魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

24 / 25
九校戦編2

 

 

車列がホテルへ到着した時、第一高校の一行を包む空気は、出発時とは明らかに違っていた。

 

九校戦へ向かう高揚は残っている。

だが、それよりも先に、先ほどの襲撃が残した緊張があった。

 

観光バスから降りる選手たちは、表面上は落ち着いている。

けれど、声は少し小さい。

荷物を持つ手にも、どこか硬さが残っている。

 

技術スタッフ側の車両から降りた聖火は、周囲を一度だけ見回した。

 

ホテルの入口。

出迎えの関係者。

到着した生徒たち。

荷物を下ろすスタッフ。

観光バスから降りる選手たち。

そして、少し遅れて駆け寄ってくるメディカルスタッフらしき数名。

 

騒ぎが完全に収まったわけではない。

むしろ、ここからが見落としの出やすい時間だった。

 

聖火は鞄から名簿を取り出した。

 

全体名簿。

車両別名簿。

体調メモ。

 

それを片手に、すぐに声を上げる。

 

「第一高校、到着後確認をします。名前を呼ばれた人は返事をしてください。怪我、気分不良、吐き気、しびれがある人は隠さないでください」

 

その声に、周囲の数人が振り返った。

 

聖火の声は大きすぎない。

だが、不思議と通る。

 

命令ではない。

しかし、従うべきだと思わせる響きがあった。

 

真由美がわずかに目を瞬かせる。

摩利も一瞬、聖火の方を見た。

 

だが、二人とも止めなかった。

 

聖火はすでに動いていた。

 

怪我人がいるかもしれない時、許可を待つ癖は聖火にはなかった。

 

誰の担当か。

どこまでが自分の役割か。

そんな線引きは、後でいい。

 

まず、倒れている者がいないか。

痛みを隠している者がいないか。

恐怖で息を詰まらせている者がいないか。

 

それを確認する方が先だった。

 

「技術スタッフ車両から確認します」

 

聖火は車両別名簿を開く。

 

「あずさ先輩」

 

「は、はい」

 

「肩の痛みは強くなっていませんか?」

 

「少し痛いですけど、大丈夫です」

 

「大丈夫かどうかは後で確認します。肩を上げないでください」

 

「あ、はい」

 

聖火は名簿に印をつける。

 

肩部打撲。

意識清明。

歩行可能。

要確認。

 

次に、右手首を打ったスタッフへ向かう。

 

「右手首、しびれは?」

 

「ありません」

 

「握れますか。軽くでいいです」

 

相手が指を動かす。

 

「動きます」

 

「無理に使わないでください。腫れが出るかもしれません。後でメディカルスタッフに確認してもらいます」

 

「はい」

 

右手首打撲疑い。

しびれなし。

歩行可能。

経過観察。

 

次に、過呼吸気味だった生徒を見る。

 

「呼吸は?」

 

「落ち着きました」

 

「吐き気は?」

 

「少しだけ……」

 

「分かりました。立っているのがつらくなったら、すぐ座ってください。無理に荷物を持たないで」

 

気分不良。

過換気後。

軽い嘔気あり。

座位で経過観察。

 

あずさがその様子を、少し驚いたように見ていた。

 

聖火の口調が、いつもと違う。

 

普段の聖火は、どこか柔らかい。

軽口を挟み、相手を緊張させないようにする。

 

だが今は違った。

 

短い。

速い。

迷いがない。

 

必要なことだけを聞き、必要なことだけを記録している。

 

「選手側、確認します」

 

聖火は全体名簿を開き、観光バス側へ向かった。

 

選手たちは、真由美や摩利の指示で大きく乱れることなく降車していた。

十文字克人が近くに立ち、周囲の安全を確認している。

 

聖火はまず、摩利の方へ向かった。

 

「摩利先輩。報告にあった軽い打撲二名、気分不良一名はどなたですか」

 

摩利は一瞬だけ眉を上げた。

 

「早いな」

 

「時間が経つと、申告が変わることがあります」

 

「分かった。こっちだ」

 

摩利はすぐに案内した。

 

聖火は名簿に目を走らせながら、一人ずつ確認していく。

 

「痛い場所は?」

 

「左肘です」

 

「しびれは?」

 

「ないです」

 

「動かせますか。無理はしないで」

 

「はい」

 

左肘打撲疑い。

しびれなし。

歩行可能。

 

次の選手は右膝を軽くぶつけていた。

 

「歩いた時に痛みは?」

 

「少しあります」

 

「階段は避けた方がいいですね。今は荷物を持たないでください」

 

「え、でも……」

 

「荷物は後です。痛みを増やす方が問題です」

 

右膝打撲疑い。

歩行可。

階段注意。

荷物運搬不可。

 

気分不良を訴えていた選手は、顔色が少し悪かった。

 

聖火は正面からではなく、少し斜めの位置に立つ。

 

「吐き気は?」

 

「少し……でも、大丈夫です」

 

「大丈夫かどうかは後で判断します。朝食は?」

 

「少しだけ」

 

「車内で気分が悪くなったのは、揺れの直後ですか? それとも降りてから?」

 

「揺れた後です」

 

「分かりました。座れる場所に移動しましょう。温かいものより、まず水を少し。無理に飲みすぎないで」

 

気分不良。

軽い嘔気。

朝食少なめ。

揺れ後発症。

座位で経過観察。

 

真由美がその様子を少し離れた場所から見ていた。

 

「鷹山くん」

 

「はい」

 

聖火は名簿から顔を上げずに返事をした。

 

「あなた、本当に補助スタッフなのよね?」

 

「はい」

 

「今の動き、補助スタッフの範囲を少し越えていなかったかしら」

 

聖火は一瞬だけ考えた。

 

「怪我人が出た場合は、範囲外でも確認します」

 

真由美はわずかに目を細める。

 

「……そう」

 

その声には、いつもの軽いからかいとは違う響きがあった。

 

摩利も、聖火の手元の名簿を見ていた。

 

「鷹山」

 

「はい」

 

「助かった。報告が早い。こちらの確認も楽になる」

 

「怪我人は時間が経つと申告が変わることがあります。後で再確認した方がいいです」

 

「分かった。手配する」

 

摩利はそこで、少しだけ眉を上げた。

 

「……慣れているな」

 

「少しだけです」

 

「少し、ではないな」

 

聖火は返事をしなかった。

 

その時、ホテル側からメディカルスタッフが駆け寄ってきた。

 

白衣ではなく、動きやすい制服に近い服装。

胸元には救護担当であることを示す表示がある。

 

「負傷者は?」

 

先頭の男性スタッフが尋ねた。

 

聖火は名簿を開いたまま答える。

 

「重傷者なし。歩行不能者なし。意識は全員確認済みです」

 

その場にいた数人が、聖火の方を見た。

 

聖火は気づかない。

 

あるいは、気づいていても気にしなかった。

 

「軽度打撲疑いが五名。技術スタッフ側で右手首一名、肩部一名。選手側で左肘一名、右膝一名、他に軽い接触打撲が一名。しびれの訴えは今のところありません」

 

メディカルスタッフの男性が、一瞬だけ目を瞬かせた。

 

聖火は続ける。

 

「気分不良が二名。うち一名は車内で過換気気味でしたが、現在は落ち着いています。ただし軽い嘔気あり。もう一名は揺れの後に吐き気を訴えています。朝食少なめ、待機疲労あり。どちらも座位で経過観察が必要だと思います」

 

「……確認済みですか?」

 

「応急確認だけです。診断はしていません」

 

「君は医療担当?」

 

「第一高校の補助スタッフです」

 

「補助スタッフ?」

 

「はい」

 

メディカルスタッフは、ほんの少しだけ言葉に詰まった。

 

だが、すぐに表情を切り替える。

 

「分かりました。助かります。名簿を見せてもらえますか」

 

「こちらです。赤が打撲、青が気分不良、黄色が経過観察です。右膝の選手は階段注意。手首を打ったスタッフは荷物を持たせないでください」

 

「了解。先に気分不良者から見ます」

 

「お願いします。過換気気味だった方は、今は落ち着いていますが、外の騒ぎを見せない方がいいと思います」

 

「そこまで見ているんですね」

 

「必要そうなところだけです」

 

メディカルスタッフは、今度こそはっきりと聖火を見た。

 

「普通、必要なことが何か分からないものですよ」

 

聖火は一瞬だけ黙った。

 

それから、視線を名簿へ戻す。

 

「昔、少しだけ似たようなことをしていたので」

 

「似たようなこと?」

 

「人が倒れた時に、誰に何を伝えるかを覚えただけです」

 

メディカルスタッフはそれ以上聞かなかった。

 

「分かりました。引き継ぎます。あなたは?」

 

「自分は全体の再確認を続けます。必要なら呼んでください」

 

「了解しました」

 

そのやり取りを見ていたあずさは、ぽつりと呟いた。

 

「補助スタッフ……」

 

その声に、聖火が振り向く。

 

「中条先輩、肩は動かさないでくださいね」

 

「は、はい」

 

あずさは反射的に頷いた。

 

けれど、表情にはまだ驚きが残っている。

 

「あの、鷹山くん……」

 

「はい?」

 

「今の、普通にできることなんですか?」

 

「負傷者確認ですか?」

 

「いえ、その、言い方というか、報告の仕方というか……」

 

「必要なことを伝えただけですよ」

 

「それが普通にできないと思います……」

 

聖火は少し困ったように笑った。

 

「慣れない方がいいことです」

 

あずさは、その言葉に何も返せなかった。

 

そこへ、達也が近づいてきた。

 

「鷹山」

 

「何?」

 

「報告が早かった」

 

「急ぐところだからね」

 

「普段より口調が違った」

 

聖火は一瞬だけ黙った。

 

「そう?」

 

「ああ」

 

「……昔の癖かな」

 

達也はそれ以上追及しなかった。

 

ただ、短く言う。

 

「助かった」

 

「それなら良かった」

 

それだけで会話は終わった。

 

だが、聖火にとっては十分だった。

 

その直後、選手側から深雪が歩いてくる。

 

「聖火くん」

 

「深雪ちゃん。怪我はない?」

 

「はい。私は大丈夫です」

 

「よかった」

 

聖火は名簿の該当欄に、小さく印をつけた。

 

深雪は少しだけ聖火を見つめる。

 

「聖火くんの方こそ、大丈夫ですか?」

 

「俺?」

 

「はい。先ほど、少し雰囲気が違って見えました」

 

聖火は一瞬だけ言葉を止めた。

 

「……医療関係になると、少し切り替わるみたいだね」

 

「無理はなさらないでください」

 

「ありがとう」

 

深雪は静かに頷いた。

 

「それと、お兄様を助けてくださって、ありがとうございます」

 

「俺は車内を見てただけだよ。外は達也くんたちが止めた」

 

「それでも、必要なことだったと思います」

 

深雪の声は穏やかだった。

けれど、その言葉には確かな重みがあった。

 

聖火は少しだけ照れたように笑う。

 

「深雪ちゃんにそう言われると、休みにくくなるね」

 

「休んでください」

 

「そこは休ませるんだ」

 

「はい」

 

深雪は迷いなく答えた。

 

少し離れたところで、真由美がそれを見て微笑んでいた。

 

「鷹山くん」

 

「はい」

 

「あなた、本当に便利ね」

 

「七草先輩、それは褒めていますか?」

 

「もちろん」

 

「半分くらい警戒が混じっている気がします」

 

「正直ね」

 

真由美は楽しそうに笑ったが、その目には先ほどまでと少し違う評価があった。

 

単なる補助スタッフではない。

 

そう判断されたのだろう。

 

摩利も近くに立っていた。

 

「聖火」

 

「はい」

 

「後で、確認記録をこちらにも回してくれ。報告書に使う」

 

「分かりました。症状別にまとめておきます」

 

「本当に便利だな」

 

「最近よく言われます」

 

聖火が苦笑すると、摩利はわずかに口元を緩めた。

 

その時だった。

 

「おい、聖火!」

 

聞き慣れた声に、聖火は振り向いた。

 

レオがこちらへ駆け寄ってくる。

その後ろには、エリカと美月もいた。

 

聖火は一瞬、名簿から顔を上げたまま固まった。

 

「……なんで三人がいるの?」

 

レオが少し不満そうに眉を上げる。

 

「第一声がそれかよ」

 

「いや、普通に疑問なんだけど。三人とも、九校戦の選手でもスタッフでもないよね?」

 

エリカが肩をすくめる。

 

「応援よ、応援。あたしたちだって観戦くらいするわよ」

 

「観戦って、そんな軽い感じで現地入りできるものなの?」

 

「手続きはしてあるわよ。そこまで適当じゃないって」

 

美月が控えめに補足する。

 

「一般の観戦枠というか、学校関係者として同行ではなく、現地で合流する形です。私たちは正式なスタッフではありません」

 

「ああ、だから出発の時はいなかったんだ」

 

聖火は納得したように頷いた。

 

レオが腕を組む。

 

「お前、俺たちが勝手に忍び込んだと思ったのか?」

 

「レオくんなら勢いで来そうだなって」

 

「来ねえよ!」

 

エリカが横から笑う。

 

「否定が遅いわよ、レオ」

 

「エリカまで乗るな」

 

美月が小さく笑った。

 

そのやり取りで、張りつめていた空気がほんの少しだけ緩んだ。

 

「で、何かあったって聞いたぞ」

 

レオの表情には、いつもの明るさよりも心配が勝っていた。

 

聖火は名簿を閉じる。

 

「移動中に少しね」

 

「少しって顔じゃないだろ」

 

エリカが横から言う。

 

「到着早々、物騒ね」

 

「俺もそう思う」

 

「で、あんたは何してるの?」

 

「点呼と症状確認」

 

「完全に裏方の顔じゃない」

 

「巻き込まれた結果だよ」

 

美月は少し心配そうに聖火を見る。

 

「鷹山さん、大丈夫ですか?」

 

「俺は大丈夫。怪我人も重い人はいない」

 

「そうですか……よかったです」

 

美月はほっとしたように胸元へ手を当てた。

 

だが、すぐに少しだけ首を傾げる。

 

「でも、鷹山さん……少し、空気が違います」

 

聖火は一瞬だけ美月を見る。

 

美月の目は、嘘をついているようには見えなかった。

 

「そう?」

 

「はい。怖い感じではありません。ただ、いつもより少し……張りつめているような」

 

エリカが美月を見る。

 

「美月、それって大丈夫なやつ?」

 

「はい。嫌な感じではありません」

 

聖火は少し苦笑した。

 

「さっきまで怪我人確認してたからかな。少し切り替わってたのかも」

 

レオが眉を寄せる。

 

「怪我人確認って、お前が?」

 

「重い人はいなかったよ」

 

「そういう問題か?」

 

エリカが呆れたように言う。

 

「ほんと、便利そうな顔してるわね」

 

「エリカさん、それは褒めてない」

 

「半分くらいは褒めてるわよ」

 

「残り半分が怖いね」

 

そのやり取りに、美月が小さく笑った。

 

ようやく、空気が少しだけ緩んだ。

 

聖火は名簿を鞄にしまいかけて、すぐに思い直す。

 

まだ終わっていない。

 

メディカルスタッフへの引き継ぎは済んだ。

重傷者がいないことも確認した。

 

だが、時間を置いて痛みを訴える者もいる。

緊張が解けた瞬間に気分を崩す者もいる。

 

再確認は必要だった。

 

それを見た達也が、静かに言う。

 

「鷹山」

 

「何?」

 

「休め」

 

聖火は少し驚いたように達也を見た。

 

「達也くんからそれを言われるとは思わなかった」

 

「お前が倒れると仕事が増える」

 

「理由が達也くんらしいね」

 

「事実だ」

 

聖火は小さく笑った。

 

「分かった。少し休むよ」

 

そこで、レオがすかさず言う。

 

「少しって言うやつは休まないんだよな」

 

「レオくん、鋭い」

 

「お前、今さら褒めても駄目だからな」

 

エリカが腕を組む。

 

「温かいお茶でも出して、自分も飲みなさいよ」

 

「その予定だったけど」

 

「自分の分も、よ」

 

「はいはい」

 

美月が柔らかく微笑む。

 

「私も、少し手伝います」

 

「ありがとう、美月さん」

 

深雪も静かに言う。

 

「聖火くん、私もお手伝いします」

 

「深雪ちゃんまで?」

 

「はい」

 

聖火は達也を見た。

 

「達也くん、止めなくていいの?」

 

「深雪がそうしたいなら、俺が止める理由はない」

 

「相変わらず深雪ちゃんに甘いね」

 

「当然だ」

 

その即答に、聖火は笑うしかなかった。

 

襲撃は終わった。

 

だが、九校戦はまだ始まってもいない。

 

到着早々、第一高校の一行は、すでに見えない敵意にさらされた。

 

それでも、ここで足を止めるわけにはいかない。

 

選手には競技がある。

エンジニアには調整がある。

生徒会には運営がある。

 

そして聖火には、今できることがある。

 

怪我人を見落とさないこと。

不安を抱えた者を放っておかないこと。

必要な情報を、必要な人間へ渡すこと。

 

それが補助スタッフの範囲を越えているのかどうかは、今はどうでもよかった。

 

聖火は鞄から茶葉の包みを取り出し、小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、まずは温かいのを入れようか」

 

その言葉に、周囲の空気が少しだけ和らいだ。

 

九校戦は、まだ始まっていない。

 

だが、第一高校の一日は、すでに大きく動き始めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。