Fate/extra days   作:俯瞰

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ーinterlude/4ー

 

 

 

 

 

 陽は遠く。

 闇は深い。

 暗い夜の帳の中、倫敦の街に濃霧が揺蕩う。人々が夢に微睡み、その意識を放り投げた頃合い。郊外のテムズ川沿いには倉庫街の名残を思わせる場所がある。繰り返される再開発の末にちょっとした観光スポットと化したその場所も、現時刻では深夜の魔都を彷彿とさせる怪奇的な雰囲気を醸し出している。

 川を流れる水がチャポンと、波打つ。

 その暗闇の中に湧き出る、不快感。

 肌をピリッと焼き付いてくるその感覚に、彼女には覚えがあった。日頃からお世話になっている老婦から学んだモノの中にあったのだ。それも初歩中の初歩として。

 彼女は確か「それを感じられるようになったら半人前、対処出来るようになったらぺーぺー、それ以前に策を張り巡らしてからこそが当人の腕の見せ所だ」と宣っていた。

 自分などとは程遠く、多くの経験を積んだからこそ言えた言葉ではあったのだが、緊張感の無いその態度に若干冷めた眼差しを向けてしまっていたのは今では良い思い出だ。

 

 ――と、そんな場合ではないと意識(スイッチ)を切り換える。

 

「――やっぱり苦手なんだよねぇ……」

 

 組んでおいた探知に引っかかったということはもうそんなに呑気には構えていられないだろう。腰に提げた装備に意識を傾ける。準備は万端。ならばと彼女は停止していた脚を前へと踏み出した。人気のない路道をひたすらに駆ける。

 この辺りは倉庫街の名残が強い。左右の建物は壁のように高く聳え、脇道も多く、この状況としては良いものではない。これでは狩場に飛び込んだ哀れなエサだ。それを理解してはいながらも彼女はここへ飛び込んだ。

 そこであらかじめ仕込んでおいた護符(アミュレット)にぴくりと反応有り。

 即座にバックステップを取れば、右から飛来してきたナニカが月光に照らされ、刹那に瞬いた。回避したことで左に流れ、過ぎ去っていくソレを――、

 

「――よっ、と」

 

 彼女は片手でパシッと握りしめた。

 通常の人間ならありえない反射神経と反応速度。それを可能にしているのは彼女の内に流れる血のおかげだろう。手にしたソレを月明かりに掲げ照らしてみれば、(ジーファー)であるのは手に取るように分かった。

 

「随分、高価なモノと見た」

 

 暗器とはいえ、安物かそうでないかの区別くらいならば今の自分でも把握出来た。こんなものを易々と使ってくるということはどういうことだろうかと考えを巡らせていれば、背後でかさりと、何かが蠢く。

 瞬間、右手が動く。引き金を引けば、一発の弾丸がレンガ張りの壁を粉砕する音が耳に触れ、直後に揺らめいた気配に身体を屈めた。その瞬間に視界に飛び込んできた襲撃者と重なる視線。血走った眼光から放たれる強烈な殺意の波動。そいつの手首がグキリと鈍い音を鳴らした。コートの襟に仕込んでおいたナイフを歯で引き抜く。

 肉を裂くのは簡単だった。五本の指の内、二本を分断してみればそこから湧き出た出血が顔へと跳ねる直前に片腕でのバク転。口元に挟んでいたナイフを左手に構える。

 オートマチックの銃を右手に構えたまま対象を見据える。女性であることは間違いない。口元に鮮やかに走るその血漿、獣のように喉から溢れた暗い呻き声。こちらを見つめるその開ききった瞳孔から発せられる異常な欲求。よくもまあ、あんな飛び道具などを使えたものだ。この状態ではもはや人としての意識など擦り潰れているだろうに。

 いや、だからだろう。

 こんな状態になってまで。こんな状態にあるまで、身につけていたということは。

 

 ーーーよほど大切な物だったのかもしれない。

 

 しかし、もうそれを考える思考も失せた。

 

「ーーー完全に()()()()()()()……」

 

 わずかに感じた同情の心を刈り取る。

 これは獣性魔術の使い手であればどれだけ心持ちが楽であったかなど、考えるべきではないだろう。今のアレに知性を期待するのは愚かだ。数刻前に訪れた隠れ家に残っていたのは無数に散らばった死骸のみ。それを行なったのが誰だったのかなど疑問に思うだけ無駄だろう。このままいけば、間違いなく死人が増える。神秘である以上、これは表側に出す前に処理すべき案件である。

 これは仕事なのだ。自分は仕事人として対処に当たるのみ。微かに浮き上がった私情を殺し、役目に准じる。

 そこでほんの僅か、対象の足元が動いた。

 ーーー来る。

 そう感じた瞬間に耳へと入り込んできた異音に神経が研ぎ澄まされる。次第に近づいて来るその正体不明に身体が反応したのは当然だった。

 

「――、っ、みっ……」

 

 ず、と。

 そう言葉が漏れた直後に、正面に居たソレが一直線に飛来する。撃鉄が落ち、弾はほんの少し頰を抉る。無論それで止まるとは思っていない。振り下ろされた腕を横に飛んで回避し、先程の物体へと目線を零した。

 背後を狙うかのように宙に浮かぶ、月という光源によって煌めくその姿はこの暗闇の中でもよく見える。この状況ではこの現象を引き起こしているのは彼女であるのだろう。知性は無くとも、呑まれてしまった以上は自身のパーソナリティーをフルに活用している。いや、呑まれてしまったからこそ、その異能を存分に発揮出来ているのかもしれない。

 彼女の周囲に水壁が出来つつある。

 その包囲網は徐々に質量を増し、両脇の壁をガリガリと削り出した。触れれば簡単に指が千切れ、弾丸も塞き止められてしまうだろうと認識して銃を下ろす。テムズ川という貯蔵庫を有効利用しているのだろうが、やはり場所も分も悪い。

 ここから引き離すにしてもそれで一般人に見られてしまっては本末転倒。人避けの刻印は練ってあるがそれでも、もしもを考えれば早々に場所を移すのはデメリットが多すぎる。

 

混血(ウンディーネ)のほうに傾きが大きい。にしてもちょっと予想以上かな…」

 

 ここまでの性能(スペック)を有しているとは情報屋の資料にはなかった。やはり情報は信頼できる者にしてこそだと認識を改める。こうなった以上はこちらも出し惜しみをしていられない。

 ポケットに手を触れようとしたその前に、あちらの仕掛けてくるタイミングが早かった。

 水壁から触手のように這い出した流星のように降りかかる水の刃に足が素早く動く。試しにと一発のみ弾丸を喰らわせてみたが、パシャりと水音をなびかせただけに終わる。鞭のようにしねる水刃をギリギリのところで避けていく。通常の近代武装では傷一つ付かないのは再確認出来た。

 忍ばせたルーンを刻んだ礼装の中に(イス)は手持ちには抱えていない。まだまだ勉強中の身ではそれほど手札を持つことが出来ない。弾の無駄遣いも避けたいとなれば、手段は一点。

 塞がれている壁をどうにかするには手札も力量も足りない。

 ならばーーー。

 揺らめくコートのポケットの中から無造作に取り出した小瓶の中身がちゃぷんと揺れる。時間も余裕もなく蓋を開けて一気に飲み干す。内側に流れるその瞬間。

 

 ーーードクンと、脈動が高鳴る。

 

 自身の血から精製した、夢魔(サキュバス)の因子。

 身に刻まれた衝動に、熱く滾った湯水を張る。抑え付けていた我欲が沸騰し、ぶくぶくと蓋から溢れ出して行く。全身に力を入れる。喰いしばった唇が薄く裂け、口元から滴る血流さえも肌を快楽に染め上げてゆく。

 内側で加速する己が原典が肉体で這い回っている。ブーストさせてしまえば危険が伴うのは重々承知している。それでも今ここでやらなければ骸と化すのはこちらだろう。

 ーーー呑まれるな。

 反転してしまえば終わりだ。

 そうなれば自身とて、異端として狩られる末路しか待ってはいない。降ろしていた目蓋を薄く開いた。小さく響いた足音に反応すれば、同類がこちらへと近付いている。

 眼球が熱い。

 燃え上がるような激痛と炎焼に塗れる。

 このままいけば、破裂するのではないかと思うほどに瞳に意識が集約する。いやそうではない。全身の力が眼球へと流れ込んでいる。自身の魔力を凄まじい速度で吸収しているのだ。

 

 ふらつく足元。揺らぐ意識。

 そうして不鮮明になっていく自我を維持することに懸命に意識を引っ張りながら。

 

 ――()()()()()

 

 その瞬間に、世界が変質する。

 眼前の水壁が歪に揺らいだ。

 ぐるりと円周する壁が、形を崩した。

 制御されていたソレが外側から肉片(すいてき)となって辺りに撒き散らされ、綻びを見せる。覆われていた操手が微かに姿を現した。苦しみに歪んだ表情で、両手で胸を搔き毟り、咆哮が呻き出された。

 ひりつく空気の波に押し出され、飛び散った水滴が身体中に付着してくる。その冷たさが幸運なことに保ち続ける意識を僅かながら押し上げてくれる。視線だけは逸らさない。

 苦痛に曲がる眉根。吐き気を催すほどの頭痛に苛まれながらもそれだけはしてはいけない。それをすればこの効力を失ってしまう。まだ制御下に無い力を使う代償として、それだけはしてはいけない。今も自身の眼は肉体から精気(オド)を吸い出している。

 手から零れ落ちそうになる銃を震える手で再度握り直す。最後は自らの力で打たなくてはならない。そして、この眼で捉えた人の姿をした獣の周りから完全に壁が消えた。

 

 水浸しの路を必死で足掻き出す。

 もはや声も出ない。意識(いたみ)だけが現実に己が精神を縛り付けている。

 敵は膝をついて苦しみ喘いでいる。

 しかしそれもいつまで続くかはわからない。今状態を持ち直されたら負ける。だからこそ、その前に決着を付ける。

 ーーーカチャ、と。

 銃口が頭部へと向けられた。

 反転しているとはいえ、所詮は人間。

 致命傷を受ければ死に至る。

 これだけは本当に助かった。

 これが本物の化け物であったのなら、確実に詰んでいたことは明白だ。

 

 その事実を解っているからこそ、その引き金に躊躇は無かった。

 

 銃声が鳴る。

 こちらを見ていたその瞳。

 その顔の額に空いた空洞。

 その驚愕に満ちたような表情だけは、本当にただの人間のようで。

 

 ーーーそれだけが、目蓋の奥に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーーinterlude/4ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事は終了。

 協会に報告を済ませ、ふらつく足取りで帰路に着く。寒波の押し寄せる闇の倫敦はこんな状態の身には辛い。若干痛みを覚える喉から溢れた吐息が白く空気に積っていく。呼吸するたびに適度に痛み続ける感覚に苛々が募るばかりで鬱陶しい。

 魔力の吸収は収まったが、今もまだ頭痛は止まず、こんな満身創痍な状態ではあるが協会に弱ったところなど見せたくはないという維持を張り通した影響からか、体調は下落する一方のようだった。

 

「ーーっ、うっ……」

 

 胃から湧き上がる吐き気を抑えようと足が止まる。なんとか嘔吐することだけは懸命に堪えてみせる。使ったことを後悔はしたくないし、この痛みがあるからこそ今自分は生きているのだし、生の実感としては些か癪だが受け入れることにしている。

 深夜の地下空洞は水を打ったように静かだ。いつもはあんなにも騒がしいくせに、魔術師の割にはここの人間達は一般人と同じようなサイクルで寝食をしている。

 見慣れた道にどこか安らぎを感じつつも、頭痛は一向に収まる気配がない。どうにもならないことを呆れたように思いながら、ようやくたどり着いた降り慣れた階段に足をかける。こんな身じゃ階段の登り降りすら足元がおぼつかないのだから始末に負えない。

 注意を払いながら降りていき、暗がりの通路をゆっくりと歩いていき、ドアの前で立ち止まる。もうここの家主は寝ているだろうか。朝から予約のお客さん用に技を奮っていたし、流石に疲れただろうかと考えながらノブに手を伸ばし開けてみれば、少しだけ鼻についた煙草の臭い。

 

「……おや、おかえり」

 

 店内はカウンター前の上だけ照明が点いている。家主の老女はいつもように煙草をふかしながらどっさりとカウンター前の椅子に座っていた。帰りを待っていた、とは考えにくい。

 実際今までだってそんな事は一度も無かったのだから、きっとなにかの気まぐれだろう。小さく浮かんだそんな想像に苦笑してしまう。

 

「うん…ただいま、シア婆」

 

 ユリル・フォンツ・カミンスキーは少しだけ口元を綻ばせて返事をする。シア婆と呼ばれた老女はフッと口から煙を燻らせると同時に笑いをこぼした。

 

「ずいぶんとまあ、ボロボロだね。そんな面倒なお相手だったのかい?」

 

「そうだね…コレ(・・)がなかったらやばかったかな」

 

 ユリルはそう口にすると、手で右目を覆うように隠す。その仕草でピンと来たらしい老女は呆れたように言葉を紡ぐ。

 

「お前さんね、そんなボロカスになるなら使うなって言ったろう? 呑まれても知らないよ」

 

「だって、これがなきゃ死んでたよ」

 

「どっちにしろ、運が悪けりゃ死ぬよ。 敵にやられるか、呑まれて狂うか。そうなったらアンタにもどうしようも出来ない。 わかってんだろ? 混血ってのは簡単に身を滅ぼす。 ご先祖様の血が無駄に濃かっただけ、あんたは縛られ続けるんだからね」

 

 吐き捨てるような物言い。

 けれどそこには気遣いの色が見て取れた。

 なんだかんだ言っても面倒見の良いこの人の事だから、心配してくれているのをカケラも出さないようにしているんだろうけど、発言からその辺りが駄々漏れなのだ。

 

「い、っーーー」

 

 突如、ズキッと右眼の痛みがぶり返した。

 膝から力が抜けそうになるのを堪える。

 そんなユリルの様子を見ていた老女は、それ見たことかと言いたげに煙草をふかす。

 

「『掠奪(りゃくだつ)の魔眼』。 文字通り相手からも、自分自身からも奪うってかい? いや、その魔眼がアンタを所有者と認めているか自体、怪しいがねぇ…」

 

 持ち主があんたなのか。

 それとも魔眼が持ち主なのか。

 そう言いたいのだろう。

 この肉体(うつわ)の主人格は自分ではなく、この右眼に宿る魔の力。自分はただの固定台にしか過ぎない付属物。

 先祖から夢魔の血を引く混血の一族であり、稀にそう言った混血の一族の中には血を濃く受け継ぐ者が現れる。

 お前はきっとかなりのレアモノだと。

 別にこれは家の人間に言われたわけではなく、この魔眼の影響というのも含めて、目の前にいる老女からそう言われたのだ。

 この魔眼は、自身が血の意識に傾いた時にのみ現出するため、普段の自身には何の力も備わってはいない。先ほどのように強制的に血の意識へと傾ける方法ならば、反動は強いが、強制的に魔眼の力を呼び起こす故にその威力も強烈だ。使ったあとは数刻は動けないのだが。現に今回も協会への報告は事が終わってから幾らか時間経過したあとだった。

 

「まったく…そんなんじゃいつか反転し(外れ)ちまうよ」

 

 反転。

 血に呑まれ、己の我に忠実な僕となる。

 混血の禁忌であり、逃れられない宿命。

 背負ってしまった業。

 別に背負いたくて背負ったわけではない。

 それでもそう生まれてしまった以上は一生付き合って行くしかないのだ。

 人として生を謳歌し、死ぬか。

 化け物として、化け物らしく退治されるか。

 そう、自分が先ほどやったように。

 

「いいから、顔洗ってさっさと寝な」

 

「……痛くて寝れないよ」

 

「じゃあ、おとなしくしてな」

 

 悪態をつくその姿に、なんだか戻ってきたんだなと安心してしまい、他愛のない返事をしてから裏にある自室に引っ込んだ。

 シャワーを浴びる気力も無く、ベッドに飛び込んだ。腰に下げた装備を外すのを忘れていたため、仰向けにダイブしてみれば思い切り腰に食い込み痛みが襲う。

 暴発の危険はないだろうが、慎重に腰から銃をホルスターごと外して鏡台の上に置き、またベッドへ仰向けに体を倒す。

 

「……………………はあ…」

 

 痛みもだいぶ引いてきた。

 シア婆との会話でいくらか安らいだのだろうかと思案を巡らせながらも、頭の中にあるのは一つのことだけだった。

 仕事上、いろんな人間と出会う。

 それは基本的に自ら道を外れた外道が多いといえば多いが、それでも望まぬ不幸の末に外道に身をやつした者もいる。

 

 ーーー彼女は、どちらだったのだろうか。

 

 望んで反転の道を選んだのか。

 それとも抗った末に、あの凶行に走ったのか。その真相は定かではない。もう彼女はいないのだ。その引き金を引いたのは他の誰でも無く、彼女自身と、そして自分だ。

 こんな仕事に身を置いているからこそ、ふと思ってしまうのだ。

 自分は一体どうなるのだろうかと。

 仕事の中でやられて死ぬのか。それなりの生活の末に、病気か寿命で死ぬのか。

 それともーーーと。

 その可能性の大きさに愕然とする。

 そして、その可能性を最も大きく想定している自分自身に飽き飽きする。

 後ろ向きな思考を振り払うように毛布に手を掛けて、くるりと身を包んだ。

 こんな自分に嫌気がさす。

 シア婆に笑われて当然だと自傷気味に笑みを浮かべて目蓋を下ろす。その瞬間に焼き付いた彼女の顔を思い浮かべてまた嫌悪。

 もっと気楽に生きられたらと、何処にも届かない祈りを抱きしめるようにうずくまる。

 

 

 そうして彼女は今夜も夜を超える。

 不安とわずかな苦痛を夜に隠して。

 

 

 

 

 

 

 

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