魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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いよいよ事件が発生するシーンになります。


九校戦編6

九校戦三日目。

 

女子バトル・ボードの競技中、七校の選手側で事故が発生し、渡辺摩利がそれに巻き込まれた。

 

その報せが一高の控室に届いた時、室内の空気は一瞬で変わった。

 

誰かが息を呑む音。

 

端末を握る指が止まる気配。

 

試合予定を確認していたエンジニアが、画面から顔を上げる。

 

選手たちの間に、言葉にならない動揺が広がっていく。

 

九校戦は、魔法師を志す学生たちの晴れ舞台だ。

 

勝つ者がいれば、負ける者もいる。

 

緊張もあれば、悔し涙もある。

 

だが、事故は違う。

 

敗北とは別の冷たさが、控室に落ちた。

 

聖火は、すぐに事故現場へ向かったわけではなかった。

 

向かえなかった、という方が正しい。

 

救護班はすでに動いている。

 

大会運営も確認に入っている。

 

関係者以外が不用意に現場へ近づけば、かえって邪魔になる。

 

それに、聖火には聖火の役割があった。

 

動揺している選手を落ち着かせる。

 

次の競技予定を確認する。

 

控室の空気を整える。

 

エンジニアたちが無理をしていないかを見る。

 

渡辺先輩の名が出るたびに顔を曇らせる生徒へ、温かい飲み物を渡す。

 

不安で手が震えている一年生には、予定表を見せながら、次に何をすればいいかを一つずつ伝える。

 

事故が起きたからといって、九校戦は止まらない。

 

止まらない以上、崩れそうな場所を支える人間が必要だった。

 

そして、そういう仕事の方が、聖火には向いていた。

 

時間は過ぎた。

 

競技は進み、歓声も戻った。

 

だが、その歓声は朝のものとは少し違って聞こえた。

 

どこか、薄い膜を一枚挟んだような響きだった。

 

夕方になると、競技場は昼間とは別の顔を見せた。

 

観客席の歓声は消え、スタッフの足音もまばらになっている。

 

午後に起きた事故の現場は、すでに片付けられていた。

 

七校の選手と渡辺摩利は、すでに救護班によって運ばれ、関係者の確認も一通り終わっている。

 

表向きには、事故。

 

機材不良か。

 

選手同士の接触か。

 

魔法制御の乱れか。

 

正式な判断はまだ出ていない。

 

だが、聖火はその言葉を、まだ信用していなかった。

 

「……静かすぎるな」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

 

聖火は人のいなくなった競技エリアに立ち、周囲を見回した。

 

機材の配置。

 

床の擦れ。

 

人が倒れたと思われる位置。

 

スタッフが慌てて走った動線。

 

すべてが片付けられている。

 

片付けられすぎている。

 

事故の後なら、もっと乱れが残る。

 

人の焦り。

 

魔法の乱れ。

 

場のざわつき。

 

そういうものが、もう少し残っていてもいいはずだった。

 

だが、ここにはそれが薄い。

 

薄すぎる。

 

聖火はゆっくりと息を吐いた。

 

事故現場というより、最初から何も起きなかった場所のように見える。

 

それが、気味悪かった。

 

聖火は袖口から、小さな札を一枚取り出した。

 

紙片の端に、細く墨が走っている。

 

現代魔法の測定器ではない。

 

証拠にもならない。

 

ただ、場の歪みを見るための道具だった。

 

聖火は札を床に置く。

 

札は一度だけ震えた。

 

それから、静かに回り始めた。

 

右へ。

 

左へ。

 

また右へ。

 

どこかを指そうとして、指すべき先を失ったような動きだった。

 

「方向がない」

 

聖火は眉を寄せた。

 

何もないのではない。

 

あったものが、消されている。

 

いや。

 

消されている、というより。

 

「馴染まされている……?」

 

昼間、幹比古と交わした会話が、ふと脳裏をかすめた。

 

精霊。

 

場。

 

気配。

 

人が作った術式ではなく、場そのものに寄り添うもの。

 

聖火は札を拾い上げた。

 

札の端が、わずかに焦げていた。

 

「精霊魔法……いや、それに近い何かか」

 

「何が近いのかしら?」

 

背後から声がした。

 

聖火は振り返る。

 

そこには、十文字克人と七草真由美が立っていた。

 

「七草先輩。十文字先輩」

 

聖火は札を指先に挟んだまま、軽く頭を下げた。

 

七草はいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。

 

だが、目は笑っていなかった。

 

十文字は腕を組み、現場を一瞥する。

 

「ここで何をしている」

 

「確認です」

 

「公式の確認は終わっているわ」

 

七草が静かに言った。

 

「はい。だから来ました」

 

七草の眉が、わずかに動く。

 

十文字も、黙って聖火を見た。

 

「どういう意味かしら」

 

「人がいる間は、人の動きが残ります。慌てた人、怒っている人、心配している人、責任を避けたい人。そういうものが混じると、場が見にくくなるので」

 

「人がいなくなった後なら見えるものがある、と?」

 

「見えるというより、残っていないことが分かる、です」

 

十文字が低く言った。

 

「事故ではないと言いたいのか」

 

「そこまでは言いません」

 

聖火は即座に首を振った。

 

「証拠がありません」

 

「なら、何を見た」

 

聖火は手元の札を見る。

 

「方向がありませんでした」

 

七草が首を傾げる。

 

「方向?」

 

「普通なら、札は強い痕跡へ向きます。渡辺先輩側か、七校の選手側か、機材側か、床か、空気か。どこかには寄るはずです」

 

「今回は?」

 

「迷いました」

 

聖火は短く答えた。

 

「何もないから迷ったのではありません。指すべきものが、場に馴染まされているように見えました」

 

十文字の目が細くなる。

 

「馴染まされている?」

 

「はい。消された、というより、場そのものに溶かされた感じです」

 

七草の表情が少しだけ硬くなった。

 

驚いた、というよりは、考えていた可能性の一つを差し出されたような顔だった。

 

「……古式魔法の可能性があるということ?」

 

「可能性だけなら」

 

聖火は慎重に答えた。

 

「精霊魔法そのものとは言いません。ですが、現代魔法の残り方とは違います。場に残るはずのものを、場そのものへ溶かすような処理に近い」

 

「つまり、古式寄りの干渉」

 

「あるいは、それに似せた何かです」

 

「似せた何か?」

 

七草の声が少しだけ低くなった。

 

「本物の古式魔法とは限らない、ということかしら」

 

「はい。俺には断定できません」

 

聖火は正直に答えた。

 

「ただ、普通の事故として片づけるには、現場が綺麗すぎます」

 

十文字はしばらく沈黙していた。

 

その沈黙は、聖火の推測を否定するためのものではなかった。

 

むしろ、すでに胸中にあった疑念と照らし合わせているように見えた。

 

やがて、十文字は短く言う。

 

「証拠はない」

 

「はい」

 

「推測だな」

 

「はい」

 

「だが、無視するには不自然か」

 

「そう判断しました」

 

十文字は七草を見る。

 

七草も、わずかに頷いた。

 

その頷きは、聖火の言葉を全面的に信じたというより、事故として片づけるには早いという確認に近かった。

 

「分かった」

 

十文字は聖火へ視線を戻す。

 

「この件はこちらでも確認する。お前は勝手に深く踏み込むな」

 

「努力します」

 

「努力ではなく、守れ」

 

聖火は一瞬だけ沈黙した。

 

大会前、別の相手にも似たようなことを言われた記憶がよぎる。

 

「……はい」

 

七草がその間に気づいたのか、少しだけ目を細める。

 

「何か言いたそうね、鷹山くん」

 

「いえ、最近、約束を求められることが多いと思いまして」

 

「普段から逃げ道のある返事をしているからではないか」

 

十文字が淡々と言った。

 

聖火は少しだけ苦笑した。

 

「心外です」

 

「心外そうには見えん」

 

七草が小さく笑った。

 

「でも、そういう返事をする子ほど、本当に危ない時は勝手に動くのよね」

 

「七草先輩まで」

 

「経験則よ」

 

聖火は肩をすくめた。

 

十文字は表情を崩さないまま、低く言った。

 

「鷹山」

 

「はい」

 

「断定はするな。だが、見落とすな」

 

聖火は小さく頷いた。

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

一高が借りている会議室は、昼間の喧騒から少し離れた場所にあった。

 

競技予定表。

 

選手の状態確認表。

 

CAD調整の進行記録。

 

事故後に差し替えられた予定。

 

机の上には、いくつもの端末と紙の資料が並んでいる。

 

扉が閉まると、外の音は一段遠くなった。

 

七草真由美は席に着くなり、小さく息を吐いた。

 

「鷹山くん、思ったより独特な見方をするわね」

 

十文字克人は向かいの席に座り、腕を組んだ。

 

「証拠にはならん」

 

「ええ。分かっているわ」

 

七草は頷いた。

 

「札が回ったとか、場に馴染まされているとか。公式の報告書に書ける内容ではないもの」

 

「なら、扱いには注意が必要だ」

 

「でも、無視もできない」

 

七草は机の上の端末へ視線を落とした。

 

事故に関する暫定報告。

 

そこには、まだ原因不明の文字が残っている。

 

「私たちが気にしていた点と、鷹山くんが拾った違和感は別の角度から来ている。でも、行き着く先は近いわ」

 

「事故として処理するには早い、か」

 

「ええ」

 

十文字はしばらく黙った。

 

その沈黙は、考えていない沈黙ではない。

 

むしろ、余計な感情を挟まずに情報を並べている沈黙だった。

 

「七校の選手側で事故が発生し、渡辺がそれに巻き込まれた」

 

十文字は低く言った。

 

「表向きにはそうね」

 

七草は端末の表示を見つめたまま答える。

 

「競技中の接触。制御の乱れ。機材側の不具合。どれも説明としては成立するわ」

 

「だが、偶然と言うには出来すぎている」

 

「ええ」

 

七草は静かに頷いた。

 

「七校の選手だけなら、まだ事故として見る余地はあった。けれど、巻き込まれたのが摩利だという点が引っかかる」

 

「渡辺は実力も判断力もある」

 

「そう簡単に事故へ巻き込まれる選手ではないわ」

 

七草の声は穏やかだった。

 

だが、その奥には、生徒会長としての警戒があった。

 

「もちろん、競技中の事故に絶対はない。どれだけ優秀な選手でも、巻き込まれる時は巻き込まれる」

 

「だから断定はできん」

 

「ええ。けれど、断定できないことと、疑わないことは違う」

 

十文字は端末に表示された競技映像の停止画面へ目を向けた。

 

七校の選手。

 

渡辺摩利。

 

水面。

 

競技エリア。

 

そして、事故の直前に生じたわずかな乱れ。

 

「鷹山は、残っていないことが分かると言った」

 

「不思議な言い方ね」

 

「だが、あいつは無意味なことは言わん」

 

七草は少しだけ目を細めた。

 

「ずいぶん評価しているのね」

 

「評価ではない。観察だ」

 

「そういうところ、十文字くんも司波くんに少し似ているわ」

 

「心外だ」

 

七草は、今度こそ小さく笑った。

 

けれど、その笑みはすぐに消えた。

 

「でも、彼の言葉で一つはっきりしたわ」

 

「何がだ」

 

「事故現場を見て、違和感を覚えたのは私たちだけではないということ」

 

七草は端末を操作し、事故報告の画面を閉じた。

 

「私たちは運営上の不自然さを見ている。達也くんは、おそらく技術的な違和感に気づいている。鷹山くんは、古式寄りの感覚で場の不自然さを拾った」

 

「三つが同じ方向を向くなら、偶然では済まん」

 

「問題は、まだ同じ方向を向いていると断定できないことね」

 

「だから備える」

 

十文字は短く答えた。

 

七草は静かに頷いた。

 

「ええ。騒がずに、でも見落とさずに」

 

しばらく、会議室に沈黙が落ちた。

 

外ではまだ九校戦が続いている。

 

誰かが勝ち、誰かが負け、歓声が上がり、拍手が起こる。

 

だが、この部屋の中だけは、その熱から切り離されていた。

 

「今、こちらから事件性を強く主張すれば、大会運営も他校も動揺するわ」

 

七草は言った。

 

「下手をすれば、一高が七校に責任を押しつけているようにも見える」

 

「逆に、何もしなければ次が起きる可能性もある」

 

「そうね」

 

七草の声が少しだけ低くなる。

 

「だから、表では事故として扱う。けれど、内側では警戒を強める」

 

「選手とエンジニアには、露骨にならない範囲で注意を促す」

 

「お願い。特にエンジニアには、いつもより一段細かく確認してもらうわ」

 

「CADと競技機材か」

 

「ええ。選手には余計な不安を与えたくない。でも、何か違和感があった時に、黙って飲み込まれたら困る」

 

「異常を感じたら、すぐ報告させる」

 

「そうね。大げさに騒がず、でも見逃さない。今はそれが一番いいと思う」

 

七草は一拍置いてから、少しだけ苦笑した。

 

「本当に、露骨にならない範囲でね」

 

「必要ならそうする」

 

「必要になる前に止めたいの」

 

七草の声は柔らかかった。

 

だが、その奥には生徒会長としての冷静な判断がある。

 

十文字はそれ以上反論しなかった。

 

代わりに、別の名を口にする。

 

「鷹山はどう扱う」

 

「難しいわね」

 

七草は少し考えるように、指先を机に置いた。

 

「あの子の見立ては証拠にならない。でも、見えているものがあるのは確かよ」

 

「深入りさせるべきではない」

 

「同感」

 

七草は即座に頷いた。

 

「けれど、止めても見てしまう子でしょうね」

 

「厄介だな」

 

「ええ。とても」

 

七草は困ったように笑った。

 

「でも、悪い子ではないわ」

 

「悪いかどうかの問題ではない」

 

「危ないかどうか?」

 

「そうだ」

 

十文字の声は低かった。

 

「自分の立場を理解した上で、あえて曖昧な返事をする。あれは面倒を引き受ける人間の返事だ」

 

七草の笑みが少しだけ消えた。

 

「あなたもそう見るのね」

 

「お前もだろう」

 

「ええ」

 

会議室に、短い沈黙が落ちた。

 

七草は窓の外へ目を向ける。

 

夕方の光が、ガラス越しに細く差し込んでいた。

 

「鷹山くんの言葉を、そのまま信じるわけにはいかない」

 

七草は静かに言った。

 

「けれど、彼が見たものを無視するのも危険ね」

 

「同感だ」

 

「いま、達也くんたちに確認してもらっているの」

 

「司波に……技術面か」

 

「ええ。事故の原因が魔法制御の乱れや機材不良とされるなら、そこを見るのは彼が一番向いているわ」

 

十文字は短く頷いた。

 

「ただし、司波も深入りする」

 

「でしょうね」

 

七草は苦笑した。

 

「今年の一年生は、どうしてこうも目を離せない子が多いのかしら」

 

「偶然だろう」

 

「本当にそう思っている?」

 

「思っていない」

 

十文字は即答した。

 

七草は、少しだけ呆れたように笑った。

 

「正直ね」

 

「嘘をつく理由がない」

 

その言葉に、七草は肩の力を少し抜いた。

 

けれど、すぐに表情を戻す。

 

「まずは選手の動揺を抑えるわ。大会が止まらない以上、こちらが崩れるわけにはいかない」

 

「エンジニア側の確認は、こちらでも人を回す」

 

「お願い。選手には必要以上に不安を広げないようにするわ」

 

七草は端末を閉じた。

 

「それと、鷹山くんには?」

 

「勝手に踏み込むなとは言った」

 

「守ると思う?」

 

「努力はするだろう」

 

「守るとは言わないのね」

 

「言わん」

 

七草は小さく笑った。

 

「やっぱり、厄介な子ね」

 

「だから見ておく必要がある」

 

十文字は短く言った。

 

それは警戒でもあり、保護でもあった。

 

七草はその言葉の両方を理解して、静かに頷いた。

 

「ええ。見落とさないようにしましょう。事故も、あの子も」

 




原作を崩さないようにするのが意外と難しいですね。
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