公開討論会の騒動から、数日が経った。
第一高校の空気は、表向きには落ち着きを取り戻しつつあった。
廊下を行き交う生徒たちの声。
放課後の部活動へ向かう足音。
教室に残る雑談。
掲示板の前で立ち止まる新入生。
事件の記憶が消えたわけではない。
だが、学校という場所は止まらない。
生徒会は生徒会の仕事を続け、風紀委員は風紀委員の仕事を続ける。
そして部活連もまた、いつも通りの書類と調整に追われていた。
「鷹山くん、この申請書、魔法演武部と体術部で分けてくれる?」
「はい」
「あと、そっちの施設使用表も確認しておいて」
「分かりました」
「紅茶もお願いしていい?」
「……はい」
聖火は書類の束を受け取りながら、少しだけ首を傾げた。
おかしい。
流れが自然すぎる。
自分はまだ、部活連を見学している立場だったはずだ。
少なくとも、本人の認識ではそうだった。
だが、周囲はもう明らかにそう扱っていない。
申請書は普通に渡される。
施設使用表の確認も頼まれる。
紅茶の茶葉の場所も当然のように任される。
聖火は紅茶の缶を手に取りながら、小さく呟いた。
「俺、まだ見学だった気がするんですが」
近くにいた女子の上級生が、当然のように返した。
「まだ言ってるの?」
「まだ、という言い方に歴史を感じます」
「もう部活連の人間だよ、鷹山くん」
「書類上は?」
「気持ちの問題かな」
「部活連、気持ちで所属が決まるんですか」
「違うよ」
そこで、部屋の奥から低い声が飛んできた。
十文字克人だった。
「正式な書類は今から書かせる」
聖火は動きを止めた。
ゆっくり振り返る。
十文字は机の上に、一枚の書類を置いていた。
見覚えのない書式。
いや、正確には見覚えがある。
部活連への正式加入届だった。
「鷹山」
「はい」
「書け」
「ついに来ましたか」
「今さらだ」
聖火は書類を手に取り、少しだけ苦笑した。
「俺の意思確認は?」
「今している」
「書け、という形で?」
「そうだ」
「それは確認ではなく命令では?」
「勧誘だ」
「十文字先輩の勧誘、いつも命令形ですね」
「問題あるか」
「あると言えばあります」
「なら、断るのか」
聖火は書類を見下ろした。
部活連。
見学のつもりで来た場所。
申請書を整理し、先輩たちに紅茶を淹れ、揉め事の記録を取り、十文字先輩に何度も注意された場所。
そして、気づけば自分の居場所の一つになっていた場所。
嫌ではなかった。
むしろ、少し面白いと思っていた。
「断る理由は、あまりありませんね」
「なら書け」
「やっぱり命令ですよね」
「勧誘だ」
聖火は苦笑しながら、加入届に名前を書いた。
鷹山聖火。
その文字を見た瞬間、女子の上級生が小さく拍手した。
「正式加入、おめでとう」
「ありがとうございます。逃げ道がなくなった気分です」
「最初からなかったよ」
「怖いですね、部活連」
「今さらだね」
室内に小さな笑いが起きた。
聖火も少し笑った。
だが、十文字だけは笑っていなかった。
「鷹山」
「はい」
「書き終えたら、少し来い」
その声で、聖火はすぐに分かった。
本題は、加入届ではない。
公開討論会の後始末。
そして、自分が勝手に動いた件だ。
「分かりました」
聖火は加入届を提出し、十文字の後に続いた。
向かったのは、部活連本部の隣にある小会議室だった。
以前、事情聴取で使った部屋に似ている。
机が一つ。
椅子が数脚。
壁際の簡易端末。
必要最低限の空間。
十文字は扉を閉めると、聖火へ向き直った。
「座れ」
「はい」
聖火は椅子に座った。
十文字は立ったままだった。
その時点で、説教の雰囲気が濃い。
「鷹山」
「はい」
「勝ったから許されると思うな」
最初の一言から重かった。
聖火は軽口を返しかけて、やめた。
十文字の目が、本気だったからだ。
「はい」
「おまえは座標だけ送って、単独で敵拠点に入った」
「はい」
「相手の数も、装備も、内部構造も分からない状態でだ」
「はい」
「さらに、広範囲の呪を使った」
「……はい」
「敵を殺していないからいい、と思ったか」
聖火は少しだけ視線を落とした。
「思っていません」
「本当にか」
「はい。軽い術ではありませんでした」
「分かっているなら、なぜ使った」
聖火は少し黙った。
答えはある。
けれど、正しい答えかは分からない。
「止めるには、それが一番早いと思いました」
「他に方法は」
「ありました」
「なら、なぜ選ばなかった」
「時間をかければ、逃げられると思いました」
十文字は黙った。
聖火は続けた。
「それと、俺は怒っていました」
「光井と北山の件か」
「はい」
聖火の声は静かだった。
「二人が襲われたことを見て、冷静ではありませんでした。だから、俺はあの場でやりすぎました」
十文字の表情は変わらない。
だが、責めるだけの沈黙ではなかった。
聖火は頭を下げた。
「すみませんでした」
小会議室に、短い沈黙が落ちた。
やがて、十文字が口を開く。
「判断は分かる」
聖火は顔を上げた。
「だが、認めるわけにはいかない」
「はい」
「おまえが戻らなければ、助けた意味がない」
その言葉は、廃工場で言われたものと同じだった。
だが、改めて聞くと、少し違う重さがあった。
「敵を倒すことと、自分を捨てることは違う」
十文字は静かに言った。
「おまえは、それを混同するな」
聖火は何も言えなかった。
達也くんにも、似たようなことを言われるかもしれない。
深雪ちゃんにも、ほのかちゃんにも、雫ちゃんにも。
そして、それを一番最初に正面から言ったのが、十文字先輩だった。
「覚えます」
聖火は言った。
「努力ではなく、覚えます」
十文字はしばらく聖火を見ていた。
「ならいい」
完全に許されたわけではない。
だが、説教の一つ目は終わったらしい。
一つ目。
そう思った時点で、聖火は嫌な予感がした。
「鷹山」
「はい」
「おまえを正式に部活連へ入れた理由を言う」
「人手不足ですか?」
「それもある」
「あるんですね」
「だが、それだけではない」
十文字は腕を組んだ。
「おまえを外に置いておく方が危ない」
聖火は少しだけ目を瞬かせた。
「俺、危険物扱いですか」
「半分はな」
「もう半分は?」
「使える人材だ」
「褒められているのか、管理されているのか分かりませんね」
「両方だ」
「正直ですね」
十文字は淡々と続ける。
「おまえは見えるものが多い。動ける。古式も使える。だが、判断が危うい時がある」
「はい」
「なら、役割を与えた方がいい。勝手に動くより、指示系統の中で動かした方がいい」
「俺を部活連に入れるのは、監視も兼ねていると」
「そうだ」
「言い切りましたね」
「隠す理由がない」
聖火は苦笑した。
だが、不思議と嫌ではなかった。
十文字先輩は、自分を便利に使おうとしているだけではない。
危ないから離すのではなく、危ないから近くに置く。
それは、少し不器用な信頼の形なのかもしれない。
「分かりました」
聖火は頷いた。
「部活連、正式に入ります」
「もう書いた」
「順番が逆では?」
「問題ない」
「あります」
「ない」
聖火は少し笑った。
十文字も、ほんのわずかに息を吐いた。
それで、小会議室の空気が少しだけ緩んだ。
「それと」
十文字が続ける。
「はい」
「紅茶係に任命する」
「それは正式役職ですか?」
「違う」
「ですよね」
「だが、ほかの者が喜んでいる」
「理由が雑です」
「部内の円滑な運営に貢献している」
「言い方を変えれば仕事っぽくなりますね」
「仕事だ」
「逃げられない」
「最初からだ」
聖火は肩を落とした。
それでも、口元には少しだけ笑みがあった。
小会議室を出ると、部活連本部の役員たちが一斉にこちらを見た。
「終わった?」
女子の上級生が聞く。
「説教がですか、加入手続きがですか」
「両方」
「たぶん終わりました」
「たぶん?」
「十文字先輩の説教は、後から追加されることがあるので」
「よく分かってるじゃない」
十文字が後ろから言う。
「必要なら追加する」
「やっぱり」
部屋に小さな笑いが広がった。
聖火は机へ戻り、書類の続きを手に取った。
すると、別の上級生がカップを差し出す。
「正式加入した紅茶係さん、紅茶おかわり」
「役職名が増えている」
「いいじゃない。似合ってるよ」
「褒められている気がしません」
「じゃあ、お茶請けもお願い」
「仕事が増えた」
「正式加入したからね」
「その理屈、便利ですね」
それでも聖火は、湯沸かし器の方へ向かった。
茶葉の場所は分かっている。
カップの数も分かっている。
先輩たちの好みも、少しずつ覚えてきた。
今日は、紅茶だけではない。
戸棚から小さな皿を取り出し、焼き菓子の箱を開ける。
中に入っていたのは、丸いスコーンだった。
聖火はそれを人数分に分け、小皿に並べる。
さらに、苺のジャムと、白いクリームを添えた。
「本格的だね」
女子の上級生が感心したように言う。
「置いてあったので」
「置いてあっても、普通ここまでしないよ」
「紅茶だけだと、少し寂しいかと思いまして」
「鷹山くん、本当に一年生?」
「一応」
聖火は苦笑しながら、紅茶を淹れ直した。
湯の温度。
茶葉の量。
蒸らす時間。
カップの位置。
そして、スコーンの皿を置く順番。
特別なことをしているつもりはない。
ただ、出すなら雑にはしたくなかった。
それだけだ。
「どうぞ」
聖火が紅茶とスコーンを並べると、部活連本部の空気が少しだけ緩んだ。
「ありがとう」
「助かる」
「これ、もう本当に正式な仕事じゃない?」
「やめてください。役職化されそうなので」
女子の上級生がスコーンにジャムを乗せながら笑った。
「でも、こういうのがあると、少し落ち着くね」
聖火はその言葉に、少しだけ目を細めた。
騒動の後始末。
山積みの書類。
十文字先輩の説教。
部活動の調整。
終わらない確認作業。
その中で、紅茶と甘いものが少しだけ空気を柔らかくする。
それなら、悪くない。
聖火はそう思った。
見学。
そう言っていた時期は、どうやら本当に終わったらしい。
聖火は紅茶を淹れながら、小さく息を吐いた。
部活連。
面倒で、忙しくて、説教が多くて、なぜか紅茶係まで押しつけられる場所。
けれど、ここにいることを嫌だとは思わなかった。
むしろ、少しだけ安心していた。
自分を見て、止めて、叱って、それでも使うと言ってくれる場所。
そういう場所は、案外貴重なのかもしれない。
「鷹山」
十文字の声がした。
「はい」
「茶が濃い」
「すみません」
「次は薄めろ」
「正式加入初日から細かいですね」
「正式加入したからだ」
「なるほど、逃げ場がない」
聖火は苦笑しながら、紅茶を淹れ直した。
部活連本部の空気は、いつものように忙しく、少しだけ温かかった。
その日、鷹山聖火は正式に部活連の一員になった。
本人が思っていたよりも、ずっと自然に。
不審な動きを察知して、独自で調査を行い、犯人を特定して、凶悪な国際テロ組織を一人で壊滅させた男のセリフではないですね。
何をいまさらと、設定している私も思いました。