現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話   作: トウコ

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視点が、主人公→桜史郎→百暗の順に変わります。


昭昭たる諦観②

 

自身に宿る鬼火を取り出して操ることは、鬼になって間もない時から出来た。

誰に教わるでもなく、歩き出した稚児が不意に駆け出すように、それが可能だった。

とは言え、使うとそれなりに疲れる。

種火程度なら、手で火起こしした方が早い。

暗い時の灯りも、夜目が利くため月さえ出ていればそれで足りる。

正直なところ、幻術に応用するようになるまで、これといった使い道のない力であった。

 

吐いた煙を炎に変じて、逃げ惑う幽霊たちの行く手を遮る。

ほとんど虚仮脅しだ。魂を燃やすような作用などない。

それでも目の前に炎が迫れば、生が終わっていても身が竦む者は多い。

……この時世では尚のこと。

炎に取り囲まれた幽霊たちを、黒縄が捕らえる。縄を持つのは地獄から来た獄卒だ。

捕えられた幽霊たちは、もがき喚きながらあの世へと連行されていった。

その様子をため息まじりに見送る。

 

炎を選んだのは、自身の能力と効率を考えてのこと。

あの炎で他者の魂に触れると、わずかだが鬼火を得ることが出来る。

それ故に、霊が相手であればこちらは消耗しない。

……それでも戦火で命を落とした者たちに使うのは、あまり気分の良いものではない。

 

 

本土への空襲が激化して以降、大捕物に動員される回数は増えた。

敗戦後もそれは変わらない。

あの“餌”は、きっと布石だったのだろう。

 

現在は多忙を極めたあの御仁が直接現世に出向くことはなく、手紙が来た。

結婚祝いと称された品に添えられた、今後原則として夫君の許し無しに地獄へ誘うことはないという、無念が滲み出た文面。

仮にも祝いの手紙の中で、遺憾という言葉が三度も使われていた。

この世の制度上の結婚が、あの世に作用するというのも興味深い。

 

桃弓木の看守――浮雲にも、私は“奥方”と呼ばれる。

建前の妻とはいえ利害関係者であるため、桃弓木の刑に関する説明や諸注意を受けた。

彼女には、婚姻は制度上のことだと説明したのだが、

 

『――いいえ。奥方様は、奥方様です』

 

そう言って、感情の読めない微笑みを浮かべるばかり。

彼女との付き合いもそれなりに長いが、未だにわからないことの方が多い。

 

 

ともあれ、為すべきことは為した。

謝礼を受け取ると、踵を返して帰路につく。

 

桃弓木の出征を見送ってから四年。

便りが途絶えて一年半。

夏の玉音放送から三か月。

未だ報せは無い。

大空襲で借家は住める状態では無くなり、住まいも変わった。

それでも、彼は戻ってくるだろう。

その時に食べるもの、着るもの、安全に眠れる場所が要る。

 

明日は早朝から地域の瓦礫撤去をし、午後は進駐軍の事務所で書類整理。

私は煙管をふかし、自身に目くらましの幻術を掛けて走り出した。

 

 

 

翌日、進駐軍での仕事の最中に名指しで呼び出しを受けた。

大変珍しい。

ここの者は、現地職員は“現地職員”という記号で認識しているのが常だ。

視界に入る女は全員街娼だと誤認している輩も同様である。そちらは秘密裏に制裁した。

……面倒なことでないと良いが。

 

そうして呼び出しを受けた先に居たのは、進駐軍のオフィサーでもスタッフでもなかった。

 

入室した瞬間、まず視界に入ったのは――黒。

天井に届かんばかりの、巨大な黒猫だった。

最初は影かと思ったそれは、ゆっくりと尾を揺らす。

部屋の明かりを吸い込んだような毛並みの奥で、二つの眼だけが、湿った硝子玉のように光っている。

猫というより、闇そのものが形を取ってそこに座っているようだった。

次いで、それを肩に乗せている痩せた青年が目に入る。

鋭い目つきに、瞼と頬には特徴的なほくろ。

巨大な獣を肩に載せているというのに、まるで帽子でも被っているかのような顔をしている。

化け猫憑きか。

仕立ての良い服を着ているが、軍関係者ではなさそうに見える。

 

「Did you send for me, sir?」

「貴女が百暗桃弓木殿の細君なら、呼んだのは私です」

 

念のため英語で話しかけたが、返事は日本語。やはり進駐軍の者ではない。

 

「確かに私は百暗桃弓木の妻ですが、あなたは」

「私は猫附桜史郎という者です。夫君の依頼で貴女を探していました」

 

青年の声は、役所で書類を読み上げるように平坦だ。

ただ、肩の猫だけが、こちらをじっと見ていた。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

地獄に垂らされた、蜘蛛の糸。

なりふり構わず掴み、戦地から連れ帰ってきた男は一族の恩人となった。

 

「このたび賜りましたご恩、決して忘れ申しません。我が一族、子々孫々に至るまで御前に尽くし奉ることを、ここに固く誓い申し上げます」

「……じゃあ、その口調をやめろ」

 

もう俺はそういうものではない。

そう疲れたように言う恩人の意向により、只人のように接することになった。

 

「……わかった。だが約束を違えるつもりはない。望まれたことは可能な限り叶える」

 

かねてより聞いていた百暗の望みは「妻に会いたい」という、人らしいもの。

しかし詳しい特徴や人物像を聞いて閉口した。

 

留学経験があり、元商社勤め。

外国語をいくつも操り、博識で、教養と品があり、家事も手際よく、料理も裁縫も上手い。

艶やかな黒髪に、抜けるような白い肌。そして器量が良い。

 

率直に言うと、白昼夢の内容を聞かされているのかと疑った。

該当する条件の女性を妻としてあてがえと言うことかと、念のため確認した。

 

「いや実在するよ……え、実在するよな?そこまで心を壊してたとしたら、俺はもう……」

 

百暗は焦点の合わない目で、ぶつぶつと小声で細君の名を呟く。

戦地で百暗がその差出人からの手紙を受け取っていたのは、私も見ている。

それを伝えると何とか持ち直した。

 

それでも百暗は列車を降りてから、体調を更に崩した。

立っていることすら覚束なくなり、呼びかけへの反応も薄い。

仮宿を押さえ、何とか説き伏せて押し込めた。

 

本来なら百暗は自分に灯を使い、すぐ自らの足で細君を探しに行けた。

こちらが希い、無用の寄り道をさせ、何にも代えられないものを使わせたのだ。

実在が不確かであろうが、何としてでも探し出さねばなるまい。

 

 

そんな難航すると思っていた捜索は、すぐに終わった。

役所で、そして住家だった場所で、拍子抜けするほど容易に情報を得ることができた。

細君は大空襲で住家を失ったが、元の住家の近隣住人には転居先を詳しく伝え、役所には届け出をしっかり出していた。

今も転居前の借家の大家への挨拶を欠かさない、礼儀正しい人物。

自分を探す者への言付けも快く受け入れられるように。

自らの足跡を残し、辿れるようにする配慮を感じさせる振る舞いだった。

そして細君は語学力や事務処理能力を買われ、進駐軍の事務所に勤めているという情報も得る。

――輪郭がはっきりするほど、“百暗の細君”は存在が虚構じみていった。

 

そして細君の仕事が深夜にまで及ぶと聞き、進駐軍の内部に立ち入るのに使える伝手を十全に活用し、ついに対面した時――

妄言がごとき白昼夢が実在した驚愕と、安堵が交互に去来した。

 

 

まず仕事を中座させたことを詫び、そして百暗との関係や事情を改めて説明した。

細君は背筋を伸ばし、静謐な面持ちでこちらを見据え、話に耳を傾けている。

誹られる覚悟はしていた。どう言い繕おうとも、こちらは強奪者だ。

しかし、返ってきた言葉は、ひどくあっさりしていた。

 

「そうですか、わかりました。では、仕事が終わり次第そちらへ伺います」

「……他に言うことがあれば、何でも聞く心づもりです」

 

その言葉に細君は目を軽く瞬かせる。そして、思いついたように付け加えた。

 

「入浴させておいてもらえると助かります。伺う時には銭湯が閉まっているので」

 

いや違う、そういうことではない。

胸の奥で言葉にできない戸惑いが渦巻く。

それを察したのか、細君は静かに続けた。

 

「あの人が決めたことですから――私が言うことはありません」

 

仕事があるので失礼します。

細君はそう言うと、踵を返し颯爽と去って行った。

 

 

仮宿でやり取りを聞いた百暗は、ふっと顔を緩めて目を細めた。

 

「そういうやつなんだ」

 

どれほど人に近い見た目や振る舞いをしようとも、人ならざるものは、やはり理解の外にある。――そういうものだ。

それをまざまざと実感する出来事だった。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

住まいに向かう、街灯も無い夜道。

自身の手を引く“妻”の横顔が、月に照らされている。

 

「額月」

 

声に出してみる。

 

「何、桃弓木」

 

呼びかけると、彼女は当たり前のように応える。

それを確かめたくなり、道中何度も名前を呼んだ。

 

「なあ、額月」

「うん、何」

 

焼け跡の向こうで、崩れた柱が風に軋んだ。

 

「……俺には、とても向いてなかった」

「そうだね」

 

夜道は続く。

それでも、握った白い手は温かかった。




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