魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

29 / 33
今回は雫と聖火の絡みになります。



九校戦編7

翌日になっても、事故の影は完全には消えなかった。

 

だが、九校戦は止まらない。

 

選手は競技に出る。

 

エンジニアはCADを調整する。

 

スタッフは予定を確認し、控室を整え、次の競技へ人を送り出す。

 

止まらないものを支えるために、聖火も朝から動いていた。

 

昨日の事故については、達也が技術面から確認を進めていると聞いている。

 

幹比古と美月にも、別の角度から協力を頼んだらしい。

 

聖火はそれ以上、深く聞かなかった。

 

十文字に言われた通り、踏み込みすぎるつもりはない。

 

少なくとも、今は。

 

今の聖火の仕事は、事故の裏を探ることではない。

 

目の前の選手が、余計な不安を抱えず競技に向かえるようにすることだった。

 

その目の前の選手が、北山雫だった。

 

新人戦、女子スピード・シューティング。

 

雫にとって、九校戦で自分の力を示す最初の大きな舞台の一つだった。

 

控室の一角で、雫は静かに座っていた。

 

少し離れた場所では、達也がCADの最終確認をしている。

 

無駄な動きはない。

 

必要な作業だけを、淡々と積み重ねている。

 

その様子を見ているだけで、達也が雫の競技に向けて、すでに必要な準備を終えつつあることは分かった。

 

少なくとも、雫は達也の調整を疑っていない。

 

ならば、聖火が技術面で口を挟む必要はなかった。

 

必要なのは、競技までのわずかな時間を、余計な重さから切り離すこと。

 

それくらいだった。

 

控室の空気は張っている。

 

だが、張り詰めすぎてはいない。

 

雫自身が、静かに整っているからだろう。

 

ただ、その静けさが、緊張ではないとは限らない。

 

聖火は盆を持って近づいた。

 

「水でいい?」

 

雫は顔を上げる。

 

「うん」

 

「紅茶じゃなくて?」

 

「競技前は、水」

 

「合理的だ」

 

「達也さんみたいなこと言う」

 

「今のは少し傷ついたな」

 

「褒めた」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「たぶんか」

 

雫は小さく水を受け取った。

 

表情はほとんど変わらない。

 

けれど、ほんの少しだけ肩の力が抜けたように見えた。

 

聖火は雫の前に小さな包みを置いた。

 

「これは競技後用」

 

雫が包みを見る。

 

「何?」

 

「小さな焼き菓子。今食べると口が乾くから、終わってから」

 

「気が早い」

 

「終わった後の楽しみがあると、戻ってくる理由になる」

 

雫は少しだけ首を傾げた。

 

「戻ってくる理由?」

 

「勝っても負けても、競技が終わったらここに戻ってくる。だから、その時に食べるものがあるといいかなって」

 

「負けても?」

 

「うん。勝っても負けても」

 

聖火は軽く笑った。

 

「競技が終わった後に戻る場所があるのは、悪いことじゃないと思うよ」

 

雫は包みを見た。

 

それから、ほんの少しだけ頷く。

 

「悪くない」

 

「それはよかった」

 

短い沈黙が落ちる。

 

気まずいものではなかった。

 

雫は水を一口飲み、聖火は近くの椅子に腰を下ろす。

 

遠くから、別の競技の歓声が聞こえた。

 

昨日の事故以来、その歓声は少しだけ遠く感じる。

 

だが、雫の視線は揺れていなかった。

 

「怖くない?」

 

聖火は、何気ない調子で聞いた。

 

雫は少しだけ考えた。

 

「怖くない」

 

「そっか」

 

「でも」

 

「うん」

 

「失敗は、したくない」

 

「それは普通」

 

雫は聖火を見る。

 

「普通?」

 

「うん。怖くないことと、失敗したくないことは別だから」

 

雫は、少しだけ目を伏せた。

 

その言葉を、頭の中で確かめているようだった。

 

「聖火くんは、緊張しない?」

 

「するよ」

 

「そう見えない」

 

「見えないようにしてる」

 

「ずるい」

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

「たぶん、違う」

 

「たぶんが多いなあ」

 

雫の口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

笑った、というには小さい。

 

だが、確かにさっきよりは空気が軽くなっていた。

 

聖火はそれ以上、競技の話を広げなかった。

 

勝てるか。

 

調子はどうか。

 

不安はないか。

 

そういう問いは、今の雫には必要ない。

 

雫はもう、自分の中で答えを持っている。

 

なら、周りが余計に揺らすべきではなかった。

 

その時、達也がCADを持って戻ってきた。

 

「雫」

 

「うん」

 

雫は立ち上がる。

 

達也はCADを差し出した。

 

「調整は終わっている」

 

「ありがとう、達也さん」

 

雫は短く礼を言い、CADを受け取った。

 

その動きに迷いはなかった。

 

聖火はそれを見て、軽く肩をすくめる。

 

「達也くん、邪魔しない程度に雫ちゃんを借りてたよ」

 

「問題ない」

 

「本当に?」

 

「調整は終わっていた」

 

「相変わらず説明が短いね」

 

「必要な説明はした」

 

「そういうところだよ」

 

達也は表情を変えなかった。

 

だが、否定もしなかった。

 

競技開始を知らせる案内が入った。

 

新人戦、女子スピード・シューティング。

 

雫はCADを確認し、静かに息を吸う。

 

その目は、もう控室ではなく、競技場の先を見ていた。

 

聖火は軽く手を上げた。

 

「いってらっしゃい。戻ってきたら焼き菓子ね」

 

雫は少しだけ振り返った。

 

「フルーツのパウンドケーキがいい」

 

「要求が具体的になった」

 

「だめ?」

 

「勝利報酬にしては控えめだから、考えておく」

 

「じゃあ、勝つ」

 

雫はそう言って、競技場へ向かった。

 

その背中は静かだった。

 

だが、迷いはなかった。

 

聖火はその背中を見送った。

 

雫は、必要以上に気負っていない。

 

達也の調整を疑ってもいない。

 

自分のやるべきことも分かっている。

 

なら、後は競技場で撃つだけだ。

 

聖火は盆を持ち直し、小さく息を吐いた。

 

「さて」

 

次に必要なのは、雫が戻ってきた時の焼き菓子。

 

それと、できればフルーツのパウンドケーキ。

 

約束を増やしてしまったことに気づき、聖火は少しだけ苦笑した。

 

 

 

 

 

 

女子新人戦、スピード・シューティング。

 

その結果は、一高にとって申し分のないものだった。

 

一位、二位、三位。

 

大型ディスプレイに掲示された順位表には、一高の名前が並んでいる。

 

戻ってきた選手たちの表情には、疲労と安堵、そして隠しきれない喜びが浮かんでいた。

 

九校戦では、勝利もまた仕事を増やす。

 

成績確認。

 

次競技への影響。

 

報告。

 

調整。

 

称賛。

 

そして、時には説明。

 

七草真由美は、選手たち一人ひとりへ声をかけていた。

 

「お疲れさま。とても良い内容だったわ」

 

その声は柔らかい。

 

だが、ただの労いではない。

 

生徒会長として、選手の成果を正しく受け止めている声だった。

 

「一位から三位まで独占。新人戦としては、これ以上ない結果ね」

 

明智英美が、まだ興奮の残る顔で笑った。

 

滝川和実も、疲れを滲ませながらも、どこか誇らしそうに頷いている。

 

その中心にいる雫は、いつも通り静かだった。

 

だが、目元にはわずかな達成感がある。

 

派手に喜ぶわけではない。

 

けれど、結果を軽く見ているわけでもない。

 

北山雫らしい勝利の受け止め方だった。

 

「それにしても」

 

市原鈴音が、手元の記録に視線を落としながら言った。

 

「今回使用された魔法は、かなり注目されるでしょうね」

 

その言葉に、空気が少し変わった。

 

勝利の余韻とは違う。

 

技術者としての成果。

 

魔法師としての評価。

 

それが、今、達也の前に差し出されようとしている。

 

七草が市原へ視線を向ける。

 

「新種魔法として扱われる可能性がある、ということ?」

 

「可能性はあります」

 

市原は静かに頷いた。

 

「既存の分類に収めることもできなくはありませんが、運用方法と効果の出方を考えると、問い合わせが来ても不思議ではありません」

 

七草は達也を見た。

 

「だそうよ、達也くん」

 

「その場合は」

 

達也は淡々と言った。

 

「問い合わせがあった時は、北山さんの名前で回答してください」

 

雫の目が、はっきりと動いた。

 

「だめ」

 

短い声だった。

 

だが、強かった。

 

達也が雫を見る。

 

「雫が実戦で使用した魔法だ」

 

「でも、作ったのは達也さん」

 

「実用性を証明したのは北山さんだ」

 

達也はそう言ってから、少しだけ言葉を改めるように雫を見た。

 

「雫が使ったから、意味がある」

 

「それでも、達也さんのオリジナル」

 

雫の声は大きくない。

 

怒鳴ってもいない。

 

だが、珍しく引く気配がなかった。

 

七草は二人を見比べ、少しだけ困ったように笑う。

 

「二人とも、少し落ち着きましょうか」

 

「私は落ち着いてます」

 

「俺もです」

 

「そういうところが、落ち着いていないと言っているのだけど」

 

七草の言葉にも、二人の表情は変わらない。

 

雫は達也をまっすぐ見ていた。

 

「私の名前で登録されたら、私が作ったことになる」

 

「不都合はない」

 

「ある」

 

「何が」

 

「私が嫌」

 

それは、雫にしてはかなりはっきりした言葉だった。

 

市原は眼鏡の奥で目を細めた。

 

七草がもう一度口を開きかけた時、近づく滑車の音とともに、軽い声がした。

 

「お取り込み中のところすみません。勝利報酬をお持ちしました」

 

全員の視線がそちらを向く。

 

聖火が配膳用ワゴンを押して立っていた。

 

ワゴンの上には、人数分のアイスティー。

 

それから、丁寧に切り分けられたパウンドケーキが並んでいる。

 

生地の中には、色とりどりのドライフルーツが見えた。

 

「約束の、フルーツのパウンドケーキです」

 

雫が聖火を見る。

 

「約束」

 

「うん。勝ったからね」

 

「一位」

 

「それはすごい。じゃあ、雫ちゃんは少し大きめの一切れにしよう」

 

「当然」

 

「当然なんだ」

 

聖火は小さく笑い、パウンドケーキの皿を雫の前に置いた。

 

それから、明智英美と滝川和実にも皿を差し出す。

 

「明智さん、滝川さんもどうぞ。一高独占記念ということで」

 

「わあ、ありがとうございます」

 

明智が明るく受け取る。

 

「こういう差し入れ、嬉しいですね」

 

滝川も少し表情を緩めて皿を受け取った。

 

「ありがとう。競技の後だと、甘いものがありがたいわ」

 

「アイスティーもあります。冷たいので、ゆっくり飲んでください」

 

聖火は二人にアイスティーを渡してから、七草、市原、達也にも順に配った。

 

「七草先輩もどうぞ。市原先輩も。達也くんも」

 

「ありがとう、鷹山くん」

 

「いただくわ」

 

「聖火、これは何だ」

 

「場を柔らかくするための糖分」

 

「説明になっていない」

 

「だいたい合ってるよ」

 

明智がパウンドケーキを見ながら、小さく笑った。

 

「でも、確かに少し柔らかくなった気がします」

 

「甘いものは偉大です」

 

聖火はそう言って、少しだけ周囲を見た。

 

雫はまだ納得していない顔をしている。

 

達也はいつも通り。

 

七草は、聖火がどう入ってくるかを見ている。

 

市原は記録を閉じずに、静かに状況を観察していた。

 

聖火は深く踏み込むかどうかを、一瞬だけ考えた。

 

そして、踏み込みすぎない方を選んだ。

 

「達也くんが名前を欲しがらないのは、分かるよ」

 

雫が聖火を見る。

 

聖火は続けた。

 

「でも、雫ちゃんが納得しないのも分かる」

 

達也は何も言わなかった。

 

七草も黙っている。

 

「功績って、本人がいらないと言っても、周りが勝手に重さを感じるものだからね」

 

「重さ?」

 

雫が短く聞く。

 

「うん。誰が作ったのか。誰が使ったのか。誰が証明したのか。そういうのは、案外きれいに一人分にはならない」

 

市原が少しだけ頷いた。

 

「その見方は、技術登録の観点からも間違いではありませんね」

 

「ですよね」

 

聖火は小さく笑った。

 

「だから、今すぐ決めなくてもいいんじゃないかな。少なくとも、パウンドケーキを食べる前に決める話ではないと思う」

 

七草が小さく笑った。

 

「それは、なかなか強引な仲裁ね」

 

「糖分不足のまま話すと、だいたい難しくなります」

 

「経験則?」

 

「はい」

 

七草の笑みには、少しだけ呆れが混じっていた。

 

雫は皿の上のパウンドケーキを見た。

 

それから、達也を見る。

 

「あとで話す」

 

「分かった」

 

達也は短く答えた。

 

聖火はほっとしたように、アイスティーを一つ手に取る。

 

「よし。じゃあ一旦、勝利のお祝いにしよう」

 

「聖火くん」

 

雫が言った。

 

「何?」

 

「大きめ」

 

「はいはい。一位の分ね」

 

聖火は小さく笑いながら、少し大きめの一切れを雫の皿に乗せた。

 

雫はそれを見て、ほんの少しだけ満足そうに頷いた。

 

ようやく、勝利後らしい空気が戻り始めた。

 

明智は滝川と順位表を見ながら、小さく笑っている。

 

市原は記録を確認しながらも、アイスティーに口をつけた。

 

七草は選手たちを見渡し、満足そうに目を細める。

 

一高の一位、二位、三位独占。

 

それは、文句のつけようのない成果だった。

 

だが、達也は大型ディスプレイに表示された順位表を、静かに見つめていた。

 

一高の三名が上位を占める、その下。

 

四位。

 

五位。

 

そこには、三高の名前が並んでいる。

 

一高が最高の結果を出したことは間違いない。

 

だが、三高もまた、確実に点を拾っている。

 

この先の競技を考えれば、楽観できる状況ではなかった。

 

聖火はアイスティーを手にしたまま、達也の隣へ寄った。

 

そして、周囲に聞こえない程度の小さな声で言う。

 

「気になるよね」

 

達也はすぐには答えなかった。

 

視線は、まだ大型ディスプレイに向いている。

 

やがて、独り言とも、聖火への返答とも取れる声で呟いた。

 

「このまま順当にいけばいいのだが」

 

その言葉は、勝利の明るさの中に、静かに沈んだ。

 

聖火は何も返さなかった。

 

大型ディスプレイには、一高の勝利が映っている。

 

だが、その下に並ぶ三高の名前が、次の戦いの重さを静かに示していた。

 




聖火はどこからケーキをもってきたんですかね。



次回も雫回になります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。