# 2092年 沖縄
本来なら、そこは旅行客でにぎわう場所だった。
青い海。
白い砂浜。
観光客の笑い声。
土産物屋の呼び込み。
潮風に混じる、焼けた肉と甘い菓子の匂い。
聖火が知っている沖縄とは、そういう場所のはずだった。
だが、今の彼の目の前に広がっているのは地獄だった。
道路には横転した車が転がり、割れた窓ガラスが陽光を反射している。
遠くで黒煙が上がっていた。
逃げ惑う民間人の悲鳴に、銃声と爆発音が重なる。
大亜連合による沖縄侵攻作戦。
大亜連合軍部で「パンダ」と呼ばれていた作戦が、よりにもよって聖火が沖縄に入ったその日に発令されたのである。
聖火も、その作戦について噂だけは知っていた。
だが、実行されるとは思っていなかった。
戦力的に見て、割に合わない。
仮に沖縄を一時占拠できたとしても、日本側が再奪取に動く可能性は高い。
占領を維持するには兵力も補給も足りない。
政治的効果を狙ったとしても、失敗すれば大亜連合側の損失が大きすぎる。
だから、聖火はこの作戦を「脅し」か「机上の案」だと思っていた。
実際に動かすには、あまりにも雑だ。
「マヤめ」
聖火は、飛び交う銃弾の中で小さく呟いた。
「さては、事前に情報を掴んでいたな」
四葉真夜が、何も知らずに自分を沖縄へ向かわせるはずがない。
あの女は、必要な情報をすべて明かすとは限らない。
だが、必要な場所へ人を置くことだけは間違えない。
つまり、自分は置かれたのだ。
この戦場に。
聖火の目的は、この戦闘に参加することではなかった。
彼には、別の用がある。
だが、戦わなければ目的地へ辿り着けない。
「本当に、面倒な女だ」
そう言いながら、聖火は前へ出た。
曲がり角から現れた大亜連合兵が、銃口を向ける。
遅い。
聖火は踏み込んだ。
銃身を左手で弾き、右肘で喉を潰す。
兵士が膝をつくより早く、その手から小銃を奪い取った。
安全装置。
残弾。
銃身の歪み。
火薬の状態。
一瞬で確認する。
使える。
聖火は振り向きもせずに発砲した。
背後から迫っていた兵士の膝が砕ける。
続く二発で、別の兵士の肩と手首を撃ち抜いた。
殺す必要はない。
進路を開ければいい。
そう判断した直後、建物の二階から魔法式の気配が走った。
聖火は舌打ちする。
「魔法師まで混ぜているのか」
彼は小銃を捨てた。
次の瞬間、右手に拳銃が組み上がる。
黒い金属。
短い銃身。
近距離用。
一発。
二階の窓枠が弾け、魔法師のCADが砕けた。
術式は発動しない。
聖火は止まらなかった。
撃つ。
殴る。
奪う。
捨てる。
また撃つ。
火の鳥の力は使わない。
大規模な攻撃魔法も使わない。
ここは戦場だ。
だが、あの夜のように怒りを燃やす場所ではない。
必要な分だけ敵を無力化し、必要な分だけ道を開く。
それが今の聖火の戦い方だった。
銃声と悲鳴と爆発音の中、彼はただ一人、目的地へ向かって進んでいった。
目的地は避難所ではない。
軍の拠点でもない。
まして観光施設でもない。
真夜から渡された情報では、この先にひとつの交戦区域があるはずだった。
正規軍と大亜連合の部隊が衝突し、その混乱の中で、ある少年と少女が巻き込まれる。
聖火は、その情報を聞いた時点で嫌な予感がしていた。
真夜は名前を出さなかった。
だが、あえて出さなかったのだと分かる。
四葉に関わる者。
真夜が直接名前を伏せた者。
そして、この時代において重要な意味を持つはずの少年少女。
それだけで十分だった。
「まったく」
聖火は足元に転がる兵士の装備から予備弾倉を抜き取った。
「また子供か」
戦場で子供を見つけることほど、気分の悪いものはない。
子供は戦場にいてはいけない。
それは理想論だ。
聖火はそのことを嫌というほど知っている。
実際の戦場では、子供も撃たれる。
子供も焼かれる。
子供も使われる。
子供も殺す側に回される。
だからこそ、見つけた時には拾う。
拾える距離にいるなら、手を伸ばす。
それが衛生兵だった頃から、彼に残っている数少ない習性だった。
路地を抜けた瞬間、正面で爆発が起きた。
熱風が吹きつける。
聖火は身体を低くし、崩れかけた壁の影へ入った。
視界の端で、民間人が瓦礫の下敷きになっているのが見える。
動脈損傷。
肋骨骨折。
肺への圧迫。
まだ助かる。
聖火は一瞬だけ足を止めた。
目的地は先だ。
時間はない。
だが、足は自然と瓦礫へ向いていた。
「くそ」
悪態をつきながら、聖火は負傷者の側に膝をついた。
瓦礫を持ち上げる。
裂けた血管を押さえる。
指先で生成した止血材を傷口へ押し込み、骨の位置を戻す。
悲鳴を上げる余裕すらない男の胸に手を当てる。
「息をしろ。死ぬにはまだ早い」
男の肺が動いた。
聖火は応急処置を終えると、近くで泣いていた少年に視線を向ける。
「そこの大人を呼べ。動かすな。五分は持つ」
少年は何度も頷き、走っていった。
聖火は立ち上がる。
その瞬間、背後から気配。
振り向くより早く、聖火は拳銃を後ろへ向けて撃った。
一発。
大亜連合兵の手から銃が飛ぶ。
二発目で足を撃ち抜く。
倒れた兵士の顔は、まだ若かった。
聖火はその顔を一瞥しただけで、再び走り出す。
助けられる者を拾いながら、敵を無力化しながら、目的地へ向かう。
その動きは兵士のものではなかった。
医師のものでもなかった。
戦場で死者と負傷者と敵兵の間を走り続けた、衛生兵の動きだった。
やがて、聖火は大きな破壊の痕跡が残る区域に辿り着いた。
空気が違う。
銃撃戦の匂い。
火薬の匂い。
血の匂い。
そして、魔法が発動した後に残る、独特の違和感。
聖火は足を止めた。
「……これは」
ただの戦闘痕ではない。
破壊の仕方が異常だった。
対象の構造を正確に壊している。
過剰な爆発でも、乱雑な破砕でもない。
必要な部分だけを、必要な形で消している。
聖火は似たものを知っていた。
だが、自分の力とは違う。
聖火は構造を読み、材料を作り、手で繋ぐ。
必要なら壊すこともできるが、それはあくまで構造を扱う技術の延長だ。
だが、これは違う。
物質の構造ではなく、存在を成立させる情報そのものに手を入れている。
「……何だ、これは」
聖火は目を細めた。
この時代の魔法師が、ここまでやるのか。
それとも、四葉が抱えている何かか。
真夜が名前を伏せた理由が、少し分かった気がした。
魔法の痕跡を追う。
破壊の跡。
血の匂い。
そして、治療の気配。
治療。
その気配を感じた瞬間、聖火の足が速くなった。
崩れた壁の向こうに、少年がいた。
黒髪の少年。
年齢は聖火と大きく変わらないように見える。
その腕の中には、少女がいた。
白い肌。
長い髪。
血に濡れた衣服。
少女の身体には、致命傷と呼ぶべき損傷があった。
普通なら、助からない。
少なくとも、この場で処置できる傷ではない。
だが、少年は動揺していなかった。
いや、違う。
表情には出ていない。
声にも出ていない。
動きにも出ていない。
それでも、少年の内側で何かが激しく揺れているのを、聖火は感じ取った。
そして、その揺れとは裏腹に、手は止まっていなかった。
少年は少女に触れている。
魔法が発動する。
聖火は、その現象を見た。
「……戻している?」
治療ではない。
止血でもない。
縫合でもない。
細胞の活性化でもない。
損傷を受ける前の情報を呼び出し、現在の肉体へ重ねている。
壊れた箇所を治しているのではない。
壊れる前の状態へ、存在そのものを戻している。
肉体が戻る。
血管が繋がる。
裂けた組織が、なかったことのように復元される。
聖火は静かに息を吐いた。
「すごいな」
思わず漏れた言葉だった。
外科医ではない。
修理工でもない。
記録から復元する、別種の怪物。
聖火は、そう判断した。
邪魔をする必要はない。
あの少女は、あの少年の患者だ。
いや、患者という言葉ですら足りない。
あの少年にとって、あの少女はおそらく世界そのものだ。
ならば、触れるべきではない。
聖火は視線を外した。
そのすぐ近くに、別の負傷者がいた。
女性が一人。
少女が一人。
少女の方は、まだ若い。
四葉に仕える者なのだろう。
立ち位置と傷の向きから見て、誰かを庇ったことは明らかだった。
全身に複数の損傷。
出血。
内臓への圧迫。
魔法使用による負荷もある。
このまま放置すれば、数分で取り返しがつかなくなる。
もう一人の女性を見た瞬間、聖火はわずかに眉を動かした。
「……よりによって、君か」
四葉深夜。
聖火は、その女性を知っていた。
真夜の姉。
精神干渉系の魔法師。
そして、かつて聖火の治療を拒絶した女。
真夜との間に割り込む悪い虫。
彼女は、聖火をそう見ていた。
それを聖火も知っている。
だが、今は関係ない。
深夜は意識を失っていた。
肉体そのものより、精神と魔法演算領域への負担が大きい。
精神の奥には、古い傷もある。
しかも、その傷は自然にできたものではない。
誰かを救うために、自分の内側を削った者の傷だ。
「相変わらず、面倒な壊れ方をしている」
聖火は小さく呟いた。
そして、一瞬で優先順位を決めた。
少年が抱えている少女は、少年が戻している。
ならば、自分が拾うべきは、こちらだ。
「おい」
聖火は少年へ声をかけた。
少年の目が、こちらを向く。
鋭い。
速い。
迷いがない。
聖火は両手を上げた。
「邪魔はしない」
少年は答えない。
腕の中の少女を庇うように、視線だけで聖火を射抜いている。
「その子はお前が見ていろ」
聖火は短く言った。
「こっちは俺が拾う」
少年の目が一瞬だけ動いた。
聖火は、それを了承と判断しなかった。
ただ、拒絶ではないと判断しただけだ。
それで十分だった。
彼はまず、若い少女の横に膝をついた。
呼吸が浅い。
脈が弱い。
内出血。
肋骨の亀裂。
腹部に圧迫損傷。
「まだ間に合う」
聖火の指先に、透明な液体が生まれる。
即席の鎮痛剤。
血圧維持。
止血補助。
続いて、細い管。
縫合糸。
微細な針。
必要なものが、必要な形で、必要な順番に現れる。
深夜の気配が、わずかに揺れた。
意識があるのか、ないのか。
あるいは、意識の底だけでこちらを見ているのか。
聖火は気にしなかった。
「動くな。動けても動くな」
少女に向けて言ったのか、深夜に向けて言ったのか、自分でも曖昧だった。
彼は少女の傷口を開いた。
血管の位置を確認する。
裂けた場所を押さえる。
生成した止血材を流し込み、破れた組織を補強する。
普通の医師なら、設備なしでは手を出せない傷だった。
だが、聖火にとっては野戦処置の範囲内だ。
戦場では、手術室など待っていてはくれない。
瓦礫の陰。
輸送車の荷台。
泥の中。
爆撃音の下。
どこでも開き、繋ぎ、塞ぐ。
生きているなら、拾う。
それだけだ。
「何者だ」
少年の声がした。
聖火は手を止めなかった。
「衛生兵」
「その処置がか」
「文句は後にしろ。手が離せない」
少年は黙った。
少女を抱えたまま、聖火を見ている。
警戒している。
当然だ。
だが、敵意はない。
少なくとも、今のところは。
聖火は少女の腹部処置を終えると、次に胸部へ手を当てた。
「肺が潰れかけているな」
細い管を生成し、胸腔に差し込む。
空気と血液が抜ける。
少女の呼吸が、わずかに深くなった。
「よし」
その時、意識の底からかすかな反応が返ってきた。
若い少女の指が、わずかに動く。
聖火はその反応を見逃さなかった。
「いい根性だ」
小さく呟く。
「仕える相手を守って倒れる奴は、たいてい面倒なくらいしぶとい」
それが桜井穂波という少女の名だと、聖火はまだ知らなかった。
だが、彼女が誰かを守るために倒れたことだけは、傷の向きで分かった。
次に、聖火は深夜の方を見た。
「さて」
聖火は小さく息を吐いた。
「君には、後で嫌な顔をされるんだろうな」
深夜は答えない。
当然だ。
意識はほとんど沈んでいる。
それでも、聖火は構わず続けた。
「文句は起きてから聞く。今は黙って患者をやれ」
聖火は手をかざした。
深夜の損傷は、穂波とは種類が違う。
肉体の破損よりも、魔法演算領域の負荷。
精神干渉の反動。
そして、長年積み重なった古い歪み。
深く触れれば、起こしてはいけないものまで起こす。
今はまだ、その時ではない。
聖火は治すのではなく、落ち着かせることに徹した。
乱れた反応を整える。
負荷を逃がす。
呼吸と脈を安定させる。
演算領域に残った過剰な緊張を緩める。
精神の奥には触れない。
そこに踏み込むには、本人の意識が必要だ。
「今は眠っていろ、深夜」
聖火は静かに言った。
「目を覚ました時に、存分に嫌な顔をすればいい」
深夜の呼吸が、わずかに整う。
背後で、少年が動いた気配があった。
彼の腕の中の少女は、すでに呼吸を取り戻している。
意識はまだ戻っていないが、死の縁からは離れていた。
聖火はそれを見て、少しだけ口元を緩めた。
「見事だ」
少年の視線が鋭くなる。
「何がだ」
「その子を戻したことだ」
聖火は穂波の止血を続けながら言った。
「俺なら繋ぐ。材料を作って、壊れた部分を補って、無理やり生きられる形にする。だが、お前のは違う」
少年は答えない。
聖火は続けた。
「壊れる前の情報を呼び出したな」
空気が変わった。
少年の警戒が、明確に濃くなる。
「なぜ分かる」
「見えた」
「見えた?」
「そういう目をしている」
聖火はそこで言葉を切った。
これ以上説明する必要はない。
少なくとも、今は。
「安心しろ。真似はできない。俺の領分じゃない」
「信用できると思うか」
「思わなくていい」
聖火は即答した。
「戦場で初対面の相手を信用するな。特に、勝手に患者を拾い始める自称衛生兵はな」
少年は無表情のまま、聖火を見ていた。
聖火は穂波の止血を終え、応急固定を行う。
生成した薬剤を投与し、呼吸と循環を安定させる。
「これで数時間は持つ。まともな設備に運べば助かる」
「完全に治さないのか」
少年の問いに、聖火は少しだけ笑った。
「今は戦場だ。奇跡を披露する場所じゃない」
「できるのか」
「質問が多いな」
「答えられないのか」
「答える義理がない」
聖火は立ち上がった。
深夜と穂波の状態をもう一度確認する。
最低限は拾った。
死にはしない。
今すぐには。
それで十分だ。
「お前、名前は」
少年が問う。
聖火は一瞬だけ迷った。
名乗る必要はない。
だが、ここで完全に消えるのも後が面倒になる。
「鷹山聖火」
短く名乗る。
「衛生兵だ」
「俺は――」
「今はいい」
聖火は遮った。
少年の目がわずかに細くなる。
「聞かないのか」
「患者を抱えている相手の自己紹介を聞く趣味はない」
聖火は周囲を見た。
敵の気配が近づいている。
この場に長居はできない。
「その子を安全な場所へ運べ。深夜と、そこのしぶとい少女もだ」
「深夜を知っているのか」
少年の声が少しだけ低くなった。
聖火は肩をすくめた。
「少しな」
「何者だ」
「言っただろう。衛生兵だ」
「それで納得するとでも?」
「しなくていい」
聖火は淡々と言った。
「ただし、今は質問より搬送が先だ」
少年は沈黙した。
その沈黙は、納得ではない。
だが、優先順位を理解した沈黙だった。
聖火は軽く頷く。
「賢いな」
「あなたは」
「仕事の続きだ」
「敵か」
「敵なら、そこの二人は放っておく」
「味方か」
「味方なら、もっと早く来ている」
少年は黙った。
聖火は軽く肩をすくめる。
「今は、同じ方向を向いている他人だ。それで十分だろう」
そう言って、聖火は歩き出した。
背後から少年の声が飛ぶ。
「鷹山聖火」
聖火は足を止めずに答えた。
「何だ」
「その二人を治療した理由は」
「患者だったからだ」
「それだけか」
「それ以外に何がいる」
「敵かもしれないとは思わなかったのか」
「患者に敵味方をつけるのは、後方の人間の仕事だ」
聖火は歩きながら言った。
「前線の衛生兵は、生きている者を拾う」
それだけ言って、聖火は瓦礫の向こうへ消えた。
パンダのネタは軍事史の方のほうが詳しいかと存じます。
私の考えは第二次世界大戦のドイツ軍とイギリス本土進攻作戦を参考に考えております。
あえて今の情勢で考えると某国は陸軍と空軍においては最強と言ってもいいと思われます。
しかし海軍に関しては経験が浅く、本国との補給線を維持できるかはいまだに不明な点が多いのです。
その為、某国の特定の島の進攻作戦は作戦が成功しても維持ができるかが疑問視しているのが私の見解になります。
それをそのまま今回書いてみました。