ONE PIECE 〜船大工レイン〜 作:ペンギンって可愛いですよね
一心道場の庭に、静かな空気が流れていた。
朝の陽射しはまだ柔らかく、木々の葉を揺らす風が心地よい。
そんな穏やかな空間の中央で、レインは手にした木刀を軽く振った。
思ったよりも重い。
だが不快ではない。
むしろ手によく馴染む。
向かいにはシモツキ・コウシロウ。
一心道場の師範であり、後に世界へ名を轟かせる剣士たちを育てる男。
その表情は穏やかだった。
だが隙はない。
まるで静かな湖のようだ。
何もないように見えるのに、どこから手を出しても飲み込まれそうな不思議な圧力を感じる。
レインは小さく息を吐いた。
「よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
コウシロウも木刀を構える。
その姿はあまりにも自然だった。
力みがない。
威圧感もない。
それなのに目を離せない。
横ではルークが腕を組んで見守っていた。
「社長、頑張ってください」
「おう」
レインは笑って答える。
だが内心では気を引き締めていた。
相手は剣術の達人だ。
油断するつもりはない。
「では、始めましょう」
コウシロウの声が響く。
次の瞬間、レインは地面を蹴った。
一直線。
迷いなく踏み込む。
木刀を上段から振り下ろした。
鋭い一撃。
普通の相手なら避けるか受けるしかない。
だが、コウシロウは半歩だけ身体を動かした。
それだけだった。
レインの木刀は空を切る。
「なっ——」
次の瞬間、胴に木刀が添えられていた。
いつの間に。
何をされた。
まるで見えなかった。
レインは慌てて距離を取る。
コウシロウは微動だにしていない。
まるで最初からそこに立っていたかのようだった。
(今のは……)
見聞色ではない。
そう直感した。
純粋な技術。
長年積み重ねてきた経験。
その差だった。
「続けますか?」
穏やかな声。
レインは口元を吊り上げる。
「もちろんです」
次は横薙ぎ。
そこから返す刀。
さらに突き。
海賊相手なら十分通用する連撃。
しかし、当たらない。
避けられる。
流される。
受け止められる。
まるで子供を相手にしているかのようだった。
汗が額を流れる。
だが不思議と悔しさより興奮が勝っていた。
強い。
本当に強い。
今まで出会った者たちとはまるで違う。
技術だけでここまで戦えるのか。
何度も打ち込む。
何度も踏み込む。
しかし結果は同じだった。
十分ほど経った頃。
レインは大きく踏み込んだ。
これまでで最速の一撃。
全身の力を乗せた渾身の振り下ろし。
だが、コウシロウは静かに木刀を動かした。
カンッ!
乾いた音が響く。
レインの木刀が大きく弾かれた。
体勢が崩れる。
その隙を逃さない。
トン。
木刀の先端が首元で止まった。
勝負あり。
静寂が訪れる。
レインは数秒固まった後、大きく息を吐いた。
「負けました」
「はい」
コウシロウは穏やかに頷いた。
ルークが近付いてくる。
「レインさんでも負けるんですね」
「うるさい」
「いや、ちょっと安心しました」
「どういう意味だ」
「最近の社長、何でも出来すぎなんですよ」
ルークが肩を竦める。
レインは思わず苦笑した。
確かにそう見えるかもしれない。
前世の知識。
技術力。
商売の経験。
それらを使ってここまで来た。
だが、今の勝負で思い知らされた。
自分にはまだ足りないものが山ほどある。
コウシロウが木刀を脇へ置く。
「どうでしたか?」
「強かったです」
「そうですか」
「俺、自分では結構強い方だと思ってたんですけどね」
その言葉にコウシロウは小さく笑った。
「強いですよ」
「え?」
「同年代ならまず負けないでしょう」
レインは少し驚く。
だが続く言葉は予想外だった。
「ですが」
コウシロウは静かに言った。
「君はまだ剣士ではありません」
「……」
レインは目を瞬かせる。
「戦い方は知っています」
「はい」
「勝ち方も知っています」
「はい」
「ですが剣を知りません」
その言葉が胸に刺さる。
言われてみればその通りだった。
今まで誰かに剣を習ったことはない。
見よう見まね。
実戦。
独学。
それだけだ。
「誰かに剣術を教わった経験は?」
「ありません」
「やはり」
コウシロウは納得したように頷いた。
「君は未完成です」
「未完成……」
「ですが、それは悪いことではありません」
穏やかな声。
「むしろ良いことです」
「どうしてですか?」
「伸びしろがあるからです」
レインは黙る。
コウシロウは続けた。
「才能はあります」
「身体能力もあります」
「集中力もあります」
「だからこそ、基礎を身につければ大きく伸びるでしょう」
レインの胸が高鳴る。
基礎。
それはつまり。
ここで本格的に剣術を学べるということだ。
「では明日から始めましょう」
コウシロウが言った。
レインは身を乗り出す。
「剣技ですか?」
「型ですか?」
「それとも奥義ですか?」
期待が膨らむ。
未来の大剣豪たちを育てる道場だ。
何か特別な修行があるに違いない。
そんなレインを見て。
コウシロウは優しく微笑んだ。
そして。
「まずは素振り千回です」
「……はい?」
「朝千回」
「え?」
「夕方千回」
「待ってください」
「基礎です」
レインは固まった。
完全に固まった。
横で聞いていたルークが吹き出す。
「ぶはっ!」
「社長、頑張ってください」
「いや待てルーク!」
レインは思わず叫んだ。
「俺は今まで海賊とも戦ってきたんだぞ!?」
「知りません」
ルークは即答した。
「社長が強いのと基礎が出来てるのは別の話です」
「なんでお前まで説教側なんだよ!」
「コウシロウ先生が正しいからです」
レインは天を仰いだ。
まさか十三歳になって今さら素振りからやり直しになるとは…
前世でも思わなかった。
そんな彼を見て、コウシロウは静かに笑う。
「大丈夫ですよ」
「最初は皆そう言います」
「……皆?」
「ええ」
コウシロウは頷く。
「そして数年後には、素振りこそが最も大切だったと気付くのです」
その言葉には妙な説得力があった。
レインはしばらく黙り込む。
そして観念したように肩を落とした。
「……分かりました」
「お願いします」
「はい」
コウシロウは満足そうに頷いた。
こうして、未来の船大工であり商会の社長であり、後に世界を揺るがす男の剣術修行は。
誰もが通る当たり前の基礎から始まることになったのであった。