懇親会の会場には、少しずつ人の声が戻り始めていた。
移動中の襲撃の影響は、まだ完全には消えていない。
それでも、温かい料理の匂いと、食器の触れ合う音と、誰かの笑い声が、張りつめていた空気を少しずつほぐしていく。
選手たちは、同じ学校の仲間同士で固まりながらも、他校の生徒たちへ視線を向けていた。
技術スタッフたちは、食事を取りながらも、明日以降の予定や調整の話を小声で交わしている。
襲撃はあった。
だが、九校戦はまだ始まっていない。
始まる前から飲まれていては、本番で力を出せない。
そのことを、誰もがどこかで分かっていた。
聖火は、会場の端で立ち止まっていた。
給仕台に立っているわけではない。
飲み物を配っているわけでもない。
それは、ウェイター役の生徒たちがやってくれている。
会場の一角では、エリカが配膳用の盆を片手に、慣れた様子で人の間をすり抜けていた。
一方、厨房側に近い場所では、レオが大量の皿を前にして顔をしかめていた。
その隣で、美月が割れ物を丁寧に分けながら、静かに洗い場を手伝っている。
聖火はそれを見て、少しだけ笑った。
「みんな、ちゃんと働いてるなあ」
「お前がそれを言うな」
背後から聞こえた声に振り向くと、レオが濡れた手を軽く振っていた。
「レオくん、皿洗い似合ってるね」
「似合ってるって何だよ。全然嬉しくねえ」
「力仕事担当?」
「皿洗いは力仕事じゃねえだろ」
美月が横から控えめに笑う。
「でも、量が多いですから。レオくんがいてくれて助かっています」
「美月にそう言われると、文句言いにくいな……」
聖火は笑った。
「美月さん、レオくんの扱い上手いね」
「そ、そういうつもりでは……」
「おい、聖火。変なこと言うな」
レオの抗議に、美月は少しだけ困ったように微笑んだ。
その表情に、聖火は少し安心する。
前話で感じたような、張りつめた気配は薄れている。
もちろん完全ではない。
だが、少なくとも今の美月は、強く怯えているわけではなさそうだった。
「美月さん、疲れてない?」
「私は大丈夫です」
「本当に?」
「はい。皿洗いなら、落ち着いてできますから」
「そっか。無理はしないでね」
「ありがとうございます」
美月は丁寧に頭を下げる。
レオが少し不満そうに聖火を見る。
「俺には言わねえのかよ」
「レオくんは体力ありそうだから」
「雑だな、おい」
「疲れたらちゃんと言うんだよ」
「分かってるって」
軽いやり取りで、周囲の空気が少しだけ緩む。
聖火は次に、会場側へ視線を戻した。
「はい、そこの人。料理を前にして固まってると冷めるわよ」
エリカが盆を片手に、軽い調子で声をかけていた。
聖火はその様子を見て、少し笑った。
「エリカさん、意外とウェイター向いてるね」
「意外って何よ」
「遠慮して食べない人に圧をかけられるところ」
「褒めてるの、それ?」
「半分くらいは」
エリカは呆れたように目を細める。
「残り半分は?」
「少し怖い」
「正直ね」
「でも、実際助かってるよ。襲撃の後で、食事に手が伸びない人もいるから」
エリカは一瞬だけ、周囲に目を向けた。
「……まあ、そうね。いつもより静かな人、多いわね」
「エリカさんも見てるね」
「見えるわよ。あれだけのことがあった後だもの」
エリカは盆を持ち直し、軽く肩をすくめた。
「だから、食べられる時に食べさせるの。冷めると余計に食べなくなるし」
「やっぱり向いてるよ」
「だから、意外って言うな」
聖火は小さく笑った。
聖火は、会場を歩きながら何人かに声をかけた。
雑談をする。
冗談を言う。
明日の競技について聞く。
食事に手を伸ばしていない者には、軽く促す。
それだけを見れば、ただ人と話しているように見えただろう。
だが、聖火が見ているものは別にあった。
声の硬さ。
笑うタイミングの遅れ。
手元の震え。
食事に手を伸ばす回数。
視線が入口に向く頻度。
襲撃の恐怖が残っている者は、意外なところに出る。
聖火はそれを拾いながら、必要な相手にだけ声をかけていった。
「あずさ先輩、肩は?」
「あ、鷹山くん」
中条あずさは、皿を手にしたまま少し慌てたように振り向いた。
「だ、大丈夫です」
「その大丈夫は信用しません」
「あう……」
「腕、上げてませんよね?」
「上げてません」
「ならよし。食事は?」
「少しだけ……」
「少しだけでも食べてください。明日以降、頭を使う仕事が増えますから」
「はい……」
あずさは素直に頷いた。
その様子を少し離れたところから見ていた真由美が、楽しそうに近づいてくる。
「鷹山くん」
「はい」
「あなた、懇親会でも働いているのね」
「働いているというより、歩き回る理由を作っているだけです」
「理由?」
「座っているより、人の顔色が見えますから」
真由美は少しだけ目を細めた。
「本当に補助スタッフの範囲を広げるのが上手ね」
「広げたつもりはないんですけどね」
横から摩利が言う。
「結果として広がっている」
「否定できません」
聖火は素直に認めた。
摩利は手元のグラスを軽く揺らしながら、少しだけ表情を緩める。
「だが、今日に限って言えば助かっている。記録があったおかげで、後処理が早かった」
「役に立ったなら良かったです」
十文字克人も、静かに聖火の方へ視線を向けた。
「お前は、人を休ませるのが上手いな」
「働かせる人が多いので、休ませる人も必要です」
十文字はわずかに頷いた。
「必要な役目だ」
その一言は短い。
だが、聖火には十分だった。
そこへ、深雪が静かに歩いてくる。
そのすぐ近くには達也もいた。
「聖火くん、少しは休まれましたか?」
深雪が心配そうに尋ねる。
「少しはね」
達也が横から短く言う。
「ほとんど休んでいない」
「達也くん、そこは黙っていてほしかった」
「事実だ」
「そういうところだよ」
深雪は少しだけ眉を下げた。
「聖火くん、今日は少しでも召し上がってください」
「深雪ちゃんにそう言われると断りにくいね」
「断らないでください」
「はい」
迷いのない言葉に、聖火は苦笑するしかなかった。
会場の空気は、少しずつ柔らかくなっていった。
食事を取る者。
他校の生徒と挨拶を交わす者。
明日の競技について話す者。
襲撃のことを、あえて口にしない者。
完全に忘れたわけではない。
それでも、前を向こうとする空気があった。
聖火はそれを見て、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
ただし、完全に警戒を解いたわけではなかった。
懇親会が始まる前、聖火は会場の目立たない場所に小さな札をいくつか忍ばせていた。
入口の陰。
壁際の装飾の裏。
給仕台の下。
本来は、警報代わりの簡易札だった。
精神干渉や認識誘導に近い揺らぎがあれば反応する。
それだけのもの。
解の札。
術式や呪的な干渉をほどくための、古式の札。
本来なら、敵性の干渉を検知した時だけ反応するはずだった。
だが、襲撃の直後だったせいで、聖火は反応条件を少し厳しくしすぎていた。
自覚はあった。
警戒しすぎだ、とも思う。
それでも、何もないよりはいい。
そう判断してしまった。
その時、会場の照明が静かに落ちた。
ざわめきが、波が引くように収まっていく。
懇親会の余興か、あるいは九校戦関係者による挨拶か。
多くの生徒たちが自然と会場の前方へ視線を向けた。
暗がりの中に、一筋の光が落ちる。
そこに照らし出されたのは、九島烈ではなかった。
美しい女性だった。
会場の空気が、ほんのわずかに変わる。
それは、ただ視線を奪われたというだけではない。
場にいる者たちの意識が、自然とその姿へ引き寄せられていく。
聖火は眉を寄せた。
隣で、達也の目がわずかに細くなる。
達也も、これがただの余興ではないことに気づいたのだろう。
これは単なる映像や照明の演出ではない。
会場全体に薄く広がる、大規模な精神干渉魔法。
ただし、害意はない。
人の意志を奪うようなものでもない。
恐怖を植えつけるものでもない。
ただ、注目を集め、場の空気を整え、これから始まる言葉を聞き入れやすくする。
老獪な余興。
達也は、その仕掛けの奥を見ていた。
照らし出された女性ではなく、その後ろにいる本当の術者。
九島烈。
そう達也が気づいた、その直後だった。
会場の隅に忍ばせていた札が反応した。
聖火が気づいた時には、もう遅い。
解の札が、会場に薄く広がっていた精神干渉の流れに噛みつく。
音はない。
光もない。
ただ、薄く張られていた膜が、音もなく裂けるようにほどけた。
会場の空気が、一瞬だけ軽くなる。
しまった。
聖火は表情を変えないようにしながら、内心で小さく呻いた。
敵意はなかった。
殺気もなかった。
人を害するための干渉でもない。
これは余興だ。
それを、自分の札が壊してしまった。
襲撃の直後だからといって、警戒を強めすぎた。
壇上の奥で、九島烈がほんのわずかに言葉を切った。
周囲の者なら、呼吸を整えただけに見えただろう。
だが、聖火には分かった。
気づかれた。
九島の視線が、一瞬だけ聖火を捉える。
その口元が、わずかに吊り上がった。
怒りではない。
咎めでもない。
面白がっている。
そう分かった瞬間、聖火は背筋に冷たいものを感じた。
九島は何事もなかったかのように、演説を続けた。
会場の生徒たちは、誰も異変に気づいていない。
ただ一人、隣に立っていた達也だけが、聖火へ視線を向けた。
責めるわけではない。
声をかけるわけでもない。
ただ、見た。
その目は、はっきりと言っていた。
やりすぎだ。
聖火は、目だけで小さく謝った。
やがて、九島烈の声が会場に響く。
精神干渉の補助を失っても、その声には十分な重みがあった。
老いてなお、九校戦に集った若き魔法師たちへ向けられる言葉。
競技に臨む者たちへの激励。
魔法師としての誇りを問うような、静かな圧。
余興が消えても、演説の力は失われていなかった。
いや、むしろ聖火には、こちらの方が九島烈らしく感じられた。
言葉そのものだけで、場を締める。
その姿に、聖火は改めて思う。
この人は、やはり格が違う。
演説が終わると、会場に拍手が広がった。
その拍手に紛れて、達也が小さく言う。
「聖火」
「何?」
「やりすぎだ」
聖火はわずかに視線を逸らした。
「……分かってる」
「危険なものではなかった」
「うん。壊してから気づいた。余興だったね」
「次からは見極めろ」
「耳が痛い」
達也はそれ以上追及しなかった。
ただ、いつものように淡々と前を向く。
それが、かえって聖火には痛かった。
懇親会は、何事もなかったかのように続いていく。
生徒たちは九島烈の言葉に胸を高鳴らせ、これから始まる九校戦へ向けて気持ちを新たにしていた。
その中で、聖火だけが小さく息を吐く。
呼吸を整える。
肩の力を抜く。
警戒することは悪くない。
だが、警戒しすぎれば、味方の演出すら敵と見間違える。
それを、今夜は覚えておく必要があった。
ふと、エリカが盆を持ったまま近づいてきた。
「聖火、あんた顔が硬いわよ」
「そう?」
「そう。何かやらかした顔してる」
聖火は思わず視線を逸らした。
「……エリカさん、鋭いね」
「え、本当にやらかしたの?」
「内緒」
「怪しいわね」
エリカは空いていたグラスを一つ、聖火に押しつけるように差し出した。
「とりあえず、少し飲みなさいよ。休めって言われてたんでしょ」
「エリカさんまで」
「倒れられたら面倒なのよ。あんた、倒れる直前まで働きそうだし」
「否定しきれないのが悔しいね」
「なら飲む」
「はいはい」
聖火は差し出された飲み物を受け取った。
厨房側では、レオが皿を拭きながら声を上げた。
「おーい、聖火! こっちの皿も確認するか?」
「何を確認するの?」
「割れてないか」
「それはレオくんの仕事でしょ」
「だよな!」
美月が横で小さく笑う。
その普通のやり取りに、聖火は少し救われた気がした。
九校戦は、まだ始まったばかりだ。
いや、正確にはまだ本番前である。
それでも、すでにいくつものものが動き始めていた。
敵意。
警戒。
期待。
緊張。
そして、それぞれの役割。
聖火は飲み物を一口含み、静かに息を吐いた。
今度こそ、少しだけ休むために。
懇親会が終わる頃には、会場に残っていた硬さも、かなり薄れていた。
移動中の襲撃。
ホテル到着後の確認。
メディカルスタッフへの引き継ぎ。
そして九島烈の激励。
一日の中に詰め込むには、少しばかり濃すぎる出来事ばかりだった。
それでも、選手たちは少しずつ自分たちの空気を取り戻していた。
明日の競技について話す者。
他校の選手を意識している者。
早めに部屋へ戻ろうとする者。
食事の終わった皿を片づける者。
懇親会の会場は、終わりの気配に包まれていた。
聖火は、空になった皿やグラスが片づけられていく様子を見ながら、静かに息を吐いた。
大きな混乱はなかった。
怪我人も、到着直後に確認した範囲では重い者はいない。
気分不良を訴えていた者も、メディカルスタッフの確認後には少し落ち着いていた。
懇親会中も、完全に気を抜いていたわけではない。
何人かには声をかけた。
食事に手が伸びていない者には、軽く促した。
顔色が悪い者は、スタッフに引き継いだ。
できることは、ひと通りやった。
だが、聖火にはまだ一つ、やるべきことが残っていた。
会場の人が減り始めたタイミングを見て、聖火は壁際へ向かった。
入口の陰。
壁際の装飾の裏。
給仕台の下。
懇親会が始まる前に仕込んでおいた小さな札を、一枚ずつ回収していく。
薄い紙片は、見た目にはただの紙切れにしか見えない。
だが、古式の符号を刻んだそれは、精神干渉や認識誘導に近い揺らぎに反応するよう組んであった。
本来は、警報代わりの簡易札だった。
敵意ある干渉があれば、気づけるように。
会場全体を守るほどの力はなくても、異常の入り口くらいは拾えるように。
そのつもりだった。
だが、結果として、九島閣下の余興を壊した。
聖火は、指先に挟んだ札を見下ろす。
札の端が、少しだけ焦げたように黒ずんでいた。
発動した証拠だ。
「……やりすぎたな」
小さく呟く。
その声に答えるように、背後から淡々とした声がした。
「分かっているならいい」
聖火は振り向いた。
そこには、達也が立っていた。
「達也くん」
「回収か」
「うん。残しておくわけにはいかないからね」
「当然だ」
達也は、聖火の手元の札へ視線を落とす。
「反応条件を厳しくしすぎたな」
「そうだね」
聖火は素直に認めた。
「襲撃の後だったから、少し神経質になってた」
「少しではない」
「そこは柔らかく言ってほしかった」
「事実だ」
「そういうところだよ」
いつものやり取りの形にはなっていた。
けれど、聖火の声には少し苦さが混じっていた。
達也はそれを聞き逃さなかったのだろう。
追い打ちをかけるようなことは言わず、ただ短く告げる。
「危険なものではなかった」
「分かってる。壊してから気づいた」
「遅い」
「耳が痛い」
聖火は、回収した札を折りたたんで鞄の中へしまった。
「害意はなかった。殺気もなかった。人を傷つけるものでもなかった。むしろ、場を整えるためのものだった」
「分かっているなら、次からは止められる」
「そうだね」
聖火は軽く息を吐いた。
「警戒するのと、疑いすぎるのは違う。分かってたつもりだったんだけど」
達也は少しだけ間を置いた。
「今日は状況が悪かった」
「慰め?」
「分析だ」
「達也くんらしいね」
聖火は苦笑した。
達也は感情で慰める人間ではない。
だが、事実として状況を整理することはある。
移動中に襲撃を受けた。
ホテル到着後に安否確認をした。
メディカルスタッフに状況を引き継いだ。
その後、懇親会に参加した。
普通なら、警戒が残って当然だ。
だが、それでもやりすぎたことは事実だった。
「九島閣下、気づいてたよね」
聖火が言うと、達也は短く頷いた。
「ああ」
「怒ってた?」
「そうは見えなかった」
「だよね」
聖火は、先ほどの九島烈の視線を思い出した。
一瞬だけこちらを見て、口元を吊り上げた。
怒りではない。
咎めでもない。
面白がっていた。
それが、余計に恐ろしい。
「格が違うなあ」
聖火は素直に呟いた。
「余興を壊されたのに、演説の重さが全然落ちなかった」
「九島閣下だからな」
「達也くんがそう言うと、説得力があるね」
聖火は、最後の一枚を回収するために給仕台の下へ手を伸ばした。
そこに忍ばせていた札も、やはり端が少し黒ずんでいる。
「全部回収した」
「確認する」
「信用ないなあ」
「残すと面倒だ」
「それはそう」
聖火は鞄を開き、回収した札を達也に見せた。
達也は一瞥するだけで数を確認する。
「数は合っている」
「どうも」
「次からは、条件を二段階に分けろ」
「二段階?」
「検知と解体を分ける。今回のように、反応と同時に解体へ移る構成は過敏すぎる」
聖火は少し目を瞬かせた。
それから、小さく笑う。
「今、普通に改善案を出してくれた?」
「問題点が明確だからだ」
「ありがとう。たしかに、警報と解体を一体化させたのがまずかった」
聖火は軽く顎に手を当てる。
「検知札で異常を拾って、解の札は手動発動。もしくは、敵意か強制性を確認してから発動。そっちの方が安全だね」
「そうしろ」
「はい」
達也は、それで話は終わりだと言わんばかりに視線を外した。
しかし、聖火はもう一つだけ聞く。
「達也くん」
「何だ」
「止めなかったんだね」
「間に合わなかった」
「そっか」
「それに、あの程度なら問題にはならないと判断した」
「九島閣下には気づかれたけど」
「あの人に気づかれないようにする方が難しい」
「それもそうだね」
聖火は苦笑した。
会場の片づけは、もうかなり進んでいる。
エリカは配膳用の盆を片づけながら、遠くからこちらをちらりと見た。
レオと美月は厨房側で、最後の皿をまとめている。
何かを察したのか、エリカが少しだけ眉を上げたが、声はかけてこなかった。
ありがたい。
今は、あまり深く突っ込まれたくない。
「聖火」
達也が静かに呼んだ。
「何?」
「明日から競技が始まる」
「うん」
「お前が倒れれば、手が減る」
「またその言い方」
「事実だ」
「はいはい。休むよ」
聖火は鞄の留め具を閉じた。
だが、その手を止め、もう一度会場を見回す。
選手たちは部屋へ戻り始めている。
技術スタッフも、明日の準備に備えて移動していく。
上級生たちはまだ何人か残り、後片づけと確認をしていた。
完全に安心できるわけではない。
襲撃はあった。
余興を壊してしまうほど、自分は警戒していた。
そして、その警戒は完全な的外れではなかったはずだ。
だが、警戒し続けるだけでは人は持たない。
食べる。
休む。
眠る。
笑う。
それも、戦うためには必要なことだ。
聖火は小さく息を吐いた。
「達也くん」
「何だ」
「俺、今日は本当に休むよ」
「そうしろ」
「素直に言われると、少し変な感じだね」
「休めと言っている」
「はい」
聖火は笑って、鞄を肩にかけた。
その時、会場の奥の方から、わずかに視線を感じた。
振り向く。
遠くに、九島烈の姿があった。
すでに周囲の者と話している。
特別こちらを見ているようには見えない。
だが、ほんの一瞬だけ、聖火と視線が合った。
九島の口元が、わずかに上がる。
先ほどと同じ笑み。
咎めでも、怒りでもない。
面白がっている。
聖火は思わず背筋を伸ばした。
九島はすぐに視線を外し、何事もなかったかのように会話へ戻る。
聖火は小さく呟いた。
「……怖い人だなあ」
達也が横から淡々と言う。
「あの人を相手に札で出し抜こうとする方が無謀だ」
「出し抜こうとしたわけじゃないんだけど」
「結果は似たようなものだ」
「耳が痛い」
今日、何度目か分からない言葉を口にして、聖火は肩を落とした。
だが、不思議と気持ちは少し軽くなっていた。
失敗はした。
警戒しすぎた。
余興を壊した。
けれど、気づけた。
次は直せる。
それでいい。
会場を出る直前、聖火はもう一度だけ懇親会場を振り返った。
明日から、九校戦が始まる。
選手たちは競技へ。
エンジニアは調整へ。
裏方は支援へ。
そして、自分は自分にできることをする。
今度は、警戒しすぎず。
けれど、見落とさず。
その境目を、間違えないように。
聖火はそう心に決めて、達也と並んで会場を後にした。
その背中を、少し離れた場所から見ている者がいた。
吉田幹彦だった。
幹彦は、片づけを手伝っていた盆を手にしたまま、会場の柱の陰に立っていた。
声をかけるつもりはなかった。
かけられる雰囲気でもなかった。
ただ、見てしまった。
聖火が、会場の隅から札を回収しているところを。
その札の端が、発動後の符のようにわずかに黒ずんでいたことを。
そして、達也がそれを当然のように確認していたことを。
幹彦は、無意識に眉を寄せる。
あれは、ただの護符ではない。
札の形は簡素だった。
込められた術式も、見た目には派手ではない。
だが、だからこそ分かる。
余分な飾りがない。
発動条件が細い。
役割が明確に絞られている。
検知。
干渉。
解体。
それらが、一枚の札の中に無理なく収まっていた。
古式の術具として見れば、かなり高度だ。
少なくとも、見よう見まねで扱えるものではない。
鷹山聖火。
古式魔法の家に生まれたわけではないはずの少年。
十師族でもなければ、百家の名門でもない。
なのに、なぜ。
幹彦は、手元の盆を握る指に少しだけ力を込めた。
嫉妬、ではない。
そう思いたかった。
けれど、胸の奥に小さく引っかかるものがある。
自分が積み重ねてきたもの。
家に伝わるもの。
古式魔法師としての誇り。
そこへ、まったく別の場所から現れた少年が、当然のように高度な札を使っている。
気にならないはずがなかった。
「……鷹山くん」
幹彦は、小さくその名を呟いた。
その声は、誰にも届かない。
聖火と達也の姿は、すでに会場の外へ消えている。
幹彦はしばらくその場に立っていたが、やがて小さく息を吐き、片づけの続きへ戻った。
ただ、その胸に残った違和感だけは、消えなかった。
幹彦の絡みは絶対にやりたいと思っておりました。