぎた。その『色々』を、俺たちなりに話し合って、折り合いをつけたつもりだ」
と。
「ただ、それでも」
ほんの少しだけ、初めて辛うじて私にも分かる程度に目元を緩めた彼は、
「兄だからな」
と答えた。
何がどう、それでもなのか。その辺りは語らない。
でもその横顔を、物言わず肉親を見守る表情を、私は知っている。
だから苦笑と共に、
「……納得」
するしかなかった。
――ま、結局のところ無理強いするよりかは、流れに任せるしかない時もある、ということか。
「かぐや、こっちの実験中止。乃依くんの方の動作確認終わったら、一緒にパンケーキ焼き直すよ、全員分。もちろん、ヤチヨの
「やったー! にっしっしー、ヤチヨのにはどじょう混ぜちゃおうかな~?」
『ご無体な~』
「こら、自分自身をいじめない」
「あ、俺紅茶ね。冷えたやつ」
「お前は少しは遠慮しろ」
そんなこんなで、私たちの研究室での一日は過ぎていく。
不揃いで不器用でも、一歩ずつ、それぞれの夢や理想に向かって。