現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話   作: トウコ

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視点が主人公→百暗の順に変わります。


昭昭たる諦観③

 

かつて山で暮らしていた時。

当時旅暮らしの桃弓木が、憔悴した様子で庵を訪れることも少なくなかった。

その時々で、何があったか話すこともあれば、話さないこともある。

聞き出そうとは思わなかった。

私はいつも通りに過ごし、いつの間にか桃弓木もそうなっている。そうして、彼は旅に戻っていった。

 

 

今回は勝手が違うらしい。

対面した時の桃弓木の顔を見て、瞬時にそう判断した。かつてないほどの暗い瞳に、想像を超える心身の衰弱を見て取った。

こちらを見ているはずなのに、視線が合わない。止まらない手や声の震え。

その手を取り、声を掛ける。

――しばらくして、ようやく彼は私を認識した。

そのまま宿での療養も提案されたが、桃弓木は私と帰ると言う。そのために迎えに来たので、構わない。

私は住家に桃弓木を連れて帰った。

 

 

桃弓木が戻ってきて、まずは以前の大家夫妻への挨拶をした。

今住んでいる地域も、二人の伝手で家を借りている。

細君は我がことのように喜び、地域の顔役への挨拶にも同行し“どうかよろしく頼む”と言葉を添えてくれた。

新参者は立場が微妙なため、その一言で暮らしやすさがだいぶ変わる。

 

それでも生活は目まぐるしい。

復員直後の桃弓木は極度の衰弱状態で、安静にするほかなかった。

だが一か月、二か月経つと、周囲から圧がかかる。復興作業の人員として、復員兵は主力として考えられていた。

私も地域の婦人の集いでそれなりに立ち回った。しかし、それを察し庇われたままでいる桃弓木ではない。

本調子ではなくとも復興作業に参加し始めると、彼はあっという間に地域に馴染む。人の輪の中で笑い、頼られる姿を幾度も見かけた。

その反動か、家の中では完全に無になる日もあった。上手く出来るからといって、性に合っているとは限らない。

そういう日は、とっておきの甘味か肉の缶詰を開けて労った。

 

 

そんな日々を過ごしながら、身体が癒えると桃弓木は「いつまでもヒモ暮らしは出来ん」と仕事を探し始めた。

暮らし向きは悪くないし、焦らなくても良いと言ったが、決心は固いようだった。

後に伝え聞いた話によると、妻を働かせ悠々と暮らしていると当てこすられたらしい。

人の家の台所事情に嘴を挟みたがる者は、どこにでも居るのかと呆れた。

人望を得ていた桃弓木にそれを言った側は、既に立場を失っていた。

 

 

そして桃弓木は手先の器用さを発揮し、空き缶を加工して雑貨を作ったり、闇市で金物修理の商売を始めた。

すぐに軌道に乗って固定客も複数つき、順調そうに見えた。

しかしある日、彼は浮かない顔で帰ってきて言った。

 

「需要は高いし儲かる。けど金があっても、肝心の食料が買えねぇ」

 

そう言って、材料をかき集めて代用うどんを作り始める。

本当に何をやらせても器用にこなすと感心したが、試作した品を共に食べ、無言で顔を見合わせた。

材料は主に雑穀だ。味に加えて栄養価が低く腹持ちも悪い。

それでも、せっかく作ったからと売りに出したら「飛ぶように売れた……」と複雑な顔で帰ってきた。

私たちの暮らし向きは悪くない。桃弓木はよく働き、私の勤めは給金が良く、時折猫附家からの差し入れもある。

しかしこの件で、飢えている時に味や腹持ちなどは二の次なのだという現実と、世間のひっ迫を改めて目の当たりにしたのだった。

 

それでも桃弓木の食糧調達の試行錯誤は続く。

贅沢なのは百も承知だが、食自体には困ってない。進駐軍の横流し品の缶詰や乾麺などは豊富にある。

しかし桃弓木は、どこか気まずそうに言った。

 

「食えるだけ本当にありがたい。いや、美味いよ?うまいんだけど……なんだか、心が荒むんだよな……」

 

気持ちはわかる。否定する気にはなれなかった。

滋養があり食べられれば問題ない。それでも好みを言えば肉より魚だし、洋麺より米だ。

漁村まで出向いて魚を仕入れて売るのは手間が大きく、すぐに手を引いた。

結局農村まで足を伸ばし、物々交換で米や野菜を得る交渉に切り替えた。彼の得意分野だ。

進駐軍から得た横流し品も農村では珍重され、交渉が容易になると桃弓木は喜んだ。

 

 

日中は地域の活動に、生活のための仕事。

夜は時間を見つけては灯を集め、時折猫附家との契約を果たしに行き、返礼を受ける。

契約とは言え、彼らは桃弓木に対し真摯で誠実だ。

それに事情を解した上で気安く話せる相手は、得難いものである。

彼らと交流する桃弓木を見て、心安く過ごせる場が増えて良かったと、そう思えた。

 

 

生活が落ち着くと、桃弓木は戦地での記憶に再び苛まれ始めた。

夜。呻き、喚き、飛び起きて、私を探す。

私は起きて返事をし、吐瀉物を片付け、口をゆすがせ、着替えさせた。

 

「額月……」

「ここにいるよ」

 

手を握らせると、しばらくして呼吸が落ち着いた。

 

「額月、いるか」

「うん、ここに」

 

夜通しうわ言に返事をする日もあった。だが、この程度で音を上げる気はない。

翌朝身を縮めて詫びる桃弓木への対応の方が、よほど大変だった。

 

「あのね、私はこの程度眠らずとも特段問題ないよ。知ってるでしょう」

「しかしだな……」

「あなたは今、助けが必要に見える。私は、手を貸せる。それとも私には、その度量や情けがないとでも?」

「……そんなことない」

 

こんなやり取りを幾度も繰り返す。納得がいかないのだろう。

彼は感情の始末を自分でつける人物だが、それが不可能なほどの傷を負っている自覚は、まだ薄い。

当初は寝室を別にしていたが、効率を優先し同じ部屋で寝起きするようになった。

桃弓木は、何とも言えない顔をしている。どう扱っていいか分からない、そんな顔だ。

慎みを持てと言いたい思いと、申し訳なさが衝突しているのだろう。

 

 

身体の傷は癒えても、心は回復と悪化を行き来する。

それでも、悪夢に魘される日は次第に減り、少しずつ調子の良い日が増えていった。

もう大丈夫だろうか。いや、気がかりではある。

しかし、今の生活を続けることが困難な局面を迎えていた。

 

 

 

――昭和二十七年 四月

 

サンフランシスコ講和条約の発効により、日本の主権が回復。進駐軍の撤退前に私は職を辞した。

気付けば今の戸籍を得てから、二十年経っていた。

 

――ここが潮時、だろう。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

ある日のこと。

朝食の席で、額月が日用品の買い足しでもするように言った。

 

「そろそろ戸籍を買い替えようと思う」

 

気がつけば、戦争が終わり七年の月日が経とうとしていた。

 

 

身に余るほどのものを受け取っている自覚は、ずっとあった。

そんな権利を、本来俺は持っていない。

それでも――

混乱の最中、生きるのに必死で、目を逸らす理由がいくらでもあった。

 

 

 

かつて自身の抱く感情の存在に気付いた時、それに名をつけず直視を避けた。

どうにもならないと、わかっていたからだ。

ただ、そこに在ればいい。

時折会えればそれで足りると、己に言い聞かせ続けた。

 

それなのに。

 

ああ言えば額月は断らないと踏んで、入籍を持ち掛けた。

細君の性格も行動力も把握した上で、役所へ向かう際に大家宅の近所を通った。

祝言の段取りも、流れも、止める機会はいくらでもあった。

そもそも神格を奪われている俺は、酒を口に出来ない。儀式は不完全で、成らぬ可能性が高かった。

 

しかし、天にいる親に誓うという文言の誓詞――

草案を書いたのは俺で、清書は額月によるもの。

祝言の後に、捨てるのも忍びないと奉納した。

――それが届いた。

 

こうして儀式は成り、俺は“妻”を得た。

――得てしまった。

 

 

欲する資格などないと思っていたものが、手の中に転がり込んだ。

掴んで、懐に入れて、それからようやく気づく。

何てことをしたのかと。

こうならない道筋はいくらでもあった。――それでも、そうなった。

自身に言い訳をしながら、詭弁だと弾劾する理性が己を苛む。

 

 

胸の奥で、罪悪感と、ほの暗い喜びが絡み合う。

押し潰されそうなほど重いのに、震えるほど満たされてもいた。

額月は、変わらず笑っている。

その顔を前に、息を飲む。

手放すことも出来ず、何も言えないまま。

 

 

話し合いの末、今の生活は終えることになった。

俺はもう戸籍を作る気にはなれず、抽斗へ戻ることにした。

額月は――

 

「“奥さん”をするのは中々楽しい経験だったよ。ありがとう」

 

何も知らないまま、旅立っていく。

そんな“妻”の背中を見送りながら、俺は小さく呟いた。

「……またな」




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