6月。
名古屋の空は、夏へ変わる途中の色をしていた。
朝の時点で既に気温は高い。
だが海沿いを吹く風だけは少し涼しく名古屋港駅から地上へ出た瞬間、私はわずかに肩の力を抜いた。
地下鉄名港線。
休日。
観光客。
ホシノが眠そうに欠伸をしていた
「……先生、まだ〜?」
改札横。
ベンチへ腰掛けたホシノが、気怠げにこちらを見る。
薄い青のニット。
白いスカート。
肩掛けバッグ。
制服ではない私服姿。
朝の光を受けた桃色の髪が、やけに柔らかく見えた。
「待たせたかな?」
「ん〜?十分くらい?」
「それは普通に待たせてるね……」
「でもおじさん優しいから許してあげるよ〜」
そう言いながら立ち上がる。
その瞬間、ふわりと風が吹いた。
長い髪が大きく揺れる。
ホシノは少し目を細めて夏の光を見上げた。
「今日は絶対暑くなるねぇ」
「海沿いだからまだマシだと思いたいけどね……」
「先生も、もうちょっと夏っぽい服にすればよかったのに」
「十分夏服だと思うんだよね」
「いや絶対暑いってそれ〜」
くすくす笑う。
その笑い方を見て私は少しだけ安心する。
ここ最近ホシノの私も忙しかった。
アビドス関連の案件。
連邦生徒会からの依頼。
対策委員会の雑務。
本人は相変わらず気怠げに振る舞っていたが疲労は確実に溜まっていた。
だからこそ今回の外出は少しでも気分転換になればいいと思っていた。
「ほら先生、早く行こうよ〜」
ホシノが袖を軽く引く。
そのまま二人で歩き出した。
名古屋港水族館までの道はどこか開放感がある。
空が広い。
ビルに囲まれたキヴォトス中心部ではあまり感じない感覚だった。
やがて見えてくる巨大な白い建物。
名古屋港水族館。
南館と北館から構成される日本でも有数の大規模水族館。
イルカ。
シャチ。
ベルーガ。
ペンギン。
深海生物。
特に“南極への旅”をテーマにした展示は有名で、南極観測船ふじとも隣接している。
「お〜……」
ホシノが素直に声を漏らした。
「でっか〜」
「実際かなり大きいからね」
「先生、ここ初めて?」
「私は昔に一度だけ来たことがあるんだ」
「へぇー」
「ホシノは?」
「私は初めて〜」
その言葉と同時。
ホシノの瞳が少しだけ子供みたいに輝いた。
階段を上がると入口前には多くの人がいた。
家族連れにカップルに観光客に学生。
ホシノは笑った。
ほんの少しだけ視線が私を見て逸らして小さく呟く。
「……かも」
「ん?」
「こういうの……」
「なにが?」
「ううん。みんな楽しそうだし〜」
確かにそうだった。
水族館という場所そのものが持つ空気。
海。
光。
非日常。
そして“誰かと来る場所”という独特の感覚。
それら全部が混ざり合って、この場所特有の穏やかさを作っている。
ホシノはそれを感じ取っているのかもしれない。
「じゃあ行こっか先生」
そう言ってホシノは先へ歩き出す。
長い髪が夏の風に揺れていた。
その背中を見ながら、私は静かに思う。
──今日は、きっといい一日になる。