魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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今回は前回と違って早く終わりそうです。


横浜騒乱編4

 

 

 

論文コンペは、予定通りに始まった。

 

 

 

少なくとも、表向きは。

 

 

 

会場内には、発表者たちの緊張と、観客たちの期待が混じった空気が流れていた。

 

壇上では、各校の発表が順に進められていく。

 

 

 

発表用の投影設備は問題なく作動している。

 

音響も安定していた。

 

通信回線にも目立った乱れはない。

 

 

 

中条あずさは、会場後方の設備確認席で端末を握りしめていた。

 

 

 

新生徒会長として、できることをする。

 

 

 

その意識が強すぎて、朝から何度も確認表を見直していたが、今はどうにか落ち着いている。

 

 

 

それでも、指先には少しだけ力が入っていた。

 

 

 

「中条先輩」

 

 

 

隣を通りかかった聖火が、小さく声をかける。

 

 

 

「はい」

 

 

 

「端末、握り潰さないでくださいね」

 

 

 

「そ、そんなに力は入っていません」

 

 

 

「少しだけです」

 

 

 

「少しなら言わなくてもいいのでは……」

 

 

 

「壊れてからでは遅いので」

 

 

 

あずさは小さく息を吐いた。

 

 

 

呆れたような、少し安心したような顔だった。

 

 

 

「鷹山くんは、警備本部にいなくていいんですか?」

 

 

 

「見ていい範囲内です」

 

 

 

聖火は会場後方から警備本部の方へ視線を戻す。

 

 

 

「十文字先輩に指定された範囲からは出ていません」

 

 

 

「まるで、行動範囲を決められた危険人物みたいですね」

 

 

 

「中条先輩まで」

 

 

 

聖火は少しだけ肩を落とした。

 

 

 

あずさは慌てて口元を押さえる。

 

 

 

「あっ、すみません」

 

 

 

「いえ。だいたい合っています」

 

 

 

「合っているんですか」

 

 

 

「否定しきれないのがつらいところです」

 

 

 

そんな短いやり取りの後、聖火は再び警備本部の方へ戻った。

 

 

 

その背中を見送りながら、あずさは端末を持ち直す。

 

 

 

大丈夫。

 

 

 

設備は確認した。

 

避難経路も確認した。

 

地下シェルターの通信も、予備電源も、備蓄も確認した。

 

 

 

使われないことが一番いい。

 

 

 

だが、もし使われることになっても、何も知らないわけではない。

 

 

 

そう思えば、少しだけ呼吸がしやすくなった。

 

 

 

 

 

 

 

警備本部では、十文字克人が端末に表示された会場図を見ていた。

 

 

 

服部刑部少丞範蔵は、各所からの報告を整理している。

 

 

 

聖火は十文字の斜め後ろに立ち、会場内と端末上の情報を交互に見ていた。

 

 

 

大きな異常はない。

 

 

 

だが、小さなズレはあった。

 

 

 

正面入口前に、しばらく留まっている数人の外国人らしき人物。

 

搬入口側の確認報告が、予定よりわずかに遅れている。

 

一部の通信に、ほんの短い間が混じる。

 

 

 

どれも、単独では問題にならない。

 

 

 

ただし、消すには惜しい違和感だった。

 

 

 

「服部先輩」

 

 

 

聖火が低く呼ぶ。

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「搬入口側の確認、少し遅れています」

 

 

 

「今、担当から返信が来た。異常なしだ」

 

 

 

「文面は?」

 

 

 

服部は端末を見る。

 

 

 

「定型文だ」

 

 

 

「なら、本人が打っているとは限りませんね」

 

 

 

服部の目がわずかに鋭くなった。

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

「断定はしていません。確認だけお願いします」

 

 

 

十文字が短く言う。

 

 

 

「服部、搬入口に別系統で確認を入れろ」

 

 

 

「了解しました」

 

 

 

服部がすぐに指示を出す。

 

 

 

聖火は会場図から目を離さない。

 

 

 

点は、まだ点のまま。

 

 

 

だが、少しずつ近づいている。

 

 

 

そんな嫌な感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

最初の異常は、音だった。

 

 

 

低く、重い音。

 

 

 

会場の外から、建物の壁を震わせるように伝わってきた。

 

 

 

直後、警備本部の端末に複数の報告が一斉に入る。

 

 

 

正面入口付近で混乱。

 

搬入口側で不審者確認。

 

外部警備員との通信に遅延。

 

会場周辺に複数の敵性反応。

 

 

 

会場内のざわめきが、一気に膨れ上がった。

 

 

 

「何だ?」

 

 

 

「爆発音?」

 

 

 

「外で何かあったのか?」

 

 

 

椅子が軋む音。

 

誰かが立ち上がる音。

 

不安が伝染する音。

 

 

 

聖火は反射的に会場の方を見た。

 

 

 

人の流れが乱れる。

 

 

 

まだ誰も走ってはいない。

 

 

 

だが、全員が一斉に出口を意識し始めている。

 

 

 

危ない。

 

 

 

そう思った瞬間、中条あずさが動いた。

 

 

 

彼女は端末を握りしめ、会場全体へ向けて魔法を発動した。

 

 

 

それは、誰かの意思を塗りつぶすようなものではなかった。

 

 

 

命令ではない。

 

支配でもない。

 

 

 

恐怖で波立つ感情の表面を、薄くならしていくような魔法だった。

 

 

 

大きく揺れた水面に、そっと手を置くように。

 

 

 

広がりかけた混乱が、わずかに遅れる。

 

 

 

立ち上がりかけた人間が、隣の人間を押す前に止まる。

 

悲鳴になりかけた声が、息を吸う音に変わる。

 

 

 

完全に落ち着いたわけではない。

 

 

 

だが、最悪の一歩目は止まった。

 

 

 

「……上手いですね」

 

 

 

聖火が小さく呟いた。

 

 

 

服部が横を見る。

 

 

 

「分かるのか」

 

 

 

「命令じゃありません。揺れを抑えているだけです。だから反発が少ない」

 

 

 

「お前は、そういうことまで見るのか」

 

 

 

「なんとなくです」

 

 

 

「その返答は信用できないな」

 

 

 

「よく言われます」

 

 

 

聖火はそう返しながらも、視線は会場から外さなかった。

 

 

 

中条は顔色を少し悪くしながらも、端末を離していない。

 

 

 

新生徒会長として。

 

 

 

そして、会場設備を一番把握している者として。

 

 

 

彼女は逃げていなかった。

 

 

 

その直後、七草真由美が前へ出た。

 

 

 

会場のざわめきが収まりきる前に、彼女の声が響く。

 

 

 

大きすぎる声ではない。

 

 

 

だが、不思議と通る声だった。

 

 

 

「皆さん、落ち着いてください」

 

 

 

その一言で、視線が集まる。

 

 

 

真由美は状況を簡潔に説明した。

 

 

 

外部で異常が発生したこと。

 

会場内にいる者は、係員と学生スタッフの指示に従って避難すること。

 

走らないこと。

 

前の人を押さないこと。

 

荷物を取りに戻らないこと。

 

 

 

そして、避難経路を示した。

 

 

 

発表会場から控室側の通路を通り、地下避難経路へ。

 

その先にあるシェルターへ移動する。

 

 

 

中条が整えた空気の上に、七草真由美の言葉が道を作る。

 

 

 

混乱は、ようやく人の流れに変わり始めた。

 

 

 

「避難誘導を開始します」

 

 

 

中条の声が、端末を通して警備本部へ届いた。

 

 

 

震えている。

 

 

 

だが、通る声だった。

 

 

 

「発表会場前方から順に、控室側通路へ誘導します。係員は前方通路の詰まりに注意してください。走らせないでください」

 

 

 

聖火は、ほんの少しだけ笑った。

 

 

 

「中条先輩、ちゃんと見てますね」

 

 

 

服部が端末を見る。

 

 

 

「前方通路の詰まり。下見でお前が言っていた場所か」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「なら、報告しておいて正解だったな」

 

 

 

「記録したのは中条先輩です」

 

 

 

服部は答えなかった。

 

 

 

だが、その表情は少しだけ変わっていた。

 

 

 

中条あずさを見る目が、ただの新生徒会長を見るものではなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

避難が開始された。

 

 

 

発表会場の人間は、誘導に従って動き始める。

 

 

 

ゆっくりと。

 

 

 

それでも確実に。

 

 

 

聖火は端末上の会場図を見つめた。

 

 

 

正面入口。

 

搬入口。

 

発表会場。

 

控室。

 

地下避難経路。

 

シェルター。

 

 

 

人の流れが地下へ向かう。

 

 

 

その流れを狙うなら、どこを塞ぐか。

 

 

 

敵が混乱を広げたいなら、どこに入るか。

 

 

 

避難者を人質に取りたいなら、どこで待つか。

 

 

 

答えは、嫌なほど見えやすかった。

 

 

 

「十文字先輩」

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「地下通路で遭遇戦になる可能性があります」

 

 

 

服部が振り向いた。

 

 

 

「根拠は」

 

 

 

「正面入口と搬入口が乱れています。地上階に人を流せば詰まる。だから地下経路を使うのは正しいです」

 

 

 

聖火は会場図の地下通路を指した。

 

 

 

「ですが、敵が避難者を狙うなら、地下の方が効率がいい。人は狭い通路で止まると、後ろから詰まります」

 

 

 

「なら危険ではないか」

 

 

 

「危険です」

 

 

 

聖火は即答した。

 

 

 

「ですが、あそこは通路幅が狭い。敵が前からしか来ないなら、逆に制圧しやすいです」

 

 

 

服部の目が細くなる。

 

 

 

「お前を先行させろ、ということか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

聖火は足元のアタッシュケースへ視線を落とす。

 

 

 

「地下通路に敵が入る前に、こちらが前を押さえます」

 

 

 

「独断で動くなと言われたばかりだろう」

 

 

 

「だから進言しています」

 

 

 

服部は言葉を止めた。

 

 

 

確かに、その通りだった。

 

 

 

聖火は勝手に動いていない。

 

 

 

十文字の許可を待っている。

 

 

 

十文字は一瞬だけ聖火を見た。

 

 

 

その目に迷いはなかった。

 

 

 

「服部、沢木、鷹山」

 

 

 

服部が姿勢を正す。

 

 

 

近くにいた沢木も、即座に反応した。

 

 

 

「はい」

 

 

 

「避難経路の安全確保に回れ」

 

 

 

「了解しました」

 

 

 

十文字は続けた。

 

 

 

「避難誘導は中条の指示に従え。会場設備と地下導線を最も把握しているのは中条だ。お前たちは、その経路を守れ」

 

 

 

通信越しに、中条の息を呑む気配があった。

 

 

 

「私の、指示ですか」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

十文字の返答は短い。

 

 

 

だが、揺るがなかった。

 

 

 

聖火が静かに続ける。

 

 

 

「中条先輩。確認表、持っていますよね」

 

 

 

「……はい」

 

 

 

「なら大丈夫です。あれは今日のための地図です」

 

 

 

沈黙が一つ。

 

 

 

それから、中条の声が戻った。

 

 

 

「分かりました。地下避難経路を使用します。第一高校関係者を優先して、発表会場前方から順に誘導します。服部くん、沢木くん、鷹山くんは前方経路の安全確認をお願いします」

 

 

 

「了解した」

 

 

 

服部が答える。

 

 

 

沢木も短く応じた。

 

 

 

聖火は、十文字を見た。

 

 

 

十文字もまた、聖火を見ていた。

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「武器使用を許可する」

 

 

 

その一言で、聖火の表情から軽さが消えた。

 

 

 

それまでの警備本部の一年生ではない。

 

 

 

中条をからかい、服部に叱られ、十文字に管理されていた少年の顔ではない。

 

 

 

「確認します。制限は」

 

 

 

「避難民を守れ」

 

 

 

十文字の声は低かった。

 

 

 

「遠慮はいらん。避難経路を脅かす敵は、すべて殲滅しろ」

 

 

 

聖火は一瞬だけ目を伏せた。

 

 

 

次に顔を上げた時、その目はもう変わっていた。

 

 

 

静かで、冷たい。

 

 

 

だが、その奥にあるものは怒りではない。

 

 

 

守るための覚悟だった。

 

 

 

「はい」

 

 

 

短い返事だった。

 

 

 

服部は、その声を聞いて初めて理解した。

 

 

 

十文字が、なぜ鷹山聖火を手元に置いていたのかを。

 

 

 

中条は通信越しに、その変化を感じ取っていた。

 

 

 

先ほどまで自分を支えてくれていた後輩が、今度は自分の避難経路を守るために前へ出ようとしている。

 

 

 

「鷹山くん」

 

 

 

中条の声が聞こえた。

 

 

 

聖火はアタッシュケースの留め具に手をかけながら、短く答える。

 

 

 

「はい」

 

 

 

「お願いします」

 

 

 

その一言に、聖火はほんの少しだけ表情を緩めた。

 

 

 

「任されました」

 

 

 

次の瞬間、留め具が外れる音が、警備本部に小さく響いた。

 

 

 

使われないために確認したもの。

 

 

 

使われないことを願っていた経路。

 

 

 

そして、使わないために持ち込んだ武器。

 

 

 

そのすべてが、今、使われるために動き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

服部、沢木、聖火は、数名の警備隊員を引き連れて警備本部を出た。

 

 

 

向かう先は、地下避難経路。

 

 

 

発表会場から控室側通路を抜け、非常階段を経由して地下へ降りる。

 

その先に、シェルターへ続く通路がある。

 

 

 

下見の時に、中条あずさと確認した経路だった。

 

 

 

使われないことを願っていた場所。

 

 

 

だが今は、使わなければならない場所だった。

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

前方警戒を担当していた沢木碧が、ちらりと聖火を見る。

 

 

 

「お前、よく十文字先輩にあんなことを進言できたな」

 

 

 

「あんなこと、ですか?」

 

 

 

「地下通路で遭遇戦になる。自分を先行させろ。普通、一年があの場で言うことじゃない」

 

 

 

沢木の声には、呆れと感心が半分ずつ混じっていた。

 

 

 

聖火はアタッシュケースを片手に持ち直す。

 

 

 

「思いついたことを言っただけです」

 

 

 

「それが普通じゃないと言っている」

 

 

 

服部が低く言った。

 

 

 

聖火は少しだけ肩をすくめる。

 

 

 

「でも、間違ってはいなかったでしょう」

 

 

 

服部はすぐには答えなかった。

 

 

 

それが、答えでもあった。

 

 

 

聖火の言い方は危うい。

 

判断も早すぎる。

 

何より、地下通路で敵とぶつかる可能性を当然のように口にした時点で、普通の高校生ではない。

 

 

 

だが、進言の内容そのものは合理的だった。

 

 

 

正面入口と搬入口が乱れた以上、地上階に避難者を流すのは危険。

 

地下通路は狭く、混乱すれば詰まる。

 

 

 

しかし、狭いからこそ、敵が前方から来るなら迎撃しやすい。

 

 

 

敵が多数でも、同時に前へ出られる人数は限られる。

 

 

 

それは戦術としては正しい。

 

 

 

正しいからこそ、服部は何も言えなかった。

 

 

 

「……納得できるのが腹立たしいな」

 

 

 

服部が呟く。

 

 

 

「俺、何か怒られることしましたか?」

 

 

 

「堂々と危険な提案をした」

 

 

 

「許可は取りました」

 

 

 

「そこが余計に厄介だ」

 

 

 

沢木が小さく笑った。

 

 

 

「服部、お前がそんな顔をするのは珍しいな」

 

 

 

「笑い事ではない」

 

 

 

服部は前方を見たまま答える。

 

 

 

「鷹山は、判断が早い。その早さは有用だが、同時に危険だ」

 

 

 

「本人の前で分析しますか」

 

 

 

聖火が言う。

 

 

 

「必要な確認だ」

 

 

 

「今日は俺、ずっと危険物扱いですね」

 

 

 

「実際、手に危険物を持っているだろう」

 

 

 

「見た目は機材ケースです」

 

 

 

「中身の話だ」

 

 

 

聖火は、片手に提げたアタッシュケースへ一瞬だけ視線を落とした。

 

 

 

沢木はそのやり取りを聞きながら、聖火の持つアタッシュケースを見る。

 

 

 

「中身は何なんだ?」

 

 

 

「開けてからのお楽しみです」

 

 

 

「それは味方に言う台詞じゃない」

 

 

 

服部が即座に指摘した。

 

 

 

「では、必要な時に説明します」

 

 

 

「今説明しろ」

 

 

 

「今は時間が惜しいです」

 

 

 

それは軽口のようでいて、間違ってはいなかった。

 

 

 

だから服部は、また黙るしかなかった。

 

 

 

聖火は歩きながら、通路の壁、非常灯、分岐、扉の向きを確認していた。

 

 

 

下見の時にも見た場所だ。

 

 

 

だが、今は違う。

 

 

 

人が動いている。

 

音が響いている。

 

遠くで避難誘導の声が聞こえる。

 

 

 

地上の混乱が、建物全体へ薄く伝わっている。

 

 

 

「服部先輩」

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「後続は、まだ発表会場前ですね」

 

 

 

「中条からの報告ではそうだ」

 

 

 

「なら、この先の曲がり角を越えたところで一度止めた方がいいです」

 

 

 

「理由は」

 

 

 

「ここから先は通路幅が少し狭くなります。前方で何かあった時、後続が流れ込むと退避できません」

 

 

 

服部は端末で会場図を確認する。

 

 

 

聖火の言う通りだった。

 

 

 

地下へ向かう手前の通路は、途中でわずかに幅が狭くなる。

 

通常時には気にならない差だが、避難者が集中すれば大きな違いになる。

 

 

 

「中条へ伝える」

 

 

 

服部はすぐに通信を入れた。

 

 

 

「中条。地下経路手前の第二曲がり角で、後続を一時停止させてくれ。前方確認後に再開する」

 

 

 

『分かりました、服部くん。第二曲がり角で一時停止。後続へ伝えます』

 

 

 

中条の声は、まだ少し硬い。

 

 

 

だが、確かだった。

 

 

 

聖火は短く息を吐く。

 

 

 

「中条先輩、ちゃんと動けていますね」

 

 

 

「お前が言った通りだな」

 

 

 

服部が言う。

 

 

 

「確認表は、今日のための地図だったか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「なら、お前もその地図から外れるな」

 

 

 

「努力します」

 

 

 

「努力ではなく、命令だ」

 

 

 

「了解しました」

 

 

 

沢木が横から言った。

 

 

 

「お前たち、ずっとそんな調子なのか」

 

 

 

「最近はだいたいこうです」

 

 

 

聖火が答える。

 

 

 

「慣れたくはないがな」

 

 

 

服部はそう言って、前方へ視線を戻した。

 

 

 

地下へ向かう通路は、空気が変わり始めていた。

 

 

 

人の熱が少ない。

 

 

 

その代わり、冷えた空気が奥から流れてくる。

 

 

 

非常灯の明かりが、白い壁を薄く照らしている。

 

 

 

聖火は足を止めた。

 

 

 

それに合わせて、服部と沢木も止まる。

 

 

 

後ろの警備隊員たちも、すぐに動きを止めた。

 

 

 

「どうした」

 

 

 

服部が低く尋ねる。

 

 

 

聖火は答えず、前方の通路を見た。

 

 

 

曲がり角の向こう。

 

 

 

見えない先。

 

 

 

そこから、ほんのわずかに音がした。

 

 

 

足音。

 

 

 

一人ではない。

 

 

 

規則正しすぎる。

 

 

 

避難者の足音ではない。

 

 

 

警備隊の動きでもない。

 

 

 

聖火はアタッシュケースを床に置いた。

 

 

 

留め具に指をかける。

 

 

 

「服部先輩」

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「中条先輩に、後続停止を継続するよう伝えてください」

 

 

 

服部の目が鋭くなる。

 

 

 

「敵か」

 

 

 

「まだ見えていません」

 

 

 

聖火は静かに答えた。

 

 

 

「でも、味方の歩き方ではありません」

 

 

 

沢木が一歩前に出る。

 

 

 

「数は」

 

 

 

「三……いえ、四。少なくとも四人」

 

 

 

「そこまで分かるのか」

 

 

 

「音と間隔です」

 

 

 

聖火は留め具を外した。

 

 

 

小さな金属音が、地下通路に響く。

 

 

 

「あと、嫌な呼吸をしています」

 

 

 

「呼吸?」

 

 

 

「避難者や警備員のものじゃありません。抑えすぎている。襲う前の呼吸です」

 

 

 

服部は一瞬だけ聖火を見る。

 

 

 

今の言葉は、普通の警備判断ではなかった。

 

 

 

だが、問いただす時間はない。

 

 

 

服部は通信を入れる。

 

 

 

「中条。後続停止を継続。前方確認中だ。避難者を第二曲がり角より先へ進ませないでくれ」

 

 

 

『了解しました、服部くん。後続停止を継続します』

 

 

 

その声の向こうで、避難者を抑える中条の指示が聞こえた。

 

 

 

聖火はアタッシュケースを開く。

 

 

 

蓋の角度で、中身は周囲からは見えない。

 

 

 

ただ、聖火の空気が変わったことだけは分かった。

 

 

 

軽口を叩いていた一年生の気配が、すっと消えていく。

 

 

 

代わりに現れたのは、戦場で敵を待つ者の目だった。

 

 

 

曲がり角の向こうで、足音が止まった。

 

 

 

一拍。

 

 

 

静寂。

 

 

 

そして、壁の向こうから、金属が擦れるような音がした。

 

 

 

聖火は静かに言った。

 

 

 

「来ます」

 

 

 

次の瞬間、地下通路の向こう側から、敵影が現れた。

 

 




今回は中条と服部の回になりそうです。
聖火の能力と危うさを知ってもらいましょう。
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