魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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魔法科高校の劣等生 映画化第二弾おめでとうございます


火の鳥

# プロローグ 炎の中の少女

 

炎の中に、少女はいた。

 

正確には、燃えさかる施設の通路を歩く少年の腕の中に、その少女は抱えられていた。

 

周囲で燃えているのは、壁や床だけではない。

人間もまた、燃えていた。

 

喉を焼かれ、悲鳴すら上げられずに転がる者。

皮膚を炭化させながら、それでも逃げようと這う者。

炎に包まれたまま、何かに許しを乞うように手を伸ばす者。

 

だが、少年はその手を取らなかった。

 

助ける理由がなかった。

 

彼らがこの少女に何をしたのか。

その痕跡を一目見れば、慈悲などという言葉は意味を失う。

 

いや、本当は違う。

 

少年は、慈悲を忘れたわけではなかった。

救命のために地獄を渡り歩いてきた彼は、命の重さを誰よりも知っていた。

 

だからこそ、これは彼にとって異常だった。

 

本来なら、彼はこういう殺し方をしない。

本来なら、敵であっても、捕虜にできる者は捕虜にする。

無力化で済む者は無力化で止める。

戦闘に参加していない者を巻き込まない。

攻撃型の術式を使う時には、標的、範囲、効果、後遺被害まで計算する。

 

それが常識だった。

 

彼がいた戦場では、それを破れば軍法会議では済まなかった。

それは兵士としての規律であり、衛生兵としての矜持であり、人間であり続けるための最後の線だった。

 

だが、その線は今、焼き切れていた。

 

帰ってきたばかりだった。

 

長い戦争が終わり、所属していた軍団は解体され、ようやく故郷へ帰れるはずだった。

だが、時空の座標は歪み、彼は見知らぬ時代の、見知らぬ施設へ放り出された。

 

そして、そこにいた。

 

壊された少女が。

 

かつての自分と同じように、奪われ、縛られ、物のように扱われた少女が。

 

その瞬間、少年の中で何かが燃え上がった。

 

理性ではない。

正義感でもない。

もっと古く、もっと醜く、もっと個人的なものだった。

 

怒りだった。

 

「……」

 

腕の中で、少女のまぶたが微かに震えた。

 

少年は足を止めない。

崩れかけた通路を進みながら、彼女の呼吸、脈拍、体温、神経反応を確認する。

 

生きている。

 

だが、それだけだった。

 

肉体の損傷はひどい。

内臓、骨、筋肉、神経、魔法演算に関わる領域。

どれも、普通なら一生ものの傷になっていた。

 

そして、それだけではなかった。

 

少年の目が、わずかに細くなる。

 

将来を奪うための破壊。

人間を、人間として終わらせるための損傷。

 

それを確認した時、少年の奥歯が音を立てた。

 

「……ふざけるな」

 

その声は、炎の音に紛れるほど小さかった。

 

だが、周囲の炎が一瞬だけ大きく跳ねた。

 

少女の意識が、ゆっくりと浮上する。

 

最初に戻ってきたのは痛みだった。

次に、熱。

そして、記憶。

 

三日間。

 

逃げられなかった時間。

叫んでも届かなかった声。

人間としてではなく、四葉という名を持つ材料として扱われた屈辱。

 

思い出したくない。

それでも記憶は、容赦なく彼女の中へ流れ込んでくる。

 

少女は、自分を抱えている少年を見上げた。

視界は涙と熱で歪んでいる。

それでも、彼の顔だけは認識できた。

 

黒く煤けた頬。

炎を映した瞳。

年齢に似合わない、ひどく乾いた表情。

 

「……ん?」

 

少年が彼女の視線に気づいた。

 

「起きたのか」

 

少女は、かすれた声を絞り出した。

 

「……あなたが、やったの?」

 

力の入らない指先が、炎の中でもがく男たちを指す。

 

全員が燃えていた。

全員が苦しんでいた。

けれど、誰一人としてまともな悲鳴を上げられない。

 

喉を焼かれているからだ。

 

少年は無表情だった。

 

「ああ」

 

短い返事だった。

 

「君を痛めつけた奴は、例外なく燃やしてやった」

 

少女はしばらく男たちを見ていた。

 

本来なら、恐怖するべき光景だった。

目を背けるべき惨状だった。

人間が焼ける臭いに吐き気を覚えるべきだった。

 

けれど、少女の胸に湧いたものは違った。

 

「……いい気味」

 

声に力はなかった。

怒りも、歓喜も、ほとんどなかった。

 

ただ、冷え切った心の底で、ほんの少しだけ何かが溶けた。

 

少年は何も言わなかった。

彼女がそう言う資格を持っていることを、知っていたからだ。

 

やがて二人は施設の外へ出た。

 

夜気が肌に触れる。

それと同時に、背後の建物が内側から爆ぜた。

 

火柱が上がる。

 

黒煙が夜空を覆い、赤い光が荒れた大地を照らす。

つい先ほどまで少女を閉じ込めていた場所が、炎に飲み込まれていく。

 

少女はそれを見上げた。

 

「……きれい」

 

思わずこぼれた言葉だった。

 

自分でも、なぜそう言ったのか分からない。

 

あれは地獄の炎だ。

人が死んでいる。

施設が燃えている。

自分を壊した者たちが、今まさに焼かれている。

 

それなのに、美しいと思った。

 

少年は少女を抱えたまま、ゆっくりと歩き続けた。

 

当然、追っ手は現れた。

 

施設の警備兵。

雇われた魔法師。

隠蔽のために差し向けられた処理部隊。

彼らは次々と二人の前に立ちはだかった。

 

だが、立ちはだかっただけだった。

 

一人は、内側から膨れ上がって破裂した。

一人は、発火した血液で体内から焼かれた。

一人は、見えない刃に刻まれ、形を失った。

一人は、地面から噴き上がった炎に飲み込まれた。

 

少女には、少年が何をしているのか分からなかった。

 

CADはない。

起動式も見えない。

詠唱も、予備動作もない。

 

ただ、少年が敵を見る。

それだけで、人が壊れていく。

 

魔法師である少女には、それが異常だと分かった。

 

現象は起きている。

だが、魔法式の気配がない。

 

まるで世界そのものが、少年の怒りに従っているようだった。

 

そして少年自身も、その異常を理解していた。

 

これは規定違反だ。

これは戦闘ではない。

これは処刑ですらない。

 

ただの虐殺だ。

 

頭のどこかで、冷静な自分がそう告げていた。

 

だが、止まれなかった。

 

帰還直後で、体も精神も安定していない。

時空転移の影響で、神獣との融合率も乱れている。

その状態で、かつての自分と同じように壊された少女を見てしまった。

 

抑えられるはずがなかった。

 

抑えようとも思えなかった。

 

約百人。

 

それだけの追っ手が、二人の後方に死体として積み重なった。

 

やがて少年は、小高い丘の上にたどり着いた。

そこには一本の大きな木があった。

 

燃え上がる施設を遠くに見下ろせる場所だった。

 

少年は少女を木にもたれさせるように座らせる。

そして、自分もその隣に腰を下ろした。

 

少女は荒い呼吸を整えながら、彼を見た。

 

「……どうして、助けてくれたの?」

 

少年はすぐには答えなかった。

 

燃え続ける施設を見つめ、少しだけ考え込む。

 

「君と同じだから」

 

「私と?」

 

「俺も、誘拐された」

 

少女は黙った。

 

少年の声は、炎とは対照的に静かだった。

 

「知らない場所へ連れて行かれて、名前を奪われて、番号で呼ばれた。逃げれば殺される。逆らえば仲間が殺される。そういう場所だった」

 

「……」

 

「俺は兵士にされた。正確には、衛生兵だ」

 

「衛生兵……?」

 

「死にかけた奴を拾って、繋いで、また戦場に戻す。それが仕事だった」

 

その言葉は、救命という響きのわりに、ひどく冷たかった。

 

「命を救う仕事だ。聞こえはいい。でも実際は、壊れた道具を直して、また壊れる場所へ送り返す仕事だった」

 

少女は、何も言えなかった。

 

少年は自嘲するように笑った。

 

「だから、君を見た時に腹が立った」

 

「私を?」

 

「ああ」

 

少年は少女を見る。

 

「壊されていた。体も、心も、未来も。あいつらは、君から奪えるものを全部奪うつもりだった」

 

少女の指が、微かに震えた。

 

「……あなたは、私に何をしたの?」

 

少年は少しだけ目を伏せた。

 

「応急処置だ」

 

「応急……処置?」

 

「傷は塞いだ。折れた骨は戻した。神経の乱れも、可能な範囲で整えた。魔法演算に関わる部分も、ひとまず安定させてある」

 

そこで少年は言葉を切った。

 

少女は、続きを待った。

 

少年は、静かに言った。

 

「それと、壊された機能も戻しておいた」

 

少女は最初、その意味を理解できなかった。

 

だが、理解した瞬間、呼吸が止まりかけた。

 

三日間の記憶が、脳裏を過ぎる。

男たちの声。

冷たい器具。

自分を人間ではなく、四葉の血を持つ実験材料として扱う目。

 

そして、二度と戻らないと告げられたもの。

 

それが、戻っている。

 

完全に信じることはできなかった。

けれど、目の前の少年が嘘を言っているようにも見えなかった。

 

「……どうして」

 

声が震えた。

 

「奪われたままにしておく理由がない」

 

少年は当然のように言った。

 

「君の未来は、あいつらの所有物じゃない」

 

少女は何も言えなくなった。

 

涙は出なかった。

泣く力すら、まだ戻っていない。

 

それでも、胸の奥で何かが崩れた。

 

壊されたものが、すべて戻ったわけではない。

傷つけられた記憶は消えない。

恐怖も、屈辱も、痛みも、なかったことにはならない。

 

それでも。

 

奪われた未来の一部が、返された。

 

「完全じゃない」

 

少年は続けた。

 

「しばらく安定しない。帰ったら必ず医者に診せろ。できれば、魔法師の身体を診られる医者だ。普通の医者では判断を誤る」

 

「……帰れたらね」

 

「帰れるさ」

 

少年は、わざとらしく笑った。

 

「君の隣には、化け物がついているのだから」

 

その言い方があまりにも芝居がかっていて、少女は小さく笑ってしまった。

 

笑うと、体が痛んだ。

それでも、笑えた。

 

少年は不満そうに眉を寄せる。

 

「笑うところか?」

 

「……ごめんなさい」

 

少女はかすれた声で言った。

 

「でも、少しだけ安心したの」

 

少年はそれ以上、何も言わなかった。

 

風が吹いた。

 

次の瞬間、少年の表情が消えた。

 

「……誰だ」

 

低い声だった。

 

闇の向こうから、数人の男たちが現れた。

 

全員が武装している。

動きに無駄はない。

明らかに訓練を受けた者たちだった。

 

少年は立ち上がり、少女の前に出る。

 

炎が揺れた。

 

それだけで、男たちは足を止めた。

 

彼らも分かっていた。

目の前の少年が普通ではないことを。

 

だが、少女はその男たちを知っていた。

 

「……家の者です」

 

少年が振り返る。

 

「家?」

 

「四葉の者です」

 

少女がそう言った瞬間、男たちの一人が前へ出た。

 

彼は少女の前で膝を屈し、深々と頭を下げた。

 

「真夜様。遅くなりました。申し訳ございません」

 

四葉真夜。

 

その名を聞いても、少年は表情を変えなかった。

彼にとって重要なのは名前ではない。

 

目の前の少女が、壊されかけていたという事実だけだった。

 

「……遅いわ」

 

真夜は小さく言った。

 

責める声ではなかった。

ただ、事実を告げる声だった。

 

男はさらに深く頭を下げる。

 

「申し開きもございません」

 

四葉の者たちは、少年への警戒を解かなかった。

少年もまた、彼らへの警戒を解かなかった。

 

ここは敵地の中心。

味方の顔をした敵がいない保証など、どこにもない。

 

しばらくして、男が口を開いた。

 

「あなたが、真夜様を?」

 

「勝手に拾っただけだ」

 

「治療も?」

 

「応急処置だ」

 

男の目がわずかに細くなる。

 

応急処置。

 

その言葉で片づけられる状態ではなかったはずだ。

少なくとも、彼らが最後に掴んでいた情報では、真夜の損傷は絶望的だった。

 

だが、今の真夜は生きている。

意識もある。

会話もできている。

 

ありえない。

 

男はそう思ったが、口には出さなかった。

 

「礼を言わせていただきたい」

 

「いらない」

 

少年は即答した。

 

「こちらが勝手にやったことだ。それより、早く行け」

 

少年は燃える施設とは別の方向を見た。

 

「第二波が近づいている」

 

男たちの表情が変わる。

 

「数は?」

 

「今の第一波より多い。魔法師も混じっている。たぶん、口封じ用の本隊だ」

 

「あなたはどうする?」

 

少年は肩を回した。

 

炎が静かに揺らめく。

 

「俺にも交戦規定とかはあるのだがな」

 

その言葉は、男たちに向けたものではなかった。

自分自身に向けたものだった。

 

「だが、今回は例外だ」

 

少年は薄く笑う。

 

「あいつらと遊んでくるから。あんたたちはさっさと行け」

 

男は、その意味を理解した。

 

この少年は、自分たちを逃がすつもりだ。

そのために、追っ手を一人で止めるつもりだ。

 

しかも、まるでそれが当然であるかのように。

 

「……感謝する」

 

男は短く言い、手を差し出した。

 

少年は一瞬だけその手を見る。

そして、握り返した。

 

握手は短かった。

 

すぐに真夜はストレッチャーに移され、四人の屈強な従者に担がれた。

 

出発の直前、真夜は少年を見た。

 

「……また会える?」

 

少年は彼女に近づいた。

 

「ああ」

 

迷いのない返事だった。

 

「また会える」

 

そう言うと、少年は真夜の手に何かを握らせた。

 

赤い、大きな鳥の羽だった。

 

炎のように赤く、血のように深く、それでいて不思議なほど温かい。

 

「これは……?」

 

「お守りみたいなものだ」

 

少年は少し考えてから、付け加えた。

 

「俺が俺でいるための、目印でもある」

 

真夜はその意味を完全には理解できなかった。

 

だが、その羽を手放してはいけないことだけは分かった。

 

「あなたの名前は?」

 

少年は答えなかった。

 

一瞬、迷ったように見えた。

 

だが、遠くから地響きが近づいてくる。

時間はなかった。

 

「次に会った時に教える」

 

「……約束?」

 

「ああ。約束だ」

 

少年は笑った。

 

「またな、真夜」

 

従者たちが走り出す。

 

ストレッチャーが揺れる。

真夜の視界の中で、少年の姿が遠ざかっていく。

 

彼は一人、丘の上に立っていた。

燃える施設を背に、迫り来る追っ手の方を見ている。

 

真夜は赤い羽を握りしめた。

 

この少年は化け物だ。

 

人を焼き、人を砕き、人を殺す。

人間の姿をしているだけの、何か別のもの。

 

けれど。

 

自分を壊した人間たちより、ずっと人間らしかった。

 

次の瞬間、夜を裂くような轟音が響いた。

 

丘の向こうで、炎が巨大な翼の形に広がる。

 

追っ手たちの怒号が、爆発音に飲み込まれていく。

地面が震え、空気が熱を帯び、夜空が赤く染まる。

 

真夜は見た。

 

炎の中から、巨大な火の鳥が羽ばたくのを。

 

それは救いの象徴などではなかった。

希望と呼ぶには、あまりにも苛烈だった。

 

けれど真夜は、その光景を忘れないと思った。

 

自分がすべてを奪われた夜。

自分から未来を奪おうとした者たちが、炎に焼かれた夜。

そして、ひとりの化け物が、自分を人間として扱った夜。

 

赤い羽は、真夜の手の中で静かに熱を持っていた。

 

 




AIアシストをしていることを先にお伝えしておきます。

長年考えていた設定です。
この度四葉継承編が映画化とのことでしたので記念に書きます。

せっかくなので不定期ながら書かせていただきたいと思います。

先に言っておきますと、流れ的には原作に沿いたいと思っております。
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