「彼氏を作るための作戦会議をしよう」
「男子の黒タイツエロすぎ」
「私たちいつまでも親友でいような」
世界が10センチ下がった。なんの前兆もなく、唐突に。
何が起こったのか理解できなかった。床を見下ろし、天井を見上げ、辺りを見回す。
いつもより視界が低い。自分の背が縮んだ――としか思えない。
土曜日の正午、お昼を食べようと思い、自室から廊下に出たタイミングの出来事だった。
「えっ……えっ!? な、なにこの声!?」
声が、男子のような声になっていた。
「あ、あ~、あいうえおっ、うわ声可愛いっ……!」
地声がASMRみたいな、マイナスイオン溢れる声質だった。
とんっっっでもなく可愛くてエロい、男子の声だ。
この瞬間、私の脳裏に
私は自室に戻り、鏡を確認する。
美少年がいた。
どの学校の、どのクラスにいても、一番可愛い美少年がいた。
艶のある黒髪。首の中ほどまでのセミロング。ウルフっぽく無造作に跳ねた髪質。
切れ長の瞳。鋭く冷ややかな眼差しは、威圧感のある美しさを帯びている。
男子だ。自分の頬に触れて確かめてみる。鏡の中の美少年も、頬に触れている。
TSしてしまった。
男の身体になってしまったのだ。
私は、おそるおそる、自分のズボンに手を掛ける。いけないことをしている気分だった。しかし同時に、期待と昂揚感もあった。
そして――。
*
私はベッドに座り、ズボンとパンツを穿き直した。
人生で初めて、生で男のチ○ポを見てしまった。
エロすぎた。生のエロさは迫力が違う。マジでエロかった。
しかも――チ○ポを見れたことで興奮し、勃起してしまった。
どうすればいいのか分からず混乱したが、その内に収まった。
勝手に戻るのすごいな。というか勃起って痛くないんだ。
私は一旦落ち着く。状況を整理しよう。
私はTSしてしまった。最近増加しているというTS病だろう。
病院、行かなきゃな……。
私は再び自室を出て、階段を下りて一階へ。リビングには父がいた。その第一声は――。
「うわあ!?!?!? 誰!?!?!?」
「私、澪だよ。TSしちゃった。病院連れてって」
*
父同伴で、病院へ来た。父は私を心配し、不安そうにしていた。
「交代性性転換病P型。通称『TS病』ですね」
医師に下された診断は、予想された通りのものだった。
「澪さんの場合は、午後だけTSしてしまうパターンですね。午前は女ですが、午後は男になってしまいます」
さらに、医師はTS病についての説明を続けた。曰く――。
元の体に戻るためには手術が必要。術前術後合わせて、二週間の入院が必要。
身体に害のある病気ではない。命に関わるようなこともない。
手術は都合の良い時、いつ受けてもよい。話し合いの結果、およそ半年後――夏休みに手術を受けるのがよい、という結論になった。夏休み中なら、二週間入院しても勉学に影響がないためである。
そして、私は父と共に帰宅した。仕事中の母と一人暮らしの兄にも、状況をまとめてラインで送っておいた。
吉乃にも連絡しようと思ったのだが、入力途中で手を止める。
いや待てよ……。突然男として現れてビックリさせたら面白いかも。あいつ、どんな顔するかな。
私は吉乃に『明日遊ばない? カラオケ行こうぜ』とだけメッセージを送った。すぐに既読が付き『行くわ』と返信が来た。
だめだ、笑みを堪えきれない。勝手に口角が上がってしまう。
そして、私は黒い悪戯心を抱えたまま、男性服を買いに出かけることにした。
*
翌日――日曜早朝。目覚めると、体が女に戻っていた。
すごい、本当に午前と午後で入れ替わるんだ。不思議すぎる。
そして、正午になると――男の体になった。背が低く、手は小さく、顔は可愛く、下半身にはアレが付いている。
なんの前兆もなく静かに変化するのでビックリする。慣れるまで時間が掛かりそうだ。
そして、男性服に着替える。白いブラウス、黒のアウター、デニム。いずれも昨日買ってきたものだ。
ちなみに、下着は流石に恥ずかしくて買えなかった。でも、体が縮んで微妙にサイズが合わないので、やっぱり買わないといけないのだろう。
これで準備は完了だ。私はワクワクしながら出発した。
*
駅前の待ち合わせ場所についてすぐ、ふわふわ金髪ハーフツインテの女を見つけた。吉乃だ。ベンチに座り、スマホをいじっている。
「おまたせ、吉乃」
吉乃が驚きながら顔を上げる。丸い瞳が、大きく見開かれる。彼女はスマホを持ったまま、何も理解できていない表情で固まった。
「ごめんね、待った?」
「えっ、えっ、えっ、だ、誰っ?」
「分からないの? ひどいなあ、親友だっていってくれたのに」
「えっ、えっ? 私に男友達なんてひとりもいないんですけど」
吉乃は困惑している。全く面識のない美少年から唐突に話しかけられ、混乱状態だった。
「ま、マジで誰?????」
吉乃はすごい速度の瞬きをしている。超高速で、過去に会った男性たちの中から該当者がいないか思い出しているのだろう。
「私、澪だよ。琴澪」
「は?????」
「お前の親友の澪だよ。TSしちゃった」
「はっ、はあっ!? な、なにいって……? ど、ドッキリ? あいつの知り合い?」
吉乃は信じていないようだ。無理もない。
私はスマホを取り出し、ラインのトーク履歴を見せる。そこには、私と吉乃のやり取りが映っている。
「ほら」
「え、ま、マジ!?!?!?!?!?」
「うん、マジ」
「お前澪なの!?!?!?!?!?」
「うん、澪だよ。とりあえずカラオケ行こうよ。ゆっくり話したいから」
そして、私と吉乃は徒歩数秒のところにあるカラオケへ入った。狭い部屋で、向かい合って座る。
吉乃は動きがぎこちなく、視線も落ち着かない。まるで、初めて男子と出かける女子のようにガチガチだった。
「なんで緊張してんの?(笑)」
「だ、だって、こんな可愛い男子とふたりきりだし……」
「でも中身は私だぞ」
「それ、微妙に信じてないんだけど。スマホもあいつから預かってるだけかもしれないし」
吉乃は半信半疑の様子で、私を見ている。
「なら、私たちしか知らない質問して確かめてみれば?」
「な、なるほど……。じゃあ、先週の彼氏会議*1の議題は?」
「狙う相手を決めよう、だったな」
「うお、マジか……じゃあ私の好きなゲームは?」
「スマブラとマリカー。ソシャゲはヒプマイと
「すご……マジで澪なの?」
「そうだよ」
吉乃は信じられないものを見る目で私を見ている。ようやく疑心が消え、状況を飲み込んできたようだった。
「信じてもらえた?」
「一応、最後の質問な。私の性癖は?」
「足フェチ。特に黒タイツ」
「うわマジかよ」
吉乃は苦笑しながらテーブルに突っ伏す。少し耳が赤くなっていた。
「一番オカズにしたキャラは京極政宗」
「うわ~~~~~!!!!! そこまで聞いてないだろ!」
吉乃の顔が爆発的に赤くなる。火を吹いて倒れそうなくらいの赤面だった。
「うわ顔赤っ。なに恥ずかしがってんだよ。いつもこういう会話してるだろ」
「だって、可愛い男子にそんなこと言われると……」
吉乃はまだ顔を赤くしたままモジモジしている。なんだこいつ。
「中身は私だ。男扱いするな」
「そんなこといきなり言われても……」
そういえば、話さないといけないことが沢山あった。そろそろ本題に戻ろう。
「ともかく、私が澪だと信じてもらえたところで、色々話しておきたいことがある」
そして、私はTS病について詳しく話した。
「――ということで、夏休みに手術を受けることにした」
「夏休みに二週間入院って、だいぶキツくね?」
「まあそうだけど、どうせ何もすることないし」
「というか夏休みまでそのまんまって、あと半年あるじゃん」
今は一月上旬。夏休みは七月下旬から八月末。あと六か月以上ある。
「それまではこの体質のままになるけど、よろしくな」
「お、おう。うん、よろしく」
吉乃の瞳はキラキラと輝いていて、口角も上がっている。なんでちょっと嬉しそうなんだコイツ。
「じゃ、なんか歌うか」
*
カラオケを楽しんだ後、私たちは店を出た。
「男物の服買いに行くから付き合ってよ」
「ん、いいよ」
そして、私たちは駅ビルに入り、アパレルショップを見て回ることにした。のだが――。
こうして横に立っていると、身長差を感じる。本来私と吉乃は同じくらいの身長なのだが、今は私が10センチ縮んでしまったので、吉乃を見上げる形になる。
「むぅ……」
「なんだよ」
「吉乃に見下ろされるのムカつく」
「なんか今のお前小っちゃいせいか可愛いな」
吉乃は余裕そうな笑顔で、私を見下ろしている。
くそっ……ムカつく……。
*
ちょうど閉店セールで全商品2000円以下の店があったので、コートとアウターを買った。
「吉乃、ここからが問題なんだけど」
「問題?」
「下着を買わないといけない」
「えっ」
――そして、私たちは、別の店の男性用下着売り場へ移動した。
「わ、私入っていいの……?」
「今の私と一緒なら大丈夫だろ」
私と吉乃は下着売り場へ入った。何人かの男性客がいる。
オシャレなパンツとインナーが並んでいる。男性マネキンが何体か並んでおり、いずれも煽情的な下着を身に着けている。
「澪、これエロくね?」
「ほとんど透けてるじゃんこれ」
「買ったら?」
「こんなの穿くわけないでしょ」
私はなるべく普通の下着を探す。吉乃は商品を見ながら――。
「クラスの男子もこういうの穿いてんのかな」
「穿いてるんじゃない?」
「穿いてるとこ見てえな~」
「それな」
ということで、派手すぎず地味すぎず、普通の下着を買った。とりあえず、必要な物は大体揃った。
もう用もないので、私たちは電車に乗って帰ることにした。日曜の割にはガラガラだ。車両内は静かで、喋っているのは私たちだけだ。
「なんか今日、すっごい満足感あった。隣に可愛い男子がいるってだけでこんな楽しいんだな」
「中身私でも?」
「うん」
「なんでだよ」
私は、少しだけ抗議の意を込めた眼差しで、吉乃を見る。
「吉乃」
「ん?」
「ないとは思うけど、私を男として見るのはやめろよ」
「…………」
「なんだよその沈黙は」
「検討させてください」
「何をだよ!!!!!」
吉乃は、私の顔をじっと見る。
「ほんと可愛いよなあ」
「同意だけど、お前から言われるのはキモい」
「酷すぎだろ」
私も、男子の私の姿は可愛いと思う。すごい美少年だ。
ただ、吉乃から『可愛い』と言われるのは変すぎる。ありえない。
最寄り駅で降り、徒歩で自宅へと向かう。夕焼けに照らされ、住宅街が橙色に染められている。
途中までは吉乃と同じ帰路だ。
突然、歩道上で、吉乃は私と位置を入れ替えるように、あえて車道側の方へ行った。
「なんでわざわざ車道側歩くんだよ」
「女は車道側歩くべきだろ」
「私も女なんだけど」
――分岐点だ。ここを直進すると吉乃の家、右折すると私の家だ。普段、私たちはここで分かれている。
「じゃあまた明日な、吉乃」
「あ、澪、もう遅いし送っていくよ」
「なんでだよ! 普段そんなことしないだろ! 私を男扱いするな!」
「澪のことが心配なんだよ」
「やめろキモいから! 優しくすんな! 気も遣うな!」
吉乃は何か言いたげに腕を伸ばしたが、私は背を向けて走り出した。
「吉乃のば~~~か! 処女!!!」
「大声でそんなこと言うな!!!!!」
しばらく走ってから振り返ると、吉乃は既にいなくなっていた。
私はとぼとぼと帰路を歩く。冬の冷たさを感じさせる風が、私の髪を揺らした。
――澪、もう遅いし送っていくよ。
――澪のことが心配なんだよ。
キモすぎる。普段は絶対そんなこと言わないのに。
それに、私を見る目が変だった。
吉乃の視線は、妙な妖しさを帯びていた。なにかジトっとした感情を宿していた。
具体的には「どしたん話聞こか?」的な雰囲気があった。
もう一度振り返り、さっきまで吉乃のいた場所を見つめる。
だ、大丈夫だよな? 私たち、親友だもんな……?