地下通路での遭遇戦を突破した後、避難誘導は再開された。
服部の指示で警備隊員が前方を確認し、沢木が通路の奥を警戒する。
聖火は焦げた呪符を回収しながら、壁や天井の亀裂を見ていた。
通路は、まだ保っている。
だが、無傷ではない。
二十ミリ機関砲とロケット弾。
それに加えて、上階から伝わってくる衝撃。
地下構造そのものに、確実に負荷がかかっていた。
「急いだ方がいいですね」
聖火が低く言う。
服部も同じものを見ていた。
「ああ。中条へ伝える」
服部は通信を入れる。
「中条。前方経路の安全を確認した。避難誘導を再開する。ただし、走らせるな。隊列を崩すな」
『了解しました、服部くん。避難誘導を再開します』
中条あずさの声は疲れていた。
だが、崩れてはいなかった。
発表会場から地下へ向かう避難者たちは、順に通路を進んでくる。
不安げな顔。
青ざめた顔。
足を引きずる者。
肩を貸されている者。
荷物を抱えたまま震えている者。
それでも、列は保たれていた。
「前の人を押さないでください。足元に注意してください。係員の指示に従って、ゆっくり進んでください」
中条の声が、通路に響く。
聖火はその声を聞きながら、避難者の顔色を見ていた。
呼吸。
歩幅。
視線。
手の震え。
危ない者には声をかけ、足元がふらつく者には警備隊員をつける。
今は戦う時間ではない。
通す時間だった。
やがて、一行は地下シェルターへ到着した。
厚い扉。
備蓄棚。
非常用照明。
壁際に積まれた毛布と水。
簡易トイレ。
救急箱。
下見で確認した通りの場所だった。
使われないことを願って確認した場所。
だが今は、その確認が避難者たちを受け入れる準備になっていた。
「皆さん、奥から順に座ってください。通路側を塞がないようにお願いします。怪我をしている方、気分が悪い方は手を挙げてください」
中条が端末と確認表を手に、避難者を誘導する。
服部は入口側で警備隊員を配置する。
沢木は扉の近くに立ち、いつでも動けるように周囲を見ていた。
聖火は最後尾近くにいた生徒を支え、シェルター内へ入れる。
「ここに座ってください。無理に立たなくて大丈夫です」
「ありがとうございます……」
生徒が壁際に座るのを確認した、その時だった。
地下通路の奥で、重い音が響いた。
一度。
続いて、二度。
壁が震え、天井から細かな粉塵が落ちる。
シェルター内の避難者たちが、一斉に顔を上げた。
「何の音だ?」
「まだ敵がいるのか?」
「出口は?」
「閉じ込められたのか?」
ざわめきが、一気に広がる。
服部が扉の方へ走った。
警備隊員が入口側を確認する。
聖火もすぐに通路側を見た。
音の質が違う。
銃声ではない。
爆発でもない。
崩落。
攻撃による衝撃で傷んでいた通路の一部が、耐えきれず落ちた音だった。
警備隊員が戻ってくる。
「服部さん、通路側が落石で塞がっています。完全には確認できませんが、無理に開けると二次崩落の危険があります」
服部の表情が険しくなる。
「無理に動かすな。入口側を警戒。通路の状態を確認できる範囲で記録しろ」
「はい!」
中条は端末を握りしめた。
顔色は悪い。
それでも、声は出た。
「皆さん、落ち着いてください。シェルター内は安全です。係員の指示に従って、その場で待機してください」
言葉は届いている。
だが、不安は消えない。
なぜなら、誰も外の状況を知らないからだ。
出入口が塞がった。
外と連絡が取りにくい。
救助が来るかどうかも分からない。
その事実が、避難者たちの呼吸を浅くしていく。
聖火は、シェルターの隅で足をひねった女子生徒を座らせていた。
「足首を動かさないでください。今は固定だけします」
「はい……」
「大丈夫です。折れてはいません。痛みはありますが、慌てなければ悪化しません」
そう言った直後、聖火の手が止まった。
誰かが、こちらを見ている。
視線ではない。
もっと薄い。
糸のような感覚。
外側から、地下へ向かって伸びてくる古い気配。
それは現代魔法の探査とは違った。
もっと柔らかく、もっと曖昧で、けれど自然物に近い気配。
精霊。
聖火はゆっくり顔を上げた。
「……見られていますね」
服部が反応する。
「敵か」
「いえ」
聖火は懐から白い札を一枚取り出した。
「この感じは、たぶん味方です。古式の探査。幹比古くんかもしれません」
「幹比古?」
「吉田幹比古くんです。精霊を使って、こちらを探っているんだと思います」
中条も聖火を見る。
「連絡が取れるんですか?」
「いえ、通信はできません」
聖火は首を横に振った。
「向こうの声も聞こえませんし、こちらの声も届きません。幹比古くんが放った精霊が、こちらを見ている。その視線を、逆に少しだけ辿るだけです」
服部の眉がわずかに動く。
「つまり、見返すだけか」
「はい」
聖火は短く答えた。
「相手が古式で探ってくれているからできます。何もない場所には繋げません」
白い札が、空中へ浮いた。
最初はただの紙だった。
だが、聖火が低く呪を唱えると、表面に墨色の文字が浮かび上がる。
薄く、滲むように。
「返せ」
札が、ゆっくりと回転した。
聖火の視線が、紙の向こう側へ沈む。
一瞬、シェルターの光が遠のいた。
代わりに、別の景色が見えた。
地上。
崩れた通路。
避難者の群れ。
その前に立つ七草真由美。
制服を汚しながらも、周囲へ指示を出している司波深雪。
そして、何かを探るように術式を組んでいる吉田幹比古。
幹比古の周囲には、精霊の気配があった。
聖火は、その精霊の視界を通して外を見ている。
だから、声は届かない。
こちらから呼びかけることもできない。
ただ、見える。
今そこに誰がいて、どの程度動けているのか。
それだけを、断片的に拾う。
「……真由美先輩。深雪ちゃん。幹比古くん」
聖火は小さく呟いた。
声は届かない。
だが、名前を確認するように口にした。
さらに視線を走らせる。
他の生徒たち。
避難民。
負傷者。
混乱はある。
だが、崩れてはいない。
外側にも、まだ人がいる。
守ろうとしている者がいる。
少なくとも、今見える範囲では全員無事だ。
それだけ分かれば十分だった。
札の文字が薄れていく。
聖火は息を吐き、札を手元へ戻した。
服部と中条が、聖火を見ていた。
「報告します」
聖火は短く言った。
「地上側に味方を確認しました。七草先輩、深雪ちゃん、幹比古くん、それから他の生徒と避難民の姿もあります」
中条の表情が変わった。
「本当ですか」
「はい。少なくとも、今見えた範囲では全員無事です。ただし、会話はできません。幹比古くんの精霊を通して、向こう側を見返しただけです」
服部が頷く。
「つまり、外にも味方はいる。こちらを探っている者もいる。だが、連絡が取れたわけではない」
「そうです」
聖火は中条を見る。
「中条先輩。今の情報、使ってください」
「使う?」
「避難者に伝えるんです。外にも味方がいる。こちらを探している人間がいる。少なくとも今見えた範囲では、他の避難者も生徒たちも無事だと」
中条は一瞬だけ目を伏せた。
それから、端末を握り直す。
「分かりました」
声には、まだ震えがあった。
だが、芯は戻っていた。
中条はシェルター内の避難者たちへ向き直る。
「皆さん、聞いてください」
ざわめきが、少しだけ小さくなる。
中条は息を吸った。
「外にも、まだ味方がいます。地上側では七草先輩たちが避難者の確認を続けています。こちらの存在を探している生徒もいます」
避難者たちの視線が、中条へ集まる。
「今すぐここを出ることはできません。出入口も安全確認が必要です。ですが、私たちは見捨てられていません。外も、こちらを探しています」
中条の声は、少しずつ落ち着いていった。
「ですから、今はここで待機してください。怪我をしている方、気分が悪い方は、近くの係員に知らせてください。水と毛布を配ります。順番に確認しますので、慌てずに待ってください」
その言葉で、不安が完全に消えたわけではない。
だが、ざわめきは少しだけ弱まった。
理由のない待機ではない。
外に味方がいる。
こちらを探している者がいる。
その情報だけで、人は少しだけ息を吸える。
聖火はそれを確認して、小さく頷いた。
「中条先輩、やっぱりちゃんとできますね」
服部が横で言った。
「今、それを言う余裕があるのか」
「ありますよ」
聖火は手元の札をしまいながら答えた。
「後ろが崩れていないなら、前で戦った意味がありますから」
服部は何も言わなかった。
だが、否定もしなかった。
シェルター内の空気は、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。
完全に不安が消えたわけではない。
出入口は塞がっている。
外の状況も、すべて分かっているわけではない。
それでも、外に味方がいる。
こちらを探している者がいる。
その情報だけで、避難者たちの呼吸は少しだけ整った。
中条は係員たちへ指示を出し、水と毛布を配らせていた。
「水は一人一本ずつです。足りなくなることはありませんので、慌てずに受け取ってください。毛布は怪我をしている方、気分の悪い方を優先します」
その声には、まだ疲れがある。
だが、先ほどまでの震えは薄くなっていた。
シェルターの一角では、安宿《あすか》先生が簡易救護スペースを作っていた。
第一高校の保健医である彼女は、備蓄されていた救急箱を開き、椅子と毛布を使って手早く処置場所を整えていく。
打撲。
擦過傷。
軽い切り傷。
足をひねった者。
煙を吸って咳き込む者。
大怪我ではない。
だが、放っておけば不安は増える。
痛みは恐怖を呼び、恐怖は周囲へ広がる。
だから、処置は早い方がいい。
聖火は自然にその隣へ膝をついていた。
「次の方、こちらへ」
聖火は男子生徒の腕を取り、傷口を見る。
「浅いですね。洗浄して、圧迫で止まります。少ししみます」
「え、あ、はい」
水で汚れを落とす。
清潔なガーゼを当てる。
包帯を巻く。
強すぎず、緩すぎず。
動かした時にずれない位置で留める。
その手つきに、迷いはなかった。
安宿先生は、隣で別の生徒の処置をしながら、ちらりと聖火を見る。
「鷹山君、上手ね」
「そうですか」
聖火は包帯の端を留めながら、少しだけ笑った。
「安宿先生に認めていただけると、自信になりますね」
「普通の一年生は、そんなに自然に包帯を巻けないと思うけれど」
「昔、少し教わりまして」
「少し?」
安宿先生の声に、柔らかい疑いが混じる。
聖火は視線を逸らした。
「少し、広めに」
「広めに、という言い方も初めて聞いたわ」
そのやり取りを聞いていた中条が、思わず口を挟んだ。
「あの、鷹山くん……」
「はい、中条先輩」
「それ、絶対に経験者の手つきですよね?」
聖火は一瞬だけ黙った。
それから、包帯を巻き終えた生徒の腕を軽く確認する。
「はい。これで大丈夫です。痛みが強くなったら、すぐに言ってください」
「ありがとうございます」
生徒が礼を言って離れていく。
聖火は次の負傷者へ視線を向けながら、何事もなかったように答えた。
「人より少し、応急処置に詳しいだけです」
中条はじっと聖火を見る。
「絶対に少しじゃありません」
「中条先輩も、だいぶ冷静になりましたね」
「話を逸らしましたよね?」
「次の方、こちらへ」
「逸らしましたよね?」
安宿先生が小さく笑った。
シェルターの一角に、ほんの少しだけ柔らかな空気が戻る。
閉じ込められている事実は変わらない。
外の戦闘が終わったわけでもない。
それでも、怪我を見てもらえる。
水が配られる。
毛布がある。
声をかけてくれる人がいる。
それだけで、人は少しだけ落ち着ける。
聖火は次の負傷者の前に膝をつき、いつものように状態を確認した。
「大丈夫です。順番に見ますから、焦らなくていいですよ」
その声は、地下通路で敵を切り裂いていた時とはまるで違っていた。
けれど、服部はそれを見て、むしろ納得していた。
鷹山聖火は、敵を倒すためだけに戦っているわけではない。
後ろにいる人間を、こうして拾うために前へ出たのだ。
服部は短く息を吐き、入口側へ視線を戻す。
外には、まだ戦いがある。
出入口は塞がっている。
救助がいつ来るかも分からない。
だが、シェルター内は崩れていない。
中条が避難者をまとめ、安宿先生が怪我人を見て、聖火がその隣で処置を手伝っている。
沢木と警備隊員たちは入口を守っている。
今できることは、ある。
それだけで十分だった。
聖火は包帯を巻き終えると、次の救急箱を開いた。
中には、まだ使えるものが残っている。
ガーゼ。
包帯。
消毒液。
固定具。
限られた物資。
限られた空間。
限られた情報。
それでも、手は動かせる。
聖火は小さく息を吐き、次の避難者へ声をかけた。
「次の方、こちらへ。大丈夫です。順番に見ます」
シェルターの扉の向こうで、遠くの爆音が鈍く響いた。
誰かが肩を震わせる。
だが、すぐに中条の声が飛ぶ。
「大丈夫です。ここは安全です。今は待機してください」
安宿先生が処置を続ける。
服部が入口を見ている。
沢木が黙って立っている。
そして聖火は、目の前の怪我人の手を取った。
戦場は、遠くにある。
だが、ここにも戦いはある。
恐怖に飲まれず、呼吸を保ち、次の瞬間まで人を生かすための戦い。
聖火にとって、それはひどく懐かしい戦いだった。
最後はギャグぽくなってしましました。
横浜騒乱編は次回で終了になります。