現代知識“だけ”ある記憶なし無自覚転生者が、訳あり行き倒れを拾う話   作:萩原トウコ

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最終話直後の話


閑話・江戸

江戸に着いて、まず宿を取った。何せ荷物が大きい。

門前町は宿が多く、その中でそれなりの宿を選んだ。

荷物を預け身軽になると、名所絵本片手に出かける旨を宿の者に伝える。

春に浮かれた江戸では、そのような者は珍しくないらしい。

私の手元を見た宿の主人の微笑まし気な声に見送られ、浮足立って街に繰り出した。

 

冬に会った時、桃弓木は門前市の出店料を払ったと言っていた。

ならばそこにいるだろう。

顔を見せ、夕餉は一緒に摂ろうか。

店じまいまでは、どこを見て回ろう。

 

 

 

石段の前で店を構えている桃弓木を見つけ、声を掛けた時。

こちらを見る目と表情で、おおよその心情を察した。

一言も喋らずに伝わるというのが、場違いとはわかっていても可笑しくもある。

つい笑ってしまった。

 

「やはり、あなたは感情が忙しない」

「……額月、お前……本当に、お前……」

 

笑う私を恨みがましそうな目で見る桃弓木。

声にならない苛立ちと安堵が混ざった響き。

 

「ごめん、だって、そんなに全部顔に出ることって……ふはっ」

 

こらえ切れずに肩を揺らす私を、不貞腐れた桃弓木がねめつける。

怒っているわけではない。けれど、何かを抑えきれない。そんな様子。

 

「……心配をかけたね。御覧の通り、元気だよ」

「本当にそのようだな!」

 

その声の端に安堵の色が混じるのを見て取ると、少しだけ首を傾げた。

 

「ごめん」

 

笑いながらも、ほんのわずかに背筋を正す。

そんなこちらを見て、桃弓木は口を噤む。

街の喧騒の中、二人の間だけが少し静かになった。

 

「それで、この根付はいくらかな」

「お前本当に揺るがないな?!」

 

目を剥いてこちらを向く桃弓木に、微笑みで返す。

彼は諦めたようにため息をついて、頭をわしわしと掻いた。

 

「いいよ、やる」

「こういう根付の相場は五文前後と聞くけど、これは細工が見事だね」

「話聞いて?」

「はい、八文」

「金を握らせる力が強い!」

 

 

貝殻を削り桃の花を形どった根付を、帯の間に差し込んだ。感嘆気味に指先で細工をなぞる。

良い買い物ができた。

歩くと軽やかに揺れる根付を見て笑みがこぼれる。

 

「店じまいは日暮れ?」

「一応そのつもりだったが……」

「そう。では私は寺を詣で、蕎麦を食べ、芝居を見て、甘味を喫してくるよ」

「待て」

 

弾んだ声でそう言って踵を返そうとしたら、低い声に引き留められる。

桃弓木が立ち上がった。

 

「何?」

「もう店じまいだ」

「いや、まだ昼過ぎ——」

「こんなんで商売なんか出来るか」

 

ぴしゃりと言い切ると、桃弓木は乱暴な手つきで、しかし品物は丁寧に布へ戻していく。

簪、扇子、手拭い。

 

「せっかく出店料を払っているのに」

「いいんだ。今日だけの分じゃない」

 

桃弓木はそう言いながら手を止めない。さきほどの花の根付があった場所へ、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

 

そうしてあっという間に店を片付けると、桃弓木は荷物を背負いこちらに向き直る。

 

「案内する。長屋に荷物置いてくるから、一緒に来い」

 

そう言う桃弓木の目は若干座っていた。

 

 

 

長屋に向かう道すがら、路地で目当ての店を見つけ足を止める。

遠くで子どもたちの声が跳ね回り、屋台の煮物の匂いがかすかに混じる。

 

「ちょっと待って」

「酒屋?飲むのか?言っておくが俺は一滴たりとも付き合えないぞ」

「知ってる。私も飲まないよ。知ってるでしょう」

 

そう話しながら買い求めた一分銀二つ分の酒を手に、今度は佃煮屋を覗いてつまみになるものを買う。

買い物の匂いと小さな路地の風が混じり、ほんのりと江戸の空気が肌に触れる。

 

「これで良し」

「いや完全に酒飲みの組み合わせじゃねえか」

「私たちのではないよ。よそ者が長屋に踏み入るなら、大家への挨拶が必要でしょう」

「律儀な……てかよく知ってるな」

「洒落本で読んだ」

「おう、そうか……」

 

ふふんと得意げに胸を反らす私を、桃弓木は温かさと呆れの混じった目で見ていた。

 

 

大家は険しい顔を手土産でわずかに緩める程度の気難しさだったが、挨拶は滞りなく済んだ。

周囲の住人には桃弓木の遠縁の者だと顔通しをすると、多少の好奇の目で見られても深入りはされない。

これが桃弓木の言っていた、人の出入りの多い江戸らしい距離感というものらしい。

 

「筋さえ通せば、うるさいことは言われない。お前の選んだ酒も良い気配りだった」

「それはよかった」

 

無作法で桃弓木に肩身の狭い思いをさせるのは本意ではない。

 

「荷物を置いて軽く整理するから、まぁ座って、待って、いて……くれ……」

 

そう言いながら桃弓木が長屋の戸を開けると、狭い室内に乱れた荷物が目に入る。

 

 

布団は片隅に折りたたまれ、紙や根付の箱が床に散乱している。

筆や墨壺、絵巻の下絵が無造作に置かれ、乾きかけの絵の具の匂いがかすかに鼻をつく。

火鉢には灰だけが残り、微かに熱を帯びている。

壁にかかった掛け物は歪み、部屋の空気は少し埃っぽい。

 

静寂が辺りを包み、外からかすかに聞こえる話し声や犬の遠吠えが、室内の静けさと対比していた。

 

「……さて、どこに座ろうか」

「あー……」

 

肩をすくめて見つめると、桃弓木は気まずげに頭をわしわしと掻く。

肩身を狭そうにしている無作法者は、すでに目の前にいたようだ。

 

 

桃弓木は埃を払いながら散らばった紙片を拾い、火鉢を少し寄せて私の座る場所を確保した。

私はそこに腰を下ろし、ちらりと散らかった荷物や道具に目をやる。

荒れた部屋にいることの落ち着かなさを肌で感じる。

桃弓木が精神を疲弊させたのは、ひょっとして不摂生が祟っていただけなのではあるまいか。

思わず心配と胡乱がない交ぜになった目を向けると、彼は焦ったように弁解し始めた。

 

「いつもはもうちょっと片付いているんだ!ただ途中で作業を中断したのもあって締め切りが迫っててだな……」

「うん、あのね、桃弓木……親しき仲にも礼儀ありって言葉、知ってる?」

「返す言葉も無い!」

 

そう言いながら彼は腰から上

体を折り、頭を深く下げる。

散らかった部屋の中でその仕草だけが妙に美しく、律儀さが際立って見えた。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

額月は軽く息をついて立ち上がると、こちらにも身を起こすよう促す。

 

「荷物を整理するのでしょう?二人でした方が早い」

 

額月はそう言うと、淡々と火鉢の周りの灰を払ったり、散らばった小物をまとめ始めた。

書きかけの下絵や図案などの紙、絵筆などには一切触れない。

自分の道具は自分で管理し手入れするもの、という前提のある動きだ。

いつもと同じ。

時と場を共にしても、こちらの領分を侵さない。

その振る舞いに、ああ、額月がここにいるのだと再確認する。

 

――額月が、いる。

 

胸の奥からじわじわと込み上げてくるものを感じながら、渡された紙屑で筆や皿を拭う。

時折確認のための声かけがある以外は静かな室内は、徐々に整っていった。

 

「こんなものかな」

 

掃いた塵や屑をまとめ終え、額月は息をつく。

荒れ果てた室内は、見違えるように清々しく整然としたものになった。

 

 

 

 

捨てる物をまとめた籠を受け取り表に出ると、幾人かの近所の者と目が合った。

軽く会釈をして、頭を掻きながらごみ置きの辻へ向かう。

 

どこにも野次馬というものはいるもんだ。

 

遠縁の者として面通ししたものの、まぁそうは受け取られていないだろう。

旅の女を引っ掛けて連れ込んだと見られているだろうが、仕方がない。

 

あの時、あのまま背中を見送るなんてとてもできなかった。

見失いたくない一心で長屋に連れてきたが、部屋の惨状なんて頭から抜けていた。

大家への挨拶や周囲への面通しも、言われて思い出したくらいだ。

 

自覚していた以上に冷静さを欠いていた。

 

山火事の報せを聞いた時だってそうだ。

あれほど取り乱すとは思ってもいなかった。

気付けば生活を投げ、走り出していた。

確かに気の置けない古馴染みだが、数年に一度顔を合わせるだけの仲だというのに。

 

だが、あれが嘘だったとも思わない。

 

辻で籠を空にすると、軽く叩いて塵を落とす。

乾いた音が、やけに大きく響いた。

 

少なくとも今は、息が整っている。

 

 

 

 

 

長屋から額月を連れ出し、街を散策しながら屋台で早めの夕餉を済ませる。

空はいつの間にか茜に染まり始めていた。

 

「布団を大家に借りに行くか」

 

日が落ちきってからでは、あまり良い顔はされない。

 

「ああ、宿はもう取っているから必要ないよ」

「……そうか」

 

さらりと言われた内容に、返事が遅れた。

そうだ。

ここは山中の庵じゃない、長屋だ。

一人暮らしの男の部屋に泊まる旅の女を、世間がどう見るかくらいわかる。

わかるはずなのに。

当然のように、彼女がうちに泊まるものと思っていた。

……まだ本調子じゃないらしい。

頭をわしわしと掻く俺を見て、額月は笑う。

 

「また明日、店を訪ねるよ」

「ああ」

 

そんなやり取りの後で見送った背中を、長屋の一室で寝転がって思い返す。

天井がやけに遠く、部屋が広く感じるのは、きっと掃除のせいだけではない。

 

 

 

 

 

それからというもの、額月は気ままに江戸を歩き回っては、時折店に顔を出した。

早朝、参拝の途中らしい姿を見かけることもあれば、昼頃に焼き団子を手に現れることもある。

決まって夕方になると、店じまいの帰りに夕餉を共にした。

その席で額月は、巡った場所の話を目を輝かせて語る。

その土地の逸話などを教えてやると、もっと聞かせろとせがまれ、つい得意になって語り込んだ夜もあった。

 

桜も散り、門前市の出店の権利がそろそろ切れる頃。

いつものように夕餉を囲んだ席で、額月は天気の話のような気軽さで言った。

 

「明日発つよ」

「……まだ回り切れてないんじゃないか?」

 

その言葉に、額月は笑う。

 

「うん。だからまた来る」

 

息をついて初めて、息を止めていたことに気付いた。

 

「そうか」

 

なら、それでいい。

それでも足りない気がした理由は、考えないことにした。

 

 

 

翌朝。

夜の名残が薄く残る大通りは、まだ人影もまばらだった。

 

「ここまでで良い」

「おう」

 

白みはじめた通りに、朝の光が落ちている。

 

「では、行くよ」

「ああ」

 

額月はいつも通りの声音でそう言い、歩き出した。

 

呼び止める理由はない。

また来ると言った。

それで足りるはずだ。

 

背は、振り返らない。

やがて町の向こうへ消える。

――そこでようやく、息をついた。

 

胸の奥に、わずかな空白が残る。

名をつけるほどのものではない。

ただ、少しだけ静かだった。

やがて人通りが増えはじめ、踵を返す。

 

今日も店を出す。

いつも通りに。

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