部屋は静かだった。
達也はまだ戻っていない。
明日の準備があると言って、五十里のところへ向かったままだ。
あの男に休むという発想があるのか、聖火は時々本気で疑わしくなる。
もっとも、自分も人のことは言えない。
ベッドに腰を下ろしたまま、聖火は天井を見上げていた。
照明は落としてある。
窓の外には、九校戦の会場施設が沈黙していた。
昼間の熱気が嘘のように、夜の廊下も、建物の外も、どこか作り物めいて静かだった。
平和な夜。
そう言い切れれば、どれほど楽だっただろう。
聖火は、右手を額に乗せた。
九島烈の余興を壊した。
正確には、壊したというより強制停止させた。
あれが敵性術式ではなかったことは、止めた直後に分かった。
分かったからこそ、始末が悪い。
反射だった。
いや、違う。
聖火は小さく息を吐いた。
反射という言葉は便利だ。
だが、便利な言葉ほど、たいてい本当の理由を隠す。
あの時、聖火は警戒していた。
襲撃の後だった。
不審な事故も続いていた。
九校戦の華やかさの裏側に、血と火薬の匂いが混じり始めていた。
だから、九島烈の余興に反応した。
そう説明すれば、筋は通る。
だが、聖火自身は知っていた。
自分が反応したのは、それだけではない。
クローバー。
その痕跡を見た時から、聖火の中で何かが燃え残っていた。
消したはずの火種が、灰の下でまだ赤く光っている。
「……面倒だな」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
その時だった。
机の上に置いていた通信端末が、唐突に鳴った。
通常の着信音ではない。
乾いた鈴のような音。
炎の中で、金属が冷えていく時のような音。
聖火は視線だけを端末へ向けた。
画面に番号は表示されていない。
代わりに、赤い紋様が浮かんでいた。
火の鳥の羽ばたきにも、燃え残った火種にも見える紋様。
聖火はしばらくそれを見つめてから、ゆっくりと身を起こした。
「……真夜か」
応答する前から、相手は分かっていた。
この接続を使える人間は限られている。
いや、正確には、これは通常の通信ではない。
あの赤い羽根を鍵にした、かなり無茶な接続だ。
現代魔法の通信技術とは別物。
まともな技術者が見れば、頭を抱えるか、なかったことにする類のものだった。
聖火は端末を手に取り、応答した。
「鷹山だ」
数秒の沈黙の後、柔らかな女の声が返ってきた。
『こんばんは、聖火さん』
丁寧で、静かで、逃げ道を塞ぐ声。
聖火は目を細めた。
「その声で丁寧に挨拶する時は、だいたい面倒事だ」
『否定はしません』
「否定しろ」
『嘘は好みませんので』
聖火は小さく息を吐いた。
「今度は何だ、真夜」
『九島閣下から、あなたについて問い合わせがありました』
「だろうな」
即答すると、端末の向こうで真夜がわずかに笑った気配がした。
『心当たりがあるようですね』
「余興を止めた」
『正確には、九島閣下の用意した古式風の式を、敵性術式と誤認して強制停止させた、ですね』
「……迷惑をかけた」
『珍しく素直ですね』
「今回は俺が悪い」
失敗だった。
九島烈の前で目立ったことも。
達也の近くで目立ったことも。
あの場で余計な線を結びかけたことも。
全部、失敗だった。
『そこまで分かっていて、なぜ動いたのですか』
「反射だ」
『便利な言葉ですこと』
「便利だから使った」
『ええ。あなたらしい』
真夜の声は穏やかだった。
だからこそ、聖火は警戒を強めた。
真夜が本当に怒っている時は、声を荒らげない。
責める時も同じだ。
まず逃げ道を整え、こちらが自分で足を踏み入れるのを待つ。
昔から変わらない、厄介な女だった。
『九島閣下は、あなたが達也さんと一緒にいたことを気にしていました』
「それも予想している」
『四葉家としては、鷹山聖火という少年は四葉の血縁ではなく、当家の管理下にある魔法師でもない。そう答えました』
「正しいな」
『ええ。正しいことだけを伝えました』
「相変わらずだな」
『あなたに言われる筋合いはありません』
聖火は苦笑した。
嘘は言っていない。
だが、すべては言っていない。
真夜らしい答えだった。
「助かった」
『珍しい言葉が続きますね』
「明日は雪かもな」
『季節外れです』
「君なら降らせられるだろう」
『必要なら』
「冗談で言ったんだが」
『私も冗談で返しました』
「嘘を吐け」
端末の向こうで、真夜が小さく笑った。
だが、次の瞬間、その声は少しだけ低くなる。
『聖火さん』
「何だ」
『あなたが目立つこと自体は、今さらです』
「ひどい言い草だな」
『事実です。ですが、達也さんの隣で目立つのは困ります』
聖火は黙った。
痛いところを突かれた。
『九島、司波達也、そしてクローバー。一本でも厄介な線が、今夜だけで複数繋がりかけました』
「……悪かった」
『謝罪は受け取ります』
そこで終われば、ただの確認だった。
しかし、真夜がこの程度で連絡してくるはずがない。
聖火は端末を握る指に、少しだけ力を込めた。
『本当に、襲撃の余波だけですか』
ほら来た。
聖火は目を閉じた。
数秒、返答が遅れた。
その沈黙だけで、真夜には十分だったはずだ。
「真夜」
『はい』
「君は、嫌なところを突く」
『二十年以上の付き合いですから』
「長く付き合えばいいというものでもない」
『少なくとも、あなたの沈黙の意味くらいは分かるようになりました』
聖火は答えなかった。
赤い紋様が浮かぶ端末の画面を見つめる。
火の鳥。
火種。
燃え残り。
どれも、今の自分にはあまり見たくないものだった。
『クローバーに、何かありましたか』
その名が出た瞬間、聖火の呼吸がわずかに止まった。
真夜は、それも聞き逃さなかっただろう。
「その名を、軽々しく口にするなよ」
『あなたの前だから出しました』
「なら、聞くな」
『聞かないでほしい時ほど、あなたは何かを抱えています』
「……今回は、まだ話せない」
『では、話せる時まで待ちます』
「君らしくないな」
『そうでしょうか』
「四葉なら、奪いに来る」
『あなたは、奪えば壊れるものを持っているでしょう』
聖火は黙った。
それは、ずるい言い方だった。
責めるでもない。
命じるでもない。
ただ、こちらが壊れかけている可能性を、静かに置いてくる。
真夜はそういう女だった。
危険で、聡くて、時々ひどく人間らしい。
「真夜」
『はい』
「君は時々、当主より厄介だな」
『私が四葉当主です』
「知っている。だから厄介だと言っている」
『褒め言葉として受け取っておきます』
「警告のつもりだった」
『なおさらです』
聖火は端末越しに、深く息を吐いた。
体を休めるつもりだったのに、余計に疲れた気がする。
『聖火さん』
「まだあるのか」
『あります』
「容赦がないな」
『必要なことです』
その言い方に、聖火は少しだけ表情を消した。
真夜がこう言う時は、冗談では終わらない。
『達也さんの近くで、不用意に動くのは控えてください』
「努力する」
『努力ではなく、約束を』
昔と同じ言い方だった。
炎の夜から変わらない問いのように。
聖火はしばらく黙った。
約束。
その言葉は軽くない。
少なくとも、聖火にとっては。
「……善処する」
『聖火さん』
「分かってる。逃げた」
『ええ』
聖火は小さく息を吐いた。
「俺の事情を、あの兄妹の前に置くつもりはない」
『それを聞ければ十分です』
「君は本当に約束が好きだな」
『守らせたい相手には』
聖火は、思わず苦笑した。
「相変わらず危険な女だ」
『哀れではなく?』
「ああ」
聖火は迷わず答えた。
「哀れむには、君は目が生きすぎている」
端末の向こうで、真夜が一瞬だけ黙った。
その沈黙に、聖火は余計なことを言ったかと思った。
だが、すぐに真夜の声が戻る。
『では、危険な女として忠告します』
「聞くだけ聞こう」
『九島閣下は、あなたを忘れません』
「だろうな」
『達也さんの周囲にいる異物として。そして、こちらと関係がありそうでない存在として、あなたは記憶されました』
「面倒だな」
『ええ。あなたが作った面倒です』
「返す言葉もない」
『珍しいですね』
「今回はそればかりだな」
『それだけ今回の件が珍しいということです』
聖火は端末を見つめた。
赤い紋様は、まだ消えない。
真夜は通信を切ろうとしていない。
つまり、もう一つある。
そう思った直後、真夜が言った。
『クローバーの件、必要なら呼びなさい』
「四葉に頼る気はない」
『四葉ではありません』
聖火は息を止めた。
「……真夜」
『はい』
「君個人としてか」
『ええ』
聖火はすぐには答えなかった。
四葉当主ではなく、四葉真夜個人。
その言葉の重さを、聖火は知っている。
あの炎の夜から、知っている。
「覚えておく」
『使わない、とは言わないのですね』
「正しいことだけを言った」
『相変わらずですこと』
「君ほどじゃない」
『あなたほどです』
「不毛だな」
『ええ』
聖火は小さく笑った。
少しだけ、胸の奥の火種が弱まった気がした。
それが錯覚だとしても、今はそれでよかった。
『では、聖火さん』
「何だ」
『また会えますか』
あの夜と同じ問いだった。
炎の中で聞いた問い。
二十年以上経っても、真夜の中に残っている問い。
聖火は迷わず答えた。
「ああ」
約束という言葉は使わない。
それでも、これは約束だった。
「また会える」
『では、その時まで』
「ああ」
通信が切れた。
端末に浮かんでいた赤い紋様が消える。
部屋は再び静かになった。
聖火は端末を机の上に置き、しばらくその画面を見つめていた。
九島。
司波達也。
クローバー。
いくつもの線が、今夜だけで繋がりかけた。
真夜の言う通りだった。
「……本当に、面倒だ」
今度の呟きは、先ほどより少しだけ苦かった。
その時、部屋の扉が静かに開いた。
聖火は反射的に顔を上げる。
入ってきたのは達也だった。
片手には、作業用の端末と資料の束。
もう片方の手には、どこで手に入れたのか、紙パックの飲み物が二つあった。
「まだ起きていたのか」
「寝ようとはしていた」
「そうか」
達也はそれだけ言うと、机の端に資料を置いた。
それから、持っていた紙パックの一つを聖火の方へ差し出す。
聖火は思わずそれを見た。
「……差し入れ?」
「ああ」
「達也くんが?」
「五十里先輩が買ったものだ」
「だよね。びっくりした」
「俺が買ったら問題があるのか」
「問題はないけど、達也くんが『お疲れ、これでも飲めよ』みたいな顔で差し入れを出してきたら、いよいよ俺の疲労が幻覚を見せ始めたのかと思う」
「そんな顔はしていない」
「うん。してないね。知ってた」
聖火は紙パックを受け取った。
冷たい。
握った指先に、少しだけ現実感が戻る。
達也は自分の分の飲み物を机に置き、椅子の背に上着を掛けた。
その動きはいつも通り無駄がない。
だが、作業中の張り詰めた空気は薄れていた。
仕事を終え、同室の相手の前に戻ってきた一人の学生。
少なくとも、今の達也はそう見えた。
「五十里先輩との作業は終わったの?」
「一区切りはついた」
「一区切り」
「完全に終わったわけではない」
「達也くんの『一区切り』って、普通の人間の『まだ半分くらい残ってる』と同じ意味だったりしない?」
「場合による」
「否定してほしかったな」
「嘘になる」
「そういうところだよ」
聖火は苦笑しながら、紙パックのストローを刺した。
少し甘い飲み物だった。
喉を通る冷たさに、ようやく自分が思っていた以上に喉を渇かせていたことに気づく。
達也は、何気ない様子で室内を見回した。
机の上の端末。
聖火の手元。
ほんの少しだけ残っている、通常回線とは違う熱の気配。
普通の人間なら気づかない。
だが、達也は普通ではない。
「誰かと話していたのか」
問い詰める声ではなかった。
ただ、気づいたから聞いた。
それくらいの調子だった。
聖火はストローから口を離し、肩をすくめる。
「壁に耳でもついてる?」
「この施設なら、可能性はゼロではない」
「冗談で言ったんだけど」
「冗談でも、確認する価値はある」
「やめて。今から壁を調べ始める同室者、普通に怖いから」
「必要ならやる」
「必要ない方向でお願いしたい」
達也は少しだけ聖火を見た。
表情は変わらない。
だが、視線は机の上の端末から聖火の顔へ移っている。
「通常の通信ではなかったように見える」
聖火は、紙パックを持つ手を一瞬だけ止めた。
「……そこまで分かる?」
「端末の表示が通常回線の終了状態ではなかった」
「見たの?」
「入ってきた時に見えた」
「達也くん、そういうところだよ」
「何がだ」
「普通の高校生は、友達の端末をちらっと見ただけで通信方式を疑わない」
「疑っただけだ。断定はしていない」
「断定してないからセーフ、みたいな顔をしないでほしい」
「そんな顔はしていない」
「してないね。そこは知ってる」
聖火は小さく息を吐いた。
「古い知り合いから連絡が来ただけだよ」
「古い知り合い」
「ああ。昔ちょっと世話になった……いや、世話を焼かされた相手かな」
「どちらだ」
「両方」
「分かりにくいな」
「分かりやすかったら、古い知り合いなんて言い方しないよ」
達也は黙った。
その返答だけで、これ以上聞いても簡単には答えないと判断したのだろう。
聖火は紙パックを軽く振った。
「まあ、簡単に言うと、昔のツケの取り立てだね」
「借金か」
「違う違う。金で済むなら、むしろ楽だった」
「なら何のツケだ」
「人生?」
「範囲が広すぎる」
「そういうものだよ、達也くん。人間、長く生きているといろいろあるんだ」
「お前は俺と同い年のはずだが」
「細かいところを突いてくるなあ」
「細かくはない」
「まあ、気分の問題だよ」
「気分で年齢は変わらない」
「達也くん、そういうところ本当に真面目だよね」
「事実だ」
「うん。知ってた」
聖火はそこで、わざとらしく紙パックに口をつけた。
答える気はない。
そう示すには、それで十分だった。
達也も、それ以上すぐには踏み込まなかった。
ただ、静かに聖火を見ている。
その目は、納得した目ではない。
けれど、今ここで無理に聞き出すつもりもない目だった。
やがて達也は、自分の紙パックにストローを刺しながら言った。
「それで、何を隠している」
聖火は思わず達也を見た。
「部屋に戻ってきて早々、その切れ味はやめてくれない?」
「切れ味?」
「質問が鋭いって意味」
「そうか」
「そこは納得するんだ」
「事実だろう」
「真面目に返されると、こっちが困るんだけど」
「困るのか」
「少しね。今のところ、俺は軽口で逃げようとしてるから」
「それは分かっている」
「分かってて聞くの、性格悪くない?」
「確認だ」
「ほら、また仕事っぽくなる」
「癖だ」
「自覚あるんだ」
「多少は」
「ならよし」
「よしなのか」
「自覚のある真面目さは、まだ扱いやすい」
「お前に扱われる覚えはない」
「こっちにも、達也くんに分析される覚えはないよ」
「していない」
「してるよ。今もたぶん、俺の返答速度とか目線とか見てる」
達也は少しだけ黙った。
聖火は紙パックを軽く持ち上げる。
「ほら、否定が遅い」
「……癖だ」
「二回目」
「何がだ」
「癖で済ませたのが」
「便利だからな」
「出た。便利な言葉」
聖火は小さく笑った。
達也は、表情を変えないまま紙パックに口をつける。
その真面目な顔が、かえっておかしかった。
けれど、笑いは長く続かなかった。
聖火は紙パックを机に置き、背もたれに身体を預けた。
「今は話せない」
「そうか」
達也はすぐにそう返した。
追及はなかった。
聖火は逆に少し困った。
「そこはもう少し聞くところじゃない?」
「聞けば答えるのか」
「答えない」
「なら聞かない」
「合理的すぎて可愛げがない」
「必要か?」
「少しは」
「検討しておく」
「絶対しないやつだ」
達也は否定しなかった。
その沈黙が答えだった。
「まあ、話せるようになったら話すよ」
「分かった」
「疑わないの?」
「疑っている」
「そこは変わらないんだ」
「友人だからな」
「友人だと疑うの?」
「友人だから、疑った上で待つ」
聖火は言葉を失った。
達也は、何か特別なことを言ったつもりはないのだろう。
ただ事実を述べた。
そんな顔をしている。
だからこそ、少し効いた。
「……本当に君は、たまにずるいね」
「心当たりはない」
「だろうね」
聖火は紙パックをもう一度手に取った。
「明日も早いんだろ」
「ああ」
「じゃあ、寝よう。これ以上起きてると、真面目な人間二人分の説教で胃が重くなる」
「胃薬はない」
「そこは冗談として受け取って」
「そうか」
「本当にそういうところだよ」
聖火がそう言うと、達也は照明を少し落とした。
部屋の明かりが、夜に溶けるように弱くなる。
達也はそれ以上、何も聞かなかった。
聖火も、それ以上は何も話さなかった。
ただ、先ほどより少しだけ、沈黙は軽くなっていた。
翌朝。
聖火が目を覚ました時、部屋の中はまだ薄暗かった。
窓の外では、九校戦会場の施設が静かに朝を迎えようとしている。
隣のベッドでは、達也がすでに身を起こしていた。
早い。
というより、ちゃんと眠ったのか疑わしい。
聖火は上体を起こし、軽く首を回した。
「達也くん」
「何だ」
「君、寝た?」
「必要な分は」
「その返答、寝てない人の言い方だよ」
「問題ない」
「問題ある人ほどそう言うんだよなあ」
達也は特に反論しなかった。
代わりに、手元の端末で今日の予定を確認している。
完全に朝から通常運転だった。
聖火は小さく息を吐き、枕元に置いていた自分の端末を手に取った。
画面を点ける。
通知が一件。
差出人は表示されていない。
件名もない。
ただ、添付ファイルが一つだけ届いていた。
聖火の目が、わずかに細くなる。
嫌な予感がした。
こういう時の嫌な予感は、だいたい当たる。
端末を操作し、メールを開く。
本文は短かった。
『必要になると思います』
それだけだった。
差出人の名はない。
署名もない。
だが、誰から送られてきたものなのか、聖火にはすぐに分かった。
聖火は数秒、画面を見つめた。
昨夜の電話で、彼女は言った。
話せる時まで待つ、と。
四葉ではなく、個人としてなら呼びなさい、と。
だが、待つとは言っても、何もしないとは言っていない。
聖火は額に手を当てた。
「……本当に面倒な女だな」
思わず、声に出ていた。
達也がこちらを見る。
「誰のことだ」
聖火は端末の画面を伏せた。
「古い知り合い」
「またか」
「うん。また」
「今度は何を送ってきた」
「親切心」
「そうは見えない顔をしている」
「親切心って、時々すごく重いんだよ」
達也は少しだけ間を置いた。
「必要なものなのか」
聖火は伏せた端末を見下ろした。
中身は、まだ開いていない。
だが、必要になる。
その確信だけはあった。
必要だからこそ、面倒だった。
「たぶんね」
「なら、確認しておけ」
「達也くん、そういうところ本当に容赦ないよね」
「必要なら見るべきだ」
「うん。正論」
聖火は苦笑した。
昨夜、いくつもの線が繋がりかけた。
九島。
司波達也。
クローバー。
そして今、その線の上に、彼女は何かを置いてきた。
待つと言いながら、逃げ道は塞ぐ。
助けると言いながら、選択をこちらに渡す。
昔から変わらない。
危険で、厄介で、そして腹立たしいほど正確な女。
聖火は端末をもう一度表に向けた。
添付ファイルの名前は、表示されていない。
ただ、赤い小さな紋様だけが、画面の端で静かに揺れていた。
「本当に、面倒な女だ」
今度は、さっきより少しだけ小さく呟いた。
それでも、削除するという選択肢はなかった。
聖火は画面に指を置く。
九校戦の朝は、まだ始まったばかりだった。
この二人の関係は「つかず離れず」がまさにそれだと思います。
変に恋愛方向には持っていきたくない、という思いがどこかにあります。