ONE PIECE 〜船大工レイン〜 作:ペンギンって可愛いですよね
シモツキ村での生活が始まって三日が経った。
レインは今、人生で何度目かの大切な事実を学んでいた。
基礎は辛い。
それもとてつもなく辛い。
朝…まだ日が昇りきる前から一心道場には門下生たちが集まり始める。
誰かに言われるわけでもない。
皆が当たり前のように木刀を手に取り、素振りを始める。
シュッ。
シュッ。
シュッ。
規則正しい音が庭に響く。
レインもその輪の中にいた。
三日前までは、この光景を見ても何も思わなかった。
だが今は違う。
あの音の一つ一つの裏に積み重ねられた努力があることを知っている。
木刀を握る。
まだ腕には昨日の疲労が残っていた。
肩も重い。
手のひらには豆ができ始めている。
だが構える。
そして振る。
シュッ。
振る。
シュッ。
振る。
シュッ。
単純な動作だ。
あまりにも単純すぎる。
だからこそ誤魔化しが効かない。
力を抜けば分かる。
集中を切らせば分かる。
一振りごとに自分の状態がそのまま表れる。
レインは黙々と木刀を振り続けた。
二百回。
三百回。
四百回。
額から汗が流れる。
腕は徐々に重くなっていく。
だが初日よりはマシだった。
ほんの少しだけだが、自分が慣れてきていることも分かる。
そして五百回。
休憩の合図がかかった。
レインは縁側へ腰を下ろした。
木刀を脇に置き、大きく息を吐く。
「お疲れ様です」
隣へコウシロウが座った。
「お疲れ様です」
レインも頭を下げる。
少しの沈黙。
その後、レインは前から抱いていた疑問を口にした。
「先生」
「はい」
「やっぱり素振りって大事なんですか?」
コウシロウは穏やかな表情のままレインを見る。
「まだ疑っていますか?」
「正直に言うと」
レインは苦笑した。
「少しだけ」
「俺は船大工ですけど、技術を学ぶ時は実際に作った方が早いんです」
「営業も同じでした」
「実際にやってみないと身につかない」
「だから素振りだけで強くなると言われても、まだ実感がないんです」
コウシロウは黙って聞いていた。
否定しない。
叱らない。
それから静かに庭を見つめた。
門下生たちは休憩中でも木刀の手入れをしたり、自主的に型を確認したりしている。
「レイン君」
「はい」
「船を作る時、いきなり完成品を作れますか?」
「無理です」
即答だった。
「設計図も必要ですし、材料の選定も必要です」
「部品も作らないといけません」
「何より基礎技術がなければ船は完成しません」
「その通りです」
コウシロウは頷く。
「剣も同じですよ」
レインは黙った。
「皆、技を覚えたがります」
「強くなりたがります」
「ですが、その前にやることがあります」
コウシロウは自分の木刀を手に取る。
「振る」
一振り。
無駄のない動きだった。
「また振る」
二振り。
先程と全く同じ軌道。
全く同じ速度。
全く同じ姿勢。
「そしてまた振る」
三振り。
寸分の狂いもない。
レインは思わず見入っていた。
単純な動作なのに美しい。
それは技よりも洗練されて見えた。
「一万回振った剣と、一回しか振っていない剣」
コウシロウは言う。
「どちらが速いと思いますか?」
「一万回です」
「何故でしょう」
「体が覚えているからです」
答えながら気付く。
それは船大工も同じだった。
金槌を振る。
木材を削る。
設計図を描く。
何度も繰り返したからこそ今の技術がある。
前世の営業だって同じだ。
最初から上手く話せたわけではない。
何百回も失敗し、何千回も会話を重ねたから結果が出た。
それなのに剣だけは近道を探そうとしていた。
「なるほど」
レインは思わず笑った。
「耳が痛いです」
「そうですか?」
「はい」
苦笑しながら頷く。
「俺、自分で思っていた以上に近道を探していたみたいです」
コウシロウは静かに笑った。
「皆そうですよ」
休憩が終わる。
再び素振りが始まった。
レインは木刀を握る。
先ほどまでと同じ木刀。
同じ重さ。
同じ場所。
だが不思議と見え方が違った。
シュッ。
振る。
シュッ。
振る。
シュッ。
一振り一振りに意味がある。
そう思うだけで退屈さは消えていた。
一方その頃。
ルークは裏庭で瞑想を続けていた。
目を閉じる。
呼吸を整える。
最初は苦痛だった。
何も考えないなど無理だった。
だが少しずつ変化が現れていた。
風が吹く。
葉が揺れる。
鳥が鳴く。
遠くから波の音が聞こえる。
以前よりも鮮明に感じられる。
そして、その時だった。
誰かが近付いてくる気配を感じた。
音ではない。
足音も聞こえていない。
それでも何となく分かった。
ルークは目を開く。
そこには年配の門下生が立っていた。
「気付きましたか」
「え?」
「私が近付くのが分かりましたね」
ルークは驚いた。
確かに分かった。
何故かは説明できない。
だが分かった。
「それが武道の第一歩です」
門下生は静かに言った。
「周囲を知ること」
「自分を知ること」
「そして相手を知ること」
ルークは無意識に頷く。
まだ理解はできない。
だが確実に何かを掴み始めている気がした。
夕方。
その日の修行が終わる頃には、レインの表情は三日前とは別人になっていた。
疲れている。
腕も痛い。
全身も重い。
だが嫌ではない。
むしろ明日もやろうと思える。
そんな自分に少し驚いていた。
「明日も頑張ります」
帰り際、レインはそう言った。
コウシロウは満足そうに頷く。
「ええ」
そして穏やかな笑みを浮かべた。
「一年後が楽しみです」
レインは思わず目を瞬かせた。
「一年後ですか?」
「はい」
コウシロウは迷いなく答える。
「君ほどの才能を持つ者が、真面目に基礎を積み重ねたらどうなるのか」
「私はそれが楽しみなのです」
レインは思わず木刀へ視線を落とした。
一年……長いようで短い。
だが何かを変えるには十分な時間だ。
「それは俺も楽しみですね」
そう答えると、コウシロウは嬉しそうに頷いた。
夕日に染まる一心道場。
その景色を見上げながら、レインは静かに思う。
ここへ来て良かった。
強くなるための近道はない。
だが遠回りだからこそ得られるものがある。
そんな当たり前のことを、改めて学び始めていた。
こうしてレインとルークの修行の日々は、少しずつ、しかし確実に実を結び始めるのだった。