実はこの話、もっとシリアスな話になる予定でしたが、話が3話ほど長くなる可能性があったため取りやめにして、現在の形になりました。
その為完全なギャグ回になります。
九校戦期間中、夜。
第一高校が使用している会議室には、各校の代表者が集められていた。
名目は、各校代表者による親睦のための会食。
主催は、第一高校。
正確には、十文字克人の名で開かれたものだった。
九校戦は競技大会である。
だが、九つの魔法科高校が集まる以上、そこにはただの競技だけでは済まない空気がある。
交流。
牽制。
情報交換。
そして、互いの力量を測る静かな視線。
そうしたものが、会食の場には少なからず混じっていた。
参加者は学生のみ。
各校から二名から四名程度。
第一高校からは、七草真由美、渡辺摩利、十文字克人。
第三高校からは、三年の代表者に加えて、一条将輝と吉祥寺真紅郎が出席していた。
十師族の十文字が開いた会食である。
そこに同じ十師族である一条が出ないのは不自然だった。
そして、一条将輝の隣に吉祥寺真紅郎がいないのもまた、不自然だった。
そのため二人は、三高代表の補佐という形で招かれていた。
会場は、一高側が使用している会議室だった。
長机は会食用に整えられ、簡単な料理と飲み物が用意されている。
ただし、見た目ほど無防備な空間ではない。
事前に、鷹山聖火が会場へ簡易の防護を施していた。
外部からの探知を鈍らせ、盗み聞きを妨げ、魔法的な覗き見を遮る。
大げさな結界ではない。
だが、この会議室の中で交わされる会話を、外へ漏らさない程度には十分だった。
もちろん、それを知っている者は多くない。
十文字は知っていた。
真由美も知っていた。
摩利も、聞かされてはいた。
だが、他校の代表たちは知らない。
彼らにとって、そこはただの会食会場だった。
少なくとも、最初は。
会食は、最初こそ穏やかに始まった。
各校の代表者が挨拶を交わし、九校戦での競技について言葉を交わす。
勝敗に関わる話題を避けながらも、互いの調子を探る。
学生同士の親睦会という体裁は、十分に保たれていた。
だが、ある程度食事が進んだところで、十文字が静かに立ち上がった。
それだけで、会議室の空気が変わった。
十文字克人。
第三高校の一条将輝と同じく、十師族の名を背負う者。
その彼が、親睦の場でわざわざ立ち上がる。
ただの挨拶ではない。
誰もがそう察した。
「本日は集まってもらい、感謝する」
十文字の声は低く、よく通った。
「本来であれば、この場は親睦を深めるためのものだ。だが、先に共有しておくべきことがある」
真由美の表情から、いつもの柔らかさが消える。
摩利は腕を組み、壁際に視線を向けていた。
入口の近くには、一高の給仕係として新入生たちが控えている。
聖火もその中にいた。
ただし、今は表に出てこない。
十文字は端末を操作した。
会議室の中央に、いくつかの資料が投影される。
最初に映し出されたのは、九校戦中に起きた複数の不自然な出来事だった。
移動中の車列への妨害。
競技機材に対する細工。
選手の体調不良を誘発しかねない接触。
そして、七高の生徒が受けた被害。
会議室に、ざわめきが走る。
七高代表の顔色が、目に見えて変わった。
怒りを押し殺している。
だが、押し殺しきれていない。
手元のグラスが、かすかに音を立てた。
十文字は続けた。
「第一高校は、これらを偶発的な事故ではなく、九校戦の結果に干渉するための一連の妨害行為と判断している」
その言葉に、三高の代表者が眉を寄せた。
「そこまで断定できる根拠があるのですか」
「ある」
十文字は短く答えた。
端末の画面が切り替わる。
次に映し出されたのは、大会委員の一部職員に関する資料だった。
顔写真。
担当部署。
接触記録。
不自然な金銭の流れ。
背後にある人脈。
そして、裏賭博との関係を示すいくつかの線。
会議室の空気が、明らかに重くなった。
「大会委員の中に、不正に関与している者がいる」
十文字は淡々と言った。
「現在、第一高校では内偵を進めている。すでに数名については、関与の可能性が高いと判断している」
一条将輝の表情が険しくなる。
吉祥寺真紅郎も、黙って資料を見ていた。
その目は冷静だったが、奥に警戒がある。
他校の代表者たちも同じだった。
九校戦は、学生の競技大会である。
だが今、示されている資料は、学生が扱うにはあまりに重い。
しかも、一高はそれをすでに掴んでいた。
ただ掴んでいたのではない。
顔写真と背後関係まで整理していた。
「明日のミラージュ・バットで第一高校が好成績を残した場合、総合優勝の流れはほぼ確定する」
十文字は会議室を見渡した。
「それは同時に、裏賭博の勝敗が確定するということでもある」
誰も口を挟まなかった。
「したがって、明日、不正に関与している職員、あるいはその背後にいる者が何らかの仕掛けを行う可能性が高い」
十文字の声は変わらない。
だが、言葉の重みだけが増していく。
「第一高校は、自校の選手を守るために動く。だが、狙われるのが一高だけとは限らない。すでに七高の生徒にも被害が出ている」
七高代表の目が鋭くなった。
怒りは、今や隠す気すらないほどだった。
「各校に協力を求めたい。明日の競技中、選手の安全確認、機材周辺の不審者確認、委員会職員の不審な動きについて、可能な範囲で共有してほしい」
十文字は、深く頭を下げなかった。
ただ、まっすぐに各校の代表を見た。
「これは勝敗以前の問題だ。生徒の安全を守るための協力要請である」
沈黙が落ちた。
重い沈黙だった。
驚き。
怒り。
警戒。
そして、一高がそこまで掴んでいたことへの畏怖。
最初に口を開いたのは、七高の代表だった。
「七高は協力します」
声は低かった。
だが、強かった。
「こちらの生徒に被害が出ている以上、黙って見ている理由はありません」
続いて、三高の代表者が頷いた。
「第三高校も協力しましょう。少なくとも、競技運営の公平性が脅かされている以上、無視はできません」
一条将輝も静かに頷く。
「同意します」
吉祥寺も続けた。
「こちらでも、機材管理周辺の動きには注意を払います」
その後、他校の代表たちも次々と協力を表明した。
完全な信頼ではない。
だが、少なくともこの場で一高の情報を無視する者はいなかった。
十文字は短く頷いた。
「感謝する」
それで、話は一区切りついた。
だが、会議室の空気は重いままだった。
当然だろう。
親睦会だと思っていた場で、大会委員の不正、裏賭博、明日の妨害予測まで聞かされたのだ。
誰もが、目の前の料理に手を伸ばす気分ではなくなっていた。
その時だった。
会議室の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、給仕係の一高生たちだった。
新入生の女子生徒たちが、デザートの皿を持っている。
その中に、鷹山聖火の姿もあった。
彼は、まるで先ほどまでの重い話などなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべている。
「失礼します。デザートとお飲み物をお持ちしました」
その声は柔らかかった。
会議室に残っていた緊張を、少しだけほぐすような声だった。
給仕係の生徒たちは、各席へデザートを運び始める。
小さなケーキ。
果物を添えた皿。
甘さを控えた焼き菓子。
そして、飲み物。
最初は、誰も気にしていなかった。
重い情報を聞かされた直後である。
出されたものを受け取り、礼を言う程度だった。
だが、吉祥寺真紅郎は気づいた。
自分の前に置かれたのはコーヒーだった。
香りが強すぎず、温度も高すぎない。
自分が普段、集中したい時に好む程度の濃さだった。
隣に座る女子生徒の前には、紅茶が置かれている。
香りの柔らかい、やや甘みを感じる茶葉。
向かいの男子生徒には緑茶。
三高の三年代表には、ハーブティー。
そして、一条将輝の前にも、コーヒーが置かれていた。
ただし、吉祥寺のものとは香りも濃さも違っている。
吉祥寺のものは、集中を助けるような、すっきりした苦み。
一条のものは、食後でも飲みやすい、少し柔らかい味に調整されているようだった。
全員、違う。
同じコーヒーでさえ、違う。
吉祥寺は視線を動かした。
三高だけではない。
他校の席も、全員が同じ飲み物ではない。
紅茶。
コーヒー。
緑茶。
ハーブティー。
カフェインを抑えたもの。
冷たいもの。
温かいもの。
香りの強いもの。
ほとんど香りのないもの。
統一感がない。
いや、違う。
統一されていないのではない。
個別に選ばれている。
吉祥寺は、ゆっくりと聖火を見た。
「鷹山くん」
「はい」
聖火は、にこやかに応じた。
「全員、飲み物がバラバラのようだけど」
「はい」
「なんで?」
聖火は、ごく自然に答えた。
「皆様の好みに合わせたからですよ」
会議室の空気が止まった。
本当に、止まった。
先ほどまで、大会委員の不正だの、裏賭博だの、内偵だのという話を聞かされていた各校代表者たちが、一斉に自分の前のカップを見る。
そして、隣のカップを見る。
さらに、向かいのカップを見る。
違う。
全員違う。
しかも、思い当たる。
自分は確かに、こういうものを好む。
食後には温かいものがいい。
甘いものには濃い紅茶がいい。
緊張した時は香りの弱いものがいい。
眠りに影響しないよう、夜はカフェインを控える。
そういった些細な好みが、なぜか反映されている。
七高の代表者が、怒りを忘れたように固まった。
別の学校の男子生徒が、自分の前の緑茶を見て、隣の紅茶を見て、それから聖火を見る。
「……いつ、調べたんですか」
その声には、わずかな震えがあった。
聖火は不思議そうに首を傾げた。
「調べた、というほどではありませんよ」
「では、なぜ」
「会食中の様子を見ていれば、ある程度は分かります」
「分かるんですか」
「はい」
聖火は笑顔のままだった。
「食事の進み方、甘いものへの反応、会話中に水へ手を伸ばす回数、香りの強い料理への反応、姿勢、呼吸、それから最初にお出しした飲み物の減り方ですね」
誰も、すぐには返事をしなかった。
言っていることは分かる。
理屈としては、分からなくもない。
だが、それを会食の場で全員分やるのは、普通ではない。
吉祥寺は、自分の前のコーヒーを見下ろした。
確かに、悪くない。
むしろ、好みに近い。
近すぎる。
それが怖い。
「……それで、全員分を?」
「はい」
聖火は当然のように答えた。
「せっかくお出しするなら、合わないものより、合うものの方がよろしいかと思いまして」
その場にいた各校代表者たちは、再び沈黙した。
善意。
おそらく、これは善意なのだろう。
少なくとも、聖火本人に威圧する意図はない。
だが、つい先ほどまで一高は、大会委員の不正職員の顔写真と背後関係まで提示していた。
その直後に、給仕係の一年生が、各校代表者の好みに合わせた飲み物を完璧に配る。
怖い。
単純に、怖い。
一条将輝が、少しだけ眉を寄せた。
「一高では、給仕係もそこまで把握するのか」
聖火は少し困ったように笑った。
「いえ、俺の癖です」
「癖、か」
「はい。相手の状態に合うものを出したいだけです」
その答えで、会議室の空気はさらに微妙になった。
一高の組織力が怖いのか。
それとも、鷹山聖火個人が怖いのか。
判断がつかなくなったからだ。
一条は、目の前のカップへ視線を落とした。
そこに置かれているのはコーヒーだった。
香りは強すぎない。
苦みも重すぎない。
食後に飲むには、ちょうどいい濃さだった。
一条は一口飲み、静かに息を吐いた。
「……悪くない」
「ありがとうございます」
聖火は笑顔で答えた。
その笑顔に、一条はわずかに警戒を覚える。
悪意はない。
少なくとも、表情からはそう見える。
だが、この場で出された飲み物が、自分の好みに近すぎることは事実だった。
「これも、君が用意したのか」
「選んだのは俺です」
聖火はさらりと答えた。
「淹れたのは深雪ちゃんですが」
「……深雪さん?」
一条の声が、わずかに変わった。
聖火はごく自然に微笑む。
「はい。一条さんの分は、深雪ちゃんにお願いしました」
その言葉に合わせるように、少し離れた位置に控えていた深雪が静かに一礼した。
「お口に合いましたら、幸いです」
その瞬間、一条将輝の動きが止まった。
先ほどまでの十師族らしい落ち着きが、ほんのわずかに崩れる。
「い、いえ」
吉祥寺が横から、無言で一条を見る。
一条は一瞬だけ視線を泳がせ、それから慌てたように姿勢を正した。
「大変、結構なお点前でした」
言ってから、一条は自分で少しだけ固まった。
コーヒーに対して、お点前。
吉祥寺の目が、ほんのわずかに細くなる。
「将輝」
「何だ」
「コーヒーにお点前は、少し違うと思う」
「……分かっている」
聖火は笑いをこらえるように口元を押さえた。
深雪は、困ったように微笑んでいる。
「ありがとうございます、一条さん」
その穏やかな返事に、一条はさらに姿勢を正した。
「いえ、こちらこそ」
吉祥寺は、一条の前のコーヒーを横目で見た。
味は、おそらく良いのだろう。
だが今、そのコーヒーには別の意味が生まれてしまった。
一条将輝の平静を乱す飲み物。
そう考えると、先ほどまでとは違う意味で恐ろしい。
聖火は、何事もなかったように給仕を続けている。
その笑顔が、やはり少し怖かった。
真由美は口元に手を当て、笑いを堪えていた。
摩利は額に手を当てている。
十文字は、深く息を吐いた。
「鷹山」
「はい」
「やりすぎだ」
「え?」
聖火は本気で分からないという顔をした。
「飲み物をお出ししただけですが」
「それがやりすぎだ」
「そうでしょうか」
「そうだ」
達也がこの場にいれば、おそらくこう言っただろう。
有効ではある、と。
だが幸いにも、達也はこの場にはいなかった。
そのため、聖火の行動を合理的に肯定する者はいない。
結果として、会議室に残ったのは、各校代表者たちの静かな動揺だけだった。
吉祥寺は、もう一度コーヒーを見た。
飲まないのも不自然だ。
かといって、何も考えずに飲むには、少しばかり情報が多すぎる。
それでも、彼はカップを手に取った。
一口飲む。
味は、悪くなかった。
むしろ、好みだった。
それが余計に怖かった。
「……美味しいです」
吉祥寺がそう言うと、聖火は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔に、悪意はない。
本当に、ない。
だからこそ、余計に怖い。
別の席で、七高の代表者がハーブティーを一口飲み、少しだけ眉を動かした。
怒りで強張っていた肩が、わずかに下がる。
聖火はそれに気づいたが、何も言わなかった。
ただ、そっとデザート皿の位置を直した。
その動作を見て、七高代表は小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「いえ」
聖火は静かに頭を下げる。
「少しでも落ち着くなら、よかったです」
それを聞いた周囲の者たちは、また少し黙った。
怖い。
だが、悪いことをしているわけではない。
むしろ、気遣いとしては正しい。
しかし、正しすぎる。
真由美が、ついに小さく笑った。
「鷹山くんって、本当に面白いわね」
「七草先輩、それ褒めてます?」
「もちろん」
「信用しづらい笑顔です」
摩利が低く言う。
「鷹山。今後、他校相手にそれをやる時は一言断れ」
「一言、ですか」
「そうだ」
「皆様の好みに合わせてよろしいですか、と?」
「それを先に言われても怖い」
「難しいですね」
十文字がもう一度、深く息を吐いた。
「以後、気をつけろ」
「はい」
聖火は素直に頷いた。
だが、その顔はまだ少し納得していない。
本当に、飲み物を出しただけだと思っているのだろう。
そのことが、会議室にいた生徒たちをさらに不安にさせた。
会食会は、その後、表向きには穏やかに終わった。
各校は一高への協力を約束した。
明日の競技に向けて、情報共有の経路も決められた。
生徒の安全確保についても、各校ができる範囲で連携することになった。
それ自体は、真面目な成果だった。
だが、会食後。
各校代表者の間でひそかに共有された感想は、少し違っていた。
第一高校は、情報収集能力が高すぎる。
大会委員の不正に気づき、内偵を進め、裏賭博の流れまで掴んでいる。
それだけでも十分に恐ろしい。
だが、それ以上に。
給仕係の一年生が、各校代表者の飲み物の好みまで自然に合わせてくる。
その事実は、妙に生々しく、忘れがたい恐怖として残った。
一方、その頃。
聖火は会議室の片づけをしながら、小さく首を傾げていた。
「十文字先輩」
「何だ」
「俺、そんなに変なことしました?」
十文字はしばらく聖火を見た。
そして、短く言った。
「した」
「そうですか」
「そうだ」
聖火は少し考え込む。
「でも、皆さん飲んでくださいましたよ」
「問題はそこではない」
「難しいですね」
「覚えろ」
「はい」
聖火は素直に頷き、空になったカップを盆へ戻した。
その横で、真由美が楽しそうに笑っている。
摩利は呆れたように腕を組んでいた。
十文字は、もう何度目か分からないため息をついた。
この夜。
各校代表者たちは、一高の情報力を恐れた。
そして同時に、鷹山聖火という一年生の存在を、妙な形で記憶することになった。
九校戦の会場で、最も恐ろしいもの。
それは、敵の妨害でも、裏賭博でも、不正職員でもない。
もしかすると、何気ない顔で差し出される、自分好みの一杯なのかもしれない。
ちなみに深雪がコーヒー、雫がハーブティー、明智が紅茶、聖火がその他を用意しております。
全部聖火の指示で作っております。