魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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本編に戻ります。
今回は聖火は基本控えめに行こうと思います。


横浜騒乱編1

# 横浜騒乱編 一話 使われないための確認

 

 

 

九校戦が終わり、第一高校の空気がようやく日常へ戻りつつあった頃。

 

部活連本部には、相変わらず書類の山が積まれていた。

 

 

 

行事が終われば仕事も終わる。

 

 

 

そんな都合のいい話は、部活連には存在しない。

 

 

 

九校戦に関わった各部の報告書。

 

施設使用記録の整理。

 

備品の返却確認。

 

次の行事に向けた調整。

 

 

 

そして、全国高校生魔法学論文コンペに関する資料。

 

 

 

机の上に並べられた書類を見ながら、鷹山聖火は紅茶の缶を片手に小さく息を吐いた。

 

 

 

「九校戦が終わったら、少しは静かになると思っていたんですが」

 

 

 

「部活連に静かな時期などない」

 

 

 

返ってきたのは、服部刑部少丞範蔵の声だった。

 

 

 

十文字克人が部活連会頭の座を退き、服部が新たな会頭となった。

 

その立場になってから、服部は以前よりもさらに忙しそうにしている。

 

 

 

もっとも、本人はそれを表情には出さない。

 

今も机に向かい、資料に目を通しながら、必要な箇所に淡々と印をつけていた。

 

 

 

聖火は湯を沸かしながら、横目でその様子を見る。

 

 

 

「新会頭になっても、部活連は相変わらずですね」

 

 

 

「相変わらずで済むならまだいい」

 

 

 

「済まないんですか」

 

 

 

「済まない」

 

 

 

服部は一枚の資料を机の上に置いた。

 

 

 

横浜。

 

 

 

全国高校生魔法学論文コンペ。

 

 

 

その文字を見た瞬間、聖火は少しだけ嫌そうな顔をした。

 

 

 

「先に言っておきますけど、俺は論文コンペそのものには興味ありませんよ」

 

 

 

「だろうな」

 

 

 

「否定しないんですね」

 

 

 

「お前が発表内容に強い関心を示すとは思っていない」

 

 

 

「信用されていますね」

 

 

 

「別方向にな」

 

 

 

聖火は紅茶を淹れながら、資料へ視線を落とした。

 

 

 

「では、なぜその資料が俺の前に?」

 

 

 

「仕事の話だ」

 

 

 

「嫌な予感がします」

 

 

 

「横浜の論文コンペ会場の下見に同行してほしい」

 

 

 

聖火の手が止まった。

 

 

 

「俺がですか?」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

「発表班でもないのに?」

 

 

 

「発表を聞きに行くわけではない」

 

 

 

服部は資料を聖火の方へ向けた。

 

 

 

そこには、会場の概略図、出入口、地下通路、非常階段、シェルター、警備配置案が記されていた。

 

 

 

「お前にも、警備メンバーに入ってもらう」

 

 

 

その一言で、聖火の表情が少しだけ変わった。

 

 

 

先ほどまでの気の抜けた顔ではない。

 

 

 

「警備メンバー、ですか」

 

 

 

「ああ。今回の論文コンペでは、十文字前会頭が全学校の学生警備組織をまとめる立場に指名されている」

 

 

 

「十文字先輩が」

 

 

 

「第一高校側の実務は、部活連でも確認する必要がある。俺は会場周辺と警備導線を見る。中条は発表設備と通信設備の確認で同行する」

 

 

 

「中条先輩も行くんですか」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

服部は聖火をまっすぐ見た。

 

 

 

「お前には、中条と一緒に会場設備、避難経路、地下設備を見てもらう」

 

 

 

聖火は資料に目を落とす。

 

 

 

非常口。

 

地下通路。

 

シェルター。

 

備蓄庫。

 

 

 

視線の動きが、少しだけ鋭くなった。

 

 

 

「つまり、服部先輩が会場周辺を見て、俺と中条先輩が設備と避難経路を見るわけですね」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

服部は短く頷いた。

 

 

 

「中条は設備面に詳しい。だが、会場の広さを考えると一人で回らせるわけにはいかない。お前には、警備メンバーとして同行してもらう」

 

 

 

「なるほど」

 

 

 

聖火は少しだけ苦笑した。

 

 

 

「論文の中身を聞くよりは、そちらの方が俺向きですね」

 

 

 

「だろうな」

 

 

 

「やっぱり否定しない」

 

 

 

「事実だ」

 

 

 

服部は資料を指先で軽く叩いた。

 

 

 

「それと、お前を入れるよう推薦したのは十文字前会頭だ」

 

 

 

聖火は一瞬だけ黙った。

 

 

 

「十文字先輩が?」

 

 

 

「ああ」

 

 

 

「理由は聞いていますか?」

 

 

 

「避難導線を見る目がある。非常時に人を動かせる。だが、外に置いておくと勝手に動きかねない」

 

 

 

「最後の理由、ひどくないですか」

 

 

 

「前会頭の言葉だ」

 

 

 

「十文字先輩、本当に信用しているのか警戒しているのか分からないですね」

 

 

 

「両方だろう」

 

 

 

服部は淡々と言った。

 

 

 

「俺も同意見だ」

 

 

 

「服部先輩まで」

 

 

 

「鷹山。警備メンバーとして入る以上、勝手な判断はするな。異常があれば、まず俺に報告しろ」

 

 

 

「了解です」

 

 

 

「戦闘しに行くわけではない。警備の目的は、異常を早く見つけ、被害を出さないことだ」

 

 

 

「分かっています」

 

 

 

聖火は資料を手に取った。

 

 

 

「敵を探すより、人の流れを見ます」

 

 

 

服部は、その返答に少しだけ目を細めた。

 

 

 

「……そうしてくれ」

 

 

 

聖火は資料の地下区画に視線を落とした。

 

 

 

本来なら、誰も使わないはずの場所。

 

使わずに済むのが一番の場所。

 

 

 

だが、使うことになった時、知らなかったでは済まされない場所。

 

 

 

「今回は、使われないための確認ですね」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

服部は短く頷いた。

 

 

 

聖火は資料を閉じる。

 

 

 

「分かりました。警備メンバーとして同行します」

 

 

 

 

 

 

 

横浜の会場前に着いた時、中条あずさはすでに端末を胸に抱えていた。

 

 

 

待ち合わせ時間より少し早い。

 

だが、服部はさらに早く到着していたらしく、会場入口近くで周辺図を確認していた。

 

 

 

「お待たせしました」

 

 

 

あずさが丁寧に頭を下げる。

 

 

 

「時間前だ。問題ない」

 

 

 

服部は短く答え、続いて聖火を見る。

 

 

 

「鷹山も来たか」

 

 

 

「警備メンバーですから」

 

 

 

聖火は軽く肩をすくめた。

 

 

 

「論文の中身には貢献できませんが、避難経路を見るくらいならできます」

 

 

 

「その言い方なら問題ない」

 

 

 

「ありがとうございます。少し成長しました」

 

 

 

「自分で言うな」

 

 

 

服部の声音は硬かったが、怒っているわけではない。

 

 

 

あずさは二人のやり取りを見て、少しだけ緊張を緩めたようだった。

 

 

 

だが、それも一瞬だった。

 

 

 

すぐに端末を開き、表示された確認項目へ視線を落とす。

 

 

 

「本日は、発表会場の設備確認、通信回線の確認、予備端末の保管場所の確認、控室から会場までの動線確認、それから非常時の避難経路と地下シェルターの確認を行います」

 

 

 

一息に言い切ったあずさの声は、いつもより少し硬かった。

 

 

 

聖火は横目でそれを見る。

 

 

 

新生徒会長。

 

 

 

その肩書きが、彼女の背中を少しだけ押しすぎているように見えた。

 

 

 

服部もそれに気づいたのか、端末から顔を上げる。

 

 

 

「中条」

 

 

 

「は、はい」

 

 

 

「確認項目は多いが、一度に全部見る必要はない。順番に処理すればいい」

 

 

 

「はい。分かっています」

 

 

 

返事は早い。

 

 

 

だが、その早さが、かえって危うかった。

 

 

 

分かっています。

 

 

 

その言葉に、分かっていなければならない、という焦りが混じっている。

 

 

 

服部は少しだけ沈黙した後、会場の外へ視線を向けた。

 

 

 

「俺は先に会場周辺を歩いて確認してくる。正面入口、搬入口、関係者用通路、周辺道路の人の流れを見ておきたい」

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

あずさが頷く。

 

 

 

服部は聖火へ視線を移した。

 

 

 

「鷹山。中条と一緒に、内部設備と避難経路を確認しておけ」

 

 

 

「了解です」

 

 

 

「勝手に地下へ入り込むな。会場側の担当者の案内を受けてからだ」

 

 

 

「もちろんです」

 

 

 

「本当だな」

 

 

 

「信用が薄いですね」

 

 

 

「前会頭から話は聞いている」

 

 

 

「十文字先輩、余計な情報共有をしてますね」

 

 

 

「必要な情報共有だ」

 

 

 

聖火は苦笑した。

 

 

 

服部は最後にもう一度、二人を見た。

 

 

 

「何かあればすぐ連絡しろ。異常がなくても、確認が終わったら報告だ」

 

 

 

「はい」

 

 

 

あずさが背筋を伸ばして答える。

 

 

 

聖火も軽く頷いた。

 

 

 

「では、行く」

 

 

 

そう言って、服部は会場の外周へ向かった。

 

 

 

その背中を見送ってから、聖火はあずさへ視線を戻した。

 

 

 

「では、俺たちも行きましょうか。新生徒会長」

 

 

 

「あ、はい」

 

 

 

あずさは慌てて端末を持ち直した。

 

 

 

「まずは発表会場の設備確認です。その後、控室、通信設備、予備電源、非常階段、地下通路、シェルターの順で確認します」

 

 

 

「順番がしっかりしていますね」

 

 

 

「はい。事前に確認表を作ってきました」

 

 

 

「さすがです」

 

 

 

聖火が素直に言うと、あずさは少しだけ頬を赤くした。

 

 

 

「いえ。新生徒会長として、見落としがあってはいけませんから」

 

 

 

その言葉に、聖火は小さく目を細めた。

 

 

 

「中条先輩」

 

 

 

「はい?」

 

 

 

「新生徒会長として頑張るのはいいと思います」

 

 

 

「は、はい」

 

 

 

「でも、会場の確認は試験ではありません。百点を取るより、見落としを減らす方が大事です」

 

 

 

あずさは一瞬、言葉を止めた。

 

 

 

「見落としを減らす……」

 

 

 

「はい。全部を完璧に覚えようとすると、逆に抜けます。だから、今は一つずつでいいです」

 

 

 

聖火は会場入口を見上げた。

 

 

 

「発表設備を見る時は発表設備だけ。通信を見る時は通信だけ。避難経路を見る時は、人が実際に移動することだけ考えましょう」

 

 

 

あずさは端末を見下ろし、少しだけ息を吐いた。

 

 

 

「……そうですね。少し、力が入りすぎていたかもしれません」

 

 

 

「少し?」

 

 

 

聖火が首を傾げる。

 

 

 

あずさは困ったように笑った。

 

 

 

「かなり、ですね」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「そこは否定してほしかったです」

 

 

 

「すみません。事実だったので」

 

 

 

あずさは小さく笑った。

 

 

 

その笑みを見て、聖火も少しだけ口元を緩める。

 

 

 

「では、まずは発表会場からですね」

 

 

 

「はい」

 

 

 

二人は会場の中へ入った。

 

 

 

発表ホールは広かった。

 

 

 

正面には発表用の大型投影設備。

 

壇上には発表者用の端末台。

 

客席は整然と並び、通路も広く取られている。

 

 

 

通常時なら、問題のない会場だった。

 

 

 

あずさはすぐに端末を操作し、確認項目を開いた。

 

 

 

「発表用端末の接続確認、投影設備の予備系統、音響、資料転送用の通信回線……」

 

 

 

「中条先輩」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「ゆっくりで大丈夫です」

 

 

 

「あ、はい」

 

 

 

あずさは深呼吸を一つしてから、改めて設備を確認し始めた。

 

 

 

聖火はその横で、記録を補助しながらホール全体を見ていた。

 

 

 

壇上。

 

客席。

 

通路。

 

非常口。

 

壁際の誘導灯。

 

 

 

あずさが設備を確認する。

 

聖火が人の流れを確認する。

 

 

 

役割は、自然と分かれていた。

 

 

 

「発表設備は問題なさそうです」

 

 

 

「こちらも、客席から出口までの通路は広いですね。ただ、前方の通路は発表者や関係者が詰まりそうです」

 

 

 

「詰まりそう、ですか?」

 

 

 

「はい。発表中に何かあった場合、前にいる人ほど出口へ行く方向が分かりにくい。係員の誘導が必要になります」

 

 

 

あずさは端末にその内容を入力した。

 

 

 

「前方通路、非常時に誘導員が必要……」

 

 

 

聖火はそれを見て、少しだけ笑った。

 

 

 

「助かります」

 

 

 

「いえ。私の方こそ、そういう見方はあまりできていませんでした」

 

 

 

「中条先輩は設備を見てください。俺は人が詰まりそうな場所を見ます」

 

 

 

「はい」

 

 

 

その返事は、先ほどより少し落ち着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

控室の確認を終えた後、二人は非常階段へ向かった。

 

 

 

階段の幅。

 

手すりの位置。

 

踊り場の広さ。

 

扉の開く向き。

 

 

 

聖火は一つずつ確認していく。

 

 

 

あずさは端末に記録しながら、その視線の動きを追っていた。

 

 

 

「鷹山くんは、本当に避難経路を見るのが慣れていますね」

 

 

 

「慣れている、というほどではありませんよ」

 

 

 

「でも、私が気づかないところを見ています」

 

 

 

「人が急ぐと、意外なところで詰まるんです」

 

 

 

聖火は階段の踊り場を見下ろした。

 

 

 

「特に、誰かが転んだ時です」

 

 

 

あずさの指が少し止まる。

 

 

 

聖火はそれに気づき、すぐに言葉を足した。

 

 

 

「だから、転ばないようにする確認です」

 

 

 

「……はい」

 

 

 

あずさは小さく頷いた。

 

 

 

「使われないための確認、ですね」

 

 

 

「そうです」

 

 

 

聖火は軽く笑った。

 

 

 

「服部先輩に報告する時、その言い方でお願いします」

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

最後に、二人は地下へ降りた。

 

 

 

会場側の担当者に案内され、地下通路を進む。

 

 

 

地上階の明るさとは違い、地下は少し空気が冷たかった。

 

 

 

非常灯は一定間隔で設置されている。

 

通路幅も、普段の移動には十分だった。

 

 

 

だが、避難者が殺到した場合は別だ。

 

 

 

聖火は通路の幅、曲がり角、壁の材質、天井の配管を確認していた。

 

 

 

あずさは、その様子を黙って見ている。

 

 

 

「気になりますか?」

 

 

 

聖火が尋ねる。

 

 

 

「はい。少しだけ」

 

 

 

「正直でいいですね」

 

 

 

「あの……ここが使われるような事態になるとは、あまり考えたくありません」

 

 

 

「俺もです」

 

 

 

聖火は即答した。

 

 

 

「でも、考えたくないことほど、先に考えておいた方がいいです」

 

 

 

「そういうものですか?」

 

 

 

「少なくとも、慌ててから考えるよりはましです」

 

 

 

あずさは少しだけ考え、それから頷いた。

 

 

 

「分かりました。では、ここもきちんと確認します」

 

 

 

「お願いします」

 

 

 

その後、二人は地下シェルターへ案内された。

 

 

 

厚い扉。

 

非常用の照明。

 

折り畳み式の簡易ベンチ。

 

備蓄棚。

 

通信端末。

 

予備電源。

 

換気設備。

 

 

 

聖火は最初に出入口を見た。

 

次に備蓄棚。

 

その後で、通信端末と非常灯を確認するあずさへ視線を向ける。

 

 

 

「通信はどうですか?」

 

 

 

「会場管理室と警備室にはつながるようです。外部回線は制限されていますが、非常時には解放可能とあります」

 

 

 

「予備電源は?」

 

 

 

「稼働確認はできています。ただ、長時間になる場合は節電が必要です」

 

 

 

「照明は区画ごとに落とせますか?」

 

 

 

「あ、はい。こちらで切り替えられます」

 

 

 

「なら、全部つけっぱなしにしなくても大丈夫ですね」

 

 

 

あずさは端末に記録しながら、聖火を見る。

 

 

 

「鷹山くん、本当に使う時のことを考えているんですね」

 

 

 

「使わないのが一番です」

 

 

 

聖火は備蓄棚を開けた。

 

 

 

飲料水。

 

保存食。

 

毛布。

 

応急処置キット。

 

包帯。

 

消毒液。

 

簡易担架。

 

懐中電灯。

 

予備バッテリー。

 

簡易トイレ。

 

 

 

一通りは揃っている。

 

 

 

だが、聖火は安心した顔をしなかった。

 

 

 

「人数次第ですね」

 

 

 

「足りませんか?」

 

 

 

「落ち着いて使えば足ります。混乱したら足りません」

 

 

 

「混乱したら……」

 

 

 

「水を先に配りすぎる。毛布が必要な人に回らない。怪我人の確認が遅れる。外へ出ようとする人が出る。そうなると、物資より先に場の空気が崩れます」

 

 

 

あずさは何も言わなかった。

 

 

 

聖火は備蓄棚を閉める。

 

 

 

「すみません。嫌な話をしました」

 

 

 

「いえ」

 

 

 

あずさは首を横に振った。

 

 

 

「必要な確認だと思います」

 

 

 

その声は、少しだけ震えていた。

 

 

 

だが、逃げる声ではなかった。

 

 

 

聖火はそれを見て、静かに頷く。

 

 

 

「中条先輩」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「もし、ここを使うことになったら、記録をお願いします」

 

 

 

「記録、ですか?」

 

 

 

「はい。誰がいるか。誰が怪我をしているか。水や毛布がどれだけあるか。通信が使えるか。そういうことを記録できる人がいると、かなり助かります」

 

 

 

あずさは端末を抱える手に、少しだけ力を込めた。

 

 

 

「私に、できるでしょうか」

 

 

 

「できます」

 

 

 

聖火はすぐに答えた。

 

 

 

「中条先輩は、設備を見るのが得意です。記録も正確です。俺よりずっと向いています」

 

 

 

「鷹山くんより、ですか?」

 

 

 

「はい。俺はたぶん、途中で人の方に目が行きます」

 

 

 

あずさは少しだけ目を瞬かせた。

 

 

 

それから、小さく笑った。

 

 

 

「それは、鷹山くんらしいですね」

 

 

 

「そうですか?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

あずさの表情から、少しだけ力が抜けた。

 

 

 

聖火はそれを確認して、シェルター内をもう一度見渡した。

 

 

 

本来なら、誰も使わないはずの場所。

 

使われないことが、一番いい場所。

 

 

 

だが、もし使うことになったなら。

 

 

 

ここは、ただ閉じ込められる場所ではない。

 

 

 

救助が来るまで、生きて待つための場所になる。

 

 

 

あずさは通信端末の確認を終え、備蓄棚の数を記録し終えると、静かにシェルターの扉を見た。

 

 

 

「使われないといいんですけど」

 

 

 

その声は小さかった。

 

 

 

聖火は隣で、同じように扉を見る。

 

 

 

「そうですね」

 

 

 

短い返事だった。

 

 

 

それ以上、何も言わなかった。

 

 

 

言葉にすれば、不安が形を持ってしまいそうだったからだ。

 

 

 

二人は確認を終え、地下シェルターを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

地上へ戻ると、会場前にはすでに服部が戻っていた。

 

 

 

周辺図を片手に、道路の向こう側を見ている。

 

 

 

その表情はいつも通り落ち着いていたが、完全に何もなかったという顔でもなかった。

 

 

 

「服部先輩」

 

 

 

聖火が声をかけると、服部は視線を戻した。

 

 

 

「終わったか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

あずさが端末を開き、確認結果を表示する。

 

 

 

「発表設備、通信設備、予備電源は問題ありません。非常階段と地下通路も確認済みです。地下シェルターには、飲料水、保存食、毛布、応急処置キット、通信端末、予備電源がありました」

 

 

 

「避難経路は?」

 

 

 

「大きな問題はありません。ただ、発表会場前方の通路と、地下へ向かう曲がり角は、人が一度に流れると詰まる可能性があります」

 

 

 

あずさはそこで、少しだけ聖火を見た。

 

 

 

「鷹山くんが確認してくれました」

 

 

 

服部は聖火へ視線を向ける。

 

 

 

「そうか」

 

 

 

「念のためです」

 

 

 

聖火は軽く肩をすくめた。

 

 

 

「使わずに済むなら、それが一番です」

 

 

 

「その通りだ」

 

 

 

服部は短く答えた。

 

 

 

それから、会場前の通りへ視線を向けた。

 

 

 

「こちらも大きな問題はない。正面入口、搬入口、関係者用通路、周辺道路の人の流れは確認した」

 

 

 

「何か気になる点は?」

 

 

 

聖火が尋ねる。

 

 

 

服部は少しだけ間を置いた。

 

 

 

「外国人の姿が少し目立った気がした」

 

 

 

「外国人、ですか?」

 

 

 

あずさが首を傾げる。

 

 

 

「ああ。だが、横浜なら珍しくはない。観光客も多い」

 

 

 

服部は自分の言葉を確認するように、もう一度通りを見た。

 

 

 

「何人か、会場周辺に長く立っていたようにも見えたが……警備員や関係者と見間違えた可能性もある」

 

 

 

聖火も通りの向こうへ視線を向けた。

 

 

 

今は、特に不自然な人影は見えない。

 

 

 

買い物客。

 

観光客。

 

通行人。

 

車の流れ。

 

 

 

横浜の会場前としては、むしろ普通の光景だった。

 

 

 

「気のせいかもしれませんね」

 

 

 

聖火が言うと、服部は小さく頷いた。

 

 

 

「そうだな。気にしすぎかもしれない」

 

 

 

あずさは端末を抱え直し、少しだけ安心したように息をついた。

 

 

 

「では、報告書には通常通りの確認結果としてまとめますね」

 

 

 

「いえ」

 

 

 

聖火が静かに言った。

 

 

 

あずさが顔を上げる。

 

 

 

「記録には残しておきましょう」

 

 

 

「ですが、気のせいかもしれないのでは……」

 

 

 

「はい。だから、気のせいかもしれないこととして残します」

 

 

 

聖火は通りの向こうへ視線を向けた。

 

 

 

今は、特に不自然な人影は見えない。

 

 

 

「今考えても仕方がありません。でも、後で必要になるかもしれない情報を、今ここで消す理由もありません」

 

 

 

服部は、少しだけ聖火を見る。

 

 

 

「妥当だな」

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

「報告書には、周辺で外国人観光客と思われる集団を複数確認。会場周辺に長く留まる者もいたが、不審行動と断定できる要素はなし。そう記載しておけ」

 

 

 

「はい」

 

 

 

あずさは端末に入力する。

 

 

 

聖火はその文字を見て、小さく頷いた。

 

 

 

違和感は、事件ではない。

 

 

 

だが、記録に残った違和感は、後から意味を持つことがある。

 

 

 

今はまだ、それだけでよかった。

 

 

 

会場は静かだった。

 

 

 

論文コンペを待つ、整った施設。

 

使われないことを願って確認されたシェルター。

 

気のせいとして片づけられた、小さな違和感。

 

 

 

そのすべてが、まだ事件の形をしていなかった。

 




前回の反省を踏まえ、いきなり飛んでみました。
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