倫敦の夜は寒い。
日本からやってきて一週間が過ぎたが、さすがに一週間程度ではこの気候の変化に身体が馴染む気配はない。
「シロウ。このような感じでしょうか?」
「ああ、いい感じ。それをまとめて鍋に入れて泡が目立ち始めたら教えてくれ」
衛宮邸よりも広いキッチンには俺とセイバー。ここのキッチンにもそろそろ慣れてき始めたと思う。
初日はロンドンの食を直に感じて、色々と苦労するだろうなという気持ちを苦虫を潰したような顔をしていた金髪の彼女、遠坂のサーヴァントであるセイバーを見てそう直感した。
持ち込んだ調味料の類に感謝をしつつ残量の心配と追加分の入手方法を考えながら、それでもなんとか二人の食生活を維持しなければと気合を入れ直す。
と言いながらも、この国のフィッシュ&チップス等に手を伸ばしたい欲求には逆らえなく、その時の食事時にじっとりとした視線を頂戴したことは記憶に新しい。
「ただいまーー」
「おかえり遠坂。悪い、晩飯まだなんだ。もう少し待ってくれ」
「いいわよ。先にシャワー浴びちゃうから。もうくたくた」
そう言って遠坂は自室へ消えていく。
遠坂凛、セイバー、俺こと衛宮士郎が生活しているのは時計塔の学生寮のひとつだ。
と言っても時計塔の学生寮は学部ごとに其々の寮があるらしく、遠坂は宝石魔術を扱う魔術師であるから鉱石科。
ロンドンに来る前から遠坂による個人授業を受けていたとはいえ、俺はそもそも基礎的な知識が欠落している事もあり、必修科目である全体基礎から取り組んで行くことになっている。
しかし、ゆくゆくは俺も何らかの専門学部に行くことになるので遠坂とは離れて生活することになる。
それはまあ、個人的にも嫌なので、そう言ったことも見越して学部とは関係のない寮での生活ということになった。
俺のようなまだ専門の学部での授業や研究をしない人間達もいれば、学部での仕来りなどを嫌がる者もいる。
ここはそういった人間などを集める寮でらしく、こういった形式の寮は少ないので時計塔の方がそのような人間に対応し専用の寮を緊急で拵えたらしい。
そんなことよりも、俺が初めてこの部屋に来たときに思ったことはとにかく広い。それはもう広かった。三人で住むのだから勿論部屋は広めの方が良かったが、まさか本当にこんな部屋を用意するとは思えなかった。
俺と遠坂とセイバー各々の部屋を持てたことが何よりも、
「…ありがたい話だよな」
「はい? 今なにか?」
「いや、なんでもない。そろそろ泡が目立ってきたな。次は───」
こんな風に、俺たちの英国での生活は始まった。
Fate/extra days
ーーー第一話ーーー
「で、士郎はどうなの?向こうは?」
食事後の休憩の最中。三人揃ってテーブルにて紅茶を嗜んでいる時に遠坂の言葉が俺に刺さる。
「向こうって、なにがさ?」
「決まってるでしょ。講義よ講義。ちゃんとついていけてるのかってことよ」
疑わしげな目で見つめてくる遠坂。
確かに俺は遠坂凛の弟子として時計塔に来た訳だから、俺の評価は師である遠坂の評価になる。そういったものは時計塔ではそれぞれの専門科のロードの意見などにも影響し、悪目立ちするか、そうでないかで見られ方が180度違ってくるんだろう。
ましてや俺は素人同然。そんな目を向けられても仕方が無いといえば仕方が無いか。
「ん、ぼちぼちって感じかな。今のところは特に問題はない……と思う」
習い始めてからまだ3回だが、とりあえず今の時点では分からないところはない。遠坂との授業の成果ははっきりと出ている証拠だ。最も、俺の理解の仕方がそのままそっくり正解であるならだが。
「いまいち期待をさせない言い方ねぇ。まあ分からないところがあったらどんどん言ってよね。『それなり』には教えてあげなくもないから」
「ああ……頼りにさせてもらうよ」
不吉な笑みを見せてくるがそれはつまり、「頼るのはいいけど、頼りすぎるのは自分の為にならないからね」と一応の釘のつもりなんだろう。
俺としても、遠坂を頼りすぎるのは悪いので少しでも一人前として自立して行かなくちゃならない。
「遠坂の方こそ大丈夫なのか?無意味に敵を増やしたりしてないだろうな」
「失礼ね。軽々しく敵は作らないわよ。それはそれでちゃんと線は引くし、そういう意味でも士郎よりは上手く立ち回れると思うし」
「………………」
「ち、ちょっと、なんで二人して無言で見つめてくるのよ!」
ラインは繋がっていなくとも俺とセイバーは同一の思想を浮かばせているはずだ。遠坂の致命的な欠点。
「そうは言いますが凛の肝心な所でのツメの甘さは軽視できません」
ありがとうセイバー。俺の代わりに言ってくれて。俺ならどうせ衛宮くんと呼びながら例の笑みを向けてくるに違いない。
「な、なによ、私だっていつまでもそんなことはないはずよ!多分」
「多分と言っているようではまだまだです、凛。だいたい──」
なんだかセイバーのお説教タイムに突入している気がする。聖杯戦争が終わってからのセイバーはこういった年上目線での説教が多くなってきたような気がする。そんな様子も、セイバーの持つ独特な雰囲気と相俟って違和感を感じることはない。
──まあなんだ、俺にセイバーのお説教の火が飛んでこない内にキッチンで紅茶を入れ直そう。
「いってらっしゃい、シロウ」
「うん。今日は昼頃には帰るから、昼飯少しだけ待っててもらってもいいか」
「はい、凛は自分で済ませると言っていました」
翌日の朝。
セイバーに見送られて寮を後にする。
以前遠坂にこんな感じの俺とセイバーの光景を見られた時になんだか怒ってるような気がしたんだが、まあ気のせいか。よく鈍感と言われるもんな。
そんな遠坂は先に寮を出て行ってしまった。そもそも俺と遠坂じゃ受講するものが違うので、講義の始まる時間なども違ってくる。ちなみに遠坂は鉱石と現代魔術論を取ったらしい。
俺はというとセイバーと昼飯の約束を取り付け、今日の講義に向かう。
必修である全体基礎は魔術に対する常識も常識という初歩を教える授業だ。自分達の可能性を探る為の重要なものであるので、時計塔入学以前から自身の魔術師としての得意分野などを見極めているものは、基礎などをすっ飛ばし専門の学部での行動となるが、それが分からない半人前達はまずそれを見つけなければならない。
と言うが俺の場合、投影というものが既に自身にとっての得意分野になっているから、遠坂には主体としては『創造』で予備として『伝承』や『現代魔術論』を選択すればという言葉を貰っているが、それはこの基礎の講義の中で、自分で決めていかなければいけない。
専門学部での寮というのはその近辺での生活を余儀無くされる。各学部ごとにひとつの集団としての学校のように機能し『庭』という名前を遠坂は口にしていた。そこに生涯引きこもることもあれば別の学部に移る為に住まいそのものを変えることもある。
それを考えると、やはり色々な意味で窮屈な思いをしそうなものだと思う。
時計塔近郊に各地点に散らばった幾つもの研究棟などと共に設置された講義室。大英博物館などにも居を構える魔術師達のテリトリーの中で、俺の受講した全体基礎の講義場所である時計塔内部は実に広大だ。
用意されていない時計塔内の見取り図などは存在せず、その中をひたすらに歩き回り目的地を目指す。不慣れな場所というのはそれだけでそこに拒絶されている気がするのだが、そういった気を振り払い、とりあえず覚えたての英語力を発揮して講義室を聞く。
そうして覚えたいつもの講義室も通い始めてまだ3回程度ではやはりまだ緊張する。日本人はいないし、まだまだ慣れない言語での会話のせいでこっちから話しかけることは少ない。
この全体基礎の講義受講者は俺の想像よりもずっと多かった。何せ俺の中の魔術師といえば遠坂やあのキャスターなどといった面々が多く、俺のような半人前が学ぶような勉強などは皆入学以前から教わっているんだろうと思っていたのだ。
しかし、実際こうして現実を見てみれば俺と同じように基礎から学びに来ている者が大勢いた。ほっとするような、この中で埋もれないような力を身につけていかなければいけないのだと緊張するような気持ちが半々だ。
「ねぇ、キミ」
「へ?」
新調したノートを鞄から取り出していると、右横からの声が届いた。
「キミ、日本人?」
俺と同じこの全体基礎の受講者だろうか? 何せこの部屋は無駄に大きいので関わりを持とうと思わなければ関われないほど距離がある人達で溢れている。
現に今、目の前に立っている同い年くらいに見える女性も初対面のはずだ。
「ああ、そうだけど…」
「やっぱり! なんか他の学生達よりも変わって見えたというか、それっぽかったからさ!」
それっぽかったという言葉の意味が分からないが、別にバカにされてるってわけでもなさそうだ。というかちゃんと会話が出来ているんだよな、これ。
それなりに話せている気がするが、自分ではなんとも言えない。
「ごめんね、急に話しかけちゃって。でもちょっと気になったから、我慢できなくて。キミ日本の何処から来たの?」
「ああ、えっと。日本の冬木って街だけど?」
しまった。冬木なんて街の名前を出しても分からないか。かと言って県の名前を出しても分かるかどうかだし。いきなり隣に座って近づいて来られたから緊張してるのかな、俺。
って、あれ。なんか驚いたような顔を向けられているような気がする。
「────フユキ? フユキ……冬木?ええっ!? 冬木ってあの冬木!?聖杯戦争のあった!?」
怒号にも似た声。何をそんなに驚いているんだろうか。
「そうだけど、なんでそんなに驚くんだ?」
「何でって、冬木でしょ!この前聖杯戦争のあった。あのいかれたお祭りでしょ!?」
「別にアレは祭りなんかじゃない。本当に死ぬところだったんだ」
何度死にかけたか分からない。
その度にセイバーや遠坂……まあ一応助けてもらったとするとアイツに。
色んなものを見て色んなものを感じて、それから必死に抗って俺達で掴み取った勝利だ。お祭りとかそんなことを言われるのはなんだか嫌だ。
「…………もしかしてキミ、あの戦争の参加者?」
視線が貫いてくる。眼前にいる女性の声を耳にした他の受講者達も一様にコッチを見ているのが分かる。
そうか、こっちじゃ聖杯戦争っていうのはそんなにも凄いものとして認識されているのか。俺にしてみれば英国にこんな学校があることの方がよっぽど大変なことに思うんだけどな。
「まあ、一応」
その言葉がキッカケになったように、ゴソゴソと俺を見ながら会話する様子が彼方此方で確認できる。
なんか、まずいな。
これって、隠しておいた方が良かったのかもしれないな。
「あの遠坂以外にも生き残りがいたんだ」
「遠坂を知ってるのか?」
やっぱりあいつってこっちでもかなり有名なのか。時計塔の方から推薦がきたくらいだしそれはそうか。
「そういうキミは遠坂凛の知り合いなの?」
知り合いっていうか、俺の彼女なんだと言っても信用してもらえるんだろうか。大丈夫かこいつとか思われるのも嫌だからとりあえず伏せておこう。
「そうだな、知り合いかな」
とりあえず知り合いで通そう。
別に嘘は言ってないからいいよな。
「ふむ、なんとなく声掛けてみたら思ったより大物だったなぁ」
「大物じゃない。俺なんか全然まだまだだ。魔術のことは未だに分からない部分の方が多いし、半人前もいいとこだ」
「そっかそっか。ま、半人前同士これからよろしく。私はハハイザ・ダウンス」
「衛宮士郎だ。こちらこそよろしく」
シンプルに握手を交わす俺とハハイザ。良かった。なんとか話し相手らしき人ができた…のかな?
その後すぐに現れた講師によって、いよいよ本日の講義が始まる。今までは空席だった俺の隣にはハハイザの姿。
英国に来て始めて知り合いが出来たことに内心喜びを震わせながら、俺は講師の言葉に耳を傾けた。
「ほう、それは良かったですねシロウ。知り合いはやがて友になり、良き競争相手にもなるかもしれません」
「ああ、そうだな。やっぱり話す人が増えるっていうのは良い事だ。ハハイザともセイバーが言ったような風になるかもしれないな」
夕暮れ時。
講義もなんの支障もなく終わり、ハハイザとも講義後すぐに別れてセイバーと共に昼食を平らげ、そこからは寮でのんびりとしていた。
紅茶も紅茶でいいが、やはり日本人としては日本茶が飲みたくなってしまう気持ちが湧き上がってくる。
ロンドンにも探せば日本からの輸入品はあるだろうか。
「今度、ロンドンの街をじっくり見て回るのもいいかもしれないな。遠坂も一緒に三人で」
「いいですね。私も今のこの国の有り様を見てみたい」
そう言うセイバーの表情は柔らかい。
ここはセイバーの故郷でもあるんだし、もっと早くセイバーにこの街を見せてあげればよかったかな。様変わりしてしまってはいるけど、それでも彼女の想いがこの場所に宿っているのは変わらない。
「色々買いたいものもあるし、俺と遠坂の予定が空き次第すぐに行こう」
こんなことを考えてしまっていると、なんだか今すぐにでも街に繰り出したくなってしまう。だからだろうか、つい口から。
「なんなら、今から二人で外に──」
「へぇ、今からセイバーとデートに行くんだ。衛宮くんは」
あ。聞こえた。
聞こえてしまった。
おかしいな。ドアを開ける音もただいまという声も聞こえなかったはずなんだが。
というか一体いつからそこにいたんですか?
「さあ?いつからかしらね?」
「ああ、おかえり遠坂。紅茶飲むか?」
「あら、セイバーとデートに行くのに私に紅茶なんて淹れてる暇あるの?」
ダメだ。完全に怒ってる。
というか拗ねてるのか、これって?
「い、いや、別にデートじゃないぞ。ただセイバーにロンドンの街並みを見て欲しいなって思っただけで」
「それってデート言うんじゃないの?
ねぇセイバー、デートよねそれって」
まずい、セイバーに飛び火し始めた。
「い、いえ。そのですね、凛」
セイバーもセイバーでたじたじといった感じだ。まあこうなった時の遠坂ほど厄介なものはない。
「落ち着けよ、遠坂。どうしてそんなに怒ってるんだ」
「ドウシテ、ですって……?」
メラメラと燃え上がるあかいあくま。
もとい、遠坂凛。
以前は三人でデートとかしたじゃないか。それと似たようなものというか。
「ああーーもぉー!なんでそういう意味でだけ鈍いのかしらねホントにっ!!いいじゃない行ってくればセイバーとデート! それで夜景の綺麗なレストランでも行って優雅に楽しんできなさいよ。私は一人静かに茶を啜ってるわよ!」
「ちょっ、指をこっちに向けるな!こんなところでガンドなんかやったら管理人に何て言われるか!」
言葉とは裏腹に行動が逆だ。
それじゃあデートどころじゃなくなる。いやデートではないんだけど。
「くそっ……セイバー!」
「はい!」
このままでは俺たちの寮生活が危ぶまれる可能性がある。それはセイバーも同じであり、アイコンタクトで意思疎通の後に、半ば暴走気味の遠坂の背後に回ったセイバーが手刀を用いて気絶させる。
崩れ落ちる遠坂をセイバーが抱える様子を確認したことで、とりあえず危機は回避されたことを実感した。
「ん……」
かすかに聞こえた遠坂の声。
意識の失った遠坂を担いで部屋に設置されたベッドに寝かせ、それからしばらくそのまま悪いとは思いながらも寝顔を堪能していると、ぴくりと瞼が動いた。
その光景をじっと見つめていると、やがて遠坂の瞳が開いた。
「あれ、私…」
「起きたか、遠坂」
俺の声に反応して、天井を見ていた遠坂の瞳が自分に向けられる。
「士郎? なんで?」
「その。色々あったというかなんというか……」
説明しづらい。
一体なんと言えばいいのだろうか。
「待った。思い出してきた…」
軽く手の平をこちらに向けて待ったを掛けてくる。しばらくその状態を保っていたが、ふいに遠坂と目が合う。
「浮気者」
「なんでさ。浮気なんかしてないぞ、俺」
セイバーと出掛けるのは日本でもよくやってたじゃないか。遠坂達がウチに泊まる時とかはセイバーに商店街での買い物を手伝ってもらったり。あれと同じだと思うぞ。
「自覚がないほど質が悪いわよ。まったくもう、セイバーもセイバーでそういうとこが鈍いっていうか…」
「セイバーがなんだって?」
「なんでもないわよ!馬鹿士郎!」
不貞腐れたように毛布を被り直す遠坂。まあ、俺が鈍いっていうのは否定出来ない。セイバーにもたまに「シロウは鈍いです」なんて言われることがあるくらいだ。
「ごめん、遠坂」
だから、こういう時は素直に謝るくらいしか俺には出来ない。
「…………………」
「悪い、とは思ってる。けど、俺こんなんだからさ。治せるかどうか分からないけど、出来るだけ改善しようと思う」
こんなことを言っても本当に治せるかどうかすら分からない。でも出来るだけ努力がしたい。努力することしか出来ないからな。
「だから、機嫌治してくれないか?」
「…………………今度の週末」
「ん?」
「今度の週末、二人でデートするから。セイバーと街巡りはその前にするけど、それも三人でするから。分かった…?」
毛布から顔半分だけを出してそういう遠坂は反則的なまでに可愛かった。
まいった。
それには敵わない。
抱きしめたくなる気持ちを溢れそうになりながらも抑えて、
「うん。約束だ」
「破ったら今度こそガンドだからね」
なんて言って、遠坂の方から抱きついてくる。
本日の俺達のロンドンの夜もこんな風に過ぎていった。
「そういえばさ、今日初めてこっちで話せる人が出来たんだよ」
「へぇ、どんな人?」
「うん。俺と同い年くらいの女の子なんだけど────」