現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話   作:萩原トウコ

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主人公→百暗の順に視点切り替えあります。


現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話⑤完

振り返ってみれば、何かが変わる時はいつも春だった。

 

開き始めた花ではなく、開墾地から上がった火の手が山を覆いはじめるのを眺め、そんなことを思った。

煙と灰が舞い上がり、山の稜線が赤く染まっていた。焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。

悪意の気配はない――ただ、時の流れと人の営みが山を変えた。

 

消火は、可能だ。

しかし、しない。

 

自分の住処を守るくらいはどうとでもなるが、人目につきすぎる。

瞬時にそう判断すると、深く瞑目した。

 

「ここまで、か……」

 

そう独り言つと深く息を吐いて、顔を上げた。

手を掛けたものは大事にするが、手放す選択をしたものは惜しまない。

そう決めていた。

 

いざと言う時すぐ持ち出せるよう、背負子には宝物の他に当面の荷物を入れてある。

それを背負い最後に住処を振り返ると、文机に置いていた娯楽本が目に映った。

中に踏み入り、色鮮やかな絵が描かれたそれを拾い上げる。

そして荷物に加えると、自然と笑った。

 

「これでよし」

 

いい機会だ、旅に出よう。

最初の目的地はもう決まっている。

 

燃え盛る山と喧騒を背に、私は意気揚々と歩き出した。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

山火事の噂を耳にして、仕事も依頼も放り出して江戸から駆け付けた、その先で――

 

視界に広がるのは黒く焦げた地面、折れた木々、炭の匂いだけ。

火は山を燃やし尽くし、数日前に消えたという。

煙はもうなく、静かで、しかし全てを奪った後の無言の圧力が山を覆っていた。

 

山道の果てに、かつての庵の影を探す。

 

「額月……」

 

声はかすかに、口の中で震えるだけだった。

 

目の前には、木々の間に残る焦げた柱。かつての生活の跡は灰と土の色に溶けている。

 

――額月が、いない。

 

胸の奥が凍るように重い。

 

呆然と焼け跡を見つめ、やがて肩を落とす。

思考が止まり、体だけが動くように、抱えている仕事や中断した作業のことを考え、ゆっくりと山を下りた。

 

 

 

江戸に戻った後、春の賑わいも、街の色も人の声も、日常のすべてが灰色がかっていた。

灯集めは欠かさずしていた。それだけ。

何をしても、虚ろだった。

筆を握れば線は描けるが、そこに温度はなく、ただ形だけが浮かぶ。

手応えのない日々。

食つなぐための日銭稼ぐだけ。喜びはどこにもなかった。

 

ふと、蘇る。囲炉裏端で交わした何気ない会話や笑い声。

 

『――きっと喜ばれる。桃弓木は真面目な仕事をするし、良い品を作るもの』

 

かつての火の揺らめきに照らされた彼女の姿に、呼吸の奥がひきつる。

 

作業に没頭することで、わずかな精神の均衡を保つ。

それでも心は鬱々と沈み、春の街の陽気も届かない。

 

 

寺の門前市に小間物を並べることにした。

年明けに出店料を既に納めていたので仕方なく。

籠に詰めた品を背負い、重い足を引きずるように道を歩く。

簪や小さな扇子、色とりどりの手拭いが籠に揺れる。

甘い飴の匂いが漂い、人々の笑い声と混ざる。

寺の石段に近づくと、行き交う人々の声や風に乗る香、喧騒が肌に触れる。

 

ここには、

人通りはある。

鐘は鳴る。

祈りもある。

 

しかし、響かない。

 

籠を下ろし、重い荷を石段の前に置く。

布を広げ、持ってきた品を整然と並べた。

 

幾人かの客が足を止め、扇子や簪に目をやり、声を掛けてくる。

だが、言葉は喉でつっかかり、ろくに返事もできなかった。

手だけは品を差し出すが、笑顔も愛想も出てこない。

眉をひそめて去って行く客の背中を見送った。

――何をしているんだか。

ため息をつき、わしわしと頭を掻いてうなだれた。

 

そんな頭上に、

 

「相変わらず良い品を作るね。これをもらおうか」

 

降ってきたのは、軽やかな声。

息が止まった。

 

 

バッと顔を上げ、目を見開いて前を見れば――

旅装束を身に纏った額月が、ごく当たり前のようにそこにいた。

 

 

パチリ……と、薪の爆ぜる音が、響いた。

 

 

瞬間、世界が急速に色づき、その鮮烈さに眩暈がした。

これまでせき止められていたものが一度に押し寄せ、眉間のしわと口元のわずかな震えに現れる。

口を開き、閉じる。

何も出てこない。

 

そんな俺を見て、額月は少し目を瞬かせると――可笑しそうに笑った。

 

「やはり、あなたは感情がせわしない」

 

 

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