もしも雲明世代でエイリア編がまた始まったら   作:こころにいつも中二病

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最初にこれまでのあらすじ。
一応、この話(一章 第1話)から読めるようにしています。
(最初から読んでほしいけど……)





一章:ワクワクでドキドキな京都特別合宿
合宿は陽気なバスガイド(?)と共に


 

 

 

 

 

 それは、フットボールフロンティアも終わり、夏休みも目前に控えた、七月のこと。

 

 季節外れともいえる時期にやってきた転校生がやってきたことから──そして、その転校生が電撃休業したジュニアアイドル、吹雪敦士だったことから始まった。

 

 

 話題沸騰、というには生半可なほどに注目の的となっていた転校生。昼も放課後も皆に囲まれていた彼が興味を持っていたのは、なんと南雲原サッカー部。

 密かにサッカー部の練習を見にきていた吹雪敦士は、笹波雲明に懇願する。吹雪敦士の頼みを雲明が受け入れたことにより、吹雪敦士は南雲原サッカー部の練習に参加することになった。

 

 そうして、吹雪敦士も加えた練習の中で行われた紅白戦で、彼は思わぬ才能で空宮を抜くと、かの伝説のストライカー“吹雪士郎”の代名詞……“エターナルブリザード”を打とうとする。

 結果としてエターナルブリザードは失敗に終わるが、その後の柳生・桜咲の問いかけや雲明の言葉により、彼の思わぬ素性──吹雪敦士はかの伝説のストライカー吹雪士郎の息子であることが明らかになった。

 

 驚きの事実に一瞬唖然としたものの、割とすんなりと事実を受け入れた南雲原サッカー部。そして、木曽路をはじめとした部員たちは、吹雪敦士を新たな部員として迎え入れる。

 

 そうして、仲間が加わったと思ったら息をつく暇もなく、夏の合宿を知らされることに。

 しかもスポンサーは鬼道財閥に並ぶともいわれる世界的超有名企業──吉良財閥。

 

 当然、阿鼻叫喚に包まれながらその日の練習は終わりとなり──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……と、あらすじはこのくらいでいいだろう。

 

 

 とにかく、そんな度重なる衝撃が南雲原サッカー部を襲ったあの日から、時間は恐ろしい速度で過ぎ去っていった。

 

 

 しばらくも経たないうちに一学期の終業式は半ば事務的に終わりを告げると、容赦のない熱波とともに世の学生たちが待ちわびた夏休みが始まった。

 もっとも、運動部の面々にとっての“夏休み”とは、決して休息を意味する単語ではない。すなわち部活の季節である。

 照りつける太陽の下、己の限界値を引き上げるためのストイックな鍛錬と練習中の日々の始まり。連日のように厳しい日差しの中で汗を流す彼らにとって、無所属の生徒のようにクーラーの効いた部屋で昼夜逆転の生活を送るなどという選択肢は最初から存在していないも同然である。

 

 当然、南雲原中学校サッカー部もその例外ではない。
 グラウンドの土埃と、絶え間なく続くボールの打音。フットボールフロンティアを経た熱気はそのままに、日が上り始めてから沈み始める時間になるまで練習に明け暮れる。夏の暑さに汗水が滴り落ちようとも、グラウンドを駆けてボールを追いかける日々。

 

 そんな忙しくも平凡な七月が、飛ぶように過ぎ去って終われば。

 

 

 

 

 あっという間に、待ちに待った特別強化合宿の当日を迎えた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 今日の集合場所は、南雲原中学校の正門前だ。


 指定された時刻に全員が集合した後、吉良財閥側から派遣されたという迎えの者が、彼らを合宿地まで運んでくれる手筈となっている。

 

 

 

「あら、早いわね……もう出るの?」

 

 空は青く染まれど、まだ太陽が登りきらない早朝。

 早々と朝食を済ませ、玄関に向かおうと大きめのスポーツバッグを肩にかけた雲明に、キッチンから顔を出した母──眞子が声をかけた。

 

 壁に掛けられている時計の短針は、ピッタリと7の位置を指している。今日の集合時間は8時半のはずだから、まだ時間としては余裕が全然ある状態だ。

 

「うん。監督としての仕事もあるし。少し早く出たくてね」

 

 雲明が荷物を確認しながら答えると、母親はエプロンで手を拭きながら、心配そうに小走りで駆け寄ってくる。

 

「大丈夫だとは思うけど、忘れ物はない? 着替えはちゃんと日数分入れた? あと、万が一のお薬とかも持ってる?」

「ないってば。大きい荷物はもう旅館に送ってあるし、薬だってちゃんと手荷物のポーチに入れてるよ」

 

 玄関先で念を押すように確認してくる母親に対し、雲明は「というか……」と、困惑したように少しだけ眉を下げた。

 

 

「……どうして母さんの方が、そんなに張り切っているの」

 

 

 息子を見送る真子の表情は明るく、無邪気にニコニコと頬を緩ませている。その姿は、当事者のはずの雲明よりもよほど上機嫌な姿に見えた。

 

「だって、せっかくの合宿だもの。思い出に残るような、素敵なものになってほしいじゃない」

「母さんが行くんじゃないのに……」

 

 呆れたように肩をすくめる雲明に、真子はふふっと柔らかく微笑む。それから少しだけ、遠くを見るように目を細めた。

 

 

「それにね……私、すごく嬉しいの。雲明がまたこうやって、お友達と一緒に楽しい夏休みを過ごせると思ったら」

「……」

 

 

 心底嬉しそうに言う母の言葉に、雲明は一瞬だけ口を噤んだ。脳裏には、過去の記憶が朧げな形で再生されている。

 

 思えば、去年の今頃の自分は、こんな日々を送っていなかった。

 

 どんなに探しても見つからない心臓疾患の治療法。もう二度と、フィールドを走ることはできないという絶望。サッカーという概念そのものを呪い、完全に部屋に塞ぎ込み、ただ無気力に、世界を斜め下から睨みつけるように暮らしていた。

 

 

 しかし、今は違う。

 

 

 再びサッカーに向き合い、南雲原という居場所を作り、個性豊かな仲間たちに囲まれた毎日は、恐ろしいほどに充実している。それだけでは飽き足らず、円堂ハルと交わしたあの約束に向かうために、さらに先を目指して歩みを進めている。

 着替えを送ってもなお荷物がたくさん入った大きなバッグを肩にかけ、朝から仲間たちの元へ出向こうとしている今の自分の姿。それは、一年前の自分からは想像もつかない姿だった。

 

 そして、その変化を誰よりも近くで見守り、心を痛め、そして今、誰よりも喜んでくれているのが、目の前にいる母だった。

 そのことがわからないほど、雲明は鈍感でも愚かでもなかった。

 

「もう……。旅行に行くんじゃないんだから」

 

 それでもまっすぐに感謝を伝えるには照れくさく、雲明は拗ねたようにぽつりと呟く。赤くなった耳元を隠すように髪をいじりながら、わざとらしくそっぽを向いた。

 普段は理路整然とあらゆる相手にレスバトルで言い負かす雲明でも、母の前ではただの等身大の少し照れ屋な少年に戻ってしまうようだ。それは決して不自然なことではなく当然のことだったが、どこか気まずさを振り払えないまま口をつぐむ。

 

 そんな雲明の心情を完全に察しているのか、真子はにこにこと穏やかな笑みを崩さない。それがまた、雲明が感じている居た堪れなさを加速させる要因となっていることなど、知っているのだろうか。

 

「とにかくっ! ……そろそろ行くから」

 

 雲明は誤魔化すように大きめのバッグを肩に担ぎ直し、ドアノブに手をかける。背を向けた息子の姿に、眞子は声をかけた。

 

「気をつけてね。怪我や事故に遭わないように。……それと、無理だけは絶対にしないでね」

「うん、わかってる。……行ってきます、母さん」

 

 雲明はそう言って、玄関のドアノブに手をかけた。背中からかけられる、温かい「いってらっしゃい」の声を浴びながら。


 雲明は仕事道具が詰まった重たいバッグをしっかりと背負い直し、カチャリと扉を開け放つ。扉の向こう側には、どこまでも高く澄み渡る青空と巨大な入道雲が広がっていた。

 


 強烈な夏の光と、肌を焦がすような熱気、そしてやかましい蝉の声が、彼を歓迎するように全身を包み込む。

 

 

 去年とは全く違う、眩しすぎる夏空の下。

 雲明は夏の強烈な日差しを真正面から浴びながら、新しい旅路へと力強く一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 ……そうして、雲明が家を出てから、30分と少し。

 

 

 雲明が南雲原中学校正門を抜け、待ち合わせ場所であるグラウンドの前に辿り着くと、視界に映ったあり得ない光景に思わず目を丸くした。

 

 

「……早いですね……」

 

 

 雲明の口から、呆れ半分、感心半分の声が漏れる。

 

 無人のグラウンドを想像していた雲明の視界にはなんと、すでに南雲原サッカー部のほぼ全員の姿があった。

 

 それぞれが大きなスポーツバッグやボストンバッグを足元に置き、ジャージ姿や動きやすい私服姿で、ワイワイと円陣を組むように世間話や雑談に興じている。

 念のためと携帯を起動してみれば、画面に移る数字は7と40。一応、雲明が時間を間違えたというわけではないらしい。

 

 そこに、いち早く雲明の姿に気がついた木曽路が嬉しそうに手を振って駆け寄った。

 

 

「あ、雲明! はよ!」

 

 

 その声に気づいた空宮もこちらに顔を向け、「おはよ!」と続く。早朝に似合わない元気の良い挨拶をした二人の様子に、雲明はどこかじっとりとしたまなざしを向けながら尋ねた。

 

「いくらなんでも早すぎない? 集合時間までまだだいぶあるよ」

「いやあ、それがさ……なんか楽しみで、目ぇ覚めちゃって」

 

 木曽路が照れ隠しのように頭を掻く。その隣で空宮も「同じく!」となぜか胸を張って同意した。

 どうやら、他の面々も似たような理由で集まってきたらしい。すでにウォーミングアップがてらリフティングを始めている忍原や桜咲をはじめとして、皆どこかそわそわとした雰囲気を隠せずにいる。

 

 そんな彼らの子供のように浮き足立った様子に、雲明は呆れを含んだため息をついた。これではまるで、遠足前の小学生ではないか。全く仕方のない部員たちである。

 

 しかし、そんなふうに考えつつも、いつのまにか雲明の口元には自然と微かな笑みが浮かんでいた。

 事実、この合宿を心から楽しみにしてくれている彼らを前に、今まで準備してきた雲明としては悪い気がしなかった。

 

「そんなに気合いが入っているなら、合宿の練習メニュー、今のうちにもう少し増やしておけばよかったかな」

「いやいやいや! それは……っ! ちょっとその冗談は笑えないから!」

 

 雲明の涼しい顔での冗談(半分は本気かもしれないが)に、木曽路がわざとらしく両手を振って慌てふためく。

 その大げさなリアクションに、周囲の部員たちからドッと笑い声が上がった。朝靄に包まれた校庭に穏やかな空気が包み込む。

 

 

 そんな和やかな喧騒の中、ふと、腕時計を確認していた四川堂が周囲を見渡した。

 

「そういえば、あとまだ来ていないのは……」

 

 そう言いかけた、その時だった。

 

 

 

「お待たせしました」

 

 

 

 蝉の声に混じるように、涼やかな声が響き渡った。

 

 全員の視線が、声の方へと一斉に向く。そこには、帽子を深くかぶって絹のような白銀の髪を隠した少年──吹雪敦士の姿があった。

 

 

「おはよう……ございます」

 

 その瞬間、南雲原メンバーの間に、微かな感嘆の息が漏れた。

 

 敦士が身に着けていたのは見慣れた制服でもなければ、体操服でもなく、動きやすい私服だった。

 

 無地の白いTシャツに、くるぶしまで丈のある細身の黒いパンツ。そして小さくはないものの、泊まりがけであることを考えれば随分とコンパクトにまとめられたボストンバッグ。

 

 装飾もなければ、特別派手なわけではない。どこにでもいる中学生の夏休みの格好のはずだった。

 けれど、彼が纏うと、その素朴さの中に妙な洗練がにじむ。飾り気がないのに、まとまった雰囲気もあり、敦士の整った顔立ちや背の高さをかえってはっきり際立たせていた。

 

 もちろん、今日は私服での集合だ。

 そのため、敦士が私服姿で現れるのは当たり前と言えば当たり前なのだが──それでも、普段見慣れた服装しか知らない彼らにとっては、少なからず新鮮に映ったようだった。

 

「……もう、着いてたんですね」

 

 一方の敦士は鞄の紐をぎゅっと握ると、困惑の表情を隠しもせずに呟いた。

 

 現在の時刻は集合時間の一時間近く前。彼としてはかなり早く来たつもりだったのだろうが、すでに部員のほぼ全員が揃って盛り上がっている光景を前にしては、戸惑うのも無理はない。

 

 きょろきょろと不安そうに周囲を見渡し始めた敦士へ、木曽路が照れ笑いをしつつフォローを入れた。

 

「へへっ、なんかみんな、早く来ちゃってさ」

「集合時間まではまだかなり余裕がある。君が遅刻しているというわけではないから、安心していいよ」

 

 木曽路に続き四川堂も穏やかな口調で付け加えた。

 

 彼らの言葉に、敦士は意味を咀嚼するように瞬きする。二人の説明でようやく状況を理解できたようだ。肩を下ろし、安堵したように短く息を吐く。

 そうしていつもの感情の読めない無表情に戻ると、良かったです、と静かに返事をした。

 

 

 

 さて。

 

 

 

 兎にも角にも、南雲原サッカー部の全員が想定よりも早く集合場所に集まってしまった。そのため、迎えの時間まではまだかなりの余裕がある。

 流石の雲明も監督としての確認がある以上、彼らに構っている余暇はそんなにない。とはいえ、このまま待機していてもひたすら退屈な時間が過ぎてしまうだけである。

 

 結局、雲明が千乃や百道たちと最終のスケジュール確認を行っている傍ら、他の部員たちはグラウンドのあちこちに散らばり、思い思いの自由な時間を過ごすこととなった。(なお、雲明としては即興で自主練のメニューを組んでも良いと思っていたのだが、「移動前にそれはきつい」と部員たちに一斉に止められたので断念した)

 

 

 集合時間には戻れるように、と忠告した雲明がマネージャーと話し合いを始めたのを合図に、部員たちは各々自由なところへと散らばる。

 荷物をベンチに置いてウォーミングアップがてら軽くボールを蹴り合う者。合宿先での観光について雑談に花を咲かせる者。念の為と荷物の確認をするもの。朝ごはんが足りないのか、持ってきたおやつの袋をもう開封する者。

 予想外に与えられた自由時間をそれぞれのびのびと過ごしながら、思い思いに時を過ごしていた。

 

 

 ……そんな和やかな喧騒から少し離れた、グラウンドの端。

 

 朝の光がまだ届ききらない校舎の短い影の中に、敦士はどの輪にも入らないまま一人静かに立っていた。

 足元にはコンパクトなボストンバッグが一つ。白いTシャツに黒いパンツを着こなした彼は、深くかぶった帽子のつばで目元を隠し、グラウンドでボールを追いかける皆の姿をただ無言で眺めている。

 

 賑やかな集団から明らかに一歩引いたその立ち姿。それは、どこか見えない透明な壁に守られているかのようにも感じられる。

 

 

 そんな風に一人佇んでいた彼に、不意に真横から名前を呼ぶ人がいた。

 

 

「吹雪くん」

 

 

 敦士が顔を向けると、そこには額にうっすらと汗をかいた木曽路が立っている。敦士は帽子の奥で少しだけ目を丸くして「木曽路くん」と呟く。

 

 

「こっちに来て、いいの? さっきまで、桜咲さんたちと一緒にいたのに……」

 

 敦士が疑問を口にすると、木曽路は「あー」と首の後ろを掻きながら、屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「ちょーっと休憩! 朝から飛ばしすぎると、合宿着く前にバテちゃいそうだからさ」

「ふうん……」

 

 敦士はそれ以上深く追求することはせず、小さく相槌を打つと、再びグラウンドの方へと視線を戻した。帽子のつばが影を作り、彼の表情を不鮮明に隠す。

 

 沈黙が続く。

 

 普通であれば気まずさを感じて離れてしまうところだが、木曽路は何も気にしていないかのようにそのまま敦士の隣に並んで立ち、同じようにグラウンドを眺めていた。

 

 

 しかし、しばらくしてふと口を開くと、「それにしても良かったよ」と思い出したかのように呟いた。

 

「……え?」

 

 思わぬ言葉にぱちりと瞼を瞬かせた彼に対し、木曽路はを「だってさー」とぼやきながら両手を頭の後ろで組んで目を細める。

 

「正直、来てくれるかなって思ってたんだよね。転校してきてすぐの週末から四泊五日の合宿って、普通に考えて結構ハードスケジュールじゃん?」

「……それは、確かに。急に決まって戸惑ったけど……」

「そうそう! だろ? だからさ、来てくれてよかったなーって!」

 

 木曽路は敦士の方を向き、太陽のように真っ直ぐな笑顔を向けると、彼の肩を軽くポンと叩いた。

 その仕草に確かに目を見開くと、わずかに開いた口から小さく息が漏れた。しかし、それは明確な声になることはなく、何かを飲み込んだように俯くと、そのまま消えていった。

 

 

 しばらくの間をおいて、敦士は呟いたのは、全く違う言葉だった。

 

 

「そう、だね……」

 

 


 明るく振る舞う木曽路のテンションとは対照的に、敦士の声はどこか沈んでいた。彼は帽子を深くかぶり直し、考え込むように足元へと視線を落とす。

 

 そのまま敦士は口を閉ざし、再び無言の静寂が二人の間を包もうとする。

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

「──皆さん、そろそろ時間です。集合してください」

 

 

 

 静かなグラウンドの端に、よく通る凛とした声が響き渡った。

 

 その声に敦士は反射的に顔をあげる。見れば、いつのまにか集合位置にいた雲明が、こちらに向かって声を張り上げているではないか。

 拡声器もホイッスルも使っていない彼の声は、不思議と全員の耳にまっすぐに届くほどに鮮明に響く。

 

 散らばっていた部員たちがハッとしたように顔を上げると、荷物を持って次々と彼の元へと集まり始めた。

 

「おっ、そろそろみたいだな」

 

 木曽路も組んでいた手を解くと、大きく伸びをして再び敦士の方を見た。

 

 

 

「とにかく、俺が言いたかったのはそれだけだから!」

 

 

 

 木曽路は「じゃ、いこっか!」と敦士に声をかけると、そのまま小走りで部員たちが集まる輪の中へと向かっていった。

 背中で揺れる木曽路の軽い足取りを、敦士は無言のまま見つめている。

 

 

「…………」

 

 

 敦士は木曽路が去った後も、何かを思い詰めたようにその場から動かないでいた。帽子のつばが作り出す濃い影の中で、青い瞳はただひそやかに、見えない憂いを帯びて揺れている。

 

 

 しかし、グラウンドの向こう側から「吹雪くーん、早くー!」と呼ぶ声が聞こえると、彼は短く息を吐き、静かに顔を上げた。ボストンバッグの持ち手をしっかりと握り直す。敦士は木曽路の背中を追うように、ゆっくりと皆の待つ場所へと歩き出した。

 

 

 

 夏の光に彼の姿が溶けていく。

 

 踏み出した彼の一歩は、まだ少し重たげで、影が残るような歩みだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 グラウンドに隣接する駐車場、まだ熱を持ちきっていない朝の空き地に再度集まった南雲原サッカー部は、合宿前の最終確認ミーティングを行っていた。


 にわかに醸し出される浮かれた空気を一度引き締めるように、雲明がバインダーを片手に合宿中の簡単なスケジュールと注意事項を淡々と読み上げていく。

 

 

「──以上が、一日の基本的なタイムテーブルです。起床から就寝まで、食事や休憩を含めてかなり細かく区切っていますから、各自しっかりと時間を守って行動するようにしてください」

 

 

 雲明から手渡されたプリントには、分刻みで書かれた練習メニューやミーティング、さらには自由時間に至るまで、びっしりと文字が埋め込まれていた。雲明らしい、完璧に計算され尽くしたそれでいて柔軟性も感じられるスケジュールだ。
 しかし、その緻密な表に目を落としていた部員たちは、ある不自然な箇所に気づくと、次々と顔を上げる。

 

 

「おい、三日目の午後8時から10時まで何も書かれてないんだが、これはなんだ?」


「それに最終日の午後もまるまる空白になってる……」

 

 


 桜咲がプリントの白い欄に指を差す。続けて木曽路ももう一つの空白を見つけて首を傾けた。

 

「この時間は何するつもりなんだ?」

 

 空宮が不思議そうに尋ねる。

 

 雲明はその疑問に答えるようにバインダーをパタンと閉じると、ふっと口角を上げて微笑んだ。

 

 

 

 

「秘密です」

 

 

 

 

 果たして、勿体ぶった末に返ってきた言葉はなんともあっさりしたものだった。

 なんとも予想外れな回答に、周囲からえー、という声が上がる。

 

「まーた“サプライズ”ってこと?」

 

 忍原が、呆れたような、それでいてどこか楽しげな声でツッコミを入れた。

 

 “サプライズ”。

 

 その言葉から、南雲原メンバーたち──とりわけ、サッカー部創設初期から在設していたメンバーの脳裏には、ある一つの強烈な記憶が蘇っていた。

 

 

 フットボールフロンティアの予選第二回戦、北陽学園戦。あの時、雲明は新たな必殺技だった桜咲と忍原の合体技、“春雷”を最高のコンディションで実戦投入させるため、理由を一切明かさないままメンバーたちに「その技の使用を禁じる」という制限を試合中に課したのだ。

 結果として最高のタイミングで技は効果を発揮し、勝利をもぎ取ったわけだが──あの時の、何も知らされずにただ信じて従うしかなかったヤキモキした感情は、時が過ぎた今となっても語り草になっている。

 

 

「あんまり、人騒がせなもんじゃないといいがな」

 

 桜咲が腕を組みながら、やれやれといった様子で鼻を鳴らす。

 しかし、文句を言いながらも、忍原の目にも桜咲の顔にも、不満の色はない。むしろ、「次はどんな手で自分たちを、そして相手を驚かせてくれるのか」という、指揮官・笹波雲明に対する絶対的な信頼が見て取れた。

 

 忍原も桜咲も、そして他の部員たちも、雲明が仕掛ける行動が最終的にチームを最高の結果へと導くことを、経験として深く信じ切っている。

 それは、雲明という指揮官と選手たちの間に結ばれた、確固たる信頼関係に他ならなかった。

 

 

 ──そんな賑やかで楽しげなやりとりを、少し離れた輪の端から敦士は静かに眺めていた。

 ガラス玉の瞳には、和やかなその光景をただ反射するように映っている。

 まるで、明るい熱量からほんの一筋分が切り離されたような場所で。敦士は何かを探しあぐねた迷子じみた表情で、視線を帽子の下の影に隠した。

 

 

 

 そんな時だった。

 

 部員たちの耳に、校門の方から、アスファルトを滑るように走る微かなタイヤの摩擦音が届いたのは。

 

 

「……ん?」

 

 

 真っ先にその音に反応して顔を上げた空宮が、駐車場の入り口へと指を差す。

 

「あれって……」

 

 空宮の視線の先。夏の陽炎を切り裂くようにして、駐車場へ一台の車両がゆっくりと進入してきていた。

 

 それは、中学生のサッカーチームを運ぶには十分な大きさを持ったキャラバンだった。白をベースにした車体には、派手すぎず悪目立ちしない程度に、色とりどりの流線型のデザインが施されている。しかし、それは裏を返せば細かい部分の洗練さが際立っているものの、わかりやすい豪華さとは程遠く離れたものだった。

 

 しかし、それでもそのキャラバンが中学生の合宿で使用されるような安っぽいものではないことは、誰の目から見ても明らかだった。

 

 

 窓ガラスは光の反射を完全に抑えた特殊な素材に見え、車高の低さや車体の継ぎ目のなさは、空気抵抗を極限まで計算し尽くしたような異常な滑らかさを持っている。パッと見のロゴや自己主張はないにもかかわらず、その存在自体から漂う得体の知れないハイテク感は、素人目から見ても明らかなものだった。

 

 最低限の音量のエンジン音を響かせながら近づいてくるその車を見た瞬間、その場にいる全員が確信した。

 

 

 

(──あれが、迎えだ)

 

 

 

 数週間前、雲明の口から告げられた“吉良財閥”という超巨大スポンサーの名前。

 あの現代技術の最新鋭を体現したキャラバンの中に、その世界的財閥から派遣された大人が乗っているのだ。

 

 

 部員たちの間の和やかな空気が一瞬にして消え去る。その場にいた誰も彼もが、見えない重圧に当てられたように無意識に息を呑み、身体を強張らせた。

 

 やがてキャラバンは、駐車場の白線の中に一寸の狂いもない滑らかな動きで音もなく停止した。

 とうとう、自分たちはあの“吉良財閥”の人間とご対面することになるのだ。そう考えると、言い知れない緊張感に自然と背筋が伸びてしまう。

 

 そんな中、雲明だけが表情を変えずにキャラバンに向かって静かに歩き始めた。張り詰めた空気に急かされるように、他の面々もぞろぞろとその後を追いかけ始める。

 

 

 そうして雲明たちがキャラバンの数メートル手前まで近づいた、その時だった。

 

 

 ぷしゅう、と微かな空気の抜けるような音と共に、キャラバンの運転席側のドアが、外側へと滑らかに、ゆっくりと開いた。

 全員の視線が、その暗い車内へと一点に集中する。

 

 

「………………」

 

 そこに現れたのは、一人の男性だった。

 

 

 すらりとした長身。曇りのない純白のスーツ。そして何よりも目を引くのは、鮮やかな緑の長い髪を綺麗なお団子に結び上げている、女性的とも言えるヘアスタイル。

 やや中性的な顔立ちは大人とか思えない年不相応なあどけなさも感じられるが、その整えられた身なりや佇まいからはチグハグな印象やだらしなさは一切感じられない。

 しかも炎天下の中比較的厚着姿なのに、そこには汗も姿勢の崩れも何ひとつ見当たらずに静謐と立っている。

 

 

 総じて、世界的な有名財閥の人間として、一切の非の打ち所がない“秘書”の装いだ。そんな人物を眼前にして、南雲原のメンバーが眼前に気圧されて言葉を失う中。

 

 

「……っ」

 

 

 ただ一人、集団の後方にいた桜咲丈二だけが、現れた男性の顔を見てハッと目を見開いた。
 桜咲の瞳に、明らかな驚愕と記憶の糸を手繰り寄せるような動揺の色が浮かぶ。しかし、その動揺は声へと変わることはなく、ただ硬直したままその男性を凝視していた。

 

 


 緊張感から辺りが静まり返る。顔を出した萌葱の髪の男性は、目の前に集まっていた南雲原サッカー部の面々をぐるりと見渡すと、完璧な角度でふっと微笑んだ。

 そして、丁寧で流麗な所作でキャラバンから降り立つと、純白のスーツの皺を軽く直しながら背筋を伸ばすと、彼らへ向けてゆっくりと水が流れるような美しいお辞儀をした。

 数秒の後、深いお辞儀からゆっくりと顔を上げる。緑の髪を上品に揺らした男性は、目の前に並ぶ中学生たちを静かに見据えた。

 

 

「……南雲原サッカー部の皆様ですね」

 

 

 その涼やかな声のトーンと、一切の隙のない美しい所作。夏の太陽の下にありながら、彼が放つのはひどく整頓された、冷たい大理石のように研ぎ澄まされた声だった。

 

 あまりの洗練された大人の気配に、木曽路や古道飼といった面々はどきまぎと顔を見合わせ、直立不動のまま完全に言葉を失っている。

 

 

 そんな中、唯一いつも通りのペースを保っていた雲明が、一歩前に出て口を開いた。

 

「はい。僕たちが南雲原中サッカー部です。そちらは、今回僕たちの合宿を案内していただく吉良財閥の方で間違いないですか?」

「はい」

 

 男性は短く肯定すると、再び静かな微笑みを浮かべる。

 

 

「私は、吉良コーポレーション社長秘書を務めております、緑川リュウジと申します。この度は、僭越ながら今回の合宿の案内人として皆様に同行させていただくこととなりました」

 

 

 その言葉と共に緑川は純白のスーツの胸元にそっと右手を添える。一切の淀みもない、ビジネスの最前線で磨き抜かれた完璧な所作だ。

 

「短い間ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」

 

 緑川はそう締めくくると、もう一度深々と、美しい角度でお辞儀をした。その姿は、巨大な資本を動かす大財閥のトップの隣に立つ右腕として相応しいほどの冷徹さと気品を備えていた。

 

「え、ええと……」

「その……」

 

 非の打ち所がない、なんて言葉も生ぬるい立ち振る舞いと雰囲気。あらゆる修羅場を掻い潜ってきた南雲原サッカー部のメンバーも、流石にドギマギを隠せずにただ圧倒される。

 

 当然だ。

 いくらフットボールフロンティアで快進撃を続け、一躍南雲原の有名人となった南雲原サッカー部の面々だって、(柳生や桜咲などの例外はあれど)元を正せば大多数が一般家庭の普通の中学生である。こんな世界的規模の企業の、しかも社長の隣に立つような大人と真正面から向き合う機会など、あるはずもない。

 

 どうすればよいのかと全員が戸惑い、空気は言葉にならない沈黙で満たされるのも、普通のことであった。

 

 

 

 ──しかし、そんな張り詰めた空気を打破したのは、他でもない彼自身だった。
 

 

 

 

 それは、彼が再び顔を上げた瞬間のことだった。

 それまで彼の顔に張り付いていた、氷のように完璧な“秘書としての微笑み”が、一瞬にして消え去った。代わりに浮かぶのは、どこか幼ささえ感じる人懐っこい犬のような屈託のない笑顔。

 

 

「……と、堅苦しいご挨拶はここまでにしてっ!」

 

 

 彼の口から飛び出したのは、先ほど冷静沈着なものとは打って変わった、ワントーン高いひどく馴れ馴れしくも親しみやすい声色だった。

 

 同じ顔。同じ声。同じ姿。

 そこにいるのは確かについ先ほど吉良財閥の社長秘書と名乗ったはずの男と、同一人物のはずだ。それなのに、その表情はさっきまでの様子と何もかもが違って見える。

 まるで、先ほどまでの人物は消えて、別人を相手にしているかのようだ。

 

 先ほどとは別の意味で固まる彼らをよそに、緑川はパンっと両手を軽く打ち合わせた。

 

「せっかくの夏休みの合宿なんだし、細かいことは抜きにして、ぱーっと楽しんで行こうね!」

 

 そう告げるとパチンと鮮やかなウインクまで飛ばすのは、先ほどまでの厳格で厳粛な雰囲気を纏っていたはすの男。

 

「一応“案内人”ってことになってたけどさ、そんなお堅いものじゃないから。道中のちょっとした“バスガイドさん”くらいに思ってくれればいいからさ!」

 

 

 ……もはやそこには、先ほどまでの厳格な社長秘書などどこにもいなくなっていた。どちらかというと、子供と一緒に羽目を外して遊んでいるような、近所のお兄ちゃんに近い雰囲気。

 

 そんなあまりにも唐突で、あまりにも見事なキャラ変に、南雲原一同は完全に思考が停止した。

 

 

 

 

「「「…………えっ?」」」

 

 

 

 

 誰も彼もが目の前の人物の変わりように、口をあんぐりと開けて完全にフリーズする。あの雲明でさえもこの落差には流石に面食らったようで、ぱちぱちと目を瞬かせていた。

 

 

 緊張とプレッシャーに支配された重たい空気は、緑川自身の手によってあっという間に霧散された。

 驚きに包まれたまま、静寂に包まれる駐車場。

 朝鳥の鳴き声だけが空しく響く中、その静寂を破ったのは、集団の後方にいた桜咲だった。

 

「あ、あんた…………」

 

 その声に、緑川は「ん?」ときょとんと視線を向ける。桜咲は、普段の不遜な態度が嘘のように、信じられないものを見るような目で緑川を指差した。

 

 

 

「み、緑川……さん、か……?」

 

 

 

 桜咲から出てきたまさかすぎる発言と思わぬ“さん”付けに、一部の部員がぎょっとした顔を向ける。

 

 え、うそだろ。そんなはず。いやでも、まさか……。

 ざわざわと、そんな空気が辺りを支配し始める。

 

 そんな時、さらに斜め上をいく言葉が良くも悪くも皆の意識を掻っ攫っている最中の男から飛び出してきた。

 

 

「おっ! やっぱり、桜咲さんのところの丈二くんだよねー!」

 

 

 緑川はパッと目を輝かせると、桜咲の元へと小走りで駆け寄る。そして勢いよく桜咲の肩を掴むと、目を丸くしているその顔をニコニコの表情で覗き込んだ。

 

「いやあ、大きくなったねー! 俺のこと覚えててくれたんだ! そうそう、君が小学校の頃にお父さんのパーティーで会った、秘書の緑川さんだよ!」

 

 まるで近所の子供のような呼び名を、全く悪びれる様子もなくむしろ気のいい親戚のようなテンションで言い放つ社長秘書(多分)。その発言に、今度こそその場にいた全員が一斉に桜咲の方へと振り返るのも無理はなかった。

 

 一方、注目の的である桜咲は「え……?」と未だ目を白黒させたまま茫然とした表情を浮かべている。強面の顔にはすでにいつもの威圧感はなく、ただただ戸惑いと混乱の感情に呑まれているようだった。

 

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 

 そのまま駐車場を包んでいた呆然とした空気を打ち破ったのは、木曽路の焦ったような声だった。緑川と桜咲の顔を交互に指差しながら、動揺を隠しきれない様子で身を乗り出す。

 

「桜咲先輩、この人と知り合いだったの!?」
「いや……その……」

 

 普段の不遜な態度はどこへやら、桜咲は口ごもり、視線を宙に泳がせる。どうやら彼自身もいまだに目の前の状況を受け入れきれていないようだった。

 

「昔、親父の仕事の付き合いで何度か……。でも……あの時は、もっと……真面目というか、隙がないつーか……」

 

 途切れ途切れに吐き出された言葉に、緑川があはは、と陽気な声で遮る。

 

「そりゃ仕事だし。あの時は、ちゃんと秘書として振る舞う場面だったからね。ま、今回も仕事なんだけど、君たちの合宿の案内人ってことでもうちょっとリラックスした感じでいこうかなって」

 

 そのカラッとした物言いに、部員たちはようやく目の前の大人がどのような人物なのか、理解し始めた。

 つまり彼は、状況や相手に応じて振る舞いを完全に使い分けることができるのだ。言動からして、先ほどまでの真面目で近寄りがたい姿は社会人として──そして社長秘書として必要な振る舞いで、むしろ素の姿はこちらの方が近いのだろう。

 

 その事実を咀嚼した雲明は、騒ぎの輪から一歩引いた位置で、感心したように静かに頷いた。

 

「なるほど……。状況に応じて、ということですか」

 

 それは、半ば自分自身を納得させるための、吐息に混じるような微かな呟きだった。

 しかし、緑川の聴覚はそれを正確に拾い上げていたらしい。彼は雲明の方へ顔を向けると、我が意を得たりとばかりにパッと明るい表情で告げた。

 

「そういうこと! “郷に入っては郷に従え”……とは、ちょっと違うけど。その場その場で、一番いい感じのキャラでいくって感じかな?」

 

 その屈託のない、しかし確かな知性を感じさせる返しに、雲明は「そういうことですか」と小さく肩を揺らして笑みをこぼした。

 そのやりとりに他の部員たちの間に残っていた最後の緊張感も夏の朝の空気に溶けて、完全に霧散していく。警戒心と緊迫感から肩肘を張っていた部員たちが、ひとりふたりと次第に明るい表情を浮かべ始めた。

 

 

 その様子を見た緑川は、へへ、と人好きのする笑みを浮かべる。そしてパン、と心地良い音で手を打ち鳴らすと、部員たち全体の意識を自分へと集めた。

 

「さてと、それじゃあ“善は急げ”、さっそく出発しよっか! 荷物は、キャラバンの後ろに積み込んでね。中は結構広いから、みんな余裕で足を伸ばして座れるよ!」

 

 部員たちもようやく「合宿の始まり」という現実のテンションを取り戻し、一斉に動き始めた。

 各々が大きなバッグを抱えてキャラバンの後部へと向かう。荷物の積み込みが始まると、先ほどまでの静寂が嘘のように、駐車場は中学生男子特有の活気と喧騒を取り戻した。


 ほどなくして準備が整い、全員が車内へと乗り込む。

 内装は一見すると普通の大型キャラバンと大差ないように思えたが、座席のクッション性や足元のゆとり、計算された空調の快適さは、彼らが普段遠征で乗っているものとは明らかに一線を画していた。

 

 運転席に乗り込んだ緑川がキーを回す。
 流線型の白いキャラバンは、やはりエンジン音らしきものをほとんど響かせることなく、滑るように発進した。


 ぶぅん、という小さな音と共に車窓から流れ始める見慣れた長崎の景色に、皆たちは遠足に向かう子供のように浮き足立つ。だが、最後列に座っていた雲明だけは、流れる車窓の景色を見て、小さく眉根を寄せた。

 

 

(……おかしい。こっちは車両出口の方角じゃないはず)

 

 

 雲明が違和感に微かに眉をひそめた瞬間、バックミラー越しに後部座席の様子を窺っていた緑川がまるで本物の観光ガイドかのような口調で語りかける。

 

「九州から京都……陸路で行くとかなり遠いけど、それまでゆっくりシートを倒して、景色を楽しんだり休憩したりして……」

 

 緑川の声に、部員たちが「京都までバス移動かあ」「何時間かかるんだろ」「景色を見るのも楽しみだな」だなんて、口々に呟き始めた、その時だった。
 緑川が突然、クルッと運転席から後ろを振り向いた。そこには、イタズラが成功したかのような不適な笑みが浮かんでいる。

 

 

「なーんてね!」

 

 

 緑川がハンドルを切り、キャラバンが目的地へと滑り込む。

 そこは、南雲原中学校の敷地からほど近い場所にある、だだっ広い開けた空間だった。フットボールフロンティアの決勝大会中、お台場サッカーガーデンと長崎を行き来するために使用されていた、あの飛行場だ。

 

「それも魅力的だけど! 我が吉良財閥のテクノロジーは、君たちにそんな“急がば回れ”なんて悠長なことはさせないよ!」

 

 緑川が、運転席のコンソールパネルにある四角い形状のボタンを、迷いなく押し込んだ。

 

 

 ──その瞬間。

 

 

 車内にいた南雲原の面々は、自分の座っているシートの下からかつて経験したことのないような重厚な駆動音と、微かな振動を感じ取った。

 

「えっ?」

「なになに?」

「揺れてる……?」

 

 外装の装甲が、流れるようなシームレスさでスライドしていく。

 白のキャラバンの側面から、まるで折り畳まれた鳥の翼が広がるかのように、頑強なローターブレードが展開される。後部のマフラーは変形し、青白い炎を揺らめかせる推進用の小型ジェットノズルへとその姿を変えた。

 

 過剰な機械音や金属の摩擦音などは一切ない。ただ、極限まで計算し尽くされた流体力学の結晶が、ごく自然に、あるべき姿へとトランスフォームしていく。

 

 それは紛れもなく、一台の車が小型ヘリコプターへと生まれ変わる瞬間だった。

 

 

「これぞ、吉良財閥のグループ会社が作り上げた最新テクノロジーの結晶!」

 

 

 驚愕に言葉を失う部員たちを乗せたまま、緑川は操縦桿を引き、高らかに宣言した。

 

 

 

「このまま、京都まで“千里一飛”だーっ!」

 

 

 

 ジェットノズルが唸りを上げ、展開されたローターが夏の空気を切り裂く。

 シートに押し付けられるような独特の浮遊感と共に、白い機体は重力を置き去りにして、真夏の青空へと軽やかに舞い上がった。

 

 

 

「ええええええええっ!?」

「車が、空飛んだぁぁっ!?」

「うっそお!?」

 

 

 

 窓の外で急速に小さくなっていく地上の景色に、機内はパニックにも似た大歓声に包まれる。同時に、予想を遥かに超える超次元的な移動手段に、南雲原メンバーたちのボルテージは最高潮に達していた。

 

 

 青く澄み渡る夏空を切り裂き、白の機体が一直線に東へと飛んでいく。
 彼らの長く、熱く、そして濃密な合宿が、文字通り空高く幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 びゅーん、と高く高く飛び上がっていく影と飛行機雲が、波色の澄んだ空を遮る。次第に遠く、小さくなっていく彼らの姿を目に焼き付けながら、見送るように夏空を見上げていた。

 

 

「行っちまったな」

「だなあ。にしても、まさか空を飛んでっちまうとは」

「おかげで見送りそびれましたねー」

 

 

 呆れたような口ぶりで笑うものの、彼らの声には徒労感は感じられない。むしろ、いつも予想外を軽々と超えてくるその影を、誇らしげに見守っている。

 

 目が眩むような太陽の光。その下で野球ボールとバットを掲げた男たちが、静かに佇んでいる。風がそよぐごとに土埃がついた彼らの髪がふわりと揺れ、草花の匂いが遠くから漂う。

 夏を告げるどこか切ない空気が、南雲原の地に残された彼らをゆっくりと包み込んでいた。

 

 

 誰かがそっと息を吐く。

 

 

「……さて。そろそろ戻るか」

「だねー。俺たちも練習しないとだし」

「大会まで近いですしね」

 

 それぞれの声に名残惜しさと決意の色が混ざり合う。その集団の中心に立つ男──王乃はそれが空に消え去るより早く彼らに背を向けた。それをきっかけに一人、また一人と、己の夢を胸に抱き、夏空と同じ色のグラウンドに足を向けはじめる。そうして、彼らもまた、彼ら自身への日常へと戻ろうとしていた──

 

 

 ──その時だった。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 ざ、という足音に、後方を歩いて松田が振り返る。視界に映ったその姿に、思わず足を止めた。先頭から置いて行かれた彼に真っ先に気づいた王乃が同じように振り返ると、大きく目を見開く。

 

 そんな二人に釣られるように他の面々も踵を返した。そして、眼前の人間に誰もが驚愕を顔に貼り付け、声を失う。

 

 

「なんで…………」

 

 

 誰もが唖然とする中、いち早くなんとか冷静に戻った王乃が口を開く。だけれども、溢れた声は半信半疑を隠しきれていない。

 

 

 それでも、からからの声で続きを紡ぐ。

 

 

 

 

「……なんで……………()()()()()()()()()んだ?」

 

 

 

 

 

 その言葉に、“それ”はようやく顔を上げた。

 

 そして、何かを吟味するように、目の前にいる彼ら──南雲原中野球部をゆっくりと見渡すと、目を逸らすこともしないままゆらりと口を開いた。

 

 

「そんなこと、どうだっていいじゃないか」

 

 

 風が吹く。髪が揺れて、暗い影が“それ”の顔を隠す。

 

 

 それでも彼らは、確かに“それ”がうすらと──貼り付けるような笑みを浮かべたのがわかった。

 

 

 

「ねえ、それよりも、さ」

 

 

 

 そう切り出すと、いつのまにか足元に転がっていたボールを爪先だけで空中へと掬い上げる。そして、宙に浮いたボールを、籠に入るかのように綺麗に足首に収める。

 

 たったそれだけ。あまりにもあっさりとしたその動きだったが、一時期でもサッカーに携わっていた彼らにとっては一目で“手慣れた”者の動きだと本能的に理解できた。

 

 

 そんな彼らの様子に、“それ”がまた目を細める。三日月と同じ形に歪み、影の中に光を携えるその瞳。それを見た彼らはなぜだか、どうしようもなく、ありえないほどに────

 

 

 

 

()()()()()()()()……僕と」

 

 

 

 

 

 ──目の前の存在が恐ろしくてたまらないと、そう感じてしまった。

 

 

 

 

 






 というわけで登場、緑川さん。
 設定などはGOと大きく変わりはありません、が、桜咲先輩と知り合い設定をつけました。でも桜咲先輩のところの会社ってかなり大きいイメージがあるので、どこかで関わってそうです。

 以前言った通り、この作品はエイリア編を通っているので(NOTアレオリ時空)、つまりこの緑川の過去は当然……。

 なお、書き溜め分はこれで終了になります。
 ここからはゆっくり更新していく予定です。
(リアルが忙しいのでどこまでかけるかは分かりませんが)

登場してほしいセレクトキャラは?

  • 幕下照
  • 弁天九郎丸
  • 伊勢谷要
  • 頂挑夢
  • 雨道未理科
  • 井馬里陽愛
  • 古手打七南
  • 判目才人
  • 牛島突五郎
  • 妖士乃銀郎
  • 濱南暁海
  • 福良むすび
  • 鉄野ケルビン
  • 黒原玲文
  • 星美哉
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