魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

27 / 63
思っていたよりも九校戦編は長くなりそうです。


九校戦編5

九校戦が始まった。

 

会場は、朝から熱を帯びていた。

 

各校の選手たちが競技場へ向かい、エンジニアたちは機材の最終確認に追われ、運営スタッフは予定表と端末を手に通路を行き交っている。

 

観客席からは、まだ試合が始まる前だというのに、期待と緊張が混じった声が上がっていた。

 

魔法師を志す学生たちにとって、九校戦はただの競技大会ではない。

 

実力を示す場。

 

家名を背負う場。

 

将来を見られる場。

 

そして、時には人生の流れすら変えてしまう場。

 

そういう場所なのだろう。

 

少なくとも、周囲の生徒たちはそう見ていた。

 

だが、鷹山聖火にとっては、少し違っていた。

 

「鷹山くん、第三練習場の使用時間、もう一度確認してもらえる?」

 

「はい。第三は十時半から一高の新人戦組、十一時十五分から二高の調整枠です。間に十五分空いてますけど、機材入れ替えを考えると実質予備時間ですね」

 

「助かるわ。あと、ミラージ・バットの控室にこれを届けて」

 

「了解です」

 

聖火は資料を受け取り、すぐに通路へ出た。

 

選手たちの名前。

 

競技ごとの調整予定。

 

練習場の空き時間。

 

CADの再調整希望。

 

控室の位置。

 

飲み物の在庫。

 

軽食の減り具合。

 

休憩を取れていないエンジニアの顔色。

 

聖火が見ているものは、競技そのものではなかった。

 

勝敗も気にならないわけではない。

 

一高が勝てば素直に嬉しいし、知っている選手が良い動きをすれば安心もする。

 

だが、試合の結果より先に目に入るものがあった。

 

緊張で指先が冷えている選手。

 

何度も同じ確認を繰り返しているエンジニア。

 

自分の不調を言葉にできず、ただ「何か変です」とだけ訴える一年生。

 

試合前に身体を動かしたいのに、練習場所が空いておらず落ち着かない選手。

 

そういうものの方が、聖火にはずっと気になった。

 

「聖火」

 

通路の途中で、達也に呼び止められた。

 

達也は片手に端末を持ち、もう片方の手でCADケースを支えている。

 

いつも通り表情は薄い。

 

だが、忙しいのは見れば分かった。

 

「何?」

 

「新人戦のスピード・シューティング組で、調整後の確認が遅れている。本人の感覚を聞いておいてくれ」

 

「了解。聞き方は?」

 

「発動前に重いのか、発動後の戻りが遅いのか。それと二回目以降に違和感があるか」

 

「分かった。選手本人には、達也くんが怖い顔で待ってるって言えばいい?」

 

「怖い顔はしていない」

 

「してないね。知ってる」

 

聖火は軽く手を振って、その場を離れた。

 

数分後には、別の控室にいた。

 

「ごめん、少し聞かせて。重いって言っていたのは、魔法を出す前? それとも出した後?」

 

「えっと……出す前、だと思います。でも二回目の方が重いです」

 

「一回目の後、肩に力が残ってるかもしれないね。ちょっと立ってみて」

 

選手は言われるままに立つ。

 

聖火はその姿勢を横から見て、小さく頷いた。

 

「うん。たぶん、CADだけの問題じゃない。達也くんにはそう伝えておく。二回目の前に、息を吐いて肩を落とす癖を入れた方がいい」

 

「息を吐く、ですか?」

 

「吸うより先に吐く。緊張してる時は、だいたい吸おうとするから」

 

「は、はい」

 

「大丈夫。変な話をしてるように聞こえるだろうけど、身体が固まったまま魔法を使うよりはましだよ」

 

選手は少しだけ笑った。

 

それだけで、肩の力が少し抜けた。

 

聖火はメモを取り、達也へ送る。

 

その直後、別の上級生から声がかかった。

 

「鷹山くん、第二練習場の件だけど」

 

「はい」

 

「今、三高が少し長引いてるみたいで、一高の練習開始が押しそうなの」

 

「次の競技は?」

 

「クラウド・ボールの確認」

 

「じゃあ、完全な練習場じゃなくてもいいですね。壁面投影と反応確認だけなら、予備室でもできます」

 

「予備室?」

 

「機材確認用の小部屋が一つ空いてました。床面積は足りませんけど、動作確認だけなら何とかなると思います。確認してきます」

 

聖火はまた走った。

 

走って、止まり、確認し、頭を下げ、交渉し、別の場所へ向かう。

 

試合会場からは歓声が聞こえてくる。

 

一高の選手が点を取ったのかもしれない。

 

誰かが見事な魔法を決めたのかもしれない。

 

だが、聖火は足を止めなかった。

 

今は、歓声の中身よりも、次の練習場所の確保の方が重要だった。

 

「すみません、この時間、予備室は空いていますか?」

 

「使用予定はないけど、何に使う?」

 

「クラウド・ボール組の動作確認です。広い動きはしません。壁面投影とCADの反応だけ確認します」

 

「使用時間は?」

 

「二十分。片付け込みで二十五分以内にします」

 

「それなら構わない」

 

「ありがとうございます」

 

許可を取る。

 

選手に伝える。

 

エンジニアに伝える。

 

生徒会側へ報告する。

 

聖火は、ひとつずつ片づけていった。

 

昼前には、すでに端末の予定表が細かい修正で埋まっていた。

 

誰かが体調を崩しかければ温かい飲み物を出し、緊張で食欲がない選手には軽い焼き菓子を勧め、逆に食べすぎそうな男子には試合前だからやめておけと止めた。

 

「鷹山くん、こっちの飲み物、まだある?」

 

「カフェイン入りは少なめです。試合前ならこっちの方がいいですよ」

 

「聖火、さっきの聞き取り結果は?」

 

「送った。あと本人はCADより姿勢の問題が大きいと思う」

 

「分かった」

 

「鷹山くん、控室の空気が重いんだけど」

 

「空気清浄機の設定を上げます。あと、窓は開けられないので、香りの強くないお茶を出します」

 

「聖火、第三練習場」

 

「十五分押し。代わりに予備室を押さえました」

 

「早いな」

 

「走ったからね」

 

そんなやり取りを何度も繰り返しているうちに、聖火はふと気づいた。

 

自分は、ほとんど試合を見ていない。

 

九校戦が始まったというのに、観客席に座って競技を眺めた記憶がほとんどない。

 

聞こえてくる歓声で、勝敗の気配だけは分かる。

 

控室に戻ってきた選手の表情で、結果の良し悪しもだいたい分かる。

 

だが、肝心の競技そのものは、ほとんど見ていなかった。

 

それでも、不満はなかった。

 

むしろ、こちらの方が性に合っている。

 

派手な勝利より、試合前に震えていた手が落ち着く瞬間の方が気になる。

 

華やかな魔法より、調整後に選手が「今の方が使いやすい」と呟く声の方が耳に残る。

 

観客席の歓声より、控室に戻ってきたエンジニアが椅子に沈み込んでようやく息を吐く姿の方が気になった。

 

おそらく、自分はそういう人間なのだろう。

 

「鷹山くん」

 

背後から声をかけられた。

 

振り返ると、中条あずさが少し心配そうに立っていた。

 

「はい、中条先輩」

 

「少し休んだ方がいいと思います」

 

「俺ですか?」

 

「はい。朝からずっと動いてます」

 

「まだ大丈夫ですよ」

 

「そう言う人ほど危ないって、鷹山くんがさっき選手に言ってました」

 

聖火は言葉に詰まった。

 

自分の言葉が返ってくるのは、少し痛い。

 

「あずさ先輩、意外と鋭いですね」

 

「意外は余計です」

 

「すみません」

 

あずさは少し困ったように笑った。

 

「十分だけでも休んでください。司波くんにも言われました」

 

「達也くんに?」

 

「はい。『聖火が動きすぎているなら止めてください』って」

 

「本人が一番動きすぎているのに」

 

「それも言っておきました」

 

「ありがとうございます」

 

「でも、鷹山くんもです」

 

「……はい」

 

そこまで言われては、休まないわけにもいかない。

 

聖火は端末の予定表を確認し、次の予定まで三十分ほど空いていることを見つけた。

 

正確には、朝から詰め込んだ予定の中で、ようやく生まれた空白だった。

 

三十分。

 

長いとは言えない。

 

だが、紅茶を一杯飲み、甘いものを一つ食べ、息を整えるには十分だった。

 

「では、少しだけ休みます」

 

「本当に休んでくださいね」

 

「はい」

 

「作業しながら休むのは、休むとは言いません」

 

「先回りされた」

 

あずさは珍しく少しだけ得意そうに見えた。

 

聖火は苦笑しながら、控室を出た。

 

向かったのは、人の流れから少し外れた休憩スペースだった。

 

施設の端にある小さなラウンジ。

 

大きな窓からは、遠くの練習場が見える。

 

観客用ではなく、スタッフや関係者が短い休憩を取るための場所らしい。

 

今はちょうど人が少なかった。

 

聖火は近くの売店で、小さなケーキを一つ買った。

 

苺のショートケーキ。

 

それから、紙カップではなく、きちんとカップで出してくれる紅茶も頼む。

 

香りは強すぎない。

 

渋みも控えめ。

 

悪くない。

 

聖火は窓際の席に座り、ようやく息を吐いた。

 

端末で次の予定をもう一度確認する。

 

まだ、三十分近くある。

 

「……生き返る」

 

ケーキにフォークを入れる。

 

甘い。

 

朝から動き回っていた身体には、少し甘すぎるくらいがちょうどよかった。

 

紅茶を一口飲む。

 

温かさが喉を通り、胃に落ちていく。

 

ようやく、自分が思っていた以上に疲れていたことに気づいた。

 

試合会場から、少し遅れて歓声が届く。

 

誰かが勝ったのだろう。

 

一高か。

 

それとも他校か。

 

聖火は窓の外を見ながら、あまり深く考えなかった。

 

結果は後で分かる。

 

今は、この三十分をきちんと休む方が大事だ。

 

そう決めて、聖火はもう一口、紅茶を飲んだ。

 

温かい。

 

朝から動き回っていた身体には、ただの紅茶でも十分にありがたかった。

 

窓の外では、遠くの練習場を選手たちが行き交っている。

 

歓声はここまで届くが、少し遠い。

 

この休憩スペースだけは、九校戦の熱から少し切り離されているようだった。

 

聖火はフォークでショートケーキを小さく切る。

 

苺の酸味とクリームの甘さが、疲れた身体に染みた。

 

「……悪くないな」

 

そう呟いた時だった。

 

「相席、いいかな?」

 

声をかけられた。

 

聖火はフォークを持ったまま、顔を上げる。

 

そこに立っていたのは、一人の男子生徒だった。

 

手には盆を持っている。

 

盆の上には、コーヒーのカップとモンブラン。

 

少し硬い表情。

 

真面目そうな立ち方。

 

だが、敵意はない。

 

聖火は、相手の胸元にある校章と制服の意匠へ軽く目を向けた。

 

一高の生徒。

 

それも二科生だ。

 

少なくとも、他校の人間ではない。

 

聖火はすぐに笑みを作った。

 

「どうぞ。空いてるよ」

 

「ありがとう」

 

男子生徒は小さく頷き、向かいの席に座った。

 

盆を置く動作は丁寧だった。

 

ただ、どこか少し緊張しているようにも見える。

 

「いきなりごめんね」

 

男子生徒は少し姿勢を正した。

 

「僕は吉田幹比古。達也とクラスメイトなんだ」

 

「鷹山聖火です」

 

聖火も軽く頭を下げた。

 

「達也くんと同じで、聖火でいいよ」

 

「分かった。じゃあ、聖火」

 

そこで幹比古は、少しだけ間を置いた。

 

「僕のことも、幹比古でいいよ」

 

聖火は一瞬、目を瞬かせた。

 

それから、すぐに笑った。

 

「うん。よろしく、幹比古くん」

 

「ああ。よろしく」

 

短い挨拶。

 

それだけで、相手がかなり真面目な性格だと分かった。

 

聖火は紅茶を一口飲み、それから少しだけ首を傾げた。

 

「幹比古くんって、もしかして古式の家の?」

 

幹比古の表情が、わずかに陰った。

 

ほんの一瞬。

 

だが、聖火はそれを見逃さなかった。

 

視線が少しだけ落ちる。

 

コーヒーのカップを持つ指に、わずかに力が入る。

 

返事をするまでの間が、ほんの少し長い。

 

それは、名前を知られていることへの驚きだけではない。

 

名に対する誇り。

 

そして、その名を背負いきれていないような、静かな重さ。

 

聖火は、そう感じた。

 

だが、口には出さない。

 

初対面で触れていい場所ではない。

 

「……聖火は知ってたんだ」

 

幹比古は静かに言った。

 

聖火は何食わぬ顔で、紅茶のカップを持ち上げる。

 

「古式をかじっていたら、名前くらいは知っているよ」

 

「かじっていたら、か」

 

「うん。俺は体系立てて学んだわけじゃないからね。名門の名前くらいしか知らない」

 

「名門……」

 

幹比古は小さく呟いた。

 

その声は、ほんの少しだけ重かった。

 

聖火は、それ以上踏み込まなかった。

 

代わりに、幹比古の盆へ視線を落とす。

 

「コーヒーとモンブランなんだ」

 

「何か変かな」

 

「いや、少し意外だっただけ。真面目そうな顔でモンブランを選ぶんだなって」

 

「甘いものが嫌いそうに見えた?」

 

「どちらかというと、栄養補助食と水で済ませそうに見えた」

 

「それは達也の方じゃないかな」

 

聖火は思わず笑った。

 

「分かる」

 

幹比古も、少しだけ表情を緩めた。

 

ほんの少し。

 

だが、そのわずかな変化で、場の空気は柔らかくなった。

 

幹比古はコーヒーに口をつけた。

 

それから、改めて聖火を見る。

 

「休憩中に悪い」

 

「大丈夫。次の予定まで少しあるから」

 

聖火は端末の表示を軽く確認した。

 

「ケーキを食べながらでよければ、話くらいは聞けるよ」

 

「……実は、聞きたいことがある」

 

「うん」

 

幹比古はすぐには続けなかった。

 

コーヒーのカップに視線を落とす。

 

カップを持つ指に、ほんの少しだけ力が入っていた。

 

迷っている。

 

それも、単に聞きづらいというより、聞くことで自分の何かを認めなければならない。

 

そんな迷い方だった。

 

聖火は急かさなかった。

 

フォークでショートケーキを小さく切り、口に運ぶ。

 

苺の酸味とクリームの甘さが、少しだけ場の空気を柔らかくした。

 

やがて、幹比古が口を開いた。

 

「昨晩、君が札を回収しているところを見た」

 

聖火のフォークが、皿の上で止まった。

 

「懇親会の会場で?」

 

「ああ」

 

幹比古は頷いた。

 

「九島閣下の激励が終わった後だ。君は、周囲に落ちた札を拾っていただろう」

 

「見られてたんだ」

 

「見てしまった、という方が近い」

 

幹比古の声は硬かった。

 

責めているわけではない。

 

だが、ただの好奇心でもなかった。

 

「一枚だけじゃなかった。床の端、柱の影、照明の下。君は目立たないように、けれど迷わず回収していた」

 

「後始末は大事だからね」

 

「後始末、か」

 

幹比古は小さく繰り返した。

 

その言葉が、少しだけ重く響いた。

 

聖火は紅茶を飲んだ。

 

少し冷めていたが、今はそれでよかった。

 

「それが聞きたかったこと?」

 

「それだけじゃない」

 

幹比古は顔を上げた。

 

「君は、あの時、敵性術式と誤認したと言っていた」

 

「うん。実際、誤認だった」

 

「でも、誤認してから止めるまでが早かった。しかも、止めた後にすぐ札を回収していた。あれは、自分が何をしたのか分かっていなければできない」

 

「買いかぶりだよ」

 

「そうは見えなかった」

 

聖火は何も言わなかった。

 

幹比古の声には、わずかな苛立ちがあった。

 

ただし、その苛立ちは聖火に向いたものではない。

 

もっと内側。

 

幹比古自身に向けられたものだった。

 

「僕は昨晩、不審者に遭遇した」

 

幹比古は言った。

 

聖火は表情を変えなかった。

 

だが、紅茶のカップを持つ指だけが、わずかに止まる。

 

「何かあったらしいことは聞いてる」

 

「そうか」

 

「詳しくは知らない。けど、達也くんが関わったことくらいは」

 

「助けられた」

 

幹比古は短く言った。

 

その言葉は、自分で思っていたよりも苦かったのかもしれない。

 

言った後で、幹比古は少しだけ視線を落とした。

 

「不審者に遭遇して、何かおかしいとは思った。けれど、僕は対処できなかった。判断が遅れた。術を形にする前に、状況が動いた」

 

聖火は黙って聞いた。

 

「達也が来なければ、どうなっていたか分からない」

 

「幹比古くん」

 

「慰めはいらない」

 

幹比古はすぐに言った。

 

その声は強かった。

 

だが、強く言わなければ崩れそうな声でもあった。

 

聖火は少しだけ目を細めた。

 

そして、口に出しかけた言葉を飲み込んだ。

 

ここで慰めるのは違う。

 

幹比古が欲しいのは、優しい言葉ではない。

 

たぶん、自分が何を見たのかを確かめるための材料だ。

 

「分かった」

 

聖火は静かに言った。

 

「慰めない」

 

幹比古は少しだけ驚いたように顔を上げた。

 

聖火は続ける。

 

「その代わり、聞くよ。何が引っかかった?」

 

幹比古は、しばらく黙った。

 

それから、低く言った。

 

「速さだ」

 

「速さ?」

 

「ああ」

 

幹比古は、聖火を真っ直ぐに見た。

 

「君は、昨晩の会場で異常だと判断してから、札を発動するまでが速かった。ほとんど迷いがなかった」

 

「誤認だったけどね」

 

「それでもだ」

 

幹比古は少しだけ眉を寄せた。

 

「古式魔法は、本来そこまで即応性に優れたものじゃない。少なくとも、僕の知っている古式はそうだ」

 

聖火は答えなかった。

 

幹比古の言葉には、聖火への疑問だけではなく、自分自身への苛立ちが滲んでいた。

 

「僕は、違和感を覚えてから術に移るまでが遅かった。考えた。迷った。確認しようとした。その間に、達也が動いた」

 

「……」

 

「でも君は、動いた。誤認だったとしても、術は間に合っていた」

 

その言葉に、聖火は幹比古の胸の内を少しだけ見た気がした。

 

達也に助けられた自分。

 

判断が遅れた自分。

 

古式の名を背負いながら、実戦で間に合わなかった自分。

 

そして、我流だと言いながら、必要な瞬間に札を発動させた聖火。

 

幹比古は、それらを比べている。

 

比べる必要などない、と言うのは簡単だ。

 

だが、本人の中で比べてしまっているものを、外から否定しても意味がない。

 

だから聖火は、言わなかった。

 

「それで、聞きたいことって?」

 

幹比古は少しだけ息を吸った。

 

「君は、古式魔法をどうやってそこまで速く使っているんだ」

 

聖火は紅茶のカップを置いた。

 

短い沈黙。

 

ラウンジの外では、遠くの歓声が遅れて響いている。

 

「速く使っている、というより」

 

聖火は言葉を選んだ。

 

「速く使える形に、最初から削っているだけだよ」

 

幹比古の目が、わずかに細くなる。

 

「削っている?」

 

「威力も、精度も、術としての美しさも。必要ないものを削って、目的だけ残す」

 

「それは……」

 

幹比古の声が、少しだけ硬くなった。

 

「術を壊しているのと、何が違う」

 

「違わないかもしれない」

 

聖火は淡々と言った。

 

「正統から見れば、たぶん歪だと思う」

 

幹比古は黙った。

 

その沈黙は、聖火を責めるものではなかった。

 

むしろ、自分の中の何かに触れられたような沈黙だった。

 

「君の術は、どこの流派なんだい?」

 

幹比古は静かに聞いた。

 

「そこまで削って、なお術として成立しているなら、元になった型があるはずだ」

 

聖火は少しだけ苦笑した。

 

「流派というほど立派なものじゃないよ」

 

「立派かどうかじゃない。系統を聞いているんだ」

 

「父が集めた資料と、俺の我流」

 

「我流で、あの速さを?」

 

「速さだけならね」

 

「だけ?」

 

「速い代わりに、いろいろ捨ててる。長く保たないし、強い干渉にも弱い。あと、見た目が地味」

 

「最後は問題なのか?」

 

「意外と大事だよ。見た目が派手だと、相手が勝手に警戒してくれる」

 

幹比古は一瞬、返答に困ったようだった。

 

聖火は少しだけ笑う。

 

「冗談半分」

 

「半分は本気なのか」

 

「うん」

 

幹比古は、コーヒーのカップを見つめた。

 

「僕には、そんなふうには考えられない」

 

その声は小さかった。

 

だが、確かに重かった。

 

聖火はすぐには返さなかった。

 

幹比古の指が、カップの取っ手に触れている。

 

力が入りすぎているわけではない。

 

だが、離すこともできずにいる。

 

その仕草が、幹比古自身の迷いに見えた。

 

聖火は紅茶のカップを置いた。

 

「幹比古くんはさ」

 

「何?」

 

「古式魔法を、どう思ってる?」

 

幹比古は顔を上げた。

 

「どう、とは?」

 

「好きか嫌いか。大事なのか、重いのか。怖いのか、楽しいのか。そういう話」

 

「……急に難しいことを聞くんだな」

 

「ごめん。ケーキを食べながらする話じゃなかったかも」

 

「いや」

 

幹比古は首を振った。

 

「そういう意味じゃない」

 

そう言ったきり、幹比古は黙った。

 

答えがないわけではない。

 

ありすぎて、どれを口にすればいいか分からない。

 

聖火には、そんな沈黙に見えた。

 

だから、聖火は先に自分の答えを出した。

 

「俺はね、古式魔法は楽しいと思ってるよ」

 

幹比古の目が、わずかに揺れた。

 

「楽しい?」

 

「うん。楽しい」

 

聖火は窓の外へ視線を向けた。

 

遠くで選手たちが走っている。

 

歓声が薄く届く。

 

だが、聖火の声は、そのどれとも少し違う穏やかさを持っていた。

 

「父が持ってきた資料を一緒に読む。読めない字があれば調べる。意味が分からなければ、二人でああでもない、こうでもないって話す」

 

聖火は小さく笑った。

 

「たぶん、専門家から見たら雑なんだと思うよ。解釈違いもあるだろうし、間違えて覚えたものもあると思う」

 

「それでいいのか」

 

「よくないこともある。でも、それでも楽しかった」

 

幹比古は黙って聞いていた。

 

「古い術の記録ってさ、ただの手順じゃないんだよね。誰かが何かを見て、何かを恐れて、何かを願って、それを形にしようとした跡なんだと思う」

 

聖火は自分の指先を見る。

 

そこには今、札はない。

 

けれど、何枚もの紙片の感触がまだ残っている気がした。

 

「だから、読んでいると楽しい。考えていると楽しい。父と話していると、もっと楽しい。これは何に使ったんだろう。どうしてこういう形になったんだろう。昔の人は、何を見てこれを術にしたんだろうって」

 

幹比古は、少しだけ目を伏せた。

 

その表情から、何かがこぼれそうになっている。

 

だが、まだこぼれない。

 

聖火はそれを見て、あえて声を軽くした。

 

「まあ、俺の場合はそこから雑に実用化しようとするから、たぶん偉い人に怒られるんだけど」

 

「怒られる自覚はあるんだな」

 

「あるよ。だから名門の人にはなるべく見つからないようにしてた」

 

「もう見つかっている」

 

「そうなんだよね。困った」

 

聖火は肩をすくめた。

 

幹比古は、ほんの少しだけ笑った。

 

本当にわずかだったが、さっきよりは自然な笑みだった。

 

聖火はその笑みを見て、少しだけ安心した。

 

「幹比古くんにとって、古式魔法って何?」

 

幹比古はすぐには答えなかった。

 

コーヒーの水面を見つめる。

 

黒い水面に、窓からの光が揺れている。

 

「僕にとっては……」

 

言いかけて、言葉が止まった。

 

聖火は続きを待った。

 

だが、幹比古は結局、その先を言えなかった。

 

「ごめん。今は、うまく言えない」

 

「うん」

 

聖火は頷いた。

 

「それでいいと思う」

 

「いいのか?」

 

「無理に言葉にしたものって、だいたい後で違うってなるから」

 

幹比古は少しだけ目を細めた。

 

「君は、妙なところで雑なのに、妙なところで慎重なんだな」

 

「よく言われる」

 

「誰に?」

 

「達也くんとか」

 

「達也がそんなことを?」

 

「言葉にはしないけど、目で言う」

 

幹比古は少しだけ困ったように笑った。

 

その時、聖火の端末が短く震えた。

 

予定の通知だった。

 

聖火は画面を確認し、小さく息を吐く。

 

「もうこんな時間か」

 

「予定?」

 

「うん。これから別の資材の調整に行かないといけない」

 

聖火は残っていた紅茶を飲み干した。

 

「ごめんね、幹比古くん。話の途中で」

 

「いや、こちらこそ休憩中に悪かった」

 

「大丈夫。面白かったよ」

 

「面白い?」

 

「うん。幹比古くんと話すのは、たぶん面白い」

 

幹比古は、どう返せばいいのか分からないような顔をした。

 

聖火はトレーを持って立ち上がる。

 

そして、ふと思い出したように振り返った。

 

「幹比古くん」

 

「何?」

 

「君が少しでも楽しいと思えたら、精霊たちも案外、微笑んでくれるかもしれないよ」

 

幹比古の目が、大きく揺れた。

 

「それって、どういう……」

 

聖火は答えなかった。

 

ただ、気にしないでと言うように、軽く手を振る。

 

「じゃあね、幹比古くん」

 

それだけ言って、聖火はトレーを返却口へ運んだ。

 

幹比古は、その背中をしばらく見ていた。

 

精霊たちも、微笑んでくれるかもしれない。

 

聖火の言葉が、妙に耳に残っていた。

 

楽しい。

 

幹比古は、自分の掌を見下ろす。

 

最後に、自分はいつ古式魔法を楽しいと思っただろうか。

 

思い出そうとして、すぐには思い出せなかった。

 

それが、少しだけ苦しかった。

 




幹比古回でした。
今回は聖火が古式魔法に対する思いを少し出してみました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。