魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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ついに九校戦に突入いたします。

今回は達也たちと絡むことが多いと思います。

ただ、十文字先輩とも絡みますね。


九校戦準備編

# 九校戦編 一話 足りない手

 

九校戦が近づくにつれて、第一高校の空気は目に見えて変わっていった。

 

普段なら放課後の教室や廊下に残る雑談の声も、今はどこか忙しない。

競技に出る者は練習へ向かい、補助に回る者は資料や機材の確認に追われる。

生徒会室や部活連本部には、普段以上に多くの生徒が出入りしていた。

 

九校戦は、選手だけで成り立つ行事ではない。

 

選手を選ぶ者。

日程を調整する者。

競技規定を確認する者。

機材を管理する者。

そして、選手のCADを調整する者。

 

表に立つ者の背後には、必ず裏方がいる。

 

その裏方の中で、今、最も不足しているものがあった。

 

人手である。

 

生徒会室では、九校戦に向けた打ち合わせが行われていた。

 

七草真由美、渡辺摩利、市原鈴音、中条あずさ。

そして、一年生側からは司波達也と司波深雪も同席している。

 

机の上には、選手候補の一覧、競技ごとの資料、CADの管理表、調整予定表が並んでいた。

資料だけを見ても、これからの作業量が軽くないことは明らかだった。

 

真由美は手元の資料を見ながら、小さく息をついた。

 

「やっぱり、エンジニアの人数が少ないわね」

 

その言葉に、鈴音が頷く。

 

「各学年に担当を置いてはいますが、実際には調整以外の作業も多いです。聞き取り、記録、設定履歴の確認、競技ごとの調整案の整理。すべてを担当者だけで処理するのは、かなり負担が大きいと思います」

 

摩利が腕を組んだ。

 

「選手の数を考えれば当然か。競技ごとにCADの設定も変わる。しかも本番までに何度も調整が入るとなれば、各学年一人で足りるわけがない」

 

あずさは資料を抱えながら、少し不安そうに言う。

 

「えっと……調整そのものも大変ですけど、選手の要望を整理するだけでも時間がかかります。『重い』とか『遅い』とか言われても、それが起動式の問題なのか、設定の問題なのか、使い方の問題なのか、すぐには分からないこともありますし……」

 

真由美はあずさの言葉に頷いた。

 

「そうなのよね。選手は選手で、自分の感覚を正確に言葉にできるとは限らないし」

 

そこで、部屋の視線が自然と達也へ向いた。

 

達也は資料に目を通していたが、視線を上げる。

 

「一人、補助スタッフに使える者がいます」

 

その一言に、生徒会室の空気がわずかに止まった。

 

真由美が意外そうに目を瞬かせる。

 

「補助スタッフ?」

 

「はい」

 

「誰かしら?」

 

達也は淡々と答えた。

 

「鷹山聖火です」

 

その名前に、深雪がわずかに目を動かした。

 

「聖火くんを、ですか?」

 

達也は深雪に頷き返した。

 

「CADの実務経験は多くありません。俺の代わりはできません」

 

摩利が眉を寄せる。

 

「なら、なぜ推薦する?」

 

「基本設定と調整の考え方は理解しています。選手からの聞き取り、設定履歴の確認、違和感の整理、各担当への報告なら任せられます」

 

達也は一度、机の上に置かれた資料へ視線を落とした。

 

「俺の作業量を減らすことはできます」

 

真由美は少し興味深そうに微笑んだ。

 

「司波くんがそう言うのは珍しいわね」

 

「必要だからです」

 

「鷹山くんって、部活連の方でも手伝いをしている子よね?」

 

「はい」

 

「確かに、十文字くんからも名前は聞いているわ。雑務を嫌がらずに動ける子だって」

 

摩利が真由美を見る。

 

「だが、CADに関わるなら確認は必要だ。勝手に調整を触らせるわけにはいかない」

 

「そのつもりはありません」

 

達也は即答した。

 

「鷹山を俺の専属にする必要もありません。各担当の補佐として回すべきです」

 

鈴音が眼鏡の位置を直しながら、達也の言葉を引き取る。

 

「つまり、技術補佐兼記録係。必要に応じて各学年の担当者を補助する、という形ですね」

 

「はい」

 

達也は頷いた。

 

「特に一年の一科生選手との聞き取りに向いています。同じ一科生であれば、選手側も話しやすいでしょう」

 

あずさが少し驚いたように達也を見る。

 

「司波くんが、そういうところまで考えているんですね」

 

「必要な要素です」

 

達也の返答はいつも通り淡々としていた。

 

真由美は楽しそうに目を細める。

 

「なるほど。一年の一科生側と、エンジニア側の橋渡しね」

 

「はい」

 

「たしかに、司波くんは優秀だけど、選手側が遠慮する可能性はあるものね」

 

達也は否定しなかった。

 

二科生である達也が九校戦のエンジニアとして選ばれる。

それだけでも、周囲に少なからず波紋は生まれるだろう。

 

実力があれば問題ない。

理屈ではそうだ。

 

だが、人間は理屈だけで動くわけではない。

 

特に、まだ一年生であればなおさらだ。

 

摩利は腕を組んだまま、少し考え込んだ。

 

「鷹山自身は了承しているのか?」

 

「まだです」

 

達也は平然と言った。

 

その場の空気が一瞬止まる。

 

真由美が目を瞬かせた。

 

「まだ?」

 

「はい」

 

エリカがこの場にいれば、まず間違いなく突っ込んでいただろう。

 

摩利も少し呆れた顔になる。

 

「本人の了承なしに推薦したのか」

 

「了承を取る前に、この場で必要性を確認した方が早いと判断しました」

 

「合理的ではあるが、強引だな」

 

「時間がありません」

 

達也の言葉に、真由美は口元に手を当てて笑った。

 

「司波くんらしいわね。じゃあ、本人を呼びましょうか」

 

「すでに近くにいるはずです」

 

達也がそう言った時、ちょうど生徒会室の扉が軽くノックされた。

 

「失礼します」

 

入ってきたのは、鷹山聖火だった。

 

手には、資料の入った封筒と小さな紙袋を持っている。

おそらく部活連か、生徒会へ届け物でも頼まれたのだろう。

 

聖火は室内の顔ぶれを見て、一瞬だけ足を止めた。

 

「……思ったより偉い人が多いね」

 

真由美がにこやかに言う。

 

「こんにちは、鷹山くん」

 

「こんにちは、七草先輩。こちら、十文字先輩から預かった資料です」

 

「ありがとう」

 

聖火は資料を差し出した後、達也の方を見た。

 

「達也くん」

 

「何だ」

 

「俺の知らないところで、俺の名前が出ていた気がするんだけど」

 

「出した」

 

「そこは否定してほしかったな」

 

「事実だ」

 

「そういうところだよ」

 

聖火は小さく息をついた。

 

深雪が少しだけ口元を緩める。

 

真由美は面白そうに二人を見比べた。

 

「鷹山くん、少し相談があるの」

 

「相談、ですか」

 

聖火は真由美の穏やかな笑顔を見て、わずかに警戒したような顔をした。

 

「その言い方、断りづらい相談ですね」

 

「あら、鋭いわね」

 

「今ので確定しました」

 

摩利が軽く咳払いする。

 

「九校戦の準備で、エンジニア側の人手が不足している」

 

「はい」

 

「そこで、司波が君を補助スタッフとして推薦した」

 

聖火はゆっくりと達也を見た。

 

「達也くん?」

 

「人手が足りない」

 

「説明が短い」

 

「事実だ」

 

「その事実の中に、どうして俺が含まれているのかな」

 

「お前なら補佐に使える」

 

「使えるって言い方が雑だね」

 

「正確だ」

 

「そういうところだよ、本当に」

 

聖火は額に手を当てた。

 

「先に言っておくけど、俺は達也くんの代わりにはならないよ。CADを使う機会も少ないし、実務経験も多くない」

 

「知っている」

 

「知っていて推薦したの?」

 

「そうだ」

 

「強いな」

 

達也は表情を変えずに続ける。

 

「お前に俺の代わりは求めていない」

 

「そこは少し安心したけど、少し傷ついた」

 

「事実だ」

 

「事実は時々痛いんだよ」

 

真由美が肩を震わせて笑いを堪えている。

あずさは少し困ったように、しかし興味深そうに聖火を見ていた。

 

鈴音が実務的な声で尋ねる。

 

「鷹山くん。あなたはCADの調整作業について、どの程度理解していますか?」

 

聖火は少しだけ姿勢を正した。

 

「達也くんが作業しているところを、昔から何度も横で見ています。基本設定や調整の考え方、設定履歴の見方くらいは分かります。ただ、自分で最終調整を任されるほどではありません」

 

「では、単独で選手用CADを管理することは?」

 

「しません。というより、できると言うべきではないと思います」

 

聖火ははっきり答えた。

 

「俺ができるのは、選手の聞き取り、記録整理、設定履歴の確認、違和感の整理。それから、担当エンジニアに渡す前の情報整理くらいです。最終調整には勝手に触りません」

 

摩利はその返答に、少しだけ表情を緩めた。

 

「自分の範囲を分かっているなら、危険は少ないか」

 

あずさも少し安心したように頷く。

 

「あの、最終設定は担当エンジニアが確認するんですよね?」

 

「はい。勝手に触ったら、達也くんに怒られます」

 

達也が淡々と言う。

 

「怒る前に止める」

 

「そこは信頼してほしかった」

 

「信頼しているから、補佐に推薦した」

 

聖火は一瞬、言葉を止めた。

 

達也の声は変わらない。

淡々としている。

 

だが、それがただの便利使いではないことくらいは分かった。

 

聖火は小さく息を吐いた。

 

「……そう言われると、断りづらいね」

 

深雪がそこで静かに口を開いた。

 

「聖火くん」

 

「はい」

 

「どうか、お兄様をお助けいただけませんか」

 

その言葉に、聖火は今度こそ完全に沈黙した。

 

数秒後、聖火は達也を見た。

 

「達也くん」

 

「何だ」

 

「深雪ちゃんをこの場に置いているのは反則だと思う」

 

「偶然だ」

 

「本当に?」

 

「偶然だ」

 

「二回言われると、逆に怪しいんだけど」

 

深雪は少しだけ微笑んだ。

 

「聖火くん、無理にとは言いません」

 

「深雪ちゃんにそう言われる時点で、もう断る難易度が上がっているんだよ」

 

「そうですか?」

 

「そうなんだよ」

 

聖火は諦めたように肩を落とした。

 

「分かりました。ただし、条件があります」

 

真由美が微笑む。

 

「聞きましょう」

 

「俺はエンジニアではなく、補助スタッフです。最終調整には勝手に触りません。担当の確認を通します」

 

「ええ」

 

「選手側の話を聞いて、必要な情報を整理することはできます。でも、選手の感覚を必ず正しく拾えるとは限りません」

 

「それも当然ね」

 

「それから、達也くんの専属ではなく、各担当の補佐として動くなら、指示系統をはっきりさせてください。誰の指示を優先するのか分からないと、たぶん現場で混乱します」

 

鈴音が頷いた。

 

「妥当な意見です」

 

真由美も満足げに頷く。

 

「では、鷹山くんには技術補佐兼記録係として入ってもらいます。基本的な指示は生徒会と技術担当から。現場では各担当エンジニアの指示に従うこと。司波くんの補佐だけではなく、必要に応じて一年生側の聞き取りや連絡にも回ってもらう。これでどうかしら?」

 

「分かりました」

 

「それと、十文字くんにはこちらから話を通しておくわ。部活連の手伝いとの兼ね合いもあるでしょうし」

 

「ありがとうございます」

 

聖火は丁寧に頭を下げた。

 

摩利が資料を一枚取り上げる。

 

「では早速だが、九校戦の準備に入ってもらう」

 

「早速ですね」

 

「時間がない」

 

「さっき達也くんにも同じことを言われました」

 

「なら話が早い」

 

「早く進むことと、心の準備ができることは別なんですが」

 

聖火のぼやきに、真由美が楽しそうに笑う。

 

鈴音は机の上の資料を数束に分け、その一部を聖火の前に置いた。

 

「まずは一年生選手候補の競技別一覧、調整希望の初期メモ、現在の担当割り振りです。目を通してください」

 

聖火は資料の厚みを見た。

 

「……これ、全部ですか?」

 

鈴音は静かに答える。

 

「最初の分です」

 

「最初」

 

「はい」

 

聖火は達也を見た。

 

「達也くん、俺の役割は補佐だったよね?」

 

「補佐だ」

 

「補佐の量じゃない気がする」

 

「慣れろ」

 

「優しさがない」

 

深雪が少しだけ心配そうに聖火を見る。

 

「聖火くん、大丈夫ですか?」

 

聖火はその視線を受けて、少し笑った。

 

「大丈夫。できる範囲でやるよ」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、深雪ちゃん」

 

「はい」

 

「もし俺が資料に埋もれていたら、達也くんを止めてね」

 

深雪は一瞬だけ考えた後、申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「お兄様が必要だと判断されたのであれば、私には止められないかもしれません」

 

「そこは止めてほしかった」

 

達也が淡々と言う。

 

「無駄話をしている時間はない」

 

「はいはい」

 

聖火は資料の一束を手に取り、最初のページをめくった。

 

選手名。

競技名。

使用CAD。

設定履歴。

選手本人の要望。

調整担当者のメモ。

 

そこには、単なる数値だけではない情報が並んでいた。

 

「起動が重い」

「二回目以降の反応が鈍い」

「踏み切る直前に違和感」

「狙いを定めた後、手元が遅れる」

「練習後半で精度低下」

 

聖火はその中の一つに目を止めた。

 

「達也くん」

 

「何だ」

 

「この『一回目は問題ないが、二回目以降で重い』っていうメモ、CADだけの問題とは限らないかもしれない」

 

達也は視線を向けた。

 

「根拠は?」

 

「本当に設定だけが原因なら、毎回同じ違和感になる可能性が高いと思う。二回目以降というなら、疲労、呼吸、姿勢、踏み切りの癖が混ざっているかもしれない」

 

聖火はメモを指先で軽く叩く。

 

「選手本人に、いつ重く感じるのか聞いた方がいい。起動前なのか、発動後なのか、次の動作に移る時なのかで、見る場所が変わると思う」

 

達也は短く答えた。

 

「確認する価値はある」

 

それだけだった。

 

だが、その一言で十分だった。

 

真由美はそのやり取りを見て、少しだけ目を細める。

 

「なるほど。司波くんが推薦するわけね」

 

聖火は苦笑した。

 

「まだ一つ気になっただけですよ」

 

「それで十分よ。気づく人が一人増えるだけで、現場は楽になるもの」

 

摩利も頷く。

 

「選手の感覚をそのまま担当に投げるよりは、整理して渡してもらえる方がいい」

 

鈴音はすでに手元の用紙に何かを書き込んでいた。

 

「では、鷹山くんには一年生選手の聞き取りを優先してもらいましょう。特に一科生側との連絡役を兼ねてもらいます」

 

「分かりました」

 

あずさが少し遠慮がちに言う。

 

「あの……もし分からないことがあったら、聞いてください。私もCADの方なら、答えられることはあると思うので」

 

「ありがとうございます、中条先輩。助かります」

 

聖火が素直に礼を言うと、あずさは少し慌てたように手を振った。

 

「い、いえ、こちらこそ」

 

深雪はその様子を見て、柔らかく微笑んでいた。

 

達也はすでに次の資料へ視線を戻している。

 

「鷹山」

 

「何?」

 

「まずはその三件を聞き取れ。終わったら俺に回せ」

 

「了解。選手にはどう言えばいい?」

 

「正直に言えばいい。エンジニア補助だと」

 

聖火は少し考えた。

 

「それだと硬いな。選手の『何か変』を、担当に渡せる形にする係、くらいにしておくよ」

 

達也はわずかに頷いた。

 

「それでいい」

 

「珍しく柔らかい言い方を認めたね」

 

「実用的だからだ」

 

「達也くんらしい」

 

聖火は資料を抱え直した。

 

その重さは、紙の量だけではない。

これから始まる九校戦の裏方としての責任が、そこに少しだけ乗っているような気がした。

 

選手としてではない。

達也の専属でもない。

目立つ役割でもない。

 

けれど、誰かの違和感を拾い、誰かの負担を減らし、誰かが本番で力を出せるように整える。

 

それもまた、九校戦に関わる一つの形なのだろう。

 

聖火は小さく息を吐いた。

 

呼吸を整える。

力みを抜く。

目の前の仕事を、ひとつずつ片づける。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

そう言って、聖火は生徒会室を出ようとした。

 

その背中に、深雪の声がかかる。

 

「聖火くん」

 

聖火は振り返った。

 

「はい」

 

「お兄様を、よろしくお願いいたします」

 

聖火は一瞬、達也を見た。

 

達也は何も言わない。

 

聖火は少しだけ笑った。

 

「できる範囲で、頑張るよ」

 

「はい」

 

深雪は静かに微笑んだ。

 

その笑みを受けて、聖火は今度こそ生徒会室を出た。

 

それから数日間、聖火の放課後は九校戦の準備で埋まることになった。

 

最初に任されたのは、一年生選手候補への聞き取りだった。

 

聖火は、自分がエンジニアではないことを最初に伝えた。

 

「俺は調整担当じゃないよ。選手の『何か変』を、担当に渡せる形にする係だと思ってくれればいい」

 

そう言うと、最初は戸惑っていた一科生の選手たちも、少しずつ話し始めた。

 

「発動が遅い気がする」

「二回目から重い」

「狙う時に手元が遅れる」

「練習の後半になると、妙に焦る」

 

その言葉は、どれも曖昧だった。

 

だが、曖昧だからこそ、聖火の出番があった。

 

聖火はそれをそのまま達也に渡さなかった。

いつ、どの動作で、どんな感覚になるのか。

疲労が出る前か、出た後か。

魔法を発動する前か、発動後の次動作か。

選手本人が無意識に見落としている癖はないか。

 

一つずつ聞き、必要な形に整えていった。

 

その聞き方は、単なる技術補佐のものではなかった。

 

聖火は、相手の言葉だけを聞いているわけではない。

呼吸の浅さ。

手の冷え。

肩の力み。

視線の揺れ。

話す速度。

声の硬さ。

 

そういう小さなものを見ていた。

 

かつて衛生兵として身につけた癖が、自然と出ていた。

 

怪我人や疲労した兵士は、必ずしも自分の状態を正しく言葉にできるわけではない。

痛いと言わなくても、痛みをかばう動きは出る。

怖いと言わなくても、呼吸は浅くなる。

大丈夫だと言っても、目の焦点が少しずれることがある。

 

だから、言葉だけを信じすぎない。

けれど、言葉を軽く扱いもしない。

 

今の聖火が見ているのは戦場ではない。

相手は兵士ではなく、九校戦に向かう学生たちだ。

 

それでも、緊張や疲労が人の動きを狂わせることに変わりはなかった。

 

ある選手は、CADの起動が重いと訴えていた。

だが話を聞いてみると、実際に重く感じているのは二度目の発動前だった。

聖火が練習を見てみると、その選手は一回目の発動後、わずかに肩へ力を残したまま次の姿勢に入っていた。

 

それを達也へ伝えると、達也は設定の確認と同時に、選手へ短く指示を出した。

 

「二回目の前に肩を抜け。CADだけの問題ではない」

 

その後、調整は大きな変更ではなく、起動タイミングの微修正に留まった。

それでも、選手本人の感覚は大きく変わったらしい。

 

「さっきより、変な引っかかりが少ない」

 

その言葉を聞いた時、聖火は自分の仕事の意味を少し理解した。

 

調整そのものをしたのは達也だ。

判断したのも達也だ。

 

だが、その前に選手の違和感を整理できたことで、達也が見るべき場所は少し絞られた。

 

それだけでも、意味はあった。

 

いつの間にか、聖火の仕事は聞き取りや記録整理だけではなくなっていた。

 

調整待ちの選手が緊張で口数を減らしていれば、聖火は何気ない雑談を挟んだ。

指先が冷えている選手には、温かい飲み物を渡した。

胃が重いと言う者には、さっぱりした香りのハーブティーを選んだ。

眠りが浅いと言う者には、カフェインの少ないものを勧めた。

 

もちろん、治療ではない。

薬でもない。

医療行為などと呼ぶほど大げさなものでもない。

 

ただ、身体を少し温める。

呼吸を整える。

気持ちを切り替える。

言葉にできない不安を、少しだけ外に出させる。

 

それだけだった。

 

けれど、それだけで変わることもある。

 

「さっきより、少し落ち着いた気がする」

 

そう言った選手に、聖火は軽く笑って答えた。

 

「なら良かった。CADの調整は担当に任せるとして、使う本人が固まってたら意味ないからね」

 

聖火自身、最初から精神面のケアを担当するつもりだったわけではない。

ただ、聞き取りをしているうちに、相手の緊張や疲労が見えてしまった。

見えてしまえば、放っておけなかった。

 

達也はそれに気づいていた。

 

ある日の作業後、達也が聖火を呼び止めた。

 

「鷹山」

 

「何?」

 

「さっきの選手、聞き取り前より呼吸が安定していた」

 

「そう?」

 

「お前が何かしたのか」

 

「温かいのを飲ませて、少し話しただけだよ」

 

「それで十分だったということか」

 

「たぶんね。CADが悪いんじゃなくて、本人が固まってただけの部分もあったんだと思う」

 

達也は短く頷いた。

 

「継続しろ」

 

「命令が自然だね」

 

「有効だからだ」

 

「はいはい」

 

達也らしい評価だった。

 

褒めるでもなく、慰めるでもない。

ただ、有効だと判断したから続けろと言う。

 

聖火にとっては、それで十分だった。

 

別の日には、あずさの作業を手伝った。

 

あずさはCADの扱いに長けていたが、頼まれごとが集中すると、資料の整理が追いつかなくなることがあった。

聖火は設定履歴の記録をまとめ、競技ごとの調整予定を見やすく並べ直した。

 

「あずさ先輩、少し休みませんか」

 

「えっ、でも、まだ資料が……」

 

「だから休むんです。手が止まってます」

 

「止まってました?」

 

「はい。三回同じ紙を見てました」

 

「あう……」

 

聖火は紙袋から小さな包みを取り出し、温かいハーブティーを用意した。

 

「カフェイン少なめです。胃にも優しいと思います」

 

「す、すみません……」

 

「謝るところじゃないです。倒れたら達也くんの仕事が増えます」

 

「それは困りますね……」

 

あずさは両手でカップを受け取り、少しずつ飲んだ。

 

しばらくすると、こわばっていた肩が少しだけ下がる。

 

「……すごく助かります」

 

「あずさ先輩が調整に集中できるなら、その方がいいですから」

 

「でも、鷹山くんも忙しいんじゃ……」

 

「忙しいですね」

 

聖火は正直に答えた。

 

「でも、達也くん一人に投げるよりはましです」

 

その言葉に、あずさは少し笑った。

 

「司波くん、遠慮なく仕事を振りますよね」

 

「振りますね。しかも必要な分だけ正確に」

 

「それがまた断りづらいんですよね……」

 

「分かります」

 

二人は少しだけ同じ苦労を共有した。

 

また別の日には、部活連との連絡も兼ねて十文字克人のところへ顔を出した。

 

聖火が九校戦スタッフに回ることについては、すでに真由美から話が通っていたらしい。

 

十文字はいつものように落ち着いた表情で頷いた。

 

「鷹山、九校戦の補助に回るそうだな」

 

「はい。いつの間にか巻き込まれていました」

 

「お前なら、雑務も聞き取りもできるだろう」

 

「十文字先輩、それは評価されていますか? 便利に使われていますか?」

 

「両方だ」

 

「正直ですね」

 

「必要な役目だ」

 

その一言に、聖火は少しだけ姿勢を正した。

 

「部活連の方は、手が空いた時に手伝います」

 

「無理はするな。九校戦の準備を優先しろ」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、倒れる前に報告しろ」

 

「倒れる前提ですか?」

 

「無茶をしそうだからな」

 

聖火は苦笑するしかなかった。

 

十文字の言葉は短い。

だが、そこには確かな気遣いがあった。

 

それから十文字は、少しだけ聖火の手元に視線を向けた。

 

「その包みは?」

 

「ハーブティーです。調整待ちの選手や、疲れているスタッフに出してます」

 

「お前は、いつの間にそんなことまでしているんだ」

 

「気づいたら、そうなってました」

 

「人を休ませるのが上手いな」

 

「働かせる人が多いので、休ませる人も必要です」

 

十文字はわずかに目を細めた。

 

「なるほどな」

 

それ以上は言わなかった。

 

だが、聖火には、それが十文字なりの納得なのだと分かった。

 

その頃には、聖火の役割は少しずつ現場に浸透し始めていた。

 

達也に直接言いにくいことを、まず聖火に伝える一年生。

設定履歴の確認を頼む上級生エンジニア。

聞き取り内容を整理してほしいと資料を渡す生徒会役員。

調整後の感覚を、少し照れながら報告に来る選手。

緊張で固まった時に、何も言わず温かい飲み物を受け取りに来る者。

 

聖火はそのたびに、できることとできないことを分けた。

 

「それは俺じゃなくて担当に確認しよう」

「これは設定というより、動作の癖かもしれない」

「その言い方だと伝わりづらいから、いつ、どこで、どう重いのかに分けよう」

「勝手にCADはいじらないよ。俺が達也くんに怒られる」

「一回、息を吐こうか。吸う前に吐く。そこから話そう」

 

最後の一言は、思ったより効果があった。

 

達也は否定しなかった。

 

深雪は、聖火が資料と小さな紙袋を抱えて廊下を歩いているところを何度か見かけた。

 

そのたびに声をかけた。

 

「聖火くん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫。まだ資料に埋もれてないよ」

 

「お兄様に無理を言われていませんか?」

 

「無理は言われてるけど、無駄は言われてないかな」

 

深雪はそれを聞いて、少しだけ困ったように微笑んだ。

 

「お兄様らしいですね」

 

「そこは否定しないんだ」

 

「はい」

 

「深雪ちゃんは本当に達也くんに甘いね」

 

「当然です」

 

迷いのない返答に、聖火は笑うしかなかった。

 

深雪は、聖火の持つ紙袋に視線を落とす。

 

「今日も、差し入れですか?」

 

「うん。今日はカフェイン少なめのものと、胃が重い人向けのもの。あとは、少しだけ甘いもの」

 

「聖火くんは、選手の方々を安心させるのがお上手ですね」

 

「そんな大したことはしてないよ。話を聞いて、お茶を出してるだけ」

 

「それが必要なことなのだと思います」

 

聖火は少しだけ言葉を止めた。

 

深雪の声は静かだったが、そこにははっきりとした肯定があった。

 

「深雪ちゃんにそう言われると、少し救われるね」

 

「本当のことですから」

 

深雪は穏やかに微笑んだ。

 

九校戦の出発日が近づくにつれ、準備はさらに慌ただしさを増した。

 

選手用のCADは順番に確認され、調整記録は整理され、競技ごとの注意点もまとめられていった。

すべてが完璧とは言えない。

まだ不安も残っている。

 

だが、最初に比べれば、現場の混乱は確かに減っていた。

 

聖火が入ったことで、達也の負担が劇的に消えたわけではない。

 

達也は相変わらず、多くの作業を抱えていた。

高度な判断も、最終的な調整も、達也でなければできないことが多かった。

 

けれど、達也に届く前の情報は少し整理された。

選手の言葉は、少し具体的になった。

上級生エンジニアたちの手も、少しだけ空いた。

 

そして何より、調整を待つ選手たちの表情が、少しだけ柔らかくなっていた。

 

それだけでも、十分な変化だった。

 

そして、九校戦へ向かう日が来た。

 

第一高校の生徒たちは、荷物を手に集合していた。

 

選手たちの表情には緊張がある。

だが、その中には期待もあった。

 

生徒会、風紀委員、部活連、技術スタッフ。

それぞれが自分の役割を持ち、出発の時を待っている。

 

聖火もまた、スタッフ用の資料と必要な記録をまとめた鞄を肩にかけていた。

鞄の中には資料だけでなく、小さな包みと茶葉の入った袋もいくつか入っている。

 

深雪が、静かに歩み寄ってくる。

 

「聖火くん」

 

「深雪ちゃん」

 

「道中もお忙しいと思いますが、どうか無理はなさらないでください」

 

「ありがとう。できる範囲で頑張るよ」

 

「はい」

 

深雪は柔らかく微笑んだ。

 

少し離れた場所では、達也が荷物と資料の確認を終えていた。

聖火はその姿を見て、軽く肩をすくめる。

 

「達也くん」

 

「何だ」

 

「俺、結局かなり働いた気がする」

 

「助かった」

 

短い言葉だった。

 

だが、聖火はそれだけで十分だった。

 

「それ、かなり珍しい評価だね」

 

「事実だ」

 

「今日はその事実、悪くないね」

 

達也は答えず、わずかに視線を動かした。

 

「これからが本番だ」

 

「分かってる」

 

聖火は小さく息を吐いた。

 

呼吸を整える。

肩の力を抜く。

目の前の役割を見失わない。

 

九校戦は、選手たちの戦いである。

だが、裏方にも裏方の戦いがある。

 

誰かの違和感を拾うこと。

誰かの不安を整理すること。

誰かが本番で力を出せるように支えること。

 

それが、聖火に与えられた役割だった。

 

出発を告げる声が響く。

 

第一高校の一行が、九校戦の舞台へ向けて動き出す。

 

聖火は資料と茶葉の入った鞄を持ち直し、達也たちの後に続いた。

 

九校戦が、始まる。

 




いよいよスタートいたします。
先に言っておくと原作と同じ流れになりますので、聖火が選手としては出ません。

というのも、十文字先輩が聖火を選手として出してします。どんなことが起こるかわからないということで、生徒会との協議で選手には選ばれませんでした。という裏話があります。

ちなみに生徒会からの要請ではモノリスコードの参加でした。
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