現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が訳あり行き倒れを拾う話   作:萩原トウコ

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現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が訳あり行き倒れを拾う話②

取られた手に笑みを深くすると、握り返して軽く引っ張る。

 

「ぉわ?!」

 

片手で引き上げ、そのまま両腕に収めた。

 

「は!?」

 

軽いのに、背があるから収まりが悪い。

うーん、ああでもない、こうでもないと抱え直すたび、彼は変な声を上げる。

 

「ちょっと待ってくれ!!絵面がまずい!誰に見られなくても俺の心が死にそうなんだが!」

 

確かに子供に抱えられる大人の図は、大人側の矜持として問題がありそうである。

降ろしてくれ!と主張する彼を一旦地面に降ろすと、私は庵のある山の方を指さした。

 

「あの山の中腹まで歩く元気はある?」

「……無理だな」

 

ここから歩けば、健康な者でも半日はかかる距離だ。

彼の話し方はしっかりしていて、声にも張りがある。しかし私に抱えられている時の抵抗の弱さを考えると、体調は万全ではなさそうだ。

 

「うん、そうだね。でもあなたには滋養があるものと、休む場所が必要に見える。ここではそれが叶わないから、私の家に案内しようと思っている。どうかな?」

「あー、いや……その、正直申し出は有難いんだが……家の人とかびっくりするんじゃないか、突然おっさん拾ってきたら」

 

彼が目をそらし頭をわしわしと掻いて、気まずげにそう言う。

光の柱を吸い込み蘇った後、彼は焦っていた。人目を憚り逃げようとしていた。きっと何か秘密があり、それが明るみになるのを避けようとしている。

私と同じ人ならざる者かもしれない。あるいはそれに類する者。

危険はあるが、もう少しこちらのことを開示することにした。

 

「誰もいないよ。さっき言ったでしょう、ここに人はいない」

 

そう言って頭巾を掴み、下ろした。中にしまっていた髪がパサリと広がり、異形の証――角が露わになる。

 

「あっ……角!?そうか、鬼ならあの膂力も納得だ」

 

目を見開く彼の目に驚愕はあれど、恐怖の色は見て取れない。どうやら賭けに勝てたらしい。

まぁ負けた場合は意識を刈り取り、夜間に遠方の人里で転がすだけなのだが。

 

「それで、どうする?家に来るなら歓迎するよ。お喋りができる相手は貴重だから」

 

彼は思案するような仕草の後、こちらに向き直り私の目を見てから頭を下げた。

 

「しばらくしたら迎えの、というか……俺の荷物を持った者と合流できるはずなんだ。それまで世話になっても良いか」

「うん、いいよ。一応言っておくけれど、私の好物は桃などの水菓子や豆の甘葛煮で、人は食べたことがないから安心してね」

「おう、それは良かっ……俺鬼の知り合いってあまりいないんだが、そんな殿上人みたいな食生活なの?!」

 

私の言に苦笑いしながら頭を上げて答えかけ、驚きを露わにする彼。感情がせわしない。

 

「山で採れるものを食べているだけだよ。他所の食事情には詳しくないな、私も鬼の知り合いがいないから……」

 

そんな取り留めもないことを話しながら埋葬者不在の墓穴を埋め立てると、手を軽くはたいた。

 

「それでは行こう、案内するね」

 

そして――

抱えられるのはどうしても抵抗があるという彼の主張を受け入れ、背負い(その後話しかけても彼の声は沈んでいた)

行きの数十倍の時間をかけて、山を駆け上った(彼は叫び舌を噛んだのち静かになった)

 

 

 

 

 

 

庵にたどり着く頃には、彼はすっかり静かになった。

道中舌を噛んだのが、余程痛かったのだろうか。蜂蜜入りの飲み物を出してあげようか。

そんなことを考えながら縁側に彼を降ろし、草履を脱がせて足を洗う。

 

「……はっ!?着いたのか!?あっ自分でやる!自分でやるから!」

 

弾かれたように顔を上げて柄杓を取ろうとする彼の手を、優しく制する。

 

「はいはい、元気になったら自分でやろうね」

「やめてくれ、絵面が、絵面がつらい!丁寧に洗って拭かないでくれ!!」

 

彼は両手で顔を覆い、恥じらっているのか絶望しているのかわからない声を出している。

しかしその願いは受け入れられない。しっかり洗わないと室内が汚れる。

 

ぐったりした彼を囲炉裏端に座らせ、綿入りの衣を肩に着せかける。そして蜜漬けにしていた橙の皮と塩を少々入れたお湯を出した。

受け取った湯飲みに顔を近づけた彼が、わずかに目を見張る。

 

「……!これは……」

「重湯も準備しているから、ひとまずこれを飲んで休んでね。蜂蜜と橙の皮と塩が入ってるよ」

「は!?蜂蜜と橙!?朝廷への貢物か!?!」

「まさか、違うよ」

 

橙は種を家から持ち出したものを育てた。試行錯誤の連続だったが、最近は毎年安定して収穫できるようになった。蜂蜜は蜜蜂を捕まえて増やして蜜を採っている。

そう話すと、彼は絶句した。

その反応もさもありなん。

 

幼い頃に甘いものがたくさん食べたいと、養蜂という手段に思い至ったことがあった。そのようなことをしている者は他におらず、周囲の者たちから目を剥いて反対された。父母は否定せず聞いてくれたが、当家に豊かな荘園があれば、と寂しげに言われて諦めたのだった。

 

自分の分の橙湯を飲みながら当時に思いを馳せていると、彼も恐る恐るといった様子で湯飲みに口をつける。そして再び瞠目した。

 

「……っ、うまい……!橙の香り高さと蜂蜜のほのかな甘みが、染み入るな……」

「うん、それは良かった」

 

僅かに目を潤ませ感嘆しながら橙湯を味わう彼を見て、私も自然と口角が上がる。

やはり誰が何と言おうとも、美味しいは正義である。

そして誰かと分かち合う美味は格別だ。

 

 

 

橙湯を飲み、一息つくと彼はゆっくりと視線を巡らせた。

床、柱、梁、囲炉裏、壁際の棚。まるで家そのものを診るような目つきだ。

 

「どうしたの?」

 

声をかけると、彼は小さく息を吐いて笑う。そして囲炉裏を覗き込み灰の具合を見た。

 

「いや、この火の位置がいいな。煙が滞らないし灰も溜まりすぎてない。これ毎日ちゃんと世話してるだろ?」

「うん。火は放っておくと拗ねるから」

「だよな」

 

納得したように頷くと、次は床を確かめるように手でなでた。

 

「床も良い。清潔で、軋みが少なく湿ってない。 ……庵にしては、随分“住む覚悟”がある」

 

少し冗談めかした声音だったが、目は真剣だった。

 

「庵ってのは、世を捨てるとか、隠れるとか、そういう理由で建てることが多いんだが……ここは、生きることを楽しむ家だな」

 

私は少しだけ肩をすくめた。人目を避け隠れ住むために作ったとも言えるが――

 

「楽しく暮らさなくては生きる甲斐が無いから。それに壊れたら困るし、寒いのも嫌だからね」

 

方丈庵形式にしているので壁や戸など容易に交換ができるが、基礎はしっかりと作った。

 

「いいな、それ!それに実行の仕方が健全で合理的だ」

 

彼はそう大きくうなずいて、今度は壁際の棚に視線を向けた。

そこには干した山菜、茸、果皮。布で覆われた壺が幾つか並んでいる。

 

「保存もいい。 湿気てないし、鼠の気配もない。……甘い匂いがするのは、さっきの?」

「うん、手前がさっきの蜂蜜。奥のは甘葛と水飴。本当は砂糖も欲しいけど、なかなか手に入らないの」

「…………」

 

彼は一瞬、言葉を失ったように固まった。そしてゆっくり口を開く。

 

「一応聞くんだが、この山は大貴族の荘園で、ここは殿上人の厨だったりしないよな?」

「誰も開墾していない山中だし、ここは私の家」

「だとしたら……そっちの方が、おかしいだろ……」

 

彼は遠い目をしながらそう呟くと、再びぐったりとしてしまった。

 

「大丈夫?疲れてしまったかな。何か甘い物でも……ああ、固形物はやめたほうが良いか。そろそろ重湯を作ろう、少し待ってね」

 

そう言って囲炉裏で温めていた石を布で包んで彼に渡すと、私は厨に立った。

 

 

 

姫飯を粥にして丁寧に濾し、茸で取った出汁を加える。少し考えて、醤油を香り付け程度に入れて味を調えた。

ふわりと漂う良い香りに顔がほころぶ。残った粥と茸を自分の夕飯として、簡素な膳を囲炉裏端に置いた。

彼は引き締まった表情であぐらをかき、膝に肘をついて私を見つめる。

 

「俺はもう驚かないぜ、慶事でもないのに姫飯が出てくることとかな」

 

そう言って重湯を口にした瞬間、彼は身を震わせた。

 

「滑らかでほんのり甘く、滋味深い味わいが口の中で広がる……!!」

 

本当に感情がせわしない。しかし振る舞い甲斐がある。

 

「そうだ。復調したら、腕によりをかけてご馳走を作ろうか」

「本当か!?……大喜びすべきか、舌が肥えるのを恐れるべきか、判断に迷う……!!」

 

表情をパッと明るくしたあと、慄きながら上ずった声を抑えきれない様子の彼を見て笑った。

 

 

 

 

 

楽しい夕餉が終わると、外は夕闇に包まれ始めていた。

囲炉裏の火が淡く揺れる。

外からは山風のざわめきが届くものの、庵の中は温かく落ち着いた空気が満ちている。

白湯の入った湯飲みを空けると、彼は息をついた。

 

「本当に随分なもてなしを受けた……ありがとう。話をしても良いか?ここに来る前に言った、荷物を持つ者との合流の話にもつながることだ」

 

うなずく私に、彼は「よし!」と膝を叩く。そして囲炉裏の火を一度見て、私に向き直った。

 

「まず言っておく。これから荒唐無稽な話をするが、俺の頭の心配はせず最後まで聞いてくれ」

「わかった」

「即答かよ……助かる。じゃあ聞くが、君は仙人って知ってるか?」

「知っている。不老不死や超常の術を修めた者でしょう。抱朴子にも記述がある」

「……は?! 抱朴子!? あれ確か漢籍だよな、読めんの!?!」

「うん、生家に写しがあって」

「ちょ、待て待て……いや、悪い、話がそれた。知ってるなら話が早い」

 

一度咳払いをして、彼は仕切り直す。

 

「要するに俺は、その仙人――尸解仙みたいなものだ」

「屍解……肉体を捨てて成る、という」

「そう、それ。旅をしてる途中で訳あって俺の前の体は死んだ。で、一番近くにあった“死んで間もない体”に魂が移った」

「……私が看取った、あの?」

「ああ。君が見送ったその人だ」

 

一瞬、囲炉裏の火が弾ける。

 

「不死に近い。だが、良いことばかりじゃない。一番の問題は、これが俺の意思じゃないってことだな」

「自分の意思では、ない?」

「ああ。俺はな、あの世から“出入り禁止”を食らってるんだ」

「……何かの罰、ということ?」

「ご名答。昔、やらかしてな……。あ、竹取物語知ってるか?あれ実話だぜ、やらかした天女が罰を受けて現世に落とされた話でな……って、また話がそれたな」

 

彼は頭をわしわしと掻きながら話を戻す。

 

「旅の目的はな、あの世に帰る手段を集めている」

「手段?」

「そう。君は霊魂が見えるな?その周囲に漂う火――鬼火は、魂から漏れ出た生命力でありあの世への標でもある。でも俺は、自身の魂に鬼火を持つ権利をお天道様に剥奪されてる」

「だから、肉体が死んでも天に昇れない?」

「そういうことだ。幽霊から少しずつ鬼火を分けてもらう方法があってな。それを標になるだけ集められたら、その時晴れて罪が濯がれる……はずなんだ」

 

彼は肩をすくめて、疲れたように笑った。

 

「……まあ、一所に留まっても集められる鬼火に限りがある。だから旅をしてる」

「いつから、そうなの?」

「……あー……」

 

言葉に詰まったように頭を掻き、

 

「この国が大君に平定されるより、ずっと前……だな」

 

と、自嘲するように笑った。

 

 

「それは大変だったね」

 

気づけば、そんな言葉が口をついていた。同情でも慰めでもなく、ただの事実として。

 

彼は一瞬きょとんとした顔をしてから、苦笑した。

 

「そう言われたのは、随分久しぶりだな……」

 

それで解った。

彼もまた、「誰かに分かってもらえる前提」を持たずに生きてきたのだと。

彼の話を最後まで聞いて、荒唐無稽だとか、信じがたいとか、そういう感想は不思議と浮かばなかった。

死という終わりを許されない、あの世からの出入り禁止の罰。人間界を彷徨い鬼火を集める刑。

どれも常人なら眉をひそめる話なのだろう。けれど私は彼の言葉の一つひとつを「そうなのだ」と受け取っていた。

多分私は、もうずいぶん前から「世の理が人の理解に収まるとは限らない」という前提で生きていた。

角が生え、膂力が増し、老いもせず山で独り暮らす自分。それを説明する言葉を、私はずっと持たなかった。

彼の話はその空白にすとんと収まった。

彼を、哀れだとも、恐ろしい存在だとも思わなかった。

ただ、「知ってしまった」と思った。

 

 

「君の方は、いつからここに?」

 

そう訊ねられ、さていつからだったかと思考を巡らせた。幾度季節が廻ろうとも姿はほとんど変わらず、正確な齢はもう数えていない。

一応僅かに背丈が伸びているので、成長はしているはずだが。

そんなことを考えながら、家を出る直前の元号を伝える。

 

「もしかしてあの疫病が大流行りした頃か?改元するほどの大騒ぎだったよな。そうか、その頃から……しかし何故一人で?現世に隠れ住む鬼は集落を作ってる事が多い。はぐれ者もいないことはないが、君のような幼いものは相当珍しいぞ」

 

矢継ぎ早に質問されるまま、私は自分のことを話した。

父母のこと、生来の性質のこと、生家での幸せな暮らし、流行り病のこと、一人になり異形となった日のこと、都からの逃亡、そして山での心安くも孤独な暮らしのこと。

 

長い話だった。

 

こんなに自分のことを話したのはいつぶりだろう。

行き倒れ相手に一方的に話すことは、いつも取り留めのないことばかりだ。

ごく稀に水を飲ますと復調する者がいる。そういう者を介抱して友誼を結んだことがあったが、角を見られたらそれで終わりだった。

以来復調した者には深入りせず、麓に送るに留めている。

 

湯飲みに注いだ白湯を何度か空け、ようやく語り切った。

 

 

 

 

 

全て聞き終えて、これは俺の推論だが……と彼は話を始めた。

 

曰く、人から鬼に転じる者がいる。これはその資質のあるものが死後鬼火をその身に取り込むことで成る稀なことだと。

私はその資質が高いことに加え、今際の際に姿を現した父母が自身らの鬼火を捧げたことにより鬼として甦ったのであろうと。

 

それを聞いて全身が粟立った。

だって、鬼火は魂があの世へ向かう標だと先ほど聞いた……!

 

「それでは、父母は……!標を失い彷徨っているの?!」

 

私のせいだ、あんなに、それこそ死ぬほどのお人よしで愛情深い父母の前で、私は何と言った。

目の前で苦しむ者を見捨てることができない二人の前で死を拒んだ。生を願った。

 

「ととさま、かかさま……っ」

 

溢れそうになる涙を乱暴に拭い、急いで立ち上がる。

そんな私に、彼が手を伸ばした。そして、

 

「ちょっと待て、落ち着け!」

「落ち着いてなんていられない。探さなくては!!」

 

こちらに伸ばした彼の手と、身を翻そうとした私の手がぶつかった。

 

「っ……!!」

 

彼が声も出ないといった様子で手を抱えて転がる。

頭が真っ白になった。

次いで怪我をさせてしまった、と自覚して彼に駆け寄った。

 

「っごめん!!ごめんなさい、ああ、そんなつもりじゃ、こんな……」

「大丈夫だから落ち着いてくれ。今のは俺の言い方が悪かったんだ。だから気にしなくて良い」

 

顔色を失い詫びる私をなだめながら、彼は続ける。

 

「君の言う通り、確かに最悪現世を彷徨うことになる。だがそうはなってない。あの世にはな、現世に留まる霊を迎えにくる者がいるんだ。鬼火が無くとも、まっとうな人物ならあの世へ行ける仕組みになってる。だから絶対に大丈夫だ」

 

自身も怪我をした手を抱えて顔色が悪いのに、そう言ってこちらを気づかう彼。

それを見て、ああ、と体の力が抜けていく。

 

少しは我が身を省みれないのだろうか。できないのだろうな。私は知っている。

何せそういう人たちに育てられた。そして救われていたのだ。

 

私はつくづく“目の前で苦しむ者を見捨てられないお人よし”に縁があるらしい。

 

 

 

 

 

「お願いだから手当をさせて。そのままでは悪化する」

「いや、本当に大丈夫なんだ」

「……私に触れられるのは抵抗があるかもしれないけど、せめて薬と固定だけは」

「っそういうんじゃない!!本当に、文字通りすぐ直るから……ああ~現物が無いと説得力が無ぇ……!」

 

怪我の手当をしようとする私とそれを遠慮する彼の押し問答の最中

 

「……来たか」

 

彼が入口の方に視線を向けた。つられて振り返ると

 

「囚人様、お持ちしました」

 

そこには――橙色の長い髪を曼殊沙華の髪飾りで結った、黒衣の女性が立っていた。

 

 

異様。そうとしか言い表せない圧。それなのに

 

 

いつの間にか。本当にいつの間にか、その女性は何の気配も物音もさせずにそこにいた。

 

「お邪魔しております」

 

驚きのあまり言葉を失う私を、その女性は涼やかな双眸で見つめ返してくる。

そして彼女は口に形良い笑みを作ると、上品に会釈した。

呆然としながらつられて会釈を返すと、女性は美しく笑みを深める。

そして無造作に、それでいて優雅にも見える仕草で、ボロボロの包みを彼に投げ渡した。

 

「待ってたぜ姐ちゃん!……あれ、他のは?」

 

表情を明るくして受け取って、中身を検める彼の表情が次第に曇っていく。

 

「ありません。役割を果たさぬ襤褸切れと破片でしたらこちらに」

 

そう言って女性は、赤黒い布や紙料だったらしい何かや、様々な欠片を両手に乗せて掲げた。あれ、今までどこに持ってたんだろ……。

それを見て衝撃を受け、打ちひしがれる彼。

 

「くっそぉお……せめて財布くらい残ってると思ったのに……」

「それはあったとしても、然程意味は無いかと」

「貧乏なりに頑張って貯めてたんだよ!?何でそんなひどいこと言うの?!」

 

主に彼だけが一気に賑やかになった庵の中で、私は話について行けずに目を白黒させてしまう。

そんな私に気付いた彼が慌てて身を起こした。

 

「すまんっ!この姐ちゃんがさっき言ってた者で、俺の看守だ」

「看守……?」

 

視線を受けこちらを向いた女性と目が合った。静かな笑みを浮かべている。

 

「看守とは刑が正しく執行されているかの見張りであり、囚人の味方です」

 

彼がそんな女性の言にわしわしと頭を掻きながら言葉を付け足す。

 

「言ったろう、罰を喰らって鬼火を集めていると。旅先で死ぬと魂だけ違う体に飛ばされるから、荷物が持ち越せない。金や着る物も、まぁ失くすのはだいぶ痛手なんだが……それよりもこれがないと刑が立ち行かなくなる。彼女はこれを持って来たんだ」

そう言って見せられたのは、玻璃に覆われた青い灯火。

 

「カンテラ……」

 

初めて見るはずなのにその品の名前がわかり、口をついた。

 

「知ってたか……。さっき言ったそこいらの霊に分けてもらったカス火を集めたのがこれだ。あの世に昇るための標だが、こういう使い方もする」

 

そう言って彼がカンテラの上部の栓を抜いて大きく口を開くと、中の灯が彼の口の中に吸い込まれていく。

 

「え?!」

 

呆気に取られその様子を眺めていると、彼の姿が次第に変容していった。

まず怪我が、先ほど私とぶつかり赤黒く腫れた手が時間を巻き戻すように元に戻る。

痩身長躯なのはそのままだが、乾いた肌に張りが生まれ白髪交じりの髪は黒々として、どんどん若返って……いやそれだけではない、容貌が全く変わってしまった。

 

「あーあ、やっぱり殆どなくなっちまった。また集め直しだ」

 

小さくなったカンテラの灯を見て落胆する、先ほどまでの彼とは全く違う声。

 

「こんなに長く話したのに自己紹介がまだだったな。百暗桃弓木。“百に暗い”“桃の弓の木”縁起がいいんだか悪いんだがな名前で恐縮だが、以後お見知りおきを」

 

知り合ってご愁傷さん!

 

そう言って彼――百暗桃弓木は、目を見開いて固まっている私にニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

闖入者と超常的な光景の衝撃から復帰すると、大きく息を吐く。

そして、なるほど、と頷いた。

 

「……それですぐに治ると言ったのね」

「君の理解力と順応力の高さに俺の方が驚かされるんだが……いや本当に助かるけど」

「君ではなく、額月と。本名ではないけれど……」

「いや気にするな、賢明な判断だ……出自を考えればな」

 

後半を口の中で呟くように言う彼。

私が世に異形を晒して出自を口にしたら、朝敵として討たれてもおかしくない。

そういう血筋だと、明言しなくとも察しているようだ。

もっとも、もう都に私を直接知る人は殆どいないだろうが……亡き父母の名誉に関わることだ。この先も口にすることは無いだろう。

 

「それで、あなたは」

 

彼の看守だという女性の方を見る。

 

「失礼致しました。浮雲と申します。“看守”でも構いません」

 

そう言って感情の見えない笑みを浮かべる彼女――浮雲。

 

「そう。そこは冷えるでしょう。火に当たったら」

 

そう言いながら、彼女が囲炉裏端でくつろぐ姿が想像できなかった。

浮雲はそんな内心を見透かしたように微かに目を細める。

 

「お構いなく」

 

そう言って庵の中を一瞥した後、彼に視線を向けた。

 

「……囚人様。今回は、随分と早い」

 

彼は気まずげに目をそらしてわしわしと頭を掻く。

そんな彼に浮雲は冷淡にも見える微笑みを浮かべた。

 

「変わりませんね……」

 

静かで抑揚のない声音なのに、どこか呆れを含んでいるように聞こえる。

そして踵を返し

 

「失礼します」

 

少しこちらに目線をやり、そう言うと、浮雲は戸を開けてあっさりと去って行った。

 

 

 

浮雲が去って少しすると、疲れ知らずのはずの体が重くなった気がした。

 

「意図せず底知れないものを目にしてしまった……そんな心持ちだわ」

 

あの異様。あの圧。粛々と為すべきことを為し、情は挟まない。

まさに彼女こそ看守にふさわしいのだろうと思った。

 

「あー……、姐ちゃんはなぁ……」

 

宙を仰いで嘆息し、気まずげに言葉を濁す彼に視線を移す。

きっと生半可な者では、彼に絆され絡めとられる。

このような性質の人の元には、良くも悪くも人が集まる。正負問わず大きくて強い感情を向けられる。

それで引き起こされる騒ぎの種類には枚挙にいとまがない。

私はその手の出来事に一家言ある。何せそういう人たちを親に持ち、多種多様な騒ぎを目の当たりにしたので。

そしてかの看守の去り際の言動から、過去彼の周囲で起きた騒ぎの中には刑の執行が阻まれるようなものもあったのだろうと想像がついた。

しかし…

 

「何で今俺を見てため息をついた!?」

「大変だなと」

 

自分が騒ぎの種になろうとは思わないが、関わるのを止めるという殊勝さも無い。

 

だって「知ってしまった」から。

 

この人と関わることは、私が生きる上で自然だ。そう判断した。

それが彼――百暗桃弓木という存在を、私が受け取った形だった。

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