現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話   作: トウコ

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主人公視点


昭昭たる諦観④

 

再び、旅暮らしの身となった。

 

思うまま世界を巡り、異国の文化に触れる。

景色を愛で、その土地の美味を堪能する。

 

それらはどれも、すぐに過去になる。

人は移ろい、街は姿を変え、名さえ消える。

あの店の主人も、杯を交わした旅人も、次に訪れた時には、もういない。

 

それでも私は歩く。

何処へ行こうとも、知らないことは尽きない。だから旅は面白い。

 

 

足を止めるきっかけは、いつも些細なものだ。

和食が恋しくなったり、無性に畳の上で寝転びたくなったり。

大きな湯船で足を伸ばしたくなった時などもそうだ。

 

 

久しぶりの抽斗通り。

もぐら湯の暖簾をくぐると、番台にいた桃弓木が、こちらを見てパッと顔を明るくした。

 

「桃弓木、来たよ」

「よう、おかえり!」

 

以前一緒に暮らしていた時の名残りか、訪ねると彼はいつもこう言う。

 

「変わりない?」

 

荷物を下ろし、土産を渡しながら近況を聞く。桃弓木はほんの僅かに身を強張らせた。

しかし何事もなかったかのように、ベラベラと猫附家の子や浮雲のことを話し始める。

……ある意味、変わりはない。

小さくため息をつく。

彼は気まずげに頭を掻きつつ、茶葉の残量を気にする素振りをした。

 

台所に向かう桃弓木が下げているカンテラの灯は、いつになく小さい。

ここに来る前に立ち寄った墓所には、墓標が増えていた。

その事実から察し、瞑目した。

 

桜史郎か鵺神社の神主から、また苦情が来るかもしれない。

彼らは私に『あれを何とかしろ』と訴える。私はそのような立場の者ではないと言っているのに。

 

桃弓木はずっとこういう在り方をしている。それをどうにか出来るとも、しようとも思わない。

彼は自身の問題に私を関わらせようとしない。

昔からそうだが、戦後に戸籍を買い替えて以降それが顕著だ。

 

「お茶はいい。――はい、三百円」

 

番台の上に入浴料を置く。

背後の視線を遮るように、私は女湯の暖簾をくぐった。

 

 

 

 

 

やはり広い風呂は良い。

湯を浴びてさっぱりすると、アイスが食べたくなった。

浮雲への土産を渡すついでに、駄菓子屋へ行くことにする。

当然のようについてくる桃弓木と話しながら歩いていると、浮雲がこちらへやってくるのが見えた。

 

「囚人様、お電話です」

「桜史郎か?」

 

その問いに浮雲が頷くのを見て、桃弓木は店の奥へと入っていく。

残された浮雲と向き合う。

視線は、私ではなく紙袋に落ちていた。

苦笑し、土産の入った紙袋を渡す。

 

「お土産、よかったら食べて」

「まぁ、外国のお菓子とお酒ですね。頂戴します」

 

受け取って中を確かめた浮雲は、いつも通りの涼やかな双眸と、口元には形良い笑み。

この掴みどころのなさにも慣れた。しかし、

 

「……奥方様は、変わりませんね」

 

その言に眉を寄せる。顔を合わせるたびに言われることだ。

奥方呼びを訂正するのも、もう諦めた。

 

「囚人様に大変甘くいらっしゃる」

「……付き合いが長いから、そういうところもあるかもね」

「いえ――そういうことでは」

 

では、どういうことか。問おうと口を開きかけた瞬間、

 

「っ猫附の家に呼ばれた!額月も来るよな?行こうぜ」

 

桃弓木に手を掴まれ引っ張られる。

 

「姐ちゃん悪いな、行ってくる!」

「いってらっしゃいませ」

 

口を挟む間もなく会話は打ち切られて、抽斗通りから引っ張り出された。

やはり浮雲と話していると、最終的に割って入られる。

 

通りから出て暫くして、掴まれた手を握り返した。

 

「桃弓木」

「孫が熱出して容態が思わしくないらしい。あとお前が帰ってきてるって知って、桜史郎がお前に会いたいって……」

「桃弓木」

 

次第に歩く速度が落ち、ついに足が止まる。

 

「……悪い。いつか、ちゃんと言う。でも、今は」

 

俯いて苦しげにそう言う桃弓木を見て、目を伏せた。

……確かに、私は彼に甘い。

 

「わかった」

 

 

 

 

 

猫附家に着くと、桃弓木は早速奥に通される。

私は表座敷で、桜史郎と向き合っていた。

香り高く風味豊かな茶と菓子を出され、ゆっくりと口にする。

 

「お久しぶりです。……お変わりありませんね」

「ええ、桜史郎も息災で何より」

 

かつて進駐軍の事務所で出会った青年は、威厳のある壮年の男になった。

 

「……お陰様で。大黒のことは耳に入りましたか」

「いいえ、先ほど帰ってきたばかりで。鵺神社も訪ねようとは思っていたけど」

 

旅先で質の良い触媒を手に入れた。それを、かの神主への土産にしようと思っている。

猫附家にも用意した品があったのに、突然来ることになり持ち出せなかった。

そんな取り留めもない話をしていると、桜史郎は静かに告げる。

 

「大黒は代替わりしました。今は先代の弟が務めています」

「……そう、なの」

 

今回の深刻なことは、それらしい。

 

 

桜史郎は淡々と、事の経緯を説明する。

 

私が居れば何とかなったなどとは、言わない。

それでも、知っていれば――そう思わずにはいられない。

私なりに、猫附家の者たちを始めとする“桃弓木が心安く接する相手”に情はある。

旅先でも連絡がつくようにはしていた。

こうして、お前には関係ないとばかりに蚊帳の外へ置かれるのは……虚しいものだ。

 

もっとも、私は口を出せるような立場の者ではない。

仕方のないこと。

肩を落とし、目を伏せる。

手の中の湯飲みは冷め、香りは薄れていた。

 

 

 

 

――以前は、違った。

 

私は荒事が嫌いだ。

力はある。だがそれを振るうのを、楽しいと思ったことがない。

自衛はする。侮られると余計な面倒があることも、承知している。

必要とあれば、暴力に訴えることも辞さない。

 

――あの時もそうだった。

 

旅先で、桃弓木とともに怨霊騒ぎに巻き込まれた。

今回同様、桃弓木に異常な執着を見せる、あの人外の仕業だった。

それに、鬼に転じたこと、そして父母を揶揄され――視界が赤く染まった。

業火のようなそれが、怨霊を呑み込んでいく。それが自身の鬼火だと、遅れて気付いた。

カンテラの灯を回収できなかった。

桃弓木は、負った傷を治せずに力尽きた。

だらりと伸びた力ない手。

何も映さぬ虚ろな目。

喪失の恐怖に支配されかけた瞬間――眩い光に包まれた。

 

『俺は大丈夫だから、落ち着け!』

『桃弓木……?』

 

身体から抜け出て御霊となった桃弓木の姿に呆気にとられ、恐怖は霧散した。

 

囃し立てる燃えカスは、殴ると爆散した。

だが、肝心のものは取り逃がした――仕留め損なった。

 

桃弓木の御霊は、神々しい姿で所在なさげに立ち尽くしていた。

 

『俺さ、実はこの姿だとすっげぇ強いんだぜ……発揮する機会はなかったが』

『……うん、そうみたいだね』

 

圧倒的な存在だった。本当にそうなのだろうと思った。

そして御霊が飛び去った後。

遺体とカンテラを回収しにきた浮雲が語った神話が、妙に腑に落ちた。

 

 

合流してすぐだった。

せめてものつもりで、空になったカンテラに鬼火を注いだ。

その直後、意識が落ちた。

目を覚ますと季節が変わっていて、傍に桃弓木がいた。

ひどくやつれた顔で、私を見下ろしていた。

 

『――二度とやらないでくれ』

 

縋るような声で、約束させられた。

……加減を誤ったらしい。

 

 

思い返せば――私は、しばしば桃弓木に負担を掛けている。

いたたまれない。

身を小さくし、ため息をついた。

 

それでも――

 

私を遠ざけるのに。

離れると、置いてきぼりにされたような目をする。

近寄れば、晴れやかに笑う。

 

――今の状態は、納得できるものではなかった。

 

 

 

バタバタと騒がしい足音に、思考を引き戻される。

 

「おい!あの組木細工の鍵なんだよ、何個も!解くのめちゃくちゃ時間かかったぞ!!」

 

座敷に桃弓木が駆け込んできた。

桜史郎は何でもない顔で「意外と早かったな」と声を掛ける。

桃弓木はそんな桜史郎に詰め寄りかけたが、こちらを見て顔色を失った。

 

「何を言った」

「大黒の話を。いつまでも隠せることではないだろう」

「それは、そうだが……っ」

 

背筋を伸ばした。

 

「桃弓木」

 

声を掛けると、桃弓木は青ざめたままこちらを向く。

その目を、正面から見据えた。

 

「話をしよう」

 

 

 

 

 

桜史郎が退出した猫附邸の一室で、私と桃弓木は向き合う。

庭にはうららかな陽が差し込み、猫が心地よさそうに寝ている。

桃弓木は、刑の執行を待つ罪人のような顔をしていた。

 

「言いたくないことは言わなくていい。前にそう話したね」

 

初めて出会った日。墓穴の中で、死人よりも顔色が悪い桃弓木に言った言葉。

 

「その上で問いたい――私に言っていないことは、何?」

 

彼は実直な人物だ。

隠し事も、きっと悪意のあるものではない。

言うまで待とうと思っていた。

 

しかし、昨今の言動は目に余る。

隠し事の上に隠し事を重ねる。不自然なまでに私を排除し、遠ざける。

それでいて、やっている本人が苦しげで、少しも楽しそうではない。

見ていられない。

自分が関わるなら、なおのこと。

 

 

庭に落ちる影が伸び、猫は室内に寝床を移した。

 

桃弓木は、黙して語らない。

私はため息をつき、立ち上がる。

 

「わかった」

 

桃弓木に背を向けた。

 

「浮雲に聞くよ」

 

襖に掛けようとした手を取られる。

私の手を掴むその手は、僅かに震えていた。

 

「……待ってくれ、頼む。言うから……行かないでくれ」

 

桃弓木は絞り出すように言葉を続けた。

 

「せめて自分の口から説明したい……もう、それくらいの誠意しか示せないんだ……」

 

 

 

 

 

 

再び卓を挟んで向かい合うと、桃弓木は重い口を開いた。

 

「祝言を挙げた後、俺の刑に関わることを禁止されただろ……あれが、今も続いている」

「……何故?」

 

もう籍は入れていないし、生活を共にしているわけでもない。

 

「取り返しのつかないことを、したからだ……」

 

その露見を避けるため、私を遠ざけたという。

桃弓木らしくない振る舞いに、引っ掛かりを覚え――

 

刑への介入禁止の継続

浮雲からの変わらぬ呼称

地獄からの対応の変化

桜史郎や大黒からの苦情

 

『……本当にいいのか』

 

祝言の前の言葉

 

――これまでの事実と、符号した。

 

……これは、大変甘いと言われても仕方がない。

伏せていた目を上げた。

 

「あなたのしたことを、あなたの口から話して。全て」

 

 

桃弓木は膝の上で拳をぎゅっと握り、淡々と話し始めた。

入籍から祝言の間、彼が何を思い、何をして、何を語らなかったか。

話し終えると、脱力したように項垂れた。

 

 

全て本当だろう。

入籍を持ち掛けた時も、祝言を挙げた時も、彼は一度として“これは真実ではない”と明言していない。

事実しか口にせず、何も偽らなかった。

都合の悪いことを黙っていただけで、建前上のものだとこちらに誤認させた。

その事実に、眩暈がした。

 

ため息をぐっとこらえ、深呼吸する。

 

「そう、わかった」

「……どう思われても、何をされても仕方ないとわかってる」

 

それでも解消はしてやれないと、桃弓木はくぐもった声で続ける。

 

「私は己の意に沿わぬことをしない。知ってるでしょう」

 

温度のない声が己の口から出た。

私はゆっくりと立ち上がり、桃弓木の方へ歩み寄る。

すると、襖が勢いよく開かれた。

 

 

「お待ちください」

 

そこにいたのは、平伏した桜史郎だった。

 

「私も知っていた。責は私も負う。その男は、一族の恩人で必要な存在です。どうかご容赦を」

「桜史郎、やめろ……」

 

桃弓木は力ない声で制する。

桜史郎は引かない。

私は宙を仰いだ。

 

「もう桜史郎はそこにいて構わない。話を続けてもいいかしら」

 

こちらを向く二人の視線を受け、言葉を続ける。

 

「責を負う必要はない。興味本位で祝言を断らなかったのは、私だから」

 

儀式を軽んじてはいけないと、反省した。

 

「……俺は、知ってた」

「そうだね。このようなことをされたら、私は解消するために“何でもする”」

 

桃弓木の肩が揺れる。

 

「でも……」

 

己から出た声の力無さに、苦笑した。

 

「桃弓木にはそうしようと思えないから……仕方がないね」

 

特別扱いを自覚している。

それを是としない倫理観もある。

それでも、この縁を切れない。

……もう、観念するしかなかった。

 

 

ふと視線を落とすと、桃弓木が畳の上で突っ伏している。

桜史郎はそれを軽蔑した目で見下し「ここまで言われて何も言わないのは、どうなんだ」と呟く。

襖の向こうでは、桜史郎の子と孫が口々に「へたれが……」と小声で罵る。

 

「……待ってくれ。正直棚ボタだと思って魔が差した。卑怯だったと認める。でも、ここで言うのは勘弁してくれ……後生だから」

 

顔を隠し耳まで真っ赤になっている桃弓木を、その場にいる全員が見ていた。

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